Project Sunshine: A Tale of Body-Snatching
mysteriousuniverse.org 2017/06/27
サンシャイン計画 : 死体泥棒の物語
人類が放射線に関連した実験に利用された中で最も衝撃的な方法のひとつに、冷戦時代にアメリカでおこなわれた「サンシャイン計画 (Project
Sunshine)」と呼ばれるものがある。サンシャイン計画の歴史と活動は、人間の肉体が冷戦時の放射線や生物学的検査に利用された研究例として、後にまとめられた書類と共に全体として完璧な統計資料として、いくつかの組織には役立つものだったと考えられる。
1990年代に、アメリカ政府の「人体放射線被曝実験諮問委員会(Advisory Committee on Human Radiation Experiments)」は、米国エネルギー省関連のスキャンダルを調査していた。それは、1940年代から
1970年代にかけておこなわれた人体への放射線照射実験を含むものだ。その結果として、サンシャイン計画のいくつかの書類が明らかとなったのだった。諮問委員会のスタッフが作成した 1995年6月9日の書類は「サンシャイン計画での死体獲得に関するドキュメント」というタイトルで、そこには、「ストロンチウム-90の人体への影響を測定しようとしていたサンシャイン計画の一環として、アメリカ原子力委員会(AEC)は、国内外から赤ちゃんの骨を回収する試みをしていた」とある。赤ちゃんの骨を回収する目的は、自然発生する放射能の人体への影響を研究するために行われたとも言われたが、そうなのかそうではないのかは明白ではない。
サンシャイン計画への主要な参加者は、原子力委員会の生物医学部長ジョン・ブガー(John Bugher)氏、コロンビア大学の J.ローレンス・クルプ博士(Dr. J. Laurence Kulp)、そして後に原子力委員会の委員長となるシカゴ大学のウィラード・リビー博士(Dr. Willard Libby)だ。人体放射線被曝実験諮問委員会によって明らかにされた覚え書きは、ウィラード・リビー博士と彼の研究に詳細に言及している。「機密」と分類された1955年の記録には、サンシャイン計画での人体組織サンプリングの果たす役割について多くが記載されている。ちなみに、この書類は、アメリカ国立公文書記録管理局で機密資料として保管されているが、諮問委員会の要請により機密扱いが解除されている。この記録によれば、1950年代初期から中期にかけて「人体のサンプル」を調達するための方法を確立するためと、その機密性の保持にかなりの思考が注がれていたことがわかる。
サンシャイン計画の主たる支持者であったリビー博士は「ボディ・スナッチング(死体を盗難して獲得すること)」の大きな価値を説明した。原子力委員会は、腕のいい高額の法律家たちがいる法律事務所を採用し、「人体の奪取の法律を調べる」ことさえ行っていた。サンシャイン計画についての議事は、原子力委員会の委員長となったリビー博士に引き継がれ、そして、委員長となったリビー氏は、「サンシャイン計画ほど原子力委員会にとって重要な試みはない」と述べるようになった。
リビー博士は「放射線に関してのデータには現在大きなギャップがある」とし、以下のように述べた。「それを精緻化するためには、人体そのもののサンプルが重要なのだ。人体のサンプルでは、放射線レベルは本質的にゼロレベルにまで低減されるが、どうして、そのようになるのかわからない。なぜ、そうなるかを知る必要がある。特に、若い年齢層の人体サンプルを調べることは重要な問題であると認識している」。
当時のアメリカは、死産した赤ちゃんたちが、その後どのような流通や処理をされているかは明らかではなかったが、サンシャイン計画は、死産の赤ちゃんの人体を大量に獲得していた。リビー氏は以下のように述べている。「私たちは幸運だった。大量の死産の人体を試験物質として獲得できるからだ。人体のサンプルはとても重要なのだ。人体を獲得するための、さらに良い方法を知っている人がいれば、その人はアメリカ国家に奉仕することになるだろう」。先ほど、リビー氏が高いお金で法律事務所と契約していたことにふれたが、それはこの「死体を盗難して獲得する」ということを合法的におこなうことが非常に難しいためでもある。
サンシャイン計画は 1953年に始まったが、その会議で出席者たちは、幅広い種類の人体サンプルの必要性について話し合った。データの変動をカバーするために多くの年齢層の人体、そして人体のさまざまな部分が必要だったようだ。記録を見ると、コロンビア大学のカルプ博士は、「人体を獲得するために利用できる特定のルートがある」ことを示唆している。博士は、「私たちは必要なすべての人体を手にするためのルートを持っています。私たちは3つから4つのルートを有しており、あらゆる年齢層の完全な人体サンプルを手に入れることができるのです」と会議で述べている。さらに記録では、カルプ博士は以下のように述べている。「3つのルートは、バンクーバー、ヒューストン、ニューヨークです。他にプエルトリコなどから簡単に人体サンプルを手に入れることができます。私たちはこのエリアで死亡したすべての人体を得ることができるのです」。
また、「資源」を他の国から調達する必要性についての議論もあった。例えば、アメリカ国防脅威削減局の「軍用特殊兵器計画 (Armed Forces Special Weapons Project)」のマックスウェル大佐は、アメリカ軍は、台湾の病院から「標本」を確保することができることを示唆した。この機密書類で「標本」という単語は人体を意味する。現在、サンシャイン計画の記録の多くは欠落しており、何十年も前に記録が破棄された疑いがある。しかし、私たちが知り得ることができる今回の内容だけでも、十分に衝撃的ではないだろうかとも思うのだ。
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