佐藤栄佐久福島県知事国策逮捕考 |
更新日/2019(平成31).3.10日
(れんだいこのショートメッセージ) | |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK73」のクマのプーさん氏の2009.10.17日付け投稿「「物言う知事」はなぜ抹殺されたのか【佐藤 栄佐久前福島県知事】(マル激トーク・オン・ディマンド)」、「ウィキペディア佐藤栄佐久」その他を参照する。これによれば、次のように記している。
興味を覚えたので、本サイトで採り上げておく。 「佐藤栄佐久福島県知事贈収賄事件捏造逮捕」の裏に、佐藤知事の反小泉政治、反原子力発電行政が絡んでいた可能性が判明しつつある。例によって国策捜査であり、事件の性質上「ミニロッキード事件」の様相を示している。これが真相の深層とすれば、マスコミの佐藤栄佐久福島県知事叩きも例の国際金融資本の要請を受けた御用提灯報道だったことになる。心せよというべきだろう。司法の腐敗ぶりも同様の謗りを受けるべきであろう。三文文士が、ひょこたん評論しているので、れんだいこが切り返しておく。 2009.10.18日、れんだいこ拝 |
【佐藤栄佐久プロフィール】 |
1939年、福島県生まれ。少年時代を福島県本宮市で過ごす。中学生の時に郡山市に移住。福島県立安積高等学校を経て、63年、東京大学法学部卒業。日本青年会議所地区会長、同副会頭を経て、83年に参議院議員選挙で初当選。87年大蔵政務次官。1988.9月、福島県知事選に出馬、初当選。 |
【佐藤県政考】 |
佐藤県政の圧巻は国策の原子力行政に対するアンチの姿勢にあった。 2003年、経済産業省原子力安全・保安院が、 福島第一原発6号機の「安全宣言」を出したことで同機の運転を福島県が認めるか否かが焦点となったが、佐藤県知事は、福島第一原発6号機の運転再開の判断を前に、7.3日に「県民 の意見を聴く会」を予定するなど慎重を期す姿勢をとっていた。こういう状況に際して、同年6.19日、グリーンピースが、福島第一原発6号機の運転をするべきではないという趣旨の書簡(添付資料参照)を送り、慎重姿勢を見せている知事にエールした。 これらの政策が、時の小泉政権の押し進める政策と悉く衝突し、煙たい存在となった。知事在任末期における郵政民営化、飲酒運転厳罰化などへの姿勢も含めて、一貫して反小泉政治の姿勢を際立たせていた。 |
【佐藤県知事逮捕考】 | ||
2006.7.8日、佐藤県知事の実弟・祐二が営む紳士服縫製会社「郡山三東スーツ」本社(福島県本宮町)が、不正な土地取引の疑いで検察の家宅捜索が入り、一挙に耳目を集めることとなった。発端は中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)の脱税疑惑で、2002.8月に三東スーツ」が旧本社工場跡地を同社に8億円で売った際に、時価より高額との疑いがあり、水谷建設の所得隠しとその使途への捜査から、収賄の疑いで知事周辺へと特捜の手が伸びていった。郡山三東スーツは、佐藤知事の父親が創業、現在、弟・祐二が経営しているが、知事自身も筆頭株主で2002.5月まで会長などを務めていた。水谷建設は三重県内ではトップの建設会社。前田建設工業(大手ゼネコン)とJV(共同事業体)を組んでダムや公共道路建設を全国的に展開している。この土地取引が、「県発注の公共工事を巡る談合汚職事件」として仕立て上げられていった。
佐藤知事は当初は全面的に関与を否認したが、その後の連日の聴取を経て全面的に自身の関与を認め、自白調書に署名をしている。佐藤氏はこの点について次のように述べている。
なお、同年11.15日、和歌山県の当時の知事・木村良樹が、12.8日、宮崎県の当時の知事・安藤忠恕が同じく官製談合事件で逮捕された。3ヶ月間に3人の知事が同じような事件で刑事責任を追及される事態となり、大きな波紋を広げる事態になった。 |
【著書「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」考】 | ||
