佐藤栄佐久福島県知事国策逮捕考

 更新日/2019(平成31).3.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK73」のクマのプーさん氏の2009.10.17日付け投稿「「物言う知事」はなぜ抹殺されたのか【佐藤 栄佐久前福島県知事】(マル激トーク・オン・ディマンド)」、「ウィキペディア佐藤栄佐久」その他を参照する。これによれば、次のように記している。
 佐藤栄佐久氏はクリーンさを売りものに福島県知事を5期も務めた名物知事だった。しかし、それと同時に佐藤氏は、国が推進する原子力発電のプルサーマル計画に反対し事実上これを止めてみたり、地方主権を主張してことごとく中央政府に反旗を翻すなど、中央政界や電力、ゼネコンなどの有力企業にとっては、まったくもって邪魔な存在だった。その佐藤知事に収賄疑惑が浮上し、5期目の任期半ばで辞職に追い込まれた後、逮捕・起訴された。ダム工事発注をめぐる収賄罪だった。知事は無罪を主張したが、一審は執行猶予付きの有罪判決だった。そして、その控訴審判決が14日、東京高裁で下された。今回は一審からやや減刑されたが、依然として懲役2年、執行猶予4年の有罪判決だった。

 興味を覚えたので、本サイトで採り上げておく。 

 「佐藤栄佐久福島県知事贈収賄事件捏造逮捕」の裏に、佐藤知事の反小泉政治、反原子力発電行政が絡んでいた可能性が判明しつつある。例によって国策捜査であり、事件の性質上「ミニロッキード事件」の様相を示している。これが真相の深層とすれば、マスコミの佐藤栄佐久福島県知事叩きも例の国際金融資本の要請を受けた御用提灯報道だったことになる。心せよというべきだろう。司法の腐敗ぶりも同様の謗りを受けるべきであろう。三文文士が、ひょこたん評論しているので、れんだいこが切り返しておく。

 2009.10.18日、れんだいこ拝


【佐藤栄佐久プロフィール】

 1939年、福島県生まれ。少年時代を福島県本宮市で過ごす。中学生の時に郡山市に移住。福島県立安積高等学校を経て、63年、東京大学法学部卒業。日本青年会議所地区会長、同副会頭を経て、83年に参議院議員選挙で初当選。87年大蔵政務次官。1988.9月、福島県知事選に出馬、初当選。


【佐藤県政考】

 佐藤県政の圧巻は国策の原子力行政に対するアンチの姿勢にあった。

 1988.9月、元大蔵政務次官の佐藤栄佐久氏が、伊東正義や斎藤邦吉らの支援を得て出馬し松平勇雄が勇退した福島県知事選挙に出馬した。選挙は保守陣営が分裂し、参議院補欠選挙と同時投票となり、おりからの消費税問題も絡んで全国から注目を集めた。その結果、保守系無所属の前建設技監広瀬利雄氏と革新系無所属の草野太氏を大差で破り初当選を果たした。佐藤知事は初当選直後から「原発の安全問題から地元が疎外されている」と痛感し、自治体として脱原発をめざす福島県エネルギー政策検討会の活動を進めていった。これが2002年の「中間とりまとめ」に結実する。


 1989年正月、福島県浜通り内の東京電力の福島第二原発で再循環ポンプ部品破損、炉内への流入という「レベル2」の事故が起きた。東電は警報を6時間も鳴りっぱなしにしてようやく停止させた。東電が県に報告に来て謝罪したが、その直後の記者会見で、「未発見の部品があるが運転を再開する」と発言し唖然とさせられた。佐藤県知事は、これをうけて県の原子力安全対策室を「課」に昇格させた。地元では原発の安全性への不信が高まり、原発の運転再開を巡って2年越しの真剣な反対運動が繰り広げられることになった。チェルノブイリ事故から間もない、地元のみならず全国的にチェルノブイリの再現を怖れる声が高まった時期であった。しかし、県は運転再開の地元了解を発し、1990年末、再稼動に至る。

 1991年、原発2基が立地する双葉町議会が新たに2基を誘致する要望を議決した。県のグランドデザインに「世代(間)の共生」を唱えていた佐藤県知事は、「原発の後は原発で」と原発に頼り切った立地自治体の在り方に疑問を持った。

 1996年、「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故に関し、福井、新潟の知事とともに橋本首相への「提言書」を提出した。

 1997年、プルサーマル計画の閣議決定に対する県庁内の「核燃料サイクル懇話会」を立ち上げる。

 1999年秋、隣県の茨城でJCO臨界事故が起こる。折から福島第一原発3号で開始されるプルサーマル用燃料が専用港に入港した翌日であった。3年越しの反対運動にもかかわらず、県は前年の夏、他県に先んじてプルサーマル実施の地元事前了解を与えていた。しかし同時に輸送されてきた関西電力のプルサーマル燃料を巡る不正が確認され、原子力行政への不信は頂点に達した。東電は自主的にMOX燃料の装荷を見送った。

 
東電や経産省は事故隠しに躍起となった。佐藤県政は、これに抵抗した。その過程で、プルサーマル計画の政策変更のいい加減さ、官僚の絶対無責任体制が露呈した。佐藤知事は次第に、原子力発電行政そのものに反対の立場を明らかにして行った。

 2001年、佐藤知事はプルサーマル強行の動きに「待った」をかけた。福島県の「地方自治の狼煙を上げる」作戦がここから本格化した。県「エネルギー政策検討」会を立ち上げた。

 2002年、福島原発の検査記録改ざんが発覚した。福島県は、東電経営幹部の総退陣のさなかに「中間とりまとめ」を発表した。そして「プルサーマル計画については、前提となる条件が消滅しており、白紙撤回されたものと認識している」という9月議会での知事説明は、国に対する「最後通牒」の意味をもった。

 それと並行し福島県は、東電の「訴訟」の脅しをはねのけて地方税である核燃料税をほぼ倍増(16.5%)する条例を制定した。原発が立地する双葉郡5町の歳入構造は、5町平均で固定資産税+法人町民税(以上、ほぼ東電関係)+国庫支出金(電源三法交付金)が歳入の52.4%を占め、最大の大熊町(第一原発1~4号機が立地)では65.4%にのぼる異常さだ。一見「黒字」の健全自治体に見えるが、固定資産税は償却に応じて逓減し、また交付金は「箱モノ」にしか使えず維持・管理費の負担が続く。「原発の後は原発で」という依存から抜けきれず、ますます「国策」と電力資本への従属を深め、事故のリスクをひきうけることになる。条例の制定は、課税自主権の行使であるとともに、麻薬的な財政構造を緩和して「地方自治の本旨」を取りもどそうとする試みだった。

 2003年、経済産業省原子力安全・保安院が、 福島第一原発6号機の「安全宣言」を出したことで同機の運転を福島県が認めるか否かが焦点となったが、佐藤県知事は、福島第一原発6号機の運転再開の判断を前に、7.3日に「県民 の意見を聴く会」を予定するなど慎重を期す姿勢をとっていた。こういう状況に際して、同年6.19日、グリーンピースが、福島第一原発6号機の運転をするべきではないという趣旨の書簡(添付資料参照)を送り、慎重姿勢を見せている知事にエールした。

 これらの政策が、時の小泉政権の押し進める政策と悉く衝突し、煙たい存在となった。知事在任末期における郵政民営化、飲酒運転厳罰化などへの姿勢も含めて、一貫して反小泉政治の姿勢を際立たせていた。

 佐藤県知事は在職中、「地方主権」を掲げ続けた。小泉政権が「三位一体改革」と称しながら押し進める東京一極集中政策に対して「地方の痛み」を強調し続け、一貫して異議を唱える知事の1人となっていた。「道州制によって、大都市一極集中を招いてはならない」と道州制を拒否していた。佐藤知事以外に道州制を拒否する県知事には、井戸敏三・兵庫県知事や西川一誠・福井県知事がいた。佐藤県知事は自治体合併(市町村合併と県合併の両方)ブームに棹差してもいた。国策に反して「合併しない市町村も支援する」立場を明言し、田中康夫(2000年秋〜2006年秋の長野県知事。新党日本党首)と共に孤高の知事の立場を維持していた。田中康夫の落選と佐藤栄佐久の辞職により、「合併しない市町村も支援する」立場を掲げる知事は一人もいなくなった。片山義博元鳥取県知事や浅野史郎元宮城県知事は自分たちの出身母体である中央省庁に尻尾を振って寝返っていた。


