ヘンリー・メイコウの「イルミナティ 世界を強奪したカルト」その4

 (最新見直し2010.12.06日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ヘンリー・メイコウの『イルミナティ 世界を強奪したカルト』その4」を検証する。

 2006.1.14日 れんだいこ拝


 「雑記帳01−0‎ > ‎イルミナテイのTop」の「16、イルミナティは大統領殺害も躊躇わない」を転載する。
 「我々の市民的諸制度を崩壊させる原因はフリーメイソンにある。彼らは既に大きな影響力を持ち、日ごとに巨大化している。私は国家に対してその危険性を暴く義務がある」(ウイリアム・モーガン大尉、1826年9月11日に殺害)。「マルデイ・グラの秘密」という非常に興味深く、信頼性の高いインターネット文書によれば、イルミナチテイの工作員によって、ウイリアム・ヘンリー・ハリソン(1773~1841)とザカリー・テーラー(1784~1850)の二人の大統領が毒殺された。1857年にはジェームズ・ブキヤナンも毒殺されかかったが辛うじて死を免れた。三人の大統領に共通するのは、南北戦争(1860~1865年)をめぐるイルミナテイとロスチャイルド家の計画を妨害していたということだ。この文書は又、エイブラハム・リンカーンとヒユーイ・ロング上院議員の殺害についてもイルミナチイの関与を認めている。私たちの知るところでは、ガーフィールド、マッキンリー、ケネデイ、そしておそらくウォーレン・ハーデイングとフランクリン・D・ルーズヴエルトも彼らの手によって殺された。もしあれほどのひどい仕事をしていなかったらジョージ・W・プッシュも殺されているはずだ。「マルデイ・グラの秘密」のウエブサイトは、2005年12月にミミ・L・ユースティスによって立ち上げられた。彼女は「ミスティツク・クルー・オヴ・コムス」と呼ばれるニューオーリンズ・マルデイ・グラ協会の幹部サミユエル・トッド・チャーチルの娘である。1857年にマルデイ・グラの祭りを再編したこの組織はスカル&ボーンズの一支部だった。それは南部連合国の指導者となつたアルパート・バイク、ジユダ・ベンジャミン、ジョン・スライデルらフリーメイソンの活動の前線として始まった。この情報は肺癌で死の床にあったサミユエル・チャーチルの告白に基づいている。後にみずからも不治の病にかかった娘のユースティスは、父親の最期の告白を公表しょうと決意した。

 イルミナテイの首謀者はケーレブ・クッシング(1800~1879)で、彼は1832年にイエール大学のスカル&ボーンズを創設したアヘン密輸業者、ウイリアム・ラッセルのパートナーである。この組織で昇格するためには「王殺し」の通過儀礼に参加しなければならなかった。ユースティスによれば、スカル&ボーンズ(別名「死の結社」)は「世界経済を血族的エリートで支配しようとするロスチャイルド家の計画に反対する米国の政治家を暗殺する殺し屋集団にほかならない。事実、ケーレブ・クッシングは1841年4月4日のウイリアム・ヘンリー・ハリソン大統領、1850年7月9日のザカリー・テーラー大統領のヒ素中毒死に関与していた。両大統領はテキサスとカリフォルニアを奴隷州として認めることに反対していた」。ウイリアム・ヘンリー・ハリソンは在任わずか1カ月で死亡した初の大統領となつた。ウイキペデイアによれば死因は「肺炎」とされている。一方、テーラー大統領は1850年7月3日、「連邦軍への反乱に加担した」連中を絞首刑にすると脅した。翌日、テーラーは急病に陥り、黒っぽい吐濱物を吐いて7月9日に死亡した。ケンタッキー州当局は最近、ヒ素中毒の証拠を得るためにテーラーの遺体を掘り起こした。
 リンカーンを暗殺した「金環騎士団」

 ユースティスによれば、南北戦争中、リンカーン大統領は戦費の調達が必要となった。強欲な銀行家たちは年利24%から36%という高利を求めた。そこで、リンカーンは4億5000万ドル相当の政府紙幣の発行を議会に認めさせた。それは公共・民間ともに、すべての負債に対する法定通貨として働いた。ロスチャイルド家は、主権を有する政府が無利息・無借金の紙幣を発行すれば一族の影響力が失われると考えた。リンカーンを暗殺したジョン・ウイルクス・ブースは、バイクの「金環騎士団」のメンバーだった。1863年から64年にかけての冬、ニューオーリンズにいた彼は、バイク、ベンジャミン、スライデル、そしてG・W・ベアード海軍大将と共にリンカーン暗殺を共謀した。ユースティスは、第三位階より下のフリーメイソンはほとんどが善良で勤勉な人々だと父親が強調していたことに触れている。フリーメイソンはイルミナチイとスカル&ボーンズの隠れ蓑として利用されていた。33位階を昇りつめた者たちは「王殺し」の儀式に参加することでそれを果たし、下級メンバーは「王殺し」に加担するとは知らされないまま、ただ指示に従った。エイブラハム・リンカーンの暗殺により、バイク、ペンジャミン、スライデル、そしてオーガスト・ベルモント(ロスチャイルドの北部工作員)は、密かに「キングズ・オヴ・ミスティツク・クルー・オヴ・コムス」となつた。副大統領のアンドリユー・ジョンソンが大統領となり、アルパート・バイクに恩赦を与えると、バイクはジョンソンに第33位階への昇格を認めた。「国際的金融エリートによる米共和国の支配を邪魔する政治的指導者を殺害しようとするイルミナテイにとって医師たちは不可欠な存在だった」とユースティスは書いている。「結果として、イルミナテイはウイリアム・ヘンリー・ハリソンとザカリー・テーラーの二人の米国大統領の暗殺を果たした。彼らはまた1865年4月14日のエイブラハム・リンカーン(4月15日死亡)、1881年7月2日のジェームズ・ガーフィールド、そして1901年9月6日(9月14日死亡)のウイリアム・マッキンリーの銃撃事件についても、その死に加担した。「マッキンリーが凶弾に倒れると、セオドア・ルーズヴエルトが大統領に就任した。ルーズヴエルトは第33位階に昇格し、ミスティツク・クルー・オヴ・コムスの秘密の王となった。彼の大統領在任中、スカル&ボーンズはその地位を確立し、米共和国を支配した」。
 ヒユーイ・ロング銃撃の真相

