1985、1986、1987、1988、1989年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1985、1986、1987、1988、1989年平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1985.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

ノーモア・ヒロシマ。

いま、ここに、40年目の暑い夏を迎えた。人類史上最初の核兵器による熱線、爆風、放射線が一瞬にしてこの地の生きとし生けるものを焼き尽くし、広島は瓦礫の街と化した。

この廃墟に立ったわれわれは、その時、核兵器をもって争う戦争は、人類の破滅と文明の終焉に至るものであると予見し、核兵器の廃絶をひたすら訴え続けてきた。

ヒロシマのこの不断の努力にもかかわらず、核兵器は、ますます量的に拡大し、質的に高度化しつつ、実戦配備が進められ、まさに人類は核戦争の危機に直面している。

しかるに、核超大国の米ソは、本年3月、長い間中断していた核軍縮交渉をようやく再開はしたが、宇宙空間にまで展開した核戦略をめぐる交渉において相互にかけひきを繰り返し、遅々として進展が見られず、まことに憂慮に耐えない。

きょうの逡巡(しゅんじゅん)は、あすの破滅につながる。

ヒロシマの地獄を地球上に再現させないために、人類生存の命運をにぎる米ソ両国は、直ちに核実験を全面停止し、ジュネーブの首脳会談において全人類的見地から核兵器廃絶への英断を行うよう強く要請する。

唯一の被爆国として、日本政府は、国是である非核三原則を厳守し、核兵器廃絶への先導的役割を果たすべきである。また、原爆死没者調査が実施されるいまこそ、被爆の特異性にかんがみ、国家補償の精神に基づく画期的な被爆者援護対策の確立されんことを切望する。

被爆都市広島は、世界の恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として平和記念都市の建設に邁進している。この使命を担って、ここに、第一回世界平和連帯都市市長会議を開催した。平和を希求する世界のあらゆる都市が、国境を越え、思想・信条の違いを超えて連帯し、恒久平和確立への国際世論を喚起しようとするものである。

時あたかも、国際青年年に当たる。21世紀を担う世界の青少年が「ヒロシマの心」を受け継ぎ、連帯と友情の輪を広げ、平和の推進に努力することを期待する。

われわれは、一つの地球上に住む運命共同体である。共存なくして人類の存在はない。共栄なくして人類の未来はない。この緑の地球を核の冬から守るために、英知をもって不信と対立とを克服しなければならない。協調と相互理解の精神にたって、限りある資源を分かち合い、飢餓や貧困を根絶しなければならない。

ノーモア・ヒロシマ。

再び過ちを繰り返さないために、友好と連帯の絆を強めようではないか。

本日、被爆40周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)を弔うとともに、ヒロシマは、一切の核兵器を拒否し、平和への限りない前進を誓うものである。


1985年(昭和60年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 

 

長崎平和宣言

1985年(昭和60年)