【佐藤県知事逮捕考】

 2006.7.8日、佐藤県知事の実弟・祐二が営む紳士服縫製会社「郡山三東スーツ」本社(福島県本宮町)が、不正な土地取引の疑いで検察の家宅捜索が入り、一挙に耳目を集めることとなった。発端は中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)の脱税疑惑で、2002.8月に三東スーツ」が旧本社工場跡地を同社に8億円で売った際に、時価より高額との疑いがあり、水谷建設の所得隠しとその使途への捜査から、収賄の疑いで知事周辺へと特捜の手が伸びていった。郡山三東スーツは、佐藤知事の父親が創業、現在、弟・祐二が経営しているが、知事自身も筆頭株主で2002.5月まで会長などを務めていた。水谷建設は三重県内ではトップの建設会社。前田建設工業(大手ゼネコン)とJV(共同事業体)を組んでダムや公共道路建設を全国的に展開している。この土地取引が、「県発注の公共工事を巡る談合汚職事件」として仕立て上げられていった。

 同年9月、古川・佐賀県知事が玄海原発でのプルサーマルを容認した。

 9.25日、競売入札妨害の疑いで逮捕された。続いて、福島県発注工事を巡る談合事件の絡みで元県土木部長が逮捕された。佐藤の辞職を求める動きが県議会を初めとして内外から高まった。9.27日、佐藤県知事は、実弟や元県土木部長が逮捕されたことに対する道義的責任を取る形で任期途中での辞職を表明するに至った。概要「県民に迷惑をかけ、心からおわびする。道義的責任を取り、18年間の職務に自らの手で終止符を打つ決意をした」と辞職表明した。9.28日、県議会で辞職が許可された。この間、初当選以来連続5期18年務めたことになる。

 10.23日、佐藤県知事は、東京地検によりダム工事発注をめぐる収賄の容疑で逮捕された。当時の大鶴部長が、「福島県汚職を絶対に上げろ。そうでないと俺の出世にかかわる」 と部下に語ったと最近の週刊誌で報じられている。実際に取り調べたのは後に村木・郵政不正事件の捏造で有名になった前田検事である。

 当時の民主党幹事長・鳩山由紀夫は、「佐藤栄佐久・前福島県知事の逮捕にあたって」と題する次のようなコメントを発している。

 本日、佐藤栄佐久・前福島県知事が収賄容疑で逮捕された。容疑通り、佐藤前知事が公共工事の発注をめぐり不正な利益を得ていたとすれば、県政のトップとしてあるまじき行為であり、その責任は極めて重大である。発端となった談合事件では、すでに佐藤前知事の実弟らが逮捕・起訴され、謝礼を受け取り県知事選挙に利用した疑いももたれている。捜査を通じて一連の事件の全容が解明され、その責任が明らかになることを期待する。3日後には、佐藤前知事の辞職に伴う県知事選が告示される。県政を刷新し、公正公明で県民の立場に立った県政を実現するよう全力を挙げたい。 以上

 佐藤知事は当初は全面的に関与を否認したが、その後の連日の聴取を経て全面的に自身の関与を認め、自白調書に署名をしている。佐藤氏はこの点について次のように述べている。

 概要「苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをした。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができた。自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいない」。

 なお、同年11.15日、和歌山県の当時の知事・木村良樹が、12.8日、宮崎県の当時の知事・安藤忠恕が同じく官製談合事件で逮捕された。3ヶ月間に3人の知事が同じような事件で刑事責任を追及される事態となり、大きな波紋を広げる事態になった。


【著書「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」考】

 2009.9月、佐藤元知事は、「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」(平凡社)を出版し、「原発」、「道州制」、「裁判」の3部構成で、当事者として事件の内実を冷静に分析、執筆している。福島県知事佐藤栄佐久が「原発」、「道州制」に関して国に造反した結果、「裁判」の俎上に乗せられた経緯が明らかにされている。自民党政権末期の原発・地方自治政策を総括し、これからの「国のあり 方」を指し示す本としても読める内容になっている。

 内容紹介として次の用に記されている。

 「ダム建設をめぐって突然湧いた逮捕劇。県内で絶大な人気を誇った改革派知事はなぜ失脚させられたのか。汚職知事の名を着せられた当事者が、事件の内実を冷静な筆致で綴る」。

 「BOOKデータベース」よりとして次のように記している。

 「東京一極集中に異議を唱え、原発問題、道州制などに関して政府の方針と真っ向から対立、『闘う知事』として名を馳せ、県内で圧倒的支持を得た。第五期一八年目の二〇〇六年九月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受け、知事辞職、その後逮捕される。〇八年八月、第一審で有罪判決を受けるが、控訴」。

【地裁判決考】
 2006.11.13日、起訴。東京地裁で初公判。被告佐藤兄弟は捜査段階では認めていたが、初公判では、「火で焼かれるような取り調べを受け、支援者への迷惑を食い止めるため、体験していない事実である収賄を認める供述をした。日本は法治国家と信じている」(前知事)と述べ、裁判所に真相解明を訴えた。実弟も「検事から怒鳴られたりした恐怖心で、1日も早く出たかった」と法廷で証言している。弁護側は「初めから栄佐久被告を狙った極めて不当な見込み捜査。脅迫や暴力など常軌を逸した取り調べによる供述で立証された冤罪(えんざい)事件だ」と主張した。主任弁護人の宗像紀夫弁護士は元東京地検特捜部長で“古巣”の捜査手法を知る。「主任検事に何度か(抗議を)申し入れた」と語る。

 2008.8.8日、東京地裁刑事第5部(山口雅高裁判長)は、佐藤栄佐久・前福島県知事を収賄罪で懲役3年(執行猶予5年)、実弟祐二被告を収賄罪の共犯と公共工事の競争入札妨害で懲役2年6カ月(執行猶予5年)、追徴金7372万円余りの支払いを命じる有罪判決を言い渡した。東京地裁判決は、検察側の主張に沿って被告・弁護側の無罪主張をほぼ全面的に退けた。

 佐藤栄佐久被告(69)と弁護人が8日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。栄佐久被告は次のようなコメントを発表した。

 概要「一切、事実がないことは、わたしが一番よく知っている。存在しない事実が認定され、非常に残念」。

 弁護人は判決を不服として「控訴を検討している」とした。終始、淡々とした表情で会見に応じたが、「弁護団がつぶしてくれたと思った検察側の主張が判決では生き返っていたのが残念だ」と判決への不満をあらわにした。弁護人の宗像紀夫弁護士(元東京地検特捜部長)は、「今回の判決は誤判である。裁判所は真実にたどり着いていない。承服できない」と言い切った。

 弟の祐二被告(65)は、弁護団を通じて次のようなコメントを発表した。

 概要「法治国家日本は偽りだったのかと憤懣(ふんまん)やるかたない思いです。人格を否定し、事実をねじ曲げる検察を許容する裁判所による刑事司法が許されれたのでは、だれもが犯罪者に仕立て上げられてしまいます」。

 一方、東京地検の渡辺恵一次席検事は「有罪は証拠上、当然だ。主張の一部が認められず、執行猶予が付いた点については判決を検討し、今後の対応を決めたい」と話した。

 8.20日、佐藤栄佐久元福島県知事は、懲役3年、執行猶予5年とした1審東京地裁判決を不服として抗訴した。収賄や競売入札妨害の罪に問われ、懲役2年6月、執行猶予5年、追徴金約7400万円とされた実弟の祐二被告(65)側も控訴した。


【地裁判決文】

 【主文】

 佐藤栄佐久被告を懲役3年に、佐藤祐二被告を懲役2年6月に処する。被告人両名に対し5年間、その刑の執行を猶予する。

 【罪となるべき事実】

 1 被告人は共謀して、前田建設が福島県知事である栄佐久被告から木戸ダム工事を受注するのに有利な取り計らいを受けた謝礼として、前田建設元副会長から指示を受けた水谷建設に祐二被告の経営する郡山三東スーツが所有する時価8億円相当の工場敷地を8億7372万317円で買い取らせ、祐二被告が土地売却による換金の利益および売価価額と時価相当額の差額7372万0317円の供与を受けて、賄賂を受けとった。

 2 祐二被告は、福島県が平成16年8月20日に施行した県北流域下水道整備工事を東急建設と佐藤工業に落札させようと、栄佐久被告の支持者の設備会社社長らと共謀して談合した。

 【争点に対する判断】

 第1 競売入札妨害

 祐二被告と設備会社社長は、栄佐久被告の選挙資金を捻出するために、福島県発注の公共工事を受注するために働きかけてきた建設業者に当該公共工事を受注させて、その見返りに金員の供与を受けており、その一環として東急建設及び佐藤工業の共同企業体が本件下水道工事を受注したものと認められる。祐二被告は東急建設を受注業者として選び、謝礼を受け取って栄佐久被告の選挙資金に充てているから、祐二被告がこの入札妨害の共同正犯になることは明らかである。

