林英彦氏のユダ屋研究

 (最新見直し2015.10.6日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、林英彦氏を確認しておく。

 2015.10.6日 れんだいこ拝


林 秀彦(はやし ひでひこ)】
 「ウィキペディア林秀彦」。

 日本の脚本家。1934年9月26日 - 2010年11月19日。1934年、東京府に生まれる。父は随筆家の林謙一。学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧する途中、イエメンで悪漢の集団に拉致され、砂漠で殺されそうになったが「俺は空手の達人だ。俺を殺すならお前らのうちの一人を殺してやる」とブラフをかけて解放され、危うく一命を取り留めた体験談を、伊丹十三が『小説より奇なり』の中で文章化している。ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。1988年から2005年までオーストラリアに移住、帰国後は大分県九重町に暮らしていた。また、祖母にドラマ「おはなはん」のモデルとなった林はながいる。

 2010年11月19日午後1時8分、、肺炎の為に福岡県久留米市の病院にて死去(享年76歳)。 葬儀は親族のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男魏堂(ぎどう)氏。

 主な作品 
  • 著書『失われた日本語、失われた日本』(2002年、草思社)
  • 著書『悲しいときの勇気-日本人のための幸福論』(2003年、明成社)
  • 著書『日本人はこうして奴隷になった』(2008年、成甲書房)
  • 著書『日本の軍歌は芸術作品である。』(2008年、PHP研究所)
  • 著書『911・考えない・日本人』(2008年、成甲書房)
  • 著書『おテレビ様と日本人』(2009年、成甲書房)
  • 著書『憎国心のすすめ』(2009年、成甲書房)
  • 林秀彦 『おテレビ様と日本人』 成甲書房、2009年
  • 林秀彦作品一覧(紀伊國屋書店BookWeb)
 2010-11-22 22:13:01「 作家・林秀彦(はやし・ひでひこ)氏、ご逝去を知り、遺された作品に感銘したひとりとして、ご冥福を・・。

 「[HOME]」の「この国の終わり日本民族 怪死の謎を解く 」(林 秀彦・著  成甲書房  2006年9月刊)。帯文「18年ぶりの日本、我が祖国は誰の餌食になるのか?血涙と共に送る、日本人への最後の警告、この命、最後の本。」。
 日本人なぶり殺しの条件は整った

  この章では、考えることのできない日本民族の明日の運命が問題だ。 その運命は‥‥、喩えれば、10メートル先の線路は切断されていて、目前の千尋の谷に渡した鉄橋は影形もなくなっているのに、時速5百キロほどの速度で突っ走る無人列車に乗っているような状態が日本民族の現実なのである。 しかもそれは自然とそうなっているのではなく、完全に「彼ら」によって仕組まれている。 それに気づき、かつ確認する方法は2つしかない。 ひとつは私がここで紹介する何冊もの本を読み、その内容をまず最初に疑った後で、自分の努力で検討し、真偽を探り、試行錯誤を繰り返しながら深刻に悩み、時には身の危険を冒した個人的なリサーチを試み、また世界各地を自分の足で回り、最低1、2年の期間その場所に滞在し、実地に自らの経験を積み、見聞を広め、再び文献を洗い直して真贋を探るといった努力をすることである。  だが、これはほとんど、というより確実に不可能だろう。 もっとも、もしあなたがまだ若く、かつて私がしたように、十代のうちから海外に渡り、無謀に近い放浪を試みるなら、必ずしもありえないことではない。 問題は、私の時代と違って、それだけの時間的余裕がまだ残っているかどうかであり、それに関して私は百パーセント悲観的である。日本滅亡の必然を学び取り、納得したときに、もうこの国はない。

