2000、2001、2002、2003、2004年宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「2000、2001、2002、2003、2004年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【2000.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

私たちは今日、20世紀最後の8月6日を迎えました。

一発の原子爆弾が作り出した地獄の日から55年、私たちは、絶望の淵(ふち)から甦(よみがえ)った被爆者と共に悲嘆にくれ、慰め励まし、怒り祈り、学び癒(いや)し、そして訴え行動してきました。その結果、広島平和記念都市建設法の制定、原爆死没者慰霊碑の建立、被爆者援護法の制定、南半球を中心とした非核兵器地帯の設定、国際司法裁判所による核兵器使用の違法性判断、包括的核実験禁止条約の締結、原爆ドームの世界遺産化、核保有国による「核兵器全廃に向けた明確な約束」等、多くの成果を挙げることができました。特に、長崎以降、核兵器が実戦において使われなかったことは全人類的成果です。しかし、今世紀中に核兵器の全廃をという私たちの願いは、残念ながら実現に至りませんでした。 

21世紀には、何としてもこの悲願を達成しなくてはなりません。そのためにも今一度、より大きな文脈で被爆体験の意味を整理し直し、その表現手段を確立し、人類全体の遺産として継承していかなくてはなりません。世界遺産として認められた原爆ドーム、被爆に耐えた旧日本銀行広島支店や世界中の子どもたちから寄せられる折鶴(おりづる)の保存や活用はそのためにも重要です。また、「核兵器は違法である」という大きな成果を核兵器廃絶につなげるため、世界平和連帯都市市長会議の力を結集する必要もあります。そして人類の誰(だれ)もが自らの国家や民族の戦争責任を問い、自ら憎しみや暴力の連鎖を断つことで「和解」への道を拓(ひら)くよう、そして一日も早く人類が核兵器を全廃するよう、世界に訴え続けたいと考えています。

コンピュータはもちろん鉛筆も、いや文字さえなかった太古から今日まで、20世紀が他のどの時代とも違うのは、人類の生存そのものを脅かす具体的な危険を科学技術の力によって創(つく)り出してしまったからです。その一つが核兵器であり、もう一つが地球環境の破壊であることは、言うまでもありません。そのどちらも私たち人類が自ら創(つく)り出した問題です。その解決も当然、私たち自身の手で行わなくてはなりません。

核兵器の廃絶を世界に向って呼び掛けてきた広島は、さらに、科学技術を真に「人間的目的」のために活用するモデル都市として新たな出発をしたいと思います。広島そのものが「人間的目的」の具現化であるような未来を、広島の存在そのものが「平和」であることの実質を示す21世紀を創(つく)りたいと考えています。それは人間の存在そのものを危機に陥れた科学技術と、人類との「和解」でもあります。

朝鮮半島における南北首脳会談で両国の首脳が劇的に示してくれたのは、人間的な「和解」の姿です。私たちは、20世紀の初め日米友好の象徴として交換されたサクラとハナミズキの故事に倣(なら)い、日米市民の協力の下、広島にすべての「和解」の象徴としてハナミズキの並木を作りたいと考えています。国際的な場面においても広島は、対立や敵対関係を超える「和解」を創(つく)り出す、調停役としての役割が果せる都市に成長したいと思います。

私たちは改めて、日本国政府が、被爆者の果してきた重要な役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、かつ憲法の前文に則(のっと)って、広島と共に世界に「和解」を広める役割を果すよう、強く要請します。

20世紀最後の8月6日、私たちは、人類の来し方行く末に思いを馳(は)せつつ広島に集い、一本の鉛筆があれば、何よりもまず「人間の命」と書き「核兵器廃絶」と書き続ける決意であることをここに宣言し、すべての原爆犠牲者の御霊(みたま)に衷心より哀悼の誠を捧(ささ)げます。


2000年(平成12年)8月6日


広島市長  秋  葉  忠  利

長崎平和宣言

2000年(平成12年)