 日本の皆さん、世界の皆さん、長崎の声を聞いて下さい。原爆が投下され てから40年、一日として忘れられないあの日、11時2分、強烈な青白い光は眼を焼き、秒速五百米の猛烈な爆風は人間の体を灼熱の空に吹き上げ、火煙の中 に屋根がわらは渦を巻き、窓ガラスの破片は人間の体に襲いかかり、セ氏三千度を超える熱線は、人間を内部まで黒々と焼いた。真夏の昼は、キノコ雲の下でた ちまち暗くなった。七万数千人が焼かれ、黒焦げになり、爆風にたたきつけられて死んだ。皮膚を焼かれた裸の男が炎をのがれてよろめき、血だらけの死んだ子 供が死んだ父親を引きずり、若い母親が首のない乳のみ子を抱きしめて、あえぎながら歩いて行く。
 この40年間に、数多くの被爆者が放射能後障害に苦しみながらこの世を去り、また、今なお、人生の幸せを奪われた孤独な被爆者が、死の恐怖におののきながら生き続けています。
  今日、この原爆の丘に全国から年老いた被爆者と遺族の皆さんが集まられました。また、世界平和都市市長会議に出席された世界22ヵ国、60余の市長さんた ちや、国内からの多くの市長さんや町長さんたち、内外報道陣の方々も集まっておられます。世界33カ国百十余の市長さんたちからも、温かいメッセージが寄 せられました。会議に参加された世界の市長さんに申し上げます。この長崎の原爆の惨状と、40年の苦しみを世界に伝えて下さい。世界の人口の大部分が都市 に住み、核戦争が起これば、真っ先に都市が破壊され、市民が全滅することは明らかであります。
  核戦争から市民を守ることは、市長の大切な任務であります。私たちは、信頼と友情を深めて、世界の核兵器廃絶と平和への努力のために団結し、世界の飢餓の 救済、開発協力など、都市連帯の輪をひろげなければなりません。そのためにも、この会議が今後再び開かれるよう提言いたします。
 米・ソ両大国の首脳が、この秋、ジュネーブで核軍縮交渉のテーブルに着くことになっています。被爆40年の今年こそ、戦後の核軍拡の歴史を逆転させる記念すべき年にして下さい。
  日本政府に心をこめて申し上げます。第3回国連軍縮特別総会を早く開催すること、核兵器廃絶への積極的外交を進めること、被爆者の国家補償を速やかに実現 すること、非核三原則を文字通り厳守し、日本とその周辺を非核地帯にすることに努力してください。私は、米・ソ両国へ平和使節団を派遣することと、世界の 被爆者のための国際医療センターを設置することを提唱いたします。
 原爆で亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族と後遺症に苦しむ被爆者の健康をお祈りいたします。
 長崎は、地球最後の被爆都市でなければなりません。私たちは核実験が行われる度に抗議し、常に核兵器反対を世界に訴えてまいりました。
 核戦争へあと3分。核兵器廃絶宣言都市として長崎は、世界平和のためまい進することを、ここに宣言いたします。

1985年(昭和60年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1986.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 

平和宣言 

平和、それはヒロシマの悲願である。

41年前のあの日、ヒロシマは灼熱の閃光と地軸を揺がす轟音とともに壊滅した。この世ならぬ凄惨な生き地獄は、まさに、阿鼻叫喚の巷であった。

その廃墟の中から立ち上がった広島は、再び過ちを繰り返させないために、ひたすら核兵器廃絶と世界の恒久平和を訴え続けてきた。

昨年、8月6日以降、ソ連が核実験を停止し、また、米ソ首脳会談が開催され、核軍縮の前途に曙光を見い出し得たかに思われた。しかし、核軍縮交渉は遅々として進まず、核兵器は質的、量的に増強され、核戦略は宇宙空間にまで拡大されようとしている。

この時起こったソ連のチェルノブイリ原発事故は、人びとを放射能の恐怖に陥れ、安全管理の国際協力に大きな課題を残すとともに、一国の事故が他国にも禍いを及ぼすことを知らしめ、世界は核時代の現実に慄然とした。

加えて、局地戦争やテロ行為も多発し、飢餓、難民、人権抑圧の諸問題もきわめて深刻である。

不幸にして凶弾に倒れた故パルメ・スウェーデン首相は、広島で階段の石に焼きつけられた人影を見て、「核戦争が起こればこの人影すら残らないだろう」と、人類の終末を予見した。

ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議」のメンバーが、本年6月広島を訪れ、被爆の実相に驚愕し、核実験即時停止を強く訴えた。

本日、世界各地でヒロシマ・デーか開催され、メキシコでは、非同盟6ヵ国首脳が相集い、核軍縮を世界に訴える。

いまや、核兵器廃絶と平和を願うヒロシマの声は世界の世論である。

逡巡は許されない。

核保有国は、直ちに核実験を永久に停止すべきである。人類生存の命運を握る米ソ両国は、世界最初の被爆地広島において首脳会談を開催し、核軍縮への具体的な方策を明示すべきである。

国連事務総長は、米ソ両首脳の広島訪問を積極的に働きかけるとともに、第3回軍縮特別総会を速やかに開催すべきである。

日本政府は、これらの実現に努め、憲法の平和理念に基づき、国是である非核三原則を厳守し、核兵器廃絶への先導的役割を果たすべきである。

時恰も国際平和年。

ヒロシマは、ここに、「平和サミット」を開催し、核兵器廃絶と恒久平和実現への国際世論を喚起する。

再びヒロシマは訴える。

いまこそ、世界のすべての都市と都市、市民と市民が、国境を越え、思想、信条の違いを超えて、連帯の輪をひろげ、絆をより強固にすることを。

本日、ここに、平和記念式典を迎えるに当たり、われわれは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧げ、国家補償の理念に立った被爆者援護対策の確立を強く要請するとともに、平和への決意を新たにするものである。


