ホロコースト史実検証1、死者数

 (最新見直し2007.3.6日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
  現代歴史学の主流は、「世界中の一般的評価の到達点として、ホロコーストの犠牲者は、アウシュビッツの150万人を含め約600万人」との定説で一致している。しかし、れんだいこは思う。この定説には明らかに実証性が欠けている。その状態で、「踏み絵」と化している。

 「ユダヤ人のホロコースト犠牲者数論」は実際には600万人説から始まり、500万人説、300万人説、7万4千人説、3万人説と一定していない。それにしても、600万人から3万人のピンキリの違いが激し過ぎる。この差は足して2で割り平均数を出す訳には行かない。どちらかが間違っているとした方がよかろう。ここでは、それぞれの根拠を確認してみることにする。

 2005.12.26日 れんだいこ拝


【ホロコースト死者の死体処理、焼却、埋葬情報の皆無考】

 ホロコースト死者の数の詮議以前の問題として、仮に虐殺があったとして、「毒ガス廃棄処分後の死体処理をどうしたのか」について確たる証拠が出てこない。焼却時の臭い、骨の処理についても何らの情報もない。数十万人、数百万人の火葬による骨灰は何トンにもなる。これに関係する大規模な灰処理場の証拠は見つかっていない。戦争中、「ガス室」と火葬炉がフル稼働していたとされる時期、連合国はアウシュヴィッツの航空写真を撮影しているが、こうした写真には、収容所を常に覆っていたとされる大量の煙すら写っていない。あるいは、死体を燃やしたとされる穴も見当たらない。証拠が確実に残っているなら、ドイツに潜伏していた記者やスパイが見逃すはずがない。文化大革命やベトナム戦争における韓国兵の虐殺は証拠画像が残っている。東京大空襲の被害者画像もある。しかしアウシュビッツによる虐殺時の画像がほとんどない。あっても別の場所で空襲を受け、死んだ画像ばかりだ。証拠とされているものは戦後の証言、その大部分は「生存者」の個人証言である。

 これを検証しようにも、「ドイツ・フランス・イスラエルでは、ホロコーストを否定したり、ナチスを支持するような一切の発言や表現、ユダヤ人虐殺・ホロコーストを再検証する行為は法律によって禁止されている。それ以外の多くの国でも、タブー視されている事実がある」。


【2006.9.11日付、れんだいこのカンテラ時評211】
太田龍・氏の「アウシュビッツの死者の数。九百万人から七万三千余人へ」考】
 2001.9.115周年のこの日、「太田龍・氏の時事寸評」の2006.9.11日付けbP799回は、「アウシュビッツの死者の数。九百万人から七万三千余人へ」を掲載している。れんだいこが転載し、要点整理しておく。(れんだいこ責編集)
 「アウシュビッツ」、これは、過去六十年以上、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのユダヤ人「六百万ホロコースト」「犯罪」のシンボルであり続けて居る。「アウシュビッツ―最終決算」(ヴィヴィアン・バード編集、1999、ザ・バーンズ・レヴュー刊、未邦訳)によると、ナチスドイツによってアウシュビッツ・ホロコーストで殺された人々の数は、次の如く変遷した。
九百万人説  1945年、フランスのドキュメンタリー、「夜と霧」。
八百万人説  1943.12.31日、フランス戦争犯罪調査局。
七百万人説  1945年、フランス戦争犯罪調査局。
六百万人説  1951年、ティベール・クレーマー。
五百万人〜五百五十万人説  1945年、モスクワでのアウシュビッツ裁判。
五百万人説  1978.4.20日、フランスの新聞、ルモンド。
四百五十万人説  1945年、ヘンリク・マンデルバウム。
四百万人説  1945.5.6日、ソ連の数字。ニュルンベルグ裁判。
三百五十万人説  1991年、クロード・ランツマン。
10 三百万人説  アウシュビッツ収容所長、ルドルフ・ヘスの自白。
11 二百五十万人説  1961年、ルドルフ・ヴルラ。
12 二百万人〜四百万人説  1982年、イスラエルの歴史家。
13 二百万人〜三百万人説  SS士官ペリー・ブルームの自白。
14 二百万人〜二百五十万人説  1945年、フリードリッヒ・エントレス博士の自白。
15 二百万人説  1951年、1973年、1975年。
16 百六十万人説  1989年、イスラエルの歴史家。
17 百三十万人説  1995年、ワレサ・ポーランド大統領。
18 百四十七万千五百九十五人説  1983年。
19 百四十三万三千人説  1989.9.1日、フランスのル・モンド紙。
20 百二十五万人説  1985年、歴史家。
21 百十万人〜百五十万人説  1984年、1998年。
22 百万人説  1989年。
23 九十万人説  1990.8.3日、ニューヨークで発行されて居るユダヤ人の新聞アウフバウ。
24 八十万人〜九十万人説  1953年。
25
26 六十三万人〜七十一万人説  1994年。
27 七万三千百三十七人説。(73,137)  1991.3.5日号、ニューヨーク・タイムズ。
 
 つまり、アウシュビッツの収容所の死者の数は、九百万人 → 七万三千百三十七人。9,000,000人 → 73,137人と、「変化」したわけである。

 筆者は、今、日本ではこの「アウシュビッツでのユダヤ人ホロコースト」の死者の数が、どのように報道され、放送され、記述され、教えられて居るか、詳しく調べては居ない。しかし、手許の「集英社国語辞典、第二版(二千年九月)」によると、アウシュビッツでのナチスドイツによる捕虜やユダヤ人など、四百万人以上が虐殺された、と記してある。この四百万人以上との説は、ドイツ降伏の直後、ソ連共産政権が出して来た説と一致する。

 しかし、一九九五年、ワレサ・ポーランド大統領は、百五十万人説である。このワレサ大統領の説は、前出日本の国語辞典発行者は、デマ宣伝 と見なすのであろう。いずれにしても、日本のエリート(実は単なる白痴、家畜人ヤプー)の心理は、第二次世界大戦直後のまま、時間は完全に動かないようである。(了)
(私論.私見) 「アウシュビッツの死者数のものすごい変遷」考
  なんとまぁホロコースト死者数は、最大9百万人説から最小7万3137人説まで27通りあるという。万事アバウト派のれんだいこのアバウト度を越えている。問題は次のことにある。

 鳴り物入りで喧伝され、戦後反戦平和運動の理論的支柱でもあるホロコーストの死者数のこれだけの落差を聞かされて、それがどしたとカエルの面にションベンの手合いは別として、多くの者は捨ててはおけないと思うのではなかろうか。学問が真に学問なら、実態検証に向うべきではなかろうか。それがそうならない現実がある。

 西横綱のホロコーストがそうなら、東横綱の南京大虐殺事件はどうなんだろう。西欧はズボラでも日本は違う、その数はェェェとェェェと締めて60万人説から数百人説までいろいろある、議論はしないのが上策などというのではないだろうな。

