東電旧経営陣3名刑事裁判考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).1.19日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで「東電旧経営陣3名刑事裁判考」をものしておく。

 2015.04.15日 れんだいこ拝


【東電旧経営陣3名刑事裁判の初公判】
 2011年3月の福島原発事故の東電の責任を問う東初の刑事裁判が始まった。福島県では原発事故によって16万人以上が避難し、現在も約8万人が県内外に避難している。

 2017.6.30日早朝、東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴されるきっかけとなった告訴や告発を行った住民などのグループ、「福島原発告訴団」が東京地方裁判所の前に集まり、「原発事故の責任を問い、真相を究明するため、ともに闘いましょう」などと訴えた。住民グループの団長の武藤類子さんは、NHKの取材に対し、「初公判を迎えるまでは、とても長い道のりで、一緒に告訴した人の中にはすでに亡くなった人もいます。本当は事故を防ぐことができたのではないかということが、少しでも明らかになることを望んでいます」と話した。原発事故の刑事責任が争われる初めての裁判を傍聴しようと、東京地方裁判所には多くの人たちが集まった。裁判所発表で、54席の傍聴席に対して717人が傍聴を希望した。倍率はおよそ13.2倍。

 午前9時半前、2011.3月の東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力旧経営陣3人(元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎(71)、武藤栄(67))の3名が、硬い表情で弁護士とともに東京地方裁判所に入った。

 午前10時、東京電力旧経営陣3人の刑事裁判が、東京地裁(永渕健一裁判長)の最も広い104号法廷で始まった。有罪となれば、最大5年の禁錮刑が言い渡される可能性もある。

 検察審査会の起訴議決による強制起訴は9例目となる。原発事故のように甚大な被害をもたらした特殊事故の強制起訴裁判は、過去に兵庫県明石市の歩道橋事故やJR福知山線脱線事故の例がある。2件とも被告が業務上過失致死傷罪に問われたが、有罪とはならず、今回も検察官役の指定弁護士は難しい立証を迫られそうだ。花火大会の見物客ら11人が亡くなった歩道橋事故の裁判は、昨年7月の最高裁の上告棄却決定で「免訴」(時効成立を認定)が確定。最高裁は有罪・無罪に触れなかったが、1、2審は「被告(警備を担った警察署の元副署長)が当日、事故を予見するのは困難だった」と実質無罪を示した。107人が死亡した福知山線事故の裁判は今月、最高裁の上告棄却決定で無罪が確定。決定はJR西の元社長らが「現場で事故が起きる危険性を予見できたとは認められない」と結論づけた。 軽井沢のバス事故では、バス会社の社長、運航者は逮捕されている。

 最大時には約16万人が避難した世界最悪レベルの原子力事故で刑事責任を問われるのは、3人が初めて。 旧経営陣3人に対する起訴内容は次の通り。
 「東電の勝俣元会長ら3被告は、福島第1原発の原子炉建屋の敷地(海面からの高さ約10メートル)を超える津波が襲来し非常用電源などの機能が失われて事故が起きる可能性を予見できたのに、防護措置を怠った過失により原発事故を招き、福島県大熊町の双葉病院からの避難を余儀なくされた入院患者ら44人を死亡させ、患者たちは原発事故によって長距離、かつ長時間の避難を余儀なくされた。がれきに接触するなどした東電関係者や自衛隊員ら計13人を負傷させた」云々。

 震災の1年後に発表された国会事故調査委員会の報告書の英語版では、原発事故は日本特有の「反射的な従順性、権威を問いただすことへのためらい」などが引き起こした「メイド・イン・ジャパン」の人災だと指摘している。
 旧経営陣の釈明は次の通り。
 勝俣元会長は、罪状認否の冒頭で「重大な事故を起こしおわびします」と謝罪の言葉を述べつつも、「津波と事故を予見することは当時、不可能だった」などと述べて起訴内容を否認した上で「刑事責任は私には適用されません」と無罪を主張した。
 武黒元副社長は、「多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝罪の言葉を述べた後、「しかし、本件事故を予見することは不可能でありました」、「私は無罪であります」。
 武藤元副社長は、「事故当時の役員として深くおわび申し上げます」と謝罪の言葉を述べた後、「しかし今振り返ってみましても、(事故は)予見できなかったと考えます」。

