2009年初、イスラエルによるパレスチナ・ガザホロコースト糾弾 |
(最新見直し2009.1.24日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
我が党は、「2009.1.1たすけあい党新年声明」に続いて、イスラエルによるパレスチナ・ガザホロコーストを糾弾する。 2009.1.24日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評511 | れんだいこ | 2009/01/04 |
【イスラエルのガザ侵攻糾弾】 2009.1.3日夜、大規模空爆開始から8日目を迎えたこの日、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザに地上侵攻した。ガザ地区北部のヘイトラヒヤ付近など4カ所から一斉に突入し、ハマスとの間で激しい交戦が始まり戦闘が激化している。双方の死者数などは確認できていない。 我が掲示板は、枢要な世界情勢の動向をチェックし続けたいと思う。そういう意味で、ここに確認しておく。 イスラエルのオルメルト首相の報道担当は「イスラエル軍は、ハマスの武装勢力がロケット弾を撃ち込む拠点を制圧し、大きな打撃を加えることになるだろう」との声明を出した。イスラエル首相府は「ロケットが発射されている地域の制圧が目的であり、イスラム原理主義者(ハマス)に手痛い打撃を与える」との声明を発表した。バラク国防相は「作戦遂行は簡単ではなく、短期間で終わるものではない」と述べ戦闘長期化を示唆した。他方、ハマス側の報道官は「ガザはイスラエル軍にとっての墓場と化す」との声明をテレビ放送で読み上げ、徹底抗戦の構えを示している。 イスラエルの不義の建国以来の怨念史が続いている。しかも、次第に劣勢を余儀なくされつつあるといえども、イスラエルの蛮行がますますエスカレートしつつある。日本が、これを対岸の火事視しているうちに、足元に火がつき始めるのは時間の問題である。問題を正確に受け止め、対処法に熟達する必要がある。これを眼力と云う。 国連はどう対応しているか。1.3日同夜、潘基文事務総長は、報道官を通じて声明を発表する弱腰で、オルメルト首相との電話協議で「地上作戦開始への非常に深い憂慮と失望」を伝えるにとどまった。国連安保理事会は機能していない。諸外国政府の反応はどうか。米英政府はイスラエルのすることは何でもその通りの姿勢で同調している。フランス外務省は声明で非難したものの「双方に自制」を求めるお粗末。日本の麻生首相も形だけの非難をして見せたものの、パレスチナ自治政府に対し「イスラエルとの停戦に向けて努力」するよう求めるお粗末。 日本のメディアは、新聞はまま報道するもののテレビでは報道管制が敷かれているかの如く抑制している。時代は大きく変わったことが判明する。1960年代後半のベトナム戦争の際には動向が克明に報道されたが、200年代の今、北朝鮮に対してはテポドン一つで大騒ぎし連日非難轟々するものの、イスラエルに対しては見て見ぬする。これは、メディアが国際金融資本の支配下にあることを証佐している。報道が逐一チェックされイスラエル批判には向かわせない。コメンテーターも御用発言家ばかりを登場させている。あの三宅なんとかつうの、顔を見るだけで胸糞が悪くなる。 あれこれ考えるにつき、一刻も早い人民大衆メディアの創出が望まれている。2009年は、何とかして「人民大衆メディアの創出」に向かいたい。脳内がスッキリしなければ闘おうにも闘えない。愚民政策に抗して起ち上がれ。ヤング諸君のうちのネット習熟者よ、既成メディアを打ち壊し、真に望まれているメディアを創造してくれんか。馬鹿番組の食傷者の怨念が渦巻いているぞ。 もとへ。イスラエルはなぜかくも何をやっても許されるのか。連中は、こういうことを大昔からやり続けてきており、西欧のユダヤ人嫌いには相当な根拠があるのではなかろうか。尋常で無さ過ぎよう。れんだいこは、こういう風に考えている。ナチスのホロコースト批判で口角泡を飛ばす者よ、イスラエルのガザホロコーストになるとなぜダンマリするんだ。説明してくれんか。手加減無き容赦無きをもって正義とする論法の正義を開陳してくれんか。ついでに日ユ同祖先論で詭弁する者よ、どこが同祖なのか説明してくれんか。れんだいこには遺伝子が正反対のように思えて仕方ない。 2009.1.5日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評512 | れんだいこ | 2009/01/07 |