  もうひとつの、より安易だが、さりとてしないよりはずっとましな方法は、この私の文章を最後まで読み、内容を信じ、私と一緒に立ち上がり、行動することだ。 しかし(そうするとしても)、最初からもう一度はっきり断っておこう。 まず九分九厘すべては手遅れである――と。 この国は終わるのだ。 仮に私たちがその無人暴走列車に乗っていることを確認できたからといって、それを止める方法は何ひとつないのだから。何しろブレーキが「彼ら」によって破壊されているのだから。これは一種の完全犯罪なのだ。 となれば、またしても奇跡が必要である。 昭和では吹かなかった神風が、平成で吹くだろうか?  私たちは新しい『立正安国論』が生まれるのを祈るしかない。日蓮の若い生まれ変わりが現れる奇跡を待つしかない。しかもその新しい日蓮は、本物の百倍の力がなくてはなるまい。 なぜホンモノでは間に合わないのか。 簡単に言う。時代が違うのだ。 彼が『立正安国論』を書いた時代と現在は、空恐ろしいほどの類似点がある。彼の嘆きと救国の論は、いま読み返しても教えられることが多い。彼の偉大さは今後も時代ごとに再認識されるものであり、色褪せることは永遠にないだろう。 しかしそれでも――、時代が違う。21世紀の安国の実用にはならない。 たとえば、確かに天変地異は当時もいまも世界中で起こっているようにも見えるが、それはかつてのような神罰ではない。そのほとんどはハイテクを使った人為的な災害だ。天罰ならば何とか太刀打ちできた日本の宗教家も、原爆をはじめとした意図的、人為的、綿密な陰謀的、シオンの議定書的な体系化された人災、強大な財源を駆使し、世界最高の頭脳を組み入れたイルミナティの確信犯的犯罪などに対しては、もはや、いかんともしがたいのである。

  いまは、エスタブリッシュと呼ばれる一部のグローバル・エリート人間が、神に代わり、何でもできる。 できないことは何もない。 海底地震や巨大津波を起こすことも、異常気象と異常潮流を起こすことも、エイズを蔓延させることも、やろうと思えば地軸を操作することさえできる。世界中の人間に不安と恐怖を浸透させるための先端技術はすでに完璧に整っている。最終的な「とどめの一撃」は、いつでも実行可能な状態にある。 いまはネズミをなぶり殺しすることに無上の喜びを味わう猫のように、ごろごろと喉を鳴らしながら「破局の小出し」を楽しんでいるのが彼らである。 小は電磁波を使って日本人の脳を狂わせたり、癌を増殖させたりすることから、大は富士山を噴火させたり、日銀を破産させたりすることなどは、その気にさえなれば今日でも実行可能な、いともたやすいことなのだ。 ロスチャイルドやロックフェラーといった世界の超・大財閥から流れる彼らの資金は潤沢・膨大にある。見返りはそれ以上に膨大なのだから、彼らの出資を躊躇させるものは何もない。 後は世界の他の部分の征服との兼ね合い、つまり一極支配へのスケジュール的なタイミングに過ぎない。即ち彼らの言う「アジェンダ(実行予定順位)」だ。

 日本の余命はあと僅かである

  どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。彼らの悪辣さの度合いは、日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し、信じることをやめる。 福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、さもなくば殺す、と言っているのだ」という看破である。 その性温厚にして軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言ではない。

  そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、いま少し足りなかっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかったためでもある。彼らはそれらが出そろうまで、辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりをしながら、それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしをしてきたのである。 そしていますべてを手中にし、すべての条件が整ったというわけだ。 福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を使って解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」ということなのだ。商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。 さらに、究極の奴隷化とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのことである。 いまこそ彼らは堂々と宣言する。 「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」。 それが最後の「お触れ」なのだ。

