アメリカ原子力委員会の生体実験プロジェクト考

  更新日/2018(平成30).11.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「只今生体実験中」をものしておく。

 2007.7.26日 れんだいこ拝


 ★阿修羅♪ > 原発・フッ素48 」のお天道様はお見通し 氏の2017 年 6 月 30 日付投稿「サンシャイン計画 の名の下に : アメリカンドリームと平行して続けられた「赤ちゃんの死体泥棒」を継続し続けたアメリカ原子力委員会のプロジェクト INDEEP」。
 方法を問わず死体を獲得せよ

 アメリカが、放射能の人体に関しての実験をはじめ、いろいろな人体への実験を数多くおこなってきたことは今ではよく知られたことではあります。たとえば、新聞報道などでも古くから報じられていました。下は 1995年8月の毎日新聞の記事です。

米の放射能人体実験は40年間以上に1万6000人

毎日新聞 1995/08/19
米エネルギー省は(1995年8月)17日、米政府関係研究機関が戦前から行ってきた放射線の人体実験は 1930年代から 70年代の 40年間以上にわたり計 435件、対象者約 1万 6000人に上ったとの最終報告書を発表した。最も古い実験の 1つは、精神障害者に対するラジウム 226注射で、31-33年にイリノイ州エルジン病院で行われた。この研究はアーゴン国立研究所が引き継いだ。マンハッタン計画推進中にはオークリッジなどでプルトニウム注射、エックス線全身照射などが行われた。

 アメリカだけではないですが、優生学から最近の病気の出現との関わりの可能性に至るまで、いろいろと人為的な面が関与しているものなの「かも」しれないということについて、

なぜ、地球は「病気の王国」になったのか…
 2017/01/18

という記事で書いたことがありますが、そこで翻訳してご紹介した記事の冒頭は、以下のようなものでした。

コレクティブ・エボルーションの記事より

アメリカはこれまで生物戦プロジェクトに何度か参加してきた。これにはアメリカの自国民を対象とした実験も含まれており、これらは秘密裏に行われたが、その秘密の歴史は今ではあまり隠されていない。

1970年代のアメリカでは、病院において、優生学に基づく処置の一環として、女性に対して強制的に不妊手術を施していたことが知られている。

マンハッタン計画(アメリカを中心とした原子爆弾開発の巨大プロジェクト)に携わっていた人たちは、原子爆弾が人に及ぼす影響を調べるために、秘密裏に、ー高レベルのプルトニウムを民間人に注射していた。

ベトナム戦争中には、ベトナム人を攻撃する計画として作られた枯れ葉剤を使用した戦争プログラムが行われた。この際に使われた枯れ葉剤は「エージェント・オレンジ」と名づけられた。

米国モンサント社が作成した枯れ葉剤エージェント・オレンジはベトナムの植物と作物のすべてを消し去るために使われた化学薬品で、約 19000平方キロメートルのベトナムの土地に除草剤が散布され、結果として約 300万人のベトナム人に影響を与えた。

 というように、いろいろなことをやってきたわけですが、まあ、いろいろなことをやってきたのは他の国も同じ面もあるのかもしれません。ただ、アメリカの場合は、他の国の人々に対してだけではなく、「自分の国の人たちも実験の対象にする」というあたりが際立っている面もあります。

 そういう中で、最近、1950年代の「サンシャイン計画」ということについて書かれてある記事を読み、「ああ、これは新機軸だ」と思いまして、ご紹介させていただこうと思いました。

 このサンシャイン計画については、その言葉を知ったこと自体が初めてでしたが、調べてみると、英語の Wikipedia にはありまして、そちらがわりと概要的なものとなっていますので、先にご紹介しておきます。

Project SUNSHINE – Wikipedia

サンシャイン計画は、世界の人口に対する放射性降下物の影響を確かめるために行われた一連の調査研究。アメリカ原子力委員会(US Atomic Energy Commission)の下で、サンシャイン計画では、核爆発による収量の増加による生物圏への核放射線の長期的な影響を調べようとした。

アメリカ原子力委員会が放射線の影響を調べた別のプロジェクト「ガブリエル計画(Project GABRIEL)」により、放射性同位体ストロンチウム 90が原子力落下による人間の健康に最も深刻な脅威であると結論づけられたが、サンシャイン計画では、死者の組織と骨中濃度を測定することにより、ストロンチウム 90の全体的な分散を測定しようと試みた。

