1970、1971、1972、1973、1974年平和宣言

 (最新見直し2007.8.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「1970、1971、1972、1973、1974年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【1970.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

人類の科学は宇宙に輝く時代を迎えたが、いまだ国家間の相互不信は除かれることなく、世界はさらに戦争という罪悪を繰り返している。現にベトナムで、中東で、われわれはこの悲しむべき現実をみる。

残虐非道な核兵器の使用は、この地上ついに人間の生存を許さないであろう。ヒロシマの体験がこれを証言している。しかるに世界の大国はヒロシマの抗議を顧みず、依然として限りない核軍備競争に没頭し、人類自滅の道を進みつつある。

25年前のこの日、広島は人類最初の原爆投下によって、一瞬にして焦土と化し、20数万の尊い人命は失われかろうじて生き残った者も今日なお生命の不安に脅かされている。このような惨禍は、今後いかなることがあっても再び繰り返されてはならない。

われわれは、あの日以来、ヒロシマの人間惨禍にもとづき、核兵器の廃絶と戦争の放棄を訴えつづけてきた。このヒロシマの叫びは、世界の輿論に支えられ、少なくとも核兵器の使用を阻止することができた。われわれはこの成果をふまえて国民的悲願を結集しつつ、ヒロシマの体験をすべての人間の心に深く定着させ、核兵器の全廃と世界恒久平和の実現にむかって前進をつづけよう。

今こそ平和へのとりでをすべての人の心の中に築くときである。もはや一国だけの平和はあり得ない。世界は一つであり、人類は一体である。われわれは世界市民意識にたって、人類連帯の精神にもとづき世界法による平和の秩序を確立しなければならない。

本日、ここに被爆25周年の記念日を迎え、つつしんで原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、これを強く世界に訴える。


1970年(昭和45年)8月6日


広島市長  山  田  節  男
 

 

長崎平和宣言

1970年(昭和45年)

 1970年のきょう、長崎市は被爆25周年を迎えた。
 今や原爆の地は緑の陰こゆき新しい都市となりつつあるが、一瞬にしてこの地をしゃく熱の地獄に変え、数万の尊い市民の生命を奪ったあの日の惨禍は今なお病床に苦しみつつある多くの人たちや、いつ消えるとも知れぬわが身の不安の中に、その傷跡をさらしている。
 また世界のすう勢は核兵器を中心とする強大な武力の上に相対し、戦火のたえまないことは、まことに遺憾にたえない。しかも核兵器はより新しく、より強力なものとなり、もし再びこれが使用されるとすれば、そのまま人類滅亡の道につながることは明らかである。
  われわれは多くの尊い犠牲を払い、歴史上かってなかった原爆の体験を持つがゆえに核兵器の完全廃止と世界の平和を強く強く訴えてきた。一方、本年わが国で は日本万国博覧会が開始され、その課題が「人類の進歩と調和」ということでも明らかにこの点を指摘しているものと思われる。
 被爆後四分の一世紀という年月の流れの中に原爆の恐怖がしだいに薄れようとしている危機に直面している今、長崎市民のあの悲惨な体験を世界の人々の心のすみずみまで認識させることがいかに必要であるかを今ほど痛感するときはない。
 ここに原爆殉難者のめい福を祈るとともにわれわれ長崎市民は決意を新たにして全国民と手を携え、さらに広く強い世論を背景として人類永遠の平和確立のために休むことなく力強くまい進することを全世界に宣言する。

1970年(昭和45年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1971.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

世界の大勢は、科学技術の総力をあげて、激烈な軍備競争に狂奔し、核兵器体系は、日を追うて巨大化と多様化の一途をたどりつつある。その想像を絶する凄まじい破壊力と放射能が、世界の恐怖を極限まで高めてきた。しかも、ベトナムにおいては、依然として軍事行動がとめどもなく繰り返され、数千万の民衆が悲惨な死と救いなき苦しみにさらされている。いま、原爆犠牲者の霊前に立ち、われわれはこの事態を深く悲しむとともに、かかる現実を断じて許してはならないと切に思う。