 あの日から55年が経ちました。原爆で亡くなられた方々のごめい福を心からお祈りいたします。
  第二次世界大戦の末期、1945年8月9日、午前11時2分、一発のプルトニウム型原子爆弾が、米軍機によって長崎に投下されました。500メートル上空で爆発した原子爆弾は、地上ではセ氏数千度の熱線となって、瞬時にして人々のからだを焼き、黒焦げにしました。強烈な爆風により、人々は吹き飛ばされ、押しつぶされ、家屋やコンクリートの建物も打ち砕かれました。目に見えない放射線は、人々の細胞を破壊し、短期間に死に至らしめました。そのほとんどは子供や女性、老人などの非戦闘員であり、中国人や朝鮮人、連合軍捕虜たちも数多く含まれていました。一命取り留めた人々も、原爆後障害による病気をかかえ、死の恐怖におびえ続けています。この惨状を知る私たち長崎市民は、核兵器廃絶と世界恒久平和を、世界に向けて訴え続けてきました。
  長崎を最後に、戦場で核兵器が使われることはありませんでした。長崎、広島の被爆者の悲惨な体験と訴えが、何よりも核兵器使用を阻止する力となってきたのです。しかし、核被害者は決してそれにとどまりません。核実験や、核兵器・核物質製造の過程で起った事故のため、無数のヒバクシャが生み出されています。アメリカのネバダ、旧ソ連のセミパラチンスク、そして、南太平洋の島々などで、2,000回以上の核実験が行われ、そこに住む多くの人々の生命と健康を奪い、地球環境を汚染しました。
  核兵器、それは人類の滅亡をもたらすものです。世界の皆さん、今なお世界には約3万発もの核兵器が残されています。私たちの力で、核時代を過去のものにしようではありませんか。国際司法裁判所は、1996年の勧告的意見の中で、核兵器の威嚇と使用は人道と国際法に反すると指摘しました。核兵器廃絶を求める世界の人々の声は、今年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議で、核保有国から「核兵器廃絶に向けた明確な約束」をひきだしました。核保有国は、この約束を実行するために、核兵器全面禁止条約の早期締結に向けた多国間交渉を直ちに始めるべきです。
  わが国政府は、過去の戦争についての反省を明らかにし、被害を与えた国の人々との間に存在する未解決の問題に、誠実に対応することが必要です。その上で、世界最初の被爆国として、核兵器廃絶の先導的役割を果たすべきです。南北朝鮮の対話が始まった今こそ、非核三原則を法制化したうえで、北東アジア非核地帯を創設し、核の傘から脱却することを求めます。また、国内外の被爆者援護の一層の充実に努め、未だに被爆地域に指定されていない未指定地域の方々が、健康への不安に悩み苦しみ続けている事実にも目を向けてください。
  核兵器、それは人類の滅亡をもたらすものです。戦争を知らない若い世代の皆さん、世代を越え、国境を越えて協力し、これまでの歴史から、戦争の愚かさ、核兵器の恐ろしさを正確に学び取って欲しいのです。来るべき21世紀を、戦争や核兵器のない「平和の世紀」にするために、共に手を取り合って行動しましょう。  長崎市は、被爆から55年にわたる平和への思いと、21世紀への希望をもって、新たな一歩を踏み出します。核兵器廃絶への道筋を作るため、今こそ国内外のNGOの力を結集する時です。今年11月の「核兵器廃絶ー地球市民集会ナガサキ」に多くの市民、NGOの参加を期待します。
  ここに、私たち長崎市民は、長崎が核戦争最後の被爆地となることを願って、21世紀を核兵器のない時代とするため、力強く前進することを世界に向けて宣言します。

2000年(平成12年) 8月9日
長崎市長 伊藤 一長


【2001.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

今世紀初めての8月6日を迎え、「戦争の世紀」の生き証人であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない、「平和と人道の世紀」にするため、全力を尽すことを宣言します。

人道とは、生きとし生けるものすべての声に耳を傾ける態度です。子どもたちを慈しみ育(はぐく)む姿勢でもあります。人類共通の未来を創(つく)るため和解を重んじ、暴力を否定し理性と良心に従って平和的な結論に至る手法でもあります。人道によってのみ核兵器の廃絶は可能になり、人道こそ核兵器の全廃後、再び核兵器を造り出さない保障でもあります。

21世紀の広島は人道都市として大きく羽ばたきたいと思います。世界中の子どもや若者にとって優しさに満ち、創造力とエネルギーの源であり、老若男女誰(だれ)にとっても憩いや寛(くつろ)ぎの「居場所」がある都市、万人のための「故郷(ふるさと)」を創(つく)りたいと考えています。

しかし、暦の上で「戦争の世紀」が終っても、自動的に「平和と人道の世紀」が訪れるわけではありません。地域紛争や内戦等の直接的暴力だけでなく、環境破壊をはじめ、言論や映像、ゲーム等、様々な形をした暴力が世界を覆い、高度の科学技術によって戦場は宇宙空間にまで広がりつつあります。

世界の指導者たちは、まず、こうした現実を謙虚に直視する必要があります。その上で、核兵器廃絶への強い意志、人類の英知の結晶である約束事を守る誠実さ、そして和解や人道を重視する勇気を持たなくてはなりません。

