2014. 1. 1日、たすけあい党新年声明

 (最新見直し2014.01.13日)

 れんだいこのカンテラ時評№1202  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 1月 4日
 2014たすけあい党新年声明

 2014年、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。恒例の「たすけあい党新年声明」をお届けいたします。これまでの党声明(「2007声明 」、「2008声明 」、「2009声明 」、「2010声明」、「2011声明 」、「2012声明 」、「2013声明」)は時々に的確な指針を打ち出しております。にも拘わらず現実の運動の血となり肉となっておりません。このことを痛苦に受け止め、本年声明は緊急肝要なことに絞って訴えます。単に相槌を打って貰うのではなく膝を叩いて合点して貰うことを念願しております。

 現下の政治不毛は政治理論の貧相に起因していると考えております。闘う側に闘いを導く有効な理論を廃れさせており、これが原因で運動が世代を継ぐものになっておらず積み木崩しになっていると見立てております。思い起こせばかってはマルクス主義と云う被抑圧者解放理論がありました。これに導かれ権力者側の政治を厳しく監視し弾劾する運動がありました。運動圏では、近未来に於ける革命が射程距離に入れられ喧々諤々の議論がされておりました。今となっては遠い昔の話しですが、その熱気が見事なまでに潰されております。マルクス主義に対する信奉が失われ、これに代わる理論もなく、闘う側の精神が空虚にされております。これに乗ずる形で反動政治が続いております。こう受け止める必要があります。

 たすけあい党は、この時代的要請に応じて生み出されているネット政党です。現代に有効な社会運動理論を生み出すべく営為しております。これをどう生み出すべきか愚考するに、マルクス主義の焼き直しでできるとは思いません。できるのなら既にできていないとオカシイからです。未だにできていないということはできないのだと考えております。ここではその理由に立ち入りません。もはや既成のマルクス主義からの転向を指針させております。但し、従来の投降型の転向論に向かおうとは思っておりません。マルクス主義が内包する社会的弱者救済理念のエッセンスを継承しつつ、その真意を実際に生かすために出藍を決意しております。その理由はマルクス主義が胚胎している狭隘理論性にあります。この克服をマルクス主義の側から為すことはほぼ絶望と判断し、元々に於いて共同戦線的な運動理論を獲得せねばならないと考えております。いっそのこと日本の在地土着的な共同体思想に着目し、それの欠けたるところをマルクス主義の諸理論で補強する方が賢明ではないかと認識し、そういう形での実践的に有効な新理論を創造せんとしております。これを出藍型の転向と考えております。

 たすけあい党総宰のれんだいこは、この間、この新転向論に基づき「戦後ハト派タカ派論」、続いて「原日本新日本論」、「国際ユダ屋論」を理論化致しました。これは、日本左派運動史の欠陥と閉塞の気づきからもたらされたものです。マルクス主義を認め、なおかつその限界を知り、そういう対話の中から生み出されたものです。これにより頭脳内のもやもやを解消し頭の中をスッキリさせることができました。この理論を深く味わい、今後の闘いの機軸に据えて貰いたいと考えております。これなしには闘いが上滑りしたり、闘っているつもりで実は結果的に反動政治と癒着するような皮肉な運動になってしまうと心得てください。これを単刀直入に要約して披瀝しておきます。

 その第一は「原日本新日本論」です。これによると、「日本を良き国」と見なす歴史観を持つことが必要となります。「良き国」とは「今ある日本」のことではありません。かって「善政時代の日本」が日本史上に存在したと見据え、これを擁護せんとしております。これを逆に説く理論がありますが有害です。学んで却って阿呆になる悪しき俗説です。この虚説に騙されてはなりません。我が党は、この「日本良き国論」を「原日本新日本論」で定式化させました。この画期的意味を理解せねばなりません。この理論は日本思想史上に輝く功績です。これは自画自賛する為に述べているのではありません。この見地に立たない限り理論が歪み、ひいては闘い方が歪み徒労なものに終わる故に強調して述べている訳です。ここでは「原日本新日本論」を詳しく述べません。関心のある方は「古代史学院」全体を探訪ください。特に「れんだいこの新邪馬台国論」、「れんだいこの日本神道論」、「れんだいこの日本神話考」辺りでご確認ください。まだ書き上げ途中ですが既に骨格はできております。