 戦後教育は数々の評価点がある。しかし、歴史認識のこの辺りをネオ・シオニスト教学で塗り込められ、それを疑わないのが知性で出世する。現に俺は大学教授だ、恐れ入ったかと成金舶来趣味を見せびらかしてご満悦するのは、戦後教育のお粗末なところだろう。

 そのお粗末シオニスタン三バカ中堅トリオが自民党総裁選を演出しており、読売系が後押ししている。曰く、お前は憲法改正を言え。お前は消費税10%を言え。お前は日米安保深のめり万歳論を唱え。連日これを吹聴することに意味がある。とでもするシナリオが出来ているんだろう。

 思えば、「痛みを伴う改革」で登場した小ネズミ5年有余の施政は、「痛みを伴う」のは本当だった。「改革」は全てコマーシャルに過ぎなかった。せんでも良いことばかりやって米英ユ同盟にはお供えにつぐお供えで国富を吸い取られてきた。云うことと為す事が明らかに狂人であるが、メディアはこれを異能と称えてきた。

 シオニスタン三バカ中堅トリオはこれを継承すると云う。ますますお供えに励み、人民大衆に痛みを強制し、食えなくなったら自衛隊入れ、戦え、危険手当が割り増しで出るぞ、稼いで帰れ、その為の愛国親孝行路線を敷く。憲法改正、教育基本法改正に邁進すると云う。

 しかしなぁ、歴史弁証法は面白い。作用には反作用が伴う。詭弁は所詮詭弁で、化けの皮が剥げる。その為の理論的営為が進行している。これではアカンと憂国する士が澎湃と連帯し始め、シオニスタン攻略に向うことになる。今はその曙光期だと思う。

 2006.9.11日 れんだいこ拝

【「ナチスによるユダヤ人虐殺600万人肯定説」について】
 ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ 1その他を参照する。
 「ナチスによるユダヤ人虐殺600万人説」は次のように述べている。
 「ナチスは、占領国の随所にアウシュヴィッツなど1000カ所の強制収容所を建設し、総数1800万人を収容した。収容所で死んだ者はおよそ1200万人。そのなかの600万人がユダヤ人。戦争が始まったとき、ポーランドには330万人のユダヤ人がいたが、戦争が終わったときには、4000人になっていた。「第2次大戦中、ドイツのナチス政権は欧州各地から数百万人のユダヤ人らを強制収容所に集めて殺した。なかでもポーランド南部のアウシュビッツ(現オシフィエンチム)では、毒ガス、銃殺、飢えで、100万人を超す人々が虫けらのように命を奪われた」。

 高橋亨・氏は、「『ガス室の嘘』オンライン論争の経験から」の中で、次のように述べている。
 http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/lets23.htm
 「ホロコースト否定論とは、ナチス・ドイツが約600万にものぼる膨大な数のユダヤ人をガス室その他の手段を用いて殺害し、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の絶滅を図ったという歴史的事実を否定し、それは戦中から戦後にかけて捏造された嘘…」。

 その歴史事情は次の通り。「国の紹介: イスラエルQ&A」は次のように記している。
 1933年、ドイツで権力を握ったアドルフ・ヒトラーは、国家社会主義党政権を樹立させました。この政権はナチ党の人種主義を信条としていましたが、それによるとアーリア人であるドイツ人は「至土人趣」に属する一方、ユダヤ入はウンターメンシェン、即ち人間以下の存在で人類には属さないとされていました。

 1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、事態は第二次世界大戦へと突き進んでいきました。戦争の初めの段階で容易に連勝を重ねたヒトラーは、ある計画を実行に移す好機を得ました。ユダヤ民族の絶滅です。それが行なわれたのは、主にヨーロッパでユダヤ人が最も集中していたポーランドの地でした。

 戦後発見された文書から、ヒトラーが世界中の全てのユダヤ人の根絶を目指していたことが明らかになっています。その計画を履行するため、ドイツ軍はユダヤ人をゲットーに集め、強制労働・集結・絶滅を目的とした収容所を建設し、それらの施設にユダヤ人を移送しました。労働に適さないと見なされた者は殺され、残りの大半の者も餓死や病死へと追いやられました。
 
 この戦争中の6年間で、ナチに殺されたユダヤ人はおよそ600万人、当時のユダヤ人口の約三分の一にのぼります。そのうち150万人は子供たちでした。背筋の凍るような効率性を以って実行されたこのユダヤ人絶滅計画は、単なる大量殺薮以上のものでした。それは規模・運営・履行手段において他に類を見ないが故に、ホロコーストという独白の名称を冠されているのです。

 戦後50年が過ぎないうちから、ネオナチの人種主義者や反ユダヤ主義団体などが、ホロコーストが起きたことを否定しようとしたり、規模はもっと小さかったなどと主張してきました。こうした動きにはさまざまな理由がありますが、大半は政治的なものや反ユダヤ主義から発したものです。

 ナチズムの衰退を払拭したいと願う者たちもいれば、イスラエル国はユダヤ人に対するホロコーストの補償として建国されたが故にホロコーストが起きたことを否定することでイスラエルの生存権を奪うことができると信じている人々もいます。

  ホロコースト否定論に対する支持がアラブ諸国で高いのは、そのためです。しかし、ホロコーストは実際に起こりました。そして、それを記憶し、文書に残し、記念することで、二度と同じようなことがユダヤ人にも他の人々にも繰り返されることのない世界にしてゆくことができるのです。ホロコーストの否定は倫理に背いており、世界全体を脅かすものです。


【「ナチスによるユダヤ人虐殺600万人肯定説」の出所考】
 木村愛二氏の2006.9.13日付け阿修羅投稿「第2節:ニュルンベルグの正義の神話-2/8六百万人という数字の証言者はイギリスのスパイ」、網木村書店 Web無料公開「偽イスラエル政治神話(14)、第2章:二〇世紀の諸神話」は、次のように記している。これを転載しておく。
 ここで本書の主題、“偽イスラエル政治神話”の原点に立ち戻り、半世紀を経て後もなお、単に中東問題に止まらず、現在の世界にさらに重大な荒廃を及ぼしている虚偽の判定の一つ、六百万人のユダヤ人絶滅という神話について、その徹底検証に取り掛かろう。この神話は、すべての国際法の上に位置付けられている。アメリカに対しての、さらには国連を通じて、すべての現代の政治に対しての、とりわけ、パレスチナおよび中東におけるイスラエル国家のすべての不当な請求を正当化し、ホロコーストという言葉そのものが暗示しているように、神聖化する教義となっている。

 この数字は、ニュルンベルグ裁判所によって公式化され、それ以後、あるいは活字、あるいは音声による報道、文学、映画、学校で使われる教科書に至るまでの経路を通じて広められ、世論操作に役立ち続けてきた。

 ところが、この数字を支える証言は、たったの二つしかなかった。一つはホェトル証言であり、もう一つはヴィスリツェニー証言である。最初の証言は、つぎのようなものである。