 ヒユーイ・ロング(「キングフィッシュ」)はルイジアナ州知事、そして上院議員としてフランクリン・D・ルーズヴエルトに猛烈な挑戦を仕掛けたポピユリストだった。ルーズヴエルトとは異なり、彼はフリーメイソンでも金貸しのちょうちん持ちでもなかった。「富を分かち合おう」という彼の計画はイルミナチイへの脅しそのものだった。イルミナチイのメンバーだったカール・オーステイン・ワイス医師は、1935年9月8日にロングを銃撃し、アーサー・ヴイドリン医師はロングの救命措置を妨害した。ユースティスによれば、ワイスはロングの頭を撃ち、ロングのボディーガードのマーフイー・ローデンがワイスとロングの両方を撃ったという。これが事実なのかもしれない。ローデンは「FBIフーヴアー長官のスパイ」で、ワイスの体に60発もの銃弾を洛びせた。ワイス医師は、その命令に背けば、生まれたばかりの赤ん坊を殺すと脅されていた。フランクリン・D・ルーズヴエルトとJ・エドガー・フーヴアーは、この暗殺に参加したことで第33位階への昇格を果たした。「1937年、ルーズヴエルトはコムスの王となった。一方、コムスの王としてニューオーリンズに下ったフーヴアーは、ミスティツク・クルー・オヴ・コムスの血族的エリートたちと女装や同性愛のどんちゃん騒ぎに興じた」。
 孤立主義者リンドバーグとハーディングの中毒死

 「血族的エリート主義のロスチャイルド家にとって第33位階の死刑執行人であり、隠蔽工作のスペシャリストでもあるフーヴアーの協力を得て、スカル&ボーンズの工作員はフリーメイソンのチャールズ・リンドバーグの息子を殺害した。この事件は、リンドバーグの主張する孤立主義がイルミナテイの意図に反するものであることを世に知らしめた」。ユースティスはウォーレン・ハーデイング(1865~1923)の中毒死には触れていないが、ウイキペデイアによれば、「7月未、アラスカからブリティッシュコロンビアヘと南下していたハーデイングは、重度の食中毒のような症状を発した。彼はサンフランシスコのパレスホテルで肺炎を起こし、1923年8月2日午後7時35分、心臓麻痺か心臓発作により57歳で死亡した。その日のニューヨーク・タイムズに掲載された正式発表では、死因は『卒中』とされた。発病からちょうど一週間目のことだった」。
 フリーメイソン大統領を自在に擦るカルト集団

 「マルデイ・グラの秘密」は、米国の政治体制がその深刻な腐敗によって、とても民主主義とは呼べない代物だということを示唆している。米国には歴史を通じて、イルミナチイとロスチャイルド家の支配という構図がある。これを否定する者は幻想の中で生きているにすぎない。米国は、ロスチャイルドの信用支配に基づくイルミナチイの新世界秩序を進めるために建国された。米国の理想とは、大衆を欺き、改造するためのものであり、決して実現されないものだ。ポール・リヴイアやジョン・ポール・ジョーンズ、ベンジャミン・フランクリンなど、米国の創設者や英雄のほとんどはフリーメイソンだった。国歌を作詞したフランシス・スコット・キーも、ジョン・ハンコックをはじめとする独立宣言の署名者たちも、その多くがフリーメイソンだつた。

 ワシントン、マデイソン、アダムズ、ジエフアーソン、モンロー、ジャクソン、ヴアン・ビユーレン、タイラー、ボーク、テーラー、ピアース、ブキヤナン、ジョンソン、ガーフィールド、マッキンリー、フランクリン・T・ルーズヴエルト、タフト、ハーデイング、フランクリン・D・ルーズヴエルト、トルーマン、リンドン・B・ジョンソン、フォード、レーガン、クリントン、ブッシュ父子など、歴代大統領の半数以上がフリーメイソンだつた。このうちの何人かは、フリーメイソンの目的が「善良な人間をより善良にすることだ」と本気で考えていたために暗殺された。アイゼンハワーやニクソン、カーターなどフリーメイソンではなかった他の大統領たちもやはり、同じ闇の勢力に支配されていた。米国はいつの時代も、ロスチャイルド家の中央銀行カルテルに権限を与えられた邪悪なカルト集団に支配されている。同胞を解放しようとした多くの英雄的大統領や政治家たちが、認識も追悼もされないまま抹殺された二万で、彼らを殺した連中は繁栄し、賞賛された。これが悪魔的統治体制というものである。米国は指導者のいない国、悪魔に導かれた首なしの大国なのである。

 「雑記帳01−0‎ > ‎イルミナテイのTop」の「17、やはり世界大戦は画策された茶番だった」を転載しておく。
 アフガニスタンでのイスラム教徒の暴動は、グアンタナモ米軍基地で米軍の尋問官がコーランをトイレに流したことが原因だった。では、暴徒たちはどうやってこの事実を知ったのか。もちろん、それはニューズウイーク誌による報道からであり、彼らの怒りは爆発した。ニューズウイークを所有しているのはユージーン・マイヤーの一族である。彼は元戦時金融公社(第一次世界大戦時)の会長、連邦準備制度理事会の議長、そして世界銀行総裁を歴任した。同じく彼の一族が所有するワシントン・ポスト社もCIAと長年の結びつきを持っている。マスコミに何らかの事象が大きく取り上げられるとき、そこには必ず隠された目的がある。イルミナティは、イスラム世界と米国との「文明の衝突」を促しているのだ。先の第二次世界大戦では全世界で6000万もの人々が虐殺されたが、それもこの邪悪な陰謀組織によって画策されたものなのだろうか。第三次世界大戦が引き起こされようとしている今、私たちはそれを明らかにしなければならない。

