「ホロコースト」は検証されなくて良いのか?
ナチスドイツがユダヤ人を差別、迫害した事は明白な史実である。しかし、戦後、ニュールンベルク裁判が「事実認定」し、その「事実認定」に基いて、「歴史家」たちが語って来た「歴史」は、全てが本当の事だったのだろうか?
例えば、アウシュヴィッツ収容所の司令官であったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)は、戦後、ドイツ北部でイギリス軍によって発見、逮捕された。ところが、そのヘスを逮捕したイギリスの軍人バーナード・クラークは、1983年、ヘスを逮捕した際の状況をインタビューに答えて語り、ヘスを逮捕した際、ヘスに激しい暴力を加えた事を誇らしげに語って居る。ニュールンベルク裁判において、ヘスは、アウシュヴィッツで、ガス室による処刑を始めた人物とされたが、その根拠は、イギリス軍が、ヘスを逮捕した直後に作成したヘスの「自白調書」であった。ところが、その「自白調書」を作成する直前、ヘスは、イギリス軍人によって拷問を受けて居たのである。拷問の産物と呼んで間違い無いこの「自白調書」に、芝健介氏は証拠能力を認めるのだろうか?(このイギリス発表の「ヘス自白調書」に、Wolzecと言ふ、実在しない収容所での「大量殺人」が述べられて居る事を芝健介氏はどう考えるのだろうか?)
繰り返して言ふが、ドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明白である。しかし、戦後語られて来た(1)ドイツはユダヤ人をただユダヤ人だと言ふだけの理由で絶滅しようとした。「絶滅」である、とする主張と、(2)その方法として、ドイツは、ガス室でユダヤ人を処刑した、とする二つの話は、本当に間違いの無い事実なのだろうか?
そうだと言ふなら、以下の諸事実をどう説明すれば良いのだろうか?
(1) | 戦後、連合軍が押収した膨大な戦時中のドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が、「ユダヤ人絶滅」を命じた命令書は一枚も発見されて居ない。 |
(2) | ナチスドイツ政府は、「ユダヤ人絶滅」と言った計画の為の予算を計上して居なかった事が判明して居る。 |
(3) | それどころか、押収された戦時中のドイツ政府文書の中には、アウシュヴィッツ等に収容したユダヤ人を、ソ連を打倒した後、ソ連領内に移住させる計画が有った事を明記した文書が複数見られる。これは、アウシュヴィッツなどでユダヤ人を「絶滅」する計画だったとする連合国側歴史家の主張と両立しない。 |
(4) | ソ連軍が、アウシュヴィッツで押収した膨大なドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は一枚も発見されて居ない。死体焼却炉の設計図は多数有るにも関はらず、その隣りに有ったとされる「ガス室」の設計図が一枚も発見されて居ないのは余りにも不自然である。 |
(5) | 今日、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」であった部屋として公開されて居る部屋は、ソ連軍が押収したドイツ側の図面を見ると、病死者などを安置する為の死体安置室(Leichenkeller)として設計されて居た事が、明瞭に見て取れる。即ち、戦後、ポーランドの共産主義政権は、ドイツが病死者などを安置する目的で建設した死体安置室(霊安室)を「ガス室」と偽って公開して来たと考えられる。 |
(6) | (5)を裏ずける様に、アウシュヴィッツで「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋もしくは建物の残骸からは、青酸化合物が殆ど検出されない。(対照(コントロール)として採取された衣服消毒用ガス室の断片からは、戦後40年以上が経っても高濃度の青酸化合物が検出されて居る) |
(7) | アウシュヴィッツを含めた戦争中のナチス収容所では多くの病死者の死体が発見された。しかし、「ガス室」で、即ち何らかの毒ガスで殺された事が医学的に確認された死体の報告は、実は、一件も無い。 |
(8) | 実際に青酸ガスによる処刑を死刑の一手段として行なって来たアメリカの経験では、青酸ガスを使ったガス室は、最も費用のかかる処刑法である。その様な方法を「民族絶滅」の手段に選んだと言ふ話は根本的に不合理である。 |
(9) | アウシュヴィッツ他の収容所で、ドイツは、病気に成ったユダヤ人に病院で医療を行なって居る。(アンネ・フランクの父親もその一人)これは、アウシュヴィッツ収容の存在目的が「ユダヤ人絶滅」であったとする説明と矛盾する。 |
(10) | (9)と同様に、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)には被収容者の為のプールや売春宿まで存在した。これは、「絶滅」が目的の収容所とは到底考えられない事ではないか? |
(11) | アウシュヴィッツ他の収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、「ガス室」の存在に否定的な証言をする人々が実は多数居た。 |
(12) | ビルケナウ収容所のクレマ2地下室には処刑用ガス室が有ったとされて居る。そして、「証言」に依れば、その地下室と成った「ガス室」には、地上部分に四つツィクロンBの投入孔が有り、そこから、青酸ガスを遊離するツィクロンBが投げ込まれたとされて居る。ところが(!)現地(第二アウシュヴィッツ)でその「ガス室」とされる地下室の天井(地上部分)を見ると、穴は一つしか無い(!)しかも、新しい穴で、戦後開けられた物と考えられる。穴が無い「ガス室」にどうやってツィクロンBは投げ込まれたのか? |
(13) | 「ガス室」に関するアウシュヴィッツ博物館の説明は変はって居る。特に、第一アウシュヴィッツで「ガス室」として公開されて居るクレマ1について、アウシュヴィッツ博物館は、戦後永い間、「オリジナルな建物だ」と主張して居た。しかし、1990年代前半ころから、「復元された建物でした」と説明を変えて居る。実際、ソ連軍が1945年に撮影したこの建物(クレマ1)の写真を見ると、今日、そこにある煙突が映って居ない。即ち、その煙突は、戦後捏造された物であるが、それをアウシュヴィッツ博物館は、長い間「オリジナルな物」だと説明して居た。(テープ、ビデオに博物館職員の説明は記録されて居る) |
これらは、私が、本書における著者の主張に疑問を抱く理由のほんの一部である。まだまだ疑問は沢山有る。読者は、どう考えるだろうか?(西岡昌紀・内科医)