2015. 1. 1日、たすけあい党新年声明

 (最新見直し2015.01.01日)

 れんだいこのカンテラ時評№1245  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年 1月 1日
 2015たすけあい党新年声明

 2015年、明けましておめでとうございます。これまでの党声明を受け(「2007声明 」、「2008声明 」、「2009声明 」、「2010声明」、「2011声明 」、「2012声明 」、「2013声明」、「2014声明」)、恒例の「たすけあい党新年声明」をお届けいたします。これまでのところたすけあい党は全くのネット政党でしかなく、しかも宣伝戦に努めていないためもあって特段の党的発展を得ておりませんが、もうそろそろ時代のギヤと噛み合う頃だと思います。よしんば我が党の発展は予想よりは遅くとも、我が党が指針せしめた俯瞰図が時代をリードして行くことはこれまでもそうであるしこれからもそうであることに変わりはありません。

 「2015声明」は歴史眼を養うことの呼びかけから始めたいと思います。今、これが異常に曇ったものにされているからです。その代わりにくだらない「見聞きして為にならないもの」に時間を費消させられている気がしております。歴史眼養成の代替として「見聞きして為にならないもの」が流布されているように思います。この風潮に騙されることなく銘々が歴史眼養成に向かわねばなりません。このことを一言しておきます。

 さて、「歴史眼を養う」の「歴史」とはどのようなものを云うのでせうか。これを理解するのに為になると思われる語源話しをしておきます。ここでは西欧的な語源を確認しておきます。「歴史」の英文スペルは「history」、仏文スペルは「histoire」です。語源的にはギリシャ語・ラテン語の「historia」から来ているとのことです。「調査、探究によって学んだり知ったりすること。あるいはその積み重ねによって得られた知識、情報、知恵」を意味しています。古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスが古代エジプト見聞録に「ヒストリア」と命名し、その書物が高い評価を得て以来、「ヒストリア」が今日的な意味での「歴史」を意味するようになったとのことです。この語源史が「歴史」の意味を示しているように思います。

 「history」に纏わるもう一つの有益な話しを確認しておきます。「history」は「his」と「story」に分解できます。これは、元の言語として「story」があり、これに「his」が加わって「history」が生まれたことを示しています。「story」は「物語」と訳されております。「his」を「彼の」と訳せば「history」は「彼の物語」と云うことになります。「his」を「神の」と訳す向きもあるようで、この場合は「神の物語」と云うことになります。おそらく「his」には「彼の」と「神の」の両方の意味があるように思われます。そういう「物語」を綴り纏めたものが「歴史」なのではないでせうか。

 何が言いたいのか。そういう語源を持ち大事に育まれて来た「歴史」が最近やけに粗略に扱われているのではないのか、もっと大事にせねばならないのではないのかと云うことが云いたい訳です。世界全体がどうなのかは分かりませんが、最近の日本で特に歴史が疎かにされている気がしてなりません。過去の歴史を疎かにすると云うことは現在を疎かにすると云うことであり、当然ながら未来を損なうことになります。そうであってはならない為に「歴史」を大事にしたいと思います。

 さて、本論です。日本の今、何が問題なのか。問題なところを列挙すればキリがありません。これを一言で評する「解」を見つけました。それが「歴史眼オンチ病」です。現下の日本は「歴史眼オンチ病」に罹っているのではないでせうか。正確にはオンチと云うより脳死状態と見なすべきかもしれません。。なぜそういうことが云えるのか。それは政治、経済、文化、精神のあらゆる指標が狂っており、否、狂い過ぎており、それにも拘らずブレーキをかけようとせず、同じレール上を突き進んでおり、これに異議を唱える者がいたとしても押さえ込まれており、全体として滅びの道へひたすらに歩を進めているからです。

