村上春樹氏の反原発論

 (最新見直し2015.04.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「村上春樹氏の反原発論」を確認しておく。

 2015.04.26日 れんだいこ拝


【村上春樹氏の反原発論】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK183」の赤かぶ氏の2015 年 4 月 17 日付投稿「「原発を再稼働させ
るのは国家のモラルからしても論外」村上春樹さん
」を転載する。
 「原発を再稼働させるのは国家のモラルからしても論外」村上春樹さん
 http://ameblo.jp/takumiuna/entry-12015317387.html
 April 17, 2015 かばさわ 洋平

 村上春樹さんのインタビュー記事が今朝の東京新聞に展開されてました。歴史認識問題や原発問題についての箇所が印象的だったのでシェアします。歴史問題は謝ることだ大事というメッセージや原発を核発電所と呼ぼうなどは大いに共感しました。モラルなき政治を転換することが日本の、世界の平和ためにも必要だと痛感します。

 東京新聞 4/17 一部引用

 -歴史認識の問題についてはどう思いますか?

 今、東アジアには大きな地殻変動が起きています。日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。ところが中国、韓国の国力があがって、その構造が崩れ、封印されていた問題が噴出してきている。相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、なかなかそういう展開を率直に受け入れることができない。

 -日中韓のバランスの基盤が新しくできるまではいろいろある?

 落ち着くまでにはかなりの波乱があるのでしょうね。中国経済がこのまま成長していくかどうかもわかりません。ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。

 -カタルーニャ国際賞の受賞スピーチで東日本大震災と福島第一原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と話された。今、原発の再稼働が論議されていますが。

 15万人もの人が避難を余儀なくされています。長いあいだ住んでいた土地から突然立ち退かされるというのは、人間の魂が部分的に殺されるのと同じです。そういう人が15万人も生まれてしまったのは、国家のあり方の根幹にかかわることです。経済効果の良しあしでは済まされない問題です。それが何ひとつ解決しないのに、構造的リスクを抱えたまま原発を再稼働させるというのは、国家のモラルからしても論外だと思う。

 地震も火山もないドイツで原発を撤廃することが決まっているわけです。危険だからという理由で。原発が効率的でいいなんて、ドイツ人は誰も言っていません。

 「ニュークリアプラント」は本来「原子力発電所」ではなく、「核発電所」です。ニュークリア=核だから。原子力はアトミックパワーです。核が核爆弾を連想させ、原子力が平和利用を連想させるので「原子力発電所」と言いかえているのでしょう。今後はちゃんと「核発電所」「核発」と呼んだらどうかというのが僕からの提案です。


  「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK183」の赤かぶ氏の2015 年 4 月 23 日付投稿「村上春樹が原発推進派を徹底論破! 15万人の人生を踏みつける“効率”に何の意味がある?(リテラ)」を転載する。
 村上春樹公式USサイト「www.harukimurakami.com」より

 村上春樹が原発推進派を徹底論破! 15万人の人生を踏みつける“効率”に何の意味がある?
 http://lite-ra.com/2015/04/post-1047.html
 2015.04.23. リテラ

 村上春樹が原発反対の意志を明確にし、大きな話題を呼んでいる。村上は昨年、ネット上で読者の質問に答える期間限定サイト「村上さんのところ」を開設したのだが、そこに寄せられたある質問メールに対する村上の回答が大論争となっているのだ。 メールの主は38歳の男性。「原発NO!に疑問を持っています」と題して、村上にこのような質問をぶつけた。 「私自身は原発についてどう自分の中で消化してよいか未だにわかりません。親友を亡くしたり自分自身もけがをしたり他人にさせたりした車社会のほうが、身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。(年間コンスタントに事故で5000人近くが亡くなっているわけですし)」、「この先スーパーエネルギーが発見されて、原発よりも超効率がいいけど超危険、なんてエネルギーが出たら、それは止めてせめて原発にしようよなんて議論になりそうな、相対的な問題にしかどうしても思えないのですがどうでしょうか……」 。

