1975、1976、1977、1978、1979年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1975、1976、1977、1978、1979年平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1975.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

昭和20年8月6日、広島市民の頭上で、突然、原子爆弾が炸裂した。

爆弾は灼熱の閃光を放射し、爆発音が地鳴りのごとく轟きわたった。その一瞬、広島市は、すでに地面に叩きつぶされていた。

死者、負傷者が続出し、黒煙もうもうたるなかで、この世ならぬ凄惨な生き地獄が出現したのであった。

倒壊した建物の下から、或は襲い来る火焔の中から、助けを求めつつ、生きながらに死んでいった人々、路傍に打ち重なって、そのまま息絶えた人々、川にはまた、浮き沈みつつ流される人々、文字通り狂乱の巷から一歩でも安全を求めて逃げまどう血だるまの襤褸の列、「水、水」と息絶え絶えに水を求める声……。今もなお脳裡にあって、30年を経た今日、惻々として胸を突き、痛恨の情を禁じ得ない。

更に被爆以来、今日まで一日として放射能障害の苦痛と不安から脱し切れず、生活に喘ぐ人々が多数あり、その非道性を広島は身をもって証言する。

この被爆体験を原点として、われわれ広島市民は、人類の平和を希求し、一貫してヒロシマを再び繰り返すなと叫び続けて来た。

しかるに、現状は、核兵器の恐怖が、地球上のすべての国、すべての国民の上にも黒々とおおいかぶさっているのである。

核保有国は、ヒロシマの抗議を無視して、核実験を続行し、さらに強力な開発を進めており、それに追随して核武装を指向する国もあって、核拡散化は激しくなるばかりである。

今や世界が、無秩序な核戦略時代という人類の滅亡を招く重大危機に突入しつつあることは、広島市民として、絶対に黙視できないところである。

人間一人一人が、一つの地球に住む運命共同体の一員であるという自覚を持って、断乎、核兵器の廃絶に起ち向かわねばならぬときである。

この恐るべき事態に直面して、広島市は同じ被爆都市長崎市と相たずさえ、真の世界平和を樹立する決意を新たにし、我々の平和理念が、全人類の共鳴を得るよう切望する。

本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、人間性を否定する核兵器廃絶の急務たることを、声を大にして、全世界の人々に訴えるものである。


1975年(昭和50年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 


 

長崎平和宣言

1975年(昭和50年)

 われわれ長崎市民は、今、ここに、原爆被爆30周年を迎えた。
 昭和20年8月9日午前11時2分。
 人類史上、かつて見たことのない原子爆弾の惨禍を、身をもって体験した長崎市民は、「平和は長崎から」を市民の悲願として、核兵器の廃絶と、核実験の全面禁止を叫び、人類永遠の平和を、広く、全世界に訴えつづけてきた。
 あの日から三十年。
 国際社会の現実は、あまりにもきびしく、平和を願うわれわれ被爆市民の悲願は、常に踏みにじられてきた。
 核大国による核実験は、繰返し強行され、日増しに激化する核軍備競争は、核拡散に拍車をかけている。
 今や、世界の核保有量は、地球上の人類を幾度となく全滅させることができるものであり、核戦争による人類破滅の危険が増大しつつある今日、人類は、繁栄と幸福の道をえらぶか、全滅の道をえらぶか、その選択を迫られているのである。
 われわれ長崎市民は、今こそ、総決起し、核兵器による惨苦の経験者として、「人類が存続するためには、核兵器は勿論、戦争そのものを廃絶しなければならない」ことを強く全人類に訴え、世界平和実現のため、特別の使命を果たすべきであると考える。
 平和は、人間の心の中にはぐくまれるものである。
 われわれは率直に思う。
 あの日の、あの悲しみと苦しみを、そして、今なお、後障害に苦悩する被爆者の心情を、そのまま、ありのままに、世界のすべての人々が知ったとき、核は廃絶され、平和な社会が実現すると確信する。
 今年8月5日、被爆30周年を契機として、世界で唯二つの被爆都市、広島市と長崎市の間で、「平和文化都市提携」が実現したことは、この意味で、極めて意義深いものがある。
 お互いに、協力一致。被爆都市としての使命を果たしていかねばならない。
  今年は、特に、海外原爆展もアメリカで実現し、新聞やテレビにより、全米に対し、原爆の悲惨と、世界の恒久平和実現を直接訴えることができた。この波紋 が、やがて、次の波紋を呼び、大きな輪となって、世界の人の心の中に浸透し平和希求への限りない運動として発展していくことを心から念じている。
 本日、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり、心から殉難者の冥福を祈り、被爆者援護の一層の前進に努力することを誓うとともに、広島市との連携を深め、全市民うって一丸となり、人類永遠の平和確立のため、更に決意を新たにして、力強く邁進することとを、ここに宣言する。