1986年(昭和61年)8月6日


広島市長  荒  木  武

長崎平和宣言

1986年(昭和61年)

 日本の皆さん、世界の皆さん、ナガサキの声を聞いて下さい。
 きょう41年目の原爆の日を迎えた。あの一発の原爆が、長崎の上空にさく裂して街を完全に破壊し、すべての生物を焼き尽くし、まさに地獄の様相を呈した。あの日から今日まで、何万人の被爆者が、苦しみつつ無念の思いを残して死んでいったことだろう。
 そして、いま、広島と長崎で被爆してなお生き続けている全国37万人の被爆者と多くの遺族が心も体も、暮らしも苦しみの中に年老いてゆく。
 長崎は、あの日、原爆が、人間が作り出した、人類全滅の恐ろしい兵器であることを知った。
 しかし今日、核兵器を含めて世界中に軍備拡大は進み、武器を生産し、使用する人口は、驚異的に増加し、まさに地球は武器を満載して自転しているといわなければならない。人類はいまほど深刻に自滅の危機に直面したことはない。
 しかし、第1回軍縮特別総会以来、軍縮への進展は何ひとつ見られず、危機はますます増大した。
 健全な経済活動と平和への努力が失われたところに、世界の飢餓も、道徳の退廃も生まれたものである。
 米ソ両国が、互いに軍備の優位を保とうとする限り軍縮の話し合いは失敗すること、軍事費を増やせば、国の安全が増すという考え方は、逆に危機感を高めるということをわれわれは知った。
 今年4月ソ連チェルノブイリ原子力発電所からの死の灰は、十日あまりで地球を取り巻いた。農作物だけでも東ヨーロッパを中心に大きな被害を与えた。
 私どもは、この教訓を核戦争の防止に向けての、国際世論の中に生かさなければならない。
 国連は第3回軍縮特別総会を早急に開催し軍縮と平和を、統一された行動プログラムとして積極的に決定し、採択すること、また平和や安全保障についての国境を越えて広がりつつある都市と、民間組織や市民運動を積極的に支援すべきである。
  次に今日世界は否応なく、米ソのペースに同調せざるを得ない状況をつくりだしている。しかし唯一の被爆国としてわが国は、非核三原則を厳守し国際平和年の ことしを契機として、核兵器廃絶へ向かって米ソ首脳会談の早期実現、核実験の即時停止、宇宙軍備拡張の防止、非核地帯の設置、国際医療センターの設立、被 爆者援護の確立に真剣に努力すべきである。
 特に中曽根首相にお願いいたしたいのは、軍縮交渉の場を、ニューヨーク、ジュネーブだけでなく長崎、広島にも誘致していただきたいこと、世界の子供たちの教科書に、原爆の惨状を誤りなく書きこんでいただきたいことであります。
  長崎は昨年広島とともに、第1回世界平和連帯都市市長会議を開いた。また米ソ両国は、日本からの平和使節団の受け入れを約束してくれた。今や世界中の平和 を求める都市は数限りなく増え続け、特に平和市民団体も国境を越えて大きなうねりとなってきた。都市も平和組織も前進のために手をつなぐ時である。草の根 の豊かな土壌に新しい世界への力が生れる。
 ここに原爆で亡くなられた方々の御霊安かれとお祈りし、遺族の方々の平安と被爆者の皆さん方のご健勝をお祈りします。
 長崎は被爆者の心を心として核兵器廃絶と恒久平和に向かってさらに努力することを宣言する。

1986年(昭和61年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1987.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

ヒロシマは、あの被爆の惨禍から、国際平和文化都市として再生し、ひたすら核兵器廃絶と、世界の共存と繁栄を訴え続け、ここに、42年目の8月6日を迎えた。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」この原爆死没者慰霊碑の碑文は、犠牲者への慰霊と、過去・現在・未来にわたる全人類への誓願(ちかい)であり、戒律である。このことに、改めて思いを致し、「ヒロシマの心」の世界化のため、われわれは、ねばり強い行動を展開しなければならない。

