「アンネの日記」検証その2

 (最新見直し2015.06.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「アンネの日記検証その2」をものしておく。
 
 2015.6.28日 れんだいこ拝


【「アンネの日記」や関連図書の破損事件考】
 2014.2.24日、東京都内の公立図書館で「アンネの日記」などユダヤ人迫害の関連書籍が相次いで破られた事件で、警視庁捜査1課は24日、器物損壊容疑などで杉並署に捜査本部を設置した。この事件では、杉並区や中野区、東久留米市などの都内の図書館で、計約300冊が被害に遭ったとみられる。119冊の破損が見つかった杉並区では今月上旬に破られた可能性が高いという。被害にあったのは大手書店チェーン「ジュンク堂書店」池袋本店。1月中旬と2月21日、3階の売り場でそれぞれ「アンネの日記」1冊が破られているのを店員が見つけ、22日に警視庁目白署に被害届を提出した。

 3.7日、東京都内の図書館や書店で「アンネの日記」などユダヤ人迫害関連本が相次いで破られた器物損壊事件に絡み、被害にあった豊島区内の書店に不法侵入したとして、警視庁捜査1課が建造物侵入容疑で30代の無職男を逮捕した。男は書店で被害が確認される前に、破られた本があった書棚に近づくなど店内で不審な行動をする姿が防犯カメラに写っていた。警視庁は男が一連の事件に関与した疑いが強いとみて、裏付け捜査に全力を挙げている。捜査1課が店内の防犯カメラを調べたところ、2冊目が発見された21日と、それ以前の2月中旬に店を訪れ、同関連本のある3、4、8階などを行き来する不審な男がいたことが判明。いずれも被害のあった書棚近くに足を運んでいた。22日には店内で勝手にビラを張っていたことも確認。無断でビラを張るという、書籍購入などの「本来の目的」以外の目的で書店に侵入したとして建造物侵入容疑で男を逮捕した。男以外に不審な人物は写っていなかった。

 3.14日、東京都内の図書館や書店で「アンネの日記」や関連図書が相次いで破られた事件で、警視庁捜査1課は14日、図書館の本を破ったとして器物損壊と建造物侵入の疑いで、東京都小平市の無職の男(36)=書店への建造物侵入容疑で逮捕=を再逮捕した。男は一連の事件への関与を認める供述をしているという。男に特定の思想的背景はみられないが、言動に多少不安定な部分があるという。
 図書館や書店で「アンネの日記」などの書籍が相次いで破られた事件で、器物損壊容疑などで再逮捕された無職の男(36)=東京都小平市=が同書について、「アンネ・フランク自身が書いたものではないと主張したかった」という趣旨の供述をしていることが14日、捜査関係者への取材で分かった。精神鑑定などで刑事責任能力の有無を調べる。捜査本部は男の氏名や詳しい住所を発表していない。
 毎日新聞 2014年02月28日付け社説:視点「アンネの日記 日本は反ユダヤにあらず」を転載しておく。

 ユダヤ人の少女アンネ・フランクが隠れ家でつづった「アンネの日記」は、ナチスによるユダヤ人迫害を後世に伝える有名な本である。ところが1月以降、東京都内や横浜市の図書館を中心に「アンネの日記」や関連本が破られる事件が発覚し、日本の「右傾化」と関連づける海外の論調も出始めた。

 共同電によると、26日付の中国人民解放軍機関紙、解放軍報は「日本のサイトで『アンネの日記は(事実ではなく)小説だ』とする言論が大量に見いだされる」として歴史否定の動きがあると批判。日記を破いても「記憶を消すことはできない」と指摘した。韓国メディアは、日本にはヒトラーに追随する勢力が少なくないと報じ、在日韓国人などへのヘイトスピーチに象徴される「病的な右傾化現象」との関連に注目している。

 推測は自由だが、犯人像も動機もヤブの中なのに、ここまで言うのはいかがなものか。他国の歴史認識をうんぬんするなら、正確な史実を押さえておくべきである。日本は確かにナチスドイツと同盟関係にあったが、ナチスの再三の要求にもかかわらずユダヤ人迫害に同調することはなかったからだ。