 プリンス・ミヘル・ストウルザの「ヨーロッパの自滅」(The Suicide of Europe、1968年)という絶妙なタイトルの本は、私にとって大きな警鐘となった。ストウルザは1940年9月から12月まで、ルーマニアの外務大臣を務めた。彼はナチスを支持し、反共産主義、反民族主義的キリスト教「レジオン」活動を指揮していた。共産党と同じくイルミナテイ勢力であったナチスは、あらゆる「民族主義」活動に反対した。彼らはすぐにレジオナーレを制圧し、こうした愛国者たちを強制収容所へと送った。1940年の外相就任に先立ち、ストウルザはベルリンを訪れていた。彼に話しかけてきたのはドイツ軍情報部の狡猾な長官ヴイルヘルム・カナリス海軍大将だけだった。カナリスはストウルザに思いがけない要求をしてきた。それはブカレストにいる彼の部下に協力してほしいというもので、その部下とはストウルザが共産主義のスパイと疑っていたモルゾフという男だった。さらにカナリスは「モルゾフがソ連の軍備に関するもっとも有利な情報を提供する」と言った。ベルリンを去る前、ストウルザはカナリスの代理としてミエラー大佐の訪問を受け、「上官の要求を改めて伝えに釆た彼に、私と妻は当惑させられた」。「ミエラー大佐は我々に、英国はこれまでもこれからも決して負けないと言った。さらに彼は、『私が言おうとしていることは、プロイセンの将校から聞いた話で、もしかすると反逆行為に当たるかもしれません。でも、よく聞いて下さい。どんな状況にあつても、外務大臣として、あなたの国を英国との戦争に向かわせてはなりません。あなたは潰されます。英国の勝利はすでに決まっているのです』と言った」。これは当時のドイツ軍情報部の将校には枇応しくない発言だった。1940年8月当時、ドイツはフランス及びヨーロッパの大半を制圧し、無敵と思われていたからだ。ストウルザは自分が試されているのだと感じ、その手には乗らないと考えた。「私は自分が各国の軍事史に知られる最大のスパイ組織と反逆者に接触したとはまるで思わなかった」。ギリシア系ユダヤ人だったとされるカナリスは実際、ナチスの戦争準備を妨害した。ストウルザは彼のスパイ組織がナチスの主な敗因だと信じている。ヒトラー暗殺が失敗に終わると、そのメンバーはゲシユタポに拷問され、惨殺された。当然、彼らは勇敢な英雄ファシスト独裁政治に抵抗した高潔な人道主義者として描かれている。私もそれが事実だと信じたい。しかし、「あなたは潰されます。英国の勝利は既に決まっているのです」という言葉は、また別の計画、より大規模な策略を示唆している。

 共産主義・資本主義インターナショナルの本部はロンドンのシティーにある。イングランド銀行はボルシエヴイキ革命に資金を提供したようにナチスの軍事機構にも出資した。銀行家はヨーロッパの偉大な国民国家を破壊し、新世代の精鋭たちを一掃するために第二次世界大戦を画策したのである。カナリスはイルミナチィの工作員だったのか、それともイルミナチイの走狗(エージェント)だったのか。彼はヒトラーを倒し、戦争を早期に終結させたかったようだが、連合国は「無条件降伏」、即ち壊滅を主張した。ドイツを含め、いかなる民族主義勢力も生き残れない。生き残れるのは「国際主義者」だけだ。ドイツ軍は最後まで戦うしかなかったのである。私は第二次世界大戦を「正当な戦争」だとは思わない。それは富と権カをつねに管理下に置き、人類を貶め、堕落させるために捏造されたものだ。両陣営は言語に絶するような残虐行為を犯したのである。先の二つの大戦に続いて、イルミナチイの世界独裁とマインドコントロールを進めるために、第三次世界大戦が画策されている。人類は数世代にわたる悪魔的陰謀に巻き込まれていながら、金とセックスに心を奪われ、それに気づかないのだ。
 四大帝国の瓦解によって任務は完了した

 第一次世界大戦は、その始まり方と同様、終わり方も不自然だった。1918年12月、ドイツ帝国は突然、崩壊した。何が起きたのかは想像がつくだろう。銀行家たちがその目的を達成したため、蛇口を閉めたのである。当然、ドイツは裏切られたと感じ、ヴエルサイユ条約で銀行家たちに重い賠償を命じられると、その思いはさらに募った。では、銀行家たちの目的とは何だったのか。それは旧秩序が滅ぼされ、四つの帝国(ロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマン・トルコ)が廃墟と化すことだった。彼らはロシアにボルシエヴイキの手先を配置し、パレスチナがその管理下で「ユダヤ」国家となるように工作し、イスラエルを新たな紛争の永続的火種となるようにした。しかし、もっと重大なことは、ヴエルダンの戦いのような大量殺戟(80万人が死亡)のせいで、西側キリスト教文明の楽観的精神、そして神や人間への信頼が致命的な打撃を受けたということだ。新世代の精鋭たちは皆殺しにされた(この悲劇についてはヴエラ・ブリテンの「若者の遺言」(The Testament of Youth)を参照)。歴史を幅広い視点から見ると、そのパターンが明らかになってくる。オーストリアのフエルディナント皇太子がフリーメイソンの「黒手組」に暗殺された事件(それが第一次大戦を招いた)はやらせであり、口実であって、9・11と同じものだった。銀行家たちはさらに第二次世界大戦でナチスを支援し、それはチャールズ・ハイアムの名著「国際金融同盟」でも立証されている。事実、ロックフエラーのスタンダードオイルは戦時にもナチスに石油を供給していた。近代史は、中央銀行カルテルがいかにしてその信用の独占を権力の独占へと変えていったかを物語っている。それは私たちの国家や宗教(神)、民族や家族との結びつきが打ち砕かれ、彼らの一方的決定(政治的公正など)が客観的真実(神、自然)に取って代わることを意味する。私たちが彼らの実験に使われるマウスにすぎないと悟るには勇気と聡明さが必要だ。しかし、私たちは「指導者たち」に裏切られ、マスコミと学校教育に思考能力を奪われ、福祉国家に甘やかされて無能にされている(誰もが買収されるということだ)。私たちは行動を起こすどころか、何が起きているかを認識することさえできないのだ。今、私たちは繁栄を享受し、みずからが自由だと思っている。オルダス・ハクスリーが「素晴らしき新世界」で述べたように、「真に有効な全体主義国家では、政治指導者とその運営集団からなる全権を有する行政府が、強制の必要のない奴隷民を支配する。つまり、民衆はみずから好んで隷従するのだ。彼らをそのように仕向けるのは、今日の全体主義国家では、宣伝係や新聞記者、学校教師らの任務である」。一万、明るい面として、この社会が実は詐欺であるという認識が広がりつつある。もはや私たちはその偽りの神々にひざまずくことはない。「真実こそが人を自由にするのだ」。
 正義の告発を死で葬り去った銀行家たち

