1980、1981、1982、1983、1984年平和宣言 |
(最新見直し2007.8.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに「1980、1981、1982、1983、1984年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。 2007.8.7日 れんだいこ拝 |
【1980.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||
生々流転—あの日から35年の歳月が流れた。 あの時、炎熱の地獄と化し、核戦争の悲惨さを身を以て体験した広島は、核兵器の廃絶を訴え、ひたすら人類永遠の平和を求め続けて来た。 しかるに、世界の情勢は、このヒロシマの心を痛ましめてやまない。拡大し続ける世界の軍事費はついに1日10億ドルを超え、また、軍備拡大の波は発展途上国にも及んでいる。 中東や東南アジアでの相つぐ紛争は、大国の動向次第では、全面核戦争に発展する危険をも孕み、多数の難民の問題も深刻な影を投げかけている。 もとより、今日まで核兵器の増大・拡散を憂え、人類を破滅から救おうとする努力は、部分的核実験禁止条約、核不拡散条約、米ソによる戦略兵器制限交渉等にも見ることができる。特に、国連初の軍縮特別総会では、国家の安全は、軍備の拡大よりも軍縮によってこそ保たれるとの合意を見、廃絶を目標とする核兵器の削減が軍縮の最優先課題であるとの決議がなされた。 また、本年は米国上院議員会館で原爆展が開催されるなど、ヒロシマの被爆体験への世界の関心もとみに高まりを見せており、このことが被曝者の増大を阻止し、核兵器を全面否定する国際世論の形成に大きく発展することを期待する。 しかし、現実の世界情勢を思うに、軍備拡大の裏にある国家相互間の根強い不信感を取り除かない限り、決して輝かしい平和の岸に至ることはできない。ヒロシマは今ここに第2回国連軍縮特別総会に先がけて、米ソを始めとする平和首脳会議の開催を提唱する。第1回国連軍縮特別総会において平和に徹し、国際協調を基本とする外交努力を一層強化してゆく旨の決意を表明した日本政府は、その先導的役割を果たすべきである。 今こそわれわれは全人類の連帯を求め、破滅への道を生存への道に転じなければならない。 本日、被爆35周年の記念日を迎えるに当たり、犠牲となられた方々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げ、原爆被爆者援護対策が国家補償の理念に基づいて一日も早く法制化されることを念願しつつ、人類生存への道を邁進することを固く誓うものである。
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長崎平和宣言 |
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1980年(昭和55年) | ||
昭和20年8月9日。長崎市は人類の想像を絶する焦熱地獄と化し、7万有余の尊い生命が奪われた。
1980年(昭和55年) 8月9日 |
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【1981.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||||||
「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」これは原爆の犠牲者に捧げる人類の誓いの言葉である。この誓いのもとに、われわれは核兵器の廃絶と戦争の否定を訴え続けて来た。 しかし、米・ソを頂点とする果てしのない核軍拡競争は、益々対決の姿勢を強め、今や人類を破滅の淵に立たせるに至った。 この緊迫した情勢を憂えて、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世は、本年2月この地に立ち、過去を振返えることは将来に対する責任を担うことであり、広島を考えることは、核戦争を拒否し、平和に対しての責任をとることであると述べ、すべてをさしおいて、平和が追求され、保持されねばならないことを全世界に訴えられた。 核兵器は競って高度化・多様化し、地に空に、或は海に配備され、互に対峙しながら、その破壊力は広島型原爆の百数十万発分にも達している。われわれ人類はまさに「恐怖の均衡」下に置かれている。加えてこの均衡を破る先制核攻撃の兆しも見られ、核戦争の危機は高まっている。ひとたび核戦争が勃発すれば、人類が絶滅することは明らかである。 もはや核兵器で安全を保障することはできない。核兵器の廃絶こそが安全を保障し、平和への道に通じることを人類は悟らねばならない。 今こそ人類は、この現実を直視し、人類生存を最優先課題として、地球的視野に立ち、思想、信条、国家体制の対立を克服し、協調と相互依存の精神に基づく平和への大道を拓くときである。 来る第2回国際軍縮特別総会において全加盟国は、この精神に立脚し、核兵器保有国率先の下に、核兵器の不使用・非核武装地帯の拡大・核実験全面禁止など、核兵器廃絶と全面軍縮に向けて具体的施策を合意し、すみやかに実行に移すべきである。平和国家の理念を掲げ、非核三原則を国是とするわが国がその先導者となることを期待する。 本日、被爆36周年の8月6日を迎え、原爆犠牲者の御霊を弔うに当たり、われわれ広島市民は一層平和への責任と義務を自覚し、国家補償の精神に基づく原爆被爆者及び遺族への援護対策の拡充強化を求めるとともに、世界に強く平和への努力を訴えるものである。