 「原日本新日本論」の成果から云えることは、日本の政治運動の振り子を「原日本御代の政治」に置かねばならないと云うことです。「原日本御代の政治」とは、「在りし日の出雲王朝-邪馬台国御代の政体」を言います。この時代の日本の政体は、かつて確実に存在した「良い国日本」なのです。この時代の善政を取り戻し、現代版に焼き直すのが日本政治運動の任務と心得るべきです。政治運動を担うのに何も西欧弁で小難しく語る必要はないのです。「幸せの青い鳥」を西欧に求め、西欧思想で説く必要はありません。政治の桃源郷は日本にあったのであり、それが「原日本御代の政治」なのです。この時代の社会こそが「日本版社会主義の古里」なのです。理想的な共同体理論の古里は日本なのです。この「日本版社会主義の古里」の原理原則を学び現代版に焼き直すことこそ必要なのです。これに反するものを疑惑し、これを解体せしめようとする動きと闘わねばなりません。

 「日本版社会主義」の原理原則の要点は、日本古神道の御教えに基づいております。その御教えとは、「森羅万象、一事万事に於ける理を見分け、そこから汲み出される助け合いと思いやりの絆を結ぶもの」であり、これを儀式的に練磨したものが日本古神道であり、その御教えにより織りなされる共同体が「山紫水明の豊葦原の瑞穂の国」と云われるものです。この御教えに基づく社会造りは、数次の国譲り政変を経て破れ、最終的に顕界の支配権を外来新参勢力である新日本派に譲り、原日本派は幽界に於いて権勢が認められるとする「手打ち」で生き延びることになりました。これにより、顕界と幽界が相和し且つ暗闘しながら、その後の日本精神を練り、これを新たな日本の伝統とさせ、これを今日まで護持して参っております。これを原日本派の側から云えば、半面ながら日本は日本古神道の御教えを守り続けている「良い国」なのです。ここを理解しない日本論は一知半解のものでしかありません。

 天皇制に触れておきますと、天皇が日本古神道の御教えに基づいて営為する限りにおいては存在そのもの、制度そのものが批判されるものではないのです。天皇制果実の国名としての日本、国歌としての君が代、国旗としての日の丸、国紋としての菊花弁は、「在りし日の出雲王朝-邪馬台国御代の政体」下で創造されたものです。いずれも統合的意識を醸成するものであり、それぞれに優れものです。そのどれもが日本古神道の御教えに基づいているものであり、根本にあるのは共和思想です。元々で云えばこれを近代天皇制下での好戦政策に利用するのは無理筋なものです。戦前の皇国史観はこの見地から弾劾されるべきです。日本意識、君が代、日の丸、菊花弁そのものを批判しても何の利益もありません。むしろ御教えを御教え通りに説く運動が必要で、捻じ曲げを許さない運動こそが望まれています。天皇は、この時代には「スメラミコト」と位置づけられており、「御言葉を統べる者」と云う意味であり、これ故に崇められる存在です。漢字表記ではスサノウの命、大国主の命と云うように「命」と表記されております。「スメラミコト」が「天皇」と表記されるのは大和王朝以降です。「命」の御代は、日本古神道の御教え通りの善政時代であり、「日本版社会主義の古里」です。天皇制は「命」御代も含めておりますので、これを一括して批判するなり打倒対象とするなりの理論は暴論なのです。

 明治維新以降の近代天皇制批判でもって、日本が歴代の国是としてきた天皇制までをも一括批判するのは粗論なのです。明治維新以降の近代天皇制批判は、日本が国是としてきた天皇制からの卑大な歪曲であったとする観点から為すべきです。興味深いことに、論証は省きますが、明治天皇と昭和天皇は日本古神道的に見て「命」的なスメラミコトではありません。むしろ大正天皇の方が「命」的です。平成天皇も「命」的です。ところが、世上の評価は明治天皇と昭和天皇を名君と評価し、崩御日が休日にされるなど栄誉が称えられております。これに比して、大正天皇は在任中に押し込められ、崩御して後も明治天皇と昭和天皇にはあてがわれている休日を待遇されておりません。あろうことか、本来は久方ぶりの名君であった大正天皇を不敬罪的に押し込めた連中が、昭和天皇の御代になるや不敬罪を乱発したのが歴史の実相です。笑止千万と云うべきです。明治以来の右翼が大正天皇に口を閉ざすのは滑稽なことです。同様に左翼が大正天皇を脳病天皇などと揶揄するのは無礼なことです。似非右翼と似非左翼が妙なところで見解を合わせているのを見て取ることができます。

