1965、1966、1967、1968、1969年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1965、1966、1967、1968、1969年平和宣言」を収録しておくことにする。
 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1965.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、わたくしたちは、原爆20周年を迎えた。

わたくしたちは、あの原爆の惨禍によって従来の戦争観を一変しなければならないことを知った。原子力時代の戦争は、敵味方の区別なく、人類自体を破滅に導く行為以外の何ものでもなくなったのである。原子爆弾は、単に、それが残虐非道なる恐るべき破壊兵器であるというだけでなく、その放射能は、長期にわたって人体をむしばみ、ついには地球そのものをも人間の生存を許さないものとすることが明らかになったからである。

わたくしたち広島市民が「原水爆の禁止」と「戦争の完全放棄」を強く叫び続けているのもそのためである。

しかるに、この20年の間に、核兵器は質量ともに異常な発達を遂げ、これが保有国も漸次その数を増して、事態をいよいよ混乱させているばかりでなく、ベトナムを初め世界各所において、大いなる危険を冒しつつ武力抗争が繰り返されていることは真に憂慮に堪えない。思えば、人類が現在以上の危機に直面したことはいまだかつてなかったであろう。

かかる観点よりすれば、今やすべての国家、すべての民族が、事態の重要性を深く認識し、一切の行きがかりを捨てて、人類の破滅防止のために全努力を傾注することこそが喫緊の要務であることを確信するものである。

本日、再び原爆犠牲者の霊を弔うにあたり重ねてこのことを全世界に訴える。


1965年(昭和40年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三

長崎平和宣言

1965年(昭和40年)

 長崎は、本日原爆被災20周年にあたる。
 全市民は、一瞬にして生命を絶たれた無こ十万の在天のみ霊に敬謙な祈りを捧げた。
 原爆の惨禍を身をもって体験したわれら長崎市民は、世界の恒久平和を念願し、常にその実現を訴え続けてきた。
 しかるに国際社会の情勢は、日々深刻の度を加え、原水爆の製造とその保有量の増大を競い、世の平穏を脅かしている。また民族相克、流血の惨事は、いまなお繰り返され、平和の確立は著しく妨げられている。
 われらは、世界の人々がひとしく平和のうちに生存し得るの権利を尊重し、この地上に真の平和な社会の実現が、速かに達成されることを希求して止まない。
 われらは、また、絶えずその努力を重ねることを誓う。

1965年(昭和40年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1966.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 

平和宣言 

本日、わたくしたちは、ふたたび8月6日を迎えた。

21年前のこの日、あの恐るべき惨禍を体験したわたくしたち広島市民は、戦争がその性格を一変する時代が来たことを知った。

原子爆弾は、それが単に強力な破壊兵器であるというだけでなく、その放射能は、永く大地や海中にとどまって生物の生命を脅かすばかりか、この兵器が多量に使用されるならば、完全に大気は汚染され、ついには、地球そのものをも人間の生存を許さないものとすることが明らかとなった。更にまた、月にロケットを到着せしめ得るほどの科学技術をもってすれば、開戦と同時に相手国の都市や主要施設を破壊し尽くし、数千万の国民を一挙に殺傷することさえも困難なことではないであろう。

原子力時代の戦争は、既に自己を防衛する手段ではなく、人類自体の自殺行為以外の何ものでもない。

しかるに、今なお、一、二の国家は、この悪魔的な兵器の開発を目ざして大気圏の実験を強行し、またベトナム、中近東その他世界各所において、大いなる危険を冒しつつ、武力抗争が続けられていることは、まことに悲しみに堪えない。

今や人間の運命共同体は、個々の民族国家ではなく、地球全体であることを自覚し、すべての国家、すべての民族が一切の利己心と行きがかりを捨てて、人類保全のため立ち上がるべきときであることを確信するものである。

本日、原爆の日を迎え、犠牲者の霊を弔うとともに、重ねて広島市民の所信を披瀝して全世界に訴える。


1966年(昭和41年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三
 

長崎平和宣言

1966年(昭和41年)

 長崎市は、本日原爆被災21周年を迎えた。
 午前11時2分、全市民は瞬時にして尊い生命を絶たれた無こ十万の、在天のみ霊に、敬虔な祈りを捧げた。
 原爆の惨禍にさいなまれ、身をもってその恐怖、悲惨さを体験したわれら長崎市民は、世界の恒久平和を念願し、常にその実現を訴え続けて来た。
 しかるに、民族相克、流血の惨事は絶えることなく繰り返され、あまつさえ原水爆所持国は、その大量保有と威力実験を競い、偸(とう)安をさえ許さず常に人類の平穏と平和の確立を著しく妨げている。
 われらは、世界の人々がひとしく幸福を享有するの権利を尊重するが故に、この地上に、真の平和な社会の実現が、速やかに達成されることを強く希求してやまない。
 われらは、また、絶えずその具現に努力を重ねることを誓う。