1975年(昭和50年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1976.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 

平和宣言 

本日、われわれは、ここにまた原爆記念日を迎えた。

昭和20年のこの日、この刻、広島は一瞬にして壊滅し、無数の尊い生命が奪い去られた。しかも辛うじて生き残った被爆者は、放射能障害の苦痛と不安にさいなまれ、31年を経た今日もなお、命を蝕まれ死に行く者、あとを断たず、痛恨の情まことにたえがたいものがある。

われわれ広島市民は、この凄惨な被爆体験をみつめながら、ひとたび核戦争がはじまれば、人類の滅亡と文明の終えんは明らかであることを予見し、一切の悲しみと憎しみを越えて、核兵器の廃絶と戦争の放棄を全世界の人々に訴え、「ヒロシマを再び繰り返すな」と叫び続けてきた。

然るに、米・ソを始め核保有国は、ヒロシマの心を踏みにじり、自国の防衛と世界の安全を口実に、依然として全人類をせん滅して余りある巨大な量の核兵器を蓄積し、更にこれを世界に拡散して、核戦争の危機を著しく高めてきた。また頻発する局地戦争が、核保有国の介入により、遂には、世界的規模の核戦争へと発展する恐れなしとしない。

それのみか、今日世界をおおう環境の破壊、人口増加と食糧危機、枯渇への速度をはやめる資源消耗の現実を直視するとき、ここにも平和を脅かす要因が潜在していることを憂えるものである。

今や、人類は、滅亡か、生存かの岐路に立っている。もはや国と国、民族と民族が相争うときではなく、世界が一体となって核兵器を廃絶しなければならないときである。

今こそ全人類は、運命共同体の一員であること深く自覚し、人間の尊厳と、相互依存の理念にもとづく世界恒久平和への道を急がなければならない。

このときにあたり、広島市長は、長崎市長とともに国連に赴き、被爆体験の事実を、生き証人として証言し、世界の国々に、これが正しく継承されるよう提言すると同時に、国連総会が議決した核兵器使用禁止、核拡散防止、核実験停止に関する諸決議のめざす、核兵器廃絶への具体的措置が早急に実現されるよう、強く要請する決意である。

本日ここに原爆犠牲者の御霊を弔うにあたり、われわれは、平和への誓いを新たにし、このことを内外に宣言する。


1976年(昭和51年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 

長崎平和宣言

1976年(昭和51年)