多くの被爆者は、そして被爆者と魂を重ねる人々は、人類の運命にまで自らの責任を感じ、岩をも貫き通す堅い意志を持って核兵器の廃絶と世界平和を求めてきました。被爆者にとって56年前の「生き地獄」は昨日のように鮮明だからです。その記憶と責任感、意志を、生きた形で若い世代に伝えることこそ、人類が21世紀を生き延び、22世紀へ虹色の橋を架けるための最も確実な第一歩です。

そのために私たちは、広い意味での平和教育の再活性化に力を入れています。特に、世界の主要大学で「広島・長崎講座」を開講するため私たちは努力を続けています。骨格になるのは、広島平和研究所等における研究実績です。事実に基づいた学問研究の成果を糧(かて)に、私たち人類は真実に近付いてきたからです。

今、広島市と長崎市で世界平和連帯都市市長会議が開催されています。21世紀、人道の担い手になる世界の都市が、真実に導かれ連帯することで核兵器の廃絶と世界平和を実現するための会議です。近い将来、この会議の加盟都市が先頭に立って世界中に「非核自治体」を広げ、最終的には地球全体を非核地帯にすることも夢ではありません。

わが国政府には、アジアのまとめ役として非核地帯の創設や信頼醸成のための具体的行動、ならびに国策として核兵器禁止条約締結の推進を期待します。同時に、世界各地に住む被爆者の果してきた役割を正当に評価し、彼らの権利を尊重し、さらなる援護策の充実を求めます。その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、憲法の前文に則(のっと)って、広島と共に「平和と人道の世紀」を創(つく)るよう、強く要請します。

21世紀最初の8月6日、私たちは今、目の前にある平和の瞬間(とき)を、21世紀にそして世界に広げることを誓い、すべての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。


2001年(平成13年)8月6日


広島市長  秋  葉  忠  利

長崎平和宣言

2001年(平成13年)

 新しい世紀を迎えた今、原爆で亡くなられた方々と、国内外のすべての戦争犠牲者のごめい福を心からお祈りし、被爆地長崎から平和への願いを世界に訴えます。
  私たち長崎市民は、被爆地の声として、21世紀を核兵器のない時代にしようと訴え続けてきました。しかし地球上には今なお3万発もの核弾頭が存在し、核兵器の脅威は宇宙にまで広がろうとしています。56年前の原爆でさえ、たった一発で、一瞬にして、この地を地獄に変えました。
  20世紀は、人類にとって科学技術と人権思想の大いなる進歩の世紀でした。その一方で、核兵器という人類の絶滅兵器を生み出しました。核保有国は冷戦体制が終わったあとも核兵器を手放さず、しかも最近、超核大国のなかには、核軍縮の国際的約束ごとを一方的に破棄しようとする態度が見られます。これは核兵器をなくそうとする努力を無にしようとするものであり、私たちは強く反対します。
  昨年5月、NPT(核不拡散条約)再検討会議で合意された「核兵器廃絶に向けた核兵器国による明確な約束」は、単に言葉だけの約束であってはならないはずです。私たちは、その実現をせまるため、世界の人々と共に声をあげ続けます。
  日本政府が被爆国として、核兵器禁止条約の締結に向けた国際会議の開催を提唱し、核兵器廃絶のため積極的役割を果たすことを求めます。そして、憲法の平和理念を守り、過去の侵略の歴史を直視することによって近隣諸国との信頼関係を築き、北東アジア非核兵器地帯の実現に努力して「核の傘」から脱却すべきです。そのためにも、「非核三原則」の法制化が必要です。
  また、国内および海外の被爆者に対する援護のより一層の充実を強く求めます。56年が経過した今も、高齢化が進む被爆者の心とからだの不安や苦しみは、薄れるどころか、年を追うごとに増大しています。さらに、長崎市とその周辺の被爆未指定地域にも、同じように苦しんでいる人がいることを忘れないでください。
  今、長崎では、若い人たちが平和を求めてみずから企画し、さまざまな活動に取り組み始めています。高校生の間では、核兵器廃絶を求める1万人署名の運動が繰り広げられています。このように主体的に考え、行動する若者が育っていることを私たちは誇りに思います。若い人たちが、原爆、平和、人権について世代をこえて話し合い、学ぶことができるよう、長崎市は、「ナガサキ平和学習プログラム」を創設し、平和のために積極的に行動する人材の育成につとめます。
  昨年11月、日本で初めて自治体とNGOが連携して「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開かれました。その中で、地球市民の活動は世界を動かすことができると実感しました。私たちは、世界の草の根運動によって対人地雷全面禁止条約が結ばれたことを思い起こし、世界の都市やNGOとの連帯を強め、核兵器廃絶運動の先頭に立って進みます。
  長崎は、最後の被爆地でなければなりません。ここに、私たち長崎市民は、21世紀を戦争や核兵器のない平和な世紀とするため、力の限り努力していくことを宣言します。

