馬野周二氏のネオシオニズム研究その2 |
(最新見直し2007.11.4日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
馬野周二(うまのしゅうじ)氏の履歴は「馬野周二博士の紹介」に記されている。それによると、「 独自の歴史分析による文明論、政治経済論の著書多数」とある。著書が「 2006.1.14日 れんだいこ拝 |
「★阿修羅♪ > 戦争b25」の「 『経済裏陰謀の常識/日本人は何も知らないのか』(青春出版社・1987年)より 「経済裏陰謀の常識―日本人は何も知らないのか」(プレイブックス 新書、987/ 8/1) |
走らし、政治を左右するという意味で。ナチスは戦争を起し、ヒトラーは600万人のユダヤ人を殺した。これが現に世界中で信じられている「話」である。だが読者の中に、この世界の通説に挑戦する人はいないだろうか。私の見るところ、それは真実を語っていない可能性がある。(中略) だいいたい600万人の人間を工場で殺して、死体を焼却し、残存物を有効利用するなどということが、物理的に可能であろうか。この人体の総重量は36万トンにもなるのだ。600万人という数にも疑問が多い。では、殺されたはずのユダヤ人たちはどこに消えたのか。当時ソ連は大変な人手不足だった。ともかく1000万人とも言われる兵隊と一般人が直接、間接に戦争で死亡し、それに幾倍する人員が戦争に直接関係する仕事に就いていた。それだから戦後の人手不足もまた甚だしかった。戦争が終ってのち、満州の日本兵がシベリアに抑留され、強制労働させられたのは、このソ連の人手不足のためである。主として旧ポーランド領の収容所にいたユダヤ人は、ソ連に連行され、そこで今日まで住んでいる。今ソ連でユダヤ人の大量出国問題が起っているのは、ここに原因がある、とする説もあることを紹介しておこう。人手不足はドイツでも同様だった。収容所に入れられたユダヤ人は、工場で働かされていたと考えられる。例の有名なウシュヴィッツでも、ユダヤ人達は近くのモノヴィッツの化学工場で働かされていた。 ここに『アウシュヴィッツの神話』という本がある。当時この収容所の近所にいたドイツ軍将校で、この収容所にも入って見たことのあるウィルヘルム・シュテークリッヒ博士(*)は、のちに20年間も西ドイツ法務官吏を務めた人だが、最近このユダヤ人虐殺問題を刑事事件の手法で調査し、これは架空のデッチ上げだと断定した。その経過を書いたのが、この本である。戦時中、彼がアウシュヴィッツを見た時、「私は秩序のとれた居住区と衛生的な設備、そして収容者が十分に栄養を与えられ(第二次大戦ではドイツに飢餓はなかった)、死の恐怖はもちろんのこと、特別にガックリしているとか、恐れを抱いているような風はなかった。その上、収容者に対する虐待とか、とくに大量殺人の徴候としての死体を焼く臭いなどを感じたことはなかった」と述べている。このアウシュヴィッツの経験から、彼はニュールンベルク裁判の戦犯証言を徹底的に調べて、前記の結論に達したという。私には彼の書いているところが正しいとも、正しくないとも判断はできないが、ただ最近、アメリカでもヨーロッパでも、歴史修正派が活動を強めていることを報告しておこう。戦後、戦勝国によって、彼らに都合のよいように作られた歴史を、正し像に修正しようとする動きである。第二次世界大戦に負けたドイツ、日本に関する多くの事実は、今日でも闇に押しこめられ、ディスインフォメーション(情報操作)が横行していることに注意しなければなるまい。 (馬野周二(著)『経済裏陰謀の常識/日本人は何も知らないのか』(青春出版社・1987年)55~57ページ) (*)西岡注:馬野氏は、この箇所で「シュテーグ博士」と書いておられますが、これは「シュテークリッヒ(Staeglich)の誤記です。上の文中では、西岡がこれを訂正し、シュテークリヒと書いて居ます。 |
(私論.私見)