 1915年10月12日、英国人看護師でベルギーの付属病院を経営していたイーデイス・キャヴエルがドイツの銃殺隊に射殺された。彼女の死は米国の反独感情を刺激し、英国の志願兵の数を二倍に増やした。彼女は英国人戦争捕虜の逃亡に加担していたが、本来なら3カ月の禁固刑で済むはずだった彼女が、なぜ殺されたのだろうか。ユースタス・マリンズによれば、イーデイス・キヤヴエルはある不都合な情報を掴んでいた。1915年4月15日、ロンドンのナーシング・ミラー誌は、連合国の「ベルギー救済委員会」(ベルギーヘの食糧供給を委託された)が何千トンもの食糧をドイツヘ横流しているという彼女の告発の投稿を掲載した。英国諜報部長官で、クーン・ロープ商会の共同経営者でもあるウイリアム・ワイズマンは、ドイツにキヤヴエルをスパイとして処刑するように求めた。ワイズマンは「戦争の継続が危うくなる」と考えた。ドイツはしぶしぶこれを受け入れ、「第一次世界大戦の重要な受難者の一人」を生み出した(マリンズ「民間が所有する中央銀行」)。皮肉な結果と思うかもしれないが、「対テロ戦争」をでっち上げるために、世界貿易センタービルが破壊され、3000人以上の米国人が犠牲になったことほどの皮肉ではない。交戦国間のこうした協力が実現したのは、ワイズマンが連邦準備制度理事会議長のポール・ウォーバーグと緊密に連携したからである。ウォーバーグの兄マックスはドイツ軍諜報部の長官で、ドイツ皇帝ウイルヘルム二世の親友だった。ロンドンを拠点とする中央銀行家たちは、国家を弱体化させ、世界(英国、米国、イスラエルなど)を植民地化するために戦争を利用している。第一次大戦を実行するに当たっての問題は、彼らに戦艦などを売りつけられたヨーロッパの国々がすでに破産していたということだ。ヨーロッパには戦争を始めるだけの金銭的余裕がなかったのである! しかし、1913年に米国に連邦準備制度と所得税法が導入されたことにより、この間題は解決された。米国政府の公債が第一次世界大戦の資金源となり、米国民は両陣営の間に立たされた。
 彼らはいかにしてドイツを借金の奴隷国家としたか

 ドイツとその同盟国には一年以上戦うだけの資金がなかった。そこで、イーデイス・キヤヴエルの告発が示唆しているように、銀行家たちは中立国スイス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンと取引することで、この間題を解決した。つまり、銀行家たちは米国や英帝国から得られる必要資源を間接的にドイツヘ回したのである。事の詳細は、北欧の英国大使館付き海軍武官だったコンセット海軍少将による「非武装勢力の勝利 1914年~1918年」(The Triumph of Unarmed Forces、1923年)という本に記されている。彼の仕事は、戦争継続に必要な必需物資の流れを記録することだった。例えば、北欧は石炭の供給を英国に完全に依存していた。そこで、連合国の艦船を攻撃するドイツの潜水艦を建造する材料として、スウェーデンの鉄鉱石が、英国の石炭を燃料とする船でドイツヘ運ばれた。一方、ドイツは爆薬の製造にグリセリン(獣脂)を必要とした。英国は世界の海を支配していたため、グリセリンを確保するのは簡単だった。戦争が始まると、中立国によるこうした物資への需要は爆発的に増加した。英国はこうした取引を制限することもできたはずだが、それに応じつづけた。同様の取引が鋼や亜鉛、ニッケル、錫(スズ)といった多くの必需物資についても行なわれた。コンセットも言っているように、もしそうした通商が禁止されていたら、第一次世界大戦は1915年までに終わっていただろう。中立国との紅茶やコーヒー豆、ココア等の取引も激増したが、こうした品々は中立国では入手困難だった。それらはすべて巨額の利益が得られるドイツヘと流れたからだ。だが、コンセットの勇気ある告発は無視された。経済封鎖局の長官は円卓会議(ラウンド・テーブル)のメンバー(すなわち中央銀行家)、ロバート・セシルだった。さらに、中央銀行家たちは北欧の銀行を通じて、4500万ポンドもの英貨をドイツ側へ出資した。連合国はそうした銀行家たちの借金の奴隷となった「徴税による大幅な歳入増にもかかわらず、英国の国債は10倍に跳ね上がった。政府は低金利で金を得るために、戦時最大の大口借り主としての交渉力を利用できなかった。フランスの国債は280億フランから∵1510億フランに膨れ上がった」(デーヴイーズ「金の歴史」(The History of Money)。米国の国債も10億ドルから250億ドルに激増した。「世界兵器工場物語」によれば、第一次世界大戦は27カ国によって戦われ、6610万3164人が動員され、そのうち3749万4186人が死傷した(約700万人が死亡)。その直接経費は2080億ドル、間接経費は1510億ドルと推定される。しかも、こうした数字には何十億ドルという利息分や、退役軍人への手当、年金といった経費は含まれていない。人類が悪魔崇拝のカルト集団に隷属させられていることは明らかだ。

 「雑記帳01−0‎ > ‎イルミナテイのTop」の「18、ハウス報告書『アメリカは王権金融植民地だ』」を転載する。
 米国は少なくとも過去100年にわたって英国の金融植民地だった。これは「ハウス大佐の報告書」によって裏づけられており、1919年6月10日付けの10ページに及ぶ「経過報告書」には身も凍るような米国の位置づけが記されている。報告書の作成者エドワード・マンデル・ハウス大佐(1858~1938)はウッドロー・ウイルソン政権時代に米国問題を陰で指揮していたロスチャイルド家のスパイである。ハウス大佐はウイルソンの友人で、腹心として知られていた(彼に軍隊経験はなく「大佐」という肩書きは自称にすぎなかった)。この報告書は英国の首相デーヴイツド・ロイド・ジョージに宛てたもので、彼は世界シオニスト機構の擁護者として立身出世を果たした。報告書は「米国植民地の王権支配への平和的回帰」におけるハウス大佐の進捗状況を詳しく伝えている。それによると、国際連盟は英国の覇権の隠れ蓑だった。「王権」とは、ロンドンを拠点とする国際銀行家やその特権階級の協力者たちによる覇権を意味する。ハウスはこう記している。「我々はこの計画を講和条約の中に包み隠した。そうすれば、世界は我々から国際連盟か、戦争の継続かを受け入れるしかないからだ。国際連盟は実質上、米国を他と同じ根拠において我々の植民地として組み入れた帝国である」。

 報告書からは米国民に対する侮蔑がにじみ出ている。「この国の人々は単純で、根っからの救いがたい英雄崇拝者だ」とハウス大佐は説明している。「漠然とした野望をスローガンとして掲げる者に、彼らは容易に影響される。いったん影響されると、彼らはそのスローガンを掲げる者が何をやっても信頼する」。ウイルソン大統領はこの信頼を獲得した人物であり、報告書は「彼の優れた利用価値」 について説いている。1939年10月、ジエーコブ・ソーケルソン下院議員(1876~1945)はこの「ハウス報告書」を議会に紹介し、連邦議会議事録で公表した(1939年10月13日)。文面を削除しようとする動きがあったが幸いにも排除され、現在でも全文がオンラインで入手できる。
 金融寡頭組繊は超権力を「王権」と譬える

