1960、1961、1962、1963、1964年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1980、1981、1982、1983、1984年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1960.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

広島に原子爆弾が投下せられてから、すでに15年の歳月が流れた。

あの日、広島市は一瞬にして焦土と化し、無数の生命を失ったが、その惨禍の中からかろうじて生き残った者の心の底に深く根ざしたものは、戦争への強い憎しみと、それをふたたび繰返してはならないという固い決意とであった。

爾来、われわれは、あらゆる機会を通じて、懸命にそのことを訴え続けてきた。

しかるに、最近核兵器の研究と生産はますます進み、国際情勢もまた極度の緊張を加えつつあることは、まことに憂慮にたえない。

今や人々は、原子戦争は勝利の見込みのない戦争であって、それは全人類の自滅を意味するものであることを深く認識しなければならない。

われわれは、すべての民族すべての国家が、人類連帯の精神に立って、小異をすてて大同につき、核兵器の禁止と戦争の完全放棄をなし遂げ、共栄共存のための新しい世界秩序を打ち立てることこそ、喫緊の要務であることを確信するものである。

本日、ここに思い出もあらたに原爆死没者の霊を弔うにあたり、重ねてこれを広く世界に宣言する。


1960年(昭和35年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三
 

 

 

長崎平和宣言

1960年(昭和35年)

 われわれ長崎市民は、15年前の今日原爆の惨苦を身を持って体験した。
 以来、人類の惨禍と破滅を招来する核兵器を廃止して、総ての国家民族が友愛と信頼に基く世界平和の実現のためまい進すべきことを訴え続けてきたのである。
 本日、原爆犠牲者慰霊並びに平和祈念式典に当り、われわれ長崎市民は、更に決意を新たにして世界恒久平和の達成に一層努力することを犠牲者の御霊に誓い、これを世界に宣言する。

1960年(昭和35年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1961.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、われわれは、第16回目の、原爆記念日を迎えた。

昭和20年のこの日、広島は、一瞬にして焦土と化し、無数の人々が、その生命を絶たれた。しかも、その傷痕は、16年を経た今日なお、消え去ることなく、人々の生命をむしばみつづけている。

その惨禍を直接体験した広島市民は、原子力が将来再び兵器として使用されるならば、世界はついに滅亡するに至るであろうことを予見した。その後、科学と技術とは、飛躍的な進歩を遂げ、その予見が、決して誇張でないことを裏書きしつつある。

今や人々は、原子戦争は勝利の見込みのない戦争であって、それは全人類の自滅を意味するものであることを深く認識しなければならない。

時は未だ遅くはない。今こそ、すべての民族、すべての国家が、いたずらに利己的主張を固執することをやめて、人類連帯の精神に立ち、核兵器の禁止と戦争の完全放棄を目指して、全努力を傾注しなければならない。

本日、原爆慰霊碑にぬかずき、諸霊を弔うにあたり、広島市民の名において、広くこれを世界に宣言する。


1961年(昭和36年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三
 

長崎平和宣言

1961年(昭和36年)

 昭和20年8月9日午前11時2分 この日この時、私ども長崎市民は、原爆の一閃により煉獄の惨苦にさいなまれた。
  爾来十有六年、今もなお眼を覆う当時の惨状は脳裡に刻まれて去らず。哀傷悲痛の念を絶つことができない。
  ここに、無辜十万死没者の霊をまつり、その冥福を祈るとともに、平和を希うことが人類普遍の姿であることに念をいたし、戦争の惨禍を避け、特に核兵器の製造、使用の絶対禁止は原爆都市長崎市民の悲願である。
  いまその実現を諸国民の良識に訴え、これを世界に宣言する。

1961年(昭和36年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1962.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、わたくしたちは、ふたたびあの悲しい思い出の日を迎えた。

17年前の今日、400年の歴史と父祖の偉業とによって築き上げられた広島は一瞬にして壊滅し、老幼男女の区別なく無数の生命が奪い去られた。

そのとき、この惨禍を目撃したわたくしたちの心の底深く根ざしたものは、戦争に対する限りない憎しみと、それをふたたび繰り返してはならないという固い決意とであった。

爾来、わたくしたちは機会あるごとに、全世界に、わたくしたちの体験を伝え、核兵器の禁止と戦争放棄の必要とを訴えつづけてきた。

しかるに、その後核兵器の製造と実験は停止されないばかりか、その性能はいよいよ大型化され、そのため国際間の対立はますます激化して、今や世界を未曾有の危機におとしいれようとしている。

今こそ人々は原子力時代の戦争は所詮勝利の見込みのない戦争であって、それは独り戦争当事国のみならず、全人類を絶滅する手段以外の何ものでもないことを深く認識しなければならない。

わたくしたちは、すべての民族すべての国家が、人類連帯の精神に立って小異を捨てて大同につき、核兵器の禁止と戦争の完全放棄を目ざして、全努力を傾注することを願ってやまない。

本日、ここに思いもあらたに、原爆死没者の霊を弔うにあたり重ねてこれを広く世界に訴えるものである。


1962年(昭和37年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三
 

 

長崎平和宣言

1962年(昭和37年)

