別章【アインシュタイン考】 |
(最新見直し2007.4.4日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
戦後左派運動の特に日共宮顕系のタブーが少なくとも四つある。南京大虐殺事件、ホロコースト等については左右両勢力より議論され続けているが、タブーとは、そうした対象にならず意図的に理屈をつけて忌避されているという意味である。トロツキ-論、ヒトラー論、「シオンの議定書」考、徳球−伊藤律系運動論。この四つである。れんだいこはその性分により、秘められると覗きたくなる。ここではヒトラーを検証する。 「シオンの議定書」への関心は、この陰謀計画と対峙したヒトラーへの関心に向わせる。今日一般的なヒトラー観は、「狂人政治家」、「絶対悪」の代名詞とみなすのを良しとしているが、れんだいこもその風潮にかぶれヒトラーその人を知ることはなかった。しかし、れんだいこ検証に拠れば、田中角栄を諸悪の元凶と罵倒した宮顕こそ左派面した実は当局内通者であったように、「通説常識」には眉唾せねばならない。唯物弁証法には「方や悪、方や善」なる図式は無い。少しでも考える術を知っている者なら、そのような図式はどこかおかしいと気づくべきである。 結論として、我々は余りにもヒトラーを知らなさ過ぎるままこれを批判して得意がっている。ヒトラーの実像はどうであったのか。ひょっとして、ヒトラーの落としこめは仕掛けられたマインドコントロールであったかも知れない。それもかなり長期間の繰り返し洗脳により刷込まれている「常識」であるかも知れない。日本左派運動がこのことに覚醒しないと、戦前のコミンテルン拝跪主義と同様の誤りに陥る可能性がある。れんだいこはそのように気づいた。 知った上で批判するのなら良い。知らないのに摺り込まれた先入観で判断するほど危険なことは無い。そういう観点から以下「ヒトラーは何者であったのか」を追跡検証する。 かくしてれんだいこは50代半ばにしてますます認識の変貌を遂げつつあることになる。どこへ辿り着くのか自分でも分からない。云える事は、既成観念で事象をブツギリできる人はそれはそれで羨ましいということか。 2004.10.23日 れんだいこ拝 |
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