1990、1991、1992、1993、1994年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1990、1991、1992、1993、1994年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1900.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

あの日、一発の原子爆弾が、一瞬のうちに広島をこの世の地獄に陥れた。

無残にも、尊い人命が数知れず喪われ、辛うじて生き残った者も、放射能の恐怖に苛まれる日が続いている。

この45年の間、ヒロシマは、被爆の苦悩の中から、戦争の過ちを繰り返さないとの決意のもとに、世界恒久平和を願い、核兵器廃絶と戦争の否定を訴えて来た。今や、ヒロシマの悲願は人類の悲願である。

長かった不信と対立の歴史にも、漸く信頼と協調の兆しが見え始めた。

東西対立の象徴であったベルリンの壁が取り払われ、冷戦体制は終焉に向かい、新たな世界平和秩序が模索されており、人類は新しい歴史への一歩を踏み出した。

米ソ両首脳は、本年6月、戦略核兵器の実質的削減に合意するとともに、なお一層の核軍縮を目指す交渉の開始も取り決めた。また、化学兵器廃絶に向けての協定が調印され、通常戦力削減についても早期の達成が約定された。こうした、人類の運命が破滅から生存へと転じる軍縮の流れを、ヒロシマは、高く評価する。核保有国は世界の世論に応え、即刻、核実験の全面禁止に踏み切り、核兵器廃絶への道を急ぐべきであり、各国は全面完全軍縮への更なる努力を行うべきである。

日本政府は、緊張緩和の動向を踏まえ、日本国憲法の平和主義の理念に基づき、軍事費を抑制し、国是とする非核三原則の空洞化を阻止するための法制化を実現させ、率先してアジア・太平洋地域の非核化と軍縮に努めるとともに、世界の平和秩序を構築するため、積極的な外交政策を展開しなければならない。

本年3月、原爆ドーム保存工事が、国の内外から寄せられた多くの浄財と平和への熱い思いに支えられて、完成した。広島平和記念資料館の来館者は、初めて一年間に150万人を突破するに到った。核兵器廃絶を求める世界平和都市連帯推進計画に賛同する都市も50カ国、287都市に達した。これらの事実は、強く平和を願う多くの人々の意志を示すものである。

本日は、ここ広島において、女性国際平和シンポジウムを開催し、平和の実現や核兵器廃絶のために、女性が果たすべき役割を討議する。

ヒロシマは、今後とも、原爆被害の実相を世界に知らせるとともに、核軍縮に向けての国際世論を高めるため、、国際的な平和研究機関の設立を推進する。

ここに、ヒロシマは訴える。

核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。

米ソを始めとする核保有国は、40数年間にわたって強行した核実験の被害の全貌を明らかにするとともに、速やかに、環境や住民被害への対策を講じることを。

世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。

ヒロシマはまた、飢餓と貧困、人権抑圧と地域紛争、難民、地球環境破壊等のため、苦難に喘ぐ人々にも思いを致し、国際協力により、これらの問題が一日も早く解決されるよう切望してやまない。

本日、被爆45周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に、衷心より哀悼の誠を捧げるものである。ヒロシマは、日本政府が、原子爆弾被爆者実態調査の結果を生かし、国家補償の理念に立った画期的な被爆者援護対策を早急に確立するよう強く求める。また、朝鮮半島や米国等に在住する被爆者の援護が、積極的に推進されるよう心から念願するとともに、平和への決意を新たにするものである。


1990年(平成2年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 

長崎平和宣言

1990年(平成2年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、ナガサキの声を聞いて下さい。
 きょうは悲しい長崎原爆の日。

1.原爆を忘れるな、戦争を忘れるな。
 我が国はかつて日韓合併の後、日中十五年戦争、太平洋戦争を戦い、長崎原爆を最後に敗戦となりました。内外二千数百万人の尊い生命を奪いました。私たちは戦争を心から反省し、犠牲となった多くの日本人と外国人のごめい福をお祈りし、その償いを考えなければなりません。
 長崎は今世紀最大の残虐な原爆によって一瞬にして廃墟と化しました。あの瞬間から膨大な数の方々が亡くなりました。今もなお多くの被爆者がケロイド、血液疾患、悪性腫ようなどの後障害のために苦しみ続けています。
 過去を反省することは、未来に平和を築くことであります。戦争の悲惨さと平和と人権の尊さを子供たちに伝えていこうではありませんか。

2.核兵器の廃絶を強く世界に訴えよう。
 核兵器は人類を絶滅させる最大の脅威であり、絶対悪であります。長崎は、核実験の即時全面禁止と核兵器の廃絶を訴えます。
 本年6月の米ソ戦略核兵器削減条約の基本合意、欧州通常戦力の削減交渉が行われるなど世界情勢は大きく動いています。
  しかし今日なお、核保有国は核抑止戦略を放棄せず、核実験は依然として続けられ、核兵器は高性能化されるなど核戦争に導く火種は後を絶ちません。特にアジ ア・太平洋地域に集中している海洋発射型の核ミサイルの削減については、今も楽観を許さない状況にあります。今こそアジア・太平洋地域の非核地帯化のため 日本政府の主体的、積極的な外交を望むものであります。