 英国の銀行家たちはセオドア・ルーズヴエルト政権時代(1901~1909年)に米国を支配した。当時、ロスチャイルド家の手先であったJ・P・モルガンだけでも米国経済の25%を掌握していた。「王権」とはイングランド銀行の所有者たちを指す。彼らの正体は公然の秘密だ。E・C・クメースによれば、「国際的金融寡頭組織はその権力の象徴として『王権』という比喩を使い、その本部は歴史あるロンドンのシティーにある。巨大な民間企業であるイングランド銀行は英国議会による規制を受けず、事実上の主権を有する世界的組織である」(「シティーという帝国」(The Empire of the City、)。英国や米国、ドイツ、日本、あるいはシオニストの帝国主義について語るのは馬鹿げている。それらはいずれも全世界を植民地化しようとするこの一つの帝国主義の完全な操り人形にすぎない。これが新世界秩序である。

 ハウス大佐はこう続けている。「米国植民地の平和的回帰」は「有力な支配的一族の同意」があって初めて実現される。ハウス大佐は米国民がいかに英国の指導を受け入れるように教育されているかにも触れている。それによれば、大学やマスコミには「英国生まれ」やカナダ人の職員が配置されているという。「赤十字やスカウト運動、YMCA、教会といった人道的、宗教的、あるいは半宗教的組織を通して、我々は英語圏の統一という思想を強める国際的取り組みのムードを築いてきた」。海外クラブや社会奉仕クラブ、そして戦争慈善活動によって、「我々はこの国のあらゆる階層・階級に浸透することができる」。これはイルミナテイの影響力がいかに広範囲にわたるかを示している。私たちは「米国のあらゆる新聞を米国以外の世界から孤立させ、それらが別の半球どころか別の惑星のものであるかのようにしている。AP通信社をはじめとする世界的報道機関(ハーストを除く)によってこれが実現されたことは、彼らが供給する新聞に我々の思想だけを取り入れる上で非常に役立った」。

 ハウス大佐はまた、米国が「表面的には独立を保っていながらも」、王権との結びつきにおいては他の植民地と変わらないと言っている。「ウイルソン大統領は海軍拡張政策を断念し、律儀にも我々に世界の海上覇権を譲ったではないか」。彼は「英米同盟」が「世界の比類なき資本家」になったと豪語した。そして、「我々の財務代理人であるピアボント・モルガン社」が「この国を戦争に導いた」と称えている。彼らは宣伝によって「新聞社の方針に広範囲な影響力」を及ぼし、日本に2億ドルを融資して、米国に対抗するための艦隊を造らせた(米国をより英国に依存させた)。ハウス大佐は「王権」がカリフォルニアやメキシコ、ラテンアメリカの油田を買い占めるため、米国政府から戦争目的で貸しっけられた金を流用したとしている。「大戦によって我々は世界の資源の大部分を手にした。(我々は)現在、世界の油田のほとんど、ひいては世界の輸送機関や産業のほとんどを支配している」。
 「我々の思想統制システム」で実現させた国際連盟

 ハウス大佐はこうも述べている。「(目下の課題は)その危険な主権を植民地から王権の管理下へ移すことである。つまり、我々は米国を帝国の手中に収めなければならない」。その第一歩が、「我々がウイルソンのために準備した」国際連盟計画だった。「急激な変化は米国の無知な大衆を刺激し、そうした変化や我々に対する抵抗を招く恐れがある。従って、我々の最善策はウイルソン大統領を国際連盟の初代総長に任命することだ。彼なら米国が国際連盟に独立を譲るどころか、それによって米国の主権が拡大されると(米国艮を)納得させることができるだろう」。現代の愛国者法を暗示するように、ハウス大佐は、「ウイルソンだけが司法の解釈に基づく反ボルシエヴイキ法案を生み出せるのであり、そうなれば米国が再び独立を宣言すべきだと主張するような愚かな米国人に相応の罰則措置を与えることができる」としている。ハウス大佐は、いかにしてウイルソンに命令を伝え、彼を操るべきかを詳細に述べている。この報告書は別人によって書かれたと思っている人も多いが、ウイルソンをこれほど熟知していたのはエドワード・マンデル・ハウスだけである。例えば、彼はウイルソンが、「軽視されやすく復讐心が非常に強い」として、新任の英国大使は「ウイルソン崇拝者」であり、「大統領に仕える紳士」でなければならないとしている。彼はウイルソンに寄贈された贈り物の一覧まで挙げている。

 ハウス大佐は国際連盟の最初の会合がワシントンで開かれることを提案している。「そうすれば、この国の単純な人々は、国際連盟の権力が自分たちに属するのだと納得するだろう。一連の政治ショーを見せれば、大衆は自分たちの範囲を超えた余計なことは考えなくなるだろう」と彼は言っている。「大衆の注意がそれるのを待つ一方で、我々は彼らに国際連盟がいかに素晴らしいかを絶えず教え込む。その賛辞は我々のマスコミによって喧伝され、大学の学長らによって宣言され、教授らによって断言される。我々が抱える作家や著述家、講師たちはその美点を分析する。我々は国際連盟のために8000人の宣伝者を用意した。国際連盟の誕生を世界平和の夜明けとして知らしめるため、国内外に会議や委員会、協議会、集会、大会、審議会を組織した」。「銀行家、株式仲買人や会計士、科学者といった実用家集団は、職業上、商売上、財政上、社会上の組織的圧力を加えることができ、国際連盟を平和や発展、繁栄の名において支持するために集まっている。(中略)我々の映画会社も画期的な作品を準備している。つまり、我々の思想統制システムは国際連盟の採択を確実にするため、絶え間なく、辛抱強く、情け容赦なく活動している。そしてそれは必ず採択されるだろう。なぜなら企業は平和を望み、高潔な人々は誓約に抵抗できず、政治家たちはその恩恵の配分をめぐつて敵を牽制した後、無謀な強情者の宿命に陥らないように潔く譲歩するだろうからだ」
 悪魔に魂を売った各界のエリート層