 こうして、結果責任を取らない経営者であることを白日の下に晒した。
 続いて検察官役の指定弁護士が冒頭陳述を行った。3人は原発の安全を確保するため、最終的な義務と責任を負っていたと主張。勝俣氏については「意思決定に関わる会議に出席しており、実質的な指示、判断を行っていた」と指摘。武黒、武藤両氏もそれを補佐する立場にあったと訴えた。その上で、「津波はいつ来るかわからないのだから、予見できた時点で原発を停止しても対策を取る必要があった。遅くとも震災前には予見できた」と述べた。

 武黒、武藤両元副社長は08年、政府の地震調査研究推進本部(推本)が「三陸沖に巨大津波が発生しうる」とした長期評価に基づいて社内で出された想定津波(高さ15・7メートル)について報告を受けていたと指摘。勝俣元会長も09年の社内会議の部下の発言から、巨大津波の可能性を認識できたとした。その上で学会に津波の可能性について検討を委ねて津波対策を先送りしたと主張し、「津波を予見できたのに、漫然と原発運転を継続した。注意義務を尽くせば事故は回避できた」とした。

【東電旧経営陣3名刑事裁判の争点】
  裁判は、1・東電が2008年3月に最大15・7メートルの津波が同原発を襲うとの計算をした後、事故の危険性を予見できたか。2・安全対策をしていれば事故を防ぐことができたか、が焦点だ。 争点は、津波対策「怠り」。

 検察審査会の起訴議決は、東電がチェルノブイリ事故後において推本の長期評価に基づいて想定津波を15・7メートルと試算し防潮堤の高さを計算するなど津波対策の検討を重ねていたのに、経営陣が「起こるか起こらないかもしれない話にお金は掛けられないと無視」し、待ったをかけて「先送り」したと明らかにした。

 今回の公判でも最大の争点となるのは「結果(被害)の大きさ」ではなく、「被告らが巨大津波を予見できたか」だ。指定弁護士は津波を想定した防潮堤の設計図や東電内部のメールなどで立証を試みる方針である。

【東電旧経営陣3名刑事裁判に至る検察審査会が果たした役割】
 原発事故後、避難者は旧経営陣らを告訴・告発したが、東京地検が2013年にいずれも不起訴とした。これを不服とした避難者らの審査申し立てを受け、東京第5検察審査会が開かれ、2014年に3人を起訴相当と議決した。再捜査した地検が2015年1月に再び不起訴としたが、第5検審が同7月に起訴議決した。こうして裁判が始まった。地裁に選任され、2016年2月に3人を強制起訴した指定弁護士5人が公判でも検察官役を務める。
 強制起訴

 検察官による不起訴処分の妥当性を判断する検察審査会で、有権者から無作為に選ばれた審査員11人のうち8人以上が「起訴すべきだ」と判断すると、起訴相当議決となる。この議決を受けて検察が捜査をやり直し再び不起訴処分とした場合、さらに検察審査会が再審査し、やはり8人以上が「起訴すべきだ」と判断すると、起訴議決となる。これを受け、裁判所が指定した検察官役の弁護士が強制起訴する。


 2023.1.18日、東京高裁は東京電力の福島第一原発事故において業務上過失致死傷の罪で強制起訴されていた旧経営陣の元会長・勝俣恒久被告(82)、副社長だった武黒一郎被告(76)と武藤栄被告(72)の3人に対し、細田啓介裁判長は19年9月の東京地裁1審と同様に控訴を棄却し無罪を言い渡した。

