「ゲッペルス日記」検証 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和/令和4).10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「アンネの日記」の捏造説が囁かれているが、「ゲッペルス日記」にも疑惑が及んでいる。「アウシュヴィッツガス室論争」に於いてガス室不存在説に傾くと、いわゆる「ナチスのユダヤ人大量虐殺説」は総崩れとなる。「ナチスのユダヤ人大量虐殺説」は単に、勝者側のユダヤが敗者側のドイツに押し付けた「勝てば官軍式プロパガンダとしての反戦平和イデオロギー」の材料として上手に駆使されているに過ぎないのではないか、という虚構論理が透けて見えてくることになる。それはさておき、「ゲッペルス日記」とは何か、これを検証する。 2004.3.4日 れんだいこ拝 |
【「ゲッペルス日記」発見の経緯】 | ||
「阿修羅ホロコースト1」の2005.3.4日付け「たけ(tk) 」氏の「『ゲッペルス日記』は?」、その他の遣り取りを参照する。 ロシナーの翻訳による「ゲッペルス日記」(1948年、 pp.86,147-148)によれば、「ゲッペルス日記」は、その発見からして僥倖であった。次のように記されている。
その、「ゲッペルス日記」は、「ヒトラーのユダヤ人皆殺し政策指令」を次のように裏付けている。
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1・僥倖によって入手され、2・「ヒトラーのユダヤ人皆殺し政策指令」が現実に存在したことが裏付けられた、という論法の構図は、どこかで聞いたことがある。れんだいこなら分かる。「ロッキード事件」で、ロッキード社の海外不正支払い明細書を記した帳簿を梱包した小包が、出所も差出人も不明のまま米上院チャーチ委員会に間違って配達された。それが決め手となって、やがて日本政府高官逮捕に繋がった、という構図と酷似している。これは「国際ユダ邪」の常套手法のような気がする。 |
【「ゲッペルス日記」の「カチンの森事件」記述考その1、「逢坂見解」】 | |
作家の逢坂剛氏が、1992.11月号の総合雑誌「中央公論」で、新たに「ゲッペルス日記」の「カチンの森事件」に関する記述を紹介した。「1943.9.29日付ゲッペルス日記」で、日記には次のように書かれていた。
つまり、「1943.9.29日付ゲッペルス日記」には、1・「カチンの森事件」はナチスの犯行である。2・それを隠蔽せねばならない。3・この問題は後々重大な問題になるだろうとの危惧、を書き付けており、逢坂氏がこれを紹介したことになる。「カチンの森事件犯ナチス説」を補強していることになる。この記述に関する逢坂氏の見解が肯定的なのか否定的なのか判然としないが、これを仮に「逢坂見解」とする。 |
【「ゲッペルス日記」の「カチンの森事件」記述考その2、「日本人民戦線見解」】 | ||
「カチンの森事件」につき、「日本人民戦線」が、1995.1.1日論文「正統マルクス主義万歳!」で取り上げ、「逢坂見解」を支持しつつ次のように解説した。これを仮に「日本人民戦線見解」とする。
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これによると、「正統マルクス主義万歳!」は、「1943.9.29日付ゲッペルス日記」の記述を本物と認め、この記述に従って、「カチンの森事件」をドイツナチスの犯行としていることになる。それは、世のスターリニズム批判に対するスターリン評価側からの反論を企図している。同サイトは、「権力が歴史をねじ曲げる実例としての『カチンの森』事件をみよ!」として、ドイツナチスの犯行説を主張している訳であるが、もしこの見解が間違っていたなら、同党の面目丸潰れの構図となる。 |
【「ゲッペルス日記」の「カチンの森事件」記述考その2、「ソフィア先生の逆転裁判2見解」】 |
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「ソフィア先生の逆転裁判2〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜」は、「カチンの森事件」はドイツナチスの犯行ではない、スターリンの指導するソ連軍の仕業である、とする立場から種々考察している。これを仮に「ソフィア先生の逆転裁判2見解」とする。次のような記述を紹介している。
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1990年、当時のソ連のゴルバチョフ政権が、「カチンの森事件」につき、ナチス・ドイツの犯行ではなくソ連秘密警察の犯行だったことを認めた。こうなると、「ゲッペルス日記」、「逢坂見解」、「日本人民戦線見解」がいずれも否定されることになる。こうなると、「正統マルクス主義万歳!」が「権力が歴史をねじ曲げる実例としての『カチンの森』事件をみよ!」と前置きして縷々述べた見解が滑稽なことになる。「ソフィア先生の逆転裁判2」は、同じ言葉でもって見解を逆転させている。 「日本人民戦線見解」と「ソフィア先生の逆転裁判2見解」のどちらが正しいのだろうか。問題は、れんだいこから見て、ソフィア先生の逆転裁判2見解」の言説に軍配が上がりそうなことにある。ということは、「日本人民戦線見解」がとんだ恥を晒したことになる。同党は先だって、立花隆の言説を持ち上げ(採録したいがどこへ秘蔵されているのだろう、検索できない)、れんだいこを仰天させたが、あちこちで観点の歪みを晒していることになる。 同党の宮顕批判、その対極としての徳球擁護の観点を高く評価しているれんだいことしては拍子抜けさせられる。それは、日本左派運動の低水準を証左しているのではなかろうか。左派戦線のこうした理論的混乱を解きほぐさねば一歩も前進し得ない、れんだいこはそう思う。 2005.3.5日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)