1990、1991、1992、1993、1994年平和宣言 |
(最新見直し2007.8.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに「1990、1991、1992、1993、1994年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。 2007.8.7日 れんだいこ拝 |
【1900.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||
あの日、一発の原子爆弾が、一瞬のうちに広島をこの世の地獄に陥れた。 無残にも、尊い人命が数知れず喪われ、辛うじて生き残った者も、放射能の恐怖に苛まれる日が続いている。 この45年の間、ヒロシマは、被爆の苦悩の中から、戦争の過ちを繰り返さないとの決意のもとに、世界恒久平和を願い、核兵器廃絶と戦争の否定を訴えて来た。今や、ヒロシマの悲願は人類の悲願である。 長かった不信と対立の歴史にも、漸く信頼と協調の兆しが見え始めた。 東西対立の象徴であったベルリンの壁が取り払われ、冷戦体制は終焉に向かい、新たな世界平和秩序が模索されており、人類は新しい歴史への一歩を踏み出した。 米ソ両首脳は、本年6月、戦略核兵器の実質的削減に合意するとともに、なお一層の核軍縮を目指す交渉の開始も取り決めた。また、化学兵器廃絶に向けての協定が調印され、通常戦力削減についても早期の達成が約定された。こうした、人類の運命が破滅から生存へと転じる軍縮の流れを、ヒロシマは、高く評価する。核保有国は世界の世論に応え、即刻、核実験の全面禁止に踏み切り、核兵器廃絶への道を急ぐべきであり、各国は全面完全軍縮への更なる努力を行うべきである。 日本政府は、緊張緩和の動向を踏まえ、日本国憲法の平和主義の理念に基づき、軍事費を抑制し、国是とする非核三原則の空洞化を阻止するための法制化を実現させ、率先してアジア・太平洋地域の非核化と軍縮に努めるとともに、世界の平和秩序を構築するため、積極的な外交政策を展開しなければならない。 本年3月、原爆ドーム保存工事が、国の内外から寄せられた多くの浄財と平和への熱い思いに支えられて、完成した。広島平和記念資料館の来館者は、初めて一年間に150万人を突破するに到った。核兵器廃絶を求める世界平和都市連帯推進計画に賛同する都市も50カ国、287都市に達した。これらの事実は、強く平和を願う多くの人々の意志を示すものである。 本日は、ここ広島において、女性国際平和シンポジウムを開催し、平和の実現や核兵器廃絶のために、女性が果たすべき役割を討議する。 ヒロシマは、今後とも、原爆被害の実相を世界に知らせるとともに、核軍縮に向けての国際世論を高めるため、、国際的な平和研究機関の設立を推進する。 ここに、ヒロシマは訴える。 核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。 米ソを始めとする核保有国は、40数年間にわたって強行した核実験の被害の全貌を明らかにするとともに、速やかに、環境や住民被害への対策を講じることを。 世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。 ヒロシマはまた、飢餓と貧困、人権抑圧と地域紛争、難民、地球環境破壊等のため、苦難に喘ぐ人々にも思いを致し、国際協力により、これらの問題が一日も早く解決されるよう切望してやまない。 本日、被爆45周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に、衷心より哀悼の誠を捧げるものである。ヒロシマは、日本政府が、原子爆弾被爆者実態調査の結果を生かし、国家補償の理念に立った画期的な被爆者援護対策を早急に確立するよう強く求める。また、朝鮮半島や米国等に在住する被爆者の援護が、積極的に推進されるよう心から念願するとともに、平和への決意を新たにするものである。
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長崎平和宣言 |
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1990年(平成2年) | ||
日本のみなさん、世界のみなさん、ナガサキの声を聞いて下さい。 1.原爆を忘れるな、戦争を忘れるな。 2.核兵器の廃絶を強く世界に訴えよう。 3.非核三原則の厳守を。 4.原爆被爆者援護法の制定を。 5.外国人被爆者に謝罪と援護を。 今ここ長崎の地に初めて国内の非核都市宣言自治体の首長が集まりました。核戦争が起れば都市は真っ先に破壊され、市民が最大の被害を受けます。都市は連帯して平和を築いていこうではありませんか。 ここに、原爆でなくなられたみ霊のごめい福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、新たな決意をもって、世界恒久平和実現のために努力することを長崎市民の名において宣言します。