3.非核三原則の厳守を。
  核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則は日本の国是であります。しかし核兵器が持ち込まれているのではないかという疑惑を持っている国民 は多い。アメリカの、信頼できるかつての責任者たちは、「核兵器の日本への寄港、領海通航、陸揚げは非核三原則に含まれない」、「核兵器を積まぬ空母はな い」と明言しています。アメリカ当局は、日本に寄港する艦船の核兵器の有無については答えないといっています。日本政府は真実を明らかにしなければなりま せん。
 25年前、沖縄近海で米空母が水爆搭載機の転落水没事故を起こし、今年は空母ミッドウェーが火災事故を起した後、横須賀に入港しました。核兵器の事故の危険に国民はおののいています。
 私たちは、非核三原則の厳守とその立法化を強く求めます。日本政府は、防衛費の削減にも積極的に取り組まなければなりません。

4.原爆被爆者援護法の制定を。
 あの原子爆弾によって、人間のすべてが無残に破壊されました。今も数多くの被爆者が孤独、老齢、差別、原爆症などで心も体も生活も滅びゆきつつあります。
 戦争のためなら、どんな犠牲もやむを得ないというのでしょうか。この深刻な苦難を被爆者だけに背負わせてよいものでしょうか。
  原爆による無差別殺りくは、人道的立場から考えて国際法違反行為であります。日本は、サンフランシスコ平和条約によって対米賠償請求権を放棄しました。 従って政府は原爆被爆者に対して補償する義務があります。また不戦の決意を表明した日本国憲法をふまえ、核戦争拒否の姿勢を明確にさせるためにも、援護法 を制定すべきであります。

5.外国人被爆者に謝罪と援護を。
 戦後45年間、外国人被爆者は、実態さえ不明のまま放置されてきました。私たちの人道上の責任はきわめて大きいといわなければなりません。
 特に、当時の朝鮮や中国の人たちが残酷な植民地支配のもとに、強制連行され、非人道的扱いをうけ、異境の地で被爆して世を去り、あるいは年老いて、原爆症によって心身ともに破壊されています。
 私たちは速やかに謝罪し、実態を調査し、援護をしなければなりません。

 今ここ長崎の地に初めて国内の非核都市宣言自治体の首長が集まりました。核戦争が起れば都市は真っ先に破壊され、市民が最大の被害を受けます。都市は連帯して平和を築いていこうではありませんか。
 平和は人類が子孫に残す唯一の遺産であります。私たちは長崎市民平和憲章を実践し、長崎を地球上最後の被爆地としなければなりません。

 ここに、原爆でなくなられたみ霊のごめい福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、新たな決意をもって、世界恒久平和実現のために努力することを長崎市民の名において宣言します。

1990年(平成2年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1991.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

8月6日のきょうは、広島市民にとって悲しく、つらい日である。そして、平和への決意を新たにする日であり、世界の人びとに記憶し続けてほしい日である。

46年前のきょう、広島は一発の原子爆弾によって壊滅し、数知れぬ命が失われた。それは人類が初めて体験した核戦争であった。ヒロシマはその体験から、核戦争は人類の破滅につながることを知り、苦しみや憎しみを乗り越えて、絶えず核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきた。

人類はきょうまで、かろうじて核戦争は回避してきたが、無謀な核実験の続行や原子力発電所の事故などで、放射線被害が世界の各地に拡がりつつある。もうこれ以上、ヒバクシャを増やしてはならない。

ヒロシマはいま、新たにチェルノブイリ原発事故の被害者らに医療面からの救援を始めたが、ヒバクシャはぼう大な数にのぼっている。ヒロシマは国際的な救援を世界に訴え、その先頭に立ちたいと思う。

先のイラクによるクェート侵攻は決して許されるべきことではない。しかし、湾岸戦争は、多くの死傷者や難民を続出させたうえに、地球の破滅を招きかねない環境破壊をもたらした。私たちは、武力によることなく紛争を解決する道を確立しなければならない。

日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人びとに、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う。ことしは、太平洋戦争が始まって50年に当たる。私たちは、真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下に至る、この戦争の惨禍を記憶し続けながら、世界の平和をあらためて考えたい。

平和とは単に戦争のない状態を言うのではない。私たちは、飢餓、貧困、暴力、人権抑圧、難民生活、地球環境破壊など、平和を脅かすあらゆる要因を取り除き、人間が安らかで豊かな生活のできる、平和の実現に努力したい。

世界は冷戦後の新世界秩序の模索を始めている。核軍縮にも大きな進展がみられた。平和への重い扉は少しずつ開き始めた。それを開けるのは私たち一人一人の英知と努力である。

ヒロシマは世界に訴える。

核実験を直ちに全面禁止し、核兵器を一日も早く廃絶しよう。

戦争の空しさと愚かさ、平和の尊さを自覚し、人類の幸せを実現しよう。

ヒロシマの訴えは人類生存への叫びにほかならない。世界の指導者は、この声に耳を傾けてほしい。

私たちは、国際協力のあり方を真剣に考え、世界平和に貢献しなければならない。日本国憲法の平和理念を尊守し、平和の尊さを教える教育を推進しなければならない。国家補償の精神に基づいた被爆者援護法を速やかに実現しなければならない。朝鮮半島や米国など海外在住の被爆者にも、援護の施策を講じなければならない。これらの実現のため、日本政府の一層の努力を求める。

