日本マルクス主義はなぜ「原子力」にあこがれたのか(ウェブ版)
加藤哲郎(早稲田大学・政治学)

 (最新見直し2011.04.01日)

 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素8」の梵天氏の2011.4.1日付け投稿「「福島原発は欠陥工事だらけ」担当施工管理者が仰天告白 ---(週刊朝日)」を転載しておく。
 第2の転機 「核と人類は共存できない」に反対し、反原爆運動と反原発運動の合流を妨害

● 共産党は1970年代総合エネルギー公社構想・石油代替の新エネルギー「原子力」で、「原爆と原発」住民運動・市民運動合流、原子力資料調査室(武谷・高木)に敵対、原水禁運動再統一のチャンスを逸す

 1973.11 第12 回党大会決定「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」 ← 原水禁は1971 年から「核と人類は共存できない」(森滝市朗)、「反原発」住民運動・市民運動の叢生(久米三四郎・高木仁三郎ら)、それに対して、
•「これからの新しいエネルギー源である原子力も、日米原子力協定によりアメリカから濃縮ウランの供給を受けながら、もっぱらGE やウェスティング・ハウスの軽水炉を導入しながら、原子力発電をすすめ、さらにアメリカ国内での日米共同の濃縮ウラン工場建設計画など、対米従属・依存の軌道のうえで開発がすすめられているのが特徴です」。
•「安全と放射能汚染防止の保障が充分でない現行の原子力発電計画を全面的に再検討し、自主・民主・公開の原子力三原則をまもり、安全で放射能汚染や環境の悪化をもたらさぬ原子力発電計画をつくり、新エネルギーの一環として原子力の研究、開発をすすめる」。

 1974.6 電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)が成立し原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組みができる。

 1974.7 東京電力の福島第一原発2号機運転開始。

 1975.3「安全優先、国民本位の原子力開発をめざす日本共産党の提言」
 「原子力の発見は、人類のエネルギー利用の将来に巨大な可能性をひらいた。しかし、世界的に核兵器優先の体制がとられてきたこととも関連して、また、原子力の平和利用のための研究・開発は、この新しいエネルギーの有効で経済的な利用でも、人類の安全保障の面でも、大局的にはまだはじまったばかりの段階であることから、今後の研究にまつところがきわめて多い。…ところが、現在自民党政府がすすめている原子力開発政策は、国民の安全の確保、エネルギーの自立性の保障、軍事利用の危険防止など、多くの点できわめて重大な致命的欠陥をもっている」=いわゆる「未完成の技術」論、ソ連「生成期」論に対応。

1974.11 関西電力高浜1号機運転開始
1975.9 「原爆と原発」住民運動・市民運動シンポ、原子力資料情報室(武谷代表・高木世話人)設立
1975.10 九州電力玄海1号機運転開始
1975.11 関西電力高浜2号機運転開始
1976.3 中部電力浜岡1号機、東京電力福島第一3号機運転開始
1976.12 関西電力美浜3号機運転開始
1977.6 共産党『日本経済への提言』

 「5 新エネルギーの自主的、民主的研究開発をすすめる」
•「21 世紀にかけて、日本のエネルギーの安定した確保をはかっていくため、いまから、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料にかわる太陽エネルギー、核エネルギーの研究・開発や、既存のエネルギーの新しい利用方法の開発を確実にすすめる」。
•「日本共産党の原子力政策の基本は、①原子力の軍事利用を阻止し、②研究・開発の民主的、総合的発展をはかり、③安全、有効な平和利用をすすめることである」総合的な審議会の設置で、原子力問題の全面的検討の実施、原子力安全委員会の設置、原子力発電所の全面的な総点検、軍事利用の危険防止の措置、自主的、民主的、総合的な研究・開発体制の確立」。