 もとへ。今、「日本良き国論」、「豊葦原の瑞穂の国論」が如何に重要なかは、これが様々な角度から攻撃されていることにあります。一々述べればキリがありません。原発が最たる例です。原発は、「山紫水明の豊葦原の瑞穂の国」を潰す為の巧妙な軍事基地として仕掛けられていると思うべきです。このようなものを導入することは許されません。福島原発事故が発生し、その対応がままならぬ中での再稼動論、今後も主力電源とする論なぞもっての外と云うべきです。留意すべきは、この「豊葦原の瑞穂の国攻撃」がどうも意図的故意に策謀されている気配が認められることです。こういう攻撃が政治、経済、文化、精神の各領域に於いて仕掛けられております。ここに日本の危機があります。かく認識すべきです。

 では、誰がそのような悪し様のことを為しているのか。ここに「国際ユダ屋論」が登場します。これの論証は省きますが、要するに「日本版社会主義」の原理原則と真っ向から対立する悪魔主義の政体です。この連中が歴史を汚染し続けており、西欧五千年史はその格闘そのものです。近現代史は彼らが牛耳っており、故に生産力がかくも高まった時代に拘わらず戦争と貧困が消えません。悪魔主義政体の特徴は、権力者側が社会的富を不当に一方的に収奪するところにあります。この政治に侵されると、幾ら生産力を上げても一方で億万長者、他方で圧倒的多数の貧困層が形成される社会になります。日本は長らく顕界はともかくも幽界では日本古神道の御教えに基づいて「助け合いと思いやりの絆を持つ秩序」を形成して参りましたが、今この基盤が意図的故意の政治的に解体されようとしております。

 「国際ユダ屋政治」は、そういう社会を是としております。彼らは特異奇形のカルト集団であり、そのカルト教で世界を彼らの望むように改造しようとしております。日本古神道の御教え、「日本版社会主義」から見れば、僅か五十年そこそこの稼動人生でしかない身を、なぜそのような悪しき策動に精出すのか不思議ですが、彼らは人生を諸民族と共に楽しむのではなく、ひたすら支配するかされるのかを問い、支配する側に立とうとして悪事の限りを尽そうとします。その為の秘密結社、公認結社を何重にも張り巡らし、悪企み謀議をし続けております。この拝金拝権拝魔教は病的なものです。そういう連中が権力を握っているから世の中が歪むのです。これを現代社会の病理と捉えるべきです。

 日本政治は、この悪しき「国際ユダ屋」の配下の者たちに牛耳られています。この連中は、手前の立身出世の為には何でも御用聞きするという浅ましい根性の者たちです。「原日本新日本論」で云えば新日本系の者たちです。連中は元々に於いて日本を古里とする思想がありません。本質的に古里のことなぞどうでも良い連中です。手前の生活の現在の利益に適えばそれが全て、日本を憎しとする者たちです。こういう連中に「山紫水明の豊葦原の瑞穂の国」が毀損され続けております。これにより様々な政治の歪みが立ち現れています。本来、日本ほど自然に恵まれ、生産力が豊かな、富の分配も合理的な国はないのに、多くの者が食えない社会にさせられつつあります。政治が、人々が食える方向に努力するのではなく、一部の者が食え過ぎ他方の多くの者が食えない社会に向けて施策が講じられ続けております。この国際ユダ屋策謀に怒るべきです。目下TPP交渉が続けられておりますが、日本古神道の御教えからすれば世界中がシルクロード交易を目指すべきところ、彼らにとってのみ有利な強盗ロード交易を押し付けようとしております。連中のやることは一事万事がそのようなものです。

 我々は、この観点から来るところの実践教程を生み出すべきです。日本はこれ以上舵取りを誤ると座して生贄にされるのを待つばかりの飼い殺しの檻に入れられてしまいます。このワナから抜け出す為の叡智が要請されております。たすけあい党はその一翼を担う決意を固めております。御意の士はたすけあい党に入党し、この旗の下で絆を結びませう。以上を「2014たすけあい党の新年声明」と致します。

  2014.1.1日 たすけあい党党首れんだいこ拝

 れんだいこが愛用している阿修羅掲示板の主宰者の新年声明に出くわしたので、これを転載しておく。出所は「★阿修羅♪ > 雑談専用40 」のャック・どんどん氏の2014 年 1 月 07 日付け投稿「阿修羅 管理人さんの侠気と覚悟と愚痴と(新春のごあいさつ)」。

 阿修羅 管理人さんの侠気と覚悟と愚痴と(新春のごあいさつ)
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 http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/248.html#c32  より

 32. 管理人さん 2014年1月02日 10:53:28 : Master
 ご意見ありがとうございます。
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 掲示板の管理人は実は非常に大変なのです。 まず、毎日のあれやこれやの管理。ボランティアさんがいてもなかなか大変です。やってみるとあまりにめんどくさいし報われないので。 次に管理人の生活リスク。突然官憲が来て逮捕されちゃうかもしれません。会社に問い合わせが来ることで会社にばれて契約更新なしになるかもしれません。道路を歩いていただけで、すれ違いざまに相手が転んで逮捕されちゃうかもしれません。 そんな時代です。生活リスクを冒して管理人やってます。こんな危険な事を代わりにやってくれる人はいるんでしょうか?