2009.9月、佐藤元知事は、「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」(平凡社)を出版し、「原発」、「道州制」、「裁判」の3部構成で、当事者として事件の内実を冷静に分析、執筆している。福島県知事佐藤栄佐久が「原発」、「道州制」に関して国に造反した結果、「裁判」の俎上に乗せられた経緯が明らかにされている。自民党政権末期の原発・地方自治政策を総括し、これからの「国のあり
方」を指し示す本としても読める内容になっている。
「BOOKデータベース」よりとして次のように記している。
|
【地裁判決考】 | ||
2006.11.13日、起訴。東京地裁で初公判。被告佐藤兄弟は捜査段階では認めていたが、初公判では、「火で焼かれるような取り調べを受け、支援者への迷惑を食い止めるため、体験していない事実である収賄を認める供述をした。日本は法治国家と信じている」(前知事)と述べ、裁判所に真相解明を訴えた。実弟も「検事から怒鳴られたりした恐怖心で、1日も早く出たかった」と法廷で証言している。弁護側は「初めから栄佐久被告を狙った極めて不当な見込み捜査。脅迫や暴力など常軌を逸した取り調べによる供述で立証された冤罪(えんざい)事件だ」と主張した。主任弁護人の宗像紀夫弁護士は元東京地検特捜部長で“古巣”の捜査手法を知る。「主任検事に何度か(抗議を)申し入れた」と語る。 2008.8.8日、東京地裁刑事第5部(山口雅高裁判長)は、佐藤栄佐久・前福島県知事を収賄罪で懲役3年(執行猶予5年)、実弟祐二被告を収賄罪の共犯と公共工事の競争入札妨害で懲役2年6カ月(執行猶予5年)、追徴金7372万円余りの支払いを命じる有罪判決を言い渡した。東京地裁判決は、検察側の主張に沿って被告・弁護側の無罪主張をほぼ全面的に退けた。 佐藤栄佐久被告(69)と弁護人が8日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。栄佐久被告は次のようなコメントを発表した。
弁護人は判決を不服として「控訴を検討している」とした。終始、淡々とした表情で会見に応じたが、「弁護団がつぶしてくれたと思った検察側の主張が判決では生き返っていたのが残念だ」と判決への不満をあらわにした。弁護人の宗像紀夫弁護士(元東京地検特捜部長)は、「今回の判決は誤判である。裁判所は真実にたどり着いていない。承服できない」と言い切った。 弟の祐二被告(65)は、弁護団を通じて次のようなコメントを発表した。
一方、東京地検の渡辺恵一次席検事は「有罪は証拠上、当然だ。主張の一部が認められず、執行猶予が付いた点については判決を検討し、今後の対応を決めたい」と話した。 |
【地裁判決文】 | |
|
【高裁判決考】 |
2009.10.14日、控訴審の東京高裁は、佐藤元福島県知事に対し懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の東京地裁は懲役3年、執行猶予5年だったから、さらに罪が軽くなったことになる。然しながら、判決内容が次のようにデタラメなものとなっている。「収賄額ゼロ」が認定され佐藤前知事を有罪とする前提が全て崩れているにも拘わらず、「無形の賄賂」や「換金の利益」など従来の法概念にない不可思議な論理と論法で有罪にしている。不可解極まる判決であり、「一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっている」と云う。これを確認する。 二審では、一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在が否定されたにもかかわらず、「無形の賄賂」があったとして有罪判決に踏み切っている。その賄賂の根拠というのは、佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。