きょう、被爆46周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、平和への不断の努力を市民の皆様とともにお誓いする。


1991年(平成3年)8月6日


広島市長  平  岡  敬
 

 

 

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長崎平和宣言

1991年(平成3年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、ナガサキの声を聞いてください。
 今日は悲しい長崎原爆の日。46年前、原爆であっという間に死んでいった幾万の人々の叫びが聞こえますか。その後、苦しみもだえながらこの世を去っていった多くの人々の悲しみの声が聞こえますか。

1.日中15年戦争開始から60年、真珠湾攻撃から50年―あの戦争に心から反省を
 わが国は日韓併合の後、日中戦争、真珠湾攻撃から太平洋戦争へと突入し、長崎原爆で敗戦となりました。
 私たちはあの戦争を心から深く反省し、犠牲となった内外二千数百万人のごめい福をお祈りし、その償いを考えなければなりません。

2.湾岸戦争の教訓を学ぼう
 冷戦が終わり平和の気運が高まったとき、湾岸戦争が起りました。
 近代兵器による圧倒的な力の勝利。しかし、民族・宗教の対立、人権抑圧、経済不安は依然として残り、新たな難民、地球規模の環境汚染が生じました。あの湾岸戦争ではどれほど多くの人々が死んだのでしょうか。
 中東地域に大量の武器輸出を続けてきた国連安全保障理事会常任理事国の責任は重大と言わざるをえません。
 湾岸戦争では、日本の国際的責任が改めて問われました。今こそ、戦争放棄を誓った日本国憲法の理念に他って、国際社会に果たす独自の役割りを考えなければなりません。
 また、国連の戦争防止機能を強化し、国連主導による武器移転禁止と軍縮をはかる必要があります。

3.核兵器廃絶と非核三原則の立法化を
 湾岸戦争は、核兵器、生物・化学兵器が使用される危険性を現実に示しました。米国の多くの人が「米兵の死傷者が急増し、化学兵器で攻撃されれば、核兵器を使ってもよい」と考え、ある高官は「広島への原爆投下は正しかった」と発言しました。
 長崎市民は怒りをもって訴えます。原爆は人類滅亡をもたらす悪魔の兵器であることを。原爆投下はジェノサイド(集団まっ殺)であり、国際法違反行為であることを。私たちは、核兵器をこの地球上から廃絶しなければなりません。
 人類最初の被爆国である日本の政府は、非核三原則の立法化を実現させるとともに、まず世界の核保有国に核実験の全面禁止を働きかけ、また、アジア・太平洋地域の非核ネットワークづくりに真剣に取り組むべきであります。

4.原爆被爆者援護法の制定を
  あれから46年、被爆者は老齢と孤独の中で、常に死の恐怖におののいています。生きている限り続く残酷な苦しみを被爆者だけに背負わせてよいものでしょう か。被爆者は、被爆直後の10年余、治療と救済を最も必要とするときに、放置され、うち捨てられていました。人権侵害の極限です。サンフランシスコ平和条 約によって対米賠償請求権を放棄した日本政府は、被爆者に対して補償する義務があります。
 しかし、援護法の制定を願う被爆者の悲痛な叫び声は、押しつぶされ、いまだ実現されていません。
 今をおいて被爆者を救援する時期はありません。原爆被爆者への国家補償は、核戦争を起こさず、再び被爆者をつくらないと国が誓うことであります。

5.外国人被爆者と核被害者に援護を
 外国人被爆者にも国内の被爆者と同等の援護措置をとるよう訴えます。
 特に当時の朝鮮半島や中国の人たち及び連合軍の捕虜は、強制的に連行され、非人道的扱いを受け、被爆して世を去り、あるいは帰国したあとも原爆症、孤独、老齢、差別に心も体もむしばまれています。
 私たちはこれらの方々へ謝罪と償いをしないで国際的責任を果たしたと言えるでしょうか。
 また、日本政府は国際機関と協力して、原爆被爆者と、チェルノブイリ原子力発電所等の事故による被ばく者や、南太平洋等の核実験の被害者のための国際医療センターを設置してください。

6.未来を担う子供たちへ
  みなさんは知っていますか。核兵器は、私たちが何世紀にもわたって築き上げてきた文化、財産、そして尊い人命を一瞬にして奪う恐ろしい兵器であることを。 現在、地球上には5万発を超える核兵器があります。これは世界中のひとりひとりが3トンの火薬を背負っていることになると言われています。
 子供のみなさん。本を読み、話を聞き、原爆資料館を見てください。核兵器の恐ろしさ、戦争の悲惨さを心に刻んで、平和を求め続けてください。

 最後に、世界の飢餓、難民、環境破壊に関心を持たず、また救済の努力もしないで世界の平和を語ることはできません。今こそ私たちは、「世界は一つ」との考えに立ち、人類の未来のために立ち上がらなければなりません。長崎は世界最後の被爆地でなければなりません。