 第2 土地売買の趣旨

 祐二被告は前田建設元副会長らから木戸ダムの受注の依頼を受け続けていた上、福島県元土木部長に前田建設が木戸ダム工事を受注できるように働きかけを行い、前田建設元副会長に木戸ダム工事を行う共同企業体に裏の施工者を入れるように要請し、元副会長の尽力で前田建設及びその関連会社から郡山三東スーツに合計4億円の融資を受けていることなどが認められる。これらの事実から、祐二被告は前田建設が木戸ダム工事を受注できた謝礼の趣旨として水谷建設に土地を買い取ってもらったものと認定できる。

 第3 本件収賄の共謀等について

 栄佐久被告は福島県元土木部長に前田建設による木戸ダム工事の受注を働きかけており、また前田建設から郡山三東スーツが援助を受けるため郡山三東スーツの取締役を辞任している。これらの事実から祐二被告は平成14年5月か6月ごろ、栄佐久被告に本件土地を前田建設の紹介で水谷建設に売却することを報告したことが認められる。

 栄佐久被告にとって、郡山三東スーツの経営状態改善は政治生命に関わることであり、たとえ土地売買に関する詳細を知らなかったとしても郡山三東スーツにとって土地を金銭に換えること自体が利益供与に当たることは認識していたといえ、栄佐久被告は祐二被告と通じて土地売却をしたと考えられる。

 第4 祐二被告の検察官調書の任意性

 祐二被告は検察官調書の中で栄佐久被告の選挙活動について検察官が誘導するはずのない信条を吐露している。よって祐二被告の検察官調書の信用性は高いと言える。

 第5 本件土地を売却したことによる利益

 1 証拠から、本件土地の平成14年8月時点の相当価格は、高くとも8億円を超えるものではないと認められる。

 祐二被告は、郡山三東スーツを経営し、同社からの報酬で生活し、同社の債務を通常個人で連帯保証しており、郡山三東スーツの経済的な負担を最終的に引き受ける立場にあって、郡山三東スーツの経済的な負担を解消するために供与された利益を享受する立場にあったから、郡山三東スーツに供与されたこのような利益は、とりもなおさず祐二被告に供与されたものと認めることができる。

 2 水谷建設から追加して1億円が支払われたのは、本件土地の売買契約がすべて履行された後になって、本件土地の売買代金では郡山三東スーツの資金不足を補い切れなかったため、祐二被告が申し出たことによるのであり、売買契約の内容になる事実関係を理由にするものではないから、郡山三東スーツに利益を供与する趣旨で支払われたものであっても、追加された1億円が本件土地の売買代金に含まれると認定することはできない。

 本件土地の売買と追加して1億円の支払いを受けたことは、別個の独立した行為であり、祐二被告は追加して1億円が支払われることを栄佐久被告に報告していなかったと認められることから、追加した1億円の支払いを受けることについて被告人両名の共謀があったとは認められない。

 【量刑の事情】

 本件収賄は、収受した利益が多額にのぼっている上、祐二被告が自ら経営する会社の再建資金を得るため主導して行ったものであり、祐二被告は、本件以外にも、木戸ダム工事を受注した見返りに、前田建設などから郡山三東スーツに経済的な援助を受けており、栄佐久被告は祐二被告から報告を受けた後、元福島県土木部長に前田建設による木戸ダム工事の受注を働きかけている。

 本件入札妨害は、祐二被告が、栄佐久被告の選挙資金に充てるため、福島県発注の公共工事の受注業者を選定して、その見返りに金員の供与を受けることを繰り返していた一環として行われたものであり、東急建設は設備会社社長らに1300万円を供与し、そのうち1000万円は祐二被告のもとに届けられ、そのうちの800万円は栄佐久被告の選挙資金にあてられている。

 本件各犯行の背景には、福島県発注の公共工事に関する不正が介在していたというほかなく、談合により公共工事が実際よりも高額で発注され、受注した建設会社に帰属したその利益の一部が還流して、栄佐久被告の選挙資金、郡山三東スーツの再建資金に充てられていた。

 しかし、本件土地の売買代金は、不動産取引を仲介する正規の業者が介在して決定されており、その業者が許容できないほど高額なものであったとは認められない上、本件収賄は、郡山三東スーツの従業員に退職金を支給してその生活を保障しようとして行われた側面も否定できない。

 また、栄佐久被告は、祐二被告が、公共工事の受注業者を選定してその見返りに金員を得ていたことに、積極的に関与してはおらず、本件収賄においても、祐二被告の報告を了承し、元県土木部長に対して発言をしたほかは、積極的な役割を果たしておらず、祐二被告が収受する利益も明確には把握していなかった。

 祐二被告は、郡山三東スーツの経営が悪化し、さらには、政治資金規正法が改正されて、無所属で立候補する栄佐久被告が企業から政治資金を受けられなくなるなど、追いつめられるなかで、やむなく本件各犯行に及んでいる。

 これらの事情に加えて、祐二被告から本件収賄により得た利益7372万円余りを追徴することを考慮すれば、被告人両名をそれぞれ主文の刑に処した上、その刑の執行を猶予するのが相当である。


【高裁判決考】
 2009.10.14日、控訴審の東京高裁は、佐藤元福島県知事に対し懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の東京地裁は懲役3年、執行猶予5年だったから、さらに罪が軽くなったことになる。然しながら、判決内容が次のようにデタラメなものとなっている。「収賄額ゼロ」が認定され佐藤前知事を有罪とする前提が全て崩れているにも拘わらず、「無形の賄賂」や「換金の利益」など従来の法概念にない不可思議な論理と論法で有罪にしている。不可解極まる判決であり、「一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっている」と云う。これを確認する。

 二審では、一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在が否定されたにもかかわらず、「無形の賄賂」があったとして有罪判決に踏み切っている。その賄賂の根拠というのは、佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。東京地検特捜部は、著者の実弟が経営する会社の土地をゼネコンが買った価格と、市価との差額1億7千万が賄賂だとしていた。

 判決は、弟の土地取引から得た利益を佐藤氏自身が受け取ったわけではないことを踏まえ、賄賂の金額が「ゼロ」だと、贈収賄裁判史上大変珍しい判断をした。しかしながら、佐藤氏を収賄で有罪としている。ところが、その建設会社はその後更に高い値段で土地を売却していることがわかり、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩れてしまっている。そこで、検察は、「換金の利益」つまり、仮に正当な値段であったとしても土地を買い取ってあげたことが「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを認めた。つまり、取引が正当な価格でなされていたとしても、土地取引そのものが賄賂にあたると認定されたことになる。佐藤氏は、「セミの抜け殻のような判決」と評している。他にも、佐藤前知事時代のダム事業が槍玉に挙げられている。一般競争入札案件であるにもかかわらず、佐藤氏の「天の声」が認定されている。

 佐藤氏が原発に反対し、原発銀座とまで呼ばれ10基もの原発を有する福島県で原発が止まってしまったことが、日本の原発政策全体に多大な影響を与えていたことも、今回の事件と関係があるのではないかと疑う声がある。佐藤氏自身は、自分が検察に狙われなければならない理由はわからないとしながらも、1年以上もの長期にわたり、佐藤氏の周辺を検察が捜査しているとの情報はあったと述べており、最初から佐藤氏を狙った捜査であった可能性を示唆している。

Re::れんだいこのカンテラ時評612 れんだいこ 2009/10/18
 【佐藤栄佐久・元福島県知事国策逮捕−裁判考】

 2009.10.14日、東京高裁は、佐藤栄佐久・元福島県知事の贈収賄事件控訴審で、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の東京地裁は懲役3年、執行猶予5年だったことを思えば罪が軽くなったとみなせようが、事実はさにあらず。事件がミニロッキード事件の様相をますます示しつつある。かの時の判決もデタラメなものであったが、本事件では更に定向進化しており、かような容疑で罰せられるものかという呆(あき)れた法理論と論法を晒している。到底容認できないので、れんだいこが反発しておく。

 既に「『物言う知事』はなぜ抹殺されたのか【佐藤 栄佐久前福島県知事】(マル激トーク・オン・ディマンド)」が発信しており次のように述べている。概要「佐藤前知事を有罪とする前提が全て崩れているにも拘わらず、『無形の賄賂』や『換金の利益』など従来の法概念にない不可思議な論理と論法で有罪にしている。不可解極まる判決であり、一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっている」。
 (ttp://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/478.html)