 ひろゆきさんは強大なバックがいてバックと一緒にやってるから勝手放題できるんでしょうかね。そもそも体制側・麻生グループですかね。頭も良いみたいですし。 2chできたてのころ、マスコミが事件報道とネットを結びつけるとき必ず2chが出てきてました。あれでどんどん有名になって行きましたね。阿修羅掲示板はそうじゃないので大変です。バックはいないし体制側じゃないし、頭も。。。 阿修羅はマスコミには絶対出ないですね。出たのはオウム事件の最初だけ。あれの後で報道規制になったんじゃないですかね。『阿修羅掲示板は出すな』って。

 とまぁ、愚痴ってみましたが、私が生きている間は、いやちがうな、塀の中からは管理できませんから、私がPCの操作ができる間はつづくので、それまでのすこしの間一緒に楽しんでいきましょう。 2014年、今年もよろしくお願いします。


 本年の助けあい党声明にハーモニーする一文に出くわしたので転載しておく。出所は「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ61 」のてんさい(い) 氏の2014 年 1 月 12 日付け投稿「トルコ人から教わった「世界の常識」 上野 重喜 他民族を支配するためには一つの鉄則があった」。

 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine035.html
 トルコ人から教わった「世界の常識」 上野 重喜 (放送ディレクター) 致知  2009年2月号

  十数年前、NHKを退職し、関連の別法人で働いていた私に、JICA(国際協力事業団)から仕事の話が舞い込みました。 トルコの人□教育促進プロジェクトに手を貸してほしいというのです。当時、トルコは人口増に対処するため、家族計画を推進しており、保健省傘下で、テレビ番組の制作やIT技術を通して母子保健・家族計画の普及に協力するのが仕事でした。

  トルコは世界でも指折りの親日的な国として知られています。ロシアと緊張関係にあったトルコは、日露戦争での日本の勝利を共に喜び、また、先の敗戦から見事な復興を遂げた日本への畏敬の念も多大です。私が訪れた時も、国民の多くが日本に尊敬と憧れの気持ちを抱き、その発展に学ぼうと懸命でした。そういう国民性も手伝って、私たちのプロジェクトはおかげさまで順調に進展し、一定の成果を収めることができました。

  現地では多くの知識階級の人々とも知り合いになりました。その一人に日本の歴史や文化に関心が深い30代の医者がいて、彼の話に大変感じ入るものがありました。彼は、かつてオスマン帝国として広大な領土を支配し栄えた自国の歴史に誇りを持っていました。オスマン帝国の歴史は13世紀末から20世紀まで600年以上続きます。これだけの長きにわたり他民族を支配するためには一つの鉄則があったのだと私に教えてくれました。その鉄則とは、50年先を見越し、教育によって被支配国の伝統や文化を骨抜きにし、自分たちの思いどおりの国に変えてしまう、というものです。すでに教育を終えた人間を変えることは不可能だ、幼少年期からの教育で人間の本質が決まるのだから、自分たちの思いどおりの教育をした国民が育つには、50年かかるというのです。被支配国の文化や伝統を根こそぎ変える占領政策が実るのは、半世紀後だというわけです。

  彼の話は次に日本に及びました。戦後、アメリカが日本を占領下に置いた時、やはり50年先をみて、アメリカの思いどおりの日本に変えようとしたに違いない、というのです。つまり戦後50年以降に敗戦のツケは回ってくるというわけです。そして、日本を訪れたことのある彼は、その時の見聞をもとに次のように話しました。 「日本は私が予想した以上にアメリカナイズされています。日本古来の武士道精神をすっかり失っているようにも思えました。我々がいま一番案じているのは、戦後のアメリカの教育を受けて育った日本の指導者たちが、これからどのような日本をつくっていくかです、まさにいまが分岐点。このことは世界の一大関心事でもあるんです」。

