モサド史

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここでは、「モサド史」を検証する。

 2007.11.4日 れんだいこ拝



 2023年10月04日櫻井

 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を経て武田薬品へ入った山田忠孝の父親、山田忠義は渋沢敬三の秘書などを経て1952年に八幡製鉄へ入社している。興味深いのは、戦争中の1940年代の前半、ヨーロッパから日本へ上海経由で逃げてきたユダヤ系の若者、ショール・アイゼンベルグを忠義は世話している。神戸へ着いた時、アイゼンベルグは19歳か20歳だった。財界の大物たちに守られたユダヤ人難民のアイゼンベルグは大戦後、アメリカ第8軍のロバート・アイケルバーガー司令官に可愛がられる。そのコネクションを活かし、アイゼンベルグはペニシリンの販売で大儲けしたという。

 その後、アイゼンベルグは日本から追い出されるが、イスラエルの情報機関モサドの幹部としてさまざまな秘密工作に関わり、イスラエルと中国を結びつけたと言われている。似た境遇にあったジョージ・ソロスと緊密な関係にあったことでも知られている。




(私論.私見)