 れんだいこは、この一文でピンときた。これはロッキード事件と同じ臭いがする。ならば確認してみなければなるまい。そういう訳で、ネット検索から情報を仕入れ整理してみた。多くの評者が例の如くピンボケ評論しているが、れんだいこプリズムを通せば、かようなことになる。

 佐藤栄佐久氏は1939年、福島県生まれ。1963年、東京大学法学部卒業。1983年、参議院議員選挙で初当選。1987年、大蔵政務次官。1988.9月、松平勇雄が勇退した福島県知事選挙に、伊東正義や斎藤邦吉らの支援を得て出馬し初当選。以来、連続5期、18年務めていた。このことは、手堅い県政で県民の支持を得ていたことをもの語っていよう。

 ところが、2001年の小泉政権の登場とともに暗転し始める。小泉政権の「三位一体改革」と称しながらの地方切り捨て、東京一極集中政策が、「地方主権」を唱える佐藤知事を悩まし始める。やがて、佐藤知事は「地方の痛み」を強調し続け、一貫して小泉政治に異議を唱える知事の一人となっていった。小泉政権の道州制推進策に対しても、「道州制によって大都市一極集中を招いてはならない」と消極的な姿勢を採った。佐藤知事以外に道州制を拒否する県知事には、井戸敏三・兵庫県知事や西川一誠・福井県知事がいた。佐藤福島県知事は、自治体合併(市町村合併と県合併の両方)ブームにも棹差した。国策に反して「合併しない市町村も支援する」立場を明言し、田中康夫(2000年秋〜2006年秋の長野県知事。その後、新党日本党首)と共に孤高の反中央知事の立場を維持していた。やがて田中康夫の落選と佐藤栄佐久の辞職により、「合併しない市町村も支援する」立場を掲げる知事は1人もいなくなる。この間、片山義博元鳥取県知事や浅野史郎元宮城県知事は、出身母体である中央省庁に尻尾を振って寝返っていた。

 こういうユニークな姿勢を見せる佐藤県政の圧巻は、国策の原子力行政に対するアンチの姿勢にあった。1989年正月、福島県浜通り内の東京電力の福島第二原発で再循環ポンプ破損の大事故が起きた。チェルノブイリ事故から間もない頃で、原子力発電の危険性が指摘されている時機でもあった。当然、地元で原発の安全性への不信が高まり、原発の運転再開を巡って2年越しの真剣な反対運動が繰り広げられることになった。しかし、県は中央の要請を無視しえず、運転再開の地元了解を発し、1990年末、再稼動に至る。

 1999年秋、隣県の茨城でJCO臨界事故が起こる。折から福島第一原発3号で開始されるプルサーマル用燃料が専用港に入港した翌日であった。3年越しの反対運動にもかかわらず、県は前年の夏、他県に先んじてプルサーマル実施の地元事前了解を与えていた。しかし同時に輸送されてきた関西電力のプルサーマル燃料を巡る不正が確認され、原子力行政への不信は頂点に達した。東電は自主的にMOX燃料の装荷を見送った。

 この間、東電や経産省は事故隠しに躍起となった。佐藤知事は、この過程で、プルサーマル計画の政策変更のいい加減さ、官僚の絶対無責任体制を危惧し始め、次第に原子力発電行政そのものに反対の立場を明らかにして行った。2003年、経済産業省原子力安全・保安院が 福島第一原発6号機の「安全宣言」を出したことで同機の運転を福島県が認めるか否かが焦点となったが、佐藤県知事は、「県民 の意見を聴く会」を予定するなど慎重を期す姿勢をとった。同年6.19日、グリーンピースが、福島第一原発6号機の運転をするべきではないという趣旨の書簡(添付資料参照)を送り、慎重姿勢を見せている知事にエールしている。

 佐藤知事は、郵政民営化、飲酒運転厳罰化などへの姿勢も含めて、一貫して反小泉政治の姿勢を際立たせていた。小泉政権にとって煙たい存在bP知事となっていた。この情況を見据えながら次の動きを見てとらねばならない。佐藤知事の身辺捜査が執拗に開始された。時に尾行までつき一挙手一投足が監視されるようになった。佐藤氏自身が、自分が検察に狙われなければならない理由はわからないとしながらも、1年以上もの長期にわたり佐藤氏の周辺を検察が捜査しているとの情報はあったと述べている。

 2006.7.8日、佐藤県知事の実弟・祐二が営む縫製会社「郡山三東スーツ」本社が、不正な土地取引の疑いで検察の家宅捜索が入り、一挙に耳目を集めることとなった。この頃から例によって検察とマスコミの二人三脚が始まる。ロッキード事件と瓜二つの構図となる。2002年に「郡山三東スーツ」が水谷建設に土地を売った際の価格が時価より高額との嫌疑が寄せられ、水谷建設の所得隠しとその使途への捜査から収賄の疑いで知事周辺へと特捜の手が伸びていった。やがて「県発注の公共工事を巡る談合汚職事件」として仕立て上げられていった。

 9.25日、佐藤県知事の実弟・祐二が競売入札妨害の疑いで逮捕された。続いて、福島県発注工事を巡る談合事件の絡みで元県土木部長が逮捕された。佐藤の辞職を求める動きが強まりマスコミが後押しする。9.27日、佐藤県知事は、実弟や元県土木部長が逮捕されたことに対する道義的責任を取る形で任期途中での辞職を表明するに至った。概要「県民に迷惑をかけ、心からおわびする。道義的責任を取り、18年間の職務に自らの手で終止符を打つ決意をした」と辞職表明した。9.28日、県議会で辞職が許可された。

 10.23日、佐藤県知事は、東京地検によりダム工事発注をめぐる収賄の容疑で逮捕された。例によって東京地検であることに注目されたい。当時の大鶴部長が、「福島県汚職を絶対に上げろ。そうでないと俺の出世にかかわる」と部下に語ったと、最近の週刊誌で報じられている。

 当時の民主党幹事長・鳩山由紀夫は、「佐藤栄佐久・前福島県知事の逮捕にあたって」と題する次のようなコメントを発している。「本日、佐藤栄佐久・前福島県知事が収賄容疑で逮捕された。容疑通り、佐藤前知事が公共工事の発注をめぐり不正な利益を得ていたとすれば、県政のトップとしてあるまじき行為であり、その責任は極めて重大である。発端となった談合事件では、すでに佐藤前知事の実弟らが逮捕・起訴され、謝礼を受け取り県知事選挙に利用した疑いももたれている。捜査を通じて一連の事件の全容が解明され、その責任が明らかになることを期待する。3日後には、佐藤前知事の辞職に伴う県知事選が告示される。県政を刷新し、公正公明で県民の立場に立った県政を実現するよう全力を挙げたい。以上」。

 このコメントから、佐藤氏の県知事としての有能性を認め、これを支援するのではなく、検察、マスコミと一体となった包囲網を敷く同じ穴のムジナ的本性が透けて見えてこよう。これが鳩山式正義の裏舞台であろう。但し、鳩山ばかりが責められるには及ばない。当時の他の政党がどう対応したのだろうか。共産党は、ロッキード事件の時と同じく、「佐藤金権」を仕立て上げ攻めまくったのだろうか。社民党も御用提灯もって参列したのだろうか。

 逮捕された佐藤知事は当初は全面的に関与を否認したが、その後の連日の聴取を経て全面的に自身の関与を認め、自白調書に署名をしている。これを受け、起訴される。佐藤氏はこの点について次のように述べている。概要「苛酷な取り調べによって自白に追い込まれたのではなく、自分を応援してきてくれた人達が検察の厳しい取り調べに苦しめられていることを知り、それをやめさせるために自白調書にサインをした。また、早い段階で自白をしたおかげで、真実を求めて戦う気力を残したまま、拘置所から出てくることができた。自白調書に署名をしたこと自体は悔やんでいない」。

 なお、同年11.15日、和歌山県の当時の知事・木村良樹が、12.8日、宮崎県の当時の知事・安藤忠恕が、同じく官製談合事件で逮捕された。3ヶ月間に3人の知事が、同じような事件で刑事責任を追及される事態となり、大きな波紋を広げる事態になった。

 2006.11.13日、東京地裁で初公判。佐藤元県知事は、「火で焼かれるような取り調べを受け、支援者への迷惑を食い止めるため、体験していない事実である収賄を認める供述をした。日本は法治国家と信じている」と述べ、裁判所に真相解明を訴えた。実弟も「検事から怒鳴られたりした恐怖心で1日も早く出たかった」と法廷で証言している。弁護側は「初めから栄佐久被告を狙った極めて不当な見込み捜査。脅迫や暴力など常軌を逸した取り調べによる供述で立証された冤罪(えんざい)事件だ」と主張した。主任弁護人の宗像紀夫弁護士は元東京地検特捜部長で、“古巣”の捜査手法を知る。「主任検事に何度か(抗議を)申し入れた」と語る。