 ここに、原爆犠牲者のごめい福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、長崎の全市民が心を一つにして、核兵器廃絶と世界平和実現に向かってまい進することを宣言します。

1991年(平成3年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1992.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

広島が一発の原子爆弾で壊滅し、数知れぬ市民が犠牲となったあの日から、47年の歳月が流れた。きのこ雲の下、目を覆う惨状を呈した広島を、私たちは決して忘れることができない。

以来、その記憶を胸に、私たちは、世界がヒロシマを二度と繰り返さないよう、核兵器の廃絶と世界恒久平和の確立を訴え続けてきた。

しかし、核実験は今なお続いている。国家の安全保障を核兵器という力に依存する核抑止論を、ヒロシマは絶対に容認することができない。核兵器だけでなく、生物化学兵器などの大量破壊兵器は、長年にわたって多量に蓄積され、人類の未来に暗い影を落としている。

ソ連邦の消滅を軸に激動する世界は、いま歴史的な転換期に立たされている。東西の冷戦構造が崩れ、米国とロシアが核兵器の大幅削減に合意したとはいえ、人類は融和への道を歩むか、対立・抗争を繰り返すか、選択の岐路にある。

核兵器の拡散、核開発技術の流出は断じて防がなければならない。核査察制度の確立、核弾頭の解体に伴う放射性物質の安全な処理も緊急の課題である。

今年6月、念願であった国連軍縮広島会議の開催が実現した。ヒロシマは、核兵器を廃絶する手だてとして、核実験の即時全面禁止、核兵器の実態の公表、被爆50周年にちなむ第4回国連軍縮特別総会の開催、そして、アジア・太平洋地域での信頼醸成と核軍縮の討議の場を広島に常設すること——などを提案した。これらの考え方が国連の内外で真剣に討議され、一日も早く実現するよう期待する。

今日、核兵器による人類絶滅の危機に加えて、地球環境の破壊も人類の生存を脅かしつつある。私たちは、安全で快適な生存の条件を守るために、人種や民族を超えた「人間」としての自覚を強め、平和を創造してゆきたい。

そのために、ヒロシマは世界の平和都市連帯を一層推進し、幅広い友好と協力関係を築き上げる。さらに、世界の核被害者救済を一段と充実させたい。

過去の戦争や植民地支配で、わが国はアジア・太平洋地域の人々に大きな苦しみと深い悲しみを与えた。私たちは、その痛みを自らの痛みとすることによって、未来へ向けて相互の絆をより強めなければならない。道義こそ信頼の源となるからである。

きょう被爆47周年にあたり、謹んで原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げるとともに「過ちは繰り返さない」ことをお誓いする。同時に、平和の礎となった原爆死没者と、高齢化し、今なお放射能障害に苦しむ被爆者のために、政府はその責任において被爆者援護法を制定するとともに、外国に住む原爆被爆者の援護に乗り出すよう強く求める。

核兵器を廃絶し、新しい平和秩序を生み出す道は険しく、なお遠い。今こそ、一人ひとりが偏見や憎悪を棄て、平和を担う力を身につけなくてはならない。私たちは日本国憲法が掲げる不戦の理念を守り、若い世代に原点・ヒロシマを伝え続けたい。ここに、改めてその決意を表明する。


1992年(平成4年)8月6日


広島市長  平  岡  敬
 

 

長崎平和宣言

1992年(平成4年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。
 今、この地に立てば、47年前の悲惨な光景が見えてきます。燃ゆる大地、数千度の熱線、黒こげの死体、水辺で息絶える裸の人間、焼けただれた皮膚の少年、家も学校も工場も一瞬のうちに燃え尽き、倒れ、廃墟となりました。
 今日、原爆の日。亡くなられた被爆者のご冥福をお祈りし、平和の誓いを新たにするために私たちはここ爆心の地に集まりました。

1.日中戦争、太平洋戦争から長崎原爆までを考えよう
 我が国は韓国併合の後、日中戦争、太平洋戦争へ突入し、広島・長崎の原爆で敗戦となりました。
  私たちは、日本のアジア・太平洋への侵略・加害の歴史を振り返り、犠牲となった内外二千数百万人のご冥福をお祈りし、心からの反省とその償いを果たさなけ ればなりません。また、原爆によって膨大な数の方が亡くなり、今なお多数の被爆者が孤独、老齢、病弱、差別などで苦しみ続けております。
 私たちは今、過去をしっかりと見つめ、正義と人間愛が日本にも存在することを世界に示すべきであります。

2.二十世紀中に地球上から核兵器をなくそう
 長崎と広島の市民は、原爆投下のとき、これこそ人類を滅亡させる究極兵器であることをみました。それ以来、両市民は核兵器廃絶を世界に訴え続けてきました。
  今年6月、アメリカとロシアは大幅な核軍縮を目指すことで一致しました。ロシアとフランスは核実験の一時停止を表明しました。核軍縮の流れは大きくなりま した。しかし、核実験は続けられ、核抑止力に頼る考え方は変わりません。また核拡散、核兵器解体による膨大な核物質の危険は去りません。
 私たちは、核保有国が核兵器廃絶の第一歩として直ちに核実験の全面禁止を行うよう、また、新たに核兵器を持とうとする国が核超大国の過ちを繰り返さないよう訴えます。私たちは核兵器が21世紀に持ちこされることを決して許してはなりません。