東京地検特捜部は、著者の実弟が経営する会社の土地をゼネコンが買った価格と、市価との差額1億7千万が賄賂だとしていた。 判決は、弟の土地取引から得た利益を佐藤氏自身が受け取ったわけではないことを踏まえ、賄賂の金額が「ゼロ」だと、贈収賄裁判史上大変珍しい判断をした。しかしながら、佐藤氏を収賄で有罪としている。ところが、その建設会社はその後更に高い値段で土地を売却していることがわかり、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩れてしまっている。そこで、検察は、「換金の利益」つまり、仮に正当な値段であったとしても土地を買い取ってあげたことが「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを認めた。つまり、取引が正当な価格でなされていたとしても、土地取引そのものが賄賂にあたると認定されたことになる。佐藤氏は、「セミの抜け殻のような判決」と評している。他にも、佐藤前知事時代のダム事業が槍玉に挙げられている。一般競争入札案件であるにもかかわらず、佐藤氏の「天の声」が認定されている。 佐藤氏が原発に反対し、原発銀座とまで呼ばれ10基もの原発を有する福島県で原発が止まってしまったことが、日本の原発政策全体に多大な影響を与えていたことも、今回の事件と関係があるのではないかと疑う声がある。佐藤氏自身は、自分が検察に狙われなければならない理由はわからないとしながらも、1年以上もの長期にわたり、佐藤氏の周辺を検察が捜査しているとの情報はあったと述べており、最初から佐藤氏を狙った捜査であった可能性を示唆している。 |
Re::れんだいこのカンテラ時評612 | れんだいこ | 2009/10/18 |
【佐藤栄佐久・元福島県知事国策逮捕−裁判考】 2009.10.14日、東京高裁は、佐藤栄佐久・元福島県知事の贈収賄事件控訴審で、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の東京地裁は懲役3年、執行猶予5年だったことを思えば罪が軽くなったとみなせようが、事実はさにあらず。事件がミニロッキード事件の様相をますます示しつつある。かの時の判決もデタラメなものであったが、本事件では更に定向進化しており、かような容疑で罰せられるものかという呆(あき)れた法理論と論法を晒している。到底容認できないので、れんだいこが反発しておく。 既に「『物言う知事』はなぜ抹殺されたのか【佐藤 栄佐久前福島県知事】(マル激トーク・オン・ディマンド)」が発信しており次のように述べている。概要「佐藤前知事を有罪とする前提が全て崩れているにも拘わらず、『無形の賄賂』や『換金の利益』など従来の法概念にない不可思議な論理と論法で有罪にしている。不可解極まる判決であり、一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっている」。 (ttp://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/478.html) れんだいこは、この一文でピンときた。これはロッキード事件と同じ臭いがする。ならば確認してみなければなるまい。そういう訳で、ネット検索から情報を仕入れ整理してみた。多くの評者が例の如くピンボケ評論しているが、れんだいこプリズムを通せば、かようなことになる。 佐藤栄佐久氏は1939年、福島県生まれ。1963年、東京大学法学部卒業。1983年、参議院議員選挙で初当選。1987年、大蔵政務次官。1988.9月、松平勇雄が勇退した福島県知事選挙に、伊東正義や斎藤邦吉らの支援を得て出馬し初当選。以来、連続5期、18年務めていた。このことは、手堅い県政で県民の支持を得ていたことをもの語っていよう。 ところが、2001年の小泉政権の登場とともに暗転し始める。小泉政権の「三位一体改革」と称しながらの地方切り捨て、東京一極集中政策が、「地方主権」を唱える佐藤知事を悩まし始める。