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【1982.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | |
燈燈無盡 — ヒロシマの平和の心は、すべての人々に受け継がれ、語り継がれなければならない。 広島のあの日の惨禍は、人類絶滅の不気味な暗雲の到来を告げるものであった。その危機を身を以て体験したヒロシマは、核兵器の廃絶と全面完全軍縮を世界に訴え続けてきた。 しかし、米・ソを始めとする国家間の対立は牢固として解き難く、核兵器はますます量的拡大と質的高度化の一途を辿り、限定核戦争や先制核攻撃論が台頭し、人類は今、まさに、核戦争の危機に陥ろうとしている。 軍縮と安全保障問題に関する独立委員会のパルメ委員長やペルティーニ・イタリア大統領は、いずれも、ここ広島の地で、原爆被害の苛酷さに慄然とし、核戦争に勝者も敗者もあり得ない、と深い憂慮の意を表明した。 今こそ各国政府は、世界各地で澎湃として高まっている核兵器廃絶への熱望を真摯に受け止め、一刻も早く軍縮を促進し、平和への道を急ぐべきときである。 この時開催された第2回国連軍縮特別総会は、遺憾ながら国家間の不信を克服しえず、「包括的軍縮計画」の合意には至らなかった。 しかし、核戦争の防止と核軍縮が最優先課題であるとの第1回軍縮特別総会の決議を再確認するとともに、新たに、軍縮への世論形成を目的とする「世界軍縮キャンペーン」の実施に合意し、さらに、日本政府が提案した広島・長崎への軍縮特別研究員派遣を採択した。 広島市長は、今回の特別総会でヒロシマを証言し、ヒロシマの悲願を訴えた。 今、重ねてここに訴える。 核実験を即時全面的に禁止し、あらゆる核兵器を凍結して、これを廃棄するよう強く求める。 また、ヒロシマと心を同じくする世界の都市が、互いに連帯することを呼びかける。 さらに、核保有国の元首をはじめ各国首脳が広島を訪れ、被爆の実態を確かめること、広島で軍縮のための首脳会議を開催すること、また、広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設けることを提唱する。 ヒロシマは、単なる歴史の証人ではない。 ヒロシマは、人類の未来への限りない警鐘である。 人類がヒロシマを忘れるとき、再び過ちを犯し、人類の歴史が終焉することは明らかである。 本日、被爆37年を迎え、犠牲となられた人々を弔うに当たり、今なお、肉体的・精神的に苦しみ続ける原爆被爆者及び遺族への援護が、国家補償の精神に基づいて充実・強化されるよう、わが国政府に求めるとともに、ヒロシマは平和の燈火を絶やすことなく、世界に平和を訴え続けていくことを固く誓うものである。
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長崎平和宣言 |
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1982年(昭和57年) | |
日本全国の皆さん、世界の皆さん、ナガサキからの声を聞いてください。 1、日夜、生命の不安におびえている被爆者の皆さん、今後、地球上のどこにも、決して核兵器が使われないために、皆さんの悲惨な体験を積極的に証言してください。 2、 長崎市民の皆さん、第2回国連軍縮特別総会を契機として、核兵器反対草の根運動は、地球上に大きなうねりとなりました。世界の反核、軍縮の署名は1億人に も達しました。私たちは国の内外にさらに強く、広く平和運動を燃え上がらせ、世界を包む民衆の声にそだてましょう。長崎はその運動の原点として力を結集 し、第3回国連軍縮特別総会へ向けて核兵器廃絶、世界恒久平和実現の道を開きましょう。 3、全国民の皆さん、被爆後37年をへて、年老いた被爆者は孤独の中で死の恐怖とたたかっています。これらの方々に平和のあかしとして、国家補償の精神にのっとり、被爆者援護の確立のために深い理解と協力をお願いいたします。 4、 鈴木総理大臣にお願いを申し上げます。世界最初の被爆国として核兵器廃絶、世界恒久平和実現のため、国民の先頭に立ってください。また外国政府に強く働き かけて下さい。特に第2回国連軍縮特別総会で演説された「核軍縮の最優先」「国連の平和維持機能の強化、拡充」が具体的に推進されるよう尽力して下さい。 また非核三原則を堅持するとともに、日本本土とその周辺を非核武装地帯とすることを宣言してください。 5、 核兵器を毎日生産している米ソ両大国をはじめ、すべての核保有国の指導者に申し上げます。核兵器の拡大競争は、絶望と破滅の世界を作ることになります。今 のままで人類に未来があるでしょうか。核兵器廃絶への具体的一歩をふみだすために、核兵器実験の禁止と生産の停止を直ちに実現するよう、誠意と信頼をもっ て話し合ってください。 原爆殉難者の御霊よ、あなた方の安らかないこいをお祈りいたします。原爆後遺症に苦しむ被爆者の皆さん、あなた方の悲痛の叫びがきこえます。ご健康を心からお祈りいたします。
1982年(昭和57年) 8月9日 |