特に注目されたのは、発達中の骨がストロンチウム 90を蓄積する傾向が最も高く、したがって放射線損傷に対する感受性が最も高いのが、若者の人体組織だったということだった。

サンシャイン計画は、死亡した遺体の多くが死者の許可なしに利用されたことが明らかになり、後に死後の親類などから多くの論争を誘発した。

 このようなもので、つまり、アメリカ原子力委員会は、「死体と死んだ人体の部位をいろいろなところから調達して、それを使って研究を続けていた」ということのようです。このようなことから、今回ご紹介する記事のタイトルには「死体泥棒」を意味する英語が使われています。

 しかし、今回読んだ記事には、機密指定を解除された文書の中からの記載が多くあるのですが、「多数の死産した赤ちゃんの遺体を使っていた」ということもわかってりしていまして、どうにも一種のもの悲しさが残るものではありました。

 赤ちゃんに関しては記事中では「死産」という言葉となっていますが、1980年代には中絶件数が 180万件を超えていたとされるアメリカですし、いろいろな「ルート」があったのだろうなあとも思います。

 そんなわけで、放射能の影響の人体実験という響きがどうだこうだというより、「世界では今も毎日、ものすごい数の若い死体たちがルート不明で流通し続けているのだろうなあ」ということに暗い感慨を覚えた次第です。

 というわけで、サンシャイン計画の記事をご紹介します。

 ちなみに「サンシャイン計画」というのはごく普通にどこにでもある名称で、たとえば日本にもありますけれど、他に書きようがないですので、サンシャイン計画という名前のままで書きます。

 Project Sunshine: A Tale of Body-Snatching
 mysteriousuniverse.org 2017/06/27

 サンシャイン計画 : 死体泥棒の物語

 人類が放射線に関連した実験に利用された中で最も衝撃的な方法のひとつに、冷戦時代にアメリカでおこなわれた「サンシャイン計画 (Project Sunshine)」と呼ばれるものがある。サンシャイン計画の歴史と活動は、人間の肉体が冷戦時の放射線や生物学的検査に利用された研究例として、後にまとめられた書類と共に全体として完璧な統計資料として、いくつかの組織には役立つものだったと考えられる。

 1990年代に、アメリカ政府の「人体放射線被曝実験諮問委員会(Advisory Committee on Human Radiation Experiments)」は、米国エネルギー省関連のスキャンダルを調査していた。それは、1940年代から 1970年代にかけておこなわれた人体への放射線照射実験を含むものだ。その結果として、サンシャイン計画のいくつかの書類が明らかとなったのだった。諮問委員会のスタッフが作成した 1995年6月9日の書類は「サンシャイン計画での死体獲得に関するドキュメント」というタイトルで、そこには、「ストロンチウム-90の人体への影響を測定しようとしていたサンシャイン計画の一環として、アメリカ原子力委員会(AEC)は、国内外から赤ちゃんの骨を回収する試みをしていた」とある。赤ちゃんの骨を回収する目的は、自然発生する放射能の人体への影響を研究するために行われたとも言われたが、そうなのかそうではないのかは明白ではない。

 サンシャイン計画への主要な参加者は、原子力委員会の生物医学部長ジョン・ブガー(John Bugher)氏、コロンビア大学の J.ローレンス・クルプ博士(Dr. J. Laurence Kulp)、そして後に原子力委員会の委員長となるシカゴ大学のウィラード・リビー博士(Dr. Willard Libby)だ。人体放射線被曝実験諮問委員会によって明らかにされた覚え書きは、ウィラード・リビー博士と彼の研究に詳細に言及している。「機密」と分類された1955年の記録には、サンシャイン計画での人体組織サンプリングの果たす役割について多くが記載されている。ちなみに、この書類は、アメリカ国立公文書記録管理局で機密資料として保管されているが、諮問委員会の要請により機密扱いが解除されている。この記録によれば、1950年代初期から中期にかけて「人体のサンプル」を調達するための方法を確立するためと、その機密性の保持にかなりの思考が注がれていたことがわかる。