1990年(平成2年) 8月9日 |
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【1991.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
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長崎平和宣言 |
1991年(平成3年) |
日本のみなさん、世界のみなさん、ナガサキの声を聞いてください。 1.日中15年戦争開始から60年、真珠湾攻撃から50年―あの戦争に心から反省を 2.湾岸戦争の教訓を学ぼう 3.核兵器廃絶と非核三原則の立法化を 4.原爆被爆者援護法の制定を 5.外国人被爆者と核被害者に援護を 6.未来を担う子供たちへ 最後に、世界の飢餓、難民、環境破壊に関心を持たず、また救済の努力もしないで世界の平和を語ることはできません。今こそ私たちは、「世界は一つ」との考えに立ち、人類の未来のために立ち上がらなければなりません。長崎は世界最後の被爆地でなければなりません。 ここに、原爆犠牲者のごめい福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、長崎の全市民が心を一つにして、核兵器廃絶と世界平和実現に向かってまい進することを宣言します。
1991年(平成3年) 8月9日 |
【1992.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | |
広島が一発の原子爆弾で壊滅し、数知れぬ市民が犠牲となったあの日から、47年の歳月が流れた。きのこ雲の下、目を覆う惨状を呈した広島を、私たちは決して忘れることができない。 以来、その記憶を胸に、私たちは、世界がヒロシマを二度と繰り返さないよう、核兵器の廃絶と世界恒久平和の確立を訴え続けてきた。 しかし、核実験は今なお続いている。国家の安全保障を核兵器という力に依存する核抑止論を、ヒロシマは絶対に容認することができない。核兵器だけでなく、生物化学兵器などの大量破壊兵器は、長年にわたって多量に蓄積され、人類の未来に暗い影を落としている。 ソ連邦の消滅を軸に激動する世界は、いま歴史的な転換期に立たされている。東西の冷戦構造が崩れ、米国とロシアが核兵器の大幅削減に合意したとはいえ、人類は融和への道を歩むか、対立・抗争を繰り返すか、選択の岐路にある。 核兵器の拡散、核開発技術の流出は断じて防がなければならない。核査察制度の確立、核弾頭の解体に伴う放射性物質の安全な処理も緊急の課題である。 今年6月、念願であった国連軍縮広島会議の開催が実現した。ヒロシマは、核兵器を廃絶する手だてとして、核実験の即時全面禁止、核兵器の実態の公表、被爆50周年にちなむ第4回国連軍縮特別総会の開催、そして、アジア・太平洋地域での信頼醸成と核軍縮の討議の場を広島に常設すること——などを提案した。これらの考え方が国連の内外で真剣に討議され、一日も早く実現するよう期待する。 今日、核兵器による人類絶滅の危機に加えて、地球環境の破壊も人類の生存を脅かしつつある。私たちは、安全で快適な生存の条件を守るために、人種や民族を超えた「人間」としての自覚を強め、平和を創造してゆきたい。 そのために、ヒロシマは世界の平和都市連帯を一層推進し、幅広い友好と協力関係を築き上げる。さらに、世界の核被害者救済を一段と充実させたい。 過去の戦争や植民地支配で、わが国はアジア・太平洋地域の人々に大きな苦しみと深い悲しみを与えた。私たちは、その痛みを自らの痛みとすることによって、未来へ向けて相互の絆をより強めなければならない。道義こそ信頼の源となるからである。 きょう被爆47周年にあたり、謹んで原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げるとともに「過ちは繰り返さない」ことをお誓いする。同時に、平和の礎となった原爆死没者と、高齢化し、今なお放射能障害に苦しむ被爆者のために、政府はその責任において被爆者援護法を制定するとともに、外国に住む原爆被爆者の援護に乗り出すよう強く求める。 核兵器を廃絶し、新しい平和秩序を生み出す道は険しく、なお遠い。今こそ、一人ひとりが偏見や憎悪を棄て、平和を担う力を身につけなくてはならない。私たちは日本国憲法が掲げる不戦の理念を守り、若い世代に原点・ヒロシマを伝え続けたい。ここに、改めてその決意を表明する。