 1977.9 四国電力伊方1号機運転開始

 1977.10 共産党第14回党大会」 「現存する社会主義はまだ『生成期』にあるにすぎない」。

 (参考) 森滝市郞証言・核文明批判
 広島原爆で一眼を失った秋から冬にかけて、中国山地の眼科医院で入院生活をしていたころ、私の胸中には一種の素朴な文明批判が芽ばえていた。いったい、原爆などというものを生み出すような現代文明の方向は、このまま進んでよいものであろうか。この方向では人類は自滅を招くのではないかと。しかし、その後三十年間に、私たちの憂慮や批判や抵抗をあざ笑うかのように、軍事利用でも平和利用でも核の開発はすさまじく進められた。核兵器の備蓄は、広島型原爆に換算してその四百万発分に相当するといわれ、産業用のエネルギー源も主として核に求められようとする核時代に突入した。政府や産業界は「軽水炉→増殖炉→融合炉」という図式で核エネルギー開発の展望を宣伝し、二十一世紀はあたかも壮大な核文明の華麗な世紀として迎えられるかのような夢をいだかせようとする。しかし、そのような核文明の方向は人類にその未来を失わせるものである、と警告し、核と人類は共存しえないものと見定め、「核絶対否定」の決意と行動で人類の生存を守ろうとするのが私たち原水禁運動である。被爆三十一周年原水禁大会(一九七六年)の基調演説の結びで私は、核時代の産業文明を批判し、非核文明の二十一世紀を迎えるべきであることを訴えた。いわく、「・・・もっとも心配なことは、プルトニウムを燃料とする高速増殖炉の開発によってプルトニウム経済の時代を招来するのだ、と豪語しているものがありますが、そんな巨大エネルギー、巨大産業の核文明を招来したら、その絶頂で、その未来を失うでありましょう。 巨大エネルギー、巨大開発、巨大生産、そして巨大消費という形態をとる核時代の産業文明は、いまこそその価値観を一大転換しなければなりません。価値観の転機とは何か。一言でいえば、すべて巨大なるものは悪であり、のろわれたるものである、いと小さきもの、いとつつましきものこそ美しいものであり、よいものであるということであります。シューマッハー博士の言葉を借りると”ビッグ・イズ・イービル(悪)、スモール・イズ・ビューティフル”ということであります。私たちは巨大なる核エネルギー産業文明によって子孫のものまで使いはたし、プルトニウムのようなやっかいきわまる遺産を子孫に残すべきではありません。いま私たちは、二十世紀の最後の四半世紀にさしかかりました。この四半世紀こそ、人類が生存への道を選ぶか、死滅への道を選ぶか、最後の機会であります。私たちは、やはり生存への道を選ばなければなりません。二十一世紀に生き延びなければなりません。生き延びる道は何か。核絶対否定の道しか残されてはいません。核は軍事利用であれ平和利用であれ、絶対に否定するよりほか、人類の生きる道はないのであります。いまこそ価値観を大転換させ、核文明を否定して非核文明をきずき、人間の深い、美しい生きざまをひらいていこうではありませんか」と。ここでいう非核文明の方向をひらいてゆくためには、大まかにいって二つの道がある。一つはイングリス博士が提言するように、核エネルギー以外の代替エネルギーを開発する道である。太陽熱、風力、地熱、潮位の差を利用する発電である。 もう一つの道は、人間の生きざまを「自然易簡」の道にかえすことである。「自然征服」の思想と生活から「自然隋順」の思想と生活にかえることである。 私は昨年(一九七八年)、国連訪問後、ニュー・ハンプシャー班に加わってアマーストを訪れ、イングリス博士に再会して相語り、アマースト郊外のモンタギュー村で「自然農場」を営むラヴジョーイさんを中心とする九人の同志の新しい生きざまの探求に感動した。アマースト訪問で、私は非核文明のビジョンを得たのである。

 1978.8.11『赤旗』主張「原水禁世界大会の成果を生かし,真の統一を」←1977-85 原水協・原水禁統一世界大会
•「いうまでもなく,わが党は,原子力そのものの開発,平和利用を核兵器と同列におき全面的に禁止すべきであるというような「反科学」の立場はとっていません。つまり「核」と名のつくものは,それが核兵器であろうが,平和利用であろうが,全部否定するという立場をとっていません。しかし,同時に,わが党は原水爆禁止運動の場にこの問題を提起し,賛否を問うことは原水爆禁止ーつまり核兵器禁止という運動の性格から正しくない,との立場をとってきました。ところが,統一実行委員会(1977 原水爆禁止世界大会実行委員会)主催による世界大会とは別に“独自集会”をひらいた一部の人びとは,核兵器全面禁止の要求といっしょに,原子力の平和利用にも反対,原子力発電所反対を大会がとりあげるよう求めてきました。もし大会がこうした意見に同調するなら,原水爆禁止運動は,本来の核兵器全面禁止の運動から核エネルギーの平和利用への反対をふくむ「核絶対否定」運動に変質し,運動の根本目的をあいまいにし,社会進歩の歴史にも反する結果をまねくでしょう。