本日、核保有国の代表的ジャーナリストによるシンポジウムをここ広島で開催し、核兵器廃絶の更なる国際世論の醸成を図る。昭和64年には再び広島・長崎両市において世界平和連帯都市市長会議を開催し、都市と市民との連帯の輪をひろげる。核戦争防止国際医師会議も、同じ年に広島で開催され、核兵器のない安全な世界が探求される。

一方、未来を担う青少年への被爆体験の継承がますます重要となっている。ここ10年間、日本全国からヒロシマを訪れる児童・生徒が5百万人にも達し、自らが被爆の実相に触れ、生命の尊厳を学んでいることは、大きな希望である。

然るに、核戦略は宇宙空間にまで拡大され、「力の哲学」と「恐怖の均衡」が依然として世界を支配し、地球自滅の危機を高めつつあることは、まことに憂慮に堪えない。

核時代の今日においては、人類の英知を結集して、対決から対話へ、不信から友好へと、国家間の対立を乗り越え、世界の恒久平和確立への大道を切り拓かなければならない。

こうした時、東西両陣営が米ソの欧州中距離核ミサイル廃絶の方向で同意したことは、核兵器に反対する幅広い国際世論の成果であり、ヒロシマは、その交渉の進展に強い期待をかけるものである。

また、飢餓・難民・人権抑圧も緊急な解決が望まれる。

折しも、本年は、国連軍縮週間創設10周年を迎え、来年は、第3回国連軍縮特別総会が開催される。ヒロシマは、その実りある成果を切望してやまない。

ヒロシマは、重ねて訴える。

核保有国は、直ちに核実験を全面的に停止することを。

米ソ両国は、首脳会談を開催し、全面的核軍縮条約を早期に締結することを。

世界の指導者は、被爆地広島を訪れ、直接、被爆の実態を確認することを。

日本政府は、唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、憲法の平和理念に基づき、より積極的な平和外交を展開し、核兵器廃絶へ向けて先導的役割を果たすべきである。

本日、被爆42周年の平和記念式典を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるものである。老齢化が進む被爆者の実態をふまえて、国家補償の理念に立った被爆者援護対策が速やかに確立されるよう、日本国政府に強く要求するとともに、平和へのたゆみない努力を堅く誓うものである。


1987年(昭和62年)8月6日


広島市長  荒  木  武

長崎平和宣言

1987年(昭和62年)