 2008.8.8日、東京地裁刑事第5部(山口雅高裁判長)は、佐藤元県知事を収賄罪で懲役3年(執行猶予5年)、実弟祐二被告を収賄罪の共犯と公共工事の競争入札妨害で懲役2年6カ月(執行猶予5年)、追徴金7372万円余りの支払いを命じる有罪判決を言い渡した。東京地裁判決は、検察側の主張に沿って被告・弁護側の無罪主張をほぼ全面的に退けた。

 同日、佐藤被告(69)と弁護人が東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。佐藤被告は、概要「一切、事実がないことは、わたしが一番よく知っている。存在しない事実が認定された。弁護団がつぶしてくれたと思った検察側の主張が、判決では生き返っていたのが残念だ」と話した。弁護人は、判決を不服として「控訴を検討している」とした。宗像主任弁護人は、「今回の判決は誤判である。裁判所は真実にたどり着いていない。承服できない」と言い切った。

 弟の祐二被告(65)は、弁護団を通じて概要「法治国家日本は偽りだったのかと憤懣(ふんまん)やるかたない思いです。人格を否定し、事実をねじ曲げる検察を許容する裁判所による刑事司法が許されれたのでは、だれもが犯罪者に仕立て上げられてしまいます」とのコメントを発表した。

 一方、東京地検の渡辺恵一次席検事は「有罪は証拠上、当然だ。主張の一部が認められず、執行猶予が付いた点については判決を検討し、今後の対応を決めたい」と話した。8.20日、佐藤元福島県知事は、1審東京地裁判決を不服として抗訴した。実弟の祐二被告(65)側も控訴した。かくて公判闘争が続行する。

 2009.10.14日、控訴審の東京高裁は、佐藤元福島県知事に対し懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。一審の量刑より軽くなったが、判決の法理と論法が更に滑稽なものになった。ロッキード事件同様、「始めに判決ありき」の感を深めるものになっている。

 元々の賄賂の根拠というのは、佐藤氏の弟が経営する会社が水谷建設に土地を売却した際、その売却額が市価よりも1割ほど高かったので、その差額が佐藤氏に対する賄賂に当たるというものだった。東京地検特捜部は、著者の実弟が経営する会社の土地をゼネコンが買った価格と、市価との差額1億7千万が賄賂だとしていた。ところが、弟の土地取引から得た利益を佐藤氏自身が受け取ったわけではないことが明らかにされた。しかも、買った側の建設会社はその後更に高い値段で土地を売却していることが判明させられ、「市価より高い値段による賄賂」の大前提が崩れてしまった。

 二審判決は、これを踏まえ、賄賂の金額が「ゼロ」だと認定した。つまり、一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在を否定せざるを得なかった。にも拘わらず、罪を被せる為にどのように言い渡したか。「無形の賄賂論」なるものを編み出し有罪判決に踏み切っている。検察が、仮に正当な値段であったとしても土地を買い取ってあげたことが「無形の賄賂」の供与にあたると主張し、裁判所もそれを認めたことになる。他にも、佐藤前知事時代のダム事業が槍玉に挙げられている。一般競争入札案件であるにもかかわらず、佐藤氏の「天の声」が認定されている。佐藤元県知事は、「セミの抜け殻のような判決」と評している。

 ところで、検察−裁判所司法の、こういう法理と論法を許して良いものだろうか。この法理と論法によれば、人は誰でも容易に罪を被せられることになろう。これは、法の正義を守る立場の司法当局による「上からの法破り」であり、この判決に加担した者は訴追されるべきではなかろうか。鳩山政権が、司法のかような暴走を許すようではお先真っ暗と云わざるをえまい。れんだいこに云わせれば、東京地検と裁判所司法の結託による「上からの法破り」に対して、人民大衆的糾弾闘争で責任者を処罰することこそ法治国家の責務であろう。こういうところを見落とすと、後々暗い時代に道を開くことになろう。

 さて、最後に云い添えておく。佐藤元知事逮捕の舞台裏事情を詮索しておこう。佐藤元県知事は、原発銀座とまで呼ばれ10基もの原発を有する福島県で原発を止めた。このことが、日本の原発政策責任者の怒りを呼び、報復逮捕となった可能性が強い。日本の原子力行政は、ナベツネの親玉にして戦前は治安警察のドンとして、戦後は国際金融資本のエージェントとして今日的に知られている正力松太郎と小玉、中曽根のスリータッグにより始まった。戦後の再軍備も、この連中により後押しされた。逆に云えば、日本の防衛政策と原子力政策こそが国際金融資本の意を挺したキモであり、ここにこそ真の金鉱利権が介在していることになる。これにメスを入れようとした者は次から次へと葬られる。佐藤元知事もその犠牲者の一人として遇するべきではなかろうか。かく見立てれば、この事件は小さくない意味をもっていることになる。誰か、かく共認せんか。

 2009.10.18日 れんだいこ拝

【最高裁判決】
 2012.10.16日、佐藤元福島県知事に対する最高裁の判決が下されたが、「検察の立件容疑を認定せず。だがしかし執行猶予付きの有罪」なる珍妙な判例になっている。これを確認しておく。
 佐藤元福島県知事に対する最高裁判決  2012-10-18

 16日に佐藤元福島県知事に対する最高裁の判決が出ました。この事件は佐藤栄佐久元福島県知事が、福島県が発注した木戸ダムを前田建設工業が工事受注したことについて、賄賂を受け取って便宜を図ったとの裁判でした。検察が賄賂として立件していた部分は

1.元知事の実弟の経営する会社の土地をダム工事受注の便宜を図った謝礼として下請業者だった水谷建設が買い取り、その換金の利益部分
2.現金1億円の授受
3.売買代金を相場よりも高くしたことによる7300万円

 以上三点でした。

 最高裁が認定した部分は、元知事の実弟の経営する会社の土地を、ダム工事受注の便宜を図った謝礼として、ダムの施工会社の下請けだった水谷建設が買い取り、その換金の利益が賄賂に当たるという理由だったのです。最高裁は検察による見立て捜査を批判して、前記2.3の部分1億7300万円を賄賂として認定しなかったにもかかわらず、執行猶予付きの有罪としました。ちょっと意味がわかりません。この事件は陸山会事件でも捜査のきっかけを作り、5000万円の現金を渡したと主張している水谷建設によるデタラメな証言に、検察が乗って事件化した事から始まったと言えます。さらに、元福島県土木部長が知事からの「天の声」があったと証言していますが、実は部長自身の収賄の事実を隠すためだったという説もあります。この元部長の自宅机から多額の現金が押収されている事実もあるのですが、これは裁判にあたって証拠として採用されていません。

 これらを総合すると、東京地検特捜部が手がけた典型的な「見立て捜査」であると言えると思います。そして、検察の見立て捜査を最高裁も指摘し、批判している。しかし最高裁は無罪とはしないという....推定無罪の原則はどこに行ったのか。裁判所は検察の顔を立てるために、事実上無罪に等しい執行猶予付き判決を出したのではないのか。いずれにしても、日本の司法の問題点が凝縮したような事件であり、判決であると思います。日本が正常な法治国家となるのには、まだまだ時間がかかると感じる事件です。

【最高裁判決考】
 佐藤栄佐久・福島県元知事の冤罪」を転載する。
 佐藤栄佐久・福島県元知事の冤罪 2012年10月18日

 最高裁の上告棄却で、二審の有罪判決が確定した。収賄罪の根底が崩れているのに、検察の控訴と被告の控訴を両方棄却する形で、国家権力のメンツを守ろうとした最高裁第一小法廷の裁判長、桜井龍子判事をFACTAは断罪する。桜井判事の判断は歴史的誤審であり、検察の国策捜査と同罪です。桜井判事は法曹にいる資格がない。地の果てまで、FACTAはこの裁判官を追跡します。この事件についてはFACTAが他のメディアに先駆けて問題性を訴えてきた。最高裁決定を受けて、佐藤氏からこのようなメッセージが寄せられたので紹介しよう。

 最高裁判所決定についてのコメント 平成24年10月16日 佐藤栄佐久

 本日10月16日、最高裁判所は、私、佐藤栄佐久の上告を棄却する決定を下しました。私は、この裁判で問われている収賄罪について無実であり、最高裁の決定には到底、承服できません。真実から目を背けるこの国の司法に対して、大変な失望を感じています。そもそも、この事件は「ない」ものを「ある」とでっち上げた、砂上の楼閣でした。