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長崎平和宣言 |
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1992年(平成4年) | |
日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。 1.日中戦争、太平洋戦争から長崎原爆までを考えよう 2.二十世紀中に地球上から核兵器をなくそう 3.原爆被爆者援護法の即時制定と外国人被爆者の援護措置を 4.今、日本人と日本政府がなすべきこと 5.未来を担う青少年のために 原爆被爆47周年にあたり、原爆犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、長崎市民が一体となり、平和な21世紀に向けて、核兵器廃絶と世界平和実現のため努力することをここに宣言します。
1992年(平成4年) 8月9日 |
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【1993.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」) | |
広島市民にとって忘れることができない8月6日が巡ってきた。48年前、この地に現出した地獄絵図を思い起こしながら、私たちは改めて世界の人々の良心に、核兵器の開発・保有は人類に対する罪であることを、強く訴える。 広島・長崎の悲劇以後、今日まで核兵器は使用されなかったし、誤って爆発することもなかった。だが、今後もそうである、との保証はない。 最近、米国、ロシア、フランスは相次いで核実験の停止期間を延長した。一歩前進とはいえ、核兵器はなお地球上に大量に蓄積され、人類の生存を脅かしている。 それゆえ、4月の国連NGO軍縮特別総会でも提唱した通り、1995年に期限が切れる核拡散防止条約を、無期限の条約にしようとする核保有国の動きに、私たちは強い危惧の念を表明する。この条約が果たしてきた役割は大きかったが、その無期限の延長は、核兵器を持つ国と持たない国との関係を不安定にするだけでなく、核兵器廃絶の願いに反するからである。いま、朝鮮半島など各地域で核兵器をめぐる不透明さが世界に不安を醸し出している。核兵器保有国は、当面、包括的核実験禁止を同条約に並行させるとともに、少なくとも今世紀のうちに、すべての核兵器を完全に廃棄するよう、期限をつけた目標を世界に示すべきである。 原発事故や核廃棄物投棄による地球環境の汚染を、これ以上広げてはならない。技術の進歩が著しい原子力平和利用についても、安全最優先の見地から放射性物質、とりわけプルトニウムの国際管理体制を確立し、国家を超えて、その透明性を確保することが急務である。 広島でのアジア競技大会開催を来年秋に控え、私たちはアジアの人々の日本に対する思いに深い関心を抱いている。日本がかつての植民地支配や戦争でアジア・太平洋地域の人々に苦難を与え、その心に今も深い傷を残していることを私たちは知っており、率直に反省する。特に、隣国の朝鮮半島に住む多くの原爆被爆者がたどった戦後の足跡を思うとき、私たちの心は痛む。これらアジア・太平洋地域の人々との末永い友好を築くためには、いまだに清算されていない、いわゆる戦後処理問題に速やかな決着をつける日本政府の決断が不可欠である。 いま、広島では「第3回世界平和連帯都市市長会議」を開き、核兵器と戦争のない世界へ向けて国際世論の結集を図るとともに、多様な行動の可能性を探る討議を重ねている。 原子爆弾の非人道性を身をもって経験した内外の被爆者は年ごとに老いていく。被爆後半世紀を迎えようとしている今日、国家補償の精神に基づく、物心両面にわたる画期的な援護対策の確立を急がなければならない。 同時に、若い世代へ歴史を通して原爆や戦争を語り継ぐ教育も充実されなくてはならない。平和の創造を阻むものは、心の荒廃である。 ここに被爆48周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表し、恒久平和の実現に向け、ヒロシマの世界化を一層おし進めることをお誓いする。
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長崎平和宣言 |
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1993年(平成5年) | |