1966年(昭和41年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1967.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

昭和20年8月6日、この日を紀元として世界は転換しなければならないことをわれわれは悟った。

人類は、いま、生か死か、破滅か繁栄かの岐路に立っている。

原子力の開発は、明らかに20世紀科学の輝く勝利を意味したが、この近代科学の偉大な成果が殺戮と破壊のために使われるか、はたまた、福祉と建設のために使われるかによって、人類の運命はまさに大きく決しようとしている。

世界の平和は、大国間の武力と恐怖の均衡の上に辛うじて保たれ、まさに累卵の危きに等しい。核兵器を中心とする強大な武力の対立は、一触即発、人類をついに自滅戦争に導くおそれなしとしない。

この不安と危険からのがれる道は、も早や、ほかにはない。人類連帯の精神に立ち、寛容と信頼、互嬢と規律による新しい世界に法秩序を打ち立てることである。切実な国際間の友情と高邁な世界法の支配下にあって、戦場に代わる相互理解の場を用意し、あらゆる国家、あらゆる民族のために協同互助、共存共栄を保障する世界新秩序を確立し、戦争の悲劇をこの地上から永遠に葬り去らなければならない。これこそ、人類の英知に導かれた永久平和の創造であり新世紀の誕生である。

眼から去るものは心からも去る。22年前、一瞬にして20数万の生命を失い、今なお多くの被爆者が生命の不安におののきつつある広島の悲劇を忘れることなく、これを世界の体験として受けとめ、全人類が戦争の完全放棄と核兵器の絶対禁止を目ざし全知全能を傾注することを強く訴えるものである。

本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うに当り、このことを広く世界に宣言する。


1967年(昭和42年)8月6日


広島市長  山  田  節  男
 

 

長崎平和宣言

1967年(昭和42年)

 長崎市は本日、新たなる涙とともに原爆被災の悲しむべき日を迎えた。
 この日、午前11時2分、浦上上空にさく裂した強烈な爆発による惨状は筆舌に尽くしがたく、罪もない市民十万の尊い生命を絶った。
 以来二十有二年、身をもってあの恐怖と惨禍にさいなまれた長崎市民は、巡りくる年毎に悲憤の情を深めて平和を乞い願い心からの祈りを、在天のみ霊に捧げてきた。
  さりながら、東西の相入れざる不和は果てしなく続けられて、民族間の流血の争いが繰り返され、あまつさえ、核保有国は、その製造と、実験を強行して戦力の 誇示を競い、世界の危機感は更に増大しつつあって、つかの間の平安をも許されず、われらの悲願である人類の福祉と平和の確立とを著しく妨げている。
 われら長崎市民は、あの悲惨な体験と今日に到るも更に続きつつある業苦から、いかなる戦争をも否定し、殺傷、破壊のための核兵器の製造、保有、実験には、強い怒りと憎しみとを覚える。
 恒久平和実現への、われらの悲願達成への道、いまだ遠しといえども、われらは世界人類のえい智を信ずるが故に、原爆被災者の悲惨さを体してくじけることなく、たゆむことなく、これが具現に渾身の努力を捧げることをここに誓う。

1967年(昭和42年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1968.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、われわれはここにまた原爆記念日を迎えた。

23年前のこの日、広島は一瞬にして焦土と化し、無数の命は奪い去られた。しかも、そのとき、人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命を脅かしつづけ言い知れぬ不安をかもし出している。

原水爆は、それが単に強力なせん滅破壊の兵器というだけでなく、その放射能の拡散は、地球上、ついに人間の生存を許さなくすることは明らかである。けれども、世界の人々の多くは、まだそのことの恐怖にめざめていない。

核軍縮は国際政治の日程にのぼっているが、それは必ずしも核兵器の全面廃止を約束するものではなく、かえって勢力均衡の上に世界を置くおそるべき危険性をはらんでいる。

核兵器を戦争抑止力とみることは、核力競争をあおる以外のなにものでもなく、むしろ、この競争の極まるところに人類の破滅は結びついている。

こうした現実の中にあって、絶えず顧みなければならないのは広島の体験である。原爆被災当時、われわれの直感した人類自滅の不安をわれわれはここに改めて呼びもどし、その初心に立ちかえって広島の声を広く世界の声とすることこそ、市民に課せられた任務であり、同時に世紀の危機を自覚する者の使命である。

あらゆる兵器はすべて人間の所産であり、あらゆる戦争はすべて人間の所業である。このいまわしい兵器と戦争を人間みずからの手によって克服することは断じて不可能ではない。

いまこそ、世界の国々は、格段の決意をもって、戦争のための努力を転じ、これを人類共栄の理想に向かって傾注すべきである。世界は常に一つであり、人類はすべて同胞である。正義と世界新秩序の支配する社会の建設こそ、人間の栄誉を担うわれわれの真に取り組むべき課題でなければならない。われわれ広島市民は、あの日以来、原水爆の絶対禁止と戦争の完全放棄をめざし、これを世界に訴えつづけて来たが、本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、重ねてこのことを強調してやまない。