 日本の皆さん、世界の皆さん、ナガサキの声を聞いて下さい。
 きょう8月9日。悲しい原爆の日。
 一個の原子爆弾がさく裂して、その瞬間、長崎は炎うずまく地獄の谷となり、熱線、爆風、悪魔のような放射線は、十数万の人びとを殺し傷つけました。
 放射線は、これまでよりさらに大きく人体に影響を及ぼすことが最近科学的に実証されつつあります。
 あの日の惨禍は、今なお生き残った多くの被爆者の心と体をむしばみ続け苦しめています。
 長崎は、この原爆が人類の滅亡につながる兵器であることを知り、核兵器廃絶を訴え続けてきました。
 しかし、核兵器の開発は、現代科学の粋を集めて何のためらいもなく続けられ、今や全世界の核兵器の威力は、長崎・広島型原爆の百数十万倍にも及んでおり、しかも、核戦略は宇宙空間にまで広がろうとしています。
SDIなどの開発競争は、白雲浮かぶ青空も、緑の大地も、青い海も、今や破壊と殺りくの核戦場となる可能性を持っています。
  現在、米ソ両国によるINFを中心とする核兵器削減に関する提案には新たな変化がみられます。両国は、東西の平和共存は可能であるという考えに立ち、年内 に首脳会談を開催し核兵器廃絶に向かって、あらゆる努力をはらって下さい。また、その他の核兵器保有国も核兵器廃絶への道をすみやかに歩んで下さい。
 国連の全加盟国は、来年予定されている第3回軍縮特別総会において、過去2回の特別総会の反省の上に立ち、国際世論の盛り上がりを受け止め、核軍縮についての画期的な決議を採択するよう努力して下さい。
  ここで、日本政府にお願いを申し上げます。まず、国是である非核三原則を厳密に守ること。核実験の停止をはじめ世界の核軍縮のために積極的に働くこと。世 界の被爆者のための国際医療センターを設置すること。昭和六十年度原子爆弾被爆者実態調査の結果を踏まえて、一日も早く国家補償の精神に基づく被爆者援護 対策を確立すること。子供たちの平和教育を徹底すること-などであります。
 本年、長崎は、モスクワで開催され多大の反響を呼んだ国連主催の「核兵器ー現代世界の脅威」展とベルリン世界市長会議に出席して、核兵器廃絶と世界平和の実現を訴えました。
 世界平和連帯都市市長会議は、西ドイツハノーバー市で理事会を開き、都市が連帯して核実験の停止と核兵器の廃絶に向かって努力していくということを決議しました。
 ヨーロッパでは、東西ともに身近に核兵器が配備されて、市民は核戦争の脅威を肌で感じていることを知りました。
 平和は武装して守るものではなく、世界の人びとが手をつないで作り上げるものであります。
 平和こそ、人類が子孫へ伝え残すべき最高の遺産であります。
 しかし、軍事費はますます増大して、世界の経済の発展も豊かな環境づくりもそのために阻害されています。武器の生産と広がりは、”死の商人”からさらに最新兵器を供与する”死の政府”へ拡大し、各地に軍事紛争の種をまき、人びとの生活に不安と恐怖を与えております。
 日本はこれまで平和主義を旨とし、軍事費をできるだけ少なくして現在の繁栄にいたりました。これは人類の新しい実験として、また、21世紀にいたる正しい路線として、全世界に提示されているものであります。
 経済活動が国際的に広がるなかで、今こそ世界の国々は軍縮の努力をはらい、「世界は一つ」という理念を確立するときであります。
 私たち日本人は、世界の飢餓・難民・疾病・失業などを自らのものとして解決しなければなりません。
 ここに、原爆で亡くなられた方々の御霊安かれと祈り遺族の方々と被爆者の皆さんのご健康をお祈りいたします。
 原爆のあの悲惨さを決して忘れることなく、核兵器廃絶と世界恒久平和に向かって努力することを宣言します。

1987年(昭和62年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1998.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

ヒロシマ—それは、核兵器廃絶を実現し、世界恒久平和を求める人類悲願の象徴である。

43年前の、あの焦熱地獄が、今さらのように脳裡に蘇ってくる。「ヒロシマを再び繰り返すな」—このヒロシマの訴えは、核兵器の恐怖に曝された者の魂の叫びである。

いま、ヒロシマの訴えは世界に広がり、国際世論は、対決から対話へ不信から友好へと、国際政治を変えようとしている。

このたび、米ソ両国において、「中距離核戦力全廃条約」が締結されたことは、人類絶滅の危機から生存の道へと、未来への展望を与えるものであり、包括的核軍縮に向けての歴史的第一歩として評価する。しかし、その量は僅少(わずか)であり、地上はおろか、海洋から宇宙までもが核戦略の場(にわ)となっている現実も見逃すことはできない。

こうしたさ中、第3回国連軍縮特別総会が開催され、広島市長は世界の恒久平和を願う「ヒロシマの心」を強く訴えた。世界平和連帯都市市長会議理事都市の市長も同席した。いまや、「世界平和都市連帯推進計画」は、40カ国、228都市の賛同を得、着実なひろがりのもとに、核兵器廃絶に向けて、国際世論醸成の新しい潮流となった。

軍縮総会は、過去最多の政府首脳と非政府組織の代表が参加して行われ、核実験禁止や核不拡散について具体的な議論を尽しながらも、関係国が自国の利害に固執するあまり、世界の包括的軍縮への展望を示す最終文書の採択に至らなかったことは、極めて遺憾である。

ヒロシマは主張する。核兵器廃絶こそが人類生存の最優先課題であり、逡巡は許されない。いまこそ、国連の平和維持機能を強化し、活性化することを各国に強く要請するとともに、今後、国連主催による平和と軍縮の会議が被爆地広島で開催されることを望むものである。

本日、ここ広島において、姉妹・友好都市の青年による「国際平和シンポジウム」を開催し、「ヒロシマの体験」を継承すべく、市民とともに討議する。さらに、来年8月には、「第2回世界平和連帯都市市長会議」を広島・長崎両市で開催し、連帯の絆を強固にする。その10月には、「第9回核戦争防止国際医師会議世界大会」が広島市において開催され、ノーモア・ヒロシマの決意を新たにする。

