日米軍事同盟の新段階考

 更新日/2017(平成29).8.13日

 1991年12月、ソ連が消滅。

 1992年2月、アメリカ支配層ネオコンは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを作成している。米国は、ソ連消滅後、「唯一の超大国」になったと思い込み、潜在的ライバルを潰して「パクスアメリカーナ」を実現しようとした。この草案は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。

 1994年8月、細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」は「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成する。これはDPG草案の意図するものとは違っていた。

 1995年2月、ジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を公表する。

 1996年4月、橋本龍太郎首相がビル・クリントン大統領と会談、「日米安保共同宣言」が出されて安保の目的は「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大する。

 1997年、「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」で「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。

 1999年、「周辺事態法」が成立する。

 2000年、ナイとリチャード・L・アーミテージ元国防副長官を中心とするグループが「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成。日本はアメリカの戦争マシーンに引きずり込まれていく。

 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンのペンタゴンが攻撃される。並行する形でジョージ・W・ブッシュ政権は「国防政策の見直し」によってアメリカ軍と自衛隊との連携強化を打ち出し、キャンプ座間にアメリカ陸軍の第1軍団司令部を移転、陸上自衛隊の中央即応集団司令部と併置させ、横田基地には在日米空軍司令部と航空自衛隊総隊司令部を併置させることになった。

 2002年4月、小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出。

 2003年、イラク特別措置法案が国会に提出される。

 2004年、アーミテージが自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明。

 2005年、「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて軍事同盟の対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」が放棄された。

 2012年、アーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。

 小泉政権以来、日米軍事同盟がますます強化されつつあり、急ピッチで新局面が「創造」されつつある。一体、小泉首相は如何なる政治哲学で持ってこれを押し進めようとしているのだろうか。大方の善意の勘繰りにも拘らず、識見などは無く、「米英ユ同盟の言いなり首相」なのではなかろうか。我が国の「議会制民主主義」はこれに為す術も無く追認機関へと堕している。戦後は戦前と違って、曲がりなりにも言論、集会、結社の自由が認められ、反体制的左派政党と雖も公然活動が認められているというのにこのテイタラクだ。要するに、日本は漂流し始めており貧相な国になり始めている。

 もはや我が国は本来の意味での主権国家の態を為していない。れんだいこは、これは偶然そうなったのではなく、ここ三十年来このように仕掛けられ、左右両翼がこれに相和して推進した結果である、と見ている。あの、危険極まりない、本当のところ最終のところでソロバンはじくと採算も定かでない原子力発電の妙な形での推進もそうだ。賢明なる西欧諸国は逸早く脱原発しているというのに、我が国では日本列島各地に敷設され安全性を自賛しては事故に見舞われている。この多発地震国家に大丈夫なのかよ。誰も責任を持って問おうとしていない。原発利権組合の意のままに操られている。

 今年は、新潟を始め全国各地に地震被害が発生した。被害対策に財源不足が露呈しつつあり、施策が後手後手に廻っているというのに、数兆円規模のミサイル防衛網敷設計画は着々と進行しつつある。この不自然さに誰も異を唱えない。小泉政権の下、自衛隊が異常に米軍と一蓮托生的「深入り」を強制されつつある。明らかに憲法違反であり、「高度な政治判断」としての許容枠を超えているというのに誰も掣肘し得ない。

 今の日本は、ブッシュご一統ネオコン派が誇るだけのことがある。小泉政権の登場とその施策を見て、日本の馴致化が完成したことを確認している。彼らからすれば、第二次世界大戦の勝利がもたらした果実であり、50年経って完璧に手なづけたことを意味する。イラク戦争もこの論理で貫徹されようとしている。レジスタンス掃討後に、数十年経過すれば、親米英ユ連合政権が登場することを確信し、日本を見よ、と説いている。これを心ある日本人民大衆の見地から見れば、戦争で負けるということは要するにそういうことである、ということになろう。

 この局面で、れんだいこは、以下のことをどうしても発信せざるを得ない。

 れんだいこの見るところ、ソ連邦の解体も軍事的重圧にヤラレタ。そういう反省もあって、世界の歴史的な流れは軍縮にある。戦後憲法による非武装平和国家宣言はむしろ時代の先取りとして垂訓されており、それは大いに評価されるべき原理原則であった。そのお陰で戦後日本は、財源を民生経済の活性化に傾注することができた。社会基盤整備の公共事業が強力に推進された結果、日本は実に国力を伸ばし、いつの間にか世界各地に経済援助できる地位にまで発展した。それは、戦後保守本流を形成したハト派政策の英明な舵取りに負っている。あぁ池田−角栄−大平が懐かしい。

 そのことがはっきりしつつある今、小泉政権は、ハト派政策の遺産のことごとくを解体しつつある。小泉政権はなぜこれほど逆行政治に勤しむのか。尋常では考えられない。そういう風に仕向ける勢力が居り、これに呼応する連中の後押しで、小泉ご一統が権力を乱用していると考える以外に理解できない。

