1985、1986、1987、1988、1989年平和宣言 |
(最新見直し2007.8.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに「1985、1986、1987、1988、1989年平和宣言」を収録しておくことにする。 2007.8.7日 れんだいこ拝 |
【1985.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
ノーモア・ヒロシマ。 いま、ここに、40年目の暑い夏を迎えた。人類史上最初の核兵器による熱線、爆風、放射線が一瞬にしてこの地の生きとし生けるものを焼き尽くし、広島は瓦礫の街と化した。 この廃墟に立ったわれわれは、その時、核兵器をもって争う戦争は、人類の破滅と文明の終焉に至るものであると予見し、核兵器の廃絶をひたすら訴え続けてきた。 ヒロシマのこの不断の努力にもかかわらず、核兵器は、ますます量的に拡大し、質的に高度化しつつ、実戦配備が進められ、まさに人類は核戦争の危機に直面している。 しかるに、核超大国の米ソは、本年3月、長い間中断していた核軍縮交渉をようやく再開はしたが、宇宙空間にまで展開した核戦略をめぐる交渉において相互にかけひきを繰り返し、遅々として進展が見られず、まことに憂慮に耐えない。 きょうの逡巡(しゅんじゅん)は、あすの破滅につながる。 ヒロシマの地獄を地球上に再現させないために、人類生存の命運をにぎる米ソ両国は、直ちに核実験を全面停止し、ジュネーブの首脳会談において全人類的見地から核兵器廃絶への英断を行うよう強く要請する。 唯一の被爆国として、日本政府は、国是である非核三原則を厳守し、核兵器廃絶への先導的役割を果たすべきである。また、原爆死没者調査が実施されるいまこそ、被爆の特異性にかんがみ、国家補償の精神に基づく画期的な被爆者援護対策の確立されんことを切望する。 被爆都市広島は、世界の恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として平和記念都市の建設に邁進している。この使命を担って、ここに、第一回世界平和連帯都市市長会議を開催した。平和を希求する世界のあらゆる都市が、国境を越え、思想・信条の違いを超えて連帯し、恒久平和確立への国際世論を喚起しようとするものである。 時あたかも、国際青年年に当たる。21世紀を担う世界の青少年が「ヒロシマの心」を受け継ぎ、連帯と友情の輪を広げ、平和の推進に努力することを期待する。 われわれは、一つの地球上に住む運命共同体である。共存なくして人類の存在はない。共栄なくして人類の未来はない。この緑の地球を核の冬から守るために、英知をもって不信と対立とを克服しなければならない。協調と相互理解の精神にたって、限りある資源を分かち合い、飢餓や貧困を根絶しなければならない。 ノーモア・ヒロシマ。 再び過ちを繰り返さないために、友好と連帯の絆を強めようではないか。 本日、被爆40周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)を弔うとともに、ヒロシマは、一切の核兵器を拒否し、平和への限りない前進を誓うものである。
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長崎平和宣言 |
1985年(昭和60年) |
日本の皆さん、世界の皆さん、長崎の声を聞いて下さい。原爆が投下され てから40年、一日として忘れられないあの日、11時2分、強烈な青白い光は眼を焼き、秒速五百米の猛烈な爆風は人間の体を灼熱の空に吹き上げ、火煙の中 に屋根がわらは渦を巻き、窓ガラスの破片は人間の体に襲いかかり、セ氏三千度を超える熱線は、人間を内部まで黒々と焼いた。真夏の昼は、キノコ雲の下でた ちまち暗くなった。七万数千人が焼かれ、黒焦げになり、爆風にたたきつけられて死んだ。皮膚を焼かれた裸の男が炎をのがれてよろめき、血だらけの死んだ子 供が死んだ父親を引きずり、若い母親が首のない乳のみ子を抱きしめて、あえぎながら歩いて行く。
1985年(昭和60年) 8月9日 |
【1986.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
