ネット上にはリチャード・コシミズのような天皇派のエージェントを擁護する人がいます。で、私がそのような人のことを向こう側の人間だと指摘すると、私をバカにして笑い飛ばしてくるわけですが、いくらそんなことをしても、誰が工作員なのか、分かる人には分かるので、どんなに足掻いても全ては無駄骨です。しかも、そうやって人を笑い飛ばしている彼ら自身が人からバカにされていることに気付いていないのですから、本当に哀れとしか言いようがありません。とにかく、私は例え冗談でもこんな企画をしようとは思いませんね。たまたま6月6日に何か企画をやることになったというのなら仕方がありませんが、なぜタイトルにまで「FACT666」なんて言葉を付ける必要があったんでしょう。こんな人のことを未だに擁護しようとする人の気が知れませんね。彼は「フリーメーソンはない」という理論を展開し、多くの人々を煙に巻いてきましたが、昨日の記事にも書いた通り、フリーメーソンは現実に存在しています。
○フリーメーソンの情報を知りすぎた者も暗殺されてしまうそうです。本当かどうか確かめてみましょう。
しかし、誰かさんは「リチャード・コシミズはただ単にフリーメーソンの話をしたくないだけ」とか言っています。これはとんだ大嘘です。リチャード・コシミズは過去の講演会で「フリーメーソンはない」と何度も断言しています。「フリーメーソンについて話したくない」のではなく、「フリーメーソンはない」とはっきりと断定しているのです。したがって、このリチャード・コシミズを擁護する時点で、その人自身も自分の素性をばらしているようなものです。そんなことばかりしていたら、いずれネット上に彼らの居場所はなくなるでしょう。 せいぜい似た者どうしで集まって、互いに悪口をたらたらと言い合って憂さ晴らしをしていればいいと思います。そうすれば、周りからどんどん嫌われ者になっていくでしょう。
では、今日の本題に入ります。
このリチャード・コシミズはかねてから「フリーメーソン」は存在しないと主張すると同時に、「ホロコーストはなかった」と主張してきました。「ホロコースト」とはヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺のことを言います。では、本当に「ホロコースト」はなかったのでしょうか。結論から言うと、この話の90%は本当です。しかし、残りの10%は真っ赤な嘘で、実は重大な真実を隠しています。先ず、真実の部分についてお話します。確かにヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺はありませんでした。少なくとも、なかった可能性がとても高いです。こんな話をすると、驚く人もいるかも知れません。中には私の頭を疑う人も出てくるかも知れません。しかし、これが歴史の真実です。しかも、この理論は別にリチャード・コシミズだけが主張していることではありません。これまでに実に多くの人たちが、ヒトラーによるホロコーストはなかったと言っています。といっても、ヒトラーがユダヤ人を差別していなかったというわけではありません。確かにヒトラーはユダヤ人を激しく差別していました。しかし、ヒトラーにはユダヤ人を殺すつもりは最初から全くありませんでした。彼はただユダヤ人を差別をして自ら悪者になり、「ユダヤ人を差別する者は悪人である」というイメージを全世界に植え付けようとしただけです。そうすることで、かえってユダヤ人の人権が守られるように世界を誘導していったのです。その結果、パレスチナにユダヤ人国家である「イスラエル」が建国されることになりました。そして、これがリチャード・コシミズの主張してきた理論です。
しかし、これだけでは事実の半分を語っただけに過ぎません。もっと重大な事実が、この歴史の裏側には隠されているのです。しかし、その話は後回しです。先ずはホロコーストが本当になかったのかどうかを検証してみましょう。ホロコーストがなかったと主張すると、必ずユダヤ人の人権団体から何かしら抗議を受けます。その顕著な例が「マルコ・ポーロ事件」でした。「マルコ・ポーロ事件」とは、「マルコ・ポーロ」という雑誌が「ヒトラーによるユダヤ人の虐殺はなかった」という記事を書いた際、ユダヤ人の人権団体から激しく抗議され、廃刊に追い込まれたという事件です。しかし、「マルコ・ポーロ」という雑誌は決してデタラメを書いたわけではありません。「マルコ・ポーロ事件」について少しでも検証したことのある人なら、「マルコ・ポーロ」がデタラメを書いたわけではないことがすぐに分かるはずです。
以下、「マルコ・ポーロ」のその問題の記事の冒頭です。
----------------(以下、ウィキペディアから転載)