 福島県の「木戸ダム」建設工事入札で、私と弟が共謀して、私が県の土木部長に対してゼネコンを指定する「天の声」を発する一方、そのゼネコンが、私の弟が経営する会社の土地を下請のサブコンを使って、市価よりも高い値段で買わせることで賄賂にしたというのが、東京地検特捜部の見立てでした。これにより、私と弟は収賄罪で突然逮捕され、世間から隔絶された東京拘置所の取調室で、特捜部の検事から身に覚えのない自白を迫られました。検事は、時にはどなりつけ、時にはなだめ、私から収賄の自白を取ろうとしました。私の支持者たちが軒並み特捜部に呼び出されて厳しい取り調べを受けている、それによって自殺未遂者も出ている。私は独房の中で悩み、そして、「自分ひとりが罪をかぶって支持者が助かるなら」と、一度は虚偽の自白をいたしました。しかし、私は知らなかったのです。東京地検特捜部が、あまりにも無理な接ぎ木を重ねて収賄罪の絵を描いていたことを。

 裁判が始まると、収賄罪の要件は次々に崩れていきました。私が知事室で土木部長に発したという「天の声」は、弁護団の調べで、どう考えても不可能だというアリバイが証明されました。また、「知事への賄賂のつもりで弟の会社の土地を買った」と証言したサブコン水谷建設の水谷功元会長は、「検事との取引でそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」というメールを、宗像紀夫主任弁護人に送ってきています。一方で、私から天の声を聞いたという土木部長の自宅からは、出所不明の札束が2600万円以上も見つかり、事件の構図は全く違うのではないかという、大きな疑いが出て参りました。特捜部の描いた収賄罪の構図は、完全に崩れてしまったのです。

 私の弟は、東京拘置所の取調室で、担当の検事からこんなことを言われていました。「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」今にして思えば、これが事件の本質だったのかも知れません。

 私は知事在任中、東京電力福島第一・第二原発での事故やトラブルを隠蔽する、国や電力会社の体質に、福島県210万県民の安全のため、厳しく対峙していました。国から求められていたプルサーマル実施についても、県に「エネルギー政策検討会」を設置して議論を重ね、疑義ありとして拒否をしていました。事件は、このような「攻防」を背景に起きました。

 大変残念ながら、その後プルサーマルを実施した福島第一原発3号機を含む3つの原子炉が、福島原発事故でメルトダウンを起こし、私の懸念は、思っても見ない形で現実のものとなってしまいました。私たちのかけがえのない「ふるさと福島」は汚され、いまも多くの県民が避難を余儀なくされる事態が、いまだ進行中です。苦難を余儀なくされ、不安のうちに暮らしている県民を思うとき、私の胸はひどく痛みます。

 一方、私の事件の直後に起きた郵便不正事件のフロッピーディスク証拠改竄事件の発覚によって、特捜検察の、無理なストーリーを作っての強引な捜査手法が白日の下にさらされました。フロッピー改竄事件で実刑判決を受け、服役した前田恒彦検事は、私の事件で水谷功氏を取り調べ、水谷氏に取引を持ちかけた検事その人なのです。

 当然、私の事件はすべて洗い直され、私には無罪判決が言い渡されるべきでした。しかし、最高裁は私と検察側双方の上告を棄却した、そう聞いています。

 確定した二審判決である東京高裁判決は、大変奇妙なものでした。私と弟の収賄を認めたにもかかわらず、追徴金はゼロ、つまり、「賄賂の金額がゼロ」と認定したのです。そして判決文では、「知事は収賄の認識すらなかった可能性」を示唆しました。ならば無罪のはずですが、特捜部の顔も立てて、「実質無罪の有罪判決」を出したのです。

 今日の決定は、こんな検察の顔色を伺ったような二審判決を、司法権の最高機関である最高裁判所が公式に認めたということなのです。当事者として、こんな不正義があってよいのかと憤ると同時に、この決定は今後の日本に間違いなく禍根を残すと心配しています。

 福島県民のみなさま。日本国民のみなさま。私は、弁護団とも相談しながら、今後とも再審を求めることを含めて、無罪を求める闘いを今後も続けていきます。どうか、お心を寄せていただきますようお願い申し上げます。


 2011.4.18日、「外国特派員協会記者会見:冒頭発言全文」。
 以前、福島県知事をしておりました、佐藤栄佐久と申します。福島第一原発は、できてから今年でちょうど、40年になるところでした。そのうち18年、約半分の期間、私は知事として、原発が次々巻き起こした問題に取り組みました。わたくしは、今度の事件は、起こるべくして起きたものである、決して「想定外」ではなかったと、そう思っております。なぜ、防げなかったのかについて、本日は述べようと思います。この先、日本は原子力発電についてどんな政策をもつべきか、それについてもお話します。簡潔に述べまして、なるべく多くの質問を頂戴します。それから、今日は原発のことしか話しません。もっと色々、私には話すことがあるのですが、それには、ざっと3時間半かかります。興味がある方は、ここにわたしの本を持ってきていますから、ぜひ買って帰ってお読みください。

 本題に入ります。なぜ、今度の事故は防げたと思うのか。理由の1つは、去年、2010年の6月に起きたある事故です。実は、今度とそっくりの事故が福島第一で起きました。6月17日のことです。福島第一原発の2号機で、なぜか電源が止まり、原子炉へ水を入れるポンプが止まりました。冷却水が入らなくなって、原子炉の中の水が蒸発し始めました。今度と同じです。放置すると燃料棒が熱で崩れ、最悪の事態につながる恐れが生じたのです。東京電力の説明によると、このときは非常用ディーゼル発電機が動いたそうです。それで、ポンプを手動でスタートさせ、水を戻すことができたということです。しかし、電源を失うと何が起きるのか、東電はこのとき、意図しないかたちで予行演習をしたようなものです。これでもし、非常用ディーゼル発電機までやられたらどうなるかということは、当然心配しておかなくてはいけない事故でした。電源について、もっと安全を図っておくことは、この事件ひとつを教訓としただけでも、可能でした。それが、理由の第一です。

 理由の2は、日本の原発政策は、地震をずっと軽視してきたということです。詳しくは触れませんが、神戸大学名誉教授の石橋克彦さんなどが、地震研究の進歩を踏まえ、原発の耐震基準が甘すぎると、たびたび警告しておりました。今度の地震で、原子炉は自動停止し、当初は建屋もびくともしなかったから、むしろ耐久力が実証されたという人がいます。しかし、石橋教授が口を酸っぱくして言っていたのは、大きな地震が起きると、同時に色々な損害が起き、それが重なり合うと手に負えなくなる、ということでした。現に、今回も全電源喪失という事態となり、水素爆発が起きてからは、作業にも支障をきたすということになったのですから、地震に耐えたことなど、慰めにならないわけです。石橋教授は、今から5年前、国が原発の耐震基準を見直そうとしたとき、専門委員としてその作業に関わっていました。しかし、耐震基準を厳しくするといっても、いまある原発がひっかからない程度にするだけだということがわかったとき、抗議の意味を込めて、委員を辞めています。地震の怖さ、とくに大きな地震がいろんな損害を生むリスクを軽く見ていたこと。そして、電源がなくなったときの恐怖は、去年の6月、事故を起こしてよくわかっていたこと。と、これだけみても、福島第一の事故は防げたのだと、こう言えると思います。非常用電源を、津波でも大丈夫な場所に移し替えておきさえすれば、あんな事故にはならなかったわけです。

 さて、それではどうして、国や、電力会社は、原発のリスクに十分備えようとしてこなかったのか。それは、「安全でないかもしれない」という発想に立った政策には、まるでなっていないからです。あれだけ危険なものと共存していきたいなら、リスクに最大限備えようとするのが当たり前です。しかし、リスクがあるとにおわせることすら、タブー視する傾向がありました。つまり、日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っているのです。原子力発電は、絶対に必要である。だから、原子力発電は、絶対に安全だということにしないといけない。よく、東電という会社には、隠蔽体質があると、みなさん言われます。それじゃあ東電の経営者を全部入れ替えたら、直るのかということです。それから、保安院が経産省に入っているのはいけないから、これを出せ、という意見も聞きます。それをやるだけで直るのか、ということです。わたしに言わせると、そんなことでは直りません。福島第一原発、そして第二原発では故障やひび割れがたくさん見つかっていました。ところが、その点検記録を書き換えて、なかったことにしていたのです。それがわかったのが、2002年8月でした。このとき東電では、当時の社長と会長、担当副社長、それから元社長の相談役2人、合計5人がいっぺんに辞職しています。辞めた相談役の1人は、経団連の会長まで務めた財界の超大物でした。経営者を入れ替えろ、というのでしたら、一度それにちかいことを東電はしております。それでも、今度のことが起きたのです。

