ホロコースト史実検証8、ホロコースト生き残り者証言疑惑考

 更新日/2018(平成30).5.30日

【木村愛二氏の貴重な指摘】
 「ホロコースト生き残り者証言疑惑」について、木村愛二氏は、2006.2.8日付投稿「ホロコースト「生き残り証言」は大嘘の創作と判明し」で次のように述べている。これを転載する。
 ホロコースト「生き残り証言」は大嘘の創作と判明した。ベストセラー体験記の筆者は、ラトヴィア生
まれでアウシュヴィッツを経験と称していた、スイス生まれのスイス育ちだった。その英文記事・Holocaust Survivor Memoir Exposed as Fraudを紹介する前に拙著『アウシュヴィッツの争点』の関連部分を示す。

 http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-26.html
 『アウシュヴィッツの争点』第二章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ
 イスラエルの公式機関でさえ「信用できない」証言が半分以上

 「マルコ報道」では「生き証人」へのインタヴューの必要性を力説している例がおおかった。それはそれで結構なのである。そういう努力は今後も続ける必要があるだろう。ただし、「ガス室」の存在を肯定する「生き証人」の証言、または被告の「自白」ないし「告白」の類いは、すでに出尽くしている。むしろ必要なのは、その内容の再検討なのではないだろうか。「生き証人」の受け止め方についても、一部の文章に見られる論理的な混乱を指摘しないわけにはいかない。一部の文章では、収容所体験の事実と、「ガス室」の存在の肯定とが混同されている。実際には、収容所体験が事実であっても、「ガス室」についての「証言」部分は伝聞の場合がおおいのだ。

 さらに、くれぐれも注意してほしいのは、「ガス室」を見なかったとか「ガス室」はなかったと証言しているユダヤ人の「生き証人」が、意外におおいという事実である。また、「ガス室」の存在を否定する発言をした「生き証人」は、ユダヤ人だけではない。「ホロコースト」見直し論の父といわれるフランス人のポール・ラッシニエも、ナチス・ドイツ収容所の「生き残り」なのである。ドイツ人の「証言」例についてはのちにくわしく紹介するが、この場合には逆に、大変な社会的圧迫を覚悟してのうえでの発言である。その覚悟の重みも考えてほしい。しかも、問題の「生き証人」の証言については、イスラエル政府の公式機関としてホロコーストに関する世界で最高権威の扱いをうけ、最大の資料収集をしている「ヤド・ヴァシェム」でさえ、つぎのような判断を下しているのである。

 すでに紹介ずみのウィーバーの論文「ニュルンベルグ裁判とホロコースト」には、何人かのユダヤ人の歴史家が、「ホロコースト」目撃証人の「嘘」の理由やその「病的傾向」を分析している事例をあげている。なかでも決定的に重要な部分を訳出すると、つぎのようである。

 「イスラエル政府のホロコースト・センター、ヤド・ヴァシェムの公文書館長、サミュエル・クラコウスキは一九八六年に、保管している二万件のユダヤ人“生存者”の“証言”のうち、一万件以上は“信用できない”ことを確言した。クラコウスキの言によれば、おおくの生存者が“歴史の一部”となることを願っており、想像力をほしいままに走らせている。“おおくの人は、かれらが残虐行為を目撃したと称する場所にいたことがなく、または、友人や通りすがりの見知らぬ他人から聞いた二次的な情報にたよっている”。クラコウスキの確言によると、ヤド・ヴァシェムが保管している多くの証言記録は、場所や日時についての専門的な歴史家の鑑定を通過することができず、不正確であることが証明された」。

 では、のこりの「一万件」以下の“証言”は、はたして「信用できる」のだろうか。それらは「場所や時間」についての」鑑定を通過したのかもしれない。だが、その“証言”の内容のすべてまでは保証できないだろう。そこで「ガス室」を見たという部分があったとしても、その物的証拠を示しているわけではないのである。

 「ホロコースト見直し論の父」とよばれるフランスの歴史家、故ポール・ラッシニエには『ユリシーズの嘘』という著書がある。ユリシーズは古代ギリシャの伝説の英雄で、ギリシャ語ではオデュッセウスである。木馬のエピソードで有名なトロイヤ戦争からの帰国のさい、オデュッセウスがのった船が嵐で漂流し、以後、一〇年の放浪の旅をする。ホメーロスの長編序事詩『オデュッセイア』は、その苦難の帰国物語である。ジョイスの長編小説『ユリシーズ』は『オデュッセイア』を下敷きにしている。ラッシニエの『ユリシーズの嘘』では、『オデュッセイア』に見られる苦難の経験の誇張をナチス・ドイツの収容所の経験者の誇大な「告発」にあてはめて、「ユリシーズ・コンプレックス」とよんだ(シュテーグリッヒ判事の著書の英語版では「オデュッセウス・コンプレックス」になっている)。ラッシニエ自身、レジスタンス活動でゲシュタポに逮捕され、二年間のナチ収容所での生活を経験しているが、戦後の地道な追跡調査によって、「ガス室」物語がすべて伝聞にすぎないことを確かめたのである。

 やはりフランス人でラッシニエの業績をひきつぐフォーリソンは、『著名な偽りの目撃証人/エリー・ウィーゼル』で、一九八六年のノーベル平和賞受賞者を「偽りの目撃証人」として告発する。なぜならば、「ホロコースト」を目撃したと自称するユダヤ人のエリー・ウィーゼルが「自分のアウシュヴィッツとブッヘンヴァルドでの経験をえがいた[初期の]自伝的な著作ではガス室にまったくふれていない」、つまり目撃していないからだというのである。