すべての人間は、生まれながらにして自由であり、その尊厳と権利とにおいて平等である。戦争は人間共存の基本的権利を踏みにじる許しがたい犯罪であり、現代戦の極まるところ核の報復を招き、全人類を滅亡の危機に陥れることは明らかである。

26年前のこの日、広島が受けた原子爆弾の傷は深く、奪い去られた人命は20数万におよび、その放射能障害は今日なお被爆者の生命を脅かしつづけ、その影響力の深刻さはさらに計り知れない。この無惨な被爆体験の教えるところは、核兵器の廃絶と戦争の放棄である。

ここにわれわれは提言する。今こそ人類生存の理念を明確にし、地球人としての運命一体観を強く認識し、世界市民意識を基調とした新しい世界の構造を確立して、戦争なき人類共同社会を建設しなければならない。すなわち、すべての国家は日本国憲法にうたわれた戦争放棄の基本精神に則り、一切の軍備主権を人類連帯の世界機構に委譲し、解消すべきである。そのためには、まず地上におけるすべての戦争の即時停止と、核不使用協定の締結をすみやかに実現するよう強く要請する。さらに、次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育が、全世界に力をこめて推進されなければならない。これこそ、ヒロシマの惨禍を繰り返さないための絶対の道である。

本日ここに、被爆26周年の記念日を迎え、つつしんで原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、これを広く世界に訴える。


1971年(昭和46年)8月6日


広島市長  山  田  節  男
 

 

長崎平和宣言

1971年(昭和46年)

 歳月はめぐって、また、ここに、8月9日を迎えた。あの日、あの時から数えて二十有六年。しかし、年々、心を新たにし、決意を新たにして迎える、今日の8月9日である。
  浦上原頭上空にさく裂した一発の原子爆弾は、人と人とが憎しみ合い、殺し合う戦争の残酷さ、非情さの極地を人類に示し、これが第二次大戦を終結させる直接 の原因とはなったが、しかし、今なお、地球上のどこかで砲声がとどろき、殺りくが繰り返されていることは、まことに遺憾のきわみである。
  わが、長崎市においては、あの日、一瞬にして、7万余の尊い生命が奪われた。かろうじて、その災禍をまぬがれた人も、放射能に起因する病魔や、死の黒い影 におびえながら来る年、来る年の8月9日を迎え、そして送ってきた。昨年の今日この日を迎えた人ですでに亡き数に入った人も多い。あれを思いこれを考える 時に、二度とこの悲惨さが繰り返されないよう、世界に向って、恒久平和を力強く訴えるのは、わが長崎市民の義務であり使命でなければならない。
 原子爆弾、水素爆弾をつくり出した科学技術は、たとえそれが前人未踏のすぐれたものであったとしても、そこには人間への愛情が欠除し、ただ、有るものは、平和と幸福に対する反逆や、核兵器を絶滅し世界の平和を実現し得ることを堅く信じ、心から期待するものである。
 ここに、原爆殉難者のめい福を祈り、被爆者の援護にいっそうの努力をいたす決意を強くするとともに、全市民と手を携えて、世界の恒久平和のため力強くまい進することを宣言する。

1971年(昭和46年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1972.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

きょうここに、被爆27年の原爆記念日を迎え、あの日の惨禍を心にえがき、痛恨の情まことにたえがたいものがある。核兵器の廃絶と戦争の放棄を訴え、真の世界平和を求めつづける「ヒロシマの心」は、世界人類の良心を呼びもどし、たしかに核戦争の歯止めとなっている。しかしながら力の均衡を過信する核大国は、巨額の富と知能を軍備競争につぎこみ、ぼう大な核兵器の集積を進め核戦争の危険をひろく深く潜行させてきた。

現下の国際政治の動向は、米中、米ソの首脳会談をはじめ、独ソ間の東方条約、日中国交回復をめざす政府間交渉が始まろうとしているなど、ようやく冷戦の雪解けがみられるが、他方ベトナムにおいては、大規模な戦闘爆撃による破壊が繰り返され、多くの婦女子を含む犠牲者の悲惨なる姿には、目をおおうものがある。しかも核大国は、ヒロシマの切なる抗議を無視し核実験を強行している。