獣をいけにえとして捧げ、火で焼くというユダヤ教の儀式を「ホロコースト」と言った。これが転じて、「ナチスのユダヤ人虐殺」を意味するようになったのは、ナチスドイツがアウシュヴィッツなどの強制収容所にガス室を作り、毒ガスを使って計画的に虐殺、さらにそれを焼いた――という恐ろしい話とイメージが重なったからだ。ところが、このホロコーストが作り話だったという説が、今、欧米で野火のように広がりはじめている。戦後五十年近くもの間、語られてきたこの「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて、驚かない人はいないだろう。私自身、この話を六年前に英文で読んだ時には、驚天動地の思いをしたものである。私は一医師にすぎないが、ふとした機会に、この論争を知り、欧米での各種の文献を読み漁るようになった。そして、今では次のような確信に達している。–まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。それから『シンドラーのリスト』も一旦忘れてほしい。–
「ホロコースト」は、作り話だった。アウシュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑用ガス室などは存在しなかった。現在、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所跡で公開されている「ガス室」なるものは、戦後ポーランドの共産主義政権か、または同国を支配し続けたソ連が捏造した物である。アウシュヴィッツでもどこでも、第二次大戦中のドイツ占領地域で、「ガス室」による「ユダヤ人大量虐殺」などは一度も行なわれていなかったのだ。こう断言する理由は後述するが、その前に二つのことを言っておきたい。まず、第一に私は、第二次世界大戦中にドイツが採ったユダヤ人政策を弁護するつもりは全くないということである。たとえ「ガス室による大量虐殺」が行なわれていなかったとしても、ドイツが罪のないユダヤ人を苦しめたことは明白な歴史的事実である。私はその事実を否定する者ではないことをここで明白にしておく。第二は、近年、アメリカやヨーロッパで、「ホロコースト」の内容に疑問を抱人々が急速に増えつつあるのに、日本の新聞、テレビが、そのことを報道せず、結果的にはそのことを日本人の目から隠しているという事実である。最近は、論争を断片的に伝える報道もでてきたが、そうした報道は、「ホロコースト」に疑問を投げかける者は皆「ネオナチ」か「極右」であるかのような「解説」を加えている。事実は全く違う。「ホロコースト」に疑問を投げかける人々の中には政治的には明白に反ナチスの立場を取る知識人やユダヤ人さえ多数含まれているのだ。例えば、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授は子供の頃ナチスの迫害を受けアメリカにわたったユダヤ人の一人で、日本でも有名なきわめて権威ある歴史家である。彼は「ガス室」の存在そのものまでは否定しない「穏健な」論者だが、それでもユダヤ人の大多数は「ガス室」で殺されたのではないという「驚くべき」主張をしている。このことは一九八九年六月十五日号のニューズウィーク日本版でも取り上げられている。
また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代に属するデイヴィッド・コウルというビデオ作家がいる。彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張しているのである。「ネオナチ」の中にも「ホロコースト幻説」を取り上げる人間はいるだろうが、ユダヤ人の中にも「ホロコースト」はなかったと主張する人間が現われていることは注目に値する。とにかく、まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。それから、『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きたい。映画は、歴史ではないのだから。そこで皆さんにまず、何が真実であったのかを先に言ってしまおう。欧米の幾多の研究を一口に要約し結論を述べ、証拠はあとから示そう。そうした方が、皆さんにとって後の話が理解しやすくなると思うからである。ナチスがその政策においてユダヤ人に不当な差別を加え、様々な圧迫を加えたことは紛れもない事実である。そして、アメリカとの戦争に突入した後、ドイツ本国及びドイツの支配下に置かれたヨーロッパ諸国ではユダヤ人に対する圧迫が強まり、ユダヤ人を強制収容所に収容する政策が全ヨーロッパ的規模で開始された。この点について、従来の説明は大筋で正しい。しかし、ヒトラー及びナチスの指導部は、収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したことなど一度もなかった。ナチス指導部が計画したことは、強制収容所に収容したユダヤ人達を戦後、ソ連領内などの「東方地域」に強制移住させることであった。彼らはこのユダヤ人強制移住計画をユダヤ人問題の「最終的解決(Endlösung)」と名付け、東部戦線でソ連を打倒 した後、実行するつもりでいた。ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、ポーランド領内に建設した強制収容所は、戦後ドイツがソ連を打倒、占領した後に実行する「最終的解決」のためのユダヤ人強制移住計画の準備施設であった。