 被告側のドイツ人にたいする「拷問」の事実については、すでに簡略に紹介したとおりである。拷問によらない「らしい」積極的な「告白」と称されるものもある。「クルト・ゲルシュタインの告白」と通称されているものがそれである。ゲルシュタインは、なんと、「ナチ党の野蛮な行為を世界に知らせるために」親衛隊員になり、「世界にそれをつたえるために」フランス軍に投降したと「告白」していた。フランスで「戦争犯罪人」として拘留されている間に、独房で首をつって死んでいるのを発見されたが、それまでの拘留期間中に六種類の「告白」をのこした。

 たとえば数ある「ホロコースト」物語の中でも、もっとも著名なベストセラーであり、いまもなおロングセラーの『夜と霧/ドイツ強制収容所の体験記録』(以下『夜と霧』)の日本語版では、写真版用の厚紙製の特別な一ページに、この「告白」の一部を収録している。

 ゲルシュタインは、「ガス室」処刑に実際にたずさわったと称し、その一部始終を「死体からの金歯の抜き取り」にいたるまで微に入り細をうがって「告白」している。だが、もっとも重要なことは、このゲルシュタインの「告白」が、すでにその欠陥ぶりをくわしく紹介した「[ニュルンベルグ]国際軍事裁判の証拠としてさえ採用されなかった」(『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』)という事実なのである。明白な誤りや数多い矛盾、本人の経歴の不確かさなどが、審判担当者をためらわせた理由であろう。ところが、この「告白」が一九六一年にイスラエルでおこわれたアイヒマン裁判で採用されたため、以後、おおくの著作で本物であるかのように引用されることとなった。「ホロコースト」物語には、テキスト・クリティークが不十分なものがおおいが、「クルト・ゲルシュタインの告白」などは、さしずめその最右翼であろう。

 一九九四末、ロサンゼルスの「歴史見直し研究所」から持ち帰った資料の中には、その名もズバリ、『クルト・ゲルシュタインの告白』というA5判で三一八ページの単行本がある。フランスの研究者、アンリ・ロックの同名の著作の英語訳である。タイプ文字と手書き文字の手稿の写真版で、それぞれの「告白」の相違を比較検討できるようになっている。六種類の「告白」の一つにはことなる版があるので、これを三つにわけると、合計八種類になる。この八種類の「告白」の矛盾を細部で比較検討するための横長の表が、一一ページ分もおりこまれている。かなりの労作だが著者紹介記事によると、農業技術者だったロックは、フォーリソンの仕事に刺激をうけて研究をはじめ、この著作のもとになった論文でナント大学から博士号をうけた。ところがロックは、なんと[ダジャレをとばす場合ではないが]、「フランスの大学の約八世紀にわたる歴史の中で、政府によって博士号を“とりあげられた”最初の男になった」のである。博士号授与が一九八六年、一九八九年現在で六九歳としるされているから、『クルト・ゲルシュタインの告白』は、六六歳という高齢で完成した地道そのものの実証的研究である。

 さきにも「ニセ証人」の「笑い話」を紹介したが、ゲルシュタインは決して、「特殊な例外」ではない。シュテーグリッヒはいかにも判事らしく、同様の矛盾をたくさんふくむ「告白」「報告」「体験記録」の数々の細部を比較検討している。ゲルシュタインは、とりわけ傑出していただけなのではないだろうか。

 わたしは、『マルコ』廃刊事件の際の記者会見で、アメリカ映画『一二人の怒れる男』の例を引いた。あの映画では、目撃証人の証言だけで判断すれば、プエルト・リコ系の浅黒い少年が父親殺しで有罪になるところだった。しかし、一二人の陪審員のなかでたったひとり、ヘンリー・フォンダ扮する白人の陪審員が有罪の決定に賛成しなかった。以後、一昼夜の激論のすえ、目撃証言の矛盾があきらかになり、少年は無罪となる。日本でもおおくの冤罪事件で、目撃証人の証言があやまりだったことが、のちの上訴や再審で証明されている。それほどに、目撃証人の証言というものは、誤りがおおいものなのである。

 しかも、「ホロコースト」物語の場合にはとくに、いわゆる「生き証人」としてマスメディアで扱われてきた人々のほとんどすべてが、イスラエル建国支持者である。いわばヴォランティアの広報係りのようなところがある。かれらの「証言」の背後には、いわゆる国家忠誠心に類する感情による「合理化」がひそんでいるのではなだろうか。パレスチナ分割決議をめぐる中東戦争はあくまでも停戦状態なのであって、まだ継続中なのだから、その意味では、戦時宣伝の時代は終了していないのだ。すくなくとも、そういう状況への論理的な疑いをいだいて、内容をds再検討する必要があるのではないだろうか。

 日本の国会でも、おおくの汚職事件の関係者が企業忠誠心をわずかなよりどころにして、あれだけいけしゃあしゃあと、だれの目にも明らかな嘘をつき通している。それにくらべれば、たしかに歴史的な犠牲者でもあるユダヤ人たちが、国家、民族、または宗派への忠誠心から、自分の実際の記憶に他人からの伝聞などをまじえて誇大に物語ってしまうことは、むしろ自然の気持ちの発露なのかもしれないのだ。

 さて、このように、疑いをいだきはじめてみれば、これまでのすべての説明が矛盾だらけであることが、つぎつぎにわかってくる。以上の第1部では、殺人事件ではもっとも基本的な捜査の条件であるはずの「死体そのもの」、「死体の数」、「死体の身元」、「殺人の動機」、「凶器」、「殺害現場」などが、まるで不明確だという材料を列挙してみた。材料はおどろくほどおおい。つぎの第2部では最大の争点である「チクロンB」と「ガス室」の関係にせまる前提条件として、以上のあらすじの背景と細部を、さらにくわしく調べなおし、論じなおしてみたい。

 だが、そのほかの疑問をもふくめて、その真相の究明よりも以前に「発言の禁止」がでてくるところに、「ホロコースト」物語に特有の奇妙さがある。物語の背景には、いまなおつづく国際政治上の重大問題がひそんでいるからだ。

 http://www.ihr.org/jhr/v17/v17n5p15_Weber.html
 Institute for Historical Review

 Holocaust Survivor Memoir Exposed as Fraud by Mark Weber

 A Holocaust survivor memoir that has received prestigious literary awards and lavish praise has been exposed as a hoax.