 《ニュルンベルグの判事に対して、ドイツ国中央保安局第4課の上級突撃隊司令官、ヴィルヘルム・ホェテルは、つぎのように答えた。〈一九四四年四月のことだった。一九三八年以来の仲の親衛隊の上級突撃隊司令官、アドルフ・アイヒマンと、ブダペストのアパートの私の部屋で話し合ったことがある。……彼は、自分が同盟国から戦争犯罪人に指名されていて、その理由は身に覚えのある何万人ものユダヤ人の命のことだと知っていていた。私が、どのくらいの数になるのかと聞くと、彼は、この数字は極秘だといいながら、彼が受けた報告から到達した結論として、様々な絶滅収容所で約四百万人のユダヤ人が殺され、他の方法で死んだユダヤ人が二百万人に達すると語った〉》(ニュルンベルグ裁判記録)

 二番目は、つぎのようなものである。

 《彼(アイヒマン)は、喜んで墓場に飛び込むが、それは、身に覚えのある五百万人の命の印象が、彼に異常な満足をもたらしているからだと語った》(同前)

 この二つの証言については、ポリアコフ氏「後出。“ガス室”論争の禁止を提唱した絶滅論者]でさえもが、こう語っている。

 《こんなに不完全な支えしかない数字で嫌疑者にされることについては、異議を唱えることが可能だった》(『第二次世界大戦の歴史評論』56)

 ニューヨークのヘブライ語新聞、『ダ・アウフバウ』の一九六五年一月三〇日号は、この時までにヒトラーの支配下にあった時期に受けた被害を名目とする・賠償・請求を実現した人数を、三三七万五千人と報道した。

 [六百万人という数字に関する]最も重要な「証言」への付記として、この上なく完全で正確なのは、「秘密情報機関」の手先だったホェトルに関する実録である。イギリスの評論雑誌『ウィークエンド』の一九六一年一月二五日号は、ホェトルの写真を表紙に飾って、つぎの題の伝説を掲載した。

 《“あるスパイの生涯”、事実は小説よりも奇なり、このナチの指導者の友人のボスは、イギリス秘密情報機関の長官だった》

 “ニュルンベルグ裁判所”の法的な異常性に対して、アメリカの最高裁その他の大物法律家が唱えた異議の正しさを確認するために、ここでは単に、そこで蹂躙された実例の項目のみを示すが、これらは、すべての本来の訴訟手続きでは恒常的に確立されている規則なのである。1、提出された「書証」[textes.記録]の真正さの証明および検証。2、「証言」の証拠価値、および出所、それが獲得された状況の分析。3、「凶器」の機能と効果を証明するための科学的鑑定。


【「ナチスによるユダヤ人虐殺600万人疑問説」について】
 これに対して、次のような反論が為されている。「ホロコーストは戦後のユダヤ特権を享受するための捏造神話」アドルフ・ヒットラーはイスラエル建国の父その他は次のように記している。

 戦前1900万人いた世界のユダヤ人が、戦中、欧州で600万人虐殺されたのに、戦後5年ったら1850万人に回復している?ユダヤ人は戦後、気が狂ったように子作りに励んだのでしょうか?ユダヤ人はハツカネズミだとでもいうのでしょうか?人口増加率の高いインドでもせいぜい1.5%だから、ユダヤ人も戦後同じペースでせっせと励んだとしても、600万人虐殺が本当なら、1950年でせいぜい1400万人にしかならない筈です。(逆に戦後、ユダヤ人口は増えているとするデータすらあります。−参考EF。実際に収容所で死んだユダヤ人は、15万から30万だったろうと結論付けています。)

 「600万人」が嘘だということです。こんな初歩的な嘘にも気づかず、必死に否定論に対抗している「肯定論者」の方の素性に大いに興味が持たれます。なにか、ユダヤ勢力と特別の利害関係でもあるのでしょうか?

 
 「シンドラーのリスト」に拠れば、世界のユダヤ人の人口を示す統計数字の事実に関する指摘があり、世界のユダヤ人口は、戦前1900万、戦後の1950年に1850万という統計が出されている。ニューヨークのユダヤ人協会が発行している世界年鑑に出ている数字である。600万人も減少した人口が僅か5年の内にたちまち回復するなどとても考えられない事であり、明らかにおかしなことになる。

 「ホロコーストは戦後のユダヤ特権を享受するための捏造神話」は次のように記している。
 ユダヤの一部の人たちは、ホロコーストの嘘を狡猾に利用して、特権を行使してきたと思います。ユダヤ人を批判することは、ユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツと同じ罪を犯したことになると世界の民に思わせる。誰も追求・批判できなくなったユダヤ人たちは、心置きなく犯罪に走る。ユダヤの嘘。「悲劇の民族」を強調して、特権を手に入れ、甘い汁を吸ってきたのです。

 麻薬の世界をちょっと覗いてみると、ユダヤにぶち当たります。あっちでもこっちでもユダヤが出てきます。追及されない特権を悪用して、ユダヤはおおっぴらに麻薬事業に精を出してきたのです。

 911にしても、ユダヤの内部犯行であることは明白です。911でユダヤがもくろんだことはいくつかありますが、中でももっとも重要な目的は、アフガンの麻薬利権を回復することであったと考えます。オピウムの生産を禁止したタリバン政権を倒した結果、アフガンのヘロイン生産は、911以前よりもさらに拡大しています。世界のヘロインの75%以上をユダヤが盗み取ったのです。

 ホロコーストを免罪符に使って、追及・批判を逃れ、やりたい放題の犯罪を繰り返すのは、いい加減にやめてください。911があなた方ユダヤ人の謀略であったことも、もうわかる人にはわかっています。あなた方が、極東の飼い犬たちを動かして、もう一度大戦争を引き起こして、金儲けを企んでいることもわかっています。ですが、もう諦めてください。

 そして善良なるユダヤの皆さん、一部の暴走者ユダヤ人を止めてください。このまま放置すれば、ユダヤ社会全体の存亡の危機です。ユダヤの輝かしい歴史が血塗られます。ユダヤの問題はユダヤが解決してください。

 そして、ユダヤに戦後の特権を授けたアドルフ・ヒットラーとナチスという存在にもおおいに疑問を持たざるを得ません。ユダヤ弾圧の主役であったアイヒマンは、ユダヤのイーデッシュ後が堪能な「ユダヤ人」であったとする分析があります。ヒットラー自身にも祖父にあたる人物が、ユダヤ社会のトップにあったウイーンのロスチャイルド家(ロートシルト男爵)の当主であった強い可能性があります。さらには、ナチスの資金源も、調べていくとロスチャイルド、ロックフェラー、ハリマンといったユダヤ財閥だったのです。ナチスがユダヤによって作られたものだったと世界の人が認識を新たにする時代がもうすぐやってくると思います。人類は、ユダヤ人によって騙され続けてきたのです。