 「ハウス報告書」は、グローバル化や国際連合の背後にある現実を明らかにしている。もし私たち国家の主権を覆し、人類を陥れようとする長期的陰謀の実在を証明するための証拠が必要だとしたら、これがまさにその証拠である。共和党上院議員らの勇気ある反対のおかげで、米国は1919年11月19日、講和条約に伴う国際連盟への加盟を拒否した。しかし、世界独裁を推し進める英国の銀行家たちの水面下の活動は弱まらなかった。彼らはヒトラーに資金を提供し、世界恐慌と第二次世界大戦を工作した。国際連盟は1945年に国際連合として復活し、「冷戦」のでっち上げが始まった。現在、私たちは9・11と「対テロ戦争」というでっち上げに巻き込まれている。新世界秩序、世界政府、そしてグローバル化はすべて、中央銀行家とその手先による金融支配を意味する英国帝国主義の延長線上にある。社会のあらゆる階層が国連の美徳を宣伝され続け、国家機関は転覆され、マスコミや学校は管理され、宣伝に利用される。政治家たちはお飾りにすぎない。米国民はその支配者である「王権」のために新世界秩序の構築を助けている。ハウス大佐の言葉を借りれば、米国民は「王座に伏して嘆願する」べき植民地住民となる。油田支配についての言及は、石油が世界支配の第一の手段であることを示唆している。世界独裁の最終段階には、中東の石油が完全に掌握される。これはイラク戦争の原因を明らかにし、イラン侵攻を予告するものだ。ただ、その脅威を「ユダヤ」によるものと断定することはできない。ロスチャイルド家はこの点を秘密にするため、世界の金融エリートや文化的・政治的エリートから相当の協力を得ている(基本的に、協力とは容認の代償である)。集団自殺するという小動物レミングのように、西側のエリートは文明のために命を捨てるという願望を抱いている。彼らは悪魔にその魂を売り渡したのである。

 「雑記帳01−0‎ > ‎イルミナテイのTop」の「19、ロックフエラー帝国の傀儡、近親交配大統領」を転載する。
 1933年、ウォール街の銀行家たちがフランクリン・D・ルーズヴエルトの失脚を企てたという話は、2008年の今でも出回っている。最近、BBCは「ダビヤ(ジョージ・W・ブッシュのニックネーム)」の祖父プレスコット・ブッシュをその陰謀者の一員として挙げた。新世界秩序はルーズヴエルトとニューデイール政策を今もなお宣伝材料と考えているようだ。彼らは私たちに銀行家が政府を牛耳るようなことはなく、ファシズムが自由主義や社会主義、共産主義の形となって現われることもないと思わせたいのだ。イルミナチイの銀行家たちは、ルーズヴエルトがウォール街の宿敵であると思わせるためにそのクーデターを企てた。後に示すように、彼らは偵儲大統領を確立するために、いつも決まってそうした手を使うのだ。陰謀者たち(「アメリカ自由連盟」のメンバー)は、50万人の退役軍人を率いてルーズヴエルトを倒し、ムッソリーニのような人物になる男として、スメドレー・バトラー退役少将に近づいた。スメドレー・バトラーはまさに筋金入りの軍人だった。輝かしい勲章を持つ海兵隊司令官だったバトラーは当時、ムッソリーニを「狂犬」と呼び、彼のファシスト軍団が「ヨーロッパで野放しにされようとしている」と警告したことで、ハーパート・フーヴアーから退役を余儀なくされた。発言の撤回を拒んだバトラーは一夜にして国民的英雄となつた。

 彼らはこの男に「米国のムッソリーニになつてくれ」と頼んだ。だが、クーデターを意地でも暴きたてる人物としてバトラーは頼りになる男だった。その話に「どうも反逆罪の匂いがする」と直感したバトラーは、実際にそれを暴いた。バトラーはウォール街の仲間ではなかった。彼は全米を回って講演し、銀行家たちが米軍を「資本主義の暴力団」殺し屋や借金取り立て人として利用していると訴えた。「振り返ってみると、私はアル・カポネにちょつとした着想を与えられたのではないかと思う」とバトラーは述懐している。「カポネにできたのは、せいぜい三つの地区でゆすりを働くことだったが、私は三つの大陸で働いたのだ」(「戦争はいかがわしい商売」(War is a Racket、1933年)。「この事件はどう考えても変だった」とカート・ジエントリーは書いている。「ファシズムに反対する発言で一躍有名になつたバトラーに、アメリカの総統になつてくれと頼むなどとは....」(「フーヴアー長官のファイル」)。にも拘らずジエントリーをはじめとする多くの歴史家がその話を受け入れ、高い報酬の宣伝係としての役割を果たした。この話がもっとも広まったのはジュールズ・アーチヤーの著書「ホワイトハウス掌握の策略」(The plot to Seize The  White House、1973年)によってだった。アーチヤーの他の作品から判断して、彼はイルミナチイの最高の宣伝者か、最大の走狗のどちらか(あるいはその両方)だ。彼の他のテーマには、トロッキー、毛沢東、周恩釆、ホー・チ・ミンといった「人民の擁護者」(イルミナチィの看板フロント役)が含まれている。また、フェミニズムや公民権、環境保護といったエリートの出資による社会運動に関する本も執筆している。
 フランクリン・Dルーズヴエルトとは何者だったのか

 フランクリン・D・ルーズヴエルトとは果たしてどんな人物だったのか。その答えについては、勇敢かつ正直で、高い見識のあるニューヨーク在住のエマニュエル・ジョセフソン博士の著書「ルーズヴエルトが20世紀をダメにした」によるところが大きい。フランクリン・D・ルーズヴエルトは二つのイルミナチイ一族、デラーノ家とルーズヴエルト家の子孫である。彼は12人の米国大統領と血縁関係にあり(ルーズヴエルト側に4人、デラーノ側に8人)、エリザベス女王と国王ジョージ6世の三親等の従兄弟に当たる。二つの一族はユダヤ系だが、オランダ、ドイツ、スウェーデン、そして主に英国の血筋も持っている。ルーズヴエルトの母方の祖父ウォーレン・デラーノはアヘン貿易で富を築き、父親のジェームズ・ルーズヴエルトは鉄道会社の副社長を務め、複数の会社の重役だった。ルーズヴエルトはいつも自分の気まぐれでルールを変えるような甘やかされた子供だった。個人の家庭教師をつけていた彼はロースクールには落ちたが何とか弁護士の資格を取った。しかし、彼が実質的な弁護士業務をしたことは一度もない。1920年代、いくつかの株式詐欺事件を手伝ったが、知事として、そして後には大統領として、ルーズヴエルトはきわめて影響されやすく、責任回避的で狡猾だった。彼の表向きの人物像を作り上げ、そのブレーンとなつたのはルイス・ハウだった。ハウはルーズヴエルトの「より賢明な『自我』」だったのである。

