この遺書は納得できない。日付や時間がなければ、また動燃の便箋でなければ、まだよいが、こういう形では、あまりにも内容が信じられない。まるで主人が動燃を代表しているような遺書だ。
理事長はさらに、遺書を読み上げるとき、内容を変更して読んでいた。その場でこんなに変更できるか。毎日新聞で読んだとおりに全文出したが、オリジナルの遺書と違う。言葉も内容も少し。順番も後ろを先に言ったり。急に変更して読めるものか?別の書類を持って出たのでは。記者会見の場で。そうでないと急に変えられない。
N:理事長は今年6月13日に亡くなっている。何年か前に証人尋問に出てきた時に、「記者会見の場で遺書を別のものを読み上げるほどの能力があるのか」と聞いてみた。遺書を読むのなら、一字一句間違いなく読んで欲しい。
ここなんか面白いですよ。「我々動燃で働く人々は明日へのエネルギー確保のため自負を持ち、これまでもこれからも頑張っていこうとしています。」
N: (Showing the suicide note)
主人は動燃の代表みたいなことを書く立場ではない。もっと上に人がいるのだから。部長、室長、役員だとか。次長がこんなこと書くか。私は動燃社員だからわかる。やりすぎ。自分が代表したような。理事長が書くのならわかるよ。これはどっかでマスコミで披露して欲しいために書いた遺書としか思えない。誰が見てもおかしい。亡くなる人が動燃のいく末を考えて死ぬか?
私への遺書。3時40分まで生きていたのかしらと疑問。こんな一枚で、後のこと頼みますなんて。二人の子どもをねえ。冗談じゃないわよと思ったの。そして、動燃の仲間にお世話になって感謝しているなんて。書かされたのではないか。マスコミに対しての怒りの文言。マスコミが異常だったから、自分が怒りを感じて死んだといっている。
マスコミが騒いだから死ぬことになったといっている。マスコミに主人は出ていなかった。でもマスコミがどう騒いだからとか、言ってない。主人の記者会見は報道にもならなかった。テレビにも雑誌にも主人はまだ出ていない。実況中継したかもわからない。やっていないと思う。
3回記者会見やったが、多分報道になっていない。いきなりやったので。どこかは取っているかもしれないが。。
一回目の記者会見はTV朝日が取っている。2回目は理事長記者会見とっている。3回目は亡くなる直前。取っているところはどうだか。報道は縮小されるし。3回目も取っているかもしれないが、一切出てきていない。
The first press conference was recorded by TV Asahi. The second press conference with the Director General was recorded by TV Asahi. The third one was just before my husband died. I wonder whether any TV company took it or not. Maybe some company might have taken it at the 3rd press conference, but it was not shown on any TV program.
ところどころ、ザスクープなんかでは、一回目と2回目が少し出てくるが。主人が出てきたのは3回目のみ。主人は自殺するまで注目されたり上げ足も取られていたこともなかった。
N:主人が亡くなることによって、マスコミも引いちゃいますよね。過熱していたものが。
By my husband's suicide, media companies retrieved from the overheated coverage.
M:なくなる日の朝、新科技庁長官の中川氏のビデオをとってほしいだとか頼んだわけで、普通だったのですよね。
N:その頃、特命を受けていて帰ってこないこと多かった。1月4日出勤してから、二日しか帰ってきてない。何が起きたかわからない。もんじゅに出張したり、動燃で徹夜したり。結局話す暇がなかった。
12日朝7時半に出社。夜8時から10時5分に記者会見、それから霊安室。いったい何がこの人に起きたのか?動燃でどんな仕事してたの?と。この紙見たときに、書かされたと思った。会社の紙に書くわけない。上司に提出する書類、別の会社にお願いする時に提出する事があっても普通は持たされない。メモ用紙代わりには使えない正式書類の紙だ。
He left on the morning of 7:30 of 12th. He attended the press conference from 8 pm to 10:05 pm on that day. Then he was in the mortuary. What on earth happened to my husband? What kind of work were you doing for Donen?
When I saw his suicide note, I thought, "He was forced to write this."