 1981.7「原子力開発は総否定すべきか 核絶対否定論の誤りをつく」
 川口清(平和問題対策委員会)(「赤旗」評論特集版1981.7.27)
•「わが国の原発開発は,アメリカの原子力世界戦略の展開に忠実に呼応し,原子炉,核燃料からの安全審査にいたるまでアメリカにたより,安全確保にかかわる科学,技術の研究・開発の面でも,原子力安全行政の面でも,自主的な力量を築きあげることにほとんど努力せずにすすめられています。敦賀原発事故(「赤旗」81・4・2 報道)は,こうした無責任な安全審査・管理体制を白日のもとにさらけだしたものでありました。
•このような事態は,当然のことながら原発に反対する運動や,原子力開発にたいするさまざまな運動を誕生させ,活発にさせてきました。その多くは,安全をまもり,自然環境をまもる等々の積極的な意味をもつ運動であります。しかしそれらの運動は,原水爆禁止運動とは次元が異なる運動であることはいうまでもないことです。とはいえ原爆被爆という最大の放射能禍に反対し,その被害を受けた被爆者の援護を基本目標のひとつとする原水禁運動は,原発問題を直接の課題とはしませんが,原発開発などによる放射能の環境汚染や人体被爆の問題に関心を持ち,放射能から人類をまもるという立場で,原発開発などによる放射能禍に反対する運動とは適切に連帯することができるでしょう。……
•統一世界大会も今年で5回目となります。しかしその一方で『禁』(原水爆禁止日本国民会議)は,いぜんとして分裂の論理に固執する態度をとっています。「いかなる国の核実験にも反対」論の破綻にたいしても,逆にその論理をいっそう拡大し,「いかなる国のいかなる核にも反対」とすることによって,とりつくろおうとしています。そのため『禁』は,「核兵器と原発との理論的構造の同一性の認識」「核兵器拡散の理論的認識」「核の破壊作用の人類的視野から地球の生態系的視野への拡大の必要性の認識」などを得たとして,原水禁運動は「ウラン採掘から原発やウラン濃縮工場,あるいは使用ずみ核燃料再処理工場までの一連の核エネルギー体系が反対の対象」(被爆35 周年原水爆禁止大会実行委員会発行の『討議資料』)であると主張し,「被爆35 周年原水爆禁止大会」では,「核絶対否定の実現のために」「たたかいをさらに前進させよう」と宣言しています。
•このような『禁』の主張は,第一に,核兵器も原発も原子力の解放によって誕生したものであり,原発は核拡散に道をひらくうえ放射能災害の大きな危険性をもっているのだから両者は分かちがたいとして同列視することによって,原発開発とは量的にも質的にも比較できないほど大きい核軍拡の危険性をあいまいにするものです。しかも危険の元凶は"原子力の解放"そのものであるとすることによって,危険な核軍拡をおしすすめる勢力を事実上免罪しているのです。これが原水禁運動の基本目標と当面の緊急課題から,運動をそらさせる役割を果たすことは明白です。
•結局,このような『禁』の誤った主張のいきつくさきは,「日本の原水禁運動は核兵器のみを対象とするというかたよった一面性をもっていた」とか,「いつまでも核兵器にこだわるという保守性が多くの日本人に定着している」(同前)などと,日本国民の悲願ともなっている核兵器禁止を要求する運動に,日米支配層顔負けの非難をあびせかけるというところなのです。
•第二に,『禁』の主張は,原水禁運動の分裂を固定化するための理由づけ以外のなにものでもないことです。今日の重大な情勢は,わが国の原水禁運動の責務をいっそう大きなものにしており,運動の発展を保障する組織統一の実現をあらためて重要な問題としているにもかかわらず,『禁』は「核絶対否定」をその存在理由とすることによって,あくまで組織統一に反対する態度をとっているのです。(共産党『核兵器廃絶を緊急課題として 原水禁運動の統一と日本共産党』日本共産党中央委員会出版局,1984)→統一労組懇問題から、84 年原水協内クーデタ (吉田嘉清・草野信男ら解任、古在由重・江口朴郎ら離脱)

 第3の転機:チェルノブイリ後の広瀬隆ブーム、高木仁三郎らの脱原発運動を「反科学」と批判し、「原子力の平和利用」を弁証法的唯物論の原理に仕立てあげる

 ● 1980年代 スリーマイル島・チェルノブイリ事故後も「平和利用」理念に固執、高木仁三郎・原水
禁.の「脱原発」運動を批判し広瀬隆ブームに冷や水、「未完成技術」論にもとづく「放射性廃棄物をロケットに積んで太陽にぶちこむ」夢で、JCPは日本における非核運動の分裂を固定化

 1985/11 第17 回党大会綱領改定(「当面する行動綱領」部分の昇格、スリーマイル後、チェルノブイリ前)「党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の原子力平和利用3原則の厳守、安全優先の立場から原子力開発政策の根本的転換とその民主的規制を要求する」。