3.原爆被爆者援護法の即時制定と外国人被爆者の援護措置を
 原爆による凶悪な大量虐殺は、人道上、国際法上許されない行為であります。日本政府は、サンフランシスコ平和条約によって対米賠償請求権を放棄しました。日本政府は、原爆被爆者に保証する義務があります。
 被爆者は被爆直後10年余、治療と救済を最も必要とするとき放置されました。再び戦争を起こさない決意の証しとして、国家補償の精神に基づき原爆被爆者援護法を即時制定しなければなりません。
 また、当時の朝鮮、中国の人たちや連合国の捕虜は強制連行され、非人道的扱いを受け、被爆して世を去り、あるいは帰国後原爆症や差別に苦しんでいます。私たちは、速やかに実態を調査し、謝罪し、援護をしなければなりません。

4.今、日本人と日本政府がなすべきこと
 私たちは、日本国憲法の平和原則を守り、戦争放棄、平和希求の精神を世界に示し、日本独自の国際貢献を考えなければなりません。
 日本政府は、アジア太平洋地域の信頼醸成と、この地域の非核化に真剣に取り組み、日本の国是である非核三原則の立法化を図らなければなりません。また、世界の核実験や原子力発電所の事故による放射線被害者の救済のために、日本に国際医療機関を設立してください。
  今日、大量殺りく兵器のために莫大な資金が使われている一方で毎年千四百万人の子供たちが栄養不良と病気で亡くなり、約十億の人々が飢餓に直面していま す。日本政府は、率先して世界に軍縮を訴え、軍事費削減によって生じる余裕を「平和の配当」として飢餓、貧困、難民、人権抑圧、環境破壊など人類が直面す る問題の解決に使うよう呼びかけてください。

5.未来を担う青少年のために
  教育に携わる皆さん。平和は私たちが子孫に残す唯一の遺産であり、核兵器廃絶こそ世界平和の第一歩であることを青少年に教えてください。青少年が現実の世 界を知るために、日本のアジア諸国に対する侵略・加害の歴史や世界の核兵器をはじめとする大量破壊兵器や武器の輸出入など、現代社会の情勢をよく教えるよ う努力してください。
 青少年の皆さん。現在の日本や世界の情勢をよく学び、世界の人々との理解と交流を深め、恵まれない人々に目を向け、人権を守り差別をなくすため、思いやりと勇気をもって行動してください。
 長崎市は、青少年のために広く平和について学ぶ機会を提供するとともに、青少年平和会議を開催するなど国内外の青少年の交流・学習を推進する平和希求プログラムを創設します。

 原爆被爆47周年にあたり、原爆犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、長崎市民が一体となり、平和な21世紀に向けて、核兵器廃絶と世界平和実現のため努力することをここに宣言します。

1992年(平成4年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1993.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」

平和宣言 

広島市民にとって忘れることができない8月6日が巡ってきた。48年前、この地に現出した地獄絵図を思い起こしながら、私たちは改めて世界の人々の良心に、核兵器の開発・保有は人類に対する罪であることを、強く訴える。

広島・長崎の悲劇以後、今日まで核兵器は使用されなかったし、誤って爆発することもなかった。だが、今後もそうである、との保証はない。

最近、米国、ロシア、フランスは相次いで核実験の停止期間を延長した。一歩前進とはいえ、核兵器はなお地球上に大量に蓄積され、人類の生存を脅かしている。

それゆえ、4月の国連NGO軍縮特別総会でも提唱した通り、1995年に期限が切れる核拡散防止条約を、無期限の条約にしようとする核保有国の動きに、私たちは強い危惧の念を表明する。この条約が果たしてきた役割は大きかったが、その無期限の延長は、核兵器を持つ国と持たない国との関係を不安定にするだけでなく、核兵器廃絶の願いに反するからである。いま、朝鮮半島など各地域で核兵器をめぐる不透明さが世界に不安を醸し出している。核兵器保有国は、当面、包括的核実験禁止を同条約に並行させるとともに、少なくとも今世紀のうちに、すべての核兵器を完全に廃棄するよう、期限をつけた目標を世界に示すべきである。

原発事故や核廃棄物投棄による地球環境の汚染を、これ以上広げてはならない。技術の進歩が著しい原子力平和利用についても、安全最優先の見地から放射性物質、とりわけプルトニウムの国際管理体制を確立し、国家を超えて、その透明性を確保することが急務である。

広島でのアジア競技大会開催を来年秋に控え、私たちはアジアの人々の日本に対する思いに深い関心を抱いている。日本がかつての植民地支配や戦争でアジア・太平洋地域の人々に苦難を与え、その心に今も深い傷を残していることを私たちは知っており、率直に反省する。特に、隣国の朝鮮半島に住む多くの原爆被爆者がたどった戦後の足跡を思うとき、私たちの心は痛む。これらアジア・太平洋地域の人々との末永い友好を築くためには、いまだに清算されていない、いわゆる戦後処理問題に速やかな決着をつける日本政府の決断が不可欠である。