平和、それはヒロシマの悲願である。 41年前のあの日、ヒロシマは灼熱の閃光と地軸を揺がす轟音とともに壊滅した。この世ならぬ凄惨な生き地獄は、まさに、阿鼻叫喚の巷であった。 その廃墟の中から立ち上がった広島は、再び過ちを繰り返させないために、ひたすら核兵器廃絶と世界の恒久平和を訴え続けてきた。 昨年、8月6日以降、ソ連が核実験を停止し、また、米ソ首脳会談が開催され、核軍縮の前途に曙光を見い出し得たかに思われた。しかし、核軍縮交渉は遅々として進まず、核兵器は質的、量的に増強され、核戦略は宇宙空間にまで拡大されようとしている。 この時起こったソ連のチェルノブイリ原発事故は、人びとを放射能の恐怖に陥れ、安全管理の国際協力に大きな課題を残すとともに、一国の事故が他国にも禍いを及ぼすことを知らしめ、世界は核時代の現実に慄然とした。 加えて、局地戦争やテロ行為も多発し、飢餓、難民、人権抑圧の諸問題もきわめて深刻である。 不幸にして凶弾に倒れた故パルメ・スウェーデン首相は、広島で階段の石に焼きつけられた人影を見て、「核戦争が起こればこの人影すら残らないだろう」と、人類の終末を予見した。 ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議」のメンバーが、本年6月広島を訪れ、被爆の実相に驚愕し、核実験即時停止を強く訴えた。 本日、世界各地でヒロシマ・デーか開催され、メキシコでは、非同盟6ヵ国首脳が相集い、核軍縮を世界に訴える。 いまや、核兵器廃絶と平和を願うヒロシマの声は世界の世論である。 逡巡は許されない。 核保有国は、直ちに核実験を永久に停止すべきである。人類生存の命運を握る米ソ両国は、世界最初の被爆地広島において首脳会談を開催し、核軍縮への具体的な方策を明示すべきである。 国連事務総長は、米ソ両首脳の広島訪問を積極的に働きかけるとともに、第3回軍縮特別総会を速やかに開催すべきである。 日本政府は、これらの実現に努め、憲法の平和理念に基づき、国是である非核三原則を厳守し、核兵器廃絶への先導的役割を果たすべきである。 時恰も国際平和年。 ヒロシマは、ここに、「平和サミット」を開催し、核兵器廃絶と恒久平和実現への国際世論を喚起する。 再びヒロシマは訴える。 いまこそ、世界のすべての都市と都市、市民と市民が、国境を越え、思想、信条の違いを超えて、連帯の輪をひろげ、絆をより強固にすることを。 本日、ここに、平和記念式典を迎えるに当たり、われわれは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧げ、国家補償の理念に立った被爆者援護対策の確立を強く要請するとともに、平和への決意を新たにするものである。
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長崎平和宣言 |
1986年(昭和61年) |
日本の皆さん、世界の皆さん、ナガサキの声を聞いて下さい。
1986年(昭和61年) 8月9日 |
【1987.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | |||
ヒロシマは、あの被爆の惨禍から、国際平和文化都市として再生し、ひたすら核兵器廃絶と、世界の共存と繁栄を訴え続け、ここに、42年目の8月6日を迎えた。 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」この原爆死没者慰霊碑の碑文は、犠牲者への慰霊と、過去・現在・未来にわたる全人類への誓願(ちかい)であり、戒律である。このことに、改めて思いを致し、「ヒロシマの心」の世界化のため、われわれは、ねばり強い行動を展開しなければならない。 本日、核保有国の代表的ジャーナリストによるシンポジウムをここ広島で開催し、核兵器廃絶の更なる国際世論の醸成を図る。昭和64年には再び広島・長崎両市において世界平和連帯都市市長会議を開催し、都市と市民との連帯の輪をひろげる。核戦争防止国際医師会議も、同じ年に広島で開催され、核兵器のない安全な世界が探求される。 一方、未来を担う青少年への被爆体験の継承がますます重要となっている。ここ10年間、日本全国からヒロシマを訪れる児童・生徒が5百万人にも達し、自らが被爆の実相に触れ、生命の尊厳を学んでいることは、大きな希望である。 然るに、核戦略は宇宙空間にまで拡大され、「力の哲学」と「恐怖の均衡」が依然として世界を支配し、地球自滅の危機を高めつつあることは、まことに憂慮に堪えない。 核時代の今日においては、人類の英知を結集して、対決から対話へ、不信から友好へと、国家間の対立を乗り越え、世界の恒久平和確立への大道を切り拓かなければならない。 こうした時、東西両陣営が米ソの欧州中距離核ミサイル廃絶の方向で同意したことは、核兵器に反対する幅広い国際世論の成果であり、ヒロシマは、その交渉の進展に強い期待をかけるものである。 