孫崎享 新著<戦後史の正体>の紹介 (2)連載
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序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか
――日本の戦後史は、「米国からの圧力」を前提に考察しなければ、
その本質が見えてきません
この本はもともと、出版社のかたから、
「孫崎さん。日米関係を高校生でも読めるように書いてみませんか。とくに冷戦後の日米関係を書いてほしいのです」
と相談されてスタートしたものです。
「高校生でも読める本」という言葉は魅力的です。高校時代、多くの人は世界の古典をひもときます。高校生は人生の最高の機微にふれる本を手にします。
たとえば夏目漱石の『坊っちゃん』。私も大好きな小説です。痛快さのなかに、高度な文明批判もふくまれています。漱石が四〇歳のときに書いたこの小説を、高校生にすべて理解しろといってもおそらく無理でしょうが、多感な高校時代に最高の文学にふれ、人生の機微をかいま見る。これはその後の人生に、かならず大きな影響をあたえるはずです。
同じく社会科学の分野でも、高校生の人には最高傑作にふれておいてほしいと思います。
「じゃあ、なにかいい本を紹介してほしい」
といわれると少し迷いますが、たとえばキッシンジャーの『核兵器と外交政策』(日本外政学会、一九五八年)という本は、ぜひ図書館でさがして読んでほしいと思います。核兵器の出現によって、第二次大戦後の世界は大きく変わりました。
そのことを知るには最高の本です。ただ残念ながら、社会科学の本には専門用語がよく出てきます。もってまわった文章も多い。わかりにくければわかりにくいほど、高級な本だというような困った常識があるようです。
幸い、私は防衛大学校で二年生を相手に安全保障を七年間教えました。大学二年生ですから、ほとんど高校生と同じようなものです。おまけに防大生は訓練や運動で肉体的に疲労困憊しています。
私が防衛大学校で教えはじめた一日目、生徒の三分の一はみごとに眠りはじめました。安全保障について、外交の現場で得た最高の知識を伝えようと勢いこんでいた私は、あまりの事態に驚き、生徒たちに「残念だ」といって教室から飛びだしました。
職場放棄をしてしまったわけです。いま思うと、自分にも「坊ちゃん」的な性質があったのかもしれません。
それから七年間の防衛大学校時代は、生徒をどう眠らせないかの工夫の連続でした。ですから私は、ほかの人よりは「高校生でもわかる本」を書く訓練をしていると思います。
私が日米関係を真剣に学ぶきっかけとなったのは、イラク戦争です。
二〇〇三年三月二〇日、米軍はイラク攻撃を開始し、まもなくサダム・フセイン政権を崩壊させました。しかしイラク側の抵抗はその後もつづき、米軍は結局九年近く駐留をつづけることになります。
いまでこそ、イラク戦争は米国内できびしい評価をうけています(二〇一一年一月にCNNが行なった世論調査では、支持三三%、反対六六%)。しかし戦争開始当時の雰囲気はまったくちがっていました。国民のほとんど全員から圧倒的な支持をうけていたのです。
二〇〇三年一二月には、自衛隊がイラクに派遣されることになりました。このとき私が非常に問題だと思ったのは、この戦争が起こった理由です。
米国がイラク戦争をはじめた理由は、
!) イラクが大量破壊兵器を大量にもっている
!)
イラクは9・11米国同時多発テロを起こしたアルカイダと協力関係にある
!)
いま攻撃しないとサダム・フセインはいつ世界を攻撃してくるかわからない
というものでした。
私はその一五年ほど前の一九八六年から八九年にかけて、イラン・イラク戦争の最中にイラクに勤務しています。ですからサダム・フセインについてはかなりの知識をもっていました。二〇〇三年の段階で、イラクが大量破壊兵器を大量にもっていることなどない。アルカイダとの協力関係もない。それはイラクについて研究していた人間にはすぐにわかることです。
しかし日本政府は「イラクが大量破壊兵器を大量にもっている」「アルカイダと協力関係にある」といって、イラク戦争に自衛隊を派遣しようとしていました。
私は外務省時代、国際情報局長でしたし、駐イラン大使も経験しています。官僚や経済界のなかに多くの知りあいもいます。ですから、そうした人たちに対して何度も、
「米国のイラク攻撃の根拠は薄弱です。自衛隊のイラク派遣は絶対にやめたほうがいい」
と進言しました。
数カ月して、経済官庁出身の先輩から次のようにいわれました。
「孫崎、君の言い分を経済界の人たちに話してみたよ。みな、よくわかってくれた。でも彼らは『事情はそうだろうけど、日米関係は重要だ。少々無理な話でも、協力するのが日本のためだ』という。まあ、そういうことだ。説得はあきらめたほうがいい」
「少々無理な話でも、軍事面で協力するのが日本のためだ」
これは本当にそうなのだろうか。そうした疑問から、日米関係をしっかり勉強しなおそうと決めたのです。