われわれは、あらためてベトナム戦争のすみやかなる終えんを訴え、いかなる国の核実験をも許さぬ核兵器の全面禁止協定を早急に実現するよう切望してやまない。

われわれは、核武装によって自国の安全を高めることができるという考え方は、全くの妄想に過ぎないことをあえて断言する。

さきの国連人間環境会議は、自然環境の破壊と人口の増加、資源の枯渇により人類が陥りつつある多面的な危険に対し、70年代を生きる人間活動の理念を明らかにし、核兵器の完全な破棄をめざす国際的な合意を急ぐよう宣言した。これは戦争を否定した日本国憲法の精神に合致するものであり、真の平和への道に通じるものである。

今こそわれわれは、世界の国々とともに平和のための教育と、平和のための研究に真剣に取り組むべきである。われわれ人類は平和で生存に適した地球を次の世代に継承するため、地球上に生きる運命共同体であることを深く認識し、思想の相違を乗りこえて、知的および精神的な連帯のもとに、人が人を殺し、人が人に殺されることのない新しい世界秩序を創造しなければならない。これこそがあすの世界にヒロシマを繰り返さないための条件である。

原爆記念日にあたり犠牲者の御霊の前にわれわれの平和への決意を新たにし、これを内外に宣言する。


1972年(昭和47年)8月6日


広島市長  山  田  節  男
 

長崎平和宣言

1972年(昭和47年)

 歳月はめぐって、ここに、27年目の運命の日、8月9日を迎えた。
 あの日わが長崎市は、一瞬にして地獄のちまたと化し、7万有余の尊い生命を失った。かろうじて生き残った人々も、今日なお深刻な後遺症に悩み、あるいは突如として襲う原爆症の不安に脅かされ続けている。
  原子爆弾の惨禍を身をもって体験したわが長崎市民は、戦争終結以来、世界の恒久平和を念願し、年ごとに世界の各国に向かって平和の実現を訴えつづけてきた が、今なお、地球上の一部で砲声がとどろき、殺りくが繰り返され、更には、核軍備の強化をきそって、人類自滅の方向に拍車をかけている感があることに、限 りのない憤りと焦燥を覚えるものである。
  宇宙開発の確実性が、ますますその度を加えつつある今日、地球上の同じ人間と人間が、憎しみ合い殺し合うことのむなしさ、そして人知の限りを尽くしてつく りあげた科学技術が、その人間を大量に殺りくし、瞬時にして、すべてのものを破壊し尽くす残忍な凶器と化することの恐ろしさに、あらためて眼を開くべき時 である。
 得ることなく、失うことのみが多い戦争に対する反省は、必ずや人間の英知と努力によって実を結ぶことを確信するものである。
  かかるが故に、毎年毎年、平和の叫びを繰返し続けてきたが、ここに27回目の原爆被災の日を迎えるにあたり、更に思いを新たにして原爆爆死者のめい福を祈 り、被爆者の援護に一段と努力をいたす決意を強くするとともに、原爆被爆都市の市長という使命感に立ち、43万市民とともに、全世界に向かって世界平和旬 間の実現を提唱し、人類の恒久平和を強く強く訴えるものである。
 全市民は腕を組み、スクラムを組んで、その実現のために力強い行進を踏み出していることを、ここに宣言する。

1972年(昭和47年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1973.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】(「平和宣言」

平和宣言 

28年前のこの日、広島を一瞬のうちに破壊し、20数万の生命を奪い去った原爆の惨禍は、今回アメリカ政府から返還され、一般に公開した原爆被災記録写真の中に、生々しく再現された。新たなる衝撃と痛恨の情が、戦争を憎み、永続する平和を願う「ヒロシマの心」として、さらに高まり、深まるのをおぼえる。