 1987.11『前衛』 不破哲三「資本主義の全般的危機論の系譜と決算」経済情勢依存、社会主義国依存、万年危機論、段階論批判、しかし肝心の4大矛盾・3大革命勢力を明確にせず.1987-89 広瀬隆現象を左から撃つ広瀬隆『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』87/4 刊, 88/6 36 刷30 万部•1988.7 日本共産党『文化評論』号、座談会「ペレストロイカでソ連はどう変わるか」「原発なにが問題か」(反原発論の危険性、一種のラッダイト運動、「ほんとうの原子力の平和利用の展望は、核兵器がなくならなければ出てこない」、「核対人類」論批判)、
・この『文化評論』所収論文・野口邦和「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」は、文藝春秋8 月号転載され「デタラメだらけの『危険な話』(反原発の聖書は無知と非常識に満ちている)に。電力会社は、日本原子力文化振興財団『つくられた恐怖』と共に、大量配布。
•中村政雄『原子力と報道』(中公新書2004) ヒロセタカシ現象にとどめを刺したのは、共産党系といわれている日本科学者会議原子力問題研究会(中島篤之助委員長)だ。1988年5月22日、同研究会が東京の学士会館別館で開いたシンポジウム「原子力をめぐる最近の諸問題」で、話題の本『危険な話』を取り上げた。「内容に誤りが多い」「いたずらに人を不安に陥れようとするものだ」と複数の研究者が強く批判した。この一撃以後、広瀬の発言は信頼を失っていった。原子力推進側の学者や役人が、にがにがしく思いながらも何も出来なかったことを、非体制側の学者グループがやってのけた(pp.39-40)、吉岡斉『新版 原子力の社会史』(朝日新聞出版、2011,pp.227-228)。1989.4『月刊学習』高原晋吉「原子力発電問題をめぐる政治的対決」=「核と人類は共存できない」批判高木仁三郎と原水禁への批判 「わが党と『脱原発』派の、原子力に対する見方の違いはどこにあるのか、端的にいうと、『脱原発』派は、現在の原発が危険だということから、将来にわたって原子力の平和利用を認めないことを原則的な立場にしています。それに対して、私たちは、現在の原発の危険性を正面から指摘し、その危険に反対する点では、もっとも一貫した立場をとりますが、人類の英知の所産である原子力の平和利用の可能性を原則的に否定する立場はとらない、という点にあります」「脱原発派は、核と人類は共存できない、原発はなくす以外にはない、ということを主張しています。われわれは、原子力の発展は人類の英知の所産だという立場です。人類は失敗を繰り返しながら、科学・技術を発展させてきました。同様にして、将来もまた、発展してくだろう、というのが、われわれの哲学、弁証法的唯物論の立場です。だから、人間はやがて科学・技術の発展によって安全な原発を実現させる方向にすすむだろう、したがって、それを研究することは当然であるといっています。ところが、脱原発派は、そんな原子炉などできない、という固定観念から一歩も出ません。核と人類は共存できないの一本槍です。「私は、科学の進歩によって、必ず死の灰を無害にする技術か、再利用するなどの技術は、人類はみつけるにちがいないと思います。また、そうなれば、将来は原発の安全炉ができるわけです。夢物語みたいなことですが、私は放射性廃棄物をロケットに積んで太陽にぶちこむという方法もあると思います。太陽の引力圏に送り込んでやれば、後は太陽が吸い込んでくれるでしょう。太陽はものすごく大きいものですから、世界中の放射性廃棄物を全部送り込んでも『チュン』というくらいのものです」(日本共産党『原発の危険と住民運動』1990 所収)

 1990.12.8 不破哲三「今日の原発問題を考えるいくつかの基本点―原発問題・日本共産党全都道府県担当者会議でのあいさつ」「もう一つの問題は、原子力発電の現段階の到達点だけを見て、そこに欠点があるからといって、核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性を全部否定しまうというのは、短絡的な議論になるということです。なにしろ、原理が発見されてからまだ五〇年、人類の歴史からいえば、われわれは、核エネルギーを利用するほんの端緒、入口の段階にあるわけですから、その入口の段階で、将来の可能性を全部否定するわけにはゆかないのです。 実際、これまでの開発の経過を見ても、戦争目的、軍事用ということで、強行開発してくるなかで、平和目的でもっと落ち着いて開発にとりくんでいたら、新しい発展の芽になったかもしれないものがつぶされてしまったということも、結構あるのです。」(日本共産党中央委員会出版局『原発事故と『安全神話』―美浜・チェルノブイリの教訓―』1991 )

 1994.4「新日本経済への提言」
「原子力は安全性からみても技術的に未確立であることを認識して、その段階をふまえた研究開発をすすめることを重点にする。したがって、当面、原発の新増設は一切おこなわない。また既設原発については、総点検をおこない、その結果に応じて永久停止、改修、出力低下などの緊急措置をとる」

 1994.7 共産党第20回党大会
「日本の人民が、唯一の被爆国の国民として、反核・平和のたたかいと自国の解放闘争をおしすすめることは、アジアと世界の平和と社会進歩への重要な貢献となる。また、発達した資本主義国・日本における革命運動の前進が、世界史的な社会進歩の事業にとって、きわめて大きな役割をになうことも、確実である。日本人民の解放闘争を前進・勝利させることは、わが党と労働者階級の日本人民にたいする責務であるとともに、国際的な責務でもある。」「党は、独占資本の活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然と環境をまもる。 党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発政策の根本的転換と民主的規制を要求する。」

 第4の転機:フクシマの悲劇を見ても、なお「平和利用」を唱えるのか?
● 存立条件も綱領も変わり、2011 年フクシマの悲劇を見てもなお「2、3世紀先の平和利用可能性」(志位・福島「老舗」対談)を信仰ーー意見の相違で運動を分裂させてきた過去の自省を2000.11 第22 回党大会「ソ連型の政治・経済・社会体制は社会主義とは縁もゆかりもない体制であり、……人間抑圧の社会体制の出現を絶対にゆるさない」決議「低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである」。

 2003.6 第22 回党大会第7 回中央委員会総会
 不破哲三議長(当時)発言「原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。……現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです」。大会決議「政府は、二十一世紀のエネルギーを、原子力発電所の大増設と、プルトニウムをくりかえし利用する路線に頼り切るという政策をとっている。このようなエネルギー政策をとっている国は主要国では日本だけである。欧米の主要国のほとんどが、原発建設計画をもたず、プルトニウム循環方式からも撤退しているなかで、日本のエネルギー政策の異常さはきわだっている。世界の主要国で放棄された政策にしがみつく政府の姿勢は、この問題でも国民の未来を危険にさらす。昨年スウェーデンが原発の閉鎖に足を踏みだしたのにつづいて、ドイツが二〇二〇年代初めまでに原発を全廃することを決定した。原発大増設とプルトニウム循環方式という危険きわまりない政策を中止し、低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである」。

