三陸巨大震災に伴う福島原発事故事件考その6

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).3.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、2011.3.11日の三陸巨大地震に伴う東電の福島原発事故を確認しておく。十分には整理されていないが、それなりに役に立つだろう。

 2011.03.12日 れんだいこ拝


2012年

 2012.4.19日、電気事業法に基づき、1-4号機廃止。

 9.19日、原子力規制委員会が発足。

 12.26日、自民党に政権交代。





2013年

 2013.3.18日、停電で使用済み核燃料プールの冷却が停止。約29時間後に復旧。原因は配電盤に進入したネズミ。

 3.30日、多核種除去設備(ALPS)の試運転開始。

 4.5日、地下貯水槽からの汚染水漏洩確認。

 7.8日、原発の新規制基準施行。

 8.20日、東電が第1原発の地上タンクから汚染水300トンが漏洩していたと発表。

 9.7日、国際オリンピック委員会総会での東京五輪招致活動で、安倍首相が汚染水問題を、「状況はコントロールされている」と発言。

 9.19日、安倍首相が、福島第一原発を視察し、東電に5、6号機の廃止要請。

 11.18日、4号機プールから燃料取り出し開始。

  12.18日、東電取締役会が5、6号機の廃止決議。

2014年

 2014.1.31日、5、6号機廃止。

 5.21日、建屋流入前の地下水をくみ上げて海洋放出する汚染水抑制策「地下水バイパス」で初めての放出。

 6.2日、建屋周辺の土壌を凍らせる汚染水抑制策「凍土遮水壁」の設置工事開始。

 12.20日、4号機プールからの燃料取り出し完了。

2015年

 2015年3.19日、宇宙線による1号機原子炉内調査で、大部分の燃料溶融確認と東電が発表。

 4.10日、1号機原子炉格納容器にロボット納入。

 6.12日、政府が廃炉に向けた工程表を改定。1-3号機プールからの燃料取り出し開始を延期。

 8.11日、九州電力川内原発1号機が新規制基準に基づく初の再稼動。

 9.14日、建屋周辺の地下水を汲み上げ、海へ流す汚染水抑制策「サブドレン」で初の放出。

 10.15日、川内2号機が再稼動。

 10.28日、汚染地下水の海洋流失を防ぐ海側遮水壁が完成する。

2016年

 2016.1.29日、関西電力高浜原発3号機が再稼動。

 2.26日、高浜4号機が再稼動。

 3.11日、福島原発事故から5年が経過し6年目に入る。

  「半歩前へⅡ」の2016/10/18付けブログ 「東電べったりの飯館村長が被災地で6選果たす!」。
 「▼東電べったりの飯館村長が被災地で6選果たす!
 東電原発の「計画的避難区域」に指定され、今なお、土壌からは放射能の検出が続いている福島県飯舘村の村長選は新潟県知事選と同じ16日に行われ、飯舘村長に現職の菅野典雄(69)が6選を果たした。

選管確定
現職の菅野典雄 2123票
新人の佐藤八郎 1542票

 菅野典雄は2011年3月14日、東電原発の爆発で、飯館村の「空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」というのに、「誰にも言わないでくれ」と口止めした男だ。飯館村前田区の区長である長谷川健一が証言した。

 その後、飯館村の放射能は100マイクロシーベルトを超えた。「知らせてくれたのはジャーナリストの方です」と長谷川。

 菅野は村をゴーストタウンにしたくないばかりに、村民にウソを付き、足止めをした。子供や女性ら多くの村民は避難せず、村にとどまった。残酷すぎる話だ。

 これだけ長期にわたって被曝すれば10年、20年後に様々な影響が出てこよう。菅野はその責任をどうとるのか? この人物については、「いろいろ」ある。長くなるので詳報は次回に譲る。

 それにも増して、よく分からないのは、村人が性懲りもなくなぜ、こんな男を村長に選んだのかという点だ。菅野は5期0年間、村長を務めた。その間、村民は散々騙され続け、利用され、その挙句が放射能被曝だ。  私には理解できない。
」。

 「そりゃないよ!  常識では考えられない選択だ 」。
 除染はわずか15%で、85%を占める森林は手つかず。雨や雪のたびに放射能が山から舞い降りる。そんな場所に「帰れ」と呼び掛ける村長。村民の健康、子どもの命はどうなるのか?

 原発被災地、福島県飯館村で6日、村長選挙が告示となる。出馬するのは村民の帰還を勧める現職村長と、「村民の合意ない帰還はあり得ない」とする村議。

 だが、仮設住宅へ入居しているのはわずか14%。残り86%の村民は東京はじめ全国25の都道府県に分散避難している。

 だから、選挙期間中に候補者の主張を村民が聴く機会はほとんど無い。そんな条件の下で選挙をして果たしてどれほどの意味があるのか?