 西暦2012年、日本の惨状

  テレビこそ、その最も安上がりで効果的な彼らの武器だ。 どんな小さくて安いものでも、よくよく考えれば不必要な品物をテレビのCMを見た潜在意識で買ってしまえば、すでにあなたは完全にマインドコントロールの被害者になっている。「これは便利だ」「これはいい」「へえ、そんなこともできるの」と思った瞬間、マインドコントロールはあなたの脳を侵している。 完全に誤っているか、あるいは一定の方向に誘導しているニュースを、それとも知らずに、笑うにしろシカメ面をするにしろ、反応を起こした瞬間も同様だし、ヨンサマのファンになった瞬間も同様だし、完全にイルミナティの資本下にあるメジャーな出版物(新聞、週刊誌など)を読んでイラクやイスラエルやイランを理解したと思った瞬間も同じである。 小泉首相を大根役者化し、三文文士の売文的発言をさせ、ミーハー日本人の総白痴化現象に乗じて郵政民営化を実現させることなど、タヴィストック(=タヴィストック洗脳研究所)の最も得意とする幼稚園並みの技術である。無論彼(=小泉)がイルミナティの傀儡であることは、親分のブッシュがそうであるのと同様、明々白々の事実である。 日本は誰が首相になろうとも、イルミナティの傀儡になる以外に生存の可能性がゼロなのだ。 「日本に国家主権が影も形もなくなっているということが、われわれの日常と将来にどんな影を落とすのか」という質問を、高校生にしてみたまえ。キョトンとした顔で、一言も言葉が出てこないことに、私は太鼓判を押す。 マス・大衆全般をターゲットにし、マインドコントロールのテクニックがどれほど多岐にわたり巧妙であるか、その細部はともかく、「そういうものがこの世に厳然としてあるんだ。しかもその力はいまや神々をも越えるほどに強力なんだ」ということを信じてほしい。 自分は完全に洗脳され尽くしていると自覚することを、今日から新生活の第一歩としてほしい。その上で、日本の近未来の姿を、あなたの持っている限りの想像力で描いてみてほしい。

  たとえば、次のような風景である。 ――主権を完全に失い、経済や土地をはじめあらゆる面でガイジンに簒奪(さんだつ)され、ほとんど毎日定期的に百人単位の日本人が北朝鮮に拉致され、靖国神社は焼き払われ、その跡の敷地には、ユダヤ資本の五芒の星の旗がはためく高層建築が建ち(前述したように、すでに東京のど真ん中にユダヤ系大保険金融会社のビルがそびえ立っている)、皇居はブッシュをはじめブレアやロックフェラーやロスチャイルドの共同別荘になり、北海道はロシア、九州は中国と、完全に分断され、その頃になれば完全に化けの皮を自ら投げ捨てた小泉は彼らの代理人として政権に復帰、ポル・ポト(ジュン・ポト)傀儡政府で一層の権力を振るい、倭民族根絶やしジェノサイド(集団殺戮)を本州各地で起こしている――といったところだ。

  以上が2012年の日本の姿である。 いや、たぶん、もっと悲惨なものになるだろう。 洗脳は、洗脳されたと本人が気づけば対処のしようもある。だがマインドコントロールは、それ自体が自己認識を拒絶する仕組みになっている。自分が記憶を失ったという記憶すら失っている。マインドコントロールのマインドコントロールたるところは、マインドコントロールされていることを否定するマインドコントロールなのだ。

 「家畜人間」破壊方法は、国によって異なる

  2006年の現在、われわれ人類を包み込んでいる難問と危機は、日本と日本人に限られた現象ではない。 アメリカ人を含めた「家畜人間」たちは、それぞれの民族特質別の実験材料にされている。たとえば実際の医学実験で、内容によって、これはモルモット、これは猿、これはウサギといったような実験材料としての動物分類が、人間にも当てはめられているわけだ。この実験にはドイツ人を使うのが適当、これは中国人が最適、これは日本人でやってみよう――というように、世界中の人間に、実験材料としての役割分担が与えられている。 つまり各国民の歴史と文化の違いによって、破壊工作の方法も違うわけだ。 共通する要素は、全員マインドコントロールの下にあるという点である。 無論その巨大に組織化された優秀無比な陰謀の目的も、各実験の共通項だ。 すなわちニュー・ワールド・オーダーとか、一極支配とか、グローバリゼーションとか、そのほかさまざまな呼称は与えられているものの、要は全人類一括統制のファシズム、究極のファシズムである。 確かにどの民族であろうと、その核となっている性質までを完全に抹殺できないかもしれない。先述の議定書(=シオンの議定書)を読めばわかるように、奴らもそれを望んでいるわけではなく、家畜並みの日本人なら、日本人のままでも一向に痛痒を感じない。それは単に鼻の高い豚と低い豚の違いだけなのだから。