いま、広島では「第3回世界平和連帯都市市長会議」を開き、核兵器と戦争のない世界へ向けて国際世論の結集を図るとともに、多様な行動の可能性を探る討議を重ねている。

原子爆弾の非人道性を身をもって経験した内外の被爆者は年ごとに老いていく。被爆後半世紀を迎えようとしている今日、国家補償の精神に基づく、物心両面にわたる画期的な援護対策の確立を急がなければならない。

同時に、若い世代へ歴史を通して原爆や戦争を語り継ぐ教育も充実されなくてはならない。平和の創造を阻むものは、心の荒廃である。

ここに被爆48周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表し、恒久平和の実現に向け、ヒロシマの世界化を一層おし進めることをお誓いする。


1993年(平成5年)8月6日


広島市長  平  岡  敬
 

 

長崎平和宣言

1993年(平成5年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。
 この地で、48年前原子爆弾で亡くなった幾万人の叫びを、今、聞いてください。
 この長崎の地に投下された一発の原爆は、爆発の瞬間、大火球となり、セ氏数百万度にも達し、すさまじい熱線、爆風、放射線が大地に襲いかかりました。
 人々は一瞬のうちに黒焦げの死体となり地にころがり、水を求めて命尽き、髪は焼け、血を吐きながら次々に死んでいきました。草木は燃え、家は倒れ、この浦上の地から紅蓮の炎が広がりました。
 きょうは悲しい原爆の日。私たちは、原爆で亡くなられた方々への思いと平和の願いを胸に、ここ爆心の地に集まりました。

1.今、過去を振り返り、現在を見つめ、未来に決意しよう
 日本はアジアへの侵略を反省し、戦争責任を明確にし、戦後処理を誠実に行わなければなりません。
 私たち日本人は、過去の反省の上に立ち、日本国憲法の平和希求・戦争放棄の精神の世界化をめざして、恒久平和の構築をねばり強く国際世論に訴えていかなければなりません。
 長崎市民は、被爆都市の使命として、人類滅亡をもたらす核兵器の廃絶に向けて最大の努力をします。

2.核兵器の脅威は現在も続いている
 核兵器保有国も、核兵器を保有しようとしている国も、これらの国々の指導者たちは、核兵器を持つことによって、自国の安全が保たれるという核抑止の考えを持ち続けています。核抑止の考えを持つ限り核兵器の廃絶は望めません。
  今年7月先進国首脳会議は、核不拡散条約へ世界のすべての国の参加と2年後に無期限延長を求める政治宣言を採択しました。しかし、この条約は核兵器廃絶を めざした条約ではありません。速やかに、核実験の全面禁止と、多国間交渉により、核兵器全面禁止国際協定を締結すべきであります。
 また、ロシアでは核兵器の解体、処理が進まず、そのうえ放射性廃棄物が日本海などに捨てられていることが明らかになりました。今こそ地球的規模の核汚染を防ぐため国際的な協力体制が必要であります。

3.原爆被爆者援護法の制定を-非人道的な核兵器を許さない証しとして
  原爆による大量虐殺は、人道上、国際法上許されないことであります。しかも、被爆直後の10年間は被爆者に対して何の救済もありませんでした。今日、老 齢、病弱の中で、死の恐怖におののいている被爆者の心を考えてください。サンフランシスコ平和条約で対米賠償請求権を放棄した日本政府は、被爆者を援護す る義務があると思います。
 全国地方議会の約七割が援護法制定促進を求めています。援護法制定に賛成の国会議員の3分の2を超えました。国民的合意は成立したものと思います。非人道的な絶対悪の核兵器の使用を決して許さない証しとして、国家補償の精神に基づき援護法制定を急いでください。

4.広島・長崎の外国人被爆者に援護を。核実験や原子力発電所の事故の被害者に救援を
  朝鮮半島や中国等の被爆者は、強制的に連れてこられ、非人道的扱いを受け、被爆してこの世を去り、あるいは帰国して原爆症、老齢、孤独に苦しんでいます。 また、核実験や原子力発電所の事故による放射線被害者も苦しみ続けています。私たちはこれらの方々へも救済の手を差し伸べるべきであると考えます。
 長崎市は、長崎県、長崎大学などとともに「長崎・ヒバクシャ医療国際協力会」をつくり、外国人医師の研修受け入れ、外国への医師の派遣、外国人ヒバクシャの受け入れ治療などを行うことにしました。今後、この協力会の発展に努めます。

5.今、我々日本人が国際社会の一員として、国の内外においてなすべきこと
 日本はプルトニウムを大量に蓄積することによって、核兵器を作るのではないかという懸念が、アジア・太平洋の国々に広まっています。日本政府は、非核三原則を立法化し、核兵器製造は決して考えていないことを表明し、核兵器廃絶運動の先頭に立つべきであります。
 今、地球は病んでいます。飢餓、難民、民族・宗教対立による紛争、環境破壊等切迫した課題に直面しています。私たち日本人は、生活を小さくすることによって、地球環境の保全と飢餓、難民の救済に寄与すべきです。そして、紛争の解決に武力を行使することは誤りであります。
 世界の主要な武器輸出は国連の安全保障理事会常任理事国であります。これらの国に軍縮の推進と、武器輸出禁止を求めましょう。