すなわち、ナチスドイツは、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所に収容したユダヤ人達を戦争中は労働力として利用し、戦後、ドイツがソ連に勝利した暁には、ソ連領内ほかの「東方地域」に強制移住させる計画であった。従って、この計画とは両立し得ない「ユダヤ人絶滅」などをドイツ政府が計画、実行したことは、一度もなかった。ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。そして、戦争末期の混乱の結果、ユダヤ人達がいた収容所の衛生状態が悪化し、チフス等の疾病の爆発的発生が起きた。その結果、多くの罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した。戦後、それらの収容所で病死したユダヤ人らの死体を撮影した連合軍は、そうした病死者達の死体を「ガス室」の犠牲者であるかのように発表した。
読者の多くは、こんな話をすぐには信じられないに違いない。当然である。すぐに信じられる方がどうかしている。私も最初は信じることが出来なかった。読者と同様、私も物心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィッツのガス室」についてくりかえし教えられ、聞かされてきた者の一人であって、あるきっかけから真実を知るまでは、「ガス室による大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度もなかったのである。しかし、ある機会から「ホロコースト」について実は論争が存在することを知った私は、この論争に関する文献を買いまくり、読みまくった後、「ホロコースト」が作り話であるという確信に至ったのである。「ホロコースト」に疑問を投じる人々は、自分達のことを「ホロコースト・リビジョニスト(Holocaust revisionist)」、すなわち「ホロコースト見直し論者」と呼んでいる。
----------------(転載ここまで)
で、この「ホロコースト見直し論者」たちが、「ホロコースト」がなかったと主張する根拠が以下になります。
----------------(以下、ウィキペディアから転載)
■計画性
戦後、連合軍がドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。ヒトラー署名の命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令、総統命令は発見されていない。残された公文書には殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない。公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画案がある。これは収容所の建設目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。だがソ連戦線の崩壊とともに移住計画は頓挫し移住による「最終的解決」は不可能となり別の解決策が模索された。
当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。だがその予算表にはユダヤ人から接収した資産は計上されておらずその接収資産をそのままユダヤ人対策の予算として使っていた証拠の一つとなっている ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を処罰する場合もあった。
■ガス室
ブーヘンヴァルト強制収容所 とミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容されたポール・ラッシニエはブーヘンヴァルト強制収容所ではガス殺人を目撃しなかったと証言している。青酸ガスを用いたガス室はアメリカ合衆国で死刑執行の一手段として使用されてきた。ところが、その米国の経験では青酸ガスを用いたガス室処刑は致死量の22倍ものガスを一人の処刑に使用しており、高価な処刑方法とされ、経済的には非合理的である。ツィクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間が余りにも長時間に及ぶ。また、ガス室の換気にも長時間が必要で、非効率である。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は不合理である。ソ連軍が押収したドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は発見されていない。戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、図面から読み取れる。このことは、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めている。プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたという解釈を述べているが、それにしては目的に沿わない中途半端な改造であり非合理である。ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、医学的記述ではなく、死体の解剖記録をソ連は提出していない。戦後語られてきたガス室の目撃証言には、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者がごく少数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人もいたが、彼等の発言は無視され続けた。ガス室およびツィクロンBは当初シラミ駆除のために設計、納品された。