 日本はますます軍事愛好国家に染色されつつあるが、当の米国は、世界の軍縮の流れを読み取り、ソフトランディングで移行しようとしている。「世界の憲兵」たる米国は今、世界各地の基地及び兵力の再編に着手している。現役兵力(現在141万人)は既に第二次世界大戦後最低員数であり、今後更に在ドイツ米軍7万人を2分の1に、在韓米軍3万7千人を3分の1への削減を検討している。

 米国は今、小泉首相を政権トップに戴く日本を絶好機会とみなし、上手く利用し、バックターンの利かない形で楔を打ち込もうとしている。日本は今、米国の世界軍事支配戦略にますます組み込まれようとしている。まさに「軍事的肩代わり」に向けて急ピッチで編成替えが推進されつつある。バルカン−中近東−湾岸−南アジア−東南アジア−北東アジアに至る「不安定の弧」地域の治安対策として、日本を戦略的拠点として位置づけ、「活用」しようとしている。

 この戦略が明らかになりつつあるにも拘らず、既成の与野党から「ちょっと待った」の声が出てこない。口で云えば云ったというそのことで責任果たし顔する万年正義党がこれを裏から支えている。そういうアリバイ的反対は何の役にも立たず、却って悪質だろうに。

 何と!米国西海岸ワシントン州フォートルイスの陸軍第一軍団司令部が座間基地、横田基地に移転されようとしている。2003.11月、ハワイで開かれた外務・防衛当局の審議官級による日米安保事務レベル協議(ミニSSC)の席上で、米側から打診されたとのことである。現在日米間で調整が続いている。この場合、「調整」とは段取りの調整であって、「ノンと云える日本」になって折衝している訳ではない。

 沖縄の基地縮小化の世論を逆手に取り、沖縄から本土への機能移転という名目で、本土の基地機能が強化拡充されようとしている。米軍指揮下への自衛隊の組み込み、それによる基地・施設の共同使用、合同演習、その果ての近未来に自衛隊の実戦部隊としての海外派兵が目論まれている。現在、日米合同の市街戦訓練が演習されていることがこれを裏付けている。

 既に法的整備としては、1996.4月に日米両国が共同宣言で日米同盟を再定義して以来、防衛協力ガイドライン、日米特別行動委員会(SACO)、周辺事態法、有事法制、日米物品相互提供協定(ACSA)改正を手がけてきた。いよいよ最終コースとしてあまりにも目障りな憲法改正に着手せねばならない。これが我が国に敷かれたロードマップである。

 拡声器で憲法改正を声高に唱えてきた諸君、君らの憲法改正論は何のことは無い、米英ユ同盟の指図の受け売りでしかないことが、判明しつつある。何たる非道の愛国者め。

 世の識者は、この流れを、「日本の防衛能力の向上であり危機管理能力の強化である」と嘯いている。こういう提灯族は生涯そういう語りをし続けるのだろう。我が日本の政・官・財・学界のトップはこういう手合いに占拠されている。彼らはマスコミに頻繁に登場し害悪を垂れ流している。御用聞きスタイルのマスコミがそのように後押ししている。こういう手合いが権力を握り、栄耀栄華を極め始めた時代だということを確認せねばなるまい。

 それがなぜ良くないことなのか、いわずもがなのことであるがコメントしておく。一つは、日本の国家予算がますます軍事費調達に向けられ、我々は泣かされることになるということ。戦前もそうだった。その反省から始めた戦後の健全財務体制は遂に戦前並みに先祖帰りした。二つは、米軍中枢を日本に呼び込むことにより、いよいよ日本がゲリラのテロ標的にされるだろうということ。日本をそのような紛争地域にさせたいという仕掛けに意図的に誘われつつあるように思われる。このままいけばいずれ、世界から恨みを買う日本になるであろう。三つに、戦後営々と築いてきた国家的国民的富がますます外資の手に落ちるだろうということ。しなくても良い民営化により、国家が集中管理しておくべき分野の中枢機能がズタズタにされつつある。その窮乏の道へひた走りつつある。四つ目に、神風は何度も吹かない。今度ヤラレタら我が民族は再起不能の損傷を負い、現代米国におけるインディアンのように歴史的文化的遺制として囲い地にのみ棲息するという事態さえ予見される。れんだいこはそれほど危惧している。それはあまりにも無残、ご先祖様に申し訳ないと思う故に発信する次第である。

 2004.12.3日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評756 れんだいこ 2010/06/23
 【新安保条約60年考】

 今日、2010.6.23日は、60年安保闘争時に改定された新安保条約発効後60年になる。これをどう感慨すべきだろうか。れんだいこが愚考してみる。本格的に言及するには時間的余裕と資料がないので、本日の産経新聞13面のオピニオン「正論」欄に掲載された防衛大学名誉教授・佐瀬昌盛氏の「日米安保に『安住』せず再改定を」を題材にして論じることにする。