やがて、佐藤知事は「地方の痛み」を強調し続け、一貫して小泉政治に異議を唱える知事の一人となっていった。小泉政権の道州制推進策に対しても、「道州制によって大都市一極集中を招いてはならない」と消極的な姿勢を採った。佐藤知事以外に道州制を拒否する県知事には、井戸敏三・兵庫県知事や西川一誠・福井県知事がいた。佐藤福島県知事は、自治体合併(市町村合併と県合併の両方)ブームにも棹差した。国策に反して「合併しない市町村も支援する」立場を明言し、田中康夫(2000年秋〜2006年秋の長野県知事。その後、新党日本党首)と共に孤高の反中央知事の立場を維持していた。やがて田中康夫の落選と佐藤栄佐久の辞職により、「合併しない市町村も支援する」立場を掲げる知事は1人もいなくなる。この間、片山義博元鳥取県知事や浅野史郎元宮城県知事は、出身母体である中央省庁に尻尾を振って寝返っていた。 こういうユニークな姿勢を見せる佐藤県政の圧巻は、国策の原子力行政に対するアンチの姿勢にあった。1989年正月、福島県浜通り内の東京電力の福島第二原発で再循環ポンプ破損の大事故が起きた。チェルノブイリ事故から間もない頃で、原子力発電の危険性が指摘されている時機でもあった。当然、地元で原発の安全性への不信が高まり、原発の運転再開を巡って2年越しの真剣な反対運動が繰り広げられることになった。しかし、県は中央の要請を無視しえず、運転再開の地元了解を発し、1990年末、再稼動に至る。 1999年秋、隣県の茨城でJCO臨界事故が起こる。折から福島第一原発3号で開始されるプルサーマル用燃料が専用港に入港した翌日であった。3年越しの反対運動にもかかわらず、県は前年の夏、他県に先んじてプルサーマル実施の地元事前了解を与えていた。しかし同時に輸送されてきた関西電力のプルサーマル燃料を巡る不正が確認され、原子力行政への不信は頂点に達した。東電は自主的にMOX燃料の装荷を見送った。 この間、東電や経産省は事故隠しに躍起となった。佐藤知事は、この過程で、プルサーマル計画の政策変更のいい加減さ、官僚の絶対無責任体制を危惧し始め、次第に原子力発電行政そのものに反対の立場を明らかにして行った。2003年、経済産業省原子力安全・保安院が 福島第一原発6号機の「安全宣言」を出したことで同機の運転を福島県が認めるか否かが焦点となったが、佐藤県知事は、「県民 の意見を聴く会」を予定するなど慎重を期す姿勢をとった。同年6.19日、グリーンピースが、福島第一原発6号機の運転をするべきではないという趣旨の書簡(添付資料参照)を送り、慎重姿勢を見せている知事にエールしている。 佐藤知事は、郵政民営化、飲酒運転厳罰化などへの姿勢も含めて、一貫して反小泉政治の姿勢を際立たせていた。小泉政権にとって煙たい存在bP知事となっていた。この情況を見据えながら次の動きを見てとらねばならない。佐藤知事の身辺捜査が執拗に開始された。時に尾行までつき一挙手一投足が監視されるようになった。佐藤氏自身が、自分が検察に狙われなければならない理由はわからないとしながらも、1年以上もの長期にわたり佐藤氏の周辺を検察が捜査しているとの情報はあったと述べている。 2006.7.8日、佐藤県知事の実弟・祐二が営む縫製会社「郡山三東スーツ」本社が、不正な土地取引の疑いで検察の家宅捜索が入り、一挙に耳目を集めることとなった。この頃から例によって検察とマスコミの二人三脚が始まる。ロッキード事件と瓜二つの構図となる。2002年に「郡山三東スーツ」が水谷建設に土地を売った際の価格が時価より高額との嫌疑が寄せられ、水谷建設の所得隠しとその使途への捜査から収賄の疑いで知事周辺へと特捜の手が伸びていった。やがて「県発注の公共工事を巡る談合汚職事件」として仕立て上げられていった。 9.25日、佐藤県知事の実弟・祐二が競売入札妨害の疑いで逮捕された。続いて、福島県発注工事を巡る談合事件の絡みで元県土木部長が逮捕された。佐藤の辞職を求める動きが強まりマスコミが後押しする。9.27日、佐藤県知事は、実弟や元県土木部長が逮捕されたことに対する道義的責任を取る形で任期途中での辞職を表明するに至った。