 今回の選挙で「最初で最後」と言われる公開討論会の模様を「民の声新聞」がレポートした。その中から今回は現職村長、菅野典雄の主張を聞いてみよう。

 来春の避難指示解除は「村が勝ち取ったもの」と主張し、村民の帰還を勧める。2018年4月からの村内学校再開に関しても、菅野は「これ以上遅れると村内で学校が再開できなくなる。出来るだけ早く学校を再開することが村の復興につながる」。

 健康問題に関しては、「複数の専門家から『放射線の健康への影響は極めて小さい』という声が出ている。長期の医療費無償化は国民の合意が得られないのではないか」と菅野は、放射能の心配はないというのだ。

 村民の命や健康より帰還を優先する。常識では考えられない選択だ。何か引っかかる。帰還を急ぐ裏に何か隠されたものがあるのではないか、と疑いたくなる。
 「中学生たちから猛反発を食らったあのひと!! 」。
 ひたすら飯館村への帰還を急ぐ現職村長に立ちはだかったのが村議の佐藤八郎だ。安倍政府の来年3月末での政府の避難指示解除についてなぜ原発事故被害者である私たちではなく、国や村長が決めるのか」と疑問を投げかけた。

 「避難指示解除には村民の合意が必要。被害を受けた私たちが決める。まず来春の解除は白紙撤回すべきだ」と主張した。

 2018年4月からの村内学校再開に関しても、佐藤は、再開時期を先に発表した後、保護者との懇談会を開いている」と、批判。

 「子どもは村の宝で大切な命。子どもにまで被曝させたくない。将来、病気を発症しても『原発事故との因果関係は無い』で片づけられてしまう。自己責任を取らされる方々(保護者)の合意を得られない限り、村内での学校再開は延期するべきだ」と語った。

 佐藤は「年1mSv(ミリシーベルト)を目指さなければならない。除染の進め方について独立したチェック機関が必要だ」と強調。さらに「原発事故で奪われた基本的人権(幸福追求権)が回復するまでは加害者に責任がある。これまでの賠償が村民のためになったのか、十分に検証する」。

 健康問題には「5年を過ぎた、これからが健康への影響が重要になる。他の公害事件を参考に、これまでのやり方を検証する」と語った。

 最後に佐藤は「本当の住民自治とは何か。今やるべきことは情報公開と、村民の協議による合意。憲法の保障する基本的人権を尊重することだ」と訴えた。

村民の意見に耳を傾けない菅野典雄・飯館村村長の〝独善ぶり〟に対する村民の不満は根強い。ある村民は「バリバリの〝村長派〟ですら、今回の村長選挙では投票しないと言っている」と語る。

 村内学校再開問題でも、村が一方的に来春の再開を決定した。PTAや中学生自身からも猛反発に遭い、1年間だけ延期した経緯がある。

 今回の公開討論会で用意した200席に対し、来場した村民は150人。ほとんどがお年寄りで「動員だ」との指摘もある。

 菅野村長とともに村民帰還を推進する大谷友孝村議会議長や太田光秋県議県議(自民党)の姿があった。

 そもそも避難指示が継続中の村内での公開討論会には抵抗が根強い。「どうせ村長は意見を聴かない」というあきらめムードも手伝って、子育て世代の姿は無かった。

 「村民に過酷な被曝をさせた飯館村村長」。
  スポンサーサイト原発・放射能の死角  »  村民に過酷な被曝をさせた飯館村村長
画像はこちら様「ベルリンで行われた飯館村・前田区長のスピーチ」から拝借

 「誰にも言わないでくれ、村長に口止めされているんだ」

やっと飯館村が「妊婦や乳幼児を村外避難させる方針を固めた」のが4月6日になってから。
この報を聞いた人たちは、ほっと胸をなでおろしたことでしょう。

事実、ツイッターや掲示板、ブログには「妊婦さん、赤ちゃんがやっと避難できる、よかったー」としみじみ書き込んでいる人を多く見かけました。
その前に、、ネット上では「国や自治体の決定を待っていたら大変なことになる、早く逃げて」という多数の訴えが上がっていました。

どの原発立地の自治体も、そうですが、特に飯館村には当初から不可解なことが多すぎるのです。
福島の自治体の首長たちは徹底的に隠し事をしてきたのです。

20111225-1.jpg

ツイッターの中を流れ流されて、偶然、このツイートを見つけたのは3日ほど前だったと思います。

この手の情報には、意外にガセが少なく、新たな真実が発掘される糸口になることが多いのです。
本物を匂わせる情報の欠片さえあれば、その奥に隠されている多くの真実にたどり着くことができるのです。