 In Fragments: Memories of a Wartime Childhood, Binjamin Wilkomirski describes his ordeal as an infant in the Jewish ghetto of Riga (Latvia), where his earliest memory is of seeing his father being killed. Wilkomirski also tells how he survived the terrible rigors of wartime internment, at the age of three or four, in the German-run concentration camps of Majdanek and Auschwitz.

 First published in German in 1995, Fragments has been translated into twelve languages. In Switzerland, the country where Wilkomirski lives, the book has been a major best-seller. Two documentary films and numerous personal appearances by the author in schools throughout the country have helped promote the memoir.

 The American edition was published by Schocken, an imprint of RandomHouse, which heavily promoted the book with teachers' study guides and other supplementary materials.

 Jewish groups and major American newspapers have warmly praised Fragments. The New York Times called it "stunning," and the Los Angeles Times lauded it as a "classic first-hand account of the Holocaust." It received the 1996 National Jewish Book Award for Autobiography and Memoir, while in Britain it was awarded the Jewish Quarterly Literary Prize, and in France the Prix Memoire de la Shoah.

 The US Holocaust Memorial Museum in Washington, DC -- a federal government agency -- was so impressed that it sent Wilkomirski on a six-city United States fund-raising tour last fall.

 This past summer, though, compelling evidence came to light exposing Wilkomirski's memoir as an literary hoax.

 Although he claims to have been born in Latvia in 1939, and to have arrived in Switzerland in 1947 or 1948, Swiss legal records show that he was actually born in Switzerland in February 1941, the son of an unwed woman, Yvette Grosjean. The infant was then adopted and raised by the Doessekkers, a middle-class Zurich couple. Jewish author Daniel Ganzfried, writing in the Swiss weekly Weltwoche, also reports that he has found a 1946 photo of the young Bruno Doessekker (Wilkomirski) in the garden of his adoptive parents.

 Comparisons have been drawn between Wilkomirski's Fragments and ThePainted Bird, the supposedly autobiographical "Holocaust memoir" by prominent literary figure Jerzy Kosinksi that turned out to be fraudulent.

 Reaction by Jewish Holocaust scholars to the new revelations has been instructive, because they seem more concerned about propagandistic impact than about historical truth. Their primary regret seems merely to be that thefraud has been detected, not that it was perpetrated.

 In an essay published in a major Canadian newspaper (Ottawa Citizen, Nov. 18, 1998), Jewish writer Judith Shulevitz arrogantly argued that it doesn't really matter much if Fragments is authentic. Her main misgiving, apparently, isthat the deceit was not more adroit: "I can't help wishing Wilkomirksi-Doesseker [sic] had been more subtle in his efforts at deception, and produced the magnificent fraud world literature deserves."

 Deborah Dwork, director of the Center for Holocaust Studies at Clark University (Worcester, Mass.), and co-author of Auschwitz: 1270 to the Present (Yale Univ. Press, 1996), agrees that Fragments now appears to be fraudulent. At the same time, though, she expressed sympathy for Wilkomirski, saying that when she met him he appeared "to be a deeply scarred man." Amazingly, Dwork does not blame him for the imposture, "because she believes in his identity." Instead, she takes the publishers to task for having "exploited" Wilkomirski. (New York Times, Nov. 3, 1998).

 Deborah Lipstadt, author of the anti-revisionist polemic Denying the Holocaust, has assigned Fragments in her Emory University class on Holocaust memoirs. When confronted with evidence that it is a fraud, she commented that the new revelations "might complicate matters somewhat, but [the work] is still powerful."

 Daniel Ganzfried reports that Jews have complained to him that even if Fragments is a fraud, his expose is dangerously aiding "those who deny the Holocaust."

 American Jewish writer Howard Weiss makes a similar point in an essay published in the Chicago Jewish Star (Oct. 9-29, 1998):

 Presenting a fictional account of the Holocaust as factual only provides ammunition to those who already deny that the horrors of Nazism and the death camps ever even happened. If one account is untrue, the deniers' reasoning goes, how can we be sure any survivors accounts are true ... Perhaps no one was ready to question the authenticity of the [Wilkomirski] account because just about anything concerning the Holocaust becomes sacrosanct.

 Wilkomirski himself has responded to the new revelations by going intohiding, although he did issue a defiant statement describing the climate of discussion about his memoir as a "poisonous" atmosphere of "totalitarian judgment and criticism."

 From The Journal of Historical Review, Sept.-Oct. 1998 (Vol. 17, No. 5), pages 15-16.