 いやもう聞き飽きた、このセリフ。この質問者の疑問は、福島原発事故以降、百田尚樹、ホリエモン、ビートたけし、池田信夫、町村信孝前衆院議長、ミキハウス社長……原発推進派の人間たちがしょっちゅう持ち出してくる論理、いや、へ理屈の典型だ。「原発事故で死者は出ていない」、「交通事故の死者のほうが多いから、原発のリスクは自動車のリスクより小さい」「毎年数千人の死者を出している自動車を廃止せよとは誰も言わないじゃないか」……。 しかし、この一見もっともらしい“へ理屈”に対して、村上は丁寧に反論している。 まず交通事故死についても対策が必要と前置きしたうえで、〈しかし福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います〉と、原発事故の被害の大きさをあらためて指摘。 つづけて「死者が出ていないからたいしたことない」という論理に疑問を投げかける。 〈もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです〉 。原発事故の被害を矮小化することなく、交通事故とは次元がちがう問題であることを原則論として語るだけではない。従来の村上春樹では考えられないことだが、「再稼働を止めなければ」と現実の政策にまで踏み込んで批判しているのだ。

 ネットなどではこの村上発言に対して批判も飛び交っている。そのほとんどは、「死亡者と避難者を比べるのはおかしい」、「原発も自動車も絶対に安全とは言えないから、経済的な観点を無視できるはずがない」などというもので、まったく反論になっていない。 そもそもよく読めば、その回答は村上発言のなかにあらかじめ含まれていることが分かるはずだ。 〈それだけ(15万人)の数の人々が住んでいた土地から強制退去させられ、見知らぬ地に身を寄せて暮らしています。家族がばらばらになってしまったケースも数多くあります。その心労によって命を落とされている方もたくさんおられます。自死されたかたも多数に及んでいます〉 。「数」の問題でいえば、15万人もの人が人生の基盤を奪われるという死に匹敵する甚大な被害を受けている。「死者が出ていない」というが、直接の死者がいないに過ぎず、いわゆる「原発関連死」は決して少なくない。……と、いったん原発推進派の議論の土俵に乗り、「数」の問題にも、「死者がいない」論にも明確に反論している。 そのうえで、本質は「数」の話ではなく、「国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」と述べているのだ。「死亡者」の「数」の比較に還元することは、あたかも客観的で冷静な分析を装っているが、その実、被災者・避難者の人生という“質”や、国土が世代を超えて汚染される“時”の議論を隠蔽し、問題を矮小化している。

 この「隠蔽」と「矮小化」が何者によってなされるのか。村上はその犯人をハッキリと指摘する。 〈「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです〉。そう、「政府」であり「電力会社」であり、その息のかかった「御用学者」に「御用文化人」だと。そして、「比べるべきではないものを比べる数字のトリック」「論理のすり替え」と、彼ら原子力ムラが国民をだましてきたやり口を喝破する。

 さらに、原発再稼動肯定派が大義名分とする「効率」という言葉について、こう問いかける。 〈効率っていったい何でしょう? 15万の人々の人生を踏みつけ、ないがしろにするような効率に、どのような意味があるのでしょうか? それを「相対的な問題」として切り捨ててしまえるものでしょうか? というのが僕の意見です〉。

 実は、村上は以前にも海外で、この「効率」という観点について、反対意見を表明したことがあった。それは2011年6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で行われたスピーチでのこと。村上は東日本大震災と原発事故に触れてこう言った。 〈(福島原発の事故は)我々日本人が歴史上体験する、(広島・長崎の原爆投下に次ぐ)二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を損ない、自らの生活を破壊しているのです。どうしてそんなことになったのでしょう?(略)答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました(略)。まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています〉。

 ここには、春樹文学のひとつの特徴と言われるもったいぶったレトリックや気の効いた比喩は皆無だ。当時、このスピーチは国内でも大きく報道されたが、「政治家らが曖昧な説明しかしないなか公人としての貴重な発言」と評価する者もいた一方、「海外でなく日本国内で言ってほしい」と物足りなさを感じた向きも多かったことは記憶に新しい。

 しかし、もともと、村上春樹といえば、社会や政治などの“巨大なシステム”と距離を置こうとする主人公を作品のなかで描いてきた作家だった。団塊の世代でありながら同世代の作家たちとは一線を画し、学生運動や政治からは一貫して距離をとっていた。デビューから1980年代までの彼の作品は、文芸評論家などから「デタッチメント(かかわろうとしない)」文学とも呼ばれていた。ご存知のとおり、村上が社会的出来事を作品のなかに反映させ始めたのは、1995年阪神淡路大震災、オウム地下鉄サリン事件などが相次いでからである。