 これを具体的に述べると原発問題が典型でせう。2011.3.11日の福島原発事故から今年で5年目に入ろうとしておりますが、事故処理が終了する方向に進むどころかますます混迷しつつあります。安倍首相が世界に公言した「アンダーコントロール」の嘘責任が問われる日が近いうちに必ずやって参ります。被災民対応もお粗末な限りです。海の者を山に連れて行き、海辺なのに海が見えないようにする防波堤を高く築くことに尽力しておりますが、これら全てが無駄な逆努力でせう。最近、立ち退き被災民が安全でないのに安全と偽られ帰還督促されております。これの責任を問われる日が近いうちに必ずやって参ります。食の安全、環境汚染問題まで含めると日本列島全体が生体実験下に置かれております。そうであると云うのに自公民政治は原発再稼動、原発輸出に精出しております。これの責任が問われる日が近いうちに必ずやって参ります。

 我が党はもはや猶予ならない事態であるとして本年度より、原発問題を原発事変と捉えるよう訴えます。今や戦前の支那事変の如くに原発問題が「ぬかるみ」に入り込んでおり、抜き差しならないところで立ち往生していることを確認する必要があります。自公民政治は、この「ぬかるみ」にますます入り込もうと誘導しております。戦前の支那事変もそうでした。国際ユダ屋に操られるままに好戦的な日本帝国主義の道へ誘導され、支那事変、大東亜戦争へと進んだ挙句に悲惨な敗戦を余儀なくされ、まかり間違えば日本の国も民族も失うと云う瀕死の重態下に置かれました。

 今また同じ「ぬかるみ」に引きずり込まれていると云う歴史眼を持たねばなりません。願うらくは、この道は偶然事象ではなく、戦前同様に国際ユダ屋勢力によって仕掛けられていると疑惑することが必要です。日本は今、戦後世界を席巻支配する国際ユダ屋にひざまずく売国奴によって戦前の二の舞三の舞を演じるよう誘導されております。この連中が政官財学報司警軍の八者機関の上層部に屯(たむろ)して悪事を策しています。この連中は一体、日本をどのように料理しようとしているのか。こう問題を設定し、その解を見出し、そのシナリオを見抜き、対応せねばなりません。この能力が問われております。

 もう一つ、不正選挙問題を取り上げておきます。これも不正選挙事変と命名します。ありうべからざる事態なのですが、今やこの不正選挙事変が蔓延しております。これの最も被害を受けているのが小沢どんグループです。この系譜は一新会、未来の党、生活の党と変身しておりますが無理やりに逼塞させられて今日の低落に至っております。昨年の2014衆院選では次世代の党が同じような圧力を受け壊滅的な打撃を受けています。奇妙なことに両党とも正式な抗議をしておらず、ムサシマシーン裁定を受け入れているのがお笑いです。

 我が党はかく進言しておきます。戦後憲法の代議員制に従う限り選挙の投開票の公正さは政治の命です。このところの流行りの「政治と金権問題」を十とするなら、その百倍ほど大事な政治の基礎ではないかと考えます。何故に十倍の「政治と金権問題」に目クジラし、百倍の不正選挙問題に目をつむるのか。我が党はこういう不正に怒ります。

 最近の選挙にエックス線を当てれば不審な像が見えます。そうであるのに選管は選管しないで逆の動きばかり強めております。そうである以上、選管を管理する選管管理委員会を設けねばなりません。これにより開票後の投票紙の再チェックをせねばなりません。この選管管理委員会も機能しなくなれば選管管理の管理委員会を設けと云う風に正しい選挙が担保できるまで委員会を立ち上げ続けねばなりません。これが膨大な無駄であることを思えば初手に戻って選管を正しく運営できるものにせねばなりません。

 本年度はこの二点に絞って年頭発信しておきます。今年全体を展望すれば不況がさらに深刻化し個々の生活レベルが相当程度なまでに苦しむことになると予想されます。なぜなら、このところずっと政治が逆行なことばかりし続けているからです。こういう時代を生き抜く知恵を見つけねばなりません。主体的な獅子奮迅とたすけあいにより生き延びるしかありません。共に進みませう。

 付言しておきます。昨年末、「生活の党と山本太郎となかまたち」が生まれました。見事な歴史対応力だと思います。政治の本質は共同戦線にあり、互いの違いを踏まえつつ共同する合同するのは知恵がある証拠です。これを称えたいと思います。逆に評する政論があるようですが無視する一手だと思います。

  2015.1.1日 たすけあい党党首れんだいこ拝






(私論.私見)