 アドルフ・ヒットラーはイスラエル建国の父は次のように記している。
 彼は「ヨーロッパのユダヤ人600万人をガス室で殺戮した人類史上最悪の犯罪者」であると認識されています。そう認識されてはいますが、事実と合致する認識であるかどうかは、おおいに疑わしいのです。

 確かにナチスは、ユダヤ人狩りを行い、強制収容所に送り込みました。しかし、その数は600万人ではなかったし、ガス室で殺戮した事実もありませんでした。「600万人」も「ガス室」も、戦後のユダヤ人に同情を集めるための作り話であり、他人様の土地にユダヤ国家を勝手にでっち上げ、パレスチナ人を殺したいだけ殺してきたユダヤ人の免罪符として、上手に使われてきた捏造神話だったのです。

 確かにヨーロッパのユダヤ人は、600万人減少したようです。しかし、その大半は、アメリカとイスラエルに逃れました。ガス室で死んでなどいません。そんな大量殺戮のできる設備など最初からありませんでした。むしろ、戦後数年して、世界のユダヤ人口は戦前よりも300万人も増えています。

 そして、アウシュビッツにはガス室などありませんでした。あるべき膨大な量の遺骨もみつかっていません。収容所で死んだユダヤ人はどんなに多く見積もっても100万人。ほとんどの死因は、伝染病でした。アンネの日記のアンネ・フランクもガス室ではなく腸チフスで死にました。「ユダヤ虐殺の悲劇」は、ユダヤとイスラエルの利益を生むためのプロパガンダでもあったのです。さて、そのいまわしい虐殺を主導したナチスの連中の正体を暴いてみましょう。

 ドイツ民族の永遠に消えない恥辱、ナチス・ドイツですが、一体、どちら様がスポンサーだったのでしょうか? ユダヤ人でした。繰り返します。ヒットラーのナチス・ドイツのスポンサーは、ユダヤ人でした。アドルフに資金を注入し、ナチスのトップに押し上げ、さらにナチスに政権をとらせたのは、ユダヤ財閥、ロスチャイルドだったのです。そして、強制収容所のユダヤ人の奴隷労働でぼろ儲けをしていたのは、ロックフェラー、ブッシュ、デゥポン、ハリマン、ウォーバ−グら、アメリカのユダヤ財閥だったのです。

 「そ、そんな馬鹿な。なんで、ヒットラーをユダヤ・ロスチャイルド財閥が資金援助したんだ?そんなこと、あるわけない!」と、お怒りのあなた、その「なんで?」についてご説明しましょう。「ヒットラーは、シオニスト・ユダヤ人にとって不可欠な必要悪」だったのです。ヒットラー以前の欧州ではユダヤ人の現地民族との同化が進み、民族意識が希薄になりつつありました。その事態を恐れていたのは、狂信的なシオニスト・ユダヤでした。彼らは、旧約聖書の予言にある「ダビデ王の国の再興」を目指していました。ダビデ王の国を再建するには、国民をどこかから シオンの丘に連れてくる必要がありました。ヒットラーのユダヤ弾圧は、ヨーロッパのユダヤ人の民族意識を覚醒させ、父祖の国、イスラエルに回帰させる結果を生んだのです。ヨーロッパから流れたユダヤ人口が、イスラエルの国民となって、戦後、晴れて旧約聖書の予言は達成されたのです。このイスラエル建国に尽力したシオニスト ・ユダヤ人の中心人物は、ヒットラーの後援者でもあるロスチャイルドだったのです。

 実際、ナチスはシオニスト・ユダヤ組織と緊密に連携しています。ナチスも、シオニスト同様に、欧州のユダヤ人を追い出す政策で、シオニストと一致していたのです。そして、ユダヤ弾圧の当事者であったアイヒマン(左の写真)が、シオニストとの折衝に当たっていたようです。そのアイヒマン当人が、実はイーデッシュ語ガぺらぺらのユダヤ人であったという説すらあります。また、シオニスト組織は、ナチの迫害を受けているユダヤの大衆を助けようとはしなかったそうです。助けないことにより、ユダヤ人が欧州を出てイスラエルに赴くよう仕向けたのでしょうか?

 イスラエル建国の悲願達成のため、奔走したユダヤ大財閥、ロスチャイルド家。そのロスチャイルドから後援されていたヒットラー。欧州からユダヤ羊の群れを追い出し、イスラエルという囲いに追い込んだ牧羊犬、ヒットラー。奇妙な関係です。では、ヒットラーとは一体誰なんでしょうか?

 「ヒットラーの父方の祖父が誰であるのか?」に注目しましょう。ヒットラーの祖母、マリア・アンナは、オーストリアのロスチャイルド家(ロートシルト家)に家政婦として奉公していた際、誰かの子供を身ごもって、実家に帰されています。そして、実家でアドルフの父にあたるアリオスを出産しているのです。(参考C)当時、ロスチャイルド男爵は家族とはなれてひとりで生活しており、若い女に狂っていたそうです。さて、ヒットラーの祖母 に手をつけたお相手が、誰であったか?...........もし、ヒットラーがウイーン・ロスチャイルド家の当主の孫息子であり、ユダヤ大富豪から秘密裏に支援されて、ナチの頭目となり、ドイツの総統となって「ユダヤの敵を演じる」役割を果たしてきたのなら。

 以上の通り、アドルフ・ヒットラーがイスラエル建国の父であることに間違いはありません。そして、どうやら、新聞もテレビも真実を報道しないし、学校の歴史の授業も真実とは無関係のようです。ヒットラーは「ユダヤの装置」だったのではないでしょうか? ドイツ政府は、当時のナチス幹部連中の「戸籍調査」を徹底して行うべきです。「隠れユダヤ」が混じっていなかったかどうかを。

【「ナチスによるユダヤ人虐殺7万4千人説」について】

【「ソ連軍が押収したドイツ政府の文書」による推定はこうなる】
 阿修羅ホロコースト2」の2005.12.26日付け「ブッシュ親子の自作自演テロの11」の投稿「ドイツ軍のアウシュビッツに関する公式記録。ユダヤ病死者は、6万人」は、次のように述べている。

 Political Incorrectness
 http://tbrnews.org/Archives/a2037.htm#_ftn1

Summation: From July, 1941 through October, 1944
Total number of Jewish prisoners in the Auschwitz camp system: 173,000
Total number of Jewish prisoners who died of typhus: 58,240
Total number of Jewish prisoners who died of natural causes: 2,064
Total number of Jewish prisoners transferred to other camps: 100,743
Total number of Jewish prisoners executed: 117
Total number of Jewish prisoners in camp after German evacuation on January 15, 1945: 11,839