6.明日をつくる青少年へ-21世紀を平和の世紀にするために
 48年前、みなさんと同じように未来に大きな夢と希望を持っていた人達が、学校で家庭で、そして工場で一発の原爆によって全てを失いました。人が人の命を奪い、他の国の安全を脅かすことは決して許されません。
 みなさんは、被爆体験や戦争の歴史をよく学び、戦争の恐ろしさを心に刻んで、決して戦争を起こさないよう一人でも多くの人に語り伝えてください。そして進んで平和のために働き、夢や理想を実現してください。

7.長崎は世界に向かって平和の尊さを叫び続けます
  あの原爆による残酷な死と破壊がありました。そして戦争は終わりました。長崎では、原爆の瞬間から4か月の間に7万数千の人が亡くなり、今日もなお6万4 千人の被爆者が老いと病弱のうちに、ひっそりと暮らしています。私たちは、この痛ましい犠牲をかた時も忘れてはなりません。原爆の悲惨さと平和の尊さを世 界に向かって叫び続けることは長崎市民の責務であります。
 長崎市は、来る被爆50周年に、この長崎の地で、国連軍縮会議が開かれるよう努力いたします。
 本日、世界平和連帯都市市長会議にご出席のみなさん、世界の都市が連帯し、世界平和のために、具体的な行動をとりましょう。

 最後に、原爆犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、全市民が一体となり、核兵器廃絶と世界平和実現のため、努力することを宣言します。

1993年(平成5年) 8月9日
長崎市長 本島 等


【1994.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

強い日差しが照りつける夏の朝、一発の原子爆弾は、一瞬にしてこの街を壊滅させ、多くの人びとの命を奪い去った。いま、この慰霊碑の前に立って「核兵器なき世界」の到来を犠牲者の御霊に報告できないことを誠に無念に思う。

あの日からほぼ半世紀、世界はもとより日本も大きな転換期に入り、時代は対立から協調へと動き始めた。しかし、核兵器はまだ地球上に存在する。ヒロシマは、ナガサキとともに世界の核保有国に指導者に訴える。即刻、すべての核兵器の廃棄を宣言すべきだ、と。核兵器の開発と保有は人類に対する罪であることの意味を世界の指導者は理解すべきである。原爆ドームを世界遺産に加える運動も、人類に警告を発し続ける世界の史跡として永久に残そう、と願うからに外ならない。

無差別・大量殺りく兵器であるうえ多量の放射線を放出する原子爆弾は、明らかに国際法違反の兵器である。被爆者は身をもってそのことを知っている。昨今、核兵器使用の違法性が国際司法の場で審理されようとしているが、国際社会はヒロシマ・ナガサキの実態を見つめ、核兵器の非人道性を十分に認識して欲しい。

さきの第2回国連軍縮広島会議でも主張した通り、核兵器廃絶の道筋を明確にせず、保有国と非保有国の関係を不安定にする核拡散防止条約の無期限延長に私たちは反対する。日本政府は、被爆国としての責務を果たすために、非核三原則を国際社会に拡大し、北東アジアに非核地域を設定するなど、自らの核兵器反対を実証する具体策を世界に示すべきである。

10月の第12回アジア競技大会に参加するある国は、原子爆弾の惨禍を乗り越えて大会開催を実現した今日の広島を、平和への大いなる希望の象徴である、と表現した。私たちは、この言葉を誇りと自信を持って受け止めたい。無論、アジア諸国との戦争や植民地支配の歴史を常に心に刻むべきであることは言うまでもない。

原発事故や核廃棄物の投棄は国境を越えて地球を汚染する。放射性物質、とりわけプルトニウム管理の透明性を国際的に確保すること、そして、原子力技術の「民主・自主・公開」の原則順守を強く求める。

50年近い歳月を生き抜いてきた被爆者は未来への思いを込めて被爆者援護法の実現を何よりも待ち望んでいる。今こそ内外の被爆者に対し、国家補償の精神に基づく画期的な方策が講じられねばならない。

人類は戦争の恐怖に脅えることなく、飢えと貧困に苦しむことなく、また、差別と偏見に身をさらすことのない社会の実現を目指して歴史を切り開いてきた。私たちは原爆や戦争を通して、若い世代に理想の世界像を語り継いでいきたい。

本日、ここに被爆49周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、市民の力を結集して平和を構築していく決意を表明する。


1994年(平成6年)8月6日


広島市長  平  岡  敬
 

長崎平和宣言

1994年(平成6年)

 日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。
  あの日、この浦上の地に原爆が襲いかかりました。直下にあった城山国民学校と山里国民学校の鉄筋校舎は無残に破壊されました。城山では、学校にいた先生と動員学徒など152人のうち133人が、山里では先生32人のうち28人が死亡。両校合わせて3千100人いた児童のうち2千700人余りが自宅で死亡。3か月後、授業が始まって集まった子どもたちはわずかで、死をまぬがれたとはいえ、原爆症におののく日々が始まっていました。今日は悲しい原爆の日。私たちは、犠牲となった人々の叫びと平和への願いを伝えるため爆心の地に集まりました。