 2004.1 第23 回党大会改定新綱領〈原発条項削除〉
•旧1985-「党は、原子力の軍事利用に反対し、自主・民主・公開の 三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発政策の根本的転 換と民主的規制を要求する。」→新:「国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見 地から、食料自給率の向上、安全優先のエネルギー体制と自給 率の引き上げを重視し、農林水産政策、エネルギー政策の根本的な転換をはかる」。
 2011.5.14「しんぶん赤旗」不破哲三「「科学の目で原発災害を考える」
 2011.6.14「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」『しんぶん赤旗』「原発ゼロ」
 2011.8.25『毎日新聞』志位和夫共産党委員長と 福島社民党主との反核「老舗」対談
「志位 1953年、アイゼンハワー米大統領が国連演説で「アトムズ・フォー・ピース」、原子力の平和
利用を呼びかけました。これに応えて55年に日米原子力協定が結ばれ、原子力基本法がつくられていく。当時、安全性が保証されていない、ときっぱり反対したのは共産党でした。以来、商業用原発の建設にノーと言い続けてきた。福島 しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党は、核と人類は共存できない、いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。志位 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研究までは否定しない。将来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。その可能性までふさいでしまうのはいかがかとの考えなんです。福島 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?志位 そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、「安全な原発などありえない」と言っています。いま問われているのは、原発ゼロの日本にしようということでしょ。福島 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおかしいです。志位 そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています」