 日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である。燃やしてできるプルトニウムは、貯めすぎると外国から疑われるから、再利用しないといけない。つまり、必要だから必要なんだという理屈が、延々と続いていくのです。危ないから注意しろ、というと、私のように、国家にとっての危険人物と見なされてしまうわけです。これは、怖い理屈です。国会議員だろうが、だれであろうが、この理屈には立ち向かえません。そしてこれだけ有無を言わさないロジックが出来上がると、リスクをまともに計量しようとする姿勢すら、踏みつぶされてしまうのです。しかも、事実を隠したり、見て見ぬふりをすることが、まるで正義であるかのような、そんな倒錯した価値観までできるのです。すべては、原発推進というお国のためなのですから。こんな状態ですと、どれだけデータを見せられて安全だといわれても、安心できません。なぜなら、安心とは、サイエンスではないからです。安心とは、信頼です。違いますか? 原発を動かしている人を、国民が信頼できないと、安心はないからです。私は、いまある原発を全部止めてしまえという意見では、ありません。しかし、国民が原発に寄せる信頼がずたずたに壊れてしまった以上、いまのままの形で原発を続けていくことはできないと思います。

 そこで最後に、この先の原発政策をどうすべきか、私の意見を申し上げて、終わりにします。原子力安全委員会という、原発の安全政策の基本を決める組織があります。権限は、紙に書かれたものを見る限り、充実しています。しかし、実際には、ろくな審議もせず、有名無実です。まずは、安全委員会を完全な独立組織とし、委員を国民から選ぶ制度にする必要があります。その際には、わたしは喜んで手を挙げ、委員になろうと思います。ドイツやフランスは、原発政策を変えるときなど、何年も何年も、議論を尽くします。あらゆる過程に、市民の声が入る工夫をしています。そんな悠長なことをしていると、日本経済がダメになる、と、政府や電力会社は言うでしょう。これが、きょう私が申し上げた「絶対に必要だ、だから原発は安全だ」という原発絶対主義につながるのです。いまは、ありとあらゆる方法を尽くして、長い長い手間と暇をかけて、データや紙切れのうえの安全性でなく、信頼に裏打ちされた安心をつくらないといけないときなのです。日本の民主主義が、試されています。立派な仕組みをつくり、これなら安心だと、世界中の人に思ってもらう必要があります。そうしないと、ここははっきり申し上げておきますが、外国の人もお金も、日本には入ってこなくなります。原発を生かして、日本経済をつぶすことになります。それが、津波で命を落とした何千、何万の人たち、家を追われた何十万という人たちの、犠牲に報いる道でしょうか。原発に関わるすべての人たちは、この問いを、しっかり考えてほしいと思います。以上で私の発言を終わります。

 【以下英訳】

My name is Sato Eisaku, I was previously the governor of Fukushima prefecture.
This year marks the 40th anniversary since the Fukushima Daiichi nuclear power plant was built.
For about half of that time - 18 years - I dealt as governor with all manner of problems arising from the nuclear plant.

I believe that this current disaster was one waiting to happen.
It was not at all beyond expectations. This was no "black swan" event.

Today I would like to explain why such a disaster could not be prevented.
I would also like to say what policies Japan ought to have down the road, as regards nuclear power generation.

I will be brief so as to be able to field as many questions from the floor as possible.

Let me say, however, that today I will only speak about the nuclear plant issue.
There are many other things I would like to share with you, but that would probably take at least 3 hours and a half.
For those of you who are interested, I have brought copies of my book, so you are most welcome to purchase and read later.

Let us get into the heart of the matter. Why do I believe this current disaster could have been averted?
My first reason is based on an accident which occurred last year, June of 2010. In fact this particular accident is nearly identical to that which has occurred in Fukushima Daiichi this last March.

It was on June 17, 2010 that the incident occurred.
For some reason, the electricity supply failed in the second reactor at Fukushima Daiichi, and the pumps stopped sending water into the reactor. As the cooling system stopped, the water within the reactor began to evaporate. As happened this time. There was a risk that, left unattended, the fuel rods would become exposed and collapse from heat, leading to the worst possible scenario.

According to Tepco, the emergency diesel generators started and operators were able to manually restart the pumps and cooling system.

Less than a year ago, Tepco had experienced a test run, unintended though, of what would happen during an electric blackout. This was a malfunction which should have led them to naturally worry about what could happen if the emergency diesel generators had also failed.

It was possible to learn even from this single experience and plan for a more secure, safer, electricity supply.
This is my first reason to say that this current disaster could have been averted.

The second reason is that Japan's nuclear power policy has for long underestimated the risk posed by earthquakes.

I will not go into detail, but specialists such as Ishibashi Katsuhiko - professor emeritus of Kobe University - have repeatedly warned that the earthquake-resistance standards were far too lax, considering recent advances in seismology.

The nuclear reactors automatically stopped during the earthquake on March 11. The power plant buildings themselves stood intact at least at the outset - leading some to say this is proof that Japanese plants are earthquake-resistant. But professor Ishibashi had warned over and over that when large earthquakes happen, all sorts of things can go wrong. These damages accumulate and snowball into an uncontrollable situation.

As we know, in the current disaster, the nuclear plants lost their supply of electricity altogether. This resulted in hydrogen explosions which made it exceedingly difficult to contain and control the situation. To point out that the plants withstood the initial shock of the earthquake is cold comfort.

Five years ago, Professor Ishibashi acted as a member of a government committee to revise the earthquake-resistance standards of nuclear plants in Japan. He soon learned that, although the government talked of implementing "stricter standards", they were not to be set so high as to stop the operations of existing plants. He quit the committee in an act of protest.

In other words, those responsible had brushed off the many real risks posed by earthquakes, particularly large ones. Furthermore, Tepco had been given a chance to learn about the terror which could follow when electricity supply fails in the accident last June.

Just considering these two facts leads me to say that the Fukushima Daiichi disaster could have been prevented. Simply transferring the emergency generators to a place safe from Tsunami's way would have been enough to stop all this.

Why, then, have the government and utilities not adequately prepared against these risks?

Simply put, they had not taken measures on the premise that "things might not be safe".

If one wants to take advantage of such a horrendously dangerous thing as nuclear power, it is only natural to prepare to the fullest for every possible risk.
But even to indicate that there might be risks was made a taboo. Such was the prevailing tendency.

Japan's nuclear energy policy followed from a different set of premises. Their logic was as follows:
Nuclear power generation is absolutely necessary.
So nuclear power generation must be seen as being absolutely safe.

Everybody criticizes Tepco as having covered up many faults.
The question is whether things would improve by replacing all the company's top managers.

There are also others who say that the Nuclear and Industrial Safety Agency should not be under the control of METI (Ministry of Economy Trade and Industry). The agency should be made autonomous. But will the situation improve by splitting apart the agency?

In my view, those will improve nothing.

Consider this: many malfunctions and cracks had been found in the Fukushima Daiichi and Daini reactors in the past. But records of these inspections were falsified and made as if they never occurred.
That cover-up was made public in August of 2002.
At the time, Tepco's then president and chairman, vice president in charge, and two former presidents, then advisors - these 5 individuals resigned to take responsibility.

One of these advisors was former chairman of the Keidanren, a giant in Japan's business world. If you say they should replace the management, Tepco has already done something of the sort. And yet today's disaster has occurred.

"Japan absolutely needs nuclear power to supply electricity for its economy.
If Japan stores too much plutonium, generated from burning nuclear fuel, there would be concern from abroad. Japan must therefore re-cycle its nuclear fuel."
In other words, there is this inflexible mindset of one absolute following another, carried onto its extreme consequences.
Those who say that nuclear power is dangerous, like myself, are then treated as state enemies.

This is a truly terrifying logic, is it not? Whoever it maybe, be it a Diet member or governor, no one has been able to fight such logic thus far.

When an absolute logic which brooks no criticism is created, attempts to reasonably measure and deal with risk are crushed.

Even worse, a delusion emerges where people believe it is something like a cause, a righteous thing to hide facts and pretend as if nothing is wrong. Because promoting nuclear power is for the interest of the nation as a whole.

In such a situation, however much data is provided or how often we are reassured about safety, we will not feel safe. For the feeling of safety is not a science.
Feeling safe is all about trust - am I not right?
If the public cannot trust those responsible for the power plants, there is no sense of safety.

