原子力技術史考

 更新日/2016.10.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「原子力技術史考」をものしておく。

 2016.10.29日 れんだいこ拝


原子力技術史考
 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素46>」の魑魅魍魎男氏の2016 年 10 月 26 日 付投稿「正力松太郎が日本に最初に導入したのは英プルトニウム生産用黒鉛炉 平和利用は大嘘 最初から核兵」を転載する。
 SAPIO2016年9月号に戦後史家の有馬哲夫氏が、正力松太郎が日本初の原発導入のいきさつについて書いているので引用しよう。

 「正力松太郎を操ったCIA局員の人生」 (NEWSポストセブン 2016/9/2)
 http://www.news-postseven.com/archives/20160902_438114.html
 http://www.excite.co.jp/News/world_g/20160902/Postseven_438114.html
 「戦後史家・有馬哲夫氏が新たに公開された機密文書から戦後秘史を読み解く『SAPIO』の連載。今回は、「原発の父」こと正力松太郎氏を操ったCIA職員について有馬氏が綴る。 (中略)この後2年にわたって朝日新聞はもちろんのこと、広島に本拠を置く中国新聞まで読売新聞の顰に倣って原子力平和利用推進キャンペーンを張った。当のメディアが意識していようといまいと、これは強力な親米化プロパガンダとして働いた。しかし、CIAは、これだけ正力を利用しながらも、原発を与えることはなかった。日本が核武装することを恐れたからだ。正力はイギリスからそれを輸入しなければならなかった。一方、正力もさるもので、アメリカの反対をはねのけて導入したコルダーホール型原発は、プルトニュウム(原爆の原料)生産が主で、発電が従というものだった。実は正力と産業界のトップは、これを足掛かりに原発と核兵器を生産し、輸出することを目指していたのだ。今日この目標の半分が実現をみている。正力(そして本シリーズの日本人主人公)は、ただ利用されて終わる男ではなかった。 (以下略)」。最初から正力が兵器プルトニウム生産を目的として原発導入をすすめていたという指摘はその通りだろう[1]。

 このコルダーホール型原発、正しくは黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉(マグノックス炉)という名称だが、天然ウランを燃料、黒鉛を減速材に使い炭酸ガスで冷却する原子炉で、主目的は兵器級プルトニウム生産であり、発電は副次的なものであった。日本が最初の原発の導入を検討していた1956年当時、まだ米国の軽水炉は建設中で実績がなく、英国のコールダーホールはすでに発電を行なっていたのでそれを導入した、というのが通説である。しかしコールダーホール型原子炉は大きいわりに発電量が小さく効率が悪く、発電用としては軽水炉のほうがはるかに有利かつ有望であることは当時から明らかであった。少し待って軽水炉を導入せずに、コールダーホール型を導入したのはプルトニウム生産が目的だったからだ。この点は有馬哲夫氏の指摘は正しいと思う。

 しかし正力が米国の反対を押しのけて英国から無理やりこの原子炉を導入したという主張は間違いだろう。正力はCIAのスパイであった。A級戦犯に指定されたにもかかわらず無罪放免になったのは、米国のスパイになることを受け入れたからだろう。同じくA級戦犯だった安倍晋三の祖父、岸信介や笹川良一と同じである。そんな正力が御主人様の米国の意向に逆らって勝手に英国から原発を買えるわけがない。米国の承認を得て英国の原子炉を導入したことは確実である。正力は日本に原発を導入するにあたり、プルトニウム生産を条件にし、米国はそれを認めた。そして、まずそれに適したコールダーホール型の原子炉を英国から導入し、その後は各電力会社に米国の軽水炉を導入するという密約を米国と結んだに違いない。日本に米国軽水炉を何十基も導入させることで、米国は莫大な利益を上げた。そしてさらに日本にプルトニウムを生産させ、その上前をはねて大儲けしてきたのだ。英国は使用済み燃料の再処理でこれまた莫大な利益を上げた。 重要な点は、原子力の平和利用という原発キャンペーンは大嘘であり、最初から兵器用プルトニウム生産が目的だったということだ。発電はいわば暴力団のフロント企業の表稼業のようなもので、裏の本業はプルトニウムの生産だったのだ。これが原子力産業の正体である。

 茨城県東海村に原子力施設を誘致、兵器用プルトニウム生産のメッカにしたのも正力である。そしてその作業中に起きたのが、あのJCO臨界事故である。それにしても当時の出来事を調べていると、正力松太郎のメチャクチャな横暴ぶりにあきれる。特高警察あがりの正力は科学者でも技術者でもない。原子力の知識は皆無である。1955年の原子力平和利用博覧会で、原子炉の模型を指差してあれを自宅用に1台手配しろと言ったという逸話が残っているぐらいだ。そんなド素人が原子力委員会の初代委員長になって、科学的な議論も検討もなく、金儲けを最優先に何でも好き勝手に決めていったのだから恐れ入谷の鬼子母神である。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は正力の要請で原子力委員になったが、慎重な科学的議論なしに性急に原発の輸入と建設を進める正力に激怒して委員を辞任したのは有名な話である。

 金儲け最優先、一番大切な科学的な検証・検討は二の次三の次、不都合な科学的真実は御用科学者に隠ぺいさせる、というとんでもない悪しき伝統は、彼が産み出したものである。そのメチャクチャな原発行政が今日まで尾を引いており、福島原発事故を引き起こしたことは言うまでもない。正力は「原子力の父」と言われるが、原子力技術に対してはド素人であったから、そう呼ぶのは不適切である。核武装の父、デタラメ原発推進の父、原発事故の父、そして日本崩壊の父と呼ぶべきだろう。 正力松太郎は子分の中曽根康弘とともに、原発を爆発させ日本を崩壊させた超A級戦犯として歴史に名を残し、何世代も先までくそみそに罵られることになるだろう。