 れんだいこの読解力に間違いなければ、佐瀬氏は、「10年契約、その後逐年毎の更新」と云う性格の日米安保条約がその後60年も継続していることに「驚きの長寿」を見ている。今やこれを「安住事態」と評している。その上で、現行安保条約の「非対象双務性」に注目し、再改定の必要性を説いている。その趣旨は、「米国は日本共同防衛義務を負うが、日本は米国防衛義務を負わず、代わりに基地提供の義務を負う」のが異例であり、早く「普通の同盟条約」に向けて再改定を考慮すべきとしている。目下の日米安保条約は「国家のモラトリアム欠如」であり、憲法前文の「名誉ある地位を占めたい」と願うなら、自律責任を持つモラトリアム国家に転換すべきと主張している。その模範例としてNATO(北大西洋条約機構)を挙げている。

 この佐瀬見解をどう評すべきだろうか。れんだいこは、日本の防衛大学名誉教授の見識がこの程度のものであることに驚いている。この御仁は基本的に狂っているとみなしたい。戦前の軍事学者なら、日本の防衛を鬼畜米英対抗戦略として位置づけていた筈であろうが、戦後の軍事学者は何と親米英協力戦略として位置づけようとしていることが分かる。その構図の上でモラトリアム国家論を吹聴している。幾ら戦争に負けたからと云っても、それはないのではなかろうか。尤も、こういう戦勝国の太鼓持ち量産の姿こそが敗戦国家の宿命と捉えるべきかも知れない。

 周知のように、敗戦以来、日本の防衛は、米軍管制下でのみ機能するように制度化されている。この構図の下で自衛隊が創出され、共同訓練が実施され、現在では要請されるままに世界各地への自衛隊派兵が常態化している。現代世界を牛耳る国際金融資本の表出権力が米英ユ同盟とすれば、その傭兵的立場で諸紛争地域に投入されつつある。それも次第に戦闘地域の前線派兵が目論まれつつある。自民党内ハト派が政権を握っていた間は、自衛隊の海外派兵は一度たりともなかったが、1980年初頭の中曽根政権登場によるタカ派の政権掌握以来、自衛隊の派兵レールが敷かれることになった。

 問題は、自衛隊派兵のみにあるのではない。日米安保条約の定向進化により、次第に財政出動がうなぎ昇りになり、陸海空三軍の不当価格による兵器購入はむろんのこと当初の米軍基地費用の米軍負担が日本側負担へと転じ、今日では更に再編費用、移転費用まで組み込まれつつある。その金額が天文学的に巨額なものになりつつある。恐ろしいことに、その歯止め論がない。例えばハト派時代の「GNP1%枠」のようなものがなく、この先どこまで絞りとられるのか一向に分からない。しかも、未曽有の国債累積債務を抱え、国家予算の半分を新規国債発行で賄うところまで異常化しており、来る消費税の倍増改定で企業も人民大衆の生活も塗炭の苦しみに遭わされるのが必至の局面で、更に絞りとられようとしている。

 日米安保条約の条文問題もある。60年改定時の条文に従う限り、全文10条のうち何度も国連憲章、国連目的、国連任務との絡みに於いて発動することが要件とされているのに、その後次第にこの制限を失い、今日では国連縛りのないままの日米軍事同盟化傾向を深めつつある。既に日米共同軍事対応に於ける極東区域制限が、小泉政権時の自衛隊のイラクへの軍事派兵、インド洋派兵によって最終的基本的に空洞化されている。これは、日米安保条約条文に従う限りデキナイ派兵である。これが問題にされていない。この反法治主義が国際責務論、日米安保深のめり是認論で糊塗されている。

 佐瀬見解は、これらの問題に於いて何ら有能な識見を披歴せぬまま、日米安保条約の再改定により更なる「日本防衛の米軍管制下でののめり込み」を指針させようとしている。れんだいこが狂っているとする評の意味が分かろう。この佐瀬見解を「正論」として載せる産経新聞の識見も問われようが、産経新聞そのものが狂っておるからして狂い者同士では何ら問題ないのであろう。ここでは産経新聞を槍玉に挙げているが、読売然り、その他大手新聞各紙とも然りであるのが現実である。

 れんだいこは、胸糞の悪いモラトリアム国家論を聞かされて、この後気分転換で飲みに行くことにしている。一度、脳の形を作られると死ぬまで同様の発想しかできぬものらしい。よって、防衛論議にせよ日本の今後の諸問題論議にせよ、既にステロタイプ化された脳者との議論は無意味で、新発想の脳者に委託するに限る。但し、その際の要件は、言葉に酔わない、言葉の内実を吟味して内実に相応しい対応能力を持つ脳者による所為でなければなるまい。

 モラトリアム国家論結構である。ならば、どういう国家がモラトリアム的であるのか。NATO(北大西洋条約機構)諸国家がどうモラトリアム的であるのか。エエ加減にして貰いたいと思う。佐瀬氏は一度靖国へ行き、英霊に懺悔した方が良かろう。悪うございました、お調子者でしたと詫びるが良かろう。以上、簡略ながら、「れんだいこの新安保条約60年考」にする。

 2010.6.23日 れんだいこ拝

 アジア安定とはアジア全域のアメリカナイズ化であり、その戦略に日本の協力が位置づけられている。バラク・オバマ政権はアメリカナイズ化の為にアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を傭兵として使ったが、東南アジアでもそうした動きがある。中曽根政権から安倍政権に至るまで、その準備が進められてきている。




(私論.私見)