 争点は、<1>巨大津波の発生が予見できたか(予見可能性)、<2>対策を取れば事故は防げたか(結果回避可能性)。<1>の「「11年3月に起きた原発事故の要因となった最大15mの津波の襲来が、予測できたか」については02年に国が公表した地震予測「長期評価」について「現実的な可能性を認識させる情報でない」と信頼性を否定。検察官役の指定弁護士が「防潮堤の建設や施設の防水化でも事故は防げた」と主張した。<2>についても「事後的に得られた情報」と退けた。

 東京地裁は昨年7月、東電の株主が旧経営陣に賠償を求めた株主代表訴訟で、「長期評価」について「相応の科学的信頼性があった」、建屋や機器の浸水対策で「事故を回避できた可能性は十分にあった」と認め、旧経営陣に13兆3200億円の賠償を命じている。民事と刑事で正反対の判断となった。判決後、指定弁護士は「長期評価の信頼性を全面的に否定した判決は容認できない。結果回避可能性についても現場に行けば一目瞭然。民事の裁判官は現場に行っている。現場にも行かず、まさに政治的な判断だと思う」と痛烈に批判した。検察側は対策を怠ったために、事故で避難を余儀なくされた福島県大熊町の双葉病院の患者ら44人が亡くなったと主張した。 政府の地震調査員会は02年7月に、三陸から房総沖にかけてマグニチュード8クラスの大きな地震が起きる可能性が高いと発表。最大15.7mの津波が押し寄せると公表していた。一方、東電の元幹部たちは「10mを超える津波が襲来する現実的可能性を認識していたとはいえない」と主張している。 被告人となった東電の勝俣元会長らは原発事故に関する責任をどう感じていたか。事故から約1年半後の12年12月、FRIDAYは勝俣元会長を直撃し、当時の様子を振り返りたい(記事の内容は一部修正しています)ーー。 年の瀬の迫った平日の午後、「東電のドン」と呼ばれた男性の姿は東京・四谷にあった。ラーメン店「大勝軒」で一人で昼食をとっていた。 「民主党政権がボロボロだった12年秋ごろから、東電内では『しばらく臥薪嘗胆』という言葉がささやかれていた。東電幹部は、自民党が政権を奪還し再稼働容認に動くと考えていた。自民党の高市早苗政調会長(当時)は、『頭から原発再稼働を認めないということではない』と発言していた。幹部の予想通り12年12月の衆院選で自民党が大勝し安倍晋三政権が誕生すると、社内に安堵の雰囲気が広がる。事故の責任をとり辞任した勝俣元会長の復権さえささやかれていた。とはいえ、あからさまに自民党政権に期待する動きはできなかった。12年3月の東日本大震災から1年の追悼式前に、自宅から出てきた勝俣元会長に話を聞くとスラスラと殊勝に答えていた。 「福島県の皆様はじめ、広く社会に大変なご心配、ご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。とにかく原子炉の収束と賠償に全力を尽くしていくことを、この1年を機にあらためて誓いたいと思います」 。だが、事故責任の話だと勝俣元会長の言動も変わる。前述の「お一人ラーメン」後に記者が「安倍政権にかわって東電としてはやりやすくなるのですか?」が直撃すると、こう強弁したのだ。 「私は知らないって! 現役の人に全部ゆだねたんだから。無責任にいろいろ言うのはおかしいでしょう!」。
 


 1時間半を超える判決理由の説明が終わると、傍聴席から「恥ずかしくないのか」と罵声が上がり、高裁前では「全員無罪不当判決」のビラが掲げられた。 2審でも無罪となった東電の元幹部たち。東京高裁前では、判決言い渡し直後に告訴団の関係者らが「全員無罪」、「不当判決」などと書かれた紙を掲げた。
 東電刑事裁判控訴審、控訴棄却。酷い全員無罪の反動的判決!被害者、被災者を再び踏みじり、東電3被告=原子力事業者を免罪する東京高裁判決を許さない!福島第一原発事故は終わっていない。「被害者地獄、加害者天国」でいいのか。被害者、被災者はあきらめられない。指定弁護士の最高裁への上告をお願いします。福島原発刑事訴訟支援団は、被害者遺族はじめ弁護団、全国の支援者のみなさんと力を合わせて闘い続けます。

