2009.1.1たすけあい党新年声明 |
Re::れんだいこのカンテラ時評510 | れんだいこ | 2009/01/01 |
【2009.1.1たすけあい党新年声明】 2009年は早々と不快極まる事件で染められました。昨年12.27日、イスラエルがガザ地区を空爆し始め、情報によると2009.1.1日現在で六日連続の空爆になっており、死者数は少なくとも400名以上、負傷者数は2000名以上に達しているとのことです。12.29日、イスラエルのバラク国防相は、「われわれはハマスとの全面戦争を行っている。作戦は必要なだけ拡大、強化させる」と宣言し、ガザとの境界には数十両の戦車や装甲兵員輸送車が集結、地上部隊の侵攻準備を進めているとのことです。ガザ周辺は軍事閉鎖地区に指定され、記者団が入れない事態になっております。 12.27日夜、国連安全保障理事会により緊急協議が開かれましたが、「全ての暴力の即時停止」を当事者に要請する声明を発表しただけで、イスラエルの暴挙に対する実効力の有る制裁は課されておりません。イスラエルのシャレブ国連大使は、「ハマスのロケット弾攻撃に対する自衛権を行使しているに過ぎず、責任はハマス側にある」と主張し、米国のハリルザド国連大使は、今回の暴力沙汰を中止するのはハマス次第だとするイスラエルの主張を支持しました。イギリスも同様の見解を示しております。こういう論法が罷り通るのが国連の実態です。 西欧各国の過半が現代世界の真の巨悪である米英ユに同調しており、我が日本政府も例によって、その尻馬に乗り叉もや追随しております。2009年は年初から、現代世界が抱える最大矛盾とも云えるイスラエル問題を突きつけながら始まりました。ガザ地区の皆様の必死の苦悩に対しては申し訳ないのですが、問題が分かり易くなったという意味で是としたいと思います。我々は、この問題を正面から引き受けなければなりません。 それにしても、イスラエルには何故に何事も許されるのでせうか。戦後65年にわたって我々は、アンネの日記とナチスホロコースト糾弾を叫べば同情が集まり、何をしても全てが是認されるという「悲劇の民ユダヤ人法理」に騙されてきたのではないでせうか。この仕掛けを一体誰が作っているのでせうか。そろそろこれを対自化させるべきです。れんだいこは怒りを禁じえません。この期に及んで、なおイスラエルを身びいきする人道主義者や詩人が居るなら、唾棄すべきニセモノでせう。れんだいこは、黙れうるさいと一喝致します。 2009年は、このキナ臭い硝煙の臭いの中で幕開けしました。今年一年を象徴しているように思います。大変な事態が予想されます。これを踏まえて、我々はそろそろ次のように見立てすべきではないでせうか。現代は、国際金融資本帝国主義、その表出体としての米英ユ同盟に支配されております。その支配も次第に見境のない凶暴なものになりつつあります。それは、強さの現われではなく、逆に基盤の焦りを感じさせます。そう、彼らは次第に追い詰められつつあります。 こう確信すべきではないでせうか。戦後65年という歳月が潮の流れを変え、彼らのウソを歴然とさせるようになりました。イスラムも次第に隊列を整えつつあります。世界の論調も変わりつつあります。国際金融資本帝国主義は至るところで破綻しつつあり次第に追い詰められつつあります。歴史は繰り返すの法理に則れば、再度所払いされるでせう。悪あがきが酷ければ酷いほど、歴史法廷の場でそれに似合った処罰を受けるでせう。そうしないと辻褄が合いません。我々は、これに向かって状況証拠を集め始めるべきです。既に始まっているかも知れません。 それにしても、ブッシュ在任時代は戦争に明け暮れ、最後の最後までこういう仕打ちを通しました。歴史の狂人と云うべきでせう。その狂人と最もハーモニーしたのが日本の小泉首相でした。彼もまた狂人です。