概要「県民に迷惑をかけ、心からおわびする。道義的責任を取り、18年間の職務に自らの手で終止符を打つ決意をした」と辞職表明した。9.28日、県議会で辞職が許可された。 10.23日、佐藤県知事は、東京地検によりダム工事発注をめぐる収賄の容疑で逮捕された。例によって東京地検であることに注目されたい。当時の大鶴部長が、「福島県汚職を絶対に上げろ。そうでないと俺の出世にかかわる」と部下に語ったと、最近の週刊誌で報じられている。 当時の民主党幹事長・鳩山由紀夫は、「佐藤栄佐久・前福島県知事の逮捕にあたって」と題する次のようなコメントを発している。「本日、佐藤栄佐久・前福島県知事が収賄容疑で逮捕された。容疑通り、佐藤前知事が公共工事の発注をめぐり不正な利益を得ていたとすれば、県政のトップとしてあるまじき行為であり、その責任は極めて重大である。発端となった談合事件では、すでに佐藤前知事の実弟らが逮捕・起訴され、謝礼を受け取り県知事選挙に利用した疑いももたれている。捜査を通じて一連の事件の全容が解明され、その責任が明らかになることを期待する。3日後には、佐藤前知事の辞職に伴う県知事選が告示される。県政を刷新し、公正公明で県民の立場に立った県政を実現するよう全力を挙げたい。以上」。 このコメントから、佐藤氏の県知事としての有能性を認め、これを支援するのではなく、検察、マスコミと一体となった包囲網を敷く同じ穴のムジナ的本性が透けて見えてこよう。これが鳩山式正義の裏舞台であろう。但し、鳩山ばかりが責められるには及ばない。当時の他の政党がどう対応したのだろうか。共産党は、ロッキード事件の時と同じく、「佐藤金権」を仕立て上げ攻めまくったのだろうか。社民党も御用提灯もって参列したのだろうか。 逮捕された佐藤知事は当初は全面的に関与を否認したが、その後の連日の聴取を経て全面的に自身の関与を認め、自白調書に署名をしている。これを受け、起訴される。佐藤氏はこの点について次のように述べている。概要「苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをした。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができた。自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいない」。 なお、同年11.15日、和歌山県の当時の知事・木村良樹が、12.8日、宮崎県の当時の知事・安藤忠恕が、同じく官製談合事件で逮捕された。3ヶ月間に3人の知事が、同じような事件で刑事責任を追及される事態となり、大きな波紋を広げる事態になった。 2006.11.13日、東京地裁で初公判。佐藤元県知事は、「火で焼かれるような取り調べを受け、支援者への迷惑を食い止めるため、体験していない事実である収賄を認める供述をした。日本は法治国家と信じている」と述べ、裁判所に真相解明を訴えた。実弟も「検事から怒鳴られたりした恐怖心で1日も早く出たかった」と法廷で証言している。弁護側は「初めから栄佐久被告を狙った極めて不当な見込み捜査。脅迫や暴力など常軌を逸した取り調べによる供述で立証された冤罪(えんざい)事件だ」と主張した。主任弁護人の宗像紀夫弁護士は元東京地検特捜部長で、“古巣”の捜査手法を知る。「主任検事に何度か(抗議を)申し入れた」と語る。 2008.8.8日、東京地裁刑事第5部(山口雅高裁判長)は、佐藤元県知事を収賄罪で懲役3年(執行猶予5年)、実弟祐二被告を収賄罪の共犯と公共工事の競争入札妨害で懲役2年6カ月(執行猶予5年)、追徴金7372万円余りの支払いを命じる有罪判決を言い渡した。東京地裁判決は、検察側の主張に沿って被告・弁護側の無罪主張をほぼ全面的に退けた。 同日、佐藤被告(69)と弁護人が東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。佐藤被告は、概要「一切、事実がないことは、わたしが一番よく知っている。