 サンシャイン計画の主たる支持者であったリビー博士は「ボディ・スナッチング(死体を盗難して獲得すること)」の大きな価値を説明した。原子力委員会は、腕のいい高額の法律家たちがいる法律事務所を採用し、「人体の奪取の法律を調べる」ことさえ行っていた。サンシャイン計画についての議事は、原子力委員会の委員長となったリビー博士に引き継がれ、そして、委員長となったリビー氏は、「サンシャイン計画ほど原子力委員会にとって重要な試みはない」と述べるようになった。

 リビー博士は「放射線に関してのデータには現在大きなギャップがある」とし、以下のように述べた。「それを精緻化するためには、人体そのもののサンプルが重要なのだ。人体のサンプルでは、放射線レベルは本質的にゼロレベルにまで低減されるが、どうして、そのようになるのかわからない。なぜ、そうなるかを知る必要がある。特に、若い年齢層の人体サンプルを調べることは重要な問題であると認識している」。

 当時のアメリカは、死産した赤ちゃんたちが、その後どのような流通や処理をされているかは明らかではなかったが、サンシャイン計画は、死産の赤ちゃんの人体を大量に獲得していた。リビー氏は以下のように述べている。「私たちは幸運だった。大量の死産の人体を試験物質として獲得できるからだ。人体のサンプルはとても重要なのだ。人体を獲得するための、さらに良い方法を知っている人がいれば、その人はアメリカ国家に奉仕することになるだろう」。先ほど、リビー氏が高いお金で法律事務所と契約していたことにふれたが、それはこの「死体を盗難して獲得する」ということを合法的におこなうことが非常に難しいためでもある。

 サンシャイン計画は 1953年に始まったが、その会議で出席者たちは、幅広い種類の人体サンプルの必要性について話し合った。データの変動をカバーするために多くの年齢層の人体、そして人体のさまざまな部分が必要だったようだ。記録を見ると、コロンビア大学のカルプ博士は、「人体を獲得するために利用できる特定のルートがある」ことを示唆している。博士は、「私たちは必要なすべての人体を手にするためのルートを持っています。私たちは3つから4つのルートを有しており、あらゆる年齢層の完全な人体サンプルを手に入れることができるのです」と会議で述べている。さらに記録では、カルプ博士は以下のように述べている。「3つのルートは、バンクーバー、ヒューストン、ニューヨークです。他にプエルトリコなどから簡単に人体サンプルを手に入れることができます。私たちはこのエリアで死亡したすべての人体を得ることができるのです」。

 また、「資源」を他の国から調達する必要性についての議論もあった。例えば、アメリカ国防脅威削減局の「軍用特殊兵器計画 (Armed Forces Special Weapons Project)」のマックスウェル大佐は、アメリカ軍は、台湾の病院から「標本」を確保することができることを示唆した。この機密書類で「標本」という単語は人体を意味する。現在、サンシャイン計画の記録の多くは欠落しており、何十年も前に記録が破棄された疑いがある。しかし、私たちが知り得ることができる今回の内容だけでも、十分に衝撃的ではないだろうかとも思うのだ。


 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素50 」の赤かぶ氏の2018 年 11 月 28 日付投稿「「マンハッタン計画」 核のゴミ なお災難 違法埋め立て 募る不安 「がん患者だらけ」周辺の住民(朝日新聞)」。
 原爆開発の核ごみ、やまぬ厄災 住民「がん患者だらけ」
 https://digital.asahi.com/articles/ASLBC0P4WLBBUHBI03T.html
 2018年11月27日 朝日新聞 

 「マンハッタン計画」 核のゴミ なお災難 違法埋め立て 募る不安

 原爆を開発した「マンハッタン計画」で出た核のごみが、米ミズーリ州の処分場に普通のごみと一緒に埋められている。専用施設に移すことがようやく決まったが、周辺では健康被害が相次いでいる。(セントルイス=香取啓介)

 マンハッタン計画とは
 第2次大戦中の1940年代初頭、米国のルーズベルト米大統領の命令で極秘に進められた
原爆開発計画。名前は事務所がニューヨークに置かれたことに由来。開発と製造をしたニュ
ーメキシコ州ロスアラモス研究所を中心に、テネシー州オークリッジのウラン濃縮工場、ワシ
ントン州ハンフォードのプルトニュウム生産炉と分離回収施設などがあった。約13万人を動員
。45年7月に初の原爆実験に成功した。