【イスラエルの暴挙糾弾緊急闘争を訴える】 「イスラエル政府による2008年末−9年初のガザ無差別テロ」に対して、国際社会は紛れのない形でイスラエルの正体を見抜いた。イスラエルがハマステロ対策と弁明しようとも、現代版ホロコーストの行状を世界に焼き付けた。れんだいこは、その損失はことのほか大きいと考える。何とならば、彼らが戦後構築していた「悲劇の民ユダヤ説」を根本から疑惑せしめる機会を投じ、「史上最凶の悪質極まるシオニスト」批判の水路をこじ開けたからである。この水路は今後広くなる事はあっても逆はなかろう。 それにしても、日本政界は相変わらずコップの中のいざこざに明け暮れている。政争のどれもがちまちましており、解散から逃げまくる竹光派の政府与党と解散に追い込む嘗胆派の野党の綱引きゲーム政局でしかない。それはそれとして、「イスラエル政府による2008年末−9年初のガザ無差別テロ」という緊急事態に対して、堂々と抗議声明を発表する識見はないのか。政府がダメでも野党ならできるはずではないのか。その野党が叉だらしない。というか、イスラムよりもイスラエルひいきなんだ実は。野党もまた腐っている証拠がここに認められよう。 ならば国際法学者はどうだろう。大東亜戦争で人道の罪、平和の罪での断罪にことさら批判をたくましゅうしてきたのではないのか。今目前のイスラエルの暴挙に適用せずんば何のための学問か。北朝鮮のテポドン批判にはすぐさま反応してきたではないか。北朝鮮体制の解析には微に入り細に入り検証能力を発揮してきたではないか。同じ手法でなぜ「イスラエル政府による2008年末−9年初のガザ無差別テロ」の解析に向かえないのか。学者もまた腐っている証拠がここに認められよう。マスコミ論調然り。 結局のところ、我々が、我々の空間で議論を創出する以外にないということになる。それを世論化し、政財官学報司の六者機関にフィールドバックさせる以外にない。他にやるべきは大衆的抗議デモだろうか。どうせ政府はまた打ち出の小槌を振ってイスラエル寄りの政策に基く海外支援、自衛隊派兵を画策するであろう。国内向け施策については金がないといい、ブッシュの一声で数十兆円をホイホイ引き出し、どれもこれもが何の役にも立たず海の藻屑と消えてきた。定額給付金の子供騙しにも怒るべきだ。我々はそろそろエエカゲンニセンカイと鉄槌をお見舞いする一手だろう。今年はそういう政治運動をやってみたいもんだ。長らく忘れてきてしまっているが、昔とった杵柄だ、すぐ思い出すだろう。以上、時局提言しておく。 2009.1.7日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評514 | れんだいこ | 2009/01/09 |
【今こそホロコーストのウソ疑惑の解明に向かえ】 「イスラエルの2008年末−9年初のガザ無差別テロ」は、2009年初の象徴的事件になることによって、誰の目にもイスラエル政府の犯罪を焼き付けることになった。れんだいこは今こそホロコーストのウソの検証に立ち向かうべきだと考える。戦後左派運動は、その反戦平和思想に於いて長らくの間、「ユダヤの民の悲劇」を起点にしてきた。それはナチス批判に向かう。他方、アジアでこれに匹敵するのが南京大虐殺事件である。それは日本軍国主義及び天皇制批判に向かう。これと同格のものにファシズム批判がある。考えてみれば何のことはない、第二次世界大戦時の日独伊枢軸同盟批判に帰着している。戦後左派運動の反戦平和思想がこれに立脚しているとすれば、いわば戦勝国論理の範疇のものでしかないということを物語っている。 れんだいこはあいにく、ナチスホロコーストにも南京大虐殺事件にもファシズムにも、戦勝国論理よりする批判の構図に馴染めない。むしろ徹底した検証の必要を感じている。長年もやもやしているのだが、果たして本当に云われるところのようなナチスホロコースト、南京大虐殺事件が存在したのか疑問を覚えている。それなりのものが存在したのかも知れないが、現在通説化しているものは何十倍にもフレームアップされており、そのアップ分が、第二次世界大戦後のイスラエル建国過程の非道を免責させる役割を果たしていると考えている。 イスラエルの建国以来今日に至る暴虐無尽のさまは、身の毛のよだつほどおぞましい。ナチスホロコーストの悲劇の民なら許されるのかと云う問題と、この残虐非道ぶりはナチスホロコーストの裏返しから生まれたのではなく、悲劇の民そのものが作られた神話であり、連中の伝統的常套的なものなのではないのかという推測まで呼び込む。そういう目で歴史検証すると、諸民族のうち最も徹底したニヒリズム、テロリズム、選民主義、エゴイズムに汚染された稀有な宗教的紐帯の民であることが分かる。