 ルーズヴエルトはかなり多数のスピーチライターを抱え、何度か失敗もした。1932年、民主党の指名受諾演説にあたって、彼は正反対の見解の二つの原稿を手渡され、その両方を読んでしまった。ルーズヴエルトが髄膜炎を起こすと、ロックフエラー家は彼にジョージア州ウォームスプリングズの療養施設を譲った。彼らはさらにルーズヴエルトの「財団」に寄付と称して何百万ドルもの金を注ぎ込んだ(ジョセフソン博士は財団が扶助患者を受け入れず、財務諸表も提出していないことを知った)。ジョセフソンの言葉を借りれば、「ルーズヴエルトの財団は自身の利益のための隠れ蓑だった。1930年末までには約70万ドルが財団の金庫に注ぎ込まれていた。ルーズヴエルトは、共和国の民主主義を破壊し、アメリカに君主制を樹立しようとする陰謀家たちの痛ましい隠れ蓑であった。その見返りとして、ルーズヴエルト政権の米国財務省はスタンダードオイルに利益をもたらすため、何億ドルもの金を費やしてサウジのイブン・サウド国王を買収し、サウジアラビアに石油インフラを建設した」。ジョセフソンによれば、ロックフエラー帝国の基本原則は「封建的君主政体」で、「国民生活、国家の存続、そして絶対的独裁制に必要なすべてを独占すること」である。そこでは富裕層による「分割支配」がなされ、「大衆は米国民としてではなく、互いに対立する少数派、例えば労働者対資本家、黒人対白人、カトリック対プロテスタント、キリスト教徒対ユダヤ教徒として扱われなければならない」。彼はさらに男性対女性、同性愛者対非同性愛者といった対立も加えることができただろう。
 ウォール街の見せかけの反対、世論誘導者の妙技

 大統領選への出馬を狙う裕福で堕落した近親交配者たちは、当然ながら公共の利益を擁護するふりをする。同じく当然ながら、彼らに出資する銀行家たちも不満と反対を装う。ルーズヴエルトは、トラストの構築を継続し、この国を彼らに引き渡す一方で「独禁法取締官」のふりをした従兄弟のセオドア・ルーズヴエルトから、その手の内を学んだ。1932年のルーズヴエルトの選挙運動には、米国の財界エリートのほか恐らく1年後には彼を打倒しょうとする同類の連中ハースト、ロックフエラー、モルガン、バルーク、デユボン、アスターが資金を提供した。1933年、「広報員」の一団は、ファシズムは米国内では極端に不人気になりつつあるので、ルーズヴエルトはナチスに反対することで点を稼げると助言した。「彼らはウイリアム・ランドルフ・ハーストと彼の刊行物が、もしルーズヴエルトに見せかけの戦いを仕掛け、同時にナチズムとファシズムを支持するふりをすれば、反ナチス、反ファシストたちをルーズヴエルト陣営に引き込むことになると提案した」。「世論誘導者の期待通りに、騙されやすい世間はハーストに激怒してルーズヴエルトの旗の下に参集したが、ルーズヴエルトが彼らに対して、ファシストと同じような独裁制を実施しょうとしている事実にはまったく気がつかなかった」。両者の対立は完全な見せかけだった。ハーストはルーズヴエルトの息子エリオットと彼の娘夫婦の雇い主だった! 同じく、軍需品を製造するデユボンヘの公の敵意も見せかけだった。エセル・デユボンはルーズヴエルトの息子と結婚したのである!「ルーズヴエルトを攻撃しその再選を阻止するという表面上の目的のために、アメリカ自由連盟が設立された。結局、これで平和主義者の票がルーズヴエルト陣営に流れる一因となり、彼の再選を助けたのだ」。「ファシスト・クーデター」もまた明らかに「広報貞」がでっち上げた策略だった。
 F D Rがレールを敷いたアメリカの独裁制

 カーティス・ドールは銀行家であり、フランクリン・D・ルーズヴエルトの義理の息子だった。彼はルーズヴエルトを指導者としてではなく、ほとんど実権のない「クォーターバック」として描いている。その「コーチ陣」は、国際銀行カルテルを代表する側近グループ(ルイス・ハウ、バーナード・バルーク、ハリー・ホプキンスのような「アドヴアイザー」)から構成されていた。ドールにとって、ルーズヴエルトは「世界政府金融資本勢力」に操られ、自惚れと個人的野心に突き動かされた売国奴にすぎなかった(ドール「操られたルーズベル大統領に戦争を仕掛けさせたのは誰か」)。1933年の「銀行家クーデター」は、大衆を欺くための金融エリートによるでっち上げだったようだ。ジョージ・W・ブッシュが登場するまで、フランクリン・D・ルーズヴエルトほど米国を独裁制に近づけた大統領はいなかった。
 知能指数184の工作員ヴィクター・ロスチャイルド

 1942年、英国の一流物理学者であるマーク・オリファントは衝撃を受けた。彼が開発した新型レーダーの部品とともに、M15(英国軍事諜報部第五部)の危機管理監察官ヴイクター・ロスチャイルドから「警備を強化せよ」との警告が届いたからだ。数日前、ロスチャイルドはバーミンガム大学のオリファント教授の研究室を訪れ、オリファントの研究について質問し、直径約8センチのマグネトロンをこっそりポケットに入れた。何という大胆不敵な男だろう! このロスチャイルド男爵こそソ連のスパイだった。マグネトロンを返す前に、彼はモスクワヘ詳しい図面を送っていた。これはKGBの監督官によって後に裏づけられた事実である。1994年、オリファント教授はこの話を「第五の男」(The Fifth Man、1994年)の著者で、オーストラリア人のローランド・ペリーに語った。このレポートは彼の著書に基づいている。

 1935年から1963年にかけて、ソ連はM15やM16(英国軍事諜報部第六部、海外担当)及び外務省で活動していたスパイ組織「ケンブリッジ・ファイヴ」から、英国の軍や科学研究についてのあらゆる情報を入手していた。西側の諜報機関は無力化され、原爆の設計図を含む連合国側の機密が盗まれた。このスパイ組織には、キム・フィルビー、ドナルド・マクリーン、ガイ・パージエス、そしてアンソニー・プラントがいた。しかし、「第五の男」が第3代ロスチャイルド男爵のナサニュル・マイヤー・ヴイクター・ロスチャイルド(1910~1990)で、イングランド銀行を支配する世界一富裕な名門金融一族の英国の首領だったなどとは容易には信じがたい。旧ソ連崩壊後の1993年、モスクワの6人の元KGB高官が、ロスチャイルドの正体についてローランド・ペリーに証言した。スパイ組織の監督官だったユーリ・モデイン大佐はその仕事ぶりについて話した。ペリーはこう書いている。「モデインによれば、ヴイクターは英国諜報部でのケンブリッジ団によるスパイ活動の中心人物だった。『ヴイクターには特別なコネがあった』とモデインは述べている。『彼はパージエスやプラントたちを、M16を監督する外務省のスチェアート・メンジーズやデイツク・ホワイト、ロバート・ヴアンシッタートといった牒報部の重要人物に紹介することができた』」。信じがたい気持ちは理解できる。しかし、ロスチャイルド家が世界の中央銀行体制における最大株主であることは間違いない。ヴイクター・ロスチャイルドが旧ソ連のスパイだったことは、ロンドンを拠点とするこれらの銀行家たちが、共産主義に通じる「世界政府」の独裁をもくろんでいることを裏づけるものだ。それは彼らがボルシエヴイキ革命の背後で糸を引き、その世界覇権を推し進めるために冷戦や9・11をでっち上げ、「対テロ戦争」を利用したという主張に信憑性をもたらす。どちらがよりもっともらしいだろう。世界の名門金融一族の一人であるヴイクター・ロスチャイルドが、自身の途方もない富と地位を奪うような共産主義の理想を信奉したのか。それとも、共産主義とは実は「経済的平等」や「友愛」の名の下に私たちの富と自由を奪うために計画された策略だったのか。
 大統領にも首相にも命令する「やり手の男」

