WHERE−世界での発展史、ネットワーク.ビジネスの世界の歴史 |
(最新見直し2008.10.21日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「MLM」が生み出されてきた歴史的背景について概観して見たいと思います。 小売り流通業の歴史は、全てアメリカ.オリジナルの歴史であると云われています。デパート、スーパーマーケット、フランチャイズ、ディスカウント、コンビニエンスストアに至るまで発祥の起源と隆盛を全てアメリカに見ることが出来ます。「MLM」も又アメリカン「M」が生み出した最新のビジネスとして理解される必要が有ります。 以下、その変遷の歴史を辿ってみることに致しますが、「MLM」カンパニーの実際の現象的現われは、多種多様で、必ずしもここで整理した通りではありません。本稿は、 浮沈著しい変遷を見せる「MLM」カンパニーの歴史的経過を、可能な限り単純化して、弁証法的観点に従うヘーゲル的論理学風に、「MLM」の歴史を貫く必然的ともいえる発展方向としてあえて純化させてみました。なお、各社のマーケティングシステムには用語上のバラツキがある為、ここではニュースキン社の用語を基本として解説致します。 以下、試案と致します。 2005.1.12日 れんだいこ拝 |
【発祥期】 |
「MLM」の今日的経営手法は、一朝一夕に誕生した訳ではありません。「MLM」の発祥の歴史は、1934年にカリフォルニアビタミンという会社が採用
した販売手法に遡ると言われておりますが、明確に「MLM」と云えるものが現われたのは、第二次世界大戦後の1945年頃、ニュートリライトというビタミン剤の会社の登場によってです。(カリフォルニアビタミ
ン社が販売していたのがニュートリライトというビタミン剤であるという説もあり詳細
不明) 同社の商法を「MLM」として認識するには早々のきらいがありますが、当社の マーケティングは少なくとも「MLM」の先行する原形的な商法としての要件を備えて いました。この時の会員ディストリビュ−タ−であったヴァンデルとデボォスの二人の 盟友が、1959年にアムウェイ社をミシガン州に創立することとなり、同社は今日世 界一のMLM企業に迄成長しているという系譜を考えるときニュートリライト社の存在を軽視することは出来ません。ちなみに、アムウェイ社は後にニュートリライトをも買収しています。 ニュートリライト.プロダクツ社とは、1941年化学者カール.レーンボルグの名案に起源を発します。彼は、1920年代に中国の強制収容所に入れられたことがあり、そこで経験した断食とか様々な経験を通じてによって、「近代的な生活をする先進国の人々は、自然食から離れ過ぎており、将来やっかいな病気になる予備的病因を持っており、適切なサブリメントがぜひ必要だ」という考えを確信するようになりました。今日のホメオパシィ理論の先駆を為すものですが、中国漢方の積極的評価を通じた栄養科学の推進を試みたことが後々各方面に影響を与えて行く事になります。このようなアイデ アから後に彼は、アルファルファ、クレソン、パセリと各種のビタミンやミネラルから 抽出した新しい栄養剤を発明し、この商品を販売するニュートリライト.プロダクツ社 を設立しました。同社は現在でもアムウェイ社の子会社として存在しており、今尚優れた製品を作っています。 カール.レーンボルグの名を不朽にするのは、彼の発明した栄養剤ではなく、彼がその栄養剤を販売するのに採用したマーケティングの特異性にあります。博士は、「フード.サプリメントは成人なら皆、潜在需要者だから、セールスマンに買って貰い、まず 彼らを顧客にし、次いで彼らを母体にディストリビューターをつくり、次の顧客を作り その顧客もディストリビューターにし、次々に顧客とディストリビターの網を拡大して 販路を広げていく。この方法は素晴らしい」と考え、史上初のMLMを導入しました。 そのシステムは、セールスマンに対し、自分自身で商品を売った儲けだけではなく セールスマンがリクルートした人の売上げに対してもコミッションが入るようにしたことに特徴がありました。このコミッションの源泉は、本来企業が負担する筈の莫大な 広告宣伝費及び流通経費の対価として確保されており、このことにより、セールスマン は、自力で専ら自身の口コミによるセールス力でのみ販売促進させねばならないという 苦労を伴うことになったものの、報酬が格段にアップすることになり、俄然ヤル気が喚 起されることにもなりました。 いわば、自分の労働を「一元的に」直線的に得る収入に対して、セールス.ネットワークを構築することにより、他の人々の労働成果からの収入も期待出来ることになりました。