 長崎市は、本日、ここに第31回目の原爆被爆の日を迎えた。あの日、8月9日、一発の原子爆弾は一瞬にしてこの街を地獄図絵と化し、父を母を肉親を、愛する人々の数々を、見るも無残な姿で奪い尽くした。
 漸くにして生き延びるを得た者も、今なお放射能の黒い影におびやかされ、未知の不安に曝されている。
  自ら被爆し、阿鼻叫喚の中を生きたわれわれ長崎市民は、原爆の恐怖、その非人道性を身をもって体験した。人間の歴史の上に再び、この惨禍を繰り返してはな らない。この願いは被爆市民としての、人間としての、ぎりぎりの悲願であり31年間、血の叫びとして、核実験の禁止、核兵器の廃絶を叫び、世界恒久の平和 を訴え続けてきた。これは、まさにわれわれ長崎市民の全人類に対する責務であり、使命であると確信する。
 しかるに、世界の現状を見るに、われわれのこの平和への願いに反して、現実はあまりにも厳しい。国と国との紛争は未だにあとを絶たず、絶えず人心をおびやかし続けている。
  今日、地球上に貯えられている核兵器は、質・量ともに驚くべきものがある。この核兵器は、地球上の全人類を何回も何回もみな殺しにしてなお余りがある。し かもなお、核兵器は、造り続けられ、核実験は繰り返されている。この一年間に行われた核実験は、27回にも達する。この実験の強行は核戦争の危機を増大さ せ、人類を絶滅へ導くものとして極めて遺憾である。われわれは被爆市民の名において、関係諸国に対し、怒りをこめて抗議し、警告してきた。
 なお、核保有諸国にあっては、人類の繁栄と幸福という共通の目標に向かって、今後一切の核実験を中止するとともに核兵器廃絶のため国際協定の締結が実現するよう、勇気ある決断を強く要請する。
  政府は先に核兵器不拡散条約の批准を行い、核武装の放棄をあらためて内外に表明した。わが国の非核政策を国際的に主張できる基礎ができたことは、大きな前 進であり、今後、わが国の核軍縮に関する積極的な努力を期待する。また、漸くその兆が見え始めた核兵器禁止の声が、やがて核兵器廃絶の世界的な国際世論に まで高められ、大きな輪となって地球上に満ち溢れることを切望する。
  思うに、人間は遠い過去から現在に至るまで、常に平和を望みながらも、幾度となく悲惨な殺し合いを演じてきた。この空しい繰り返しは、今やわれわれ人間の 英知と良心とによって絶たれねばならない。人間の心の中に育まれる人間尊重の精神こそが平和を築く力の原点であることに思いをいたし、国境を越え、民族国 家を超越して、全世界の一人一人の心の中に「平和のとりで」が築かれねばならない。人類絶滅兵器である原爆が発明され、製造され、使用され、その惨虐性が 明らかになった以上、もはや絶対に戦争はすべきではない。
 去る4月、パリのユネスコ本部において日本文化祭が行われたのを機会に、この長崎市民の悲願を訴えるべく原爆資料の展示を行うとともに被爆天使の像を送って長崎市民の平和への祈りの証とした。
 また、近く広島市長とともにニューヨークの国連本部を訪れ、被爆市民の深刻な体験と原爆の非人道性を訴えるとともに、核の廃絶と世界の恒久平和のため、国際的な措置がとられるよう要請する所存である。
  本日、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当り、あの劫火に焼き尽くされた人々の冥福を祈り、生き残った人々の援護が国家補償の域にまで高められるよう、被爆者 援護のいっそうの推進に努力することを誓うとともに、全市民あいともに力を結集し人類永遠の平和確立のため、さらに決意をあらたにして力強く邁進すること を、ここに宣言する。

1976年(昭和51年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1977.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

平和、それはヒロシマの心である。ヒロシマは平和を求めつづけてきた。

しかるに、アメリカ・ソ連を初め主要核保有国は、潜在的敵国を設け、大規模な軍備拡張競争に狂奔し、核兵器のせん滅的威力を極限まで高めてきた。まさに、武力の支配を盲信する愚行というべきである。

核兵器を廃絶し、恒久平和を実現するため、被爆の実相を世界に知らせ、良心と理性の覚醒を促すことは、ヒロシマに課せられた責務である。

昨年、広島市長は、被爆都市の市長として、長崎市長とともに国連に赴き、永年にわたる両市民の胸深くうっ積した悲願をこめて、被爆体験の事実を生き証人として証言し、核兵器の廃絶と戦争の放棄を強く訴えてきた。

われわれのこの訴えに対し、ワルトハイム事務総長、並びにアメラシンゲ総会議長は、それぞれ国連を代表し、広島・長崎の苦しみは人類共通の苦しみであり、広島・長崎の死の灰の中から新しい世界秩序の概念が生まれるであろうと強調し、心から共鳴するとともに、広島・長崎を訪問したいとの意志を披瀝した。本日ここに、アメラシンゲ総会議長をこの地に迎えたことは、ヒロシマの声が直接国連に反映されると思われ、その国際的意義はまことに深いものがある。