2001年(平成13年) 8月9日
長崎市長 伊藤 一長


【2002.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

57年前、「この世の終り」を経験した被爆者、それ故に「他(ほか)の誰(だれ)にもこんな思いをさせてはならない」と現世の平和を願い活動してきた被爆者にとって、再び辛(つら)く暑い夏が巡ってきました。

一つには、暑さと共に当時の悲惨な記憶が蘇(よみがえ)るからです。

それ以上に辛(つら)いのは、その記憶が世界的に薄れつつあるからです。実体験を持たない大多数の世界市民にとっては、原爆の恐ろしさを想像することさえ難しい上に、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』やジョナサン・シェルの『地球の運命』さえも忘れられつつあります。その結果、「忘れられた歴史は繰り返す」という言葉通り、核戦争の危険性や核兵器の使用される可能性が高まっています。

その傾向は、昨年9月11日のアメリカ市民に対するテロ攻撃以後、特に顕著になりました。被爆者が訴えて来た「憎しみと暴力、報復の連鎖」を断ち切る和解の道は忘れ去られ、「今に見ていろ」そして「俺の方が強いんだぞ」が世界の哲学になりつつあります。そしてアフガニスタンや中東、さらにインドやパキスタン等、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に女性・子供・老人等、弱い立場の人たちです。

ケネディ大統領は、地球の未来のためには、全(すべ)ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだと述べました。その枠組みの中で、人類共通の明るい未来を創(つく)るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが「和解」の意味なのです。

また「和解」の心は過去を「裁く」ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創(つく)ることにあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切です。だからこそ私たちは、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設しようとしているのです。

広島が目指す「万人のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には理性と良心そして共感の船が行き交い、やがて希望と未来の海に到達します。

その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。

アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。

日本国憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を「他(ほか)の全(すべ)ての国と同じように」戦争のできる、「普通の国」にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。

その第一歩は、謙虚に世界の被爆者の声に耳を傾けることから始まります。特に海外に住む被爆者が、安心して平和のメッセージを世界に伝え続けられるよう、全(すべ)ての被爆者援護のための施策をさらに充実すべきです。

本日、私たち広島市民は改めて57年前を想(おも)い起し、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造するため、あらん限り努力することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。


2002年(平成14年)8月6日


広島市長  秋  葉  忠  利

長崎平和宣言

2002年(平成14年)

 57年前の今日、8月9日、長崎のまちは一瞬にして廃虚と化しました。高度9,600メートルから投下された一発の原子爆弾は、地上500メートルの上空で炸裂し、数千度の熱線と猛烈な爆風が、老人に、女性に、そして何の罪もない子どもたちにまでも襲いかかりました。死者7万4,000人、負傷者は7万5,000人に及びました。これまでに、多くの人々が恐るべき放射線によって白血病やがんに蝕まれ亡くなりました。半世紀余りを経た今も、被爆者は健康に不安を抱え、死の恐怖におびえる日々を過ごしています。
  大量無差別殺りく兵器である核兵器が再び使用されれば、地球環境の破壊はもとより、人類の生存さえ危ぶまれます。長崎市民は、自らの悲惨な被爆体験に基づき、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けてきました。しかしながら、今なお、長崎に落とされた原爆よりもはるかに強力な威力を持つ核弾頭が、3万発も存在し、その多くはいつでも発射できる状態にあります。
  昨年9月11日、米国で同時多発テロが発生しました。私たちは、一般市民へのこのような無差別攻撃に強い怒りを覚えます。これを機に、アフガニスタンへの軍事攻撃や中東における紛争が激化しました。さらに、核兵器の使用さえ懸念されるインド・パキスタンの軍事衝突が起こるなど、国際的緊張も高まっています。
  このような国際情勢の中で、米国政府は、テロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、ミサイル防衛計画を進めています。さらに包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、水爆の起爆装置の製造再開、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃などの可能性を表明しています。また、ロシアと締結した戦略攻撃兵器削減条約も、取り外す核弾頭の多くを再び配備できるようにするなど、国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません。世界の良識ある人々も強く批判しています。
  本年5月の、日本政府首脳による非核三原則見直し発言は、被爆地長崎の心を踏みにじりました。我が国は、唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ責務があります。そのためにも、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則を直ちに法制化すべきです。長崎市議会も法制化を求める決議を採択しました。政府は、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手し、「核の傘」に頼らない姿勢を国際社会に向かって明確に示すべきです。同時に、高齢化が進む国内外の被爆者に対する援護の充実に努めてください。
  長崎においては、市民と行政が一体となって、2003年11月の「第2回世界NGO会議」の開催に向けて取り組みを進めています。今日、核兵器反対を宣言した自治体は、全国の8割にも達しています。私たちは、NGO・自治体及び国連機関と連帯を図りながら、平和な社会を築くために努力する決意です。
  被爆者は、「核兵器による犠牲は自分たちが最後でありたい」と願っています。若いみなさん、この被爆者の平和への思いを受け止め、自らが何をなすべきか考え、行動し、将来に語り継ごうではありませんか。今、長崎には、平和のためのボランティア活動に取り組む数多くの若者がいます。長崎市は、このような活動の輪が広がるように支援し、自主的に行動する若者を育成するための「ナガサキ平和学習プログラム」をさらに推進します。
  相互理解と話し合いによって核兵器をなくすことが、平和な世界を実現するための絶対条件です。市民のみなさん、私たち一人ひとりが立ち上がり、日本を、世界を、平和へと導いていこうではありませんか。
  核兵器による惨禍は長崎を最後にしなければなりません。被爆57周年にあたり、原爆で亡くなられた方々のごめい福をお祈りし、長崎市民の名において、核兵器のなくなるその日まで、たゆまず努力していくことをここに宣言します。