 判決に対する指定弁護士のコメント

 長期評価の信類性を全面的に否定した本日の判決は、到底容認できません。最高裁判決(令和4年6月17日第二小法延判決)は、長期評価の信類性について明言はしていませんが、東京電力が行った試算は「安全性に十分配慮して余裕を持たせ、当時考えられる最悪の事態に対応したものとして合理性を有する試算であったといえる」と判示して、長期評価の信類性や、試算結果について一定の評価をしていると解釈できます。ところが本日の判決は、第1審と同様、長期評価の信頼性を全面的に否定し、試算結果をないがしろにするもので、最高裁判決の趣旨にも反します。判決は、繰り返し「現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報」ではなかったとして、発生の確実性の情報の必要性を求めていますが、とりわけ津波のような自然災害に基づく原子力発電所事故というシビアアクシデントにまで、このような見解をとれば、およそ過失責任を問えないことになり、不合理と言うほかありません。本日の判決は、国の原子力政策に呼応し、長期評価の意義を軽視するもので、厳しく批判されなければなりません。我々としては、この判決内容を詳細に分析して、上告の可否等について改めて検討していきたいと考えています。
 東電刑事裁判の控訴審判決・本日の東京高裁の不当判決に満腔の怒りを込めて、抗議声明を公表しました。私たちは、福島原発事故の責任を明らかにするまで、闘いを続けます。                     2023.1.18
 東電刑事裁判東京高裁不当判決に抗議する声明
 福島原発告訴団・刑事訴訟支援団弁護団
 本日、東京高裁第10刑事部(細田啓介裁判長)は、一審無罪判決に対する指定弁護士の控訴を棄却し、原判決を維持するとの判断を示しました。この判決は、一審判決をそのまま、無批判に是認した判決であり、この事故によって、命と生活を奪われた被害者・遺族のみなさんの納得を到底得られない誤った判決だと思います。
 推本の長期評価について、判決は、一応「国として、一線の専門家が議論して定めたものであり、見過ごすことのできない重みがある」とは述べましたが、この見解には、これを基礎づける研究成果の引用がなく、原発の運転を停止させる「現実的な可能性」を基礎づける信頼性はないとして、これに基づく、津波対策の必要性自体を否定しました。
 事故対策を基礎づける科学的な知見について「現実的な可能性」を求めることは、地震学の現状からして、明らかに間違いです。このような判決は、必要な事故対策をしないことを免罪し、次の原発事故を準備する危険な論理となっていると思います。
 また、判決は、地裁では判断されなかった貞観津波について、さらに検討を加え、知見が劇的に進展していると認めたにもかかわらず、津波高さは9メートル前後だとして、10メートル盤を超えていないとしました。しかし、この計算は詳細なパラメータースタディを経ない概略計算であり、詳細計算を行えば、10メートルを超えることとなったことは明らかであるのに、これを無視しました。さらに、ここでも、研究課題が残っているとして、知見の成熟性を否定しています。
 延宝房総沖のモデルによる津波の試算(13.5メートル)については、被告人らが、検討を依頼した土木学会でもこのモデルで委員の意見が一致を見たにもかかわらず、これも成熟した知見と認められないとして、津波対策を基礎づけるものではないとしたことも、著しく不合理な判断です。
 結果回避措置について、水密化の対策は他の対策とセットでなければ、事故の結果を避けることはできなかったと判断しましたが、そのような判断には何の根拠も示されていません。また、津波の浸水高さが高くなったと指摘もされたが、津波の水密化の対策をとるとした場合に、かなりの余裕を見込んで設計がなされたはずであり、水密化の津波対策がとられていれば、それだけで、すくなくとも過酷事故の結果は避けられた可能性が高いとの東京地裁の株代訴訟判決には、これを裏付ける東電技術者の明快な調書が存在しており、こちらの方が正しいと思います。
 このような判断を確定させると、まさに次の重大な原発事故を繰り返してしまうことが危惧されます。いずれにしても、この判断を確定させてはならないと思います。指定弁護士の先生方には、ぜひ、事件を最高裁に上告していただき、昨年6月の最高裁判決との矛盾を掘り下げて、この判決を覆していただきたいと思います。