狂人と狂人はウマが合うのでせう。二度と狂人政治が起こらぬよう彼らを歴史法廷へ引きずり出さねばなりません。一刻も早くその日が来ますよう祈ります。 それにしても、我が日本は、世界の新潮流に全く気づかず、相変わらずの昔の杵柄で米英ユ同盟配下での延命を策しております。こういうオツムしかないようです。この傾向は1980年代初頭の中曽根政権政治以来強められ今日に至っています。この間、日本は、戦後の廃墟から営々と積み上げた高度経済成長時代の国富を貢ぎ続け、今日ではそれも底を尽き始めております。財政破綻必死の状況に至っております。それにしては我が政界は相変わらずのんびりしております。事態を感知する能力さえないのでせう。世界のお笑いです。 日本はいつのまにか政治も経済も文化もが、そういう唾棄すべき人たちによって主導される時代に入ってしまいました。それが証拠に、イスラエルの暴挙を糾弾する感性が歪められているばかりか、この場に及んでもなお支持し続けようとしております。これが、明治維新以来の帰着です。こういう時代を創る為に幕末維新があったのでせうか。私達は、どこかで捻じ曲げられたことを悟らねばなりません。当時の志士の死と思いをムダにさせてはなりません。 時代は明らかに転換を要請しております。既成政党と党派が動かないなら、れんだいこ及びたすけあい党は堪りかね、打って出ようと思います。れんだいこ個人は正義の為に身命を歴史に捧げようと思います。不実な世に徒に長生きしようとは思いません。自死はしませんが、日本の国家と民族の百年の計に殉じようと思います。その過程で奪われる命なら本望としたいと考えます。 時代がそれを要求し始めたように思います。大人しい物分かりのよい穏和な対応では、世の中が何も変わりません。資本はますます横暴を極めようとしております。というか粗野性を丸出しにしつつあります。企業と経営者とハゲタカファンドが最大利潤を手にしつつ、正規雇用の破壊と労働者の無慈悲な切り捨てにより経営危機をやり過ごそうとしております。この手法が我が物顔で罷り通り、そのおこぼれ貰いの既成政党とマスコミがこれを追認しております。 長い不況は政策的に作り出されているものです。経済循環的に明らかにオカシイ。景気回復の腰を折る政策を意図的故意に導入することで経済失速せしめられているとみなすべきです。我々は今やはっきりと、こういう構図で事態を確認する必要があると思います。性悪連中による搾取と無能政治にこれ以上引きずりまわされては堪りません。彼らは基本的に政治を与る資質と能力に欠けております。そういう連中に限り余計に権力の蜜に群がる性質があります。そういう連中の繰り出す諸政策を反動政治と云います。 これは倒すしかありません。我々はこれ以上、反動政治の犠牲にされる必要はありません。これに抗する人民大衆の抗議運動の組織化を始めねばなりません。否既に始まっています。諸戦線のこの闘いの結合の仕方が肝心です。統一戦線論ではなく共同戦線理論で繋げ、穏和主義と急進主義が見事な連携をすることで敵の本丸に乗り込まねばなりません。これに敵する者とも闘うべきです。我が党は今年、これに共同します。闘わなければ生きられない時代に入ったからです。大人しいのは決して美徳ではない、これが今年のテーマになるだろうと予測します。 人民大衆の怒りを共有できない運動体は一気に滑り落ちるでせう。社共運動は既にそのようなものでしかありません。不満の空気抜きを策すアリバイ闘争でお茶を濁す口舌の徒輩ばかりです。我々は、もう騙されてはなりません。新左派運動を創出し、一挙に政治闘争の前面に躍り出るべきです。具体的に何をどうすべきか、これを議論しつつ既に足を前へ進めねばなりません。走りながら考えねばなりません。そういう作風の左派運動にしたいと決意いたします。 2009.1.1日 たすけあい党首れんだいこ拝 |
(私論.私見)