 たとえば1938年、首相と陸軍・海軍大臣などで構成する五相会議が決めた猶太(ゆだや)人対策要綱は、ユダヤ人迫害は「日本が多年主張してきた人種平等の精神に合致しない」として公正に扱う方針を打ち出した。その背景にはユダヤ難民を受け入れて対米関係改善を狙う思惑(河豚(ふぐ)計画)や、世界を一つの家と見る「八紘(はっこう)一宇」の思想もあっただろうが、「戦前の日本とナチスは違います」(ヘブライ大のベン・アミー・シロニー名誉教授)というのが常識だ。

 ユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝(ちうね)、そのビザで日本に来たユダヤ人の滞在延長を助けた小辻節三(せつぞう)など、ユダヤ人が恩人と仰ぐ日本人も少なくない。杉原の関連本も破られたそうだが、日本の歴史に反ユダヤ主義を見るのは難しい。仮に今日の日本が「右傾化」し軍国主義が復活しつつあるとの前提に立っても、だから「アンネの日記」を破る者が出るのだという立論は乱暴である。

 他方、大虐殺を体験したユダヤ人には気の毒だ。在日イスラエル大使館は被害にあった図書館に「アンネの日記」などを寄贈した。米国のユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」も強い懸念と怒りを表明した。犯人は日本人なのか、組織的な犯行なのかどうかも不明だが、根の深い事件ではないよう祈りたい。(論説委員・布施広)


【重大提言=アンネの日記そのものが創作とする説有り】
 紫霄閣(ししょうかく) 歴史の底流と人間の本質を探る」の「嘘とペテンと陰謀だらけ・英米イスラエル報道」の中の「 4-2.日本で大人気のアンネの日記は低レベルの宣伝用フィクション」に次のような記述が為されている。これを転載しておく。
 ・ついでに申し添えておくと、ホロコーストと組み合わせて宣伝されている「アンネの日記」は、嘘と真実をごちゃまぜにしたフィクション。宣伝材料としては余りにレベルが低いので、欧米のまともな研究者は全く相手にしていない。  

 ・自筆原稿を徹底して隠蔽・父親オットー・フランクは1980に死ぬまで、自筆原稿の公開を拒否。テレビに登場 しても、自筆原稿にはフォーカスさせず。遺言でオランダ国立戦時資料研究所に 寄贈された後も、実質未公開。

 ・原本は古い文体でアンネが書くことは不可能 ・ユダヤ問題研究家の宇野正美氏によれば、小説家レビンが父親のオットー・フランクに頼まれて書いた小説であり、しかも、古典的ドイツ語で書かれており、オランダで生まれ育ったユダヤ人のアンネがそのようなドイツ語を駆使して日記を書くことなどできる筈もないという。
(私論.私見) アンネの日記そのものが創作とする説考
 「4-2.日本で大人気のアンネの日記は低レベルの宣伝用フィクション」の記述が正しいとすれば、アンネの日記そのものがアンネ以外の者の創作ということになる。事が由々し過ぎよう。

 2007.8.9日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評318 れんだいこ 2007/08/09
 【アンネの日記真贋考】

 今日8.9日は長崎原爆投下命日である。新潟地震の際の柏崎原発の放射能汚染も発覚しており、何か原水禁運動に関係したことを書きたかったのだけれども、なぜだか「アンネの日記真贋考」を記す。

 最近「紫霄閣(ししょうかく) 歴史の底流と人間の本質を探る」の「嘘とペテンと陰謀だらけ・英米イスラエル報道」の中の「 4-2.日本で大人気のアンネの日記は低レベルの宣伝用フィクション」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_horocoosto_annnenonikki.htm)を読む機会を得た。短いのでこれを転載しておく。
 ・ついでに申し添えておくと、ホロコーストと組み合わせて宣伝されている「アンネの日記」は、嘘と真実をごちゃまぜにしたフィクション。宣伝材料としては余りにレベルが低いので、欧米のまともな研究者は全く相手にしていない。

 ・自筆原稿を徹底して隠蔽
 ・父親オットー・フランクは1980に死ぬまで、自筆原稿の公開を拒否。テレビに登場しても、自筆原稿にはフォーカスさせず。遺言でオランダ国立戦時資料研究所に寄贈された後も、実質未公開。