勉強の成果は、それから六年後に講談社現代新書『日米同盟の正体』として形になりました。防衛大学校で教える過程で、私の歴史観、安全保障観は大きく進歩したと思います。
この本の中心的な主張は、二〇〇三年のイラク戦争は突然起こったものではなく、冷戦の崩壊までさかのぼらなければその本質が見えてこないというものです。
本が出たのは二〇〇九年三月でしたが、同じ年の八月には総選挙が行なわれ、民主党が政権の座につきました。私の『日米同盟の正体』が出たころはすでに、おそらく民主党が次の総選挙に勝って日米関係にもなんらかの変化が生じるのではないかと考えられていました。
それで、この本はかなりの反響をよび、平成二〇〇九年四月三日外務委員会で篠原孝議員が「『日米同盟の正体 迷走する安全保障』には立派なことが書いてある。大臣、読まれましたでしょうか。
民主党のネクストキャビネットの大臣はもう読破されておられるんですが、本物の大臣はお読みになりましたでしょうか」という質問がされるほどでした。
本書の編集者もこの本を読んで、同じ内容を「高校生でもわかるように、やさしくていねいに書けないか」と依頼されてきたのです。
すでに一般向けに同じテーマで出版している私にとって、この依頼を実行するのは、そうむずかしいことではありません。しかし、私にはもう少し野心的な気もちがありました。もし、「高校生でもわかる本」を書くなら、冷戦後ではなく、第二次大戦の終了から今日までの日米関係全体を書いてみたいという気もちがあったのです。
戦後の日本外交は、米国に対する「追随」路線と「自主」路線の戦いでした
「はじめに」のなかで書いたとおり、日米の外交におけるもっとも重要な課題は、つねに存在する米国からの圧力(これは想像以上に強力なものです)に対して、「自主」路線と「対米追随」路線のあいだでどのような選択をするかということです。そしてそれは終戦以来、ずっとつづいてきたテーマなのです。
私が外務省にいたときも、「自主」と「対米追随」をめぐる問題に、しばしば直面しました。なかでも最大の問題は、イランの油田開発に関するものでした。
私は一九九九年から二〇〇二年まで、駐イラン大使をつとめました。日本の大使はみな多かれ少なかれそうなのですが、とくにイラン大使の場合、もっとも頭を使ったのは米国との関係です。つまり日本がみずからの国益から判断して選択した対イラン政策と、米国の対イラン政策を、どう調和させていくかということです。
国内に資源のない日本は、エネルギーを海外に依存しています。ですから産油国のイランと緊密な関係を確立したいというのは当然の願いです。そうした流れのなかで、イランのハタミ大統領を日本に招待するという計画がもちあがりました。
招待を決めたのは当時の高村外務大臣です。私の役目は駐イラン大使として、その実現に向けてイラン側と折衝することでした。
しかしその後、発案者の高村大臣が内閣改造で外務省を去ります。ここで外務省内の風向きが変わりました。米国からの圧力によって、日本はハタミ大統領を招待するような親イラン政策をとるべきではないという空気がしだいに強くなっていったのです。
けれども私も官僚として長年仕事をしてきましたので、物事を動かすためのそれなりのノウハウをもっています。それらを総動員し、なんとかハタミ大統領の訪日にこぎつけました。このときハタミ大統領訪日の一環として、日本はイランのアザデガン油田の開発権を得ることになったのです。
この油田の推定埋蔵量は、二六〇億バレルという世界最大規模を誇ります。非常に大きな経済上、外交上の成果でした。
しかし、イランと敵対的な関係にあった米国は、
「日本がイランと関係を緊密にするのはけしからん、アザデガン油田の開発に協力するのはやめるべきだ」
と、さらに圧力をかけてきました。日本側もなんとか圧力をかわそうと努力しましたが、結局最後は開発権を放棄することになりました。
もし、日本がみずからの国益を中心に考えたとき、アザデガン油田の開発権を放棄するなどという選択は絶対にありえません。エネルギー政策上、のどから手が出るほどほしいものだからです。
しかし米国からの圧力は強く、結局日本はこの貴重な権益を放棄させられてしまったのです。その後、日本が放棄したアザデガン油田の開発権は中国が手に入れました。
私がかつてイランのラフサンジャニ元大統領と話をしたとき、彼が、
「米国は馬鹿だ。日本に圧力をかければ、漁夫の利を得るのは中国とロシアだ。米国と敵対する中国とロシアの立場を強くし、逆に同盟国である日本の立場を弱めてどうするのだ」
といっていたことがありますが、まさにその予言どおりの展開です。アザデガン油田の開発権という外交上の成功は、結局、米国の圧力の前に屈したのです。
「なぜ日本はこうも米国の圧力に弱いのだろう」
この問いは、私の外務省時代を通じて、つねにつきまとった疑問でもありました。
米国からの圧力や裏工作は、現実に存在します。
続く
「蘇れ美しい日本」 第1200号