鈴木政権の日米同盟論考

 (最新見直し2014.06.19日)

 関連サイトは、「世界各国の軍事費、軍拡競争考 (参考サイト)「防衛白書」



 れんだいこのカンテラ時評№1230  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 6月19日
 安倍防衛論&鈴木防衛論考

 2014年の安倍政権下での自衛隊論を、1981年の鈴木政権下での日米同盟釈明事件の経緯から照射してみる。余りにも鮮やかな対比が確認できる。これを愚考する。「思えば随分遠くへ来たもんだ」と今昔の感を深めるのは、れんだいこだけだろうか。

 事件の発端はこうである。1981.5.4日、鈴木善幸首相が訪米した。前年の大平&カーター会談で「日米のパートナーシップ」が確認されていた。鈴木首相の訪米に際して米国側は「パートナーシップ」よりも結びつきが強い「アライアンス(alliance)」宣言を求めていた。「パートナーシップ」は単なる「友好国」を、「アライアンス」は「同盟国」を意味しており、「友好国」では適えられない軍事負担を「同盟国」なら請求できると云う違いがある。政治の世界では僅かな違いの言葉の表現がかくも高度な意味を含ませており、それ故に拘らねばならない重大性がある。

 既に大平政権下で「日米同盟関係」という表現が使用されていたがズバリの「日米同盟」として云われ、且つ共同声明文に記されることはなかった。鈴木首相は、対米関係上、日米共同声明に「同盟」の2文字を入れることは認めることは止むなしとし、その解釈のタガ嵌めで乗り切ろうとした。鈴木首相は戦後憲法-軍事防衛論に見識を持っており次のように述べているとのことである。「1、わが国の努力は平和的手段のものに限られる。各国に軍事的協力はしない。2、わが国の為しうる最大の貢献は経済社会開発と民生安定に通ずる各国の国づくりに対する努力である。3、国づくりとともに、この地域の平和と安定のための政治的役割をはたしていく」。

 5.7日の第1回首脳会談、5.8日の第2回会談を経て、「両国間の同盟関係は、民主主義及び自由という両国が共有する価値の上に築かれている」との表記で「日米同盟」を明記した共同声明を発表した。鈴木首相の意向を知る外務省は軍事的協力をめざすという意味ではないと事前説明していた。鈴木首相はその後、ナショナル・プレス・クラブで講演し、締めくくりの記者会見で、「日米同盟」をめぐる質問を受け、「同盟という語がつかわれたからといって軍事的側面について変化はない。同盟は軍事的意味合いを持つものではない」と繰り返した。

 5.10日、帰国。鈴木首相は記者会見で「日米同盟」の解釈を廻って質問を浴びせられ、「この同盟関係には軍事的な意味はない」と重ねて発言している。ところが、伊東正義外相が本会議で、「日米安保条約が基調にある以上、軍事的な意味は当然ある」と答弁し、野党が「閣内不一致」と騒ぎ出した。二日後、伊東外相が辞任へ追い込まれる。翌年1982.10.12日、鈴木首相が突然辞意表明した。鈴木再選は確実といわれていただけに寝耳に水の辞意であった。「日米同盟」の解釈を廻って外相の首が飛び、これが尾を引き首相の首まで飛ばせたと判じたい。

 この問題を改めて素描してみたい。「日米同盟」について鈴木首相は次のように述べている。意訳概要「共同声明で同盟関係を新たにうたったからといって、NATOにおける西欧諸国の運命共同体のように、お互いに共同戦線を張って防衛に当る、あるいは戦争をするというような、そういう集団的自衛権を日米の間で結んだものではありません。アメリカが他国と戦争をした場合、日本の自衛隊を派遣して共同戦線を張ってアメリカを助けるようなことは平和憲法の建前からできません。ASEANの国々を訪問した際に、日本が経済大国から軍事大国になるんではないかという懸念が存在することを察知していましたから、そういう懸念を払しょくするためにもレーガン大統領にはっきり申し上げておく必要があり、相当時間をかけて話しました」。

 これによれば、鈴木首相は、戦後憲法の語る戦後日本の国是としての国際平和協調主義の立場から、日米同盟的に絆を確認したとしても、できること、できないことを仕分けしていることになる。鈴木首相の日米同盟論には「平和で活力ある国際社会を目指す日米関係」が主眼であり、軍事はそういう同盟の一要素でしかなかった。これを分かり易く云えば「ハリネズミ式専守防衛論」であった。これはまさしく戦後ハト派としての真骨頂の軍事防衛論である。今、れんだいこが評すれば、鈴木首相は実は英明な政治家であった。これの論証は別に譲るが、角栄、大平、鈴木が戦後政治の1950-60年-70年代を牽引したことは僥倖であったと考える。三人は出自も能力も似ているのが興味深い。れんだいこは、日本型社会主義の祖として位置づけたいとさえ思っている。こちらが本物の方であると思っている。

 もとへ。当時の新聞マスコミがどう出たか。東京の外務官に「同盟に軍事的意味はないという鈴木首相の発言はナンセンス」とコメントさせ、一斉に「総理の器ではない」、「暗愚の宰相」というキャンペーンを張った。今にして思えば、ナベツネ御一統によるポスト鈴木の受け皿としての中曽根擁立の言論大砲戦であった。そういう悪だくらみが透けて見えてくる。

 その後の日本の軍事防衛論の歩みは衆知の通りである。中曽根が登場する。大国責任論が云われ、軍事予算GNP1%枠を外し拡大一方となる。小泉が登場する。日米同盟論が軍事防衛生命線的に喧伝されるようになる。東南アジアまでとして来た専守防衛地域のタガ嵌めを外し世界各地への武装派兵の道が敷かれる。安倍が登場する。米戦略下での自衛隊の展開が現実にされようとしており、自衛隊が外に向け血を流し内に向け血を流させる道へ誘われつつある。







(私論.私見)