国連は、明年5月、国連軍縮特別総会の開催を予定している。世界は、その成果に大いなる期待を寄せているのである。

このときにあたり、われわれは、世界の国々が忍耐と英知を結集し、核兵器の廃絶と戦争の放棄を目指して、世界の軍備を確実に制限し、武力によるのではなく、崇高な世界観を反映した外交政策に基づく恒久平和の実現ために、最善をつくさなければならないことを提言する。

今こそ、世界の人々は、全人類的立場において、正義と相互依存の理念に立ち、力を合わせて、世論の喚起に努め、世界恒久平和への道を急がなければならない。

本日、被爆32年目にあたり、われわれは、原爆犠牲者の御霊の前に、全市民の名において、核兵器の廃絶を訴え、恒久平和の実現に向かって邁進することを誓うものである。


1977年(昭和52年)8月6日


広島市長  荒  木  武

長崎平和宣言

1977年(昭和52年)

 長崎市は、今ここに32回目の原爆被爆の日を迎えた。
 あの日、一発の原子爆弾によって、我が美しき長崎の街は瞬時にして焦土と化し、数万の尊い生命が失われた。
 辛うじて生き残った者も、今なお、その恐ろしい傷跡を見つめ、原爆後遺症に苦しみ、襲いくる死の不安におびやかされている。
 原爆の惨禍を身をもって体験した長崎市民は、核廃絶の願いをこめて、地球上に再びこの悲劇を繰り返すことのないよう、全世界の人々に訴え続けてきた。
 しかし、世界の現状を見るに、核保有国は増加し、自国の防衛と安全とを口実に依然として巨大な量の核兵器を蓄積し、さらに新型兵器の開発を競うなど、平和崩壊の危機が増大しつつあることは、まことに遺憾である。
 これはまさに人類を破滅に導く愚かな行為であり、被爆市民として怒りをもって抗議するとともに、世界各国の合意に基づいてこれらの行為を即時に停止し、一日も早く平和への願いが実現することを切望するものである。
 私は、昨年11月広島市長とともに、国際連合本部に赴き、被爆市民の体験と、原爆の非人道性を世界の諸国に訴え、核兵器廃絶と全面軍縮について具体的措置がとられるよう強く要請してきた。
  この長崎、広島市民の熱意に応えて、本式典にアメラシンゲ国際連合総会議長閣下及びワルトハイム国際連合事務総長閣下代理としてマイケル・クラーク国際連 合広報センター所長の御来臨を頂いたことは、まさに画期的なことであり感激に堪えない。初めてここに国際連合代表の本式典参加が実現したことは、国際連合 が核兵器廃絶と全面軍縮の実現に向って大きく前進したものと受け止め大いに意を強くする次第である。
 世界平和への道のりはなお遠いが、長崎市民の平和に対する願いは、かならずや世界の人々の良心を動かし、この地球上に平和が招来されるであることを確信する。
 ここに原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を迎えるに当り、原爆死没者の御冥福を祈り、被爆者の援護強化をめざすとともに、世界平和達成のため、さらに決意を新たにして努力することを、長崎市民の名において宣言する。

1977年(昭和52年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1978.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

この世の中で平和ほど尊いものはない。

われわれ広島市民は、悲惨な被爆の体験に基づいて、30有余年の間、核兵器の廃絶と戦争の放棄を訴え、真の平和を求めつづけてきた。

このヒロシマの願いは、ようやく世界の良心を動かし、本年5月、国連加盟149か国による史上初の軍縮特別総会が開催された。

広島市長は、長崎市長とともに、両市民を代表してこの軍縮特別総会に列席し、あわせて国連本部で画期的な「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」を実現した。この写真展は、被爆の実相を生々しく再現し、国連加盟国代表はもちろん、国連を訪れた人びとに大きな衝撃を与えた。

今回の軍縮特別総会では、全面的かつ完全な軍縮を究極の目標とし、この目標を達成するため国連全加盟国で構成する新しい軍縮機構の設置を取り決めた。その意義はまことに大きい。

しかしながら、米・ソをはじめとする核大国は、依然として核実験をつづけ、恐るべき新兵器の開発に没頭している。破壊兵器の大量蓄積とその配備競争は、今や人類を先例のない絶滅の脅威にさらしている。