昨日の東電刑事裁判の東京高裁判決のどこが間違っているのか、的確に指摘した文章を紹介します。東電株主代表訴訟の東京地裁判決の268頁以下です。ぜひ、ご一読ください。これを読めば、昨日の東京高裁の判断が、原発の安全対策を不十分なものとし、次の過酷事故を準備するものであることがわかっていただけると思います。
 昨日公表した弁護団声明の冒頭で私たちは次のように述べました。「推本の長期評価について、判決は、一応「国として、一線の専門家が議論して定めたものであり、見過ごすことのできない重みがある」とは述べましたが、この見解には、これを基礎づける研究成果の引用がなく、原発の運転を停止させる「現実的な可能性」を基礎づける信頼性はないとして、これに基づく、津波対策の必要性自体を否定しました。
 事故対策を基礎づける科学的な知見について「現実的な可能性」を求めることは、地震学の現状からして、明らかに間違いです。このような判決は、必要な事故対策をしないことを免罪し、次の原発事故を準備する危険な論理となっていると思います。」
 福島原発の現地にまで足を運んで考え尽くした朝倉裁判長と、現地検証を拒否し、机上の空論を振り回し、空虚な判決を書きなぐった細田裁判長、この二人の判断のどちらが、歴史の批判に耐える判断なのか、私は結論は明らかだと思います。
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 知見に求められる信頼性の程度
 原子力発電所を設置(運転する原子力事業者には、過酷事故を万が上にも防止すべき義務があることから、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて想定される津波(予見可能性のある津波)により原子力発電所の安全性が損なわれ、過酷事故が発生するおそれがある場合は、これを防止するために必要な措置を講ずるべき義務があり、その取締役は、当該おそれがあることを認識し、又は認識し得たときは、かかる措置を講ずるよう指示等をすべき会社に対する善管注意義務を負うことは、第3章・第1節。第2(被告らが東京電力に負う取締役としての善管注意義務)において説示したとおりである。
 殊に、原子力発電所において、想定を超える事象が発生した場合の事故発生の危険度は、地震と津波で大きく異なるところであって、津波への対応ないし対策として福島第一原発のようにドライサイトコンセプトのみをとっている場合には、津波高が想定の高さを超えない限り絶対的に安全であるが、想定の高さを超えると一気に炉心損傷ないし炉心溶融に至ってしまうクリフエッジ事象が生じ、全電源喪失による過酷事故により、極めて甚大な被害が発生する可能性が高いことは既に説示したとおりである。したがって、科学的に予測される津波について、当該予測が信頼できるのであれば、これを想定した津波対策を講ずることが極めて重要となる。
 そこで、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、対策を講ずることを義務付けられる津波の予測に関する科学的知見というためには、いかなる程度の信頼性が必要と解すべきか、以下、検討すると
(1)・科学的知見といつても、世の中にlま様々なものが存在するところ、原子力発電所を設置、運転する会社が津波対策を講ずる上で、安全が最優先とはいえ、現実的には財源等が有限である中で、世に存在するあらゆる知見において示されたあらゆる内容の津波の予測全てを前提として、安全対策を施そうとした場合(真に必要となる対策に割くべきリソース(資源ないし財源)が不足する危険性が生じたり、余計な設備を増やすことで、かえって施設全
体の安全性に許容できない不相当なリスクが生じる危険性もある。そのため、原子力工学では、ゼロリスクは求めない一方で、不当なリスクを生じさせない安全対策を行うべきものとされている(丙155)。