また、飢餓・難民・人権抑圧も緊急な解決が望まれる。 折しも、本年は、国連軍縮週間創設10周年を迎え、来年は、第3回国連軍縮特別総会が開催される。ヒロシマは、その実りある成果を切望してやまない。 ヒロシマは、重ねて訴える。 核保有国は、直ちに核実験を全面的に停止することを。 米ソ両国は、首脳会談を開催し、全面的核軍縮条約を早期に締結することを。 世界の指導者は、被爆地広島を訪れ、直接、被爆の実態を確認することを。 日本政府は、唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、憲法の平和理念に基づき、より積極的な平和外交を展開し、核兵器廃絶へ向けて先導的役割を果たすべきである。 本日、被爆42周年の平和記念式典を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるものである。老齢化が進む被爆者の実態をふまえて、国家補償の理念に立った被爆者援護対策が速やかに確立されるよう、日本国政府に強く要求するとともに、平和へのたゆみない努力を堅く誓うものである。
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【1998.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
ヒロシマ—それは、核兵器廃絶を実現し、世界恒久平和を求める人類悲願の象徴である。 43年前の、あの焦熱地獄が、今さらのように脳裡に蘇ってくる。「ヒロシマを再び繰り返すな」—このヒロシマの訴えは、核兵器の恐怖に曝された者の魂の叫びである。 いま、ヒロシマの訴えは世界に広がり、国際世論は、対決から対話へ不信から友好へと、国際政治を変えようとしている。 このたび、米ソ両国において、「中距離核戦力全廃条約」が締結されたことは、人類絶滅の危機から生存の道へと、未来への展望を与えるものであり、包括的核軍縮に向けての歴史的第一歩として評価する。しかし、その量は僅少(わずか)であり、地上はおろか、海洋から宇宙までもが核戦略の場(にわ)となっている現実も見逃すことはできない。 こうしたさ中、第3回国連軍縮特別総会が開催され、広島市長は世界の恒久平和を願う「ヒロシマの心」を強く訴えた。世界平和連帯都市市長会議理事都市の市長も同席した。いまや、「世界平和都市連帯推進計画」は、40カ国、228都市の賛同を得、着実なひろがりのもとに、核兵器廃絶に向けて、国際世論醸成の新しい潮流となった。 軍縮総会は、過去最多の政府首脳と非政府組織の代表が参加して行われ、核実験禁止や核不拡散について具体的な議論を尽しながらも、関係国が自国の利害に固執するあまり、世界の包括的軍縮への展望を示す最終文書の採択に至らなかったことは、極めて遺憾である。 ヒロシマは主張する。核兵器廃絶こそが人類生存の最優先課題であり、逡巡は許されない。いまこそ、国連の平和維持機能を強化し、活性化することを各国に強く要請するとともに、今後、国連主催による平和と軍縮の会議が被爆地広島で開催されることを望むものである。 本日、ここ広島において、姉妹・友好都市の青年による「国際平和シンポジウム」を開催し、「ヒロシマの体験」を継承すべく、市民とともに討議する。さらに、来年8月には、「第2回世界平和連帯都市市長会議」を広島・長崎両市で開催し、連帯の絆を強固にする。その10月には、「第9回核戦争防止国際医師会議世界大会」が広島市において開催され、ノーモア・ヒロシマの決意を新たにする。 ヒロシマは、21世紀に向かって、限りない人類未来のために警鐘を打ち鳴らし、世界平和構築のために国際世論の喚起を一層盛り上げる決意である。 ヒロシマはここに改めて訴える。 核実験を全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。 世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実態を確認することを。 広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置することを。 ヒロシマは、また、飢餓、貧困、人権抑圧、地域紛争で苦難に喘ぐ人びとに思いをいたし、早急な解決が図られるよう関係諸国に切望してやまない。 日本政府は、日本国憲法に謳う平和理念の現代的意義をふまえ、非核三原則堅持のもとに、世界平和に貢献する積極的な施策を講じるべきである。さらに、長年にわたり求め続けてきた、国家補償の精神に立脚した被爆者援護対策が早期に確立されるよう強く要求するものである。 本日、被爆43周年の8月6日を迎え、謹んで原爆犠牲者の御冥福をお祈りするとともに、世界恒久平和への弛みない努力を固く誓うものである。