I am not saying that we must stop all existing power plants.
But now that public trust in nuclear power has been reduced to rubble, it is not possible to continue nuclear energy policy as before.

I would like to end by stating how I believe nuclear power policy should be changed for the future.

There is an organization called the Nuclear Safety Commission which determines the framework of how nuclear power plants operate.
Their powers, as written on paper, are considerable.
But in fact, the committee does little serious work and is essentially an empty shell.
The first step is to make the committee a completely independent organization and committee members directly elected by the public.
In that case I am happy to offer myself as a candidate for the committee.

When nuclear power plant policy is made in Germany and France, years and years of debate takes place. In every stage of the process, there are measures to reflect the public will.

The government and utilities are likely to respond by saying that Japan's economy can't wait for such a slow process. This is precisely the kind of attitude - "nuclear energy is absolutely necessary and so nuclear plants are absolutely safe" - which leads to this nuclear absolutism which I have pointed out today.

What is needed now is to create a sense of safety based on trust. A sense of safety not based on simply data and sheets of paper, but built up after a long and thorough process engaging all possible methods with the public.

This is a test for Japanese democracy.
We must make a flawless framework for operating Japan's nuclear power plants, one that the people of the world can feel safe about. If not - and I say this emphatically - foreigners and foreign money will no longer come to Japan. Japan will destroy its own economy only to save its current nuclear power plants.

I ask: is this the way to show our respect to the thousands who died in the Tsunami, tens and hundreds of thousands who have lost their homes? Those engaged in nuclear power policy should keep this question close to their hearts.

That is all for my statement.

 ■コメント

 『知事抹殺』を読みたいと思い、平凡社にアクセスしました。そこで思い出すのは、もう一つの“知事抹殺”でした。それは新全国開発計画の大規模開発地、志布志開発が計画されましたことにかかわります。1970年代でした。。その開発期、志布志湾に接する宮崎県の串間市や日南市の漁民たちが、鹿児島県志布志開発の影響を受けると賛成せず、その地元県民の意向を受けて、宮崎県知事はこの開発に賛成しませんでした。すると、宮崎県知事は違法行為があったとして、裁判にかけられ、辞職させられました。その失職記事をみて、やられたな、と思いました。そう思ったのは、一人の町長を思い出してのことでした。第一次の全国総合開発計画で、開発された茨城県の鹿島臨海工業地帯の建設当初、鹿島町長の黒沢さんは、この計画に反対をしていました。ところが、この黒沢町長は次期のの町長選挙で、選挙違反に問われ、裁判にかけられ、異例な速さで判決が下されて失職しました。あっという間に判決が決まりなした。“町長抹殺”でした。その失職直後、黒沢氏にあって、「本当に選挙違反をしたのですか」と尋ねました。すると、ぎょろっと私をにらみつけて黒沢氏は「おめえは、どこの生まれだ。選挙つうものを知らねえな」と笑われました。 そのちょっと前、私は、わが郷里、大分県南部で原発計画に反対するという小さな住民運動を報じた記事を、母が送ってくれた干物を包んだ地元紙の記事で読みました。そこで、三重県の南島町の漁民が原発に反対しているという新聞記事を目にしていましたので、伊勢市に行ったいでに、一泊の予定で南島町に寄り道をしました。町役場に原発反対の横断幕を張っていました。町役場の受付で、原発反対の話を聞きたいといいましたら、「わかる人はいません」とのこと。「郷里で原発問題がおこっているので、なぜ反対なのか、教えてほしい」と申しましたら、なんと、反対運動の事務局長が助役で、居留守をきめこんでいました。助役室に通された時、まず驚いたのは棚によく整理された記録を綴じたファイルでした。そのファイルをお借りして民宿に泊まって、書き取り、フィルムカメラで写し、翌朝、芦浜原発予定地にもっとも近い漁業集落の漁協に行って話を聞きました。ビラのあまりももらいました。そして漁民の原発学習に圧倒されました。漁民がもっとも信頼し、頼りにしたのは、中部電力が主催した原発講演会の講師陣のなかの東大教授でした。漁民の質問に「調査してみなければわからない」と答えた水産額研究者でした。この南島町旅行で、県や中部電力が豪華な見学旅行を案内する行き先が、東海村の原子力研究所だというので、後日、東海村にも行ってみました。その行程の途上で、出会ったのが、鹿島人工港の造成事業、住友金属の圧延工場の鉄骨組み立て現場でした。<この工場群、掘り込み港沿岸が、東日本大震災の被害を新聞記事で読みました。>
 中部電力が計画する芦浜は、東京電力の福島原発、関西電力の美浜原発と三点セットで企画されましたが、今なお建設を許していません。このような原発建設事業は半世紀の歴史となり、私にとっては忘れられない思い出がよみがえってきます。佐藤さんの本をぜひ読んでみたいとインターネットで注文しようとして、この「コメント」記入欄にであいました.

 事故後、政府は、子供や、原発労働者の被ばく限度量を上げ、また、野菜等生産物の安全基準も緩和しました。これまでの基準に対して、見せかけの『安全』だったのだとの疑念は一層深まりました。東電社長が、免責もありうるとの認識を示しましたが、安全への配慮を怠っていたことは、佐藤前知事が指摘する通りだと思っておりますので、免責は到底ありえません。今更なのですが、長野の松本市長菅谷氏が、チェルノブイリで、甲状腺がんの手術にあたった医師であると知りました。氏のような、経験者が事故後に対策を示していたにも関わらず、その意見に基づいた対策が、福島で取られなかったことが残念です。今も、放射能に対しての姿勢が、自治体で揺れております。私の大切な故郷福島が、よりよい未来を見いだせるよう、祈るばかりです。佐藤前知事のような方が先頭を切ってくださると心強いのですが。。今在住の四国では、この事故を受けて、四電の原子力対策本部が、高松から、松山に移転することがやっと決まったようです。伊方発電所は愛媛にあるのですから、当然ですが、これまでかなわなかったのです。事態はよい方向に向かっていると信じて、国民の一人として、声を上げていきたいと思います。

 郡山市民です。毎日地震と見えない放射能におびえながら生きています。郡山はまだ被害も少なく、他の県や、街の人たちと比べたら、全然いいほうです。でも、国の邪魔なものは、抹殺する。このような事実があるということ、とても怖くなりました。私も福島県に住んでいながら、原発のことについては、全く無知でした。学校でも詳しく教わらなかったと思います。教わっていたら、覚えていると思うからです。安全安全という売り文句があったからこそ、子供たちにも教育が無かったのではないかと思います。東電が色々な事実を隠し、内部告発も国も何もしない。こんなことがあったのですから、今TVで報道していることは信じることができません。TVで出ている放射能の数値も、実際とは違うようです。友達の病院の放射線科の方が調べたようです。TVとは違う数値が出てきたようです。数値を測っている場所も外ではなく、地上3階から測っているところもあるようです。でも私たちは、居場所がここしかないのです。逃げることはできません。逃げるお金もありません。国会中継見ますが、くだらないことしか話し合っていません。こんなに大変な事態になっているのに、協力もせずに、足の引っ張り合いです。。本当に安全、すぐに人体に支障はきたさない。そういうことを言うなら、今国会で毎日話し合っている政治家たちは子供や孫を福島県に住ませ、安全と言ったらいいのではないでしょうか。現地にも来ない癖に何ができるのでしょうか。あんな話し合いはどこでもできます。被害のあった県を回って行ったらいいのではないでしょうか。あんな無能な政治家のもとで暮らしているという環境がいやです。
 愛媛在住です。先日の、愛媛新聞を読みました。佐藤前福島県知事と、加戸前愛媛県知事が、それぞれ原発に対する今の考えを語るというものでした。加戸前知事が、まるで国の原発推進政策をそのまま読み上げたような原発容認の考えを述べたのに対して、佐藤前知事は、原発は未来において共栄できない施設だと述べておられました。30〜40年後には、廃炉と核廃棄物だけを子孫に残すことになると。愛媛県現知事は、いかなる判断をするのだろうかと思っていたところ、本日の新聞で、脱原発に向かうとの考えを表明していました。福島出身者として、福島県民の苦難という大きな犠牲の代償として、放射能に誰ひとりとしておびえることのない未来を望んでおり、これは、一つの朗報だと感じております。また、孫ソフトバンク社長の脱原発に全国の首長が何人も賛同しています。佐藤前知事の活動も少しは報われたのではと思っております。もっと確実な未来へつなげるよう、今後も佐藤前知事のご活躍を祈っております。




(私論.私見)