1975、1976、1977、1978、1979年平和宣言 |
(最新見直し2007.8.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに「1975、1976、1977、1978、1979年平和宣言」を収録しておくことにする。 2007.8.7日 れんだいこ拝 |
【1975.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
昭和20年8月6日、広島市民の頭上で、突然、原子爆弾が炸裂した。 爆弾は灼熱の閃光を放射し、爆発音が地鳴りのごとく轟きわたった。その一瞬、広島市は、すでに地面に叩きつぶされていた。 死者、負傷者が続出し、黒煙もうもうたるなかで、この世ならぬ凄惨な生き地獄が出現したのであった。 倒壊した建物の下から、或は襲い来る火焔の中から、助けを求めつつ、生きながらに死んでいった人々、路傍に打ち重なって、そのまま息絶えた人々、川にはまた、浮き沈みつつ流される人々、文字通り狂乱の巷から一歩でも安全を求めて逃げまどう血だるまの襤褸の列、「水、水」と息絶え絶えに水を求める声……。今もなお脳裡にあって、30年を経た今日、惻々として胸を突き、痛恨の情を禁じ得ない。 更に被爆以来、今日まで一日として放射能障害の苦痛と不安から脱し切れず、生活に喘ぐ人々が多数あり、その非道性を広島は身をもって証言する。 この被爆体験を原点として、われわれ広島市民は、人類の平和を希求し、一貫してヒロシマを再び繰り返すなと叫び続けて来た。 しかるに、現状は、核兵器の恐怖が、地球上のすべての国、すべての国民の上にも黒々とおおいかぶさっているのである。 核保有国は、ヒロシマの抗議を無視して、核実験を続行し、さらに強力な開発を進めており、それに追随して核武装を指向する国もあって、核拡散化は激しくなるばかりである。 今や世界が、無秩序な核戦略時代という人類の滅亡を招く重大危機に突入しつつあることは、広島市民として、絶対に黙視できないところである。 人間一人一人が、一つの地球に住む運命共同体の一員であるという自覚を持って、断乎、核兵器の廃絶に起ち向かわねばならぬときである。 この恐るべき事態に直面して、広島市は同じ被爆都市長崎市と相たずさえ、真の世界平和を樹立する決意を新たにし、我々の平和理念が、全人類の共鳴を得るよう切望する。 本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、人間性を否定する核兵器廃絶の急務たることを、声を大にして、全世界の人々に訴えるものである。
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長崎平和宣言 |
1975年(昭和50年) |
われわれ長崎市民は、今、ここに、原爆被爆30周年を迎えた。
1975年(昭和50年) 8月9日 |
【1976.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
本日、われわれは、ここにまた原爆記念日を迎えた。 昭和20年のこの日、この刻、広島は一瞬にして壊滅し、無数の尊い生命が奪い去られた。しかも辛うじて生き残った被爆者は、放射能障害の苦痛と不安にさいなまれ、31年を経た今日もなお、命を蝕まれ死に行く者、あとを断たず、痛恨の情まことにたえがたいものがある。 われわれ広島市民は、この凄惨な被爆体験をみつめながら、ひとたび核戦争がはじまれば、人類の滅亡と文明の終えんは明らかであることを予見し、一切の悲しみと憎しみを越えて、核兵器の廃絶と戦争の放棄を全世界の人々に訴え、「ヒロシマを再び繰り返すな」と叫び続けてきた。 然るに、米・ソを始め核保有国は、ヒロシマの心を踏みにじり、自国の防衛と世界の安全を口実に、依然として全人類をせん滅して余りある巨大な量の核兵器を蓄積し、更にこれを世界に拡散して、核戦争の危機を著しく高めてきた。また頻発する局地戦争が、核保有国の介入により、遂には、世界的規模の核戦争へと発展する恐れなしとしない。 それのみか、今日世界をおおう環境の破壊、人口増加と食糧危機、枯渇への速度をはやめる資源消耗の現実を直視するとき、ここにも平和を脅かす要因が潜在していることを憂えるものである。 