【救国の草莽の志士氏の貴重な指摘】
 救国の草莽の志士氏の2004.8.15日付「『ナチスとヒトラー』とホロコーストの真相」を転載する。
 ロスチャイルドを中心とする、シオニスト達が1897年にスイスのバーゼルで開いた第1回世界ユダヤ人会議での決議事項の50年後には、民族の悲願だったユダヤ人国家を誕生させるとの誓いに基づいて、「イスラエル建国の為の国家の誕生には必須の国家の3要素(領土・国民・政府)の内の最も困難な「国民」を創出させる為には、無理やりヨーロッパ全土から「ユダヤ教徒(主にトルコ系白人種のカザール(ハザール)人の末裔のアシュケナジー・ユダヤ)を強制的に追い立てて、掻き集めてくる必要に迫られ、ヨーロッパ全土を征服し「集中キャンプ(Concentration Camp)という「強制収容所」などと訳された施設に収容して、戦争でナチス・ヒトラーが負けなければ。「強制移住」は貨車でやっていたであろう。だから、米英連合軍もパレスチナ行きの鉄道線路は最期まで爆撃しなかったという。

 だから、ヒトラーに資金を提供したのは、ブッシュ大統領の祖父のプレスコット・ブッシュやジョージ・ウオーカーなどのシオニスト米国ユダヤ金融財閥で、その背後にはヨーロッパ・ユダヤの総帥ロスチャイルド家がその張本人だと見るべきである。すなわち、ナチスとヒットラーの本質は、イスラエル国家建設の為には不可欠だった、「イスラエル国民」を生み出すロスチャイルドの密命により、全ヨーロッパの隅々からいわば「羊達=アシュケナジーユダヤ人達」を強制的に狩り立てる目的で、「ドイツ民族を牧羊犬シェパード」に仕立て上げて、パレスチナの国土と狙いをつけた土地に追い立て誘導するる「牧羊犬」に育て上げる「調教師ヒトラーとその親衛隊ナチス」を作ったものであった。だから、「ユダヤ人の絶滅」などという「事実の歪曲と捏造」とは、シオニスト・ユダヤの同胞(異民族でもユダヤ教徒を同胞というのなら)をなした極悪犯罪の事実を覆い隠す為、偽装工作としてまた同情を買うために創作して、全責任をヒトラーの罪にして自らの罪を糊塗しようとした典型的な「歴史の偽装と歪曲と捏造」だったのであった。事実ヒトラーの言った「ユダヤ問題の最終的解決」とは、「ユダヤ人の絶滅」どころか「(イスラエル国家建設予定地パレスチナへの)強制移住」であったのである。「イスラエル国民」となる筈のユダヤ人を殺していては、ヒトラーはロスチャイルドの密命を果たせないではないか。だから、アウシュビッツの強制収容所で殺された、「イスラエル国家建設に役に立たないか貧乏で金のなかったユダヤ人やシオニズムに反対のユダヤ人」は選別して殺したのである。

 だから、「ユダヤ国家建設の為に」、「ユダヤ人強制収容」と「強制移住」させる為に、第2次世界大戦が引き起こされ、全ヨーロッパからユダヤ人を狩り立てる必要があったので、最もアシュケナジー・ユダヤが多くいたソ連にまで全征服地の600万人の軍を動員してまでソ連侵攻をしたのである。だから、ナチズムとヒトラーは共産主義と同様にシオニズムの目的達成の為の小道具であったという訳だ。

 結論としては、シオニスト・ユダヤは、その自らの極悪の悪事を覆い隠す為に、「ホロコースト神話」をでっち上げて、シオニスト・ユダヤの使用人ヒットラーに全責任をなすりつけて、本当の加害者であった己れの「同胞殺しの汚名から免れる為、アウシュビッツでの600万人の虐殺なそという嘘を定説化させた」のであった。世界は、まんまと騙されて、真相は、世界ユダヤ人人口統計の推移が証明している。

  第2次世界大戦前 1938年版世界年鑑   16,588,259人
  
  第2次世界大戦後 1948年2月22日号
        ニューヨーク・タイムズ推定   18,000,000人 ~
                            15,000,000人 

 さらに、1939年チェンバーズ百科辞典  ナチ・ヨーロッパ下でのユダヤ人口
                             6,500,000人

  真相は、ヒトラーと連合軍に殺された民族別被害人口

                    ドイツ人   3,500,000人 

  アウシュイビッツで殺された民族別人口

                 最大 ポーランド人    160万人
                    ユダヤ人 僅かに  3万数千人

 こういう統計の下で、600万人のユダヤ人が殺されたなどということがあり得る筈  がない。せいぜい、このシオニスト・ユダヤの仕掛けで、全ヨーロッパから脱出し   て、目的どおりに主に米国等の北米や南米とパレスチナに脱出したユダヤ人は数百万  人いて、その大半は米国に逃げたのあった。ロスチャイルドを初め富裕なユダヤ人達  は全財産を持ってにげられた・・・・・。 


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 「★阿修羅♪ > ホロコースト6」の西岡昌紀氏の2013 年 8 月 16 日付投稿「ダッハウの謎--過去の「ガス室」目撃証言はどうなったのか?西岡昌紀」。
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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6736682.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=6445842&id=1909725503


不思議な話をお聞かせしましょう。 はじめに、下の記事をお読み下さい。

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独メルケル首相は追悼に向かう…20日ナチス収容所へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=56&from=diary&id=2542772