近世から近代現代に至る過程での地球的規模で起こった植民地支配も、彼らの政策の産物であったことが分かる。 日本史は有り難いことに、西欧ほど彼らの影響を受けなかった。おかげさまと云うべきだろう。しかし今や否応なく世界はワンワールド化しつつあり、気づいてみれば日本も明治維新以来彼らの支配に呑み込まれている。彼らが最も得手にしているのが戦争政策であり、定期的に戦争を勃発させねばならない事情でもあるのだろうと勘ぐりたくなるほど専らとしている。国債すりまくり多重債務国家誘導も然りである。軍事用民間用を問わずの原子力政策も然りである。政情不安誘導と傀儡政権の創出と独裁化誘導も然りであると云う風に思えてくる。 れんだいこの不審に根拠があるのかないのか、それを確かめる格好の例題が現在進行中の「イスラエルの2008年末−9年初のガザ無差別テロ」ではなかろうか。彼らがどういう手口で経済封鎖し、学校、病院、公社に対して何の躊躇もなく無差別爆撃と殺戮を繰り返すことができる民であるのか、これを確認せねばなるまい。ガザで起こったことは多少は体裁を変えたものになろうがいずれ必ず我が身に降りかかってくることを分別して、備えるためにも目を放してはならないと思う。 戦後左派運動は今こそ自前の反戦平和思想を生みだす好機であると考える。連中のシナリオに乗った反戦平和運動に取り組むことで左派面するような勘違いから一刻も早く脱出せねばならない。第二次世界大戦をファシズム対民主主義の闘いであったなどという戯画化で納得するような知性から決別せねばならない。これを歴史再検証主義と云うべきだが、これを批判する者も唱える者も自ら歴史修正主義などと規定しているからしてお話にならない。歴史再検証主義は至極真っ当な時代の要請であると、れんだいこは考える。御意の士よ列なれ。 2009.1.9日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評517 | れんだいこ | 2009/01/13 |
【世界の反帝反戦人民はシオニストの悪あがきを封じ満腔の怒りで糾弾せよ】 予想通りイスラエルの残虐非道が連日繰り返されている。歴史上あれほどナチスホロコーストをプロパガンダし続けてきた連中がガザホロコーストに首ったけになっている。その悪事をノートし続けておかなければならない。仮にナチスホロコーストが史実だったとしても、イスラエルは単純な悲劇の民だけではなく、それを嵩に報復する民しかも徹底して残虐非道を為し得る民であることを天下に知らしめている。 ナチスホロコーストを見てきた様に罵詈してきた連中は、ガザホロコーストにどう対応しているのだろうか。イスラエルのやることは何でもその通りでエールしているのだろうか。この連中には漬ける薬がない。それにしても何とも薄っぺらなホロコースト論者であったことか、今自己暴露させられようとしている。その程度のホロコースト論なら、もう二度としたり顔して説くな。 他方、ナチスホロコーストを糾弾し、ガザホロコーストをも糾弾する反戦平和主義者はまだしも許されよう。一応辻褄が合っているから。しかし、これから辛い目に遭うだろう。なぜなら、ナチスホロコーストは史実偽造で、人工国家イスラエル建国の為の国債世論誘導でしかなかったことを知らされるからである。この声はまだ弱い。しかし次第に歴史の真実として受け入れられるようになるだろう。 ウソだと思うなら今こそイスラエル建国過程の残虐非道を検証せねばなるまい。片手にナチスホロコーストの犠牲の民であるという御旗を振り翳しながら、片手でパレスチナホロコーストを今日まで延々と繰り広げているイスラエルの民の二枚舌を検証せねばなるまい。パレスチナの民が怒るのはもっともであり、抵抗するのは正義であり、少なくとも原状に戻す闘いこそが歴史の法であることを理解せねばなるまい。 そのイスラエルは建国初期のころはワンサイドゲームで勝利し続けてきた。しかし、パレスチナ、イスラムの民はそう馬鹿ではない。闘い方を次第に習熟し、ここへ来て持久戦に勝利しつつある。むしろイスラエルの方こそ焦りを呼び、迫り来る恐怖にさいなまれつつある。こたびのガザホロコーストはこの手のものでしかない。非道の限りをするのも良かろうが、高い代価を払わされることになろう。 結局のところ、パレスチナ、イスラムの民は賢かったということになる。正義を通し貫く力を持っていたということになる。化学兵器で満身装備したイスラエルの民こそ実は愚かだったということになる。なぜなら、65年で世界の周期は変わり、怒った良貨が悪貨を駆逐し始めるからである。なぜそうなるか。良貨は連帯できるのに対し悪貨はできないからである。歴史の積み重ねは良貨に軍配を挙げる。 れんだいこは、パレスチナ紛争をそのように見ている。予断は許されず緊迫しているが、イスラム力は必ずやシオニストの策謀を打ち倒すであろう。その後の世界がどうなるか。興味はこちらの方へ移りつつある。諸国民が協和し二度と戦争を起さない起させない世界を創造せねばならないであろう。イスラエルの非道と狡知と悪行の数々を展示したシオニスト博物館を造り、世界中の人々が詣で、こういう連中の跋扈を許さない決意を固める資料館にせねばなるまい。 2009.1.13日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評520 | れんだいこ | 2009/01/20 |