 ロシアで発見されたドイツ軍のアウシュビッツ収容所に関する公式の囚人記録。

◎1941年7月から44年10月までの間にアウシュビッツに収容されていたユダヤ人の数は、延べ173000人。
◎発疹チフスで死亡したユダヤ人の数、58,240人。
◎自然死したユダヤ人の数、2,064人。
◎他の収容所へ転出させられたユダヤ人の数、100,743人。
◎処刑されたユダヤ人の数、117人。
◎1945年1月15日にドイツ軍が収容所を去った後に残ったユダヤ人の数、11,839人。


【太田龍・氏の「ソ連軍が押収したドイツ政府の文書」に基づく推定】
 太田龍氏は、2004.2.12日付け「時事寸評」で、「アウシュヴィッツ収容所でナチスドイツは四百万人以上のユダヤ人その他を虐殺した」(集英社)とされている定説が覆されつつあることを指摘している。「ソ連軍が押収したドイツ政府の文書では、アウシュヴィッツの死者は約7万4千人。そのうちユダヤ人は約3万。大部分は病死」なる見解を披瀝している。これを簡略に紹介する。

 概要「アウシュヴィッツとは、ポーランド南部の工業都市オシフィエンチウムのドイツ名で、第二次世界大戦中、ナチスドイツが強制収容所を建設し、捕虜やユダヤ人など四百万人以上が虐殺された地」とされてきているが、ソ連共産政権が崩壊したあと45年間ソ連秘密警察(KGB)の秘密文書の中に眠らされていた貴重資料が開示された。それによると、ソ連軍は、第二次世界大戦末期からその直後にかけて、ドイツ政府機関から相当量の文書を押収した。その中に、ナチスドイツの収容所の膨大な文書を含まれている。問題のアウシュヴィッツ収容所の文書もあった。その文書にはアウシュヴィッツ収容所に於ける死者の名簿があり、この名簿を丹念に調査したところ、アウシュヴィッツ収容所の全期間を通じて死者合計は、約7万4千人。その7万4千人の死者のうち、ユダヤ人は、約3万人。残りは、ポーランド人、ロシア人、その他。死因は大部分が病死であったことが判明した」。

 こうなると、これまでの「600万人説」、「400万人説」の根拠が詮議されねばならないことになる。太田氏曰く「その数字の出典を示してもらいたい」は、極めて妥当な批判であるように思われる。確か、木村愛二氏も同様の考証をしている。以下、「アウシュヴィッツ考」をしてみたい。

 2004.2.12日 れんだいこ拝

 2005.2.17日付け投稿「ジオン兵士」さんの「ゴルバチョフが公表したアウシュヴィッツの『死亡リスト』─実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人」が次のように補足している。全文転載する。

> 実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人で、その多くは病死らしい(・・)

 これに関して、以前、下のような情報が流れていました。多分、これが情報元だと思います。
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 1989年、当時のソ連指導者ゴルバチョフに対し署名運動を起こした。それは、赤軍が1945年にアウシュヴィッツ強制収容所を占領した際、持ち去った死亡リストを公表させる署名運動だった。数か月経ち、この要求は認められた。ゴルバチョフはこの重要リストを赤十字に公表したのである。これには、アウシュヴィッツで死んだ人々の出生地・住所・死亡時刻・死亡原因などが細かく記載されていた。

 このリストに掲載されていたのは7万4000人であった。そのうち、ユダヤ人は約3万人で、ポーランド人がほぼ同数、それに他国籍の人々がいた。

 驚くほど少ないホロコーストである! 私たちは半世紀の間、「何百万人」という話をずっと聞かされ続け、今もこの話は出回っている。しかしこの話は全て、哀れなホェスの証言に基づいている。彼はドイツ敗北後の凍てつく夜、殴打されてこの証言を述べたのである。

 http://www.nsjap.com/v_b/12.html


【異説「ルドルフ・ホェスの証言」(「アウシュヴィッツ強制収容所でのユダヤ人死亡者3万人説」)について】
 「阿修羅戦争67」に於ける「ブッシュ親子の自作自演テロの11」さんの2005.2.16日付け投稿「Re:創価学会・統一教会ユダヤ尻拭き突撃隊のホロコースト捏造神話防衛・詭弁生産本部より通達!」に衝撃的な指摘が為されており、これを転載しておく。

 「600万人の犠牲者」言うのは、どうにも計算が合わないし、説明がつかなくなってきた。まずいんで、「誤差」があったことにして、「100万人でも大虐殺に違いない」で誤魔化せ。(ホントは、100万人どころか、3万人かそこいらが発疹チフス死しただけだが.....)だが、イスラエル大使館もホロコースト記念館もいまだに「600万人」を使っている。(今更、訂正もできないんだろうけど。)ホロコースト丸ごと嘘だってバレバレじゃないか。まずいなぁ。いくら我々、ユダヤ隷属朝鮮宗教が頑張っても、ここを突っつかれると......
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▲犠牲者のデータベース公開 ホロコースト記念館
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041129-00000111-kyodo-int
 【エルサレム29日共同】エルサレムのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)記念館「ヤド・バシェム」はこのほど、犠牲者のうち約300万人の横顔や経歴を集めたデータベースをインターネットで公開した。ホロコーストの犠牲者は推定約600万人。データベース公開を機に、記録が残っていない犠牲者や、経歴が分からない犠牲者についての情報提供を世界中のユダヤ人らに呼び掛ける。当時を知る人々の高齢化が進んでいるため、記念館は今回が「最後のチャンス」とみている。

▲駐日イスラエル大使館も600万人と言っているわけだが、そうなると、どー考えても計算が合わないんだが。要するに、ホロコーストは嘘だらけってことでいいわけだね。こうなってくると、当然、ガス室もアンネの日記を眉に唾をたっぷりつけて聞かないといけない話ってことだね。
 http://tokyo.mfa.gov.il/mfm/web/main/document.asp?DocumentID=49398&MissionID=43

 この戦争中の6年間で、ナチに殺されたユダヤ人はおよそ600万人、当時のユダヤ人口の約三分の一にのぼります。そのうち150万人は子供たちでした。背筋の凍るような効率性を以って実行されたこのユダヤ人絶滅計画は、単なる大量殺薮以上のものでした。それは規模・運営・履行手段において他に類を見ないが故に、ホロコーストという独白の名称を冠されているのです。

▲ホローコースト=ナチスによる死者数は600万人
 実際には7万4千人。うちユダヤ人は3万人で、その多くは病死らしい(・・)
 http://d.hatena.ne.jp/goro358/20050112(引用終わり)
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 収容所のどこを探してもガス室なんかないといわれるんで、戦後、ユダヤ国家ソ連がアウシュビッツにそれらしきものを後から作ったわけだが.....換気装置はないし。どう考えても、収容能力が説明できないし。死体を焼いた灰はないし。なにしろ、ほとんどが発疹チフスで死んだか餓死したわけで、うわわわぁぁぁん、ガス室なんかあるわけないじゃん。