 とりわけ、ノーベル文学賞候補と目されるようになった2000年代後半頃から、村上はますます社会的・政治的発言を行うようになっていった。09年エルサレム賞授賞式での「壁と卵」スピーチは有名だが、その他もアメリカやオーストリアのインタビューで積極的に日本社会について語っている。もっとも、それらはみな海外でのことであり、依然として国内メディアでは発言に慎重だったことから、「ノーベル賞へのアピールだろ」などと揶揄されることにもなったのだが。

 しかし、そんな村上がここに来て、日本国内へ向けて大々的に社会的・政治的発言をするようになったのである。これはひとつの変化と捉えてよいだろう。

 前述の特設サイトでの回答だけではない。今月半ばから、共同通信が配信した村上のロングインタビューが毎日、東京、神戸、西日本新聞など、複数の新聞社に掲載された。そこで村上は、国際情勢について、〈「テロリスト国家」を潰すんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです〉と断じ、日本の歴史認識の問題でも明らかに安倍政権を牽制するような発言をしている。 〈ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから〉 。

 簡潔ながら、説得力のある言葉である。これらの村上の発言についてさっそく百田尚樹が「そんなこと言うてもノーベル賞はもらわれへんと思うよ」などと、ノーベル賞へのアピールかのように揶揄していたが、そうではないだろう。村上春樹はおそらく本気だ。

 「政治」からも「本気」からも最も遠いところにいた村上春樹が、国内でここまで踏み込んでいるということは、やはりこの国が相当に差し迫った危機に直面していることの証なのではないか。

 いや、ひょっとすると、村上は、かつて自身が描いてきた小説の主人公のような人たちへ向けて、発信し始めたのかもしれない。「原発推進派も反原発派もどっちもどっち」「権力批判も大概にしないとかっこ悪い」という“かかわろうとしない”態度のままで本当にいいのか考えてみてほしい──もしそれが村上の思いであるのならば、是非今後も、様々な局面で発言を続けていってほしい。 (酒井まど)

コメント
01. 2015年4月23日 13:45:05 : c0MBe5q6oI

 村上春樹の杞憂を多くの自覚的は母親や若者が共有している。 3月11日に、『報道ステーション』で古舘伊知郎が甲状腺がんの特集をやったが、「放射能防護プロジェクト」に参加している小平市の三田病院の取材動画はすべて削除されていた。 三田医師のもとには、東京、埼玉、神奈川、千葉などから連日、母親が子供を連れて検査に訪れ1500人ほどの検査を行ったところ、子供たち-特に、幼稚園児や小学生の子供の多くに有害な症状がみられ、それ以外に高齢者にも、いくつか重大な症状がみられたのである。 関東で尋常でないことが起こっていたのだ。 三田医師は「東日本からの避難を強く呼びかける」ことを始めた医師である。 昨夜古賀さんは微かにそのことに触れ掛けたが時間がなかった。そして降板させられた。
http://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/27050073.html
http://alternativereport1.seesaa.net/article/267315740.html

http://alternativereport1.seesaa.net/article/267315740.html
 山本太郎参院議員が3月22日、NHKの「日曜討論」に出演し、福島第一原発の事故に関連して、食品中に含まれるストロンチウムの検査が必要だと発言した。 山本氏はこの日、「今、僕が一番、気ににしていることなんですが」としたうえで、政府にストロンチウムの検査をしてほしいと提案。 福島第一原発から汚染水が「ダダ漏れになっている」として、「ストロンチウムについて食品の検査ができなければ、子供たちの未来が危ない。至急、ストロンチウムの検査をしていただきたい」と述べた。
http://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/26921579.html
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/21/taro-yamamoto_n_6917628.html
https://www.youtube.com/watch?v=NOEC2GdnbCw

13. 佐助 2015年4月23日 17:21:42 : YZ1JBFFO77mpI : wgqur15vNg
 原発事故が発生するたび、反原発・脱原発の声が吹き上がる。その共通のキーワードは「不安」だ。不安心理だけでは解決できない。原発のどこが科学的な欠陥をもち、本当に安全な原発設計はできるのか?を知らないために、日本を放射能汚染列島化させてしまった。 今、緊急に責任を問われているのは、物理学のパラダイムのもつ間違いそのものなのだ。