今や、人類は、滅亡か、生存かの岐路に立っている。もはや国と国、民族と民族が相争うときではなく、世界が一体となって核兵器を廃絶しなければならないときである。 今こそ全人類は、運命共同体の一員であること深く自覚し、人間の尊厳と、相互依存の理念にもとづく世界恒久平和への道を急がなければならない。 このときにあたり、広島市長は、長崎市長とともに国連に赴き、被爆体験の事実を、生き証人として証言し、世界の国々に、これが正しく継承されるよう提言すると同時に、国連総会が議決した核兵器使用禁止、核拡散防止、核実験停止に関する諸決議のめざす、核兵器廃絶への具体的措置が早急に実現されるよう、強く要請する決意である。 本日ここに原爆犠牲者の御霊を弔うにあたり、われわれは、平和への誓いを新たにし、このことを内外に宣言する。
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長崎平和宣言 |
1976年(昭和51年) |
長崎市は、本日、ここに第31回目の原爆被爆の日を迎えた。あの日、8月9日、一発の原子爆弾は一瞬にしてこの街を地獄図絵と化し、父を母を肉親を、愛する人々の数々を、見るも無残な姿で奪い尽くした。
1976年(昭和51年) 8月9日 |
【1977.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||||||
平和、それはヒロシマの心である。ヒロシマは平和を求めつづけてきた。 しかるに、アメリカ・ソ連を初め主要核保有国は、潜在的敵国を設け、大規模な軍備拡張競争に狂奔し、核兵器のせん滅的威力を極限まで高めてきた。まさに、武力の支配を盲信する愚行というべきである。 核兵器を廃絶し、恒久平和を実現するため、被爆の実相を世界に知らせ、良心と理性の覚醒を促すことは、ヒロシマに課せられた責務である。 昨年、広島市長は、被爆都市の市長として、長崎市長とともに国連に赴き、永年にわたる両市民の胸深くうっ積した悲願をこめて、被爆体験の事実を生き証人として証言し、核兵器の廃絶と戦争の放棄を強く訴えてきた。 われわれのこの訴えに対し、ワルトハイム事務総長、並びにアメラシンゲ総会議長は、それぞれ国連を代表し、広島・長崎の苦しみは人類共通の苦しみであり、広島・長崎の死の灰の中から新しい世界秩序の概念が生まれるであろうと強調し、心から共鳴するとともに、広島・長崎を訪問したいとの意志を披瀝した。本日ここに、アメラシンゲ総会議長をこの地に迎えたことは、ヒロシマの声が直接国連に反映されると思われ、その国際的意義はまことに深いものがある。 国連は、明年5月、国連軍縮特別総会の開催を予定している。世界は、その成果に大いなる期待を寄せているのである。 このときにあたり、われわれは、世界の国々が忍耐と英知を結集し、核兵器の廃絶と戦争の放棄を目指して、世界の軍備を確実に制限し、武力によるのではなく、崇高な世界観を反映した外交政策に基づく恒久平和の実現ために、最善をつくさなければならないことを提言する。 今こそ、世界の人々は、全人類的立場において、正義と相互依存の理念に立ち、力を合わせて、世論の喚起に努め、世界恒久平和への道を急がなければならない。 本日、被爆32年目にあたり、われわれは、原爆犠牲者の御霊の前に、全市民の名において、核兵器の廃絶を訴え、恒久平和の実現に向かって邁進することを誓うものである。
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【1978.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 |