存在しない事実が認定された。弁護団がつぶしてくれたと思った検察側の主張が、判決では生き返っていたのが残念だ」と話した。弁護人は、判決を不服として「控訴を検討している」とした。宗像主任弁護人は、「今回の判決は誤判である。裁判所は真実にたどり着いていない。承服できない」と言い切った。 弟の祐二被告(65)は、弁護団を通じて概要「法治国家日本は偽りだったのかと憤懣(ふんまん)やるかたない思いです。人格を否定し、事実をねじ曲げる検察を許容する裁判所による刑事司法が許されれたのでは、だれもが犯罪者に仕立て上げられてしまいます」とのコメントを発表した。 一方、東京地検の渡辺恵一次席検事は「有罪は証拠上、当然だ。主張の一部が認められず、執行猶予が付いた点については判決を検討し、今後の対応を決めたい」と話した。8.20日、佐藤元福島県知事は、1審東京地裁判決を不服として抗訴した。実弟の祐二被告(65)側も控訴した。かくて公判闘争が続行する。 2009.10.14日、控訴審の東京高裁は、佐藤元福島県知事に対し懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の量刑より軽くなったが、判決の法理と論法が更に滑稽なものになった。ロッキード事件同様、「始めに判決ありき」の感を深めるものになっている。 元々の賄賂の根拠というのは、佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。東京地検特捜部は、著者の実弟が経営する会社の土地をゼネコンが買った価格と、市価との差額1億7千万が賄賂だとしていた。ところが、弟の土地取引から得た利益を佐藤氏自身が受け取ったわけではないことが明らかにされた。しかも、買った側の建設会社はその後更に高い値段で土地を売却していることが判明させられ、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩れてしまった。 二審判決は、これを踏まえ、賄賂の金額が「ゼロ」だと認定した。つまり、一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在を否定せざるを得なかった。にも拘わらず、罪を被せる為にどのように言い渡したか。「無形の賄賂論」なるものを編み出し有罪判決に踏み切っている。検察が、仮に正当な値段であったとしても土地を買い取ってあげたことが「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを認めたことになる。他にも、佐藤前知事時代のダム事業が槍玉に挙げられている。一般競争入札案件であるにもかかわらず、佐藤氏の「天の声」が認定されている。佐藤元県知事は、「セミの抜け殻のような判決」と評している。 ところで、検察−裁判所司法の、こういう法理と論法を許して良いものだろうか。この法理と論法によれば、人は誰でも容易に罪を被せられることになろう。これは、法の正義を守る立場の司法当局による「上からの法破り」であり、この判決に加担した者は訴追されるべきではなかろうか。鳩山政権が、司法のかような暴走を許すようではお先真っ暗と云わざるをえまい。れんだいこに云わせれば、東京地検と裁判所司法の結託による「上からの法破り」に対して、人民大衆的糾弾闘争で責任者を処罰することこそ法治国家の責務であろう。こういうところを見落とすと、後々暗い時代に道を開くことになろう。 さて、最後に云い添えておく。佐藤元知事逮捕の舞台裏事情を詮索しておこう。佐藤元県知事は、原発銀座とまで呼ばれ10基もの原発を有する福島県で原発を止めた。このことが、日本の原発政策責任者の怒りを呼び、報復逮捕となった可能性が強い。日本の原子力行政は、ナベツネの親玉にして戦前は治安警察のドンとして、戦後は国際金融資本のエージェントとして今日的に知られている正力松太郎と小玉、中曽根のスリータッグにより始まった。戦後の再軍備も、この連中により後押しされた。逆に云えば、日本の防衛政策と原子力政策こそが国際金融資本の意を挺したキモであり、ここにこそ真の金鉱利権が介在していることになる。これにメスを入れようとした者は次から次へと葬られる。佐藤元知事もその犠牲者の一人として遇するべきではなかろうか。かく見立てれば、この事件は小さくない意味をもっていることになる。誰か、かく共認せんか。 2009.10.18日 れんだいこ拝 |