2002年(平成14年) 8月9日
長崎市長 伊藤 一長


秋葉広島市長と小泉首相の鮮やかな対比考 れんだいこ 2003/08/09
 2003.8.6日、広島で原爆慰霊祭が行われた。れんだいこはたまたまその時テレビを付け、その様子を見た。前後は失念したが、小学生か中学生か男女それぞれが平和の訴えを真剣に為した。広島市長秋葉忠利氏が、以下のようなメッセージを読み上げた。昨今珍しい歯に衣着せぬ宣言文で、心を打った。「日本の洗濯」は、各員がそれぞれの持ち場からかような態度を旗幟鮮明にしていくことからもたらされるのでは無かろうか。

 滑稽なことは、秋葉市長の力強く怜悧な告発の後を受けて小泉首相が登壇し、通り一片の官僚作文を棒読みしたことである。鮮やかな対比であった。この時、一国の総理の器に在らざる様子を見て取ったのはれんだいこだけであろうか。

 宣言文は云う。核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕(ひん)しているのは、「『核兵器は神』であることを奉じる米国の核政策が最大の原因」である。胸のすくような指摘では無かろうか。続いて、今や我が国が、「国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵(かじ)を切っている」状況にあると懸念を表明する。「『戦争が平和』だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝(けんでん)」されているとも告発する。リンカーン大統領の「全(すべ)ての人を永遠に騙(だま)すことはできません」の言葉を引用して、「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ」、「力の支配は闇、法の支配が光」だと訴える。

 米国のブッシュ大統領の広島訪問を呼びかけ、日本政府に対しては、「唯一の被爆国」としての日本の国際責務を果たせと要望する。「同時に、世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか」とも呼びかける。

 政治を執行する立場の者が変われば、これだけ表現が変わる。おざなりの官僚作文が退けられ、こんなに生き生きとした言葉に変わる。それが確認できたような平和宣言であったと思う。及ばずながられんだいこも何がしか寄与してみたいと思う。

 ちなみにれんだいこは被爆二世です。親父が緊急召集に応じ、投下直後に広島入りしたことに因ります。その親父はやはりガンで逝った。平和がなぜ大事かというと、戦争が常に本来何の憎しみも無い人民大衆同志の犠牲で成り立ち、仕掛け人の方はいつも後方でぬくぬくしているという許し難さにもある。前線を「天皇陛下万歳」で送り出した司令官が逸早く逃げ帰った例は枚挙に暇ない。今日の戦争屋も又然りであることは疑いない。

 例の、「フセインが見つからないといって、フセインが居ないということにはならない。イラクで危険兵器が見つからないといって存在しないことにはならない」なる詭弁を弄び、各国の元首に興じて披瀝する脳タリン野郎など、さしづめ人には戦地に赴かせ、おのれは歌舞伎に興じる手合いだろう。漬ける薬が無いとはこういう手合いのことを云うのだろう。