独メルケル首相は追悼に向かう…20日ナチス収容所へ
中央日報 - 2013年08月16日 10:51


 アンゲラ・メルケル首相がドイツ首相として初めてドイツ南部のダッハウ強制収容所を訪問し、第2次世界大戦時に亡くなったユダヤ人犠牲者などを追悼する予定だ。ドイツのシュテフェン・ザイバート首相室報道官は14日の記者会見で「メルケル首相が20日、ミュンヘン近隣のダッハウ収容所記念館を訪れて献花し演説する予定」としながら「ドイツ政府のトップがこの収容所を訪問するのは初めて」と明らかにした。メルケル氏はホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)生存者でありダッハウ収容所収監者委員会のマックス・マンハイマー会長(93)とバイエルン州のルートヴィヒ・シュペレ教育部長官と共に収容所を訪れる計画だとAFP通信が伝えた。 マンハイマー会長は声明で「メルケル首相の今回の訪問は、過去の収監者に対する敬意の表示」として「現在ドイツ社会内で反ユダヤ主義やユダヤ人への敵対感が増幅している状況なので、今回の訪問は政治的・社会的に大変重要だ」と評価した。 バイエルン州の首都ミュンヘンから北西に16キロ離れたダッハウ収容所は、1933年アドルフ・ヒトラーが権力を掌握して数週間後に政治犯を受け入れるためにつくったナチスの初めての収容所だ。以後ユダヤ人や同性愛者、戦争捕虜など20万人以上を閉じ込めた。米軍が1945年4月29日に収容所を掌握する前まで、殺害されたり飢餓や病気で亡くなった人は4万1000人を超える。これに先立ちメルケル首相は今年6月5日、米国のオバマ大統領と共にドイツ中部のワイマール州ブーヘンヴァルト収容所を訪れてナチスの犠牲になったユダヤ人を賛えた。メルケル首相がダッハウ収容所を訪問して2週間後には、ドイツのヨアヒム・ガウク大統領がドイツ指導者として初めてナチスが大虐殺を行ったフランス北部のオラドゥール・シュル・グラヌ村を訪れ犠牲者を追悼する予定だ。ここは第2次大戦が終りに近づいた1944年6月10日、ドイツ軍が200人余りの子供を含む640人余りの村の住民を殺害する蛮行を犯したところだ。

 この記事に出て来るダッハウ(Dachau)収容所には、とても不思議な事が有ります。それは、今日、歴史家たちが、この収容所では、「ガス室によるユダヤ人殺害」が行なはれて居なかった、と言って居る事なのです。 アウシュヴィッツ等とは違って、このダッハウ収容所では、「ガス室による殺人」は行なはれて居なかった、と言ふのです。 「それが何故不思議か?」ですって?  不思議ですよ。だって、かつては、このダッハウ収容所でも、アウシュヴィッツと同様、「ガス室による処刑」が行はれて居たと言ふ話に成って居たのですから。 もう一度言ひましょう。かつては、このダッハウ収容所にも、アウシュヴィッツと同様、処刑用のガス室が有ると言はれ、そこで毎日多くの人々が殺されて居たと言はれて居たのです。 ちゃんと「目撃証言」が有ったのです。たとえば、フランツ・ブラーハ(Franz Blaha)と言ふユダヤ人の医者が居ました。この人は、ダッハウ収容所の「ガス室」でユダヤ人が殺されるのを目撃し、医者だったので検死をさせられて居た、と法廷で「証言」して居たのです。 他にも「ダッハウのガス室」について本を書いた人も居れば、「ダッハウのガス室」が登場するアメリカの映画(『ニュールンベルク裁判』)も有ったのです。 それどころではありません。あのニュールンベルク裁判では、検事が、このダッハウ収容所を、ガス室による大量殺人が行はれた収容所の一つとして法廷で名を挙げて居たくらいです。つまり、かつては、ダッハウに「ガス室」が有って、そこで多くの人々が殺されたとする話が、世界中に流布され、信じられて居たのです。 ところが、今、歴史家たちは、このダッハウ収容所に関しては、「ガス室による処刑は行なはれて居なかった」として居ます。 不思議だとは思ひませんか? だって、おかしいじゃないですか!この収容所で「ガス室で殺された人々の死体を検死して居た」と証言した「目撃者」が居たのです。そして、その「証言」は、ニュールンベルク裁判にまで提出されて居たのです。 それなのに、今では、「ダッハウでガス室による処刑は行なはれて居なかった」と言ふ話に「歴史」が変はって居るのです。 これは何を意味するのでしょうか?
その「目撃証言」がウソだったからだ、としか考え様が無いではありませんか! 違ふでしょうか?だって、そうではありませんか。ひとつでいいのです。ひとつでいいから、「ダッハウのガス室処刑」について、信用出来る証言が有ったなら、歴史家たちは、「ダッハウでもガス室処刑が行なはれて居た」と言ふ筈ではありませんか。 ところが今日、「ナチのガス室」の実在を主張する歴史家たち自身が、アウシュヴィッツ等については「ガス室」が存在した事を頑なに主張する一方で、ダッハウに関しては、自信が無いのです。「ダッハウでは、ガス室による処刑は行はれて居なかった」と言ふのです。
つまりそれは、彼ら自身が、「ダッハウのガス室処刑」に関する限り、信用出来る「証言」が無い事を知って居るからなのです。他にどう説明できるでしょうか? 「ホロコースト」に関する「目撃証言」を全て鵜呑みにしていいのでしょうか?

 2013年8月16日(金)  西岡昌紀

 (参考資料)
 http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6715030.html

 ここで非常に重要なことをお話ししたいと思います。既に述べているように、この「ガス室大量殺人」には、物証と呼べるものはありません。テレビの資料映像には、ベルゲン・ベルゼンなどで撮影された病死者が、まるで、「ガス室」の犠牲者ででもあるかのように映し出されますが、「ガス室」で殺された死体は一体も確認されていません。

 また、処刑用ガス室の設計図も結局、発見されていません。それに、「ユダヤ人絶滅」の命令書も存在しなければ、そのための予算も計上されていないのです(既述)。それにも拘らず、「定説」側は「ガス室」があったと言うのですが、その「根拠」が何かと言えば、つまるところ、「証言」なのです。(中略)

 ここで、非常に重要なことをお話ししたいと思います。それは、こうした「証言」に基ずいて成立しているその「定説」側の説明が、実は、何度も変わっているということなのです。即ち、「ガス室」の話を中心とした「定説」側の語る「ホロコースト」の内容は、実は、戦後、何度も変わっているのです。皆さんは、このことに気付いておられるでしょうか?