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長崎平和宣言 |
1988年(昭和63年) |
日本の皆さん、世界の皆さん、長崎の声を聞いて下さい。
1988年(昭和63年) 8月9日 |
【1989.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||||||
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」—焦熱地獄を身をもって体験したヒロシマは、この悲願に立ち、核兵器が人類とは共存し得ないことを、一貫して警告し続けて来た。 ヒロシマの訴えは、世界の世論を喚起し、人類は核兵器の廃絶と恒久平和確立を目指し、胎動を始めた。 米ソは中距離核戦力全廃条約の締結に続き、戦略核兵器の削減に向け、交渉を積み重ねている。更に、短距離核戦力や通常軍備の軍縮提案が打ち出されている。その底流には、軍縮を志向する世界世論の大きな歴史的高揚がある。今や、戦後政治を支配した米ソを頂点とする東西の冷戦構造に崩壊の兆しが見え、新たな国際平和秩序が模索され始めている。人類は輝かしい未来に向かって、今こそ、この好機を生かさなければならない。 日本政府は、日本国憲法の平和主義の理念に立ち帰り、緊張緩和の動向に逆行することなく、軍事費の抑制に努め、世界の恒久平和実現のため、先導的な役割を果たすべきである。何よりもまず、アジア・太平洋地域の国際的非核化の実現に向けて、関係諸国の協力のもとに、積極的な平和外交を展開しなければならない。また、沖縄近海での米軍水爆搭載機水没事件の徹底解明に努めるとともに、国是とする非核三原則の空洞化を阻止する方策を樹立し、その厳守を米国政府に強く要請しなければならない。 広島市は、本年、市制施行百周年、「広島平和記念都市建設法」施行40周年を迎えた。この意義ある年に、今ここ広島で「第2回世界平和連帯都市市長会議」を開催している。世界30数カ国、約130都市の市長らが、体制の違いや国境を乗り越えて相集い、「核兵器廃絶を目指して——核時代における都市の役割」を基調テーマに、活発な討論を交わしている。 10月には、「核戦争防止国際医師会議」の第9回世界大会が、「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに、広島市で開催される。 去る4月に、日本で初めて京都において「国連軍縮会議」が開催された。その参加者が被爆地広島を訪れ、核兵器がもたらした被害の実相に触れ、その凄まじさを改めて認識し、核兵器廃絶への思いを強くした。 時恰も、核兵器による人類絶滅の危機を警告し続けてきた原爆ドームの保存募金には、国の内外から大きな反響が寄せられている。原爆資料館の昨年度の入館者数が145万人を超え、過去最高を記録した。これらの事実は、「ヒロシマの心」が着実にひろがっている証左である。 ヒロシマは、人類の共存共栄に基づく新しい世界秩序が実現されるまで、国の内外に警鐘を打ち鳴らして行かなければならない。 ヒロシマは、世界の人びとと痛みを共に分かち合い、飢餓、貧困、人権抑圧、地球環境破壊等で苦境に喘ぐ人びとに深く思いをいたし、早急な解決が図られるよう関係諸国に切望してやまない。 ヒロシマは重ねて訴える。 核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。 世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。 広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置することを。 本日、被爆44周年の平和記念式典を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御冥福を衷心よりお祈りするものである。被爆者の高齢化が進む現状に鑑み、国家補償の理念に立った被爆者援護対策が、一日も早く確立されるよう、日本政府に強く要求するとともに、平和への不屈の努力を誓うものである。
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(私論.私見)