 1870 年代、物理学は原子(陽子)レベルで素晴らしい成果をあげる。それは、メンデレーエフノ「周期律表」とよばれ、未知の原子が予言発見される。そして80 年後には、地球と人類を破壊可能な原子爆弾を完成させた。この成果に、万学は物理学の原子「周期律表」のように、正確に予測できる学問体系をめざして努力する。しかし、物理学でさえも、原子レベルで発見された法則と原理を、他のレベルに押しつけたために、ついには、自然現象は不確定性(あいまい・確率)が原理だという結論が支配されてしまった。 原発は電子・原子・分子ごとに独立した法則と原理をもつのに、原子レベルの法則と原理だけで解釈していることが、3・11 のフクシマ原発悲劇の根因である。 日本と世界の原発は定期点検で安全だと思わせてきた,だが放射能を含む水素や蒸気漏れが避けられない原発の設計の隠れて見えなかった危険性が、3・11 の地震と津波によって、露呈されたのである。 使用ズミの核燃料処理も考えずに各国が原発計画する最大の理由は何か?それは核拡散防止条約さえなければ、ただちに核の均衡防衛策に切替えられるからだ。現在進行中の本当の危機は、3・11 の原発大事故の水素や蒸気爆発と放射漏れを、地震と津波の天災のセイにしているため見えない。直接浴びれば致死量の放射能を、巨大な大気と海にタレ流しているのに容認されている。マズ、水をかけ炉心温度と放射能度を下げて廃炉にする「冷温停止」の希望的計画が優先されているからだ。 冷水で冷やせば、絶対破壊されることのない容器の中で、使用ズミ核燃料棒の自己溶解(メルトダウン)は絶対発生しない、と断言していた原子物理学者を信じた政府とマスコミが、再び半分信じている。だが、メルトダウンした燃料棒は、絶対破壊されない容器の底に穴を開け地下の土台を数千度の高熱で破壊し、排水管や配線管は穴だらけだと想定していない。なぜなら、高い放射能と熱で、状況を測定把握することができないからだ! そして平時なら大問題の放射能を、大気と海に垂れ流しているのに、基準以下に低下しないのは、高レベルの放射能と熱が続いている証拠と判断すべきである! 冷却水をかけても、炉心の熱と放射能は人間が近づけぬ水準という事実は、炉の底が抜けて燃料棒は溶解しつづけていると想定すべきなのだ。そして、炉の溶接部分やパイプの穴だらけが想定できないのは、分子レベルの結合/分離はプラスマイナスでなく、共鳴振動数の一致/不一致により、腐食・穿孔・発熱を発生させることを無視しているためだ。そして質量が小さな電子、陽子、分子、細胞には、万有引力の法則は作用しない。 原発は共鳴・共振振動応力の発生でパイプや容器の材料、或いは、異なる物質の接続部分で、想定外の腐食・穿孔・発熱事故を発生させるのです。つまり地震や津波がなくても、腐食・穿孔・発熱によって容器・パイプ・溶接部にクラックが入ります。マグネシウムはナトリウム・リチウムと共にイオン化すると強い共鳴振動数によって容器やパイプを酸化または還元して、穴をあけたり、亀裂を発生させたり、腐食させます。 冷却水には真水ではなくてマグネシウム(Mg)が使われている,ナトリウム・リチウムと共にクラック部が開きます。地震や津波がなても排水管や配線管は穴だらけになります。 そのためにイオン化されたマグネシウムやリチウムを共鳴共振する材料を使うべきでない、また,もっと低い発熱量を放射する原子を燃料棒を採用すればよいのですが,政治家は無視・拒絶します。それは濃縮されたウラニウムやプルトニウムなら、スグに原爆を作成できるからです。すなわち既成の政治家は平和憲法を変えて核武装し、世界の憲兵の仲間入りをしたいという流れが、多数派なんです,しかもほとんどの政治家と外務省は戦争待望論者です。従ってチャンスがあれば戦争したくてウズウズしているのです。とんでもない国家です。原発は止められないのです。 電磁波起電のように、逆に、狭い隙間から入力した電磁波を同期させると、原子力発電以上の巨大なパワーがえられる。百%自給できる家庭用自家発電はもちろん、核廃棄物をつくらない電磁波起電力発電所の建設も可能なんですが,政府と官僚はプルトニウム核などの核兵器に拘っており,時代の流れが読み切れない幼稚なものが政治家になっているのです。