日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。 1.今、過去を振り返り、現在を見つめ、未来に決意しよう 2.核兵器の脅威は現在も続いている 3.原爆被爆者援護法の制定を-非人道的な核兵器を許さない証しとして 4.広島・長崎の外国人被爆者に援護を。核実験や原子力発電所の事故の被害者に救援を 5.今、我々日本人が国際社会の一員として、国の内外においてなすべきこと 6.明日をつくる青少年へ-21世紀を平和の世紀にするために 7.長崎は世界に向かって平和の尊さを叫び続けます 最後に、原爆犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、全市民が一体となり、核兵器廃絶と世界平和実現のため、努力することを宣言します。
1993年(平成5年) 8月9日 |
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【1994.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
強い日差しが照りつける夏の朝、一発の原子爆弾は、一瞬にしてこの街を壊滅させ、多くの人びとの命を奪い去った。いま、この慰霊碑の前に立って「核兵器なき世界」の到来を犠牲者の御霊に報告できないことを誠に無念に思う。 あの日からほぼ半世紀、世界はもとより日本も大きな転換期に入り、時代は対立から協調へと動き始めた。しかし、核兵器はまだ地球上に存在する。ヒロシマは、ナガサキとともに世界の核保有国に指導者に訴える。即刻、すべての核兵器の廃棄を宣言すべきだ、と。核兵器の開発と保有は人類に対する罪であることの意味を世界の指導者は理解すべきである。原爆ドームを世界遺産に加える運動も、人類に警告を発し続ける世界の史跡として永久に残そう、と願うからに外ならない。 無差別・大量殺りく兵器であるうえ多量の放射線を放出する原子爆弾は、明らかに国際法違反の兵器である。被爆者は身をもってそのことを知っている。昨今、核兵器使用の違法性が国際司法の場で審理されようとしているが、国際社会はヒロシマ・ナガサキの実態を見つめ、核兵器の非人道性を十分に認識して欲しい。 さきの第2回国連軍縮広島会議でも主張した通り、核兵器廃絶の道筋を明確にせず、保有国と非保有国の関係を不安定にする核拡散防止条約の無期限延長に私たちは反対する。日本政府は、被爆国としての責務を果たすために、非核三原則を国際社会に拡大し、北東アジアに非核地域を設定するなど、自らの核兵器反対を実証する具体策を世界に示すべきである。 10月の第12回アジア競技大会に参加するある国は、原子爆弾の惨禍を乗り越えて大会開催を実現した今日の広島を、平和への大いなる希望の象徴である、と表現した。私たちは、この言葉を誇りと自信を持って受け止めたい。無論、アジア諸国との戦争や植民地支配の歴史を常に心に刻むべきであることは言うまでもない。 原発事故や核廃棄物の投棄は国境を越えて地球を汚染する。放射性物質、とりわけプルトニウム管理の透明性を国際的に確保すること、そして、原子力技術の「民主・自主・公開」の原則順守を強く求める。 50年近い歳月を生き抜いてきた被爆者は未来への思いを込めて被爆者援護法の実現を何よりも待ち望んでいる。今こそ内外の被爆者に対し、国家補償の精神に基づく画期的な方策が講じられねばならない。 人類は戦争の恐怖に脅えることなく、飢えと貧困に苦しむことなく、また、差別と偏見に身をさらすことのない社会の実現を目指して歴史を切り開いてきた。私たちは原爆や戦争を通して、若い世代に理想の世界像を語り継いでいきたい。 本日、ここに被爆49周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、市民の力を結集して平和を構築していく決意を表明する。
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長崎平和宣言 |
1994年(平成6年) |
日本のみなさん、世界のみなさん、長崎の声を聞いてください。 1.あの戦争と原爆を思いおこし、声高く語り継ごう 2.核兵器全面禁止条約の締結こそ被爆都市ナガサキの願い 3.核兵器使用は国際法違反であることをはっきりと言おう 4.直ちに被爆者援護法の制定を、外国人被爆者にも同等に 5.今、世界平和のために私たちがなすべきこと 6.被爆50周年に向けて長崎は決意します 原爆被爆49周年に当たり、犠牲者のご冥福と、ご遺族、被爆者のご健康をお祈りし、全市民が手を携え、核兵器廃絶と世界平和実現のため、努力することをここに宣言します。
1994年(平成6年) 8月9日 |
(私論.私見)