ただし、こうした種類の情報の裏を取るのは、行幸を頼むようなところがあります。
しかし、意外に早く見つかりました。

村民に線量を低く見せるために、モニタリングポストの周りだけ、高圧洗浄機で除染した


また飯館でジャーナリストや、今中助教が測っている数値と、モニタリングポストの数値が違いすぎる。おかしいと思うとモニタリングポストの周りだけくっきり高圧洗浄機で除染した跡があったというのです。真偽は確かめられませんが恐ろしいことです。

という一節があります。


これは村役場前に設置された線量を示す電光掲示板。(こちら様から)  
とても不思議な写真です。だから印象に残っていました。

なぜ、この“記念写真”に不自然さを感じてしまうかというと、「金」の臭いがするからです。

「東京のシステム会社が無償で放射線量測定器を設置した」そうです。

こんな機器などなければ、あまりに線量が高いので、自主避難する人たちも、もっと増えたでしょうに。
この機器は、結果として、低い線量を村人たちに信じ込ませるためだけに活用されたのです。

20111225-3.jpg

これが正常な考え方です。
飯館村の村長の表情との間には、大きなギャップを感じてしまいます。

 福島県飯館村の酪農家長谷川健一さんの講演を聞いてきました。 この中記事の中に、福島県飯館村前田区、長谷川区長さんのスピーチ

 これは11月27日、ベルリンで行われた「福島県の人びとによる報告」と題する講演会で、福島県飯館村前田区区長である長谷川健一氏のスピーチ内容とのこと。読みやすいように、全文、転載させていただきます。
 長谷川さんのスピーチ内容
 私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。私の住む飯館村にプルトニウムが降ったのです。放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」。しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。翌朝、3月15日の朝、6時半に 地区の人が続々と集まって来ました。そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の 放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。私は、地区の住民に言いました。「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。そのとき、北西の風が吹いていました。飯館村は原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。しかし、それはかないませんでした。避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。ですから、一部の人しか避難しませんでした。これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。44.7マイクロシーベルト/時と書いてあり ます。ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。しかし、その少し後に、今度は別 の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は 村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。その後、村は計画避難区域に指定されま したが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」 と突然言われ、村民は怒りました。私は酪農家です。この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。毎日、牛乳を捨てました。村が避難の対象となったとき、牛は連れて 行ってはいけないと言われました。私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言 いながら追いかけました。そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌 道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。彼はそれが悲しくて泣いているのです。飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。「原発さえなければ」と書いてあります。「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。27,62マイクロシーベルト/時と出ています。現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。私は、
国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。ところが、事故が起こっ て、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。そんなことは絶対に阻止しなければなりません。これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。間は何の痛痒も感じないのでしょうか。この人は、本当に公務員なのでしょうか。私は、「飯館村の不可解」を初期の頃に感じていました。しかし、今、そのときの私の心配は妄想ではなかったことが分かりました。

1号機水素爆発-住民には知らせず逃げた町議会の人々

この記事は、吉田前(福島第一原発)所長が、3月11日の原発人災事故当日から緊急事態であることを自治体に知らせていたことを書いたものです。

そして3月12日の午前の0時を過ぎてから、第10条通報に切り替え、福島県庁、その他市町村、もちろん原発立地の町村宛てにFAXを送っていた事実を書いたものです。何通も、何回も。

各市町村の首長たちは、原発が水素爆発を起こす可能性が高いことを、ずっと前に知っていたのです。
隠蔽は、何もSPEEDIだけではありませんでした。

むしろ、これら各自治体の首長たちが、取った手段のほうが犯罪的です。
しかし、この愚か者たちは、自分がやっていることが殺人的な行為であることさえ自覚できなかったのでしょう。

これは飯館村の村長だけでなく、どの自治体の首長も、同じことをやって住民の避難を遅らせたのです。

もっとも悪質なのは、町や村の役場には吉田所長の第10条通報が来ていたのに、住民に知らせないどころか、議会の町議たちだけ逃げてしまった原発立地の自治体があったのです。

1号機水素爆発-住民には知らせず逃げた町議会の人々


この記事には、どこのどなたから「議会の連中だけ逃亡」したという情報があったのか書かれていません。
初期の段階では放射能の危険性について警告をするだけで、さまざまな妨害が入っていたのです。

当ブログにさえ妨害が入っていたのですから、福島ではなおさらでしょう。
だから、情報提供者については、あらゆる連想につながる一切のヒントも書かないでしょう、永遠に。

健康被害を防ぐために事実を知らせようとすると、これほど注意深くしなければならない事態が正常ですか?
どう考えても、私は狂っていると思います。






(私論.私見)