20. 2015年4月23日 22:04:48 : dkr0OeNo4U
 このところ、原発事故と交通事故を比較して原発を養護する論調がしばしば見受けられますが、私はこう思います。交通事故は多くの場合人間の不注意によって起きています。したがって、運転する者や周りの者の努力によって防げる事故がかなりあります。一方の原発事故は、人為的ミスによる場合もありますが、福島の場合は自然災害でした。人間の力ではどうにもなりません。過去の災害規模から今後起こりうる災害を予測して対策したとしても、それを上回る規模のものが起こらない保証はありません。一度事故が起きれば、その被害は甚大です。原発から出る核のゴミは、数万年単位で保管しなければなりません。過去数万年の間に、大規模な火山の噴火や地震・津波はいったいどれだけ日本列島をおそってきたのですか?日本を守り、日本国民を守るということは、過去・現在・未来の日本と日本国民を守ることであると思っています。答えは明らかです。
31. おじゃま一郎 2015年4月24日 10:21:13 : Oo1MUxFRAsqXk : AIX8hjrHas
 自動車事故の場合は、5000人死のうが、その損害に対し、生命保険、自動車保険などがあり、リスクが計算できている。死者が増えれば保険料が上がるだけなのである。これは社会が交通事故の損害補償を組み入れているといえる。しかし原発事故の場合は、交通事故のように毎年おきるものではないが、一旦おきれば膨大な被害が生じる。従ってリスクが計算できず、あるいは計算できても保険金額が膨大に膨らむので民間に保険引受人が存在せず損害保険が成り立たない。 原発というのはリスクが想定できない不確実性を含んでおり、多くの人は原発に関わらず不確実性を回避する行動に出る。 したがって、人はリスクが想定できる自動車社会は許容して不確実性のある原発は避けたいのである。
32. 2015年4月24日 10:32:17 : S1jdn7aOA6
>>25

 日本は世界一の地震大国ですから核発電(原発)事故のリスクが格段に高いということです。 そして4年前に現実に約15万人の国民の生活を暗転破壊させ福島県の「広大な土地=日本国土」を半永久的に喪失したのです。戦争を除いて地球上にこれ以上のリスクはないでしょうな。 何故に核発(原発)装置は損害保険に加入出来ないかご存じですか? 自動車事故と比較する頭の人がいますが信じられないほど愚かだと思う。

34. 2015年4月24日 11:30:36 : EPkDWNcUos
 文学作家に判断を依存するまでもなく、自動車による死亡交通事故と比較しても原発のリスクは膨大であり、原発再稼動の選択肢はないはずである。 事故によるリスクは、(事故発生確率)×(損害額)で評価すべきである。ここで事故を原状回復が不可能という点で、自動車による死亡交通事故と原発の過酷事故での比較が妥当として、各種資料を用いて試算した。  この結果、以下に示すように、原発の過酷事故のリスクは、自動車による死亡交通事故と比べても6000倍以上の膨大なリスクが見込まれ、原発再稼動の選択肢はない。

1.事故発生確率の比較
 原子力規制員会は原発の安全目標に「1万炉年に1回程度」をかがげています。 一方、は自動車事故の実績は1万台年当りの0.74人死である。 このように日本の原発・核発電所の安全目標にしている発生頻度は、 死亡自動車事故の実績よりも緩いものになっています。<資料1、2参照>

2.損害額の比較
 東京電力福島第一原発事故についての3年の除染や賠償、廃炉などの損害額の最新の見通しを足し合わせると、11兆円を超えることのようです。福島第一原発(全4原子炉)の原子炉1炉当たり約2.8兆円となる。<資料3参照>今後、この損害額は更に膨れ上がるものといわれています。裁判例に見られる交通事故の死亡・後遺症賠償額の最高額は、平成23年11月1日に判決(横浜地裁)が出た人身総損害額5億843万円の事案があります。<参照資料4>

3.以上より、(事故発生確率)×(損害額)で評価すれば、原発の過酷事故は交通事故の約6000倍以上のリスクが見込まれることになる。

 尚、政府が原発保険料算定に用いている原発事故の発生予測確率は、原子力発電所1ヶ所当たり500年に1回の過酷事故<参照資料5>であり、この数値を用いれば、更にリスクが上昇する。そしてこのことだけでも原発が如何に危険でリスクが高いかが解る。


<参照資料1>
『継続的安全性向上に資する目安の設定』
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2014/siryo16/siryo1-1.pdf

<参照資料2>
『日本の原発の安全目標・1万炉年に1回程度 自動車事故の実績・1万台年当りの0.74人死よりも緩い』
http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-05-15