It could be possible for him to choose a company letter pad for his suicide note. Usually, company letter pad is not possessed by company workers. Only when they write something to their superior or make some proposals to other companies, they use the letter pad and they usually do not have it. The company letter pad is an official paper not being used for memo or note.He left on the morning of 7:30 of 12th. He attended the press conference from 8 pm to 10:05 pm on that day. Then he was in the mortuary. What on earth happened to my husband? What kind of work were you doing for Donen?
When I saw his suicide note, I thought, "He was forced to write this."
大畑理事が第一発見者ということになっている。説明を聞いたときに、FAXがどこにあるのですかと聞いたら、青ざめてその場からいなくなってしまった。理事長秘書の田島さんへの遺書もあるのだが、飲み屋で遺書を渡されるのが頭にきた。そんなに安っぽい主人の命なのだろうかと。
田島さんが週刊誌で答えるのには、遺書の万年筆部分があるのだが、万年筆が見当たらない。また残余の紙もない。遺品の中にないと言うのはなぜ?違うところで書いたのではないか?
Mr. Tajima, the secretary of the Director General answered to a magazine reporter regarding the suicide note written by a fountain pen, but there was no fountain pen left. Also there were no extra sheets left from the letter pad. Why weren't there any pen or left-over sheets in his remain? I suspect my husband wrote his suicide note in some other place (not in the hotel room).
動燃から午前2時過ぎにホテルに送った5枚のFAXがない。
1月12日の10時5分までは記者会見。1月13日の0時45分にホテルにチェックイン。ファックスが2時過ぎ。だがチェックインの宿帳もFAXも出てこない。なぜいまだに一切出てこないのか。受信記録も出てこないし。当初から言っているのに、出してこない。
My husband was in the press conference until 10:05 pm on January 12, 1996. He was supposed to have checked in the hotel at 0:45 am and received FAX at 2 am.
However, there was no hotel registration record or FAX. Even now. I cannot get the record of receiving FAX either and I was asking for these thing right from the beginning but they do not submit these items.
一緒に泊まった総務部担当の大畑理事もそのFAX持っていないという。
今回裁判でいろいろわかった。大石理事長となんのためにホテルに泊まったか。大石理事長、安藤理事と渡瀬室長が証人尋問に出た。3人ともホテルに泊まると知らなかったといった。ホテルに泊り、次の日に福井に出張することも知らなかった。聞いていなかったという。
3回目の記者会見は安藤理事と渡瀬室長と西村だった。しかし、この2人は西村が福井に行くことを知らなかった。一緒に泊まった大畑理事と田島さん、文書係長の富田さんだけが知っていた。
渡瀬室長は広報部長で自分の知らない記者会見はないといっていた。予約をしてないと福井県のほうも開けない。
Section Chief Watase was also the Public Relations Manager and he said that there was no press conference which he wasn't aware of.
普通は出張する時には下着やハンカチ、その他を持っていく。急に決まったとしても広報部長が知らないわけがない。
福井で記者会見があるとしても理事長が発表内容を承認しなければならないので、ありえない話だ。
次男の15日の成人式を楽しみにしていた。なにが失敗していたとしても、自分の子どもの成人式を祝ってやるのが親。
被害者の家族が裁判費を使って裁判やらねばいけないのかと思うと、日本の制度が情けない。主人の亡くなり方は国が関わっていると思う。それで私たちが、こんなことまでしなければならないかと思うと情けない。
解決するかどうか、主人が亡くなったとき何が起きたかを知っている人は動燃職員、科技庁の人も関与しているかもしれない。私のほうでは調べようがない部分ある。もんじゅなんて動かしていたら、このような事件ひとつ解決できないようなもんじゅはあぶなっかしい。
I don't know whether this case will be solved or not. I think Donen workers know what was going on with my husband's death and maybe the staff of Science and Technology Agency might know. There are something I cannot make a search myself. If Monju went into operation, it would be very risky since even this kind of case cannot be solved.