1968年(昭和43年)8月6日


広島市長  山  田  節  男

長崎平和宣言

1968年(昭和43年)

 戦争は人類にとって最大の悲劇である。
 長崎市民は23年前、この浦上原頭に炸裂した原子爆弾により十万の尊い人命を奪われ、且つ現在もなお、放射能障害により多くの被爆者が、生命の不安にさいなまれている。
 この悲惨事は、人類史上に一つの忌わしい汚点として永久に銘記されることを疑わない。
 さりながら世界の核保有国は、核兵器のもたらす。人間殺傷の犠牲を知りつつも、その製造、実験を競い、力による制覇を企図しているかの如き情勢を呈していることは、誠に痛恨に堪えないところである。
 更に、現実の問題として、流血の惨事は局地的に行われており、人間相互の残虐的な殺傷を見聞するとき、胸のうづきを覚える。
 われら被爆市民は、世界のすべての国とその国民に訴えたい。
 「武力抗争の手段は直ちに放棄せよ」と。
 長崎市民は、原爆の悲惨苦を身を以て体験しているが故に戦争を否定し平和を希求する一念は極めて熾烈なものがある。
 本日の原爆犠牲者慰霊並びに平和祈念式典に当り、殉難者の冥福を祈ると共に新たな決意を以て全市民の正義と英智を結集し、世界平和の確立に向って、勇敢に邁進せんことをここに宣言する。

1968年(昭和43年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1969.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、われわれはここにまた原爆記念日を迎えた。

24年前のこの日、広島は一瞬にして焦土と化し、20数万の生命は奪い去られた。しかも、そのとき人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命をおびやかしつづけている。しかるに時の経過は、世界の人々に原爆の惨禍を忘れさせ、恐怖の感覚を失わせようとさえしている。原水爆は、それが単に、殲滅的破壊を伴う兵器というだけでなく、その放射能の拡散は全地球をおおい、地上ついに人間の生存を許さなくすることは明らかである。しかるに、世界の大国は、かえって力の均衡を口実に、競って核軍備の強化に狂奔し、ますます人類自滅の方向に拍車をかけている。

あたかもこの時、人間の月着陸という人類の夢はついに実現したのである。この世紀の偉業こそは、ひとり一国の栄光にとどまらず、現代科学技術の成果であり、人間英知の勝利である。われわれは、この勝利をもって人類共存共栄の理想に向かう転機としなければならない。宇宙時代に臨む人類はより広い視野とより高い次元にたち、旧来の思考を打破して新しい世界観の確立をはかるべきである。

世界は一つであり、人類は一体である。今こそわれわれは、人類生存の理念と思想を明確にし、国家主権の障壁や異質の社会体制の対立をのり越えて、地球人としての運命一体観を深く認識し、世界市民意識を基調とした世界法による世界新秩序を確立して、戦争なき人類共同社会を建設しなければならない。これこそがふたたびこの地球上に「ヒロシマ」を繰り返さないための砦であり、現代の歴史に生きる者の使命である。

本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、このことを強く世界に訴える。


1969年(昭和44年)8月6日


広島市長  山  田  節  男

長崎平和宣言

1969年(昭和44年)

 思えば24年前、ここ浦上原頭にさく裂した一発の原子爆弾は、瞬時にして荒涼たる廃墟を現出し、数万の尊い人命を奪い去った。
 幸にして生命をながらえた人々も原爆症に苦しみ、或いはいつ襲われるとも知れない原爆病の黒い影に日夜おびえながら、年々この原爆祈念日を迎え、或いはそれをまたずしてこの世を去っていった。
 長崎市民は原爆の悲劇を身をもって体験したがゆえに、原水爆の禁止と世界の平和を強く強く訴えてきた。
 しかし世界の情勢はわれわれの悲劇とうらはらに、核兵器の拡散がうかがわれ、地球上のどこかで砲火や銃声の絶ゆる日がない。
 一方宇宙開発の進歩は、人類の夢とされた月世界への着陸を実現した。それは人間の崇高な英知の発現であり真理探究の賜物である。
 われわれの知性は人間の滅亡へのみちを選ぶに非ずして、人類永遠の平和と繁栄へのみちを選ぶためにこそ真理探究の努力を傾注させなければならないことを今ほど痛感するときはない。
 本日の原爆犠牲者慰霊並びに平和祈念式典にあたり、殉難者のめい福を祈り、かつ、被爆者の援護に万全を期する決意を新たにすると共に、全市民と手を携えて世界の恒久平和確立に向って更に力強くまい進せんことをここに宣言する。

1969年(昭和44年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武






(私論.私見)