“断じてヒロシマをくりかえすな”原爆記念日を迎えるあたり、全世界に、このことを強く訴えるものである。

ベトナム和平協定が締結され、日中国交の正常化も実現した。国際情勢のなかに、雪解けの機運が動きはじめてはいるが、核戦争への終局的な歯止めとなるべき政治的保障は、いまだ確立されていないのである。全世界の強い抗議を無視して、南太平洋において核実験を強行したフランス政府をはじめ、いまもなお核実験を続ける米・ソ・中国など、国家主権を楯として、自国の安全のためにのみ、核実験を正当化しようとしていることは、まさに時代錯誤であり、全人類に対する犯罪行為でもある。

われわれは、核兵器の速やかなる廃絶と、核実験の即時全面禁止を実現するため、全世界市民の強力な運動を盛りあげなければならない。

世界平和を培う源泉は、平和のための正しい、真しな教育であり、これこそが次の世代への「ヒロシマの心」の継承である。

われわれは、平和教育と平和研究の組織、施設の整備を推進するとともに、進んで人間の尊厳に根ざす新しい文明社会の創造を、全世界に呼びかける。

戦争は人間の心のなかに芽生えるものであるが、今日、世界をおおう環境の破壊、人口増加の圧力、食糧危機、枯渇への速度をはやめる資源消耗の現実を直視するとき、ここにも人間精神の荒廃と、世界平和を脅かす要因が潜在することを憂えるものである。

真の世界平和は、法による世界秩序の確立によってのみ打ち立てられる。すべてのものが世界化する必然的な情勢下においては、もはや、一国だけの安全と繁栄はあり得ない。今や国民国家から世界国家理念移行への時代である。人類生存条件の根本的な改善は、全世界の連帯と協力にまつほか道のないことをあえて断言する。

原爆犠牲者の御霊の前に、われわれの平和への誓いを新たにし、全市民の名において、このことを力強く内外に宣言する。


1973年(昭和48年)8月6日


広島市長  山  田  節  男

長崎平和宣言

1973年(昭和48年)

 顧みれば、昭和20年8月9日。
 長崎に原子爆弾が投下されてから、28年が過ぎた。
 あの日、多くの生命が一瞬にして奪われ、目を覆う惨禍の跡は、今なお、人の心に、からだに、痛ましい原爆後遺症となって焼きついている。
 人間の歴史に、かつてない残虐の殺りくをもたらした原爆。
 長崎市民として、決して忘れることのできないその日を、今年もまた今日、ここに迎えた。当時の惨状に思いをいたす時、あらたなる憤りと言いようのない悲しみを覚える。
  理由のいかんを問わず、人類自滅へつながる原水爆は、廃絶しなければならない。長崎市民は原爆の被災者であり、核兵器の残酷さを肌で知っている。それだけ に「平和はナガサキから」を市民の悲願として、核兵器の絶滅と、人類永遠の平和を、広く全世界に訴え続けてきたのである。
 科学技術の目覚しい進歩発達は、現代社会の繁栄の原動力となっているが、一面において、核兵器を頂点とする軍備拡張の推進力ともなっている。一歩誤ると、遂には、人間が人間を破壊し、絶滅へ追いこむ危険性があることを疑わない。
  日中国交の正常化、ベトナム和平協定の締結等国際情勢は、いくらか雪解けの機運にあるとはいえ、なお、いまだに、ごく最近においてすら、核実験が行われて いる。われわれの切実な抗議や世界の多くの国々からの中止の要請があるにもかかわらず、それは無視され、強行されている。人間、だれしもが願う平和への悲 願をふみにじるものとして、断じて許すことはできない。しかし、わたくしたちは、決してあきらめない。
 われわれは、人間のもつはかり知れない英智と、平和を愛する心の深さを固く信じている。
 『戦争を二度と繰り返してはならない』ということばの尊さを知るわれわれ長崎市民は、いつまでも、どこまでも、真に平和な人類社会の実現の日まで、人々の心に平和の砦が築かれるまで、ねばり強く訴え努力していかなければならないことを痛感する。
 ここに、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり、心から殉難者の冥福を祈り、被爆者の援護にいっそうの努力を誓うとともに、43万長崎市民は全国民と共に手を携え、更に平和を愛する世界の人々と共に、平和のため、決意をあらたにして邁進することをここに宣言する。