真の平和は、兵器の蓄積の上には断じて確立され得ない。

国家間の不信に根ざし、混迷をつづける国際政治の潮流は、イデオロギーを越えた良識ある国際世論の結集によって、変革されなければならない。

いまこそ唯一の被爆国であるわが国は、国際社会における平和の先覚者として国際世論の喚起に努め、核兵器の廃絶と戦争放棄への国際的合意の達成を目ざして、全精力を傾注すべきときである。

世界の人びとは、国家や民族の垣根を乗り越え、進んで人類共存と連帯の精神に基づく新しい世界秩序の創造に向かって、英知を結集しなければならない。これこそ真の平和を確立する道であり、ヒロシマの変わらざる願いである。

本日、被爆33年の記念日を迎え、つつしんで原爆犠牲者の御霊を弔うにあたり、全市民の名においてこのことを強く内外に宣言する。


1978年(昭和53年)8月6日


広島市長  荒  木  武

長崎平和宣言

1978年(昭和53年)

 あの忌わしい原爆の洗礼を受けてから、今日ここに33年目を迎えた。
 身をもって惨禍を体験した我々被爆市民は全世界に向かって核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現を訴え続けてきた。
 しかるに、世界の現状は我々の願いにもかかわらず核軍備競争を更に激化させ、国際間の対立と紛争は絶えず、今なお地球上から戦争の影をぬぐい去ることはできない。
 今更ながら、世界平和の維持の困難を思い知らされると同時に誠に遺憾にたえない。
 原爆によってもたらされる死の恐怖は、長崎・広島の被爆者のみが知っている。その原爆を上回る核兵器の脅威を思うとき、我々は地球上にその存在を許してはならない。
  この度、国連史上初めての軍縮総会が開催されたが、襲いくる核戦争の危機に、漸く世界各国が目覚めたものと考える。日本政府は、この軍縮総会において、核 兵器廃絶を前提として核保有国の責任を追及し、包括的核実験の禁止・通常兵器の国際移転制限・軍事費の削減などを主張し、世界平和へ向けての提案がなされ た。
 私は、一昨年に引続き、再度広島市長とともに被爆者を代表してニューヨークに赴き、この国連軍縮総会に出席し、また幾多の障害を克服して国連本部内で原爆の悲惨さを示す写真展を開催するなど、世界の恒久平和を実現するよう強くアピールしてきた。
 また、我が国を初め、世界各国からの平和を希求する民間代表団は、国連に結集して核兵器廃絶と全面軍縮に向けて行動した。
 今回のこれらの行動は、世界の良心を呼び起こし、新しい世界平和への胎動が始まったものと信ずる。
 国連軍縮総会が、このような国際世論をふまえて、複雑な国際情勢の中で、軍縮への意思、方向を確認し得ることができたことは世界平和に一脈の光明を見出した思いで、被爆者として喜びとするところである。
 世界各国の指導者は、このことを十分に認識し、戦争による人類自滅の危機を回避すべく、核兵器の廃絶のみならず、一切の軍備の縮小に向かって直ちに立ち上がるべきである。
 ここに、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を迎えるに当たり、殉難者の御冥福を祈り生き残った被爆者の援護が国家補償の域にまで高められるよう一層の推進を図るとともに、決意を新たにして世界平和のために努力することを、長崎市民の名において世界に宣言する。

1978年(昭和53年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1979.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

平和を求め、ヒロシマは語り、ヒロシマは訴え続けなければならない。

8月6日の灼熱の閃光以来、ヒロシマは、恒久の平和を悲願として、世界の人びとに核兵器の廃絶と戦争の完全否定を訴え続けて来た。

もとより、今日まで、世界では数多くの平和への努力が試みられている。特に、国際連合は、昨年、史上初の軍縮特別総会を開催し、核兵器の廃絶を究極の目標とした軍備の縮小をめざし、その第一歩を踏み出した。さらにこれに応えて、軍縮委員会は、英知を結集し、3年後の軍縮特別総会に向かって討議を続けている。