【最高裁判決】 | |
2012.10.16日、佐藤元福島県知事に対する最高裁の判決が下されたが、「検察の立件容疑を認定せず。だがしかし執行猶予付きの有罪」なる珍妙な判例になっている。これを確認しておく。
|
【最高裁判決考】 | |
「佐藤栄佐久・福島県元知事の冤罪」を転載する。
|
2011.4.18日、「外国特派員協会記者会見:冒頭発言全文」。
|
(私論.私見)
『知事抹殺』を読みたいと思い、平凡社にアクセスしました。そこで思い出すのは、もう一つの“知事抹殺”でした。それは新全国開発計画の大規模開発地、志布志開発が計画されましたことにかかわります。1970年代でした。。その開発期、志布志湾に接する宮崎県の串間市や日南市の漁民たちが、鹿児島県志布志開発の影響を受けると賛成せず、その地元県民の意向を受けて、宮崎県知事はこの開発に賛成しませんでした。すると、宮崎県知事は違法行為があったとして、裁判にかけられ、辞職させられました。その失職記事をみて、やられたな、と思いました。そう思ったのは、一人の町長を思い出してのことでした。第一次の全国総合開発計画で、開発された茨城県の鹿島臨海工業地帯の建設当初、鹿島町長の黒沢さんは、この計画に反対をしていました。ところが、この黒沢町長は次期のの町長選挙で、選挙違反に問われ、裁判にかけられ、異例な速さで判決が下されて失職しました。あっという間に判決が決まりなした。“町長抹殺”でした。その失職直後、黒沢氏にあって、「本当に選挙違反をしたのですか」と尋ねました。すると、ぎょろっと私をにらみつけて黒沢氏は「おめえは、どこの生まれだ。選挙つうものを知らねえな」と笑われました。 そのちょっと前、私は、わが郷里、大分県南部で原発計画に反対するという小さな住民運動を報じた記事を、母が送ってくれた干物を包んだ地元紙の記事で読みました。そこで、三重県の南島町の漁民が原発に反対しているという新聞記事を目にしていましたので、伊勢市に行ったいでに、一泊の予定で南島町に寄り道をしました。町役場に原発反対の横断幕を張っていました。町役場の受付で、原発反対の話を聞きたいといいましたら、「わかる人はいません」とのこと。「郷里で原発問題がおこっているので、なぜ反対なのか、教えてほしい」と申しましたら、なんと、反対運動の事務局長が助役で、居留守をきめこんでいました。助役室に通された時、まず驚いたのは棚によく整理された記録を綴じたファイルでした。そのファイルをお借りして民宿に泊まって、書き取り、フィルムカメラで写し、翌朝、芦浜原発予定地にもっとも近い漁業集落の漁協に行って話を聞きました。ビラのあまりももらいました。そして漁民の原発学習に圧倒されました。漁民がもっとも信頼し、頼りにしたのは、中部電力が主催した原発講演会の講師陣のなかの東大教授でした。漁民の質問に「調査してみなければわからない」と答えた水産額研究者でした。この南島町旅行で、県や中部電力が豪華な見学旅行を案内する行き先が、東海村の原子力研究所だというので、後日、東海村にも行ってみました。その行程の途上で、出会ったのが、鹿島人工港の造成事業、住友金属の圧延工場の鉄骨組み立て現場でした。<この工場群、掘り込み港沿岸が、東日本大震災の被害を新聞記事で読みました。>
中部電力が計画する芦浜は、東京電力の福島原発、関西電力の美浜原発と三点セットで企画されましたが、今なお建設を許していません。このような原発建設事業は半世紀の歴史となり、私にとっては忘れられない思い出がよみがえってきます。佐藤さんの本をぜひ読んでみたいとインターネットで注文しようとして、この「コメント」記入欄にであいました.