  天才画家・山下清はすべての順位を「兵隊の位」によって区別したが、イルミナティのトップ数人が大元帥ならば、以下二等新兵にいたるまで等級はその民族の核の詳細分析によってすでに定められている。 やはりいつまでたっても皮膚の白い豚は黄色い豚より豚小屋の広さが違うことになるのだろう。だがどの豚小屋にも、その民族から選ばれる牢名主的「番長豚」がいることになる。奴らの命令を現場で仕切る役で、いまなら日本の番長豚は小泉(=前首相)だ。
  これはアウシュビッツの番長たちが同じユダヤ人だったのと同じシステムである。
  いままでで、最も奴らに忠実だった日本製番長豚が、中曽根(=元首相)であったことは間違いあるまい。後はその亜流である。 中曽根は、訪日したイルミナティの使い走り・レーガンと一緒にチャンチャンコなどを着て、ホラ貝を吹きながら、国体を奴らに売り渡した売国奴の横綱豚だった。 この人選(豚選)は奴らの膨大な数にのぼる各陰謀機関、調査機関において周到に行なわれ、豚同士間における等級も決められる。 たとえばジョージ・W・ブッシュがアメリカ製上等兵豚の位なら、日本の首相は誰であろうと、さしずめその上等兵殿のパンツを洗う洗濯雑役豚どまり。決してそれ以上には昇進させてもらえず、兵隊にもさせてもらえまい。現在の国連の中の理事国差別と同じである。 だが日本人を民族全体として見たとき、その歴史と文化の特殊性によって、イルミナティ元帥にとっては実に貴重な実験材料であり、そのレベルに関してのみは、ミミズよりもうちょっと金のかかる猿に近い。 特に人間の「愚かさ」という研究テーマにとって、これほど打ってつけの実験材料は、世界広しといえど、日本人が最高である。 ずいぶん小さな頃、「人間と猿の違いは、猿の方が頭の毛が3本足りないからで、だから猿の方がバカなんだ」という説を聞いて、なるほどと納得した。 しかしどう見ても猿の方が毛が多い。きっと猿は歳をとっても禿げない分を勘定しているのだろう。いずれにせよ、日本人は以下の点ではかろうじて猿より3本毛が多いようだ。 即ち、モノマネ技術、集団行動のパターン化、ボスへの従属卑屈性、頭隠して尻隠さずの短所、付和雷同の軽率さ、いぎたないものの食べ方、弱いもの虐めの天性、他者無視の破廉恥性、札ビラへの執着、などの特徴である。 となれば、「人間の愚かさによるマス・マインドコントロールの基本技術」といった分野で日本人がどれほど実験材料として役立つか計り知れまい。 彼らはまず日本人のノーテンキ性を研究材料にして基礎反応を実験し、その結果データーに各民族への多少の修正を加え、洗脳の実践をすればいい。この研究の暗号名は『スリー・ヘヤーズ(三本の毛)』。

  現実は、われわれ日本人が自分たちを猿より3本毛が多いとうぬぼれていても、奴らにとっては猿以下である。その実態は会田雄次氏の『アーロン収容所』を読めばわかるし、人生の半分の時間を使った私自身の海外生活で、いやというほど実感している。 そんなジャップに対して、奴らはいままでも実験内容に適した時期に、小出しにわれわれを解剖台に乗せ、実験を繰り返してきた。そこが奴らのウルトラ・長期陰謀のすごさである。
  たとえば、
 ―― 日本民族同士を敵対させる革命に駆り立てたとき、フランス革命などの他民族と 比較し、どのような行動の違いが生まれるか?(明治維新の革命の特殊性)
 ―― 対外・近代戦争をまったく経験していない民族が、同じ「ゲルプ・ゲファール(黄禍)」同士で戦わすと、どんな反応と結果を生み出すか?(日清戦争)
 ―― その相手がコーカソイドの場合はどうか?(日露戦争)
 ―― ジャップはどの程度忍耐強いか。あるいはどれほどガイジンの本性に無知か?(ハル・ノート、最後通牒に至るまでの日米交渉)
 ―― 大量殺戮近代兵器の使用実験対象として最適(原爆投下)
 ―― 最終的マインドコントロール・全民族白痴化実験(戦後のすべて)

