元通産官僚・飯塚幸三の原子力ムラ重鎮考 |
更新日/2019(平成31).4.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「元通産官僚・飯塚幸三の原子力ムラ重鎮考」をものしておく。 2019(平成31).4.29日 れんだいこ拝 |
【池袋で暴走し母子を轢き殺した元官僚は原子力ムラの重鎮だった! 天下り先のクボタは福島の廃棄物処理業務に参画】 | ||||
「★阿修羅♪ > 原発・フッ素51 」の魑魅魍魎男氏の2019 年 4 月 26日付投稿「池袋で暴走し母子を轢き殺した元官僚は原子力ムラの重鎮だった! 天下り先のクボタは福島の廃棄物処理業務に参画」その他参照。 2019年4月19日、旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長/飯塚幸三(87歳)がトヨタのプリウスを運転し、東京都豊島区池袋でガードパイプに接触した後、自転車に乗った男性を跳ね、続いて横断歩道を自転車で渡っていた松永真菜さんと長女の莉子ちゃんを轢き殺し、ゴミ収集車と衝突し横転させた後、他に7人の歩行者をはねて重軽傷を負わせストップするという多重事故を引き起こした。ひき逃げだったとの目撃情報がある。 事故後、真っ先にしたのは119番への救急要請ではなく、息子の飯塚智浩に指示電話し、弁護士への根回し、Facebookアカウント削除、Twitterの削除、Wikipedia編集ページのロック、ストリートビューで自宅にモザイク、経済産業相の勲章贈呈ページの削除、自宅電話番号解約、日本淘道会の理事長辞任。 こいつは救急車にて病院で逮捕を逃れる。こんな卑怯な男、飯塚幸三を朝日もNHKもマスコミは「87歳の男性」と匿名で呼んだ。次に飯塚幸三さんと「さん」付けした。母子2人をひき殺し、8人に重軽傷を負わせた男に「さん」付けした。理由は警察が逮捕しなかったからだという。 バッシングに対する対策に全力を注ぎ遺族への謝罪は無し。
元通産官僚・飯塚幸三容疑者は原子力マフィアの一員にして原子力ムラの重鎮である。原子力委員会専門部会・核融合会議の構成員だった。1986(昭和61).8.22日、フクイチ(東電福島第一原発)の原子炉の設置変更に関する会議が開かれ、原子力委員会議事録が次のように記述している。
飯塚幸三は原子力委員会専門部会に在籍し、福島原発の原子炉設置変更に関与した。 次のような内部告発もある。
天下り先のクボタは福島の廃棄物処理業務に参画していた。2018/3/19、株式会社クボタが「福島県双葉町減容化施設における廃棄物処理業務に参画~仮設焼却施設から発生した焼却灰の減容化に貢献~」。クボタは22日、公式サイトを更新。「この度の、東京都豊島区東池袋で10人の方々が死傷された事故に関しまして、大変痛ましい事故であり、お亡くなりになられました方々に対して衷心よりご冥福をお祈りするとともに、お怪我をされた方々にお見舞い申し上げます。当社元副社長の飯塚幸三氏はすでに当社を退職しており、会社としてのコメントは差し控えさせていただきます」とした。また、「なお、当社現執行役員の飯塚智浩と元副社長の飯塚幸三氏との間に縁戚関係等はありません」と、ネット上の臆測を否定した」 。 水道橋にある社団法人・日本淘道会の理事長だった。
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【飯塚幸三の履歴考】 |
事故を起こした「飯塚幸三」の履歴は次の通り。
1931年 - 。1931年、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)にて生まれる。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、旧制浦和高等学校を経て東京大学工学部応用物理学科卒業。1953年に通産省に入省。技術畑を歩み86年、傘下に13の研究所と約3000人の研究者を抱える工業技術院長に上り詰めた。1972年、工学博士(東京大学)。日本の工学者。 |
通産省時代の同期で田中角栄元首相の秘書官でもあった、小長啓一元通産事務次官が振り返る。「工業技術院長は技術職としては最高のポスト。飯塚さんは傑出した能力、調整力、リーダーシップを発揮していました。第一次石油危機の際には、再生エネルギーなどの議論を進める『サンシャイン計画』に関わっていたと思います」。 |
「 一般社団法人 日本淘道会 」( 東京都文京区 )。日本淘道会の発足は1944( 昭和19 )年で現在の会員数は約300人。飯塚幸三氏が理事長を務める。 「2019年2月7日:淘宮発表記念講演会の御知らせ」。「淘宮」とは、各自が持っている十人十色の性格のあらわれ方を見極めて、それぞれに合わせて性格を改善し、自分で運命を開く方法( 術 )を学ぶ精神修養法のことです。創始者である淘祖(横山丸三)が淘宮術を世に発表されたのが1834年(天保5年1月16日旧暦)。これを記念して毎年2月に淘宮発表記念講演会を開催。 一般社団法人・日本淘道会の活動拠点となる、淘道会館がある文京区の、とある建物の玄関前に「淘宮術発祥の地」という石碑が建っている。その「淘宮術」とは何か? 淘宮術(とうきゅうじゅつ)とは、天保5年( 1834年 )に横山丸三( まるみつ )が創始した開運のための修養法で、「 淘 」はよなげる、洗い清めるの意、「宮」は心の宿るところ、すなわち人体を表す。人は生まれつきの癖を洗練することにより、淘げのできた心、すなわち本心が顕われ、生まれつきの運命を改善できるとし、気質の偏りを矯正して幸福な人生を過ごすよう修養する。 日本淘道会の土台の創始者の横山丸三氏とは、江戸幕府の御家人であった横山丸三は
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「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK260」のお天道様はお見通し氏の2019 年 5 月 02 日付投稿「飯塚幸三が「リクルート事件」のときに筑波にCrayのスパコンを入れたw update11 弁財天」。
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(私論.私見)