  アメリカの占領政策によって日本が大きく変わっていく様子を体験した私ですが、高度成長のうねりの中で、そのことを深く意識することなく生きてきました。それだけに彼の発言は新鮮で、日本人が気づかなかった点を指摘された思いでした。日本のこれからに強い危惧を抱いた私は、帰国時に、トルコの留学生に医者から聞いた話をした上で「あなたはどう思いますか」と質問してみました。すると、「それは常識です。我々留学生仲間は皆そのように話しています。日本の勝負はこれからですよ」という返事が返ってきました。ごく普通の留学生から出たこの言葉に、私は改めて愕然としました。

  日本が戦後50年を迎えたのは1995年、私がトルコに赴任した年です。バブルが崩壊したとはいえ、日本はまだ隆盛を誇っていた時でした、しかしその後、景気の低迷や人心の荒廃など国力は著しく低下し、いまもなお先行き不透明な状態が続いています。改めて振り返ると、日本人が親から子へと受け継いできた伝統的価値観や美徳、古典の素養といったものが、この50年間ですっかり失われてしまった感は否めません。 トルコ人の考え方は、やはり正鵠を射たものなのだろうか。それを思うと複雑な心境です。

  そういえば、トルコに赴任して間もなくの頃、現地人から「武士道とはどういうものですか」と聞かれ、返答に困ったことがありました。同国では柔道や空手が盛んで、彼らにしてみたら日本人が武士道について語るのは当然という感覚だったに違いありません。顧みると私自身、小学校4年生の時に終戦を迎え、武道は禁止され、日本の伝統を否定することを教えられてきた一人だったのです。子ども心に戦時の苦しさ、悲惨さを知る私は、日本が再び国粋主義の道を歩むことには反対です。しかし、自分たちの大切な文化や価値観をなおざりにしたまま欧米崇拝の道を歩んできた日本人は、武士道に象徴される伝統的精神に目覚めなくては国の将来は危ういという思いは強くなるばかりです。

  トルコの医師の話のように、教育によって国民が骨抜きにされたとしたら、それを取り戻すのもまた教育です。いま日本各地で幼児や小学生に『論語』の素読や『百人一首』の朗誦などをさせる動きもあります。これは反動的なことでなく、失った良き伝統を取り戻す試みです。身心一如と申しますが幼少時から身体を鍛える、仕事によって自然と触れ合う教育も大切です。日本人の特質、勤勉と礼儀正しさ、失われた伝統をいまこそ取り戻したいものです。

 ● ミニ解説 ●

  戦後、占領国アメリカを通じて世界支配層がこの国に対して行なってきたことは、まさにこの文中に出て来るトルコ人が指摘している通りです。そして、その結果が今日の疲弊し、劣化したこの国の国民であり、社会ということになります。かつて世界中から絶賛されたこの国の美徳は根絶やしにされ、ひとくちに言えば「“お金さま”が一番大切という拝金主義」「自分さえよければ他人や世の中はどうなろうと知ったことではないという自己中心主義」の風潮が根づいてしまったのです。また、親や子供を大切に思う国民性も、個人主義教育の中で見事に奪い去られたのでした。いまでは、親殺し、子殺しさえ珍しいことではありません。しかも、このようにひたひたと迫りくるこの国の凋落を気にも留めず、多くの国民は毎日テレビのクイズ番組や料理番組、お笑い番組に興じているといった有り様です。目も当てられないほどノーテンキな国民となり果てています。

  このようなこの国の凋落を早くから予測し、警鐘を鳴らしている著書は数多くありますが、私が最もお勧めしたいのが『混迷日本にとどめを刺せ』(ヤコブ・モルガン・著/第一企画出版)です。 今日の日本の支配構造を鋭く分析した好著ですので、著者は名前を伏せてしか著すことができなかったものと思われます。(ヤコブ・モルガンはペンネームです。複数の人物による共著かとも思われます)  この本は今から10年以上も前に書かれたものですが、今日の状況に照らして見ますと、その分析の正しさがわかります。残念ながら、既に絶版となっていて、手に入れて読んでいただくことができません。当サイトにダイジェスト版をアップしておりますので、ぜひ目を通していただきたいと思います。日本人必読の文献と言ってもよいでしょう。(トップページ右下の「天使」のアイコンから入れます)  また、このように頽廃する前の古き良き日本の姿を外国人の目でとらえた『逝きし世の面影』(渡辺京二・著/葦書房)も、ぜひ読んでいただきたい好著です。こちらもダイジェストにしてアップしていますので目を通していただきたいと思います。

 ● 『混迷日本にとどめを刺せ』(ヤコブ・モルガン・著/第一企画出版)
 ● 『逝きし世の面影』(渡辺京二・著/葦書房)
 (なわ・ふみひと)  





(私論.私見)