但し、同社の手法を今日の水準から見れば、ディス トリビューターは自分でリクルートした人だけから手数料を得られる仕組みにしてあり「レベル1」のシステムと云えます。ちなみにMLMの字義通りの意味からすれば、ディストリビューターはリクルートした人のいくつかのレベル、すなわち「複数のダウングループ」から手数料を受け取れるような仕組みを要件としていますので、先行的ML M企業と呼ぶのが相応しいかも知れません。 ニュートリライト.プロダクツ社のその後は、上々の滑り出しを見たものの、やがて 生産ラインの人たちと販売ラインの人たちの折り合いががしっくりせず、ディストリビ ューターたちが独立していくことになりました。 同様の手法は、西ドイツにも源流を垣間見ることが出来ます。1949(昭和24年 年頃西ドイツのハンブルクの靴屋ヴェルナーオットーが、靴を店頭に並べて販売するだ けでは飽きたらず、他の商品も扱う通信販売を手掛けたシステムにも認められます。この販売システムは「SB方式」と云われており、SB会員が本社から送られて来るカタ ログをもとに近所の友人や知人から注文を取るシステムを採用しました。SB会員は、 自社の商品群を卸値で入手して愛用できると共に、さらにこれを友人.知人などに販売 することによって副収入(6〜14%のマージン)を得ることができました。つまり、オットー社の通販カタログ販売の顧客が単に顧客に留まらず自ら営業することによりマージンを稼ぐという、消費者が販売者を兼ねるネットワーク.ビジネスの最初の仕組み がスタートしたのです。 SB方式のもう一つの特徴は、その組織構成にありました。S B会員を指導する本社の社員である販売指導員としての地区リーダーがおり、この人たちはSB会員をリクルート(勧誘)し、その管理指導をすることで収入を得る仕組みにな っていることにありました。地区リーダーは、自分が管轄する地区内の商品売上高により収入が左右されていました。つまり、管轄地域内の会員数を増やす等により売上げを増加することにより、収入がアップするという仕組みになっていました。これらの地区 リーダーの上部に100人のディストリクト.マネージャーを置き、さらにこれらのマ ネージャーを管轄する9人のブロック.マネージャーを置きました。これらのマネージ ャーは全て歩合制になっていました。同社はこのシステムによって1980年には売上 高36億マルクを達成するまでに成長しました。こうしたオットー社のマーケティング システムにMLMの原形を見ることが出来ます。 上記二社の特筆されるべき特徴は、「消費者が販売員も兼ねている」ことにあります。 こうした「消費者が販売員も兼ねる」手法こそMLMの原点であり、MLM方式こそが企 業側に特段の財力なしに商品の流通販売を可能にする手法であることが明確となるに及び、新しいマーケティング理論として認識されはじめ、アメリカ人の旺盛な起業精神と フィットしていくこととなりました。やがて「MLM方式」としての意識的な取組みの 元に1940年末から50年初頭にかけて、一群の人たちが本格的に事業戦略に取り組んでいくことになりました。 1950年前後に無店舗販売の「M」手法が米国で勃興しました。「MLM」の初期段階とみなすことができます。この「M」は、新しいビジネスの常として、黎明期から今日に至るまで世間から中傷や批判を浴びて来ています。「MLM」は未だ実験途上の段階であり、歴史が浅い為の試練に晒されている段階であると云えます。 歴史的に見て、20世紀の半ば以降は、産業のあらゆる分野において、新しい試みは 全てアメリカから生まれています。小売業の世界も同様です。日々業態革新の波が押し 寄せており、顕著な例としてスーパーマーケットの発祥が挙げられます。スーパーマーケットは、大量生産.大量販売の時代に即応した薄利多売式販売理論に支えられ、レジ スターを横並びで徹底的に活用するセルフサービス方式、車社会を先取りした郊外型の店舗展開等々はいずれも革新的画期的な意義を持つものになりました。そのアメリカで は、1940年から50年頃当時にかけて、「フランチャイズ.ビジネス」がブームとな りました。「フランチャイズ.ビジネス」とは、経営の全てのノウハウ(商品の仕入れ、販売から、店舗の作り方、広告の方法、従業員の教育、経営の仕方まで全てのこと)を有料で提供して、新しい小売店舗をオープンさせて行くビジネスのことを云います。 MLM方式は、こうしたスーパーマーケットの販売理論の経験上に、「フランチャイズシステム」の成果を加えて、その延長上に開花したシステムと考えることが出来ます。つまり、MLM方式は、スーパーマーケットの販売理論をベ−スとして、「フランチャイズ.ビジネス」による業務提携を、企業から個人の単位に迄推し進めたものと考えることが出来、企業側と会員とのフランチャイジ−契約を通じて全ての流通段階における 役割を簡略且つ効率的に推し進めていく手法を組織したものとみなすことができます。 要約すれば、MLMとは、個人としての会員とフランチャイジ−契約を結び、この個人会員をビジネスの提携事業者とみなして、既存の流通業者のすべての役割を担わせると いう形態ということになります。 |
