水戸巌教授父子の登山中、事故死事件考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).5.20日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「水戸巌教授父子の登山中、事故死事件考」を記しておく。 2013.8.30日 れんだいこ拝 |
【水戸巌(みと いわお)教授略歴】 |
1933年3月、神奈川県横浜市鶴見区に生まれる。 小学6年の時に姉弟だけで一時福島県相馬郡新地村に疎開。 1945年、栃木県宇都宮市雀宮町に家族全員で疎開。その年に旧制宇都宮中学に入学し、新制宇都宮高校を卒業する。 1951年、東京大学理科一類に入学、大学院での原子核乾板を解析して宇宙線の起源を考察する研究が学位論文。 1960年、結婚。甲南大学に就職。エマルジョンチェンバーによる研究を継続。いっぽう甲南大学労働組合の活動と神戸アメリカ領事館前座り込みを続け、神戸べ兵連の設立にかかわる。一女二男にめぐまれる。 1967年、東大原子核研究所の宇宙線部門に移る。反戦運動が高揚する時期とかさなり、おびただしい逮捕者がでて単身救援活動をはじめる中から、救援連絡センター設立にむかう。70年代に入り、原発に反対する地域住民運動の要請を受けて、一人で現地に入りはじめる。やがて、全国各地の地域住民運動、弁護士、学者を結び付けるという水戸巌でなければできない地道な役割を担いつつ、自らも物理学者として、法廷に立った。 1974年、芝浦工業大学電気工学科に移ったのを契機に、放射能測定装置・ゲルマニウム半導体ガンマ線スペクトルメーターを設置し、原発立地地域の松葉を採取して放射能漏れを監視し、原発事故を予見する活動を始めた。チェルノブイリ原発事故でもいち早く、この装置が放射能の飛来をキャッチした。 |
1986年12月30日か31日、最愛の息子二人と共に北アルプス最北端の剱岳北方稜線で遭難、遺体で発見された(享年53歳)。 |
【水戸巌(みと いわお)変死事件考】 |
一番最初に現場に出動した山岳救助隊は、「これはただの遭難死ではない。特殊要員によって殺害されたようだ」と察知したと云う。良心的な反原発派の水戸巌と二人の息子の悲劇。水戸父子の登山中の不審死に暗殺・謀殺の疑念が生じている。名探偵・明智小五郎はいるか? 未亡人が、亡き夫の遺訓を死守して活動している。犯罪者と警察、検察、裁判所が結託しているサマにたじろぐほかない。役人が陰に回って有能な学者・市民を殺戮する社会でいいのか。日本の民主主義は砂上の楼閣だったのか。 |
(山崎康彦YasuhikoYamazaki) https://twitter.com/dadajiji/status/840864393868988416 |
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(私論.私見)