 チクロンBは、加熱しないと青酸ガスは出ないし、空気よりも軽いんで、ガス室なんかに使える代物ではない。だが、アウシュビッツでは、発疹チフス予防のために、殺虫剤として使っていたので、空き缶は山ほどある。だから、チクロンBをガス室に使ったとシオニストが偽ったわけだが......一回ガス室を使うと20時間は換気時間が必要だし。そうなると、一日2000人なんて処理できるわけない。焼却炉も2機繋がったのが3台くらいしかなくて、2000体を処理するには、最大でも一体当たり10分くらいにしかならない。出し入れの時間もかかるし。生焼け以前のカツオの焙り位にしかならない。う〜、いくらなんでも誤魔化しようがない。

 ルドルフ・ホェスの証言は、勿論、尋問した英軍が適当にでっち上げて、ホェスにサインを強要した偽モノだが、とにかく、ナチ当事者の証言ということで、これをガス室実在の証拠と言い張るしかない。証言が英語で書かれていて、ホェスが英語がぜんぜん読み書きできなかったことには.......この際触れるな。避けて通れ。だが、証言を捏造した英軍は、チクロンの知識がなかったようで、「犠牲者が死んだ10分後に,部下が『ガス室』に入って死体を取り出した」と証言したことにしてしまっている。ドジを踏みやがって。10分後に入ったら、そいつも即刻、死んでしまう。「陳述書」の中で「ガス投入10分後,部下は煙草を吸いながら死体を取り出した」と述べたことになっているが、馬鹿野郎、青酸ガスで大爆発だろうがっ。この辺を突っつかれると.......うぅぅぅぅ。

 実を言うと、ナチスというのは、シオニスト組織の別働隊みたいなもので、上の方は、実は、ユダヤが混じってたんだ。ユダヤ人をヨーロッパから追い出して、パレスチナやユダヤ国家ソ連に追い込むのが、ロスチャイルドから与えられた使命だったわけだが、まさか、ホロコーストがユダヤの同胞殺しだったなんて、バレたらタイヘンだ。そこのところには、決して触れるな。議論を避けろ!アイゴ〜


 ということで、ホロコーストの嘘防衛体制は非常に厳しい。なんとか、詭弁でイイワケできるところだけを狙って、「各論」で、長々とコピペ貼りまくって、詭弁しろ。イタイ所をつつかれても、素通りしろ。追い込まれたら、ほとぼりが冷めるまで、静かにしていろ。わかったな。ネット専従諸君、ご苦労だが、今日もユダヤの嘘の隠蔽、よろしく頼む。池田朝鮮人も文鮮明師も期待してるぞ!(ホントは、もうすぐ死にそうなんだが.....) 以上、創価学会・統一教会ユダヤ尻拭き突撃隊のホロコースト捏造神話防衛・詭弁生産本部通達終わり!ちゃんちゃん。


 「★阿修羅♪ > ホロコースト6」の西岡昌紀氏の2011.5.3日付け投稿「(書評) 芝健介著 『ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 』(中公新書)」を転載しておく。
 (書評)ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) 芝 健介著 エディション: 新書

 「ホロコースト」は検証されなくて良いのか?

 ナチスドイツがユダヤ人を差別、迫害した事は明白な史実である。しかし、戦後、ニュールンベルク裁判が「事実認定」し、その「事実認定」に基いて、「歴史家」たちが語って来た「歴史」は、全てが本当の事だったのだろうか? 例えば、アウシュヴィッツ収容所の司令官であったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)は、戦後、ドイツ北部でイギリス軍によって発見、逮捕された。ところが、そのヘスを逮捕したイギリスの軍人バーナード・クラークは、1983年、ヘスを逮捕した際の状況をインタビューに答えて語り、ヘスを逮捕した際、ヘスに激しい暴力を加えた事を誇らしげに語って居る。ニュールンベルク裁判において、ヘスは、アウシュヴィッツで、ガス室による処刑を始めた人物とされたが、その根拠は、イギリス軍が、ヘスを逮捕した直後に作成したヘスの「自白調書」であった。ところが、その「自白調書」を作成する直前、ヘスは、イギリス軍人によって拷問を受けて居たのである。拷問の産物と呼んで間違い無いこの「自白調書」に、芝健介氏は証拠能力を認めるのだろうか?(このイギリス発表の「ヘス自白調書」に、Wolzecと言ふ、実在しない収容所での「大量殺人」が述べられて居る事を芝健介氏はどう考えるのだろうか?)

 繰り返して言ふが、ドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明白である。しかし、戦後語られて来た(1)ドイツはユダヤ人をただユダヤ人だと言ふだけの理由で絶滅しようとした。「絶滅」である、とする主張と、(2)その方法として、ドイツは、ガス室でユダヤ人を処刑した、とする二つの話は、本当に間違いの無い事実なのだろうか?

 そうだと言ふなら、以下の諸事実をどう説明すれば良いのだろうか?

(1)  戦後、連合軍が押収した膨大な戦時中のドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が、「ユダヤ人絶滅」を命じた命令書は一枚も発見されて居ない。
(2)  ナチスドイツ政府は、「ユダヤ人絶滅」と言った計画の為の予算を計上して居なかった事が判明して居る。
(3)  それどころか、押収された戦時中のドイツ政府文書の中には、アウシュヴィッツ等に収容したユダヤ人を、ソ連を打倒した後、ソ連領内に移住させる計画が有った事を明記した文書が複数見られる。これは、アウシュヴィッツなどでユダヤ人を「絶滅」する計画だったとする連合国側歴史家の主張と両立しない。
(4)  ソ連軍が、アウシュヴィッツで押収した膨大なドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は一枚も発見されて居ない。死体焼却炉の設計図は多数有るにも関はらず、その隣りに有ったとされる「ガス室」の設計図が一枚も発見されて居ないのは余りにも不自然である。
(5)  今日、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」であった部屋として公開されて居る部屋は、ソ連軍が押収したドイツ側の図面を見ると、病死者などを安置する為の死体安置室(Leichenkeller)として設計されて居た事が、明瞭に見て取れる。即ち、戦後、ポーランドの共産主義政権は、ドイツが病死者などを安置する目的で建設した死体安置室(霊安室)を「ガス室」と偽って公開して来たと考えられる。
(6)  (5)を裏ずける様に、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋もしくは建物の残骸からは、青酸化合物が殆ど検出されない。(対照(コントロール)として採取された衣服消毒用ガス室の断片からは、戦後40年以上が経っても高濃度の青酸化合物が検出されて居る)
(7)  アウシュヴィッツを含めた戦争中のナチス収容所では多くの病死者の死体が発見された。しかし、「ガス室」で、即ち何らかの毒ガスで殺された事が医学的に確認された死体の報告は、実は、一件も無い。
(8)  実際に青酸ガスによる処刑を死刑の一手段として行なって来たアメリカの経験では、青酸ガスを使ったガス室は、最も費用のかかる処刑法である。その様な方法を「民族絶滅」の手段に選んだと言ふ話は根本的に不合理である。
(9)  アウシュヴィッツ他の収容所で、ドイツは、病気に成ったユダヤ人に病院で医療を行なって居る。(アンネ・フランクの父親もその一人)これは、アウシュヴィッツ収容の存在目的が「ユダヤ人絶滅」であったとする説明と矛盾する。
(10)  (9)と同様に、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)には被収容者の為のプールや売春宿まで存在した。これは、「絶滅」が目的の収容所とは到底考えられない事ではないか?
(11)  アウシュヴィッツ他の収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、「ガス室」の存在に否定的な証言をする人々が実は多数居た。
(12)  ビルケナウ収容所のクレマ2地下室には処刑用ガス室が有ったとされて居る。そして、「証言」に依れば、その地下室と成った「ガス室」には、地上部分に四つツィクロンBの投入孔が有り、そこから、青酸ガスを遊離するツィクロンBが投げ込まれたとされて居る。ところが(!)現地(第二アウシュヴィッツ)でその「ガス室」とされる地下室の天井(地上部分)を見ると、穴は一つしか無い(!)しかも、新しい穴で、戦後開けられた物と考えられる。穴が無い「ガス室」にどうやってツィクロンBは投げ込まれたのか?
(13)   「ガス室」に関するアウシュヴィッツ博物館の説明は変はって居る。特に、第一アウシュヴィッツで「ガス室」として公開されて居るクレマ1について、アウシュヴィッツ博物館は、戦後永い間、「オリジナルな建物だ」と主張して居た。しかし、1990年代前半ころから、「復元された建物でした」と説明を変えて居る。実際、ソ連軍が1945年に撮影したこの建物(クレマ1)の写真を見ると、今日、そこにある煙突が映って居ない。即ち、その煙突は、戦後捏造された物であるが、それをアウシュヴィッツ博物館は、長い間「オリジナルな物」だと説明して居た。(テープ、ビデオに博物館職員の説明は記録されて居る)