<参照資料3>
『震災3年 原発事故の損害額11兆円超に』(NHKニュース 2015年3月11日15時16分)
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20140311/1516_songaigaku.html

<参照資料4>
『交通事故の死亡・後遺症賠償額の高額ランキング』
http://www.insweb.co.jp/jidousya-jiko/jikobaisyou-kougaku-ranking.html

<参照資料5>
『原子力発電所1ヶ所当たり500年に1回の過酷事故発生を政府が予測』
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/efd19d32948cbe1a8fc10625bc1a2063

35. 2015年4月24日 13:03:30 : cK5FFxGCFU
いつも思うのだけど、そもそも原子炉が効率が良いなんてところから間違ってるのになぜ突っ込まないのだろうか?ペレット当たりの発電量ばかり自慢げに押し付けてくるが、建設時にばら蒔く金、稼働時にばら蒔き続ける金、管理点検に掛かる金、事故による損害とほぼ永久に続く廃炉への資金・・・その他もろもろ、そちらの方が莫大に掛かるわけでしょ?そして熱帯魚まで住まわせてしまう環境破壊、事故関係なくこつずっと飛散させて来た放射能の汚染。捨て場のない危険極まりない廃棄物。そして、何があっても止めることが出来ないという事実。 火力、水力は何かあれば止めて修理が出来る。原発は近づくこともできず、嘘をつきながら誤魔化しながら見てるだけ。どうしていいかも分からない。 原発無くても電気が止まったことなどない。奴等が無理矢理止めて死人が出た時だけだ。 それでも必要だというならそいつら集めてリアル原子力村を作ればいい。そこに原発と燃料集めて一緒に住んでもらえばいい。 議論するまでもないことじゃないのかな。
36. 2015年4月24日 13:09:14 : CyoDTwXscc
 村上春樹氏の発言に賛同です。しかしリテラは良い記事を書きますね。流石です。

>原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。

 村上春樹氏の言葉で「効率」という言葉が出ていたのは素直に嬉しい。そうなんですよね。現在社会は効率=利益至上主義になってしまっていますよね。 それは日常の生活の中でもその傾向が顕著に表れていますが、IT革命以前までは何となくその効率化という言葉からもたらされる種々の恩恵を我々がきちんと享受出来ていたように思うのです。しかし、IT革命、デジタル革命以降はこの効率化という名の下で利益至上主義が益々加速しているように感じます。 技術革新に伴ってもたらされてきたこの時間の余白。効率化という事は、ある目的に対する達成速度を上げる事に他なりませんが、それら時間の短縮から生み出される恩恵を社会がきちんと享受出来ないようであるならば、そもそも効率化自体の意味に疑問を持たざるを得ません。 15万人の生活に甚大な被害がもたらされ、その収束方法も未知数な状況では、とてもじゃありませんが社会が効率化の恩恵をきちんと享受出来ているとは言えません。余りにもリスクバランスが悪すぎます。

 現代社会は村上春樹氏が仰るように効率化が本来もたらすべき恩恵、それらを生み出した技術による恩恵を、社会そのものが享受するのではなく、何故か社会全体ではなく特に企業が利益を享受するようシステムになってしまっている事が問題な気がします。 別の例えで言えば、本来労働者が8時間働く事で必要な業務作業が、IT効率化などで、従来の半分以下の時間効率で同じ事を成し遂げられるようになりました。社会がいくら革新的な技術を生み出しても、この生み出された時間の余白の部分をバランスを良く配分出来なければ、結局は本末転倒な事態になってしまいます。 現代社会では、まさにそういった事態が現実として起きておりますが、要は利益追求に猛進する余り人間本来の本当の豊かさを見失っているように思えてなりません。

 人類は良く言えば真面目、悪く言えば言えば遊び下手なのかもしれませんね。何故なら折角この短縮された時間分に更なる追加業務を重ねて行うシステムになってきているのですから。 8時間のうち4時間短縮られた余白部分を有意義に自由に使うのではなく、ただ圧縮された時間枠に利益追求の観点のみを上乗せしてしまう。 こういった事例は単なる利益を上げるための効率化の典型ですが、原発に象徴されるように、これでは本来の意味での豊かさ、本当の進歩とはいえないと思います。 私もこの「効率」という考え方に非常に危惧を感じていますが、最も危惧しているのはこの効率化が極端に行き過ぎると物理的に人体の能力ではいずれこの効率化のスピードに対応不可能になる時が来ると思っているから。要は便利にならばなるほど何故か忙しくなるという不条理。 原発も同じで効率がよい発電方法などという言葉に騙されてはいけないと私も思います。それは村上春樹氏が指摘しているように単に電力会社が効率良く儲かる仕組みだという事に他ならないのですから。 15万人が甚大な被害を受けた事故当事国が再稼働などとんでも無い事だと思います。 都民