他方、米・ソ両国による戦略兵器制限交渉が持たれ、また、中東における和平交渉が精力的に進められて来た。

こうした努力にもかかわらず、国際政治の現実は、未だ核戦力を主力とした際限のない軍備拡張競争に明け暮れ、莫大な破壊力を蓄積している。

ヒロシマの抗議を無視した相次ぐ核実験の強行は、新たに放射能被爆の問題を世界的に提起した。これはヒロシマの憂慮が現実のものとなっていることに他ならず、まことに痛憤に堪えない。

すべての核実験はただちに停止し、これ以上新たな被曝者をつくってはならない。

今や、原爆被爆者と放射能被曝者の問題は、世界的課題として緊急な解決を迫られている。この時にあたり、日本政府において、被爆者援護対策の基本理念と制度の見直しが始められたことに、われわれは大きな期待を寄せるものである。

平和とは、単に戦争の防止のみにとどまらず、憎しみを超えた愛と理性に基づき、人類のすべてが共存共栄することである。

おろかにも地球の限りある資源を軍備の拡張に浪費し、飢えと貧困を拡大させている現実を直視しなければならない。

今こそ、ヒロシマの願いに立って歴史の流れをかえ、人類繁栄の礎を築くべき時である。

ここに、原爆の犠牲となられた方々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、ヒロシマの惨禍を、核時代に生きる人類への警告として厳粛に受けとめ、平和への努力を着実に進めていくことを固く誓うものである。


1979年(昭和54年)8月6日


広島市長  荒  木  武
 

 

長崎平和宣言

1979年(昭和54年)

 きょう8月9日。長崎市民にとって忘れ得ぬ日である。深い悲しみと、耐え難い痛恨の日が34度めぐり来たった。
 この日、われらの町「長崎」は、一瞬にして凄惨な廃墟と化し、7万有余の尊い生命が奪われた。その惨状は、今もなお、われわれの脳裏を去らない。
 歳月は流れてすでに3分の1世紀。生存被爆者は、今もなお病床に呻吟し、しのび寄る原爆障害の毒牙におののく者は、後を絶たない。その肉体的、精神的苦しみを直視するとき、万感胸を打つ。
 原爆の恐るべき惨禍を体験した長崎市民は、原子爆弾が、残虐非道な兵器というに留どまらず、放射能の異常な拡散は、地球上にやがては人間の生存をも許さなくなることを知った。
 しかるに、近時、核兵器は質量ともに発達を遂げ、その保有国も漸次その数を増し、核実験はますます盛んになってきた。真に憂慮に耐えない。
  かかる現実の中にあって、長崎市民が「核兵器の廃絶」「戦争の完全放棄」を強く叫び続けるゆえんのものは、世紀の危機を自覚し、人類の自滅を回避して、共 存共栄の世界恒久平和の創造をこい願うためであり、再び「あの日のナガサキ」を地球上に再現してはならないという、長崎市民の心の発露からである。
 今日まで、無差別に、大量の人間を殺傷した原子爆弾投下の責任は何故不問に付されてきたのか。われわれは、今もなお心からの憤りを覚える。
 高齢化してゆく被爆者の悲痛な訴え、広範な大衆の平和への悲願は、常にイデオロギーに左右され、とかく軽視されてきた。34年の歳月は原爆の残酷さ、悲惨さ、その傷痕を風化させつつある。
 長崎と広島が有する原爆体験の意義は、極めて大きい。われわれは原爆体験を次の世代を担う若者たちに語り継ぎ、恒久平和の確立のため、決意を新たにして一層の努力を傾注しなければならない。
  昨年の国連軍縮特別総会、今年の米ソ両国の第二次戦略核兵器制限交渉の合意など、一連の国際的努力は平和への光明であるが、核兵器の禁止、軍縮の推進は平 和国家としてのわが国外交の中心的課題でなければならない。今こそ日本国政府は平和の先駆者として国際的努力を主導的立場で推進し、内にあっては被爆者へ の援護の手厚い施策を早急に講ずべきである。
 ここに、原爆犠牲者の冥福を祈り、被爆者の健康を願い、世界恒久平和の実現に渾身の力を傾けることを、被爆者並びに市民の名において、内外に宣言する。

1979年(昭和54年) 8月9日
長崎市長 本島 等






(私論.私見)