 これらは、私が、本書における著者の主張に疑問を抱く理由のほんの一部である。まだまだ疑問は沢山有る。読者は、どう考えるだろうか?(西岡昌紀・内科医)

(私論.私見) 異説「ルドルフ・ホェスの証言」(「アウシュヴィッツ強制収容所でのユダヤ人死亡者3万人説」)について

 本件情報に拠ると、1945年、ソ連の赤軍がアウシュヴィッツ強制収容所を占領した際、「死亡リスト」が存在しており、それを持ち去った、ということになる。1989年、当時のソ連指導者ゴルバチョフに対し死亡リストを公表させる署名運動が起こり、数か月後、この要求が認められ、ゴルバチョフはこの重要リストを赤十字に公表した。これには、アウシュヴィッツで死んだ人々の出生地・住所・死亡時刻・死亡原因などが細かく記載されており、「7万4千人人の死亡名簿、そのうち、ユダヤ人は約3万人で、ポーランド人がほぼ同数、それに他国籍の人々がいた」ということになる。

 シオン兵士氏は、「この話は全て、哀れなホェスの証言に基づいている。彼はドイツ敗北後の凍てつく夜、殴打されてこの証言を述べたのである」と記している。れんだいこは、「死亡リスト」と「ルドルフ・ホェスの証言」がどう絡むのか分からない。「死亡リスト」があったのなら、取り敢えずは「ルドルフ・ホェスの証言」とは何の関わりも無いだろうに。何故、末尾でそういう文句を付けるのだろう。

 つまりは、「彼はドイツ敗北後の凍てつく夜、殴打されてこの証言を述べた」故に、「死亡リスト」の記載内容はイカガワシイということを云いたいのだろうか。ということは、ソ連赤軍はルドルフ・ホェスが供述証言したものを記し持ち帰ったという訳か。何か話が違うではないか。普通には、ソ連赤軍がアウシュヴィッツ強制収容所に踏み込んだとき、そこにあった死亡名簿を持ち帰った、とのみ受け取る話なのではなかろうか。

 2005.2.20日 れんだいこ拝

【異説「600万人虐殺説は、イスラエルの賠償金狙い説」について】
 木村愛二氏は、「アウシュヴィッツの争点 (その68)終章:核心的真実〜または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相〜 」(http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-68.html)の中で、「『六〇〇万人の神話』の出発点は『見さげはてた即物的課題』か?」の項で次のように述べている。
 「ホロコースト見直し論の父」として紹介したフランスのポール・ラッシニエの場合を考えてみよう。ラッシニエは、レジスタンス運動にくわわって、ナチス・ドイツのフランス侵略とたたかった。ゲシュタポに逮捕され、二年間にわたるナチ収容所での生活を経験した。戦後にはフランス政府から勲章を授与され、下院議員にもなっている。その「抵抗運動の英雄」のラッシニエが、みずからの実体験にもとづいて「ガス室はなかった」と主張し、各種の著作についての実証的な調査を積みかさね、自分でも何冊かの著作を発表していたというのに、なぜその主張がいままで少数派の憂き目を見ていたのだろうか。

 すでに紹介したように、ラッシニエは、『ヨーロッパのユダヤ人のドラマ』(『ホロコースト物語とユリシーズの嘘』所収)と題する著作のなかで、つぎのように断言していた。
 「(ホロコーストの犠牲者数の計算は)しかるべき死体の数によって、イスラエルという国家にたいしてドイツが戦後一貫して毎年支払い、いまも支払いつづけている莫大な補償金の額を正当化するための課題でしかない」。

 ラッシニエはさらに、「それは単に、純粋に、そして非常に卑劣なことに、即物的な課題でしかないのだ」という表現をもちいている。一九四八年までは存在していなかったイスラエルという国家にたいして、一九四五年以前の問題についての補償金を支払うという「イスラエル協定」については、その法的矛盾を指摘するとともに、「いかなる言語でも“詐欺”としか表現できない」という告発までしている。

 このラッシニエの告発は、決して突拍子もないものではなかった。永井清彦も『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで「イスラエル協定」について、つぎのようにしるしている。
 「この協定は日本では普通、『賠償』協定と呼ばれているが、実はボツダム協定にいう賠償の枠を越えた、『償い』の協定であった。イスラエルはかねてから、ドイツからの賠償を要求していた。しかし、戦時中には存在していなかったイスラエルに、賠償請求権があるかどうかについては法的な疑問がある、というのが戦勝四大国の立場であった」。

 ラッシニエの言葉はたしかにきつい。だがわたしは、みずからの生命をナチス・ドイツとのたたかいで危険にさらした立場だけに、その上前をはねようとする策動へのいかりが、人一倍強かったのだと理解する。