  といったところだろう。
  無論プロジェクト暗号名は私の分裂症的デタラメだが、本物の暗号名が存在していることは間違いない。特にこの世界にも珍しい特殊民族、純真無垢、万世一系のジャップ国家の解体、崩壊、消滅プロジェクトほど、彼らにとって実験しがいのある材料はほかにあるまい。

 「★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★」。
  18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だったのです。なぜ日本国民はこのように落ちぶれてしまったのか――それはこの世界を一極支配しようとしているある巨大な勢力によって、意図的に仕掛けられた陰謀の結果なのだ‥‥と林氏は鋭く分析しています。次の文章がその結論部分です。
  「神と悪魔の混合体の白人は、いまや最後の足掻きのように、われわれ黄色人種の日本人の息の根を止める総仕上げにかかっている」。

  ナイーブでノーテンキな今日の日本人には、そのハイエナのような白人の舌なめずりは見えないのです。まるで目の前のエサに群がる豚のように、毎日をただ楽しく生きることしか考えることができなくなっているということです。日本人をそのように導いてきたマインドコントロールの力についても、著者は警鐘を鳴らしています。しかし、もう手遅れだと‥‥。 この本は私が『2012年の黙示録』の中でふれている「サタンのシナリオ」について書かれたものということができます。著者は「神のシナリオ」には気づいていないようです。もし、これからの世界がこの本に書かれているように「サタンのシナリオ」だけで進むならば、私たちには夢も希望もありません。人類は一握りの支配者の奴隷となって、家畜のようにコントロールされながら生かされる生き物に成り下がるしかないのです。 おそらく、終末の大峠までは、2つのシナリオは全く同じ内容で展開していくと思われます。しかし、最後の最後では2つに分かれるのです。その時どちらのシナリオを選択するかは、これからの私たちの生き方によって左右されます。つまり、日本や世界が直面している今日の事態をどう受け止めるかによって分けられるということです。恐怖におののき、とにかく自分や自分の仲間だけは助かりたいという見苦しい本性をあらわにするか、それとも、すべての現象を次元上昇のための禊ぎと受け止め、冷静に対処できるか――そこが運命の分かれ道になるでしょう。 いずれにせよ、いまこの世界は、ある勢力の手による「サタンのシナリオ」によって意図的に動かされていて、いよいよそのシナリオの重要な一幕として、日本人の息の根を止めるための総仕上げの段階に入っている、という事実は知っておく必要があります。そして、そのことに対する心の準備をしておくことが大切でしょう。 この本の著者のように18年間も海外で生活しなくても、もし私たちがマインドコントロールの罠にはまっていなければ、今日の日本人と日本社会の異常性には十分気づくことができるはずです。この現実をしっかり受け止めることによって、私たちは「豚」になることから脱出することができるのです。(なわ・ふみひと)

 武道JAPAN管理人ブログ」の2009年06月07日付けブログ「日本人はこうして奴隷になった 林秀彦
 「日本人に生まれたことは、呪われたのと同じことだ」(P.330)。「次に私が一見詩のような短い文節の文章でこの本を締めくくるのは、決して詩作を試みたのではなく、君たちを信じずバカにしている現われだと知っていただきたい」(P.335~336)。「人類が滅びつつあるとき、日本民族がいかにすばらしかったか、われわれしか人類を救えなかったのだ」(P.343)。「人間を信じる以外に人間に道はない。当たり前の話だ」(P.345)。

 「 『日本を捨てて、日本を知った』林秀彦」(1999/06)。
 林秀彦さんは、2年前に亡くなられましたが、テレビや映画の脚本家として活躍された後、オーストラリアに移住されていた方です。このブログで紹介するのは「憎国心のすすめ」に次ぎ、2冊目です。日本の嫌な面に絶望して移住したオーストラリアでも、アングロ・サクソン民族の嫌な面に絶望するという、その複雑な気持ちが本書によく表れています。この本は、日本と海外の比較文明論の最高のテキストです。その一部を要約して、紹介させていただきます。