 他方で、科学的知見、殊に地震や津波など.の自然現象に関する知見は、その原因及び現象の解明や理解が、不断に進歩、発展しているも|のの、地震や津波という自然現象は、本質的に複雑系の問題であって、理論的に完全な予測をすることは原理的に不可能である上、実験ができないので過去の事象に学ぶしかないが、過去のデータが少ないという限界がある(甲128・636頁)。したがって、既に確立したと広く考えられている知見、すなわち最新の科学的知見ではないものに関しても、必ずしもその分野の研究者において全員の意見が一致するとは限らず、まして、解明や理解が現在進行形で進んでいる最新の科学的知見においては、本質的に、同意しない研究者が存在することになる。そのため、例えば、研究者の間で異論が存在しないとか、裏付けるデータが完全であるなど、津波の予浪Jに蘭する科学的知見に過度の信頼性を求めると、現実に起こり待る津波今の封策が不十分となり、原子力発電所の安全性の確保が図れない事態(全電源喪失による過酷事故)が生じかねない。
 したがって、これらを総合的に考慮すると、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、対策を講ずることを義務付けられる津波の予測に関する科学的知見というためには、特定の研究者の論文等において示された知見というだけでは足りないものの、例えば、津波の予測に関する検討をする公的な機関や会議体において、その分野における研究実績を相当程度有している研究者や専門家の相当数によつて、真摯な検討がされて、その取りまとめが行われた場合など、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有する知見である必要があり、かつそれで足りると解すべきである。そして、そのような知見といえる場合には、理学的に見て著しく不合理であるにもかかわらず取りまとめられたなどの特段の事情のない限り、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、当該知見に基づく津波紺策を講ずることを義務付けられるものということができる。
(2)ア これに対し、被告ら及び東京電力は、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において対策を講ずることを義務付けられるといえる津波の予測に関する科学的知見について、今村教授の意見(丙156)を引用し、理学的根拠をもつてその対策の必要性を正当化できることが必要であり、具体的には、既往津波であるか、あるいは少なくとも理学的根拠から発生がうかがわれるという科学的なコンセンサスが得られている津波のうち、具体的な根拠をもって波源の位置が特定されるなどして一定の期間における発生間隔が算出できるものであることが必要であるなどと主張する。
イ  しかし、上記アの主張のように解すると、一定の領域で大規模な津波地震が発生する蓋然性があると想定するのが相当であると相応の実績を有する多くの研究者や専門家が認識している場合であっても、具体的な根拠をもつて波源の位置を特定して、一定の期間における発生間隔を算出できないときには、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、想定される津波から過酷事故を防止するための対策(今村教授の意見によればハード面での対策)を一切行わなくても構わないということになる。このような考え方に従えば、原子力発電所において想定外の津波が襲来した場合には、クリフエッジ事象が生じて全電源喪失による過酷事故により、極めて甚大な被害が発生する可能性が高いことから、科学的に予測される津波につぃて、当該予測が信頼できるのであれば、これを想定して津波対策を講ずることが必要であるにもかかわらず、一定のもの以外については対策をしない、すなわち、科学的信頼性をもって予測される津波による全電源喪失の過酷事故の発生を許容することに帰着することになるのであって、これは、 IAEAや我が国における安全水準に関する基準等に顕れている、原子力発電所の高度の安全性確保の重要性に照らし、不合理であることは明らかであること
ウ また、上記アの主張のような見解は、理学的知見の信頼性に加え、原子力事業者が容易に対策を講ずるための情報が明確となっていることまで要求するものといえるが、知見に多少不確定な部分があつても安全側に考慮した相応の余裕をもつて対策を講ずることは可能なのであるから(当該知見によれば危険であることは示されているのに、余裕の幅をどの程度取ればよいかが示されていなければ、対策が義務付けられないというのは不合理である。)、安全性確保よりも原子力事業者による対策の容易性を過度に重視するものであって、およそ許容できるものではない。
工 以上によれば(被告ら及び東京電力の上記アの主張は採用し難いものといわざるを得ない。




(私論.私見)