 ・原本は古い文体でアンネが書くことは不可能
 ・ユダヤ問題研究家の宇野正美氏によれば、小説家レビンが父親のオットー・フランクに頼まれて書いた小説であり、しかも、古典的ドイツ語で書かれており、オランダで生まれ育ったユダヤ人のアンネがそのようなドイツ語を駆使して日記を書くことなどできる筈もないという。

 この記述が如何にセンセーショナルなものかというと、アンネの日記他者創作説を唱えていることにある。れんだいこはこれまで、「アンネの日記考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/taigaishinryaku_horocoosto_annnenonikki.htm)で若干の考察をしている。そこでアンネの日記の真贋論争を紹介しているが、「(アンネの日記は)古典的ドイツ語で書かれており、オランダで生まれ育ったユダヤ人のアンネがそのようなドイツ語を駆使して日記を書くことなどできる筈もないとう」踏み込みは初めてだ。そこで早速書き直した。

 れんだいこは、アンネの日記の原書を知る立場には居ない。故に、論争を公平に聞き比べ、れんだいこなりの観点を生む以外にない。問題は、ホロコースト論、南京大虐殺論、従軍慰安婦論にも通底してくるのだが、酷い拙い論争が行われていることにある。アンネの日記論争で言うと、次のようなやり取りが為されている。

 ウィキペディア通説(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98、現在記述が変えられているようである)と「アンネ・フランクは、アンネの日記を書かなかった」(ttp://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/afrank.htm)が、同じ問題に対し全く違う記述をしている。

 例えば、通説が概要「問題のボールペン・インクによる記述は、最初の文書鑑定(1960年)の折りに紛れ込んだ小さな二枚の紙片に見られるに過ぎず、日記の内容に影響を与えるものでもなければ、当然アンネ・フランクが書いたものでも、ましてやメイヤー・レヴィンが書いたものでもない。この紙片の筆跡は、ドロテア・オッケルマンのものであったことが明らかになっている。鑑定レポートは、第三者の書き込みについても分析を行ない、これらをアンネが書いたものと区別して論述している。かくて、有名な伝説も否定された(そもそも『日記』の最初の出版は1947年である)」と記している下りに対して、

 疑惑説は次のように述べている。
 意訳概要「ドイツの裁判では、そんな小さな紙切れ二枚の鑑定などしていない。第四章全部が、ボールペンで書かれていると鑑定している。『小さな紙切れ二枚の鑑定』はすり替えである」。 概要「そもそもウィキペディアの記述は出典が明らかでない。ネット上で類似の情報を探しても何も引っ掛かってこない。『81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた』というのも、出典不明である。つまり、便所の落書きと同じで根拠がない」。

 これは、三者三様に受け取る「真相は藪の中」の話ではない。ボールペン・インク記述二枚紙片説を廻って、二者のどちらかがウソをついていることにより白黒つけねばならない話である。しかしながら、調べれば容易に分かるのにこういう食い違いがそのまま通用している。世の中にはこういう食い違いが結構ある。れんだいこは、こういう場面に出くわすと、どちらが正しいのだろうと気になって仕方ないのだが、両説が平気で通用している。

 話を宮顕問題に振る。宮顕は先ほど逝ったが、例の戦前の党中央委員小畑査問致死事件の真相を語らずのままとなった。通説は、スパイ小畑説に立つ査問致死説であり、それも1・リンチはなかった説、2・そこそこあった説、3・凄惨なリンチ説の三説に分かれている。異説として、小畑はスパイでなかったとする冤罪説があり、これも三通りに分かれる。真相はこのうちのどれかであるのに精査されない。

 れんだいこは、宮顕論の中の「査問事件」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_1.htm)で記しているように小畑冤罪査問テロ致死説に立っている。もっと云えば、野坂-宮顕ラインこそスパイの頭目説に立っている。つまり、労働者派の小畑が、スパイ派の宮顕によりスパイ摘発と云う名目でテロラレタとみなしている。れんだいこはこの鬼説を堂々とサイトアップしているのであるが、通説派の誰からも議論が挑まれない。その癖、こたびの宮顕追悼で殆どの論者がこぞって歯の浮くような礼賛論を聞かせている。春から秋の僅か半年なのに「網走刑務所在監12年説」という有りもしない話を記す者も居る。