【勃興期−〈ウエイブ.ワン〉】 |
こうしたMLMのシステムを採用して、1950年頃に家具を一般家庭向けに売る会社が登場しました。**年にはキッチン用品を主流にして広がったタッパーウェア、1956年には健康補助食品などを販売するシャクリー社、1959年にはアムウェイ社が誕生する等1950年代に本格的にMLM企業が誕生しはじめました。 中でも、その 後の経過から見て、アムウェイ社が注目されます。同社は、1959年にジェイ.ヴァ ンデルとリチャード.M.デブォスの二人の青年により、「自分の生き方を変えるチャ ンスやきっかけを探し求める人が働ける会社をつくりたい」、「やる気のある人が、自 分のビジネスを持てるようにして、自分で目標を決めて、自分で未来を切り拓けるよう な機会を与えたい」という夢を抱いてスタートしました。 1960年頃には、このシステムを取り入れた販売会社がまるで雨後のタケノコのよ うに全米でたくさん生まれました。この当時参入した企業は、MLMさえ採用すれば急 成長出来ると安易に考えていた節がありました。続々生まれる企業の中には悪質な販売 方式を採用する会社も含まれていました。 これらの企業群が浮沈を繰り返しながら1970年末には約200社ぐらいが生き残りました。この当時はMLM方式の試行錯誤のテスト段階とみなすことが出来、数多くの失敗事例を経験することとなりました。いわゆる一攫千金型の悪徳業者もたくさん生まれ、「すぐに儲かる」式の勧誘方法で会員を獲得し、それによって数多くの人々が多大な被 害を被り、それは現在でも続いている傾向でもあります。 その代表的例として化粧品販 売のホリディ.マジック社があります。同社は、1964年(昭和39年)カリフォルニ ア州サン.ラファエルにおいて設立されています。1970年代に入ると、同社は連邦 取引委員会(略称FTC.Federal Trade Commission)から告発、追及されるようになり 1973年(昭和48年)FTCは、ホリディ商法を「非良心的で詐欺的」と判断し、デ ィストリビュ−タ−と呼ばれた販売員全員に出資金を全額返還するよう命じました。各州の裁判所では、同社を相手取ったディストリビュ−タ−による集団訴訟も相次いで起 こり、条例でホリディ商法そのものを禁止する州が続出し、同社は本国から締め出され ることになりました。こうして、1960年代末から70年代にかけて、MLM企業の誕生スピードは、急速に沈静化しました。 |
【試行錯誤期−〈ウエイブ.ツー〉】 |
とはいえ、こうした数多くの失敗事例の経験にも関わらず、やがてMLM方式の有効
性を確信し続ける一群の人たちの中から成功事例型企業も輩出して参りました。そのう
ちの最有力な企業がアムウェイ社でした。このアムウェイ社は、1975年にアメリカ
政府のFTCに訴えられ、徹底的な調査を受け裁判を争うこととなりましたが、4年間の歳月と400万ドルの費用をかけて争った結果、1979年アムウェイ社は勝訴する
ことになりました。 裁判での審決の結びは、「アムウェイのセールス.マーケティング システムは、ピラミッド商法の持つ本質的な特徴を含んでおらず、従ってそれは本質的 に偽りで人を欺すようなものではない」とされたのです。この審決によって、MLM方式は、初めてMLMがピラミッドその他の非合法商法とは異なり、逆に正当な販売シス テムであることが認知されることとなりました。このアムウェイの勝訴は、大きな社会的関心を引起こし、MLM商法に対する企業家の目を変えることに成功することになり ました。アムウェイの勝訴により〈ウェイブ.ワン〉の時代が終わったとみなされます 。 こうして〈ウェイブ.ツー〉の時代の幕開けとなりました。「MLM」は、1950年前後の勃興以来何千何万社という企業の挑戦と淘汰という歴史的試練を経て、試行錯誤の末に凡そ1970年代より漸く成功事例に辿り着くこととなりました。その象徴が1975年5月、アメリカ連邦取引委員会(略称FTC.Federal Trade Commission)が下した次のような判決です。「悪徳