 長崎市に原爆が投下されて以来17か年、われら長崎市民は、平和推進の 使徒たらんとして、ひたすら世界恒久平和実現の祈りをささげ諸国民にそれを訴え続けてきたのである。しかるに期待に反し、流血の惨、世界の各地にそのあと を絶たず、またしきりに核兵器の増強を伝え、人類の危機感が醸成されつつあることは、まことに遺憾に堪えない。
 長崎市民は自ら体験した原爆の威力とその被害と悲惨、きょうに続く業苦にかんがみ、人道の名において原水爆の廃棄を強く訴え、更に一切の戦争をこの地上より排除すべく、諸国家が融和、強調することを切願する。
 長崎市民は、えい知と正義と愛とが変わりなく人類総てのものであることを信じ、世界恒久平和の実現のため新たなる決意を固め、一意てい身することを誓う。
 ここにこれを宣言する。

1962年(昭和37年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1963.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」

平和宣言 

本日、わたくしたちは、原爆18周年の記念日を迎えた。

原爆の惨禍の中からかろうじて生き残ったわたくしたちは、この18年間、その恐ろしい傷あとをみつめながら、広島の悲劇をふたたび繰り返さないよう全世界の人々に訴えつづけてきた。

その間、わたくしたちは、常に人間の善意と英知を信じてきたが、今日ようやく、米、英、ソ三国による部分的核実験停止条約の締結をみたことは、まことに喜びにたえない。

この条約には、なお基本的な問題の解決は取り残されているが、わたくしたちの悲願達成に一歩を進めたものとして大きな意義を見いだすものである。

今こそ、すべての民族、すべての国家が、原子力時代の戦争は、ひとり戦争当事国のみならず、全人類を滅亡に導く手段以外の何ものでもないことに目ざめ、核兵器の全面的廃棄と戦争の完全放棄を目ざして一層の努力を傾注することを願ってやまない。

本日、ここに思い出もあらたに原爆死没者の霊を弔うにあたり、重ねてこのことを全世界に訴える。


1963年(昭和38年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三
 

長崎平和宣言

1963年(昭和38年)

 昭和20年8月9日午前11時2分、この地上空に炸裂した原子爆弾は瞬時にしてわが長崎を瓦礫焦土、阿鼻叫喚の巷と化し、数多くの市民を殺傷した。
 爾来十有八年、わが長崎市民は、平和の使徒として、自ら起って、この惨禍が再び地上に繰り返されないよう、全世界に訴え、世界恒久平和の実現を祈念し続けて来た。
 巡り来たこの日、この時、思い出も新たに、ここに無辜十万死没者のみ霊を祀り、その冥福を祈るとともに、人類の英知が宇宙開発をも着々と進めつつある今日、この英知と勇気と決断が、平和社会建設のためにのみ払われることを強く世界に訴えるものである。
 原爆の悲惨を身をもって体験したわが長崎市民は、更に決意を新たにして世界恒久平和達成のため、苦難を乗り越えて前進し続けることをみ霊に誓い、これを世界に宣言する。

1963年(昭和38年) 8月9日
長崎市長 田川 務


【1964.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、わたくしたちは、ふたたび8月6日を迎えた。

19年前のこの日、広島市は、一瞬にして焦土と化し、無数の人命が奪い去られた。しかも、そのとき人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命を脅かし続けている。

わたくしたち広島市民は、この悲惨な事実に基づき、今日まで機会あるごとに、世界の人々に、その体験を伝え、核兵器の廃棄と戦争の完全放棄を訴えつづけてきた。

たまたま昨年、米、英、ソ三国による部分的核実験停止条約が締結され、世界の多くの国がこれに参加したことはまことに喜びにたえない。しかしながら、この条約はわたくしたちの悲願達成に一歩を進めたものではあるが核兵器の完全放棄を保障するものではなく、加うるに世界各所における国際間の小ぜり合いは大いなる危険をはらんで現在なお続けられている。

わたくしたちは、いまこそ、全世界の人々が原子力時代の戦争は、ひとり戦争当事国のみならず、全人類を滅亡に導く手段以外の何ものでもないことをあらためて深く認識し、戦争の完全放棄を目ざして一層の努力を傾注するよう望んでやまない。

本日、ここに、原爆死没者の霊を弔うにあたり、重ねてこのことを広く世界に宣言する。


1964年(昭和39年)8月6日


広島市長  浜  井  信  三

長崎平和宣言

1964年(昭和39年)

 昭和20年8月9日、わが長崎に運命の原爆が投下されていらいここに19年。
 われら長崎市民は、身をもって体験した惨禍が再び人類史上に繰り返されざることを念願し、世界恒久平和達成への祈りを捧げて、これを全世界に強く訴え続けて来た。
 このわれらの切なる願いは、昨年8月5日、英、米、ソ3国間に締結せられた部分的核実験停止条約によりその曙光が見出されつつある。
 さりながら、世界の情勢は砲煙いまなおそのあとを絶たず、困ぱいその極にある国々と、核兵器の製造、所有に全力を傾けてその優位性を誇示せんとする国々とがあり、一触即発の危機さらに迫るの感を深くする実情にある。
 われら長崎市民は、えい智と正義と愛とが人類に与えられた総てのものであることを固く信ずるがゆえに、世界の良識と人道の名においていっさいの戦争この地上より排除して、諸国家が融和強調することを切望する。
 原爆投下満19年の今日この時、われら40万長崎市民は、決意を新たにして世界恒久平和達成のため、一意挺身せんことを在天のみ霊に誓い、これを全世界に宣言する。。

1964年(昭和39年) 8月9日
長崎市長 田川 務






(私論.私見)