 こういうのっておかしくはないか。例えば、世の中で誰が一番頭が良いのかとか、将棋と囲碁のどちらが難しいのかとか、演歌とシャンソンどちらが歌らしいかとか、日本酒と焼酎のどちらが良い酒かとかというような白黒つけられないものもある。しかし、白黒つけねば先へ進まないものもある。不思議なことに、白黒つけねばならぬものをエエ加減にして、つけなくても良いようなものを争う傾向がある。朝青龍二場所出場停止事件のように、そう激しく制裁しなくても良いものに力んで強権発動させることもある。憲法改正のように急いでしなくても良いものに政治生命賭けてせかす首相も居る。

 こういうのっておかしくはないか。アンネの日記考から話が飛んでしまったが、云いたいことではあったので総花的に述べてみた。そういえば、テロ対策特別措置法の延長問題などは二者択一しかない。小沢どんの腕の見せ所である。戦後日本は長い間不戦で成功した。軍事費に費やすものを公共事業に割り当ててきた。ハト派政治の復権賭けて小沢-管-横路ライン頑張れ。お盆前の長編投稿を読む人に捧げる。

 2007.8.9日 れんだいこ拝

【「アンネの日記」と「シオン長老の議定書」の実書偽書逆さま判定考】
 「アンネの日記不審問題」は「シオン長老の議定書不審問題」と丁度逆さまになっている点で興味深い。即ち、これほど不審のある「アンネの日記」をアンネの自著であるとするその口で、「シオン長老の議定書」に対しては偽書であるとする二枚舌こそ問われねばなるまい。この手合いが多い。れんだいこは、「シオン長老の議定書」は命懸けで手に入れた実書、「アンネの日記」はアンネ以外のものが捏造したものと判定しているので、丁度逆見解に立っている。どちらの口がもつれるのか、議論すれば面白かろう。

 2013.12.23日 れんだいこ拝

【ミープ・ヒースさん(アンネ・フランク一家の協力者)情報】
 関連情報として「★阿修羅♪ > ホロコースト6」の gataro 氏の2010.1.12日付け投稿「ミープ・ヒースさん死去 アンネ・フランク一家の協力者(共同通信)」を転載しておく。

 http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011201000390.html
 ウェブ魚拓:http://megalodon.jp/2010-0112-2330-07/www.47news.jp/CN/201001/CN2010011201000390.html

 ミープ・ヒースさん死去 アンネ・フランク一家の協力者

 1998年、アムステルダムの自宅でアンネ・フランクさんについての自著を手にするミープ・ヒースさん(AP=共同)

 ミープ・ヒースさん(アンネ・フランク一家の協力者)AP通信によると、オランダ・アムステルダムの施設で11日死去、100歳。死因は不明だが最近病気になっていた。「アンネ・フランクの家」博物館が確認した。1909年ウィーン生まれ。22年、オーストリアの食料難のためオランダに移り住みアンネの父オットー・フランク経営の会社に勤務、オランダ人のヤン・ヒース(93年死去)と結婚した。第2次大戦中の42~44年、オランダを占領していたナチス・ドイツの迫害から逃れるためアムステルダムの隠れ家で過ごしたフランク一家に食料や本などを運び、勇気づけた数少ない非ユダヤ人の最後の生き残りだった。警察の捜索後、散乱したアンネのノートなどを保存、「アンネの日記」の出版につながった。2010/01/12 13:30 【共同通信】


 「★阿修羅♪ > ホロコースト3 」の天木ファン氏の2006 年 9 月 18 日日付投稿「アンネの日記・焼却事件 背景に極右の偽物論―「毎日新聞」」を転載する。
 地球最前線:アンネの日記・焼却事件 背景に極右の偽物論

 ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の象徴として知られる「アンネの日記」への極右の攻撃がドイツで執ように続いている。今夏、極右とみられる男性が日記を燃やす事件があり、地検が捜査に乗り出した。背景にはドイツの政府見解が、日記の信ぴょう性を疑う極右の宣伝に悪用されている事情がある。ようやく政府は見解を修正したが、「遅きに失した」との批判も出ている。【プレツィエン(ドイツ東部)で斎藤義彦】