私が黙っていたら、もんじゅがそのまま再開するだろうが、すぐ事故が起こると思う。私は社会に役立つかわからないが、なんとかしてみんなにわかってもらいたい。
西村さん インタビュー2
Mrs. Nishimura Interview 2
Mrs. Nishimura Interview 2
なくなった次の年平成9年5月1日に聖路加病院にもらいにいったんです。
ここは気管に挿入するために入れる器具が、こういうふうにうつっているんです。
遺体を見たときには、頭蓋骨骨折となっているのに、そうも見えないかった。担当の先生も頭蓋骨骨折していないといった。
こちらは側面からのもの。気管を開くために救急隊の人がいれたものです。骨折はしていない。どこがおかしいかというと、息をしている人は、ここは(頭蓋骨中心部)は真っ白にうつらない。ここが白くなると息が出来なくなる。西村さんはここが白くなっているから、ここに空気が入ってなくなったのでしょうと。あと、首も異常はないと。警察発表とは違って。
こちらは胸のほう。胸郭。生きている人だったらうつらないものが移っている。ここに線が入っている。両方とも筋がすーと入っている。これは筋肉の筋。筋肉は生きている人はこのように残らない。亡くなるのに時間が掛かった時に入る。即死では入らない。亡くなるのに時間が入った。肺か横隔膜に穴が開いていた。
一時間以上掛からなければこのような筋は入らない。エアは入らない。
打撲を受けて時間掛かってなくなるとこういう映像が残る。放医学関係の人は、これをみただけで飛び降りではないとわかる。胸の骨も鎖骨も残っている。背骨も残っている。8階から落ちるとまず鎖骨がおれ、首から背骨も異常がないのはおかしい。
鎖骨は誰でも折れる。ちょっとしたので折れることもある。見ただけで普通の専門家はわかると医者に言われた。聖路加にも法医学の教室にも持っていて、見てもらった。慈恵医大の先生は、法医学の人とレントゲン専門の人2人。刑事事件になると、どっかの大学の法医学の人が鑑定することになる。その時に呼べなくなると困るので名前はふせたい。
I do not want to tell their names since I cannot call them in if this case becomes a criminal case.
上野正彦さん、「死体は語る」の人だが、一番有名。彼にも見てもらった。裁判になると上野先生が出てくる可能性ある。もうひとり、東京医科歯科大学の支倉先生。はせくら。今はしゃべれないそうだ。平成十年くらいにすぐ聞きに行った。
主人が亡くなってからしばらく遺品も見れなかった。主人は何をしていたのだろうと、一周忌過ぎてから、やっと主人の遺品を見た。ダンボールをあけてみたら、いろいろ出てきた。動燃ってなにをしていたのだろうかと。
ひとつの箱から動燃が会社ぐるみで選挙応援していたのがわかった。しかも代々続いていたもの。後輩に譲るものと譲らないてよいものが。平成5年くらいの衆議院選挙の対応。こんなこと、動燃がやっていいのか。取りに来ないのも変。私が渡すべきもの?なぜ取りに来ない?
5年では東海事業所の管理部長だった。その時の選挙に対する、組織ぐるみでバックアップしているのがわかってびっくりした。梶山セイロクと塚原俊平の票を割り振って応援していた。ここに残っていたのは応援の仕方いろいろ書いてあった。動燃内で二派に別れ、出陣式や食事会など。
応援して欲しいとどこに来て欲しい場所。東海事業所と大洗事業所のバックアップ。それと講演会。二派に分かれていた。特殊法人なので、普通はこういうことはやってはいけない。私的な会社なら出来るが、公共的機関では禁止されている。
仕事そっちのけでやっているのがわかった。計画表とか、動燃の役員の体制。梶山と塚原を応援する名簿も。会長、会長代理、担当役、事務局。自民党を通すのに一生懸命。書類の中から受け止められていた。
I could tell that my husband was focusing on these activities without doing much regular work. He wrote schedules and organization of Donen board members including lists of people who supported Mr. Kajiyama and Mr. Tsukahara. The list included, the charman, the acting chairman, persons in charge, secretariat.
I could tell that they were making atmost effort to let Liberal Democratic Party to win. I could tell from these documents.