ヒロシマは、21世紀に向かって、限りない人類未来のために警鐘を打ち鳴らし、世界平和構築のために国際世論の喚起を一層盛り上げる決意である。

ヒロシマはここに改めて訴える。

核実験を全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。

世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実態を確認することを。

広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置することを。

ヒロシマは、また、飢餓、貧困、人権抑圧、地域紛争で苦難に喘ぐ人びとに思いをいたし、早急な解決が図られるよう関係諸国に切望してやまない。

日本政府は、日本国憲法に謳う平和理念の現代的意義をふまえ、非核三原則堅持のもとに、世界平和に貢献する積極的な施策を講じるべきである。さらに、長年にわたり求め続けてきた、国家補償の精神に立脚した被爆者援護対策が早期に確立されるよう強く要求するものである。

本日、被爆43周年の8月6日を迎え、謹んで原爆犠牲者の御冥福をお祈りするとともに、世界恒久平和への弛みない努力を固く誓うものである。


1988年(昭和63年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 

長崎平和宣言

1988年(昭和63年)

 日本の皆さん、世界の皆さん、長崎の声を聞いて下さい。
  43年前のきょう、世界で2番目の原爆がさく裂した。巨大な火の玉が空を覆い、数千度の熱線とすさまじい爆風、悪魔の放射線が地上に襲いかかった。地上の すべては赤々と燃えに燃えて瓦れきと化した。大地が火を噴き、廃墟の中に黒焦げになった死体、水を求めて川辺にたどりついて息絶えた人たち、死んだ親を背 負っている子供、冷たくなった赤ん坊を抱きしめ必死に丘をはい上がる母親、焼けただれた皮膚をぼろぎれのようにひきずって歩く少年、電気に打たれたように 髪が逆立っている少女、全裸に近い姿で逃げ惑う幽鬼の群れ。まさにこの世の地獄絵図であった。
  かつて人類が経験したことのない破壊と絶望がそこにあった。今、長崎・広島に残る資料は、当時の惨状の1万分の1も伝えることができるだろうか。しかも今 日まで多くの人が被爆の後遺症でこの世を去り、また、年老いて病弱の不安におののいている被爆者の数はあまりにも多い。
 長崎は人類みな殺しの恐ろしいこの原爆が二度と使われないことを願って、世界に向かって核兵器の廃絶を訴えてきた。しかし、世界の核兵器は質・量ともに増強され、人類を何回も絶滅させるほどに保有されている。
  今年6月、米ソ両国によるINF全廃条約の成立は、歴史上初めての核軍縮として歓迎すべきことである。しかし、陸上配備のINFは全廃されるが、米ソ両国 とも海洋配備のINFは、依然として増強されつつあり、特に太平洋、日本海、オホーツク海等公海は無制限な核戦略の基地に変わってきた。まさに核戦争の危 機の重点は、アジア・太平洋地域に移ったといわなければならない。南太平洋非核地帯条約が締結された現在、今こそ日本とその周辺を非核地帯とすることが急 務である。
  非核三原則が日本の国是となって20年、その空洞化はもはや許されない時にきた。アメリカの艦船の日本への寄港に対して、日本政府は主体性をもって核兵器 の有無を検証し、非核三原則を厳しく守る立場を鮮明にすべきである。今や核保有国、特に米ソ両国の艦船が外国に寄港する際、核兵器搭載の有無を通告するか 否かは、世界政治の重大問題となってきた。
 今年6月、ニューヨークで開催された第3回国連軍縮特別総会は最終文書の採択がなされず、複雑な国際情勢を浮き彫りにしたが、このことは、核軍縮のためには米ソ両国だけでなく、多国間の話し合い、世界の市民運動の盛り上がりがますます必要であることを示している。
 来年8月、長崎・広島で第2回世界平和連帯都市市長会議を開き、今、都市が何をなすべきかを話し合うことになっている。
 最後に日本政府に次のことを真剣に取り上げることをお願いしたい。
 1、「核兵器は絶対悪」という考えに立ち、直ちに核実験の停止を世界に呼びかけて下さい。
 2、被爆者のために一日も早い国家補償の精神に基づく援護法の制定をお願いします。
 3、外国在住の日本人及び外国人被爆者に対しても、国内在住の被爆者と同等の援護措置が行われるよ
  う努力して下さい。国の責任を明らかにする上からも、早急に取り組むべきことであります。
 4、長崎・広島の被爆者、また核兵器の実験や原子力発電所等で被ばくした世界の多くの人たちのため
  に、国際医療センターの設置をお願いします。
 5、世界のすべての国々が、特に青少年に対して、戦争はきわめて野蛮な、非道徳の行為であることを教
  えるために、国連と強調して平和教育の実践に努力して下さい。
 原爆殉難者の御霊の安らかな憩いを念じ、ご遺族と被爆者の皆様とともに、来年また平和を祈ることができますように、心からご健康をお祈りします。
 長崎は、核兵器廃絶運動の出発点であります。平和こそ人類が子孫に残す唯一の遺産であります。
 全市民が心を一つにして、核兵器廃絶と世界平和実現に向かって努力することを宣言します。