 朝日新聞の特集記事「問われる戦後補償、下」(93・11・14)によると、一九九三年現在で、一九四九年以来イスラエルがドイツからうけとった金額は、九〇四億九三〇〇万マルク[一九九四年現在の交換レートで約五兆七九〇四億五二〇〇万円]に達している。協定の期限の西暦二〇〇〇年までの支払い予定の残額は三一七億六五〇〇万マルクで、あわせて一二二二億六五〇〇万マルク[おなじく約七兆八二四九億六〇〇〇万円]になる。

 イスラエルは、砂漠地帯に給水設備をめぐらせつつ、国際的にも非難されている「占領地域」にまで入植し、いまや三〇〇発以上の核弾頭を保有するという事が公然の秘密とされている超々軍事国家である。人口の増加は、軍事的な意味でも必死の課題だが、移住者をむかえるためにも資金が必要である。イスラエルの経済はもともと、ドイツやアメリカからの資金援助なしには絶対に成り立たなかったのである。
 だから当然、以上のようなラッシニエのきびしい糾弾の言葉は、「イスラエルという国家」、またはシオニストにとって致命傷となりうるものだった。

 西岡昌紀氏の「戦後世界史最大のタブー。ナチガス室はなかった」の「ガス室による大量虐殺に疑問を呈した最初の知識人はフランス左翼知識人。戦争中はレジスタンスに参加して、ナチの弾圧まで受けた人物であった」は、次のように述べている。
 気の早い読者は、「ホロコースト・リビジョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た人間だと思うかもしれない。実際、「ネオナチ」の中にも「ホロコースト」の虚構を強調するグループはいる。だが、「ホロコースト・リビジョニスト」の中には、明らかに反ナチスの立場を取る個人やユダヤ人も多数含まれているのであって、「ホロコースト・リビジョニスト」を「ネオナチ」や「反ユダヤ」などという枠でくくることは余りに事実と懸け離れている。

 その反証として最も明らかなものは、最初の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼べる歴史家が、フランスのポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、戦争中、フランスのレジスタンス運動に参加して、戦後、そのレジスタンス活動の故にフランス政府から勲章まで授与された人物だったという事実ではないだろうか? 

 このラッシニエという学者は、元は地理学者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチスのレジスタンス運動に参加したのであるが、そのレジスタンス活動の故に、ナチス占領下のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制収容所に入れられたという人物なのである。ラッシニエは、ドイツ西部の収容所に収容され、戦争末期には、そこでチフスにかかるという苦難まで味わっている。

 そのラッシニエが、「ホロコースト・リビジョニズム(見直し論)」の「開祖」となった理由は、単純である。ラッシニエは、戦争中、反ナチス活動の故にドイツ西部の複数の強制収容所に入れられていたのであるが、彼は、それらの収容所の何処でも「ガス室」など見たことはなかったのである。

 ところが、戦後、ニュールンベルク裁判や欧米のマスメディアが、戦争中ラッシニエが収容されていたドイツ国内の収容所に「ガス室」が存在し、多くの人々が殺されたと言い始めたためにラッシニエは驚き、彼自身の左翼という政治的立場とは別に、「ドイツの強制収容所にガス室などなかった」と、声を大にして主張し始めたのであった。

 しかし、フランスのマスコミは、ラッシニエがレジスタンス活動家として、ドイツの収容所を実際に目撃した人物であったにもかかわらず、彼を非難し、その証言を無視した。ラッシニエは、その後もこのことについて語り続け、さらには学者として、ナチスの収容所政策全体を調査、研究し続けるが、その主張を無視されたまま、一九六七年に死去している。しかし、彼に触発されたフランスの知識人の間から、もちろん「ネオナチ」等とは全く無関係に、「ガス室はあったのか?」という疑問が上がり始めるのである。

 このように、学術研究としての「ホロコースト否定論(または見直し論)」は、第二次大戦後、ドイツではなくフランスで誕生したものなのだが、「ガス室による大量虐殺」に疑問を投げかけた最初の歴史家が、いわゆる「ネオナチ」などではなく、フランスの左翼知識人で、戦争中レジスタンスに参加してナチの弾圧まで受けた人物であったという事実は重要である。

【「エロ作家・渡辺淳一のホロコースト死者一千万説」考】
 2005.9.1日号週間新潮の「あとの祭りbU5」で、「エロ作家・渡辺淳一のホロコースト死者一千万説」が掲載されていることが判明した。渡辺氏は、「アウシュビッツ」を見るドイツ人」と題して次のように書いている。
 「ここのガス室では、一日三五〇人のユダヤ人が殺されたといわれ、その他の収容所の犠牲者も加えると一〇〇〇万人以上に達するといわれている」。

 木村愛二氏は、「ホロコースト死者一千万人ポルノ作家「週刊新潮」記事の唖然!」で次のように評している。

 これには驚いた。これまでの最大の数字は、六〇〇万人である。ポルノ作家の駄弁として放置するわけにはいかない。数字は独り歩きする。ともかく、急ぎ、警告を発する。
 
 以下は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の関連箇所である。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-22.html
 
『偽イスラエル政治神話』 第2章:二〇世紀の諸神話 第3節:"六百万人"の神話 [六百万マイナス三百万は六百万という奇妙な算術]

 アウシュヴィッツ=ビルケナウの犠牲者の数が、公式に、四〇〇万人から一〇〇万人に減らされた以上、ユダヤ人全体についての絶滅の数字として、六〇〇万人[原注1]使い続けることは不可能なのだが、不思議なことに、それが繰り返され続けている。六百万マイナス三百万は六百万という奇妙な算術が、まかり通っているのである。

 原注1:アメリカ・ユダヤ人出版協会がフィラデルフィアで発行した『アメリカ・ユダヤ年鑑』の一九四二年版によると、ナチの支配圏が最大限度に広がり、ロシアまで達していた一九四一年現在、ドイツに残っていたユダヤ人をも含めて、ドイツの支配下にあったユダヤ人の総数は、三一一万と七二二人(!)だった。それなのに、どうやって、六〇〇万人の絶滅ができたというのだろうか?

 以上の一連の見積もりは、アウシュヴィッツ=ビルケナウという一つの集中収容所に関する数字だった。同じ性質の論証が、他の集中収容所に関しても可能なのである。

  たとえば、マイダネクでの死者の数は、どうなっているのだろうか?

 ●一五〇万人というのが、ルシー・ダヴィドヴィッツの著書『ユダヤ人に対する戦争』(87)に出てくる数字である。

 ●三〇万人というのが、リー・ロッシュとエバハルト・ジャケルの共著、『死神を唯一の主人にした第三帝国』(91)に出てくる数字である。
 ●五万人というのが、ラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパのユダヤ人の破壊』(前出、85)に出てくる数字である。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/ 憎まれ愚痴
(私論.私見)

 渡辺淳一なる者の権威従順性品格が露呈していると云うべきだろう。れんだいこ的には、エロ作家であろうが、ポルノ作家であろうが、それは構わない。それと権威従順性とは別個だろうが、往々にしてそういう傾向がある。

 2007.3.6日 れんだいこ拝





(私論.私見)