 (関連情報)

[1] 「原発即時ゼロで失われるものー電力、外交カード、そして」 (ポリタス 有馬哲夫 2015/6/11)
http://politas.jp/features/6/article/386

[2] 「コールダーホール原子力発電所」 (ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%
BC%E3%83%AB%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

[3] 「マグノックス炉」 (ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%82%
89

[4]「東海発電所」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

[5] 「巨怪伝」 (第12-13章、佐野眞一・著 文春文庫)

[6] 「1955年 原子力平和利用博覧会 正力松太郎は展示の小型原子炉を見て自宅用に1台手配しろと言っ
た」(拙稿 2015/1/17)
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/644.html

[7] 「柏崎刈羽原発は田中角栄が土地買占めでボロ儲けするために誘致された 旧油田地帯で地盤は最悪 
即廃炉にせよ」 (拙稿 2016/4/29)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/590.html

[8] 「地質調査は全くせず、政治家の"ご都合"で原発建設地が決まる大地震国ニッポン」 (拙稿 2014/9/8)
http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/246.html

コメント
2. taked4700[5738] dGFrZWQ0NzAw 2016年10月26日 19:56:31 : IEIUDdaqpg : wShiVHQKDk8[3]
>>01

>正力の真の狙いはアメリカのサポートによる総理大臣就任だろう

 01さん、自分もそう思います。戦後すぐに日本も核武装できると思う政治家、民間人、官僚は居なかったでしょうから。 アメリカの動機ははっきりしています。

 運転開始日の一覧 (運転開始日順、古いものから並べたもの)で最初から16番目までは次のようになります。

1.日本原子力発電東海発電所(廃炉)1966年7月25日(清水建設、)

2.日本原子力発電敦賀発電所1号機沸騰水型軽水炉(BWR-2)1970年3月14日(大林、1965/05)

3.関西電力美浜発電所1号機加圧水型軽水炉1970年11月28日(大林、1966/04)

4.東京電力福島第一原発1号機BWR-3(廃炉)1971年(昭和46年)3月26日

5.関西電力美浜発電所2号機加圧水型軽水炉1972年7月25日(大林、1967/12)

6.中国電力島根原子力発電所1号機沸騰水型軽水炉1974年3月29日

7.東京電力福島第一原発2号機BWR-4(廃炉)1974年(昭和49年)7月18日

8.関西電力高浜発電所1号機加圧水型軽水炉1974年11月14日

9.九州電力玄海原子力発電所1号機加圧水型軽水炉(PWR)1975年10月15日(大林、1970/05)

10.関西電力高浜発電所2号機加圧水型軽水炉1975年11月14日

11.中部電力浜岡原子力発電所1号機(廃炉)BWR1976年3月17日

12.東京電力福島第一原発3号機BWR-4(廃炉)1976年(昭和51年)3月27日

13.関西電力美浜発電所3号機加圧水型軽水炉1976年12月1日

14.日本原子力研究開発機構常陽Mark-Ⅰ高速増殖炉(廃炉)1977年4月

15.四国電力伊方発電所1号機PWR1977年9月30日

16.動燃事業団ふげん新型転換炉(廃炉)1978年03月20日

 茨城県東茨城郡大洗町にある常陽を入れて、東日本にある原子炉は5個です。16個中11個が西日本なのです。しかも、その11のなかの7つが若狭湾です。若狭湾は、西風が年中吹いている日本に於いて、関西や首都圏壊滅には最も向いた立地です。アメリカは、基本的に、日本に原発を導入させ、地震によって原発事故、放射能汚染させることを最初から狙っていたのです。だからこそ、軽水炉よりも耐震性が劣るコールだーホール型を最初に輸入させたのです。 「一方この型の原子炉については従来から国内の一部にその経済性と安全性,特に炉心部が黒鉛ブロックを積み上げたものであるため耐震性の問題について根強い批判があった。」( http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1958/sb20205.htm )とありますから、耐震性に問題があることが分かっていながら、アメリカは日本に輸入を許したわけです。場所は茨城県東海村ですから、それなりに首都圏に近い場所です。

5. 2016年10月27日 14:12:03 : wkuwVLOFVg : 3DJI3wIdl90[3]
 イギリスのコールダーホール原子力発電所の目的は、兵器級プルトニウム生産だった、と書いてある。

>The first two stations (Calder Hall and Chapelcross) were originally owned by the UKAEA and primarily used in their early life to produce weapons-grade plutonium

https://en.wikipedia.org/wiki/Magnox

 日本語ウィキの「マグノックス炉」の説明の中に、奇妙な一文が現れる。

>マグノックス炉は、余剰反応度が元々小さい為、燃料を効率よく燃焼させることが難しく、安定して運転を行うためには頻繁に燃料を交換する必要がある。例えば東海発電所では、大きな燃料交換機を使用し、一日に20本から30本の燃料棒を交換していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%
E7%82%89

 英語版ウィキでは、燃料交換は年2回程度と書かれている。

>with two fuel loads per year.

 日本語版ウィキは、兵器級プルトニウム生産の痕跡を消そうとして、勇み足をしてしまった感がある。不純物の少ない兵器級プルトニウム(Pu-239)の生成には、その程度の頻度(1日だけで取り出すことはあり得ないけれど、少しづつ交換していると結局、毎日交換されるようになった。)が最適なのかもしれない。 これは、福島第一原発4号機でも行われていた方法のように思われる。







(私論.私見)