 ◇現場警官「捜査必要ない」

 ◆「ナチと同じ」

 「すべてウソだ」。若い男性がキャンプファイアーに「アンネの日記」を投げ入れた。日記はあっという間に燃え上がったという。旧東独マクデブルク近郊の小都市プレツィエン(人口約980人)。今年6月24日夜、市内の広場で行われた夏至を祝う祭りで、参加者の男性が突然、「イラク戦争は石油のためだ」と叫んで米国旗を火に投げ入れた。続いて別の男性が「くだらない本だ」と日記を燃やした。

 警察は扇動罪の疑いで24~28歳の男性3人に対する捜査を開始。メディアも大きく報道した。ドイツではナチスが33年、ベルリンで「反ドイツ的」とするマルクスやケストナーの本を燃やしており、ホロコーストの象徴である日記の焚書(ふんしょ)は社会に強い衝撃を与えた。ベルリンの「アンネ・フランクセンター」のヘッペネル所長は「ナチの繰り返しだ。背筋が寒くなった」と話す。

 男性らは関係者に「日記は読んだことがない」と語る。地元でサイクリングツアー客の案内所を運営するなど、村おこしに熱心な青年たちだったという。一方、3人も所属する、夏祭りを企画したグループは、前身が極右として内務省の監視を受けていた。90年代末には町で極右が集会も開いている。「ホロコーストを否定する勢力が背後で焚書を演出したのではないか」とハルビック市長はみる。

 男性の一人は毎日新聞の取材に「仲間から口止めされ何も言えない」とだけ語った。警察や地検の聴取にも黙秘を続けており、捜査は難航している模様だ。

 ◆東西に温度差

 警察は事件当日、祭りを訪れたが、男性らに事情も聴かずに帰った。3日後、住民から指摘を受け、ようやく捜査に着手した。ドイツではホロコーストの否定は扇動罪など刑事罰に問われるが、50歳代の警官2人は「アンネの日記」を知らず、捜査の必要性を感じなかったという。

 プレツィエンのあるザクセン・アンハルト州では05年、極右による刑事事件が1100件と前年の約1・5倍に増えた。同州内務省は「日記を知らなかったのは一部の警官だけだが、初動が遅れるなど捜査に欠陥があった。研修を行い捜査員が極右の問題に敏感になるようにしたい」と話す。

 背景には旧東独社会の影響もありそうだ。東独でもホロコーストを知ることは重視され、日記も出版されていた。しかし学校では必読書とはされず、読まない生徒も少なくなかった。「東独ではすべてが上から押し付けられて、市民はナチや虐殺について深く考えようとしなかった。だから極右に一見まともな理屈を言われると受け入れてしまう」と地元のホルツ牧師は話す。同牧師ら地元の有志は、日記についての展覧会を開くなど、地道な啓発活動に取り組むという。

 ◇政府見解、悪用され修正

 ◆攻撃50年以上

 日記への攻撃は初めてではない。日記が52年に世界的なベストセラーになった数年後から「父親の作り話だ」などとする批判が右翼からたびたび寄せられた。

 76年、ドイツ北部ハンブルクで日記をニセモノとするビラを配った男性がひぼう中傷罪で罰金刑を受けた。この控訴審でハンブルク地裁はドイツ連邦警察庁に日記の鑑定を依頼した。係官はスイスで存命だった父オットー・フランクを訪ね、紙とインクを鑑定。80年、紙は当時のものと断定したものの、「後に入れられた訂正個所の文字の一部は、戦後51年以降に販売された黒、緑、青のインクで書かれた」との見解をまとめた。これを極右が利用、「すべてウソ」との宣伝を行ってきた。

 実は「アンネの日記」には最低三つの版がある。アンネは父にプレゼントされた手帳のほかに、紙不足の影響で、雑用紙に日記を書いていた(A版と呼ばれる)。44年、オランダ亡命政府が、ナチによる占領の記録を日記として残すよう呼びかけたのをラジオで聞いた作家志望のアンネは、日記を自ら編集し直した(B版)。さらに戦後、父親が47年に出版する際、母親への中傷や性的な描写など3割程度を除き、一部を修正して編集し直した(C版)。出版の際の編集で加えられた2枚の紙片をドイツ警察庁が見つけ、インクの違いを指摘したのが真相だ。