・世界の民族が一つに同化することなどない。人種差、民族差、国家差の根本が、露骨な敵対によって浮き彫りにされていくのは、人類永遠の普遍定理であり、決して変わり得ない。日本人は「敵としてのガイジン」を深く知り、それによって自分自身を知るべき。

・日本で使われる「国際」という言葉は、すべて詐欺。内容がまったく把握されていないという意味でペテン。国際関係とは、敵対関係のこと。そのあたりから認識を改めていかない限り、この国と国民に未来はまったくない

・口先だけで、民主主義と平和、人権と権利と平等をうたいつつ、最も攻撃的で、排他的で、侵略的な民族こそアングロ・サクソン。どんな非道なことを自分たちがしても、「悪いのは相手」がアングロ・サクソンの思考法。

・白人の正体は幼児性にある。幼児的ということは、自分勝手ということ。他者に対する思いやり、寛容の精神など持ち合わさず、自利だけをひたすら追求する。それが「子供っぽい」という言葉の意味であり、「しつけられていない」ということ。

・よその国の悪口を、のべつまくなしに、言い立てるという感覚は日本人にはない。アングロ・サクソンや中国人朝鮮半島人にはある。ここオーストラリアでも、テレビで、ラジオで、雑誌で、新聞で、単行本で、日本の悪口を言い続けている。

・戦争中、日本が犯した歴史的な罪を、しつこく、たゆみなく、執念深く暴き続けるのは、アングロ・サクソンや中国人、朝鮮半島人にとって、それが「ビジネス」だから。

海外に派遣された新聞社の特派員にロクな人物はいない。彼らは、国賊的なナマケモノ。自分が日本人だと深く考えたこともない連中。だが、政府関係はもっとひどい。こういう人の実体は、そこで働いているドライバーやコックさんが、その真実の姿をよく見ている

・武器として、一番機能的に優れた形で発達したのが英語。情緒性に乏しい英語は、金と物質を最大に評価するに適している。日本語は、情緒性を極端にまで高めた言語。

・その国の国民性を知るには、その国で最もポピュラーな賭博を知ればいい。中国人の本質を知るには麻雀、イギリス人はブリッジ、アメリカ人はポーカー。いま世界は、アメリカ人のポーカー精神によって、政治もビジネスも支配されている。

・ポーカー必勝のための4つの能力とは、「1.徹底的なセコさ(観察力含む)」「2.長期的な戦略(洞察ハッタリ含む)」「3.マインドコントロール能力(威圧感を植えこむ演技力と手の込んだ下地づくり)」「4.資金力」。

・1万年以上の間、日本人は隔離された小さな島国の中でヌクヌクと暮らしてきた。比較する対象が少なかったし、侵略者としての他者がいなかったため、何かと何かを比較する必要がなかった。憎しみの概念は、比較思考以外からは生まれてこない。

・日本を除く世界中の国家は、国民に他民族への憎悪を忘れさせないため、常々細心のマインドコントロールを怠らない。それが愛国心の正体。愛国心のない国益などあり得ない。

・憎しみと比較しない愛などない。キリスト教の説く愛が、憎しみを前提としていることについて、われわれはあまりにも鈍感。

・外人の発言は、どんなちっぽけな内容でも「自説の開陳」。自説とは、自分の存在の主張であり、存在の主張とは、「自利」である。文句を言い、対立を弱め、妥協を求め、自己を主張し、立場を明快にし、それによって自利を得ようとするために会話が生まれた。

・日本で俗にブレーンと呼ばれるのは、政、官、財の大物の陰にいて、知恵をつける小人。これは、ブレーンではなく、知的幇間であると考えるのが正しい。

・知的幇間の言説は、旦那の意に応じ、お座敷の空気に応じて、自由自在に形成される。幇間が自らをブレーンと思い込み、その影響力を過大に自負するのは、はなはだ滑稽

・日本と日本人は、坂口安吾が勧めたとおり、堕ちるところまで堕ちている。いっそう欺瞞だらけになっている。安吾が夢見た個の確立は、ただ私利私欲の堕落だけ確立された。





(私論.私見)