 せっかくだから、小泉に返答しておこう。「明らかに存在していたフセインが隠れた例と、未だ存在そのものが確認できない危険兵器とを同一条件で設定し、『どちらも見つからないといって存在しないことにはならない』などと結論づけ得意がる」汝は、言動記録が克明に残される首相として、恥ずかしくないか。れんだいこは、歴史にこれほど汚濁を垂れ流す首相を知らない。

 悪いことは云わない。日本史上の恥の上塗りになるから、一刻も早く引退しなさい。その小泉にあやかって選挙戦を乗り切ろうなどというさもしい根性の政治家も同様である。君らは十分飯食ってきた。もうこれ以上我が国を悪くせんといてくれ。頭丸めて総辞職し、二度と議事堂へ立ち寄りしなさんな。

 2003.8.9日 れんだいこ拝


【2003.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」
 平和宣言

今年もまた、58年前の灼熱(しゃくねつ)地獄を思わせる夏が巡って来ました。被爆者が訴え続けて来た核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変わり、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります。

 一つには、核兵器をなくすための中心的な国際合意である、核不拡散条約体制が崩壊の危機に瀕(ひん)しているからです。核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研究を再開するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策が最大の原因です。

 しかし問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵(かじ)を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝(けんでん)されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭(ぬぐ)えぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未(いま)だに見つかっていません。

 かつてリンカーン大統領が述べたように「全(すべ)ての人を永遠に騙(だま)すことはできません」。そして今こそ、私たちは「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ」という真実を見つめ直さなくてはなりません。「力の支配」は闇、「法の支配」が光です。「報復」という闇に対して、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という、被爆者たちの決意から生まれた「和解」の精神は、人類の行く手を明るく照らす光です。

 その光を掲げて、高齢化の目立つ被爆者は米国のブッシュ大統領に広島を訪れるよう呼び掛けています。私たちも、ブッシュ大統領、北朝鮮の金総書記をはじめとして、核兵器保有国のリーダーたちが広島を訪れ核戦争の現実を直視するよう強く求めます。何をおいても、彼らに核兵器が極悪、非道、国際法違反の武器であることを伝えなくてはならないからです。同時に広島・長崎の実相が世界中により広く伝わり、世界の大学でさらに多くの「広島・長崎講座」が開設されることを期待します。

 また、核不拡散条約体制を強化するために、広島市は世界の平和市長会議の加盟都市並びに市長に、核兵器廃絶のための緊急行動を提案します。被爆60周年の2005年にニューヨークで開かれる核不拡散条約再検討会議に世界から多くの都市の代表が集まり、各国政府代表に、核兵器全廃を目的とする「核兵器禁止条約」締結のための交渉を、国連で始めるよう積極的に働き掛けるためです。

 同時に、世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

 また「唯一の被爆国」を標榜(ひょうぼう)する日本政府は、国の内外でそれに伴う責任を果たさなくてはなりません。具体的には、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする新・非核三原則を新たな国是とした上で、アジア地域の非核地帯化に誠心誠意取り組み、「黒い雨降雨地域」や海外に住む被爆者も含めて、世界の全(すべ)ての被爆者への援護を充実させるべきです。

 58年目の8月6日、子どもたちの時代までに、核兵器を廃絶し戦争を起こさない世界を実現するため、新たな決意で努力することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げます。

 2003年(平成15年)8月6日 広島市長 秋葉忠利

長崎平和宣言

2003年(平成15年)