 一例を挙げましょう。前にお話ししたベルゲン・ベルゼン収容所はドイツ北部にあった収容所で、戦争末期にイギリス軍によって解放されています。この収容所は戦争末期にチフスが大発生したことで有名で、そのことは、「定説」側の本でも、また医学論文にも明記されています。そして、この収容所に「ガス室」がなかったことは、前述のように、「定説」側の著作にはっきりと書かれています。当然、このベルゲン・ベルゼン収容所は、「定説」側の著作においても、アウシュヴィッツやマイダネックやトレブリンカのような「絶滅収容所」には分類されていません。

 ところが、戦争直後には、ある歴史家は、その「ガス室」などなかったはずのベルゲン・ベルゼン収容所について、こんな「歴史」を書いていたのです。

 「ベルゼンでは、クレーマー[西岡注:同収容所司令官]が、子供たちが母親から引き離され、生きたまま焼かれるのを眺める間、オーケストラにウィーン風の音楽を彼のために弾かせ続けた。ガス室で、毎日、何千人もの人々が殺されていたのである」(訳:西岡 原文は以下の通り)
 In Belsen, Kramer kept an orchestra to play him Vienese music while he watched children torn from their mothers to be burned alive. Gas chambers disposed of thousands of persons daily(Francis.T.Miller“ A Hostory of World WarU”, 1945 p.868)


  おかしいとはお思いにならないでしょうか?今日では「定説」側論者たち自身が「ガス室はなかった」と言っているベルゲン・ベルゼン収容所について、戦争直後には、こんなことが書かれていたのです。「ガス室で、毎日、何千人もの人々が殺されていたのである」などと・・・。つまり、話が変わっているのです。

 ベルゲン・ベルゼンだけではありません。例えば、ドイツ南西部に在って、アメリカ軍によって解放されたダッハウ(Dachau)収容所に関しても、同様に、話が変わっているのです。即ち、このダッハウ収容所についても、今日、「定説」側歴史家は、戦争中そこで「ガス室大量殺人」が行われていたとは言いません。「ダッハウのガス室は未完成だった」などと言って、そこで「ガス室」が使われていたとは言わないのです。ところが、このダッハウ収容所についても、戦争直後には、処刑用ガス室があり、多くの人々が「ガス室」で殺されていた、という話が堂々と語られていたのです。

 ベルゲン・ベルゼンについては、そこに「ガス室」があったと書いた前述の「定説」側歴史家ミラーは、自分が根拠とした証言を明記していません。しかし、このダッハウについては、フランツ・ブラーハ(Franz Blaha)という、チェコ人の医師で同収容所に収容されていた人物が、そこには処刑用のガス室があり、大勢の人々が殺されていた、と「証言」しています。しかも、そのブラーハという人物は、戦後の戦犯裁判に「証人」として登場し、その「ガス室」で殺された人々の死体を自分が「ガス室」内で検屍した、とまで「証言」しているのです。

 皆さんは、これをおかしいとはお思いにならないでしょうか?こんな具体的な「証言」が裁判という場で語られていたのに、今日、「定説」側の歴史家たちは、何故、「ダッハウのガス室は未完成だった」等と言うのでしょうか?rすまり、そこで戦争中「ガス室」による処刑が行われていたという説を自ら否定しているのですが、それならば、ダッハウでは実際に「ガス室処刑」が行なわれ、その死体を自分が検屍した、とまで語ったブラーハの「証言」とは、一体何だったのでしょうか?

 これだけではありません。その他にも、例えばドイツ中部に在ったブーヒェンヴァルト収容所などでも、かつては、そこに「ガス室」があったという「目撃証言」が語られていたのです。しかし、そのブーヒェンヴァルト収容所についても、今日では、「定説」側論者自身が、「ガス室」があったとは言わないのです。そこでも、「ガス室を見た」という「証言」があったにも拘らず、です。


 皆さんは、こうした「定説」側の変化を不思議には思われないでしょうか?このように、終戦後しばらくの間は、今日では「定説」側論者自身が「ガス室大量殺人」は行われていなかったと認める収容所で、「ガス室大量殺人」を目撃したという「証言」が堂々と語られていたのです。そして、それらの「証言」やそれに依拠した著述を反映する形で、戦後しばらくの間は、その「ダッハウのガス室」などが、本や映画に堂々と登場していたのです。そのため、戦後しばらくのそうした時期には、こうした状況を反映して、「ナチのガス室」といえば、ポーランドのアウシュヴィッツやマイダネックといった収容所よりも、ダッハウをはじめとする、ドイツ本国の収容所の方が、その代名詞として語られていたくらいだったのです(このことは、「定説」側の本も認めています)。(中略)


 考えてもみて下さい。例えば、フランツ・ブラーハが語った「ダッハウのガス室」に関する「目撃証言」がもし本当だったとしたら、「定説」側歴史家たちは、なにも「ダッハウのガス室で大量殺人が行われた」という命題を否定する必要などなかったはずです。ところが、それを今日彼ら自身が否定しているのは一体何故なのか。それは、彼ら自身が、この「証言」を信用していなかったからではないでしょうか?・・・皆さんは、これでも、ウソの「ガス室目撃証言」はなかったとお考えになるでしょうか?