この世の中で平和ほど尊いものはない。 われわれ広島市民は、悲惨な被爆の体験に基づいて、30有余年の間、核兵器の廃絶と戦争の放棄を訴え、真の平和を求めつづけてきた。 このヒロシマの願いは、ようやく世界の良心を動かし、本年5月、国連加盟149か国による史上初の軍縮特別総会が開催された。 広島市長は、長崎市長とともに、両市民を代表してこの軍縮特別総会に列席し、あわせて国連本部で画期的な「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」を実現した。この写真展は、被爆の実相を生々しく再現し、国連加盟国代表はもちろん、国連を訪れた人びとに大きな衝撃を与えた。 今回の軍縮特別総会では、全面的かつ完全な軍縮を究極の目標とし、この目標を達成するため国連全加盟国で構成する新しい軍縮機構の設置を取り決めた。その意義はまことに大きい。 しかしながら、米・ソをはじめとする核大国は、依然として核実験をつづけ、恐るべき新兵器の開発に没頭している。破壊兵器の大量蓄積とその配備競争は、今や人類を先例のない絶滅の脅威にさらしている。 真の平和は、兵器の蓄積の上には断じて確立され得ない。 国家間の不信に根ざし、混迷をつづける国際政治の潮流は、イデオロギーを越えた良識ある国際世論の結集によって、変革されなければならない。 いまこそ唯一の被爆国であるわが国は、国際社会における平和の先覚者として国際世論の喚起に努め、核兵器の廃絶と戦争放棄への国際的合意の達成を目ざして、全精力を傾注すべきときである。 世界の人びとは、国家や民族の垣根を乗り越え、進んで人類共存と連帯の精神に基づく新しい世界秩序の創造に向かって、英知を結集しなければならない。これこそ真の平和を確立する道であり、ヒロシマの変わらざる願いである。 本日、被爆33年の記念日を迎え、つつしんで原爆犠牲者の御霊を弔うにあたり、全市民の名においてこのことを強く内外に宣言する。
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長崎平和宣言 |
1978年(昭和53年) |
あの忌わしい原爆の洗礼を受けてから、今日ここに33年目を迎えた。
1978年(昭和53年) 8月9日 |
【1979.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】 | ||||||||
平和を求め、ヒロシマは語り、ヒロシマは訴え続けなければならない。 8月6日の灼熱の閃光以来、ヒロシマは、恒久の平和を悲願として、世界の人びとに核兵器の廃絶と戦争の完全否定を訴え続けて来た。 もとより、今日まで、世界では数多くの平和への努力が試みられている。特に、国際連合は、昨年、史上初の軍縮特別総会を開催し、核兵器の廃絶を究極の目標とした軍備の縮小をめざし、その第一歩を踏み出した。さらにこれに応えて、軍縮委員会は、英知を結集し、3年後の軍縮特別総会に向かって討議を続けている。 他方、米・ソ両国による戦略兵器制限交渉が持たれ、また、中東における和平交渉が精力的に進められて来た。 こうした努力にもかかわらず、国際政治の現実は、未だ核戦力を主力とした際限のない軍備拡張競争に明け暮れ、莫大な破壊力を蓄積している。 ヒロシマの抗議を無視した相次ぐ核実験の強行は、新たに放射能被爆の問題を世界的に提起した。これはヒロシマの憂慮が現実のものとなっていることに他ならず、まことに痛憤に堪えない。 すべての核実験はただちに停止し、これ以上新たな被曝者をつくってはならない。 今や、原爆被爆者と放射能被曝者の問題は、世界的課題として緊急な解決を迫られている。この時にあたり、日本政府において、被爆者援護対策の基本理念と制度の見直しが始められたことに、われわれは大きな期待を寄せるものである。 平和とは、単に戦争の防止のみにとどまらず、憎しみを超えた愛と理性に基づき、人類のすべてが共存共栄することである。 おろかにも地球の限りある資源を軍備の拡張に浪費し、飢えと貧困を拡大させている現実を直視しなければならない。 今こそ、ヒロシマの願いに立って歴史の流れをかえ、人類繁栄の礎を築くべき時である。 ここに、原爆の犠牲となられた方々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、ヒロシマの惨禍を、核時代に生きる人類への警告として厳粛に受けとめ、平和への努力を着実に進めていくことを固く誓うものである。
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(私論.私見)