1973年(昭和48年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武


【1974.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

平和宣言 

本日、ここに、29回目の原爆記念日を迎えた。相つぐ核実験と核兵器の拡散というまことに憂慮すべき世界情勢にあるこのとき、アメリカ、ソ連、中国、フランス、イギリス、インドなどの核保有国に対し、広島市民を代表して強く抗議し、警告する。

“核実験を即時、全面禁止し、核兵器を速やかに廃絶せよ”

世界政治をリードする米・ソ両大国は、その新しい政治外交戦略として、開発途上国に核の供与を策し、自国の勢力拡大をはかるとともに、核の拡散を助長しつつある。この際、特に、警戒すべきことは、核兵器が次第に小型化し、開発途上国にいたるまで核兵器を通常兵器として所有する可能性が強まってきたことである。

これは、局地戦争において、核兵器が容易に使用できることを意味するものであり、恐るべき新たな現実といわなければならない。

核均衡の理論や、自衛の名のもとに、核の拡散が急速に進むことは、まさに人類の自殺的破滅への道である。いまや、真の危機が迫ってきた。

われわれは、危険な核拡散の進行を断固阻止するために、国連において、核保有国のすべてを含む緊急国際会議を開き、核兵器の全面禁止協定の早期成立に努めるよう提唱する。同時に、また、日本政府に対し、核拡散防止条約の速やかなる批准を求める。

“ヒロシマを繰り返すな”われわれは、核保有国に対し、また核保有を志向しつつある中小諸国に対し、かさねてこのことを警告してやまない。

いまこそ、われわれ人類は、一つの世界に生きる運命共同体であることを深く認識し、世界市民意識にもとずく地球共同社会の創造に邁進しなければならない。これこそが、ゆるぎなき人類の恒久平和を確立する基盤である。

原爆犠牲者の御霊の前に、われわれの平和への誓いを新たにし、全市民の名において、このことを強く内外に訴える。


1974年(昭和49年)8月6日


広島市長  山  田  節  男
 

 

長崎平和宣言

1974年(昭和49年)

 長崎市は、本日8月9日、被爆29回目の運命の日を迎えた。
 原爆の惨苦を身をもって体験した長崎市民は、真夏の空に紅く映ゆる夾竹桃の花の色にも、あの日の血の色を感じ、亡き父母を、吾が子を、肉親を思いおこし、核兵器の恐怖と、はげしい怒りにふるえている。
 核兵器を廃絶せよ。
 核実験を全面禁止せよ。
 われわれ44万長崎市民は、被爆市民の血の叫びとして全世界に訴え続けてきた。
 しかるに、長崎市民の願いは無視され、核実験に対するはげしい世論の高まる中で、相次いで核実験は強行されている。
 許しがたい行為である。
 核の現実は、明らかに平和を求める国際世論に逆行している。
 核実験は、最近、ますますその回数を増し、その貯蔵量は増大し、更にまた、われわれの悲願に反し、核開発をめぐる諸国の動きなど、核保有国は拡大の一途をたどり、限りない核の拡散は、今や、世界に新たなる緊張と恐怖を刻々と高めつつある。
 核兵器使用は人類自滅への道である。
 今こそ核保有国は勿論、全世界の国々が人類の英知を結集、世界平和の理念に立脚し、核兵器の使用、実験、製造、貯蔵の完全なる廃絶のため、いかにあるべきかを行動で示すべき時である。
 本日、被爆29周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を実施するにあたり、心から原爆殉難者のごめい福をお祈りするとともに、謹んで御霊に申し上げる。
 長崎市は、最近における度重なる核実験に抗議するため、このたび、核実験抗議団を編成し、核保有国政府に対し長崎市民の悲願を直接行動で訴えた。
 われわれ長崎市民は、皆様のご遺志を体し、一致団結、もって被爆者援護の一層の充実を期するとともに、すべての核実験の即時停止と恒久平和の実現のため、挺身することを誓いここにこれを全世界に宣言する。

1974年(昭和49年) 8月9日
長崎市長 諸谷 義武






(私論.私見)