別章【動燃考】

更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).3.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2007.7月に発生した新潟県中越沖地震に伴う柏崎刈羽原子力発電所の火災と放射能漏れ事故の発生は、原子力発電の危険性を誰の目にも明らかにした。日本列島は活断層列島であり、原発に適したところはない。更には、聞くところによると、放射線廃棄物を分解する科学は未だ創造されておらず、地中深く貯蔵する以外にないと云う。それが長年の間に腐食し地下水を汚染する可能性が強いと云う。こうなると、原発を直ちに止めることをめざさねばならない、叡智で代替エネルギーの創造に向かわねばならないのではなかろうか。

 我が国の支配層は、北朝鮮のテポドンにはいち早く反応するが、原子力発電の危険性については無痛なようである。少し考えれば分かろうが、各地に敷設された原子力発電所が攻撃されたらどうなるのだろう。格好の標的になるだろうが。してみれば、今や原子力発電問題は超一級の防衛問題になっているということになる。

 ここで、原子力発電が我が国にどのような経緯でもたらされてきたものか、如何に取り返しのつかない危険なものなのか、どう撤退転換すべきかを検討したい。れんだいこ史観によれば、戦争と原子力と国債乱発は三点セットで、現代パリサイ派のユダ邪的狡知とその悪魔の科学によりもたらされているものであり、一刻も早くこの罠から逃れねばならない。決別するに如かずである。原子力発電決別考にはそういう史的意義がある。

 2007.7.21日 れんだいこ拝


関連サイト 原水禁運動考 軍事・防衛史論

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もんじゅ重大事件の遺族・西村トシ子さんの陳述書
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