(参考文献)
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徳田球一「原子爆弾と世界恐慌を語る」日本共産党『新しい世界』30 号、1950.1
民科技術部会編『資本主義法則と科学技術』1950 徳田球一「科学と技術におけるマ ルクス・レーニン主義の勝利」
民科物理学部会『季刊理論別冊 日本の原子力問題』(理論社、1953)
『日本共産党の方針:6全協決議、文化人から党への言葉』(岩崎新書、1955)
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現代日本思想体系第25 巻『科学の思想』(筑摩書房、1964)武谷「革命期における思惟の基準」渡辺慧「原子党宣言」
武谷三男『原子力』(毎日新聞社、1950)
武谷三男編『原子力発電』(岩波新書、1976)
『武谷三男著作集』 全6 巻(勁草書房、1968-70)
『武谷三男現代論集』全7巻(勁草書房、1974-77)
日本共産党中央委員会『原発の危険と住民運動』1990
同『原発事故と「安全神話」』1991
ウェブ「日本共産党資料館」
http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/
「不条理なる日本共産党」
http://blog.livedoor.jp/fujouri_jcp/archives/65645437.html
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れんだいこ「原水禁運動考」「原水禁運動の歩み」
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加藤哲郎『国家論のルネサンス』(青木書店、1986)
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http://www.eit.or.jp/magazine/pdf/EIT58.pdf
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森滝市郎・前野良・岩松繁俊・池山重朗『非核未来に向けて 反核運動40年史』(績文堂、1985)
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池山重朗『原爆・原発』(現代の理論社、1978)
吉川勇一『市民運動の宿題』(思想の科学社、1991)
武藤一羊『潜在的核保有と戦後国家』(社会評論社、2011)
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鈴木真奈美『核大国化する日本 平和利用と核武装論』(平凡社新書、2006)
大庭里美『核拡散と原発:希望の種子を広めるために』(南方新社、2005)
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日本科学者会議編『科学と人間 日科の30年』(水曜社、1996)
吉岡斉『新版 原子力の社会史』(朝日新聞出版、2011、旧版1999)
中山茂・後藤邦夫・吉岡斉編『通史 日本の科学技術』全4巻+索引巻(学陽書房、1995)
吉岡斉『科学者は変わるか』(社会思想社、1984)
吉岡斉『科学革命の政治学』(中公新書、1987)
中山茂『科学技術の戦後史』(岩波新書、1995)
現代技術史研究会編『徹底検証 21世紀の全技術』(藤原書店、2010)
J・ダワー「ニ号研究とF号研究̶̶戦時日本の原爆研究」(ダワー『昭和』みすず書房、2010、所収)
『昭和史の天皇』第4巻(読売新聞社、1968、のちに角川文庫)
福井崇時「日米の原爆製造計画の概要」『原子核研究』第52 巻1 号(『原子核研究』編集委員会、2007 年)
鳥飼行博研究室「日本の原爆開発、核兵器使用の可能性」
木村朗「原爆神話からの解放と核抑止論の克服―ヒロシマ、ナガサキからフクシマへ」
木村朗・カズニック『広島・長崎への原爆投下再考』〈法律文化社、2010〉
廣重徹『戦後日本の科学運動』(中央公論社、1960)
広重徹編『日本資本主義と科学技術』(三一書房、1962)
中村静治『新版 技術論論争史』(創風社、1995)
H.G.ウェルズ『解放された世界』(1913,岩波文庫)
岩下孤舟「世界の最大秘密」『新青年』1巻8号、1920.8
立川賢「桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ」『新青年』1944.7
リチャード・ローズ (神沼二真、渋谷泰一訳) 『原子爆弾の誕生』上下(1993 啓学出版; 1995 紀伊國屋書店)
山際晃・立花誠逸編『資料 マンハッタン計画』(大月書店、1993)
山崎正勝『日本の核開発 1939-1955』(績文堂、2011)
山崎正勝・日野川静枝編著『増補 原爆はこうして開発された』(青木書店、1997)
トマス・パワーズ(著)/鈴木主税(訳)『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか 連合国が最も恐れた男・天才ハイゼンベルクの闘い』上下(福武書店、1994年)
清水榮『放射能研究の初期の歴史』(丸善、2004)
ボーエン・C・ディーンズ 『占領軍の科学技術基礎づくり:占領下日本 1945-1952』笹本征男訳(河出書房新社、2003)
GHQ日本占領史第51巻『日本の科学技術の再編』(日本図書センター、1996)
市川浩・山崎正勝責任編集『“戦争と科学”の諸相:原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録』(丸善、2006)
『科学』「特集 核と原発」81-12,2011.12
『歴史学研究』「緊急特集 東日本大震災・原発事故と歴史学」No.884,2011.10
読売新聞社科学部『原子力文明』(高山書院, 1949)
仁科芳夫『原子力と私』(学風書院、1950)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房、2011)
田中利幸「『原子力平和利用』と広島----宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち」『世界』2011.8
田中利幸、ピーター・カズニック『原発とヒロシマーー「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット、2011)
嵯峨根遼吉「原子核に関する実験」文部省学術講演会叢書、1943
嵯峨根遼吉『原子爆弾』(朝日新聞社、1945.10)
嵯峨根遼吉『原子爆弾の話』(講談社、1949)
嵯峨根遼吉「原子核の科学、50年の歩み」『科学圏』別冊、1949.11)