■焼却炉
大量殺人が実行された場合、死体処理には多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもルブリン強制収容所にもなく、また焼却に必要な燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた。
工業廃油等を使わざるを得ない。存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。
1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツの航空写真には死体焼却の煙も石炭の山も見られない。また大量の石炭を購入した伝票などの証拠も大量の石炭が運び込まれていたとの証言もない。
火葬炉があった理由は自然死や、囚人の密集していた環境で当然予想される伝染病の蔓延による病死に対応する目的で設置されたものと考えるのが自然である。死体焼却は肉等の有機物を炭化しその腐敗を防止して衛生環境を守るのが目的であって、死体の消滅が目的ではない。
死体の消滅が目的であれば、死体を骨ごとミンチにして家畜の餌等するのが簡単で経済的である。家畜の糞は醗酵させ堆肥として畑に撒けば完璧である。ドイツは養豚業など家畜の飼育が盛んであり肉骨粉などの家畜の餌の引き取り先には困らない。
だが、この方法を取るとすれば、アウシュビッツに輸送してきた人員と同じ重量の肉骨粉を家畜の飼育場までもう一度列車で輸送する必要が出てくるため非常に非効率的である。そして、青酸ガスに曝された肉骨粉を家畜に食べさせるのかという問題にもなるうえ、銃殺したとしても鉛の混じった肉骨粉を家畜に食べさせるという重大な問題が出てくる。
さらに骨ごとミンチにするにはその前に捕虜を殺害しておく必要があるため(生きたまま人間を裸にして口の中から金歯などを奪いミンチにするのは労力や合理性の点からみて不可能である。)結局、その場で焼却して焼け残った骨を砕いて捨てるのが一番効率的な方法だということになる。
■死亡者数
1939年前後の全世界のユダヤ人総数は1600~1700万人、1948年前後では1500~1800万人という統計から、ユダヤ人犠牲者が600万人というのは誇張が入っている。
『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac) の統計ではホロコースト前の1940年版ではユダヤ人人口15,319,359人、1948年版で15,713,638人とあり、3年間で1.4~1.8倍の人口増加している。(戦後日本の第一次ベビーブームの時代を経た昭和20年~昭和30年の人口増加でさえ7200万人から9000万人であり1,25倍)。
この人口増加率からしてもたとえ出生率が非常に高かったとしても600万人ものユダヤ人が死んだことはありえない。仮に600万人が犠牲となったならば大戦終結後のユダヤ人総数は1100万人前後となるはずである。
■証言
連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加えて自白を得ており、こうした自白には信憑性がない。
ホロコーストを生き延びた反対証言も存在するにもかかわらず、彼等の証言は無視され続けている。
■矛盾
戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ベルゲン・ベルゼン強制収容所などの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた。
ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。人間石鹸も都市伝説であった。
ホロコーストの歴史学的証拠とされたものは偽造、または故意に誤って解釈されたものである。戦後に公開された多数の写真や映画フィルムは、連合国軍による反ナチスプロパガンダとして特別に捏造されたものである。
例えば、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の後に処理されているドイツの民間人であった。我々が目にする写真は飢餓やチフスの犠牲者を写したものである。
アウシュヴィッツ第一死体焼却棟の1945年の写真には、撤退直前に爆破されたため現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。