 セントルイスの玄関口ランバート国際空港から車で10分ほど。ごみが埋め立てられた小高い丘にシートがかぶせられ、トラックがひっきりなしに出入りしている。敷地を囲むフェンスに「注意 制限区域」の黄色い放射能標識を掲げ、大気測定装置も備える。ここウェストレーク処分場には、マンハッタン計画で出た放射性の硫酸バリウム8700トンが埋められている。

 生ごみのようなすえた臭いと化学的な臭いが混じって鼻をつく。隣接する別の処分場で起きている地下火災が原因だ。8年前に発覚したが消すすべはなく、10年続くと言われる。近くに住む主婦のカレン・ニッケルさん(55)は「目が焼けるように痛くなり、頭痛がする」。4人の子どもを育ててきた。「火が放射性物質に燃え移らないか」。2013年、ニッケルさんは処分場問題を追及する団体「ジャスト・マムズSTL」を設立した。

 第2次大戦中、セントルイスの民間企業がマンハッタン計画の一部を担い、ウランを精製した。この施設から出た放射性廃棄物は空港隣の保管場所にドラム缶で野積みされた。1960年代末に、ある企業に買い取られ、73年、ウェストレークに「一般ごみ」として違法に埋められた。原子力規制委員会の調査で、放射性物質があると分かったが、健康には影響がないと放置されていた。ニッケルさんと活動する主婦ドーン・チャップマンさん(38)は「計画は最高機密。ここで生まれ育ったのに、原爆製造でこの街が果たした役割を多くの人は知らなかった」。火災の延焼を懸念した米環境保護局(EPA)はようやく9月末、この核のごみの7割を掘り返し、州外の専用施設に移す計画を決めた。EPAのウィーラー長官代行は計画発表時、ニッケルさんとチャップマンさんの名を挙げて「ワシントンはあまりに長い間、義務を果たしてこなかった。この決定は数十年の不安定を終わらせ、解決への道を開く」と話した。州の保健部門も、処分場からの異臭がぜんそくなどの呼吸器疾患を悪化させたり、頭痛や吐き気を引き起こしたりするとの報告書を明らかにした。チャップマンさんは、子どもたちの健康を心配する。「これまでに起きてしまったものはどうしようもない。でも、できるだけきれいにして、この先の被害を止めることはできるはず。我々も戦争の犠牲者だ」と話す。

 「がん患者だらけ」周辺の住民

 核のごみが野積みされていた保管場所そばを水源とする小川「コールドウォーター・クリーク」の流域でも健康被害が出ている。元機械工のテリー・マーティンさん(62)宅の裏庭は川に面している。除染のため掘り返され、木が一本もない。「年に2回は氾濫(はんらん)していたが、数年前に(放射能汚染地域の管理をする)陸軍工兵隊に汚染地域だと突然告げられた。調査だと言って庭を掘り返していった。全く腹立たしい」。10年前に引っ越してきたが、妻が耳にできた悪性黒色腫を切除。自身もがんで腎臓を取り除いた。息子(25)も最近、脳腫瘍(しゅよう)と診断された。「前に住んでいた住民や、通りの向かいの家族もがんだ。放射能との関係は分からないが、この辺はがん患者だらけだ」。米毒物疾病登録局は6月、60年代以降に周辺の住民が放射性物質にさらされ、骨や肺などのがんにかかるリスクが高まったとの報告書を発表した。

 コールドウォーター・クリークとウェストレーク処分場の放射能汚染をめぐっては、2012年以降だけでも住民から140以上の訴訟が起こされている。ウラン精製を担った化学企業や処分場運営企業、ごみを買い取った企業などを相手取り、2月にも補償や土壌汚染からの回復などを求める2件の集団訴訟が起こされた。マーティンさんも原告に名を連ねるが「終わる頃にはみんな死んでいる」と憤る。ニッケルさんも子どもの頃、この小川の近くに住んでいた。免疫が自分の体を攻撃してしまう難病「全身性エリテマトーデス」に自身も苦しむ。「ここだけの問題じゃない。マンハッタン計画であれ原発事故であれ、傷つけられた人々と連帯する必要がある」。広島、長崎を訪れたいと思っている。





(私論.私見)