嵯峨根遼吉『欧米の原子力事情と発電』(外務省国際協力局第3課、1957.3.15)
『嵯峨根遼吉記念文集』(嵯峨根遼吉記念文集出版会、1981)
H・W・ブレークスリー『原子力の将来』山屋三郎訳(朝日新聞社、1947)
ブラッドリー『隠るべき所なし―ビキニ環礁原爆実験記録』佐藤亮一訳(講談社、1949)
R.E.ラップ『我等は隠るべきか』奥田毅(南条書店、1950 )
ジョン・ハーシー『ヒロシマ』1946(増補版,法政大学出版会、2003)
永井隆編集『原子雲の下に生きて』1949
奥田博子『原爆の記憶』(慶應義塾大学出版会、2010)
『木村一治日記 : ヒロシマ・長崎の原爆調査の記 : 1945 年4 月16 日~10 月10 日』木村正子編、仙台 : 木村正子, 1998
木村一治『核と共に50年』(築地書館、1990)
三宅泰雄『死の灰と闘う科学者』(岩波新書、1972)
高橋博子「広島の原爆・被爆・核兵器関連資料」『インテリジェンス』5号、2005
中村政雄『原子力と報道』(中公新書、2004)
飯高季雄『次世代に伝えたい 原子力重大事件&エピソード』(日刊工業新聞社、2010)
柴田鐵治・友清裕昭『原発国民世論̶̶世論調査にみる原子力意識の変遷』(ERC 出版、1999)
原子力安全システム研究所『データが語る原子力の世論』(プレシデント社、2004)
中村功他、原子力安全基盤調査研究「日本人の安全観」報告書(東洋大学、2004)
七沢潔「原子力50年、テレビは何を伝えてきたか」『NHK 放送文化研究所年報2008』
「過去の原発報道関連文献」
伊藤宏「新聞は4/26 をどう伝えてきたかーーマス・メディアにとってのチェルノブイリ」
伊藤宏「原子力開発・利用をめぐるメディア議題̶̶朝日新聞社説の分析」上中下(『プール学院大学研究紀要』44/45/49,2005-09)
加藤尊秋ほか「原子力発電のリスクの正体とリスクコミュニケーション」日本原子力学会報告1-19,2004
加藤尊秋・岡本浩一・松本史朗「原子力発電に関する社会調査の動向と展望」. 東京工業大学社会工学専攻ディスカッションペーパー、2004
飯高季雄「報道から見た原子力」(日本原子力産業会議『原子力年鑑 2005』)
中島達雄「原子力報道にみるマスメディア間の相互作用とその要因の分析」(『社会技術研究論文集』
モニカ・ブラウ『検閲 1945‐1949:禁じられた原爆報道』(時事通信社、1988、新版2011)
堀部清子『原爆 表現と検閲―日本人はどう対応したか』 (朝日選書、1995)
笹本征男『米軍占領下の原爆調査:原爆加害国になった日本』(新幹社、1995)
高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキ―米核実験と民間防衛計画』(凱風社、2008)
繁沢敦子『原爆と検閲:アメリカ人記者たちが見た広島・長崎』(中公新書、2010)
奥田博子『原爆の記憶―ヒロシマ/ナガサキの思想』(慶應義塾大学出版会、2010)
中川正美「原爆報道と検閲」『インテリジェンス』3号、2003
NHK『ヒロシマはどう記録されたか』(NHK 出版、2003)
御代川貴久夫「プランゲ文庫データベースからみる占領期における科学技術」『インテリジェンス』6号、2005
Silvia Lidia Gonzalez, Hiroshima, la noticia que nunca fue (トップニュースにならなかった広島) ,Japan Foundation,2004.
武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(「核」論2002, 中公新書、2011)
川村湊『原発と原爆̶̶「核」の戦後精神史』(河出書房新社、2011)
山岡淳一郎『原発と権力』(ちくま新書、2011)
御代川貴久夫「占領期における『原子力の平和利用』をめぐる言説」(山本武利編『占領期文化をひらく』早稲田大学出版部、2006 所収)、
井川充雄「原子力平和利用博覧会と新聞社」(津川澤聴廣編『戦後日本のメディア・イベント』世界思想社、2002)
小野耕世「思い出の『原子力時代』」『インテリジェンス』11 号、2011
藤田祐幸『原発と原爆の間』(本の泉社、2011)
藤田祐幸「日本の原子力政策の軍事的側面」(2004 年日本物理学会第59 回年次大会社会的責任シンポジウム「現代の戦争と物理学者の倫理とは」報告)
藤田祐幸「戦後日本の核政策史」(槌田敦・藤田他『隠して核武装する日本』影書房、2007)
ジェラス・ゲイ「日本の核武装化をめぐる動き」
有馬哲夫『原発・正力・CIA:機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008)
有馬哲夫『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮社、2006)
佐野眞一 『巨怪伝:正力松太郎と影武者たちの一世紀』上下、文春文庫、2000(初版1994)
柴田秀利『戦後マスコミ回遊記』(中公文庫)
中曽根康弘『政治と人生 ― 中曾根康弘回顧録』(講談社、1992)
中曽根康弘「ジュネーブ国際会議から50年:我が国の原子力平和利用は」
http://www.jaero.or.jp/data/02topic/gensiryokukou_42sympo.html
『岸信介回顧録』(廣済堂、1983)
春名幹男「原爆から原発へ マンハッタン計画という淵源」(『世界』2011.6)
「伏見康治記念ページ」http://viva-ars.com/bunko/husimikinen/
伏見康治「時代の証言̶̶原子科学者の昭和史」(同文書院、1989)
http://viva-ars.com/bunko/fushimi/hushimi-1.pdf
伏見康治・中曽根康弘対談「黎明期の原発」(『原子力文化』1998.7)
現代史スクープドキュメントNHK「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略」1994
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134#
原子力委員会『原子力開発30年史』(日本原子力文化振興財団、1976)
日本原子力産業会議編『原子力は、いま 平和利用30年』上下(丸の内出版、1986)
科学技術庁原子力局「原子力白書」「日本原子力委員会月報」
核情報「日米安保関連略年表・リンク集」(1969「わが国の外交政策大綱」など所収)
The Cold War Science & Technology(カーネギーメロン大学、特にBibliographies 参照)
原研事務局・菅田清治郎『原子力諸法案の生れるまで』1966
一本松珠磯『東海原子力発電所物語』(東洋経済新報社、1971)