1988年(昭和63年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1989.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」—焦熱地獄を身をもって体験したヒロシマは、この悲願に立ち、核兵器が人類とは共存し得ないことを、一貫して警告し続けて来た。

ヒロシマの訴えは、世界の世論を喚起し、人類は核兵器の廃絶と恒久平和確立を目指し、胎動を始めた。

米ソは中距離核戦力全廃条約の締結に続き、戦略核兵器の削減に向け、交渉を積み重ねている。更に、短距離核戦力や通常軍備の軍縮提案が打ち出されている。その底流には、軍縮を志向する世界世論の大きな歴史的高揚がある。今や、戦後政治を支配した米ソを頂点とする東西の冷戦構造に崩壊の兆しが見え、新たな国際平和秩序が模索され始めている。人類は輝かしい未来に向かって、今こそ、この好機を生かさなければならない。

日本政府は、日本国憲法の平和主義の理念に立ち帰り、緊張緩和の動向に逆行することなく、軍事費の抑制に努め、世界の恒久平和実現のため、先導的な役割を果たすべきである。何よりもまず、アジア・太平洋地域の国際的非核化の実現に向けて、関係諸国の協力のもとに、積極的な平和外交を展開しなければならない。また、沖縄近海での米軍水爆搭載機水没事件の徹底解明に努めるとともに、国是とする非核三原則の空洞化を阻止する方策を樹立し、その厳守を米国政府に強く要請しなければならない。

広島市は、本年、市制施行百周年、「広島平和記念都市建設法」施行40周年を迎えた。この意義ある年に、今ここ広島で「第2回世界平和連帯都市市長会議」を開催している。世界30数カ国、約130都市の市長らが、体制の違いや国境を乗り越えて相集い、「核兵器廃絶を目指して——核時代における都市の役割」を基調テーマに、活発な討論を交わしている。

10月には、「核戦争防止国際医師会議」の第9回世界大会が、「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに、広島市で開催される。

去る4月に、日本で初めて京都において「国連軍縮会議」が開催された。その参加者が被爆地広島を訪れ、核兵器がもたらした被害の実相に触れ、その凄まじさを改めて認識し、核兵器廃絶への思いを強くした。

時恰も、核兵器による人類絶滅の危機を警告し続けてきた原爆ドームの保存募金には、国の内外から大きな反響が寄せられている。原爆資料館の昨年度の入館者数が145万人を超え、過去最高を記録した。これらの事実は、「ヒロシマの心」が着実にひろがっている証左である。

ヒロシマは、人類の共存共栄に基づく新しい世界秩序が実現されるまで、国の内外に警鐘を打ち鳴らして行かなければならない。

ヒロシマは、世界の人びとと痛みを共に分かち合い、飢餓、貧困、人権抑圧、地球環境破壊等で苦境に喘ぐ人びとに深く思いをいたし、早急な解決が図られるよう関係諸国に切望してやまない。

ヒロシマは重ねて訴える。

核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。

世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。

広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置することを。

本日、被爆44周年の平和記念式典を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御冥福を衷心よりお祈りするものである。被爆者の高齢化が進む現状に鑑み、国家補償の理念に立った被爆者援護対策が、一日も早く確立されるよう、日本政府に強く要求するとともに、平和への不屈の努力を誓うものである。


1989年(平成元年)8月6日


広島市長  荒  木  武

長崎平和宣言

1989年(平成元年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、ナガサキの声を聞いて下さい。きょう原爆の日。

1.真珠湾攻撃から長崎原爆までを考えよう。
 あの太平洋戦争は、真珠湾攻撃に始まり、長崎原爆に終わった。内外二千数百万人の尊い生命を奪った。私たちは今戦争を心から反省し、犠牲となった多くの日本人と外国人のごめい福をお祈りしよう。
  長崎は昭和20年8月9日、人間がつくった原子爆弾によって人間とすべての生活を無残に破壊された。あの日から今日まで原爆症によって数知れない人たちが この世を去った。今も多くの被爆者が孤独、老齢、病弱、差別、そしてケロイド、血液疾患、悪性腫よう、それらによる肉体及び精神障害などで心も体も生活も 滅びゆきつつある。

2.長崎を最後の被爆地に。
  あの日、長崎市民は、原爆が地球人類を絶滅させる究極兵器であることをみた。しかも、あの時以来、核兵器は質量ともに増強され、もし核戦争が起これば人類 は絶滅の危機にさらされる。長崎はすべての核保有国に絶対悪の核兵器を直ちに廃絶し、速やかに核実験の禁止を求めるものである。

3.日本を核兵器から守るために。
 日本政府は核抑止の考え方を改め、非核三原則の立法化とアジア・太平洋地域の非核地帯化に努めるよう訴える。
  非核三原則は国是であるが、核兵器は持ち込まれていると信じている国民は多い。アメリカ政府は日本に寄港する艦船の核兵器の有無については答えない。信頼 するアメリカ人は、核兵器の日本への寄港、領海通航、陸揚げは非核三原則に含まれないと明言している。昭和40年(1965年)12月、沖縄近海で米空母 より水爆搭載機が転落水没事故を起した後、横須賀港に入港したといわれる。事前協議を待つまでもなく、真実への解明の努力は国民に対する政府の義務であ る。
  また、世界において中南米、南太平洋は非核地帯化され、ヨーロッパにおいてはINF(中距離核戦力)全廃条約が締結され、東西首脳の折衝、草の根運動の高 まりによって、東西ヨーロッパの国際軍縮は一歩ずつ前進しつつある。しかるに海洋配備のINFはアジア・太平洋地域に集中し増強され、まさにこの地域は世 界の核の最前線基地である。今こそ非核三原則の立法化、アジア・太平洋地域の非核地帯化に積極的に取り組むべきである。

4.世界の都市は、平和の拠点となろう。
 今、ここに第2回世界平和連帯都市市長会議へ世界の市長たちが集まった。
 ひとつひとつの都市が長崎の被爆の実相をみて、核時代における都市の役割りを考え、世界平和実現のため、各都市が連帯することを誓うものである。

5.地球の未来を守るために。
 軍事費の世界的増大は、財政の危機と民衆の生活を極度に圧迫している。
 さらに、飢餓と貧困、人権抑圧と差別、南北格差の解決が叫ばれて久しい。しかし、前進はない。また、世界の環境の汚染・破壊、資源の浪費は許されない状況にある。
 今や、われわれは、地球の未来を守るために勇気をもって立ち上がらなければならない。

6.今、われわれが求めるもの。
日本政府に対して
 (1)被爆者のために速やかな国家補償の精神に基づく援護法の制定を。
 (2)外国に住む日本人および外国人被爆者に、国内の被爆者と同等の援護措置を。
 (3)長崎、広島の被爆者、また核実験や原子力発電所等で被曝した世界の人たちのために国際医療センターの設置を。
国連と世界の国々に対して
 国連と世界の国々は、平和こそ人類が子孫に残す唯一の遺産であることを心に刻み、子供たちに核兵器の脅威と平和の尊さを教えることを。

 原爆殉難者のみ霊の安らかであることを念じ、長崎の全市民が心を一つにして、核兵器廃絶と世界平和実現に向かってまい進することを宣言する。

1989年(平成元年) 8月9日
長崎市長 本島 等






(私論.私見)