 ◆「黙認が過ち」

 市民団体は長年、ドイツ警察庁に鑑定を公開し見解を修正するよう求めてきたが、警察庁は「依頼主だけに知らせる」と門前払いを続けてきた。

 アンネ・フランクセンターは旧東独での焚書事件後、すぐに警察庁と交渉し、事態を憂慮した警察庁側も7月末、当時の鑑定を「例外的」として公表した。さらに「鑑定はアンネの日記の信ぴょう性について疑義をさしはさむようなものではなく、警察庁はそのような方向の憶測とは意見を異にしている」との見解を発表した。

 センターのヘッペネル所長は「警察庁は極右が悪用するのを黙認する誤りを犯した」と批判する。ただ、今回、新見解が出されたことで、「日記の信ぴょう性は揺るぎないものになり、今後攻撃はやむのではないか」と予測している。

 ==============

 ◇アンネの日記が世に出るまで

 ドイツ・フランクフルト生まれのオランダ系ユダヤ人、アンネリーゼ・マリー・フランクは、ヒトラーが政権を掌握した翌年の34年、身の危険を感じて一家でオランダに移住した。42年、姉マルゴーが収容所送りのリストに載せられたため、父の仕事場に設けられた隠れ家に移り住む。しかし44年8月、密告を受けたナチ秘密警察が一家を逮捕。アンネはドイツ北部ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、45年3月腸チフスで死亡した。

 日記は父親に手帳を贈られたことをきっかけに42年6月12日から書き始めた。架空の友人にあてた手紙の形式で、夢や恋愛、友人、家族との関係などをみずみずしい感性でつづっている。日記は逮捕される3日前で終わっている。手帳や日記用の雑用紙は秘密警察が散乱させたが、従業員が集めて引き出しに保管し、戦火も逃れた。戦後、虐殺をただ一人生き延びた父親が日記を発見。作家志望だった娘の遺志を引き継ぐ形で出版した。【ベルリン斎藤義彦】

 毎日新聞 2006年9月18日 東京朝刊

 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060918ddm007030022000c.html

(私論.私見)
 「地球最前線:アンネの日記・焼却事件 背景に極右の偽物論」の有益なところは次のことにある。これを確認しておく。
1、ドイツでホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の象徴として知られる「アンネの日記」への真贋論争が続いていることを伝えている。
2、
ドイツではホロコーストの否定は扇動罪など刑事罰に問われることを伝えている。
3、
日記への攻撃は、日記が52年に世界的なベストセラーになった数年後から「父親の作り話だ」などとする批判が始まっていると伝えている。
4、次の下りが特に有益である。れんだいこには初見である。
 「
76年、ドイツ北部ハンブルクで日記をニセモノとするビラを配った男性がひぼう中傷罪で罰金刑を受けた。この控訴審でハンブルク地裁はドイツ連邦警察庁に日記の鑑定を依頼した。係官はスイスで存命だった父オットー・フランクを訪ね、紙とインクを鑑定。80年、紙は当時のものと断定したものの、「後に入れられた訂正個所の文字の一部は、戦後51年以降に販売された黒、緑、青のインクで書かれた」との見解をまとめた。これを極右が利用、「すべてウソ」との宣伝を行ってきた。実は「アンネの日記」には最低三つの版がある。アンネは父にプレゼントされた手帳のほかに、紙不足の影響で、雑用紙に日記を書いていた(A版と呼ばれる)。44年、オランダ亡命政府が、ナチによる占領の記録を日記として残すよう呼びかけたのをラジオで聞いた作家志望のアンネは、日記を自ら編集し直した(B版)。さらに戦後、父親が47年に出版する際、母親への中傷や性的な描写など3割程度を除き、一部を修正して編集し直した(C版)。出版の際の編集で加えられた2枚の紙片をドイツ警察庁が見つけ、インクの違いを指摘したのが真相だ」。

 2015.6.28日 れんだいこ拝







(私論.私見)