37. 2015年4月24日 13:11:44 : v8dKGa6Xz6
 福島の事故を見て、ドイツやアメリカは、すぐさま、国民的議論になり、戦略を方向づけている。当事国の日本は、原因さえ、追求させないように、隠蔽したまま、国民用の調査報告をして、国民用の工程表を、でっち上げている。マスコミは、政府の圧力で、ジャーナリズムを捨てている。つまり、政治がリーダーシップを取らず、官僚が既得権益を維持する方向に動いただけ。まっとうな政治家が、選ばれる仕組みを、作らない限り、いつまでも、政治が機能しない。偽物ばっかり。世界中が、見抜いている。
41. 2015年4月24日 16:27:34 : Z49aSS98Vw
 原発事故が発生したら広範囲の周辺住民は「逃げる」しかないのだ。 「ひたすら逃げる」以外に危険を回避する方法が無いのが原発事故なのだ。 こんなバカなことがあるか? たかが発電だけの道具のために・・・ ワシなら蓄電装置さえあれば自家発電で生活できる。 毎日、一定時間ペダルを踏んで発電するのだ。 原発の電気が安いとか寝言を言ってる輩がいるが日本の電気料金は世界一高い。 韓国や欧米より数倍高いそうだ。
42. 2015年4月24日 17:50:09 : OiZ1HdcVic
>20さん
>一方の原発事故は、人為的ミスによる場合もありますが、福島の場合は自然災害でした。人間の力ではどうにもなりません。過去の災害規模から今後起こりうる災害を予測して対策したとしても、それを上回る規模のものが起こらない保証はありません。

 それに加えて原発と言うものは 自然災害を自然災害だけに終わらせず、無限大に「増幅」する装置でもあることを経験しました。そのような装置であることことを認識しなければならないとおもいます。 今 科学、科学的であることによっていろいろな可能性が示され、また科学と言うことが一種の信仰的な次元にまで高められて信じられていると思います。その科学という現象を人間あるいは命という次元から振り返って見てみる必要があるように思います。

51. 2015年4月25日 02:17:44 : 5VNX5jZmtM
 村上氏はイスラエルで、ユダヤ人を前に、パレスチナ一般市民に対して繰り返される、イスラエルの残虐非道な軍事攻撃を卵と壁という表現を用いて、断固反対の立場を表明した方。世界の指導者が決して口には出来ない、イスラエル政府の残虐非道な振る舞いについて、正々堂々、正論をぶつけた方。ノーベル賞などという世界平和の理念とは全く逆行するシオニストへの媚びへつらい賞など、永久に授賞されないであろう。
52. 2015年4月25日 08:42:28 : s2tlFuPAjw
 日本病を考える
 
 日本病 12の特徴
http://www.st.rim.or.jp/~success/nihonbyou_ye.html
 
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1599.html
 
 ネトサポ原発利権の、思考回路の特徴ですな  
59. 2015年4月25日 17:37:17 : w3M1BHSquE
 原発が効率が良い? 村上さんよお それ違うぜ ( ̄∇ ̄;) 。まったくもって効率など良くねえし なにしろ使用済み核燃料の最終処理にすら目途が付いていないのに効率の良し悪しなんて 論じる事すら早すぎます いや効率など良い訳が無い。核廃棄物の最終処分が実行されて初めて、どれだけのコストが必要なのかが ようやく確定するのであって現段階では、完全に【絵に描いた餅】でしかないのです。実はとんでもないほど悪効率だったというのが 原子力発電の正体だったんではないですか?その証拠に、原発が54基も作られていながら、我が国の電力料金は ちっとも下がらなかった事実がある。そして、原発事故によって初めて明らかになった 原発の利権構造 国民の血税を食い物にした原子力村の存在無駄遣いの極地とも言えるのが原子力政策だったと言えますな。なにしろ、もんじゅだけでもう4兆円ほど浪費しており 日本の借金1000兆とも言われますが、その内、かなりの部分が 原発のせいだ と、言えるかもしれませんぜ。







(私論.私見)