煙突は戦後建てられており、現地の「物証」はこのように戦後変更されている。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のままと主張していた。しかし、さまざまな不合理を指摘されると、戦後の再建を認めた。
同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に変わっている。
■イスラエルのプロパガンダ
ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドやチェコスロヴァキアといった関係国を脅してソ連による支配を受け入れさせることはソ連の利益になる。
ホロコースト論には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエルのパレスチナ人政策に対する支持を獲得することに利用されている。
1970年代の中東戦争以来、ホロコースト論が語られるようになった。ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、アメリカのユダヤ社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、中東戦争を背景にイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している。
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ということで、少し長くなってしまいました。さらに詳しくお知りになりたい方は以下のリンクを御覧下さい。
○ホロコースト否認 – Wikipedia
もちろん、これに対する反対意見もウィキペディアには色々と書かれていますが、これらの記事を読む限りでは、やはりヒトラーによるユダヤ人虐殺はなかったと考えた方が自然のような気がします。
つまり、「マルコ・ポーロ」は口から出任せを言ったわけではないということです。
にもかかわらず、ユダヤ人の人権団体は「マルコ・ポーロ」がデタラメを言ったといって激しく抗議し、「マルコ・ポーロ」を廃刊にまで追い込んでしまいました。
なので、このユダヤ人の態度に抗議をする人間が出てきても何ら不思議ではありません。リチャード・コシミズのように「ヒトラーによるホロコースト」はなかったと主張する人が出てくるのはむしろ当然のことなのです。
なので、私も最初のうちはリチャード・コシミズの言うことに信頼して耳を傾けていたわけですが、この世のカラクリをあれこれと調べた結果、リチャード・コシミズが向こう側の人間であることが分かってきた。
ということは、彼が正論を吐くはずがない……と思い、私はこの「ホロコースト」についてさらに詳しく調べてみたのですが、やはりそこにはちゃんとした裏がありました。
私はこれまで、ヒトラーもナチスも「天皇派」の傀儡であると何度もお話してきました。(詳しくは以下のリンクをご覧下さい。)
○ヒトラーとオカルトの関係について。またはヒトラーの背後で見え隠れする「天皇派」の影。
○ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。
ということは、ヒトラーのとった政策はすべて「天皇」からの命令だったということになります。
したがって、ヒトラーがユダヤ人を差別しつつも、ユダヤ人を虐殺しなかったという政策は、ユダヤ人にとってブラスになるばかりでなく、天皇にとってもプラスになるものだったと考えられるわけです。
で、ヒトラーがこの政策を実施した結果、パレスチナにユダヤ人の国家が建国されたわけですが、これでは「天皇」にとっては大した利益にはならなかったと思います。というか、全く何の利益にもならなかったのではないでしょうか。
ならば、「天皇」には何か他の目論見があったに違いありません。ヒトラーにユダヤ人を差別させることで、「天皇」には何か他に利益を得られる見込みがあったはずなのです。
では、その利益とは一体何だったのでしょう。
皆さんは「河豚(フグ)計画」というものをご存知でしょうか。
これは、1930年代に日本で始まったユダヤ難民の移住計画です。(第二次大戦が始まる数年前から始まりました。)
○河豚計画 – Wikipedia
日本はかつて中国の一部を占領して「満州国」というものを作っていました。この「満州国」に世界中のユダヤ人を移住させて、日本の統治下に置こう(あるいは、ユダヤ人と協力し合ってやっていこう)という計画があったのです。
「天皇派」の面々はこの計画を遂行するために、ヒトラーを使って大々的にユダヤ人を差別させたのです。ヨーロッパで大々的にユダヤ人差別を起こせば、ユダヤ人は否応なくアジアに逃げてくるしかありませんからね。
しかし、「満州国」という名前は聞いたことがあっても、「河豚計画」なんて聞いたことがない、という人が大半だと思います。
当然です。悪魔どもは、過去の日本にこんな計画があって、すべて失敗に終わったということを我々庶民には知られたくはないでしょうから。
次回はこの「河豚計画」について詳しくお話したいと思います。