 「第五の男」によれば、ヴイクター・ロスチャイルドの知能指数は184だった。彼は優れたジャズピアニストであると同時に、あらゆる科学的専門分野を直観的に理解する能力を持っていた。銀行業を退屈に感じていたヴイクターは、ベンジャミン・デイズレーリの小説「コニングスビー」(Coningsby、1844年)で、「シドニア」のモデルとなった祖父ライオネル・ロスチャイルド(1808~1879)の刺激的な生き方に惹かれていた。「国家のどの大臣であれ、シドニアほど秘密諜報員や政治スパイと通じていた者はいない。彼は世界から除け者にされた利口な連中とつながりを持っていた。ギリシア人やアルメニア人、ムーア人、隠れユダヤ人、タタール人、ジプシー、さまよえるポーランド人、そしてカルポナリ党といった彼の知人リストは、世間一般にはほとんど知られていないが、実は公の事件に大きな影響を及ぼしている秘密機関に興味の光を投げかけるだろう。世界の秘史は彼の気晴らしだった。彼の大きな喜びは、取引における隠された真意を表向きの口実と対比させることだった」(「コニングスビー」)。

 ヴイクター・ロスチャイルドはケンブリッジで動物学を学んでいた1963年、アンソニー・プラントをKGBの秘密要員に採用した。ヴイクターは後にM15に加わり、対妨害工作を任された。彼は軍に爆弾の見分け方や処理の仕方を指導した。ヴイクターはウインストン・チャーチルの個人的友人でもあった。ペリーは次のように書いている。「二人は戦時中もしばしば交流した。ヴイクターはその富や地位を利用して、首相を非公開のパーティヘ招いた。彼は戦時指導者に加わり、諜報機関のあらゆる機密や主要な兵器開発に近づき、英国の対妨害工作活動を指揮したことで、密かに有力者となった。その結果、スターリンはきわめて重要な情報をチャーチルと同じくらい知ることとなつた。ときには英国最高司令部よりも先に知るほどだった」。ヴイクターは、英国に支援を求めてきたソ連の敵を無力化することにも加担した。事実、彼は1944年7月、ポーランドの戦争指導者ウラデイスラフ・シコルスキーが航空機爆破によって暗殺された事件の隠蔽工作に関与している。シコルスキーは、KGBが、1940年にカティンの森などで1万6000人のポーランド人将校を虐殺した事実を知ると反ソに傾きスターリンの重荷になっていた。1944年、プラント、パージエス、そしてフィルビーの三人はヴイクター上ともにパリのロスチャイルド家の屋敷に滞在していた。ヴイクターはパリで一時的に連合国の諜報活動を任され、多くのドイツ兵捕虜を尋問している。戦後、ヴイクターは米国で原爆研究の監視に時間を費やした。「ケンブリッジ・ファイヴ」の力もあって、「ロシアは1945年から1963年にかけて自国に対する主な諜報活動のすべてを知っていた」とペリーは言っている。
 悪魔の陰謀に抗して自殺したマイヤー・アムシェル

 ヴイクター・ロスチャイルドはイルミナチイ最高評議会のメンバーだったとされるその真の役割を偽るために多くの仕事を持っていた。彼は下級スパイではなかった。恐らくチャーチルやルーズヴエルト、そしてスターリンといった人々に命令を下す立場にあったはずだ。例えば、彼はソ連が必ずイスラエルの建国を支持するようにした。「ヴイクターはモスクワの政策決定者と接触するための裏ルートを知っていた」と、元KGB大佐はペリーに語っている。「要するにヴイクターはやり手だった。トップに接触したらこっちのもの。彼には非常に説得力があった」。米国が思い知ったように、貨幣供給を支配する者は相応の説得力を持つというわけだ。世界の大富豪というのは、それ以外の人々に対するよりも互いに対する共通点の方が多い。彼らは人類の指導者や支援者としての本来の役割を放棄し、代わりに私たちを支配しようと企んでいるようだ。残念ながら、彼らがまだ手にしていないのは愛だけである。ロスチャイルドが死ぬまで守られていたという事実は、支配階級の陰謀を示唆している。グレッグ・ハレットによれば、スパイ仲間だったアンソニー・プラントはジョージ5世の非嫡出子で、ウインザー公エドワード8世の異母兄弟として彼にそっくりだった。1964年に事実が明らかになるまで、プラントはナイトの称号を持ち、女王の美術鑑定家を務めていた。プラントは自白と引き換えに刑事免責を受けた。多くの人々はこの陰謀が「ユダヤ人によるもの」だと思っている。シオニズムや新保守主義(ネオコン)、共産主義(いずれもその形式)がその重要な役割を果たしたことは確かだ。しかし、第4代ロスチャイルド男爵である現在のジエイコブ・ロスチャイルドは、ヴイクターの最初の妻で、改宗した非ユダヤ人のバーバラ・ハッチンソンとの間の子である。ユダヤの掟によれば、ジエイコブ・ロスチャイルドはユダヤ人ではない。彼はセリーナ・ダンと結婚した。また、ヴイクターのテレサ・メイヤーとの二度目の結婚による一人息子、マイヤー・アムシェルも非ユダヤ人で、彼は1996年に「自殺した」。おそらく悪魔の陰謀に反抗したのだろう。ヴイクター・ロスチャイルドは「社会主義の理想」を装ってみせたが明らかな裏切り者だった。反逆罪は現代政治のテンプレートである。中央銀行カルテルは両陣営にまたがって戦争を促すことで、密かにその「世界政府」独裁制を進めている。「神々の手にある人間は腕白どもの手にある虫だ、気まぐれゆえに殺されるのだ」(「リア王」、小田島雄志訳)。





(私論.私見)