梶原セイロクは、後に、主人が亡くなったちょうどその日に官房長官になった。橋本が首相。どんなに不祥事が起きても、梶山が力を尽くした。例えば事故が起きても表に出てこないように、国民にわからないようにということが結構あった。例えば、東海事業所で事故が起きたのにふせられた。うやむやに書いてあるけれど、かじやまのおかげで表に出なかった。これより前の話だ。どっかにでてくるはずだ。95年の事故の前に。
塚原は通産大臣なので、そういう意味で力はある。なによりも原子力と直結している大臣だ。私も、ここまで名簿が割り振っているのかと。。。
Mr. Tsukahara was the Minister of MITI, and he was powerful in that regard. More than anything, he was the Minister who had direct connection with nuclear business.
塚原会と梶山会とあって、山之内所長、戸田副所長、大畑部長(一緒に居た人)、高木部長代理、田島課長(理事長秘書の田島)。Kが梶山、Tが塚原。こっちが梶山会、こっちが塚原会。割り振ってあるのがよくわかる。完全に割り振ってある。偏らないように。二人とも当選するように。何ページもある。
これ見てびっくりした。普通だったら動燃がとりに来ると思った。貴重だからね。なぜこんなのが残っているのかとびっくりした。
会社に置けないからと家に持って帰った。東海事業所から死ぬ3ヶ月前、平成7年9月末に東海事業所の管理部長から本社の総務部次長に10月一日に。その時の荷物だ。開けないでそのままにしていた。
My husband took these home saying that he could not leave these things in the company office. That was three months before he died.
My husband was promoted to vice department manager of Management Department from the control manger at Tokai branch on October 1st 1995. He brought this box at that time. I had never opened the box.
どうも東海2区と言うのは、茨城2区、取り扱い注意と書いてある、定員3名のところ5名の立候補予定者も書いてある。前回の平成2年2月12日の得票数も書いてある。梶山は小渕派。34.07% 塚原は三塚派、73057票、22.52%、社会党が大きい。梶山より大きい。大畠。労働者も多いから。日立製作所とか。
The document for Tokai 2nd Division says "Manage with care." It says 5 candidates for 3 seats. The document includes the last election's vote on February 12, 1990. Mr. Kajiyama was from Obuchi faction with 34.07%, Mr. Tsukahara from Mizuka, 22.52% with 73057 votes.
動燃が選挙対策本部まであるのだから。
東海村だったら、動燃と原研が主な。。。若い人がいっぱい居る。東海村には大きな会社はなくって。そこの票を取ったら当選する。社宅もあるし。そこを掌握すれば当選する。常陸太田のほうまで入っているかも。地元かも。
M: 必勝出陣式とかあって重要な事書いてある。出陣式はどこでやっていたのでしょう。
ここら辺を見ると、役員会議室で何かやっている。石川一夫会長,平成6年6月25日より計画している。所対応は中田副所長と西村管理部長。持参品が酒券10本分。一升瓶だか、なんだか。。。よくわからない。ピーナツと言うのもある。50名動員なんて。大変なことだ。
動燃俊青会は塚原。これも動燃で別の方が応援することに。笹尾副所長、萩原部長代理。こちらも酒券10本。ばっちり計画を立ててこの通りやるという感じになっている。
これはかなりきつい内容。東海事業書総務課、衆議院選挙への取り組み。予想される候補者。総務課は西村さんがいらっしゃった部署。管理部の下に総務課がある。管理部長だから、主人はその下に総務があるから、その中でこういうのが主な仕事だったのかとも。有権者数50万。支援組織、管理職層、梶塚に分割とあって。梶山会と俊生会と。大畠は組合が応援している。社会党が応援している。
M: 社会党は応援していないのですよね?-管理職は応援していない。
M: Donen was not backing SDP, wasn't it?
N: No management teams were supporting Mr. Ohhata.
大畠章宏さん(社会党)は推進?-わからない。でも社会党は反対でないはず。。。
M: Was Mr. Akihiro Ohhata promoting nuclear?
N: I don't know. But I don't think SDP was not against ...
M: Was Mr. Akihiro Ohhata promoting nuclear?
N: I don't know. But I don't think SDP was not against ...
大畠さんが一番取っている。意外な事実が。37%
大畠さんが一人くらい通っても良いという感じかな。後で大畠さんは調べてみます。
M: Maybe they thought just one person can win the election, which does not give influence. Let me check Mr. Ohhata.