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)167~173ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%
A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%
AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A
%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A
5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=137664
7420&sr=8-1&keywords=%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%
9F


(同書全文をここで読めます) ↓
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/6715030.html

コメント
01. 飯岡助五郎 2013年8月18日 09:05:56 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
第二次世界大戦でホロコースト(燔祭)が実施されたのは、日本です。エルサレム神殿の至聖所を意味する東は、燔祭を捧げるところですから。それを隠すために捏造したのが、ナチスによるホロコーストという作り話です。
エルサレム神殿は西暦70年まで毎朝、聖所の東側の白い大理石の床に掘られたT字帯(月経帯)型の溝に犠牲の血が注がれ、また犠牲の肉も聖所の東側で脂と共に焼かれてその煙が天に届けられていたそうです。
※ピーター・コノリー・パトリック・レステリーニ著『イエス・キリストの時代』 東京書籍1989年

●長崎に原爆が投下されたユダヤ暦アブ月(西暦7~8月)9日は、ユダヤ教最大の悲しみを記念する日です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%9A%A6
70年、エルサレム神殿に火が放たれ、立て篭もっていたユダヤ人とサドカイ派の祭司たちが生きたまま焼き殺された日が、長崎の原爆投下の日に当たります。焼いたのは、ローマ軍と同盟軍になったレビ人の軍。レビ人とはモーセの一族であり、またハスモン王朝の母系の末裔にあたるアグリッパ2世たち。彼らにとっては、曽祖父ヘロデ大王によって処刑されたその王子アリストブロスのための、77年目のリベンジだったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%912%E4%
B8%96

●一方、広島の原爆は、6日。イスラエルの国旗にも象徴されるとおりヘキサグラム。
広島市(阿岐国)は、八岐大蛇の出没地として日本神話に残っています。人首蛇身で、八卦と道家の創始者「伏羲と女媧」の伝承が遺っていた地です。

ーーーーーーーーーー

ホロコーストは前述のとおり日本で実施されましたが、ドイツは、ユダヤ人ヤコブさんによってヤコブ病が発見された地であり、その患者が精神病として扱われていた事実があるわけです。
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/204.html
ユダヤ人がホロコーストされたという捏造は、日本での原爆投下のユダヤ人としての意義を隠す一方で、ユダヤ人が知られたくないモーへールの吸血・人肉食習慣とヤコブ病との関係を隠したかったのではないでしょうか?

02. 2013年8月18日 23:46:25 : mTfFFPD4Qf
西岡先生へ、
証言の矛盾を突いたとしても修正主義的には意味が小さいと思われます。ルドルフヴルバの証言が崩壊しましたが結局ヴルバを暗に切り捨てましたよね。ユダヤ人にとって根幹の600万の矛盾認識には直接繋がりませんから。
http://revisionist.jp/orthodoxy_qa/007.htm
http://revisionist.jp/orthodoxy_qa/013.htm
加藤教授のご指摘のように幽霊船に逃げ込むだけです。
西岡先生のご指摘のように600万の死体は見つかっていないはずです。ですので600万確定に使われたユダヤ人の定義の立証証明をユダヤ人に要求するほうがまだ矛盾を認識されられるかもしれません。ユダヤ人がユダヤ人の定義から逃げられるはずがないので効果があるかもしれません。結局ユダヤ人の定義によって600万を証明して数えるしかありません。(まず証明できるとは思えませんが。)特にかい離が大きい旧ソ連の4分の1ユダヤ人をどう調べたのかだけでも証明すべきと要求しただけでも効果的かもしれません。旧ソ連のユダヤ人の定義は自己申告制でナチスのユダヤ人の定義は4分の1です。
03. 飯岡助五郎 2013年8月19日 16:03:51 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
西岡昌紀さんへ

何も証明する必要はありません。ナチスはホロコーストを行なっていなかったという医学的な視点をご紹介下さっただけで、十分です。これはユダヤ教徒とキリスト教徒が結託して流布した第二次世界戦後のプロパガンダという兵法ですから。ホロコーストの捏造は、信仰としての告白や物語でもって、人を裁いた恐ろしい宗教裁判です。ユダヤ教徒やキリスト教徒でない者が、ホロコーストという知りもしない宗教用語の解説を認めて信じることが、おかしなことなのですから。

何があったのか、兵法の動機となる因果応報を辿っていけば見えてきます。
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/526.html

04. 2013年8月19日 21:43:45 : trY2KTQMKc
 西岡氏の議論は、その著書も含め説得力を感じています。ただ、投稿文の旧仮名遣いがどうにも不自然に感じ読みにくいんですね。『衒学的』何かを、当方が勝手に感じてしまうせいでしょう。それはさておき、10年ほど前に仕事のついでに、ダッハウに立ち寄りました。宿泊したミュンヘンのホテルには観光用のフライヤが沢山並んでいます。そのうちの一つがダッハウでした。フライヤの一面はガス室用釜を思わせる写真です。しかし、その写真説明はありません。ダッハウでは観光客用英文パンフレットが売られています。西岡氏が書くように、ガス室の「ガ」の字も無いものでした。しかし、多くの観光客はそこでガス殺戮が行われたことを確信しているかのような沈痛な表情でした。パンフレットを探したのですが、311で書棚が倒壊し発見不能の状態です。
08. 飯岡助五郎 2013年8月21日 06:44:07 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
07へ

>それで600万盲信しているユダヤ人の考えを変える事ができるのか?