道下徳成「日本の防衛政策・自衛隊に関するヒストリオグラフィー」戦略研究学会『年報 戦略研究(日本流の戦争方法)』第5 号、2007
外務省情報文化局第四課『各国原子力問題の調査報』1954
外務省国際協力局第三課『各国における原子力平和利用の現状』1955.
外務省国際協力局第三課『各国原子力情報 第一号』1955-62?
外務省アメリカ局安全保障課『原子力時代の外交と国防』1962.4
総理府原子力局編『各国原子力法の概要』(経団連、1956)
科学技術庁資源局『世界のエネルギー需給と原子力の役割』1956.10.1
朝日新聞調査研究室報告『原子力の利用と展望』1957.2.15
国際調査社公安調査室編『自由・共産両陣営及び中立国における原子力の開発、利用並びに保有状況』(国際調査社、1957)
エコノミスト『戦後産業史への証言3 エネルギー革命』(毎日新聞社、1978)
橘川武郎「日本の原子力発電」(『一橋商学論叢』3(1)、2008)
橘川武郎『日本電力業発展のダイナミズム』(名古屋大学出版会、2004)
川上幸一『原子力の政治経済学』(平凡社、1974)
室田武『原子力の経済学』(日本評論社、1981)
坂本義和編『核と人間』Ⅰ・Ⅱ(岩波書店、1999)坂本「近代としての核時代」長谷川公一「原子力発電をめぐる日本の政治・経済・社会」日本国際政治学会『国際政治』163 号「核とアメリカの平和」友次晋介「アジア原子力センター構想とその挫折」
宮嶋信夫編『原発大国へ向かうアジア』(平原社、1996)
金子熊夫『日本の核、アジアの核』(朝日新聞、1997)
吉村慎太郎・飯塚央子編『核拡散問題とアジア:核抑止論を超えて』(国際書店、2009)布川弘「核拡散と日本」
相楽希美「日本の原子力政策の変遷と国際政策協調に関する歴史的考察:東アジア地域の原子力発電導入へのインプリケーション」(経産省RIETI Policy Discussion Paper Series 09-P-002, 2009)、
http://www.rieti.go.jp/jp/projects/prd/abra-b/07.html2010 NHK スペシャル「核を求めた日本」http://vimeo.com/23185260
前田寿『原子力の国際政治』(岩波新書、1958)
下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004)
下斗米伸夫『日本冷戦史』{岩波書店、2011}
市川浩『科学技術大国ソ連の興亡』(勁草書房、1996)
市川浩『冷戦と科学技術』(ミネルヴァ書房、2007)
D・ホロウェイ『スターリンと原爆』上下(大月書店、1997)
NHK 取材班『旧ソ連 戦慄の核実験』(NHK 出版、1994)
ヘインズ=クレア『ヴェノナ』(PHP研究所、2010)
ノーマン・モス『原爆を盗んだ男 クラウス・フックス』{朝日新聞社、1989}
ニコラス・ダヴィドフ『大リーガーはスパイだった モー・バーグの謎の生涯』(平凡社,1995)
付録3 プランゲ文庫占領期雑誌新聞データベース250 万記事中に見る占領下「原子力」イメージ
占領期「原子力」報道 (10/15 第63 回研究会報告「占領下日本の「原子力」イメージ ーーヒロシマからフクシマへの助走」)
「占領期の原爆報道消滅神話」 1945年9月21日GHQ「プレスコード」検閲以降
「原子力問題においての検閲はきびしく、もちろん広島、長崎の有様、原爆の残虐性など書くことは許されなかった時代」(武谷三男『続・弁証法の諸問題』1955「はしがき」、著作集1,p.176)
「占領が終わるまでは、マス・メディアによる原爆に関する報道は一切姿を消す」 (袖井林二郎『原爆から原発まで』アグネ、1975)
「原爆報道をやろうと思えばできた時代だ」が「原爆報道はあまりなかった」 (朝日記者岩垂弘1975)
「原爆が書けないことは記者のだれもが知っていた」(朝日「原発とメディア:『平和利用』への道⑥」
2011/10/11 夕刊)
プランゲ文庫「原爆・原子力」雑誌・新聞見出し・小見出し・リード登場頻度
•「原子」4349件 (1945年44件)Atom8813「原爆」1385「原子爆弾」1474「ピカドン」90 「原子戦争」19
•「原子力」1593 件「原子力時代」117「アトム」288「ノーモア・ヒロシマ」20「原子エネルギー」63
「原子力の平和的利用」14「原子力の平和利用」3「放射能」219「原子病」74「原爆症」101「ウラン」539
論点1 原爆報道は少なかったか(朝日新聞10/11)、意外に多かったか(毎日新聞11/2)?
①「原子」4349件(1945年44件)=巨大星雲「科学」「文化」のなかの小星雲?
②「原爆」1385 「原子爆弾」1474 「原子力」1594 件の意味? 吉田茂なみ?
③「アトム」288 「ピカドン」90 「放射能」219---「奴隷の言葉」の抵抗だったか?
「原子力」1593 件の分析
1945̶̶早くも「原子力の夢」が現れる
1946̶̶国連・米ソ国際管理に期待し、仁科博士らが基礎理論提供して、台風制御・食糧増産・医学的応用など「平和的利用の夢」拡大
1947̶̶「原子力時代」の科学立国・文化国家建設に武谷三男らの理論的基礎付け
1948̶̶「平和国家」と「原子力平和利用」がオーバーラップ
1949̶̶ソ連の原爆保有で左翼も「闘う原子力」積極支持、こども・教育へも波及、放射線の晩発被害は隠蔽され続ける
「ピカドン」90 件 =46.2 の新語から世界語へ、中国新聞の突出した使用、49 年には薬やこども漫画に
「アトム」288 件=「鉄腕アトム」(1951「アトム大使」)以前に膨大な使用例。労組機関紙、漫画・子供向
けも。広島・長崎をは中性化し「アトム都市」に「放射能」219 件=晩成被害が検閲で隠されたもとで、効用も語られ、療養所機関誌名にも占領下日本の情報空間̶̶プランゲ文庫250 万雑誌・新聞記事のキーワード星雲マップ
加藤哲郎作成試行版(1万件以上ゴチック、1万-5千下線、強調=注目)計量分析入門
以下は、20 世紀メディア研究所第65 回研究会 2011 年12 月17 日午後2時30 分~午後5時 ・ 場所 早稲田大学 早稲田キャンパス 1号館310号教室で報告するので、同時代史学会報告では資料提示のみ
占領期日本の言説空間――プランゲ文庫のキーワード・クラウド 加藤哲郎(早稲田大学)

 論点2 この星雲から何を読み取れるか?
(ウェイト化・ポイント化、複数キーワード掛け合わせによる相関係数、回帰分析等省略)
 論点3 原子力に関わった人々のメディア露出度は高いか低いか?
湯川秀樹(初代原子力委員会委員)134 武谷三男128 渡辺慧(原子党宣言)88
仁科芳雄68 崎川範行62 嵯峨根遼吉(長岡半太郎5 男)37 藤岡由夫(初代原子力委員)37 田中慎次郎(朝日)32 伏見康治30 長岡半太郎(日本学士院長)23 坂田昌一17




(私論.私見)