 近代的な建物や家々が立ち並び、緑豊かな現在の長崎のまちからは、あの日の出来事は想像できません。第二次世界大戦の末期、58年前の8月9日、午前11時2分。米軍機が投下した一発の原子爆弾は、松山町の上空約500メートルで炸裂しました。熱線と爆風、放射線が一瞬にして人とまちを襲い、長崎はこの世の地獄となりました。死者7万4千人、負傷者7万5千人。死を免れた人々の多くは、身体と心に癒すことのできない深い傷を負い、今なお原爆後障害や被爆体験のストレスによる健康障害に苦しみ続けています。私たちは、このような悲惨な体験を繰り返してはならないと、核兵器廃絶と世界平和を訴え続けてきました。
  そのような中で、今年3月、米英両国は、イラクの大量破壊兵器保有を理由に、国連の決議を得ることなく、先制攻撃による戦争を強行し、兵士のほか、多数の民間人が犠牲となりました。国際協調による平和的解決を求める私たちの訴えや、世界的な反戦運動の高まりにもかかわらず、戦争を阻止できなかったことは、無念でなりません。
  昨年1月、米国政府は、核兵器を巡る政策・戦略の見直しを行い、小型核兵器などの開発や核爆発実験の再開を示唆し、場合によっては核兵器の使用も辞さない姿勢をあらわにしています。一方、インド・パキスタンの核実験に続いて、朝鮮民主主義人民共和国の核兵器保有発言が、国際社会の緊張を高めています。核軍縮と核兵器拡散防止、あらゆる核実験禁止などの国際的取り決めは、今や崩壊の危機に瀕しています。
  かつて長崎を訪れたマザー・テレサは、原子爆弾によって黒焦げになった少年の写真を前に、「すべての核保有国の指導者は、ここに来てこの写真を見るべきです」と述べました。米国をはじめ核保有国の指導者は、今こそ原爆資料館に来て、核兵器がもたらす悲惨な結末を自分の目で見てください。
  日本政府は、被爆国の政府として、核兵器廃絶へ向け先頭に立つべきです。日本の軍事大国化や核武装を懸念する内外の声に対して、専守防衛の理念を守り、非核三原則の法制化によって日本の真意を示してください。近隣諸国と協力して、朝鮮半島非核化共同宣言を現実のものとし、日朝平壌(ピョンヤン)宣言の精神に基づき、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手すべきです。
  若い世代の皆さん。人類は幸福を追求するために、科学・技術を発達させてきました。その使い方を誤ったとき、人類に何がもたらされたのか、長崎・広島で何があったのかを学んでください。今世界で起こっていることに目を向け、平和を実現するためにできることを考え、互いに手を取り合って行動しましょう。
  長崎では、高齢に達した被爆者が、懸命に被爆体験を語り続けています。多くの若者が、積極的に平和のための活動やボランティアに取り組んでいます。長崎市は、これからも被爆体験を風化させることなく継承し、学び、考える機会を提供します。本年11月には、平和を願う世界の人々やNGOとともに、2回目の「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催し、2005年に国連で開かれる核不拡散条約再検討会議に向けて、核兵器廃絶を求める各国市民の声を、長崎から発信します。
  被爆58周年にあたり、原爆で亡くなられた方々の苦しみを深く思い、御霊(みたま)の安らかならんことを祈りつつ、長崎市民は、核兵器のない真の平和な世界を実現する決意を宣言します。

2003年(平成15年) 8月9日
長崎市長 伊藤 一長


【2004.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 平和宣言

 「75年間は草木も生えぬ」と言われたほど破壊し尽された8月6日から59年。あの日の苦しみを未(いま)だに背負った亡骸(なきがら)――愛する人々そして未来への思いを残しながら幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にした仏たちが、今再び、似島(にのしま)に還(かえ)り、原爆の非人間性と戦争の醜さを告発しています。

 残念なことに、人類は未(いま)だにその惨状を忠実に記述するだけの語彙(ごい)を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています。また、私たちの多くは時代に流され惰眠(だみん)を貪(むさぼ)り、将来を見通すべき理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。

 その結果、米国の自己中心主義はその極に達しています。国連に代表される法の支配を無視し、核兵器を小型化し日常的に「使う」ための研究を再開しています。また世界各地における暴力と報復の連鎖は止(や)むところを知らず、暴力を増幅するテロへの依存や北朝鮮等による実のない「核兵器保険」への加入が、時代の流れを象徴しています。

 このような人類の危機を、私たちは人類史という文脈の中で認識し直さなくてはなりません。人間社会と自然との織り成す循環が振り出しに戻る被爆60周年を前に、私たちは今こそ、人類未曾有(みぞう)の経験であった被爆という原点に戻り、この一年の間に新たな希望の種を蒔(ま)き、未来に向かう流れを創(つく)らなくてはなりません。

 そのために広島市は、世界109か国・地域、611都市からなる平和市長会議と共に、今日から来年の8月9日までを「核兵器のない世界を創(つく)るための記憶と行動の一年」にすることを宣言します。私たちの目的は、被爆後75年目に当る2020年までに、この地球から全(すべ)ての核兵器をなくすという「花」を咲かせることにあります。そのときこそ「草木も生えない」地球に、希望の生命が復活します。

 私たちが今、蒔(ま)く種は、2005年5月に芽吹きます。ニューヨークで開かれる国連の核不拡散条約再検討会議において、2020年を目標年次とし、2010年までに核兵器禁止条約を締結するという中間目標を盛り込んだ行動プログラムが採択されるよう、世界の都市、市民、NGOは、志を同じくする国々と共に「核兵器廃絶のための緊急行動」を展開するからです。