ユダヤ人は600万人の被害者数を妄信しているのではないと思いますよ。「ダビデの兵士」としてその暗喩を取り下げるつもりは無いというとろこだと思いますね。ユダヤ人であれ誰であれ、その人の信仰心を変えようなどということは、考えない方がいい。実相を世間に知らしめ、クリスチャンでもないのにユダヤ人から捏造された歴史を信じ込まされた人々を、その呪縛から解放してあげたらいい。そういうたゆまぬ努力が広がって、ホロコーストに対する世界の歴史認識も変わりつつある。覚醒の基礎を作ったものの一つに、映画化されてその主演女優がアカデミー賞という栄誉を与えられるに至った小説がある。ストーリーは、ナチスの戦犯として投獄された女性の半生を描いたもの。

1995年、ドイツの憲法裁判所判事だったベルンハルト・シュリンクが自身の少年時代を題材にした小説『朗読者』を発表したのがそれだ。ドイツ、アメリカでベストセラーとなり39か国語に翻訳された。またこの作品はドイツ語圏の作品で初めて『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストにおいて1位を獲得し、2008年には『愛を読むひと』として映画化もされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%
83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%81%B2%
E3%81%A8


>600万の矛盾の指摘になるのか?

600万人を、被害者の数として妄信しているから、矛盾が生ずるのです。イスラエルの会衆が公式発表する言葉は、名前に遡るとして解釈すべきなのです。それがユダヤ人の律法のルールですから。600万人は人の数ではなく、増えに増えた「ダビデの兵士」の意味ですよ。

14. 飯岡助五郎 2013年8月23日 09:51:17 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
11さんへ

Jew人口は、クリスチャンや仏教徒やフリーメイソンの人口を正確に数えられないのと同様に、正確に数えることはできません。ナチスがユダヤ人をホロコーストしたという嘘は、ユダヤ人と米国が日本人をホロコーストしたという史実を被災者である日本人が自覚すれば、覆ることができると思いますね。

【1】Jewが互いをJewと認める場合
アンカットの男子は、Jewではありません。アンカットの生後8日未満の男子は、まだJewではありません。親がJewであっても子が割礼を受けていなければJewではありません。
親がJewであって割礼を受けながらも「Torah」「Nevi'im」「Ketuvim」を偽書だと思っている男性は、Jewではありません。親がJewでなくても割礼を受け、「Torah」「Nevi'im」「Ketuvim」を信仰していれば、他のJewはその人をJewとして認めます。

例えば、薩摩藩主の島津重豪は、ペサハのゼローアのために、航海師のJewがするように七面鳥を「Torah」に従ってユダヤ暦第1月10日に調達したことが、オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフによって記録されています。またドゥーフもそのことに喜んで協力したことも記されています。「Torah」の第一巻目「בראשית」(創世記17:13)「あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。」を信じ、割礼を受けた結果です。また例えば、日本のユダヤ教会堂のサイトには、「Jews have been living in Japan since at least the 1860s, perhaps much, much longer. 」と記されているとおり、1860年代よりもずっとずっと昔からJewsは日本に住み着いていたという認識のようです。
http://www.jccjapan.or.jp/our-history.html

【2】他のJewが認めなくても、自らをJewと名乗る場合
親がJewであって割礼を受けながらも「Torah」に反するゲイは、イスラエルの会衆からJewとして認められていませんが、彼らの中で自らをJewと名乗る人が、近年米国に増えつつあります。

17. 飯岡助五郎 2013年8月24日 13:31:00 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
15さんへ

>非宗教的非ユダヤ教的なユダヤ人は息子に割礼させるとは限らない。

ユダヤ人というのは血筋じゃなくて、割礼して入信した父や夫を中心にその家族がユダヤ人とみなされるものです。例えばエルサレム神殿の建設者だったユダヤ王ヘロデは、改宗したイドマヤ人の子だった。割礼して入信すればJewなんですよ。また、あまり信仰熱心ではなく、豚を食ったりしても、割礼を受けてペサハをやったていればユダヤ人だ。だから逆に、ペサハも否定する非宗教的非ユダヤ教的なユダヤ人の子は、信仰が無いんだから割礼をしていてもユダヤ人じゃないんだ。割礼するのはユダヤ人だけじゃないからね。幕末の蘭癖の武士や明治期に日本に居た清国の買弁は、割礼してJewになった人が多いが、息子は割礼させながらもキリスト教に入信させた者も多くあった。

スパイは、本人がどちらに忠誠心を持っているかだ。ユダヤ人じゃなくても、ユダヤ人が経営のトップに立つ組織に忠誠心を持っている人は少なくない。

昭和天皇は、日本人と共通の遺伝子を持ちながら、日本の民に対して忠誠心をもっていなかったから、原子力の知的財産権を持つユダヤ人と手を組み、原爆によるホロコースト(ピース祭)を日本で実施したんだ。このことは、当時陸海軍を統帥した昭和天皇が、広島長崎の原爆投下の前にその空襲を知りながら、空襲警報を発令させなかったことを見れば、充分だろう。
http://www.nhk-ep.com/shop/commodity_param/ctc/+/shc/0/cmc/17419AA/
日本国民は、昭和天皇の地位を忘れてはいけない。
【大日本帝国憲法 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス】だったんだよ。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html#s1

26. 飯岡助五郎 2013年8月29日 15:19:23 : VssSC.kx7zq3c : FOGALdBVEA
22、23さんへ

あなたは本当に、UN軍によるの空襲で亡くなられた日本在住の市民を追悼する思いはあるのか?

ドレスデン爆撃の死亡者数は、150,000人。広島の原爆の死亡者数は、280,959人。
https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1283234802275/index.html

ドレスデン爆撃を第二次大戦中の最大の空襲と言いふらしているのはいったい誰でしょうか?
国連が流布しているプロパガンダに騙されてはいけません。
第二次世界大戦で、焼かれた犠牲者(ホロコースト)が最も多いのは日本ですよ。UN軍の空襲による死者の合計は、沖縄を除いても562,709人に上ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E
8%A5%B2#.E9.83.BD.E9.81.93.E5.BA.9C.E7.9C.8C.E5.88.A5.E8.A2.AB.E5.AE.B3.E6.95.B0






(私論.私見)