1.あの戦争と原爆を思いおこし、声高く語り継ごう
  日本人は、アジアに対する侵略と加害の歴史をふり返り、厳しい反省の上に立ってその償いを考えなければなりません。私たちの反省がなければ、日本が世界の国々の信頼を得ることはできません。
  あの戦争が終わってから半世紀がたち、戦争体験、被爆体験が風化しようとしています。私たちは、戦争の悲惨さと原爆の恐ろしさを若い世代に語りつぎ、平和の大切さを伝えなければなりません。
  青少年のみなさん、戦争への道をたどった日本の歴史や、今日の国際情勢を学び、世界の平和のために何ができるかを考えてください。世界の恵まれない子どもたちを助け、飢餓、貧困に苦しむ人々のため勇気をもって行動してください。

2.核兵器全面禁止条約の締結こそ被爆都市ナガサキの願い
  昨年、アメリカとロシアは戦略核兵器の大幅削減に合意しましたが、2003年になってもそれぞれが3千ないし3千500という、全人類を抹殺しても余りある量の核兵器を持ち続けます。また、今年1月、核実験全面禁止条約交渉が始まりましたが、一方では中国の核実験やアジア・中東における核兵器開発疑惑など、核兵器の脅威は依然として続いています。
  来年4月、核不拡散条約の再検討が開かれています。この条約は、新たな核兵器保有国の出現を防ぐ一方、核保有国が核兵器を持ち続けることによって核戦争を未然に防ぐという、核抑止の考え方に立った条約であります。私たちは、核保有国が核廃絶の意志を示さないまま、核不拡散条約を無条件・無期限に延長することに反対します。核保有国は核抑止の考えを捨て「核実験全面禁止条約」を経て、核兵器廃絶を実現するための「核兵器全面禁止条約」の締結に向け、一日も早く行動を起こすべきであると訴えます。

3.核兵器使用は国際法違反であることをはっきりと言おう
  私たちは、人類史上初めて原爆を経験しました。核兵器は全人類を滅ぼす力を持っている絶対悪であります。このような非人道的、無差別大量殺りく兵器の使用が国際法に違反していることは言うまでもありません。日本政府は、私たち国民の視点に立って、核兵器の使用は国際法に違反しているとはっきりと言うべきであります。
  我が国がプルトニウムを大量に蓄積していることによって、日本は核兵器を開発するのではないかとの疑惑を招いています。私たちは、再三にわたり非核三原則の立法化を求めてきました。日本政府は今こそこれを立法化し、日本は核兵器を保有する意志のないことを世界に示すとともに、核兵器は絶対悪であることを率先して世界に訴えるべきであります。

4.直ちに被爆者援護法の制定を、外国人被爆者にも同等に
  被爆者援護法は参議院において二度可決され、全国地方議会の七割が制定促進の意志を明らかにしているにもかかわらず、まだ制定されていません。被爆者は戦後10年間、最も治療と救済を必要としていた時に何の援護措置もありませんでした。
  今、援護法制定が遅れるたびに、多くの被爆者が失意のうちに世を去っています。被爆者は、もう待てません。日本政府は、核兵器を使わせず、戦争を決して起こさない決意の証として、戦後の区切りである被爆50周年までに、国家補償の精神にもとづく被爆者援護法を制定してください。
  さらに、朝鮮半島や中国等から強制連行され、長崎・広島で被爆して帰国した人々にも、日本人被爆者と同等の援護をすべきであります。

5.今、世界平和のために私たちがなすべきこと
  みなさん、今、世界に目を向けてください。
  民族・宗教の対立による地域紛争の多発や地球規模での環境破壊、飢餓、難民など世界には解決を迫られている問題がたくさんあります。
  日本政府は、これらに対処するため、現在の政府開発援助を見直し、発展途上国の人々の生活向上に積極的な貢献をすべきであります。私たち一人ひとりも、日々の生活の中で、地球環境を守り、世界の貧しい人々の救済と人権擁護に関心を持ち、援助の手を差しのべなければなりません。戦争の悲惨さを身を持って体験した私たちは、日本国憲法の平和理念にもとづき、紛争解決に武力を使うことは誤りであると強く訴えます。

6.被爆50周年に向けて長崎は決意します
  来年の被爆五十周年に向けて、私たち長崎市民は、長崎から平和の願いを国の内外に発信するため、一丸となって努力しようではありませんか。
  長崎市は県とともに国連軍縮長崎会議の開催に努力し、私たちの悲願である核兵器廃絶実現に向けて大きな一歩を踏み出します。また、アジア・太平洋青少年平和会議を開き、若者の連帯と交流を深めます。
  来年、創設50周年を迎える国連が、大国中心主義でなく、真に世界の平和と地域の安定のために主導的な役割を果たすことを期待し、長崎市も世界平和連帯都市市長会議等を通じて国連の活動を支援します。

  原爆被爆49周年に当たり、犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、全市民が手を携え、核兵器廃絶と世界平和実現のため、努力することをここに宣言します。

1994年(平成6年) 8月9日
長崎市長 本島 等






(私論.私見)