 そして今、世界各地でこの緊急行動を支持する大きな流れができつつあります。今年2月には欧州議会が圧倒的多数で、6月には1183都市の加盟する全米市長会議総会が満場一致でより強力な形の、緊急行動支持決議を採択しました。

 その全米市長会議に続いて、良識ある米国市民が人類愛の観点から「核兵器廃絶のための緊急行動」支持の本流となり、唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果すよう期待します。

 私たちは、核兵器の非人間性と戦争の悲惨さとを、特に若い世代に理解してもらうため、被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及に力を入れると共に、さらにこの一年間、世界の子どもたちに大人の世代が被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開します。

 日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡(ただ)すべきです。また、唯一の被爆国の責務として、平和市長会議の提唱する緊急行動を全面的に支持し、核兵器廃絶のため世界のリーダーとなり、大きなうねりを創(つく)るよう強く要請します。さらに、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 本日私たちは、被爆60周年を、核兵器廃絶の芽が萌(も)え出る希望の年にするため、これからの一年間、ヒロシマ・ナガサキの記憶を呼び覚ましつつ力を尽し行動することを誓い、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 2004年(平成16年)8月6日 
広島市長  秋葉忠利

長崎平和宣言

2004年(平成16年)

 はたして世界のどれだけの人が記憶しているでしょうか。59年前の今日、8月9日、午前11時2分、米軍機から投下された一発の原子爆弾によって、まちは一瞬にして廃墟と化しました。死者7万4千人、負傷者7万5千人。現在の長崎は、美しい街並みとなり、国内外から訪れる人で賑わい、人々は個性ある伝統と文化の中で暮らしています。しかし、このまちには、高齢に達した今もなお、原爆後障害や被爆体験のストレスによる健康障害に苦しみ続けている多くの人々がいるのです。そのような長崎市を代表する者として、すでに亡くなられた方々の苦しみをも深く思いつつ、世界に強く訴えます。

  アメリカ市民の皆さん。59年間にわたって原爆がもたらし続けているこの悲惨な現実を直視してください。国際司法裁判所の勧告的意見は、核兵器による威嚇と使用が一般的に国際法に違反することを明言しています。しかし、アメリカ政府は、今なお約1万発の核兵器を保有し続け、臨界前核実験を繰り返しています。また、新たに開発しようとしている小型核兵器は、小型といっても凄まじい威力を持つものです。放射線障害をもたらす点では、長崎に落とされた原爆と違いはありません。世界の超大国が、核兵器に依存する姿勢を変えない限り、他の国の核拡散を阻止できないことは明らかです。アメリカ市民の皆さん、私たち人類の生存のために残された道は、核兵器の廃絶しかないのです。今こそ、ともに手を携えてその道を歩みはじめようではありませんか。

  世界の皆さん。今、世界では、イラク戦争やテロの頻発など、人間の生命を軽んじる行為が日常的に繰り返されています。私たちは、英知を集め、武力ではなく外交的努力によって国際紛争を解決するために、国連の機能を充実・強化すべきです。来年は被爆60周年を迎えます。国連で開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議へ向け、平和を願う一般市民やNGOなど、地球市民による連帯の力を結集し、非人道兵器の象徴ともいえる核兵器の廃絶に道筋をつけさせようではありませんか。

  日本政府に求めます。日本国憲法の平和理念を守り、唯一の被爆国として、非核三原則を法制化すべきです。この非核三原則と朝鮮半島の非核化を結びつけることによって、北東アジア非核兵器地帯を生み出す道が開けます。それは同時に、日朝平壌宣言の具体化にも合致し、また、日本自らが核兵器に頼らない独自の安全保障のあり方を求めることにもつながるのです。

  若い世代の皆さん。今、長崎市では、被爆の実相や命の尊さを学ぶことにより、多くの若者たちが平和について考え、自ら行動するようになりました。私たちは、混迷を深める世界情勢の中にあって、この若者たちの情熱に希望の光を見いだしています。一人ひとりが平和の問題に関心を持ち、身近なところから行動することが、核兵器の廃絶と世界平和の実現につながるのです。長崎市は、これからも被爆体験を継承し、平和学習の拠点都市として、平和の大切さを発信し続けます。そして、皆さんとの強い連帯が生まれることを願っています。

  被爆59周年にあたり、原爆で亡くなられた方々の御霊(みたま)の平安を祈りつつ、長崎市民は、核兵器のない真の平和な世界を実現するために、たゆまず努力することを宣言します。

2004年(平成16年) 8月9日
長崎市長 伊藤 一長






(私論.私見)