【2009年初頭のガザホロコースト考】 2009.1.19日、イスラエル軍とイスラム原理主義組織「ハマス」は暫定的停戦に漕ぎ着けた。イスラエル軍は、1.20日のアメリカに於けるオバマ氏の大統領就任前に、パレスチナ自治区ガザから全面撤収することを表明した。こたびのイスラエル軍による戦禍の実態は判明しないが、空爆で破壊された家屋の下敷きで生き埋めになっている人たちまで含めると数千人の死亡者、万余の負傷者が推定される。 こたびの戦闘で、イスラエルが得たものは何であったのだろうか。その狙いは何であったのだろうか。この種の戦闘が一朝一夕には実行できないことを思えば、用意周到に画策され実行された背景が詮索されねばなるまい。「ハマスに対する打撃」は一定の戦果を挙げたであろうが、ガザホロコーストぶりを世界にまざまざと植えつけたことやパレスチナ難民のイスラエル憎悪に向けての結束強化と比較して算盤が合っているだろうか。れんだいこには、焦りのような無謀なガザホロコーストぶりのみが印象に残っている。 それにしても、この時期のイスラエルのガザホロコーストが理解できない。どういう内的事情、歴史的必然性があったのであろうか。これを読み取らねばならない。そのキーは、1.19日の暫定的停戦が1.20日のオバマの大統領就任式に合わせて手打ちしたことのうちに認められるのではなかろうか。オバマ新大統領にとっては、これがイスラエル式就任祝いとなった。 これを逆に云えば、イスラエルは、オバマ大統領の下ではブッシュ時のように阿吽の呼吸での戦争政策ができないと読み、やるならブッシュ政権時に限るという判断に基いていたのではなかろうか。恐らく、イスラエルの読みは当たり、オバマはブッシュ政権の戦争政策からの転換に向かうのではなかろうか。これを大胆にやるのか徐々にやるのかが問題となるが、れんだいこは、戦争利権屋との軋轢を通じながらも次第に指導力を発揮し始めるとみなす。 イラク派遣兵のアフガンへの横滑り政策アドバルーンは、大統領就任前に於ける好戦勢力宥和のリップサービスで、大統領就任以降は空手形に終わる可能性が強いと見る。なぜなら、実際にアフガン派兵を強化するとなると事態は何ら変わらず、つまりはオバマの選挙戦での公約全体が崩れてしまうからである。それは、ただでさえ危ぶまれているオバマ暗殺の可能性を更に手繰り寄せる自殺行為に他ならない。そういうこともあり、れんだいこは、オバマはチェンジ政策に本気で向かうと見立てる。この判断が正しいかどうか難しいが、当面その動向をウォッチせねばなるまい。 もとへ。書きたかったのはそういうことではない。こたびのガザホロコーストで象徴されたイスラエルの余りにも無慈悲残虐非道な意図的故意の虐殺政策の裏に秘める特殊なイデオロギーを解明しようと思う。イスラエルは何故に、自らを悲劇の民として打ち出しすことで世界から同情を得ることに成功し、ナチスホロコースト糾弾権を持つ身でありながら、その立場を自ら放棄するような行動に躊躇なく向かうことができるのだろうか。これを問わなければなるまい。 これを簡単に説き明かすのは困難だが、はっきりしているのは彼らが信仰の基礎としている選民意識、その対極としてのユダヤ人以外に対するゴイム畜生意識、そういうメンタリティーとイデオロギーに基くタルムード的優勝劣敗的価値観、徹底した権謀術数陰謀主義、ユダヤ王国再建思想が核になっているのではなかろうか。 そういう意味で、イスラエル問題を解く為には、彼らの依拠する思想、哲学、宗教、処世観、社会観、歴史観総体の研究に向かわねばなるまい。その根源を見定めて、合理的な対応策を生みだす営為もまた必要なのではなかろうか。パレスチナの平和を語るとき、現象的な一時的平和のみならず、政治の奥に潜むこれらの諸問題にもメスを入れなければ解決しないと、れんだいこは考えている。以上、発信しておく。 2009.1.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)