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【1983.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」) | ||||||
あの惨禍の日から38年、ヒロシマは、今年も深い憂慮と憤りのうちに暑い夏を迎えた。 今日までのたび重なる軍縮交渉にもかかわらず、米・ソ両国を中心とする核軍拡競争は、ますます熾烈の度を加え、ヨーロッパにおけるSS20の配備、パーシング2の配備計画、極東における核兵器増強の動きなど、増大する核の脅威のもとで、人類は、まさに破滅の危機に直面している。 この緊迫した状況の中で、核兵器反対の運動は、大きな盛り上がりをみせ、「ヒロシマを繰り返すな」、「ノーモア・ヒロシマ」の声が、今や、国際的世論にまで高まっている。 国際連合は、第2回軍縮特別総会で採択した軍縮キャンペーンの一環として、今年秋の各国軍縮特別研究員の広島派遣、国連本部での原爆被災資料の常設展示など、被爆実相の普及と継承への新たな努力を始めた。 広島・長崎両市長は、本年1月、核兵器廃絶に向けての「世界平和都市連帯」を呼びかけた。今、世界の各地から熱い賛同のメッセージが寄せられ、国境を越えて連帯の輪が広がりつつある。 今こそ人類は、敵対の歴史に訣別して、人間の尊厳に目覚め、相互の対話を大いに深めて、信頼と友好の絆を確立すべきときである。 きょうの逡巡は、あすの破滅につながる。 際限のない核軍拡競争に歯止めをかけるため、核兵器保有国は、直ちに、核実験全面禁止条約を締結し、すべての核兵器の製造と配備とを停止し、さらに、核兵器を廃絶するように強く求める。 特に、核超大国である米・ソ両国は、一日も早く首脳会談を開催し、軍事的・戦略的立場を超えて、全人類的見地から、世界に希望を与える決断を行うよう訴える。 唯一の被爆国であり、憲法の平和理念のもとに非核三原則を堅持するわが国は、その実現に先導的役割を果たし、世界平和の灯火たるべきである。 本日、この式典にあたってわれわれは、原爆犠牲者の御冥福を心から祈念し、国家補償に基づく被爆者援護対策の確立と核兵器廃絶、全面完全軍縮を目指して邁進することを固く誓うものである。
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【1984.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
8月6日—あの忘れ得ぬ日の一瞬の閃光と、身を焦がす灼熱、地軸を揺るがす轟音は、われわれの脳裡に焼き付き、今もなお消え去ることはない。 言語に絶する原子爆弾の惨禍を体験した広島は、繰り返し、核兵器の廃絶と恒久平和の確立とを、訴え続けて来た。 しかるに、米・ソ両国は、相互の不信と憎しみをますますつのらせ、核抑止論の名のもとに、自らの安全確保への道を核軍備の増強に求め、戦略兵器削減交渉や、中距離核戦力制限交渉を中断したまま、核軍拡競争に狂奔している。 また、両国の高度に開発された中距離核ミサイルのヨーロッパ・アジア地域への配備や、宇宙空間にまで拡大された核戦略により、軍事的緊張は極度に高まり、世界は核戦争の脅威にさらされている。 ひとたび核戦争が起これば、勝者も敗者もなく、全人類は絶滅するのみである。 この危機に直面して、インド・スウェーデンを始めとする6か国首脳は、核兵器保有国に対し核軍縮を要請するなど、軍縮への世界各国の動きが活発化している。 また、核兵器反対の市民運動は大きな盛り上がりを見せ、「ヒロシマの心」は世界に広く深く浸透し、これが国際世論にまで高まっている。 核兵器保有国は、これらの国際世論を真剣に受け止め、核実験を即時全面的に停止し、核兵器廃絶に踏み出すべきである。特に人類生存の命運をにぎる米・ソ両国は、直ちに核軍縮交渉を再開するとともに、互いの確執を断ち、一日も早く首脳会談を開催するべきである。 わが国は、憲法の平和理念を堅持し、唯一の被爆国として非核三原則を空洞化させることなく、これを厳守するとともに、核軍縮の促進と東西緊張の緩和に積極的に取り組まなければならない。 今や、人類は、破滅か生存かの重大な岐路に立っている。 われわれは、世界恒久平和の理想を高くかかげ、英知をもって対決から対話へ、不信から友好へ、歴史の流れを変えなければならない。 広島・長崎両市は、核兵器の廃絶を希い、平和と協調のため、世界の都市に連帯を呼びかけた。その輪は大きく広がり、被爆40周年には「世界平和連帯都市市長会議」を開催し、都市連帯による新しい平和秩序を探求する。 被爆39周年の本日、われわれは改めて原爆被爆者及び遺族のために、国家補償の理念に立った被爆者援護対策が早期に講じられるよう強く求めるとともに、犠牲となられた御霊の前に、深く慰霊の誠と平和への誓いとを捧げるものである。
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長崎平和宣言 |
1984年(昭和59年) |
日本の皆さん、世界の皆さん、ナガサキの声を聞いてください。あの日 11時2分、真夏の太陽を引き裂いて、せん光が走り、天地が揺れ動いた瞬間、長崎は地上から姿を消しました。人間が焼けただれ、肉を引きちぎられ、累々と 横たわり、また全身黒焦げになって、痛みと渇きに水を求めて、川辺に倒れた無数の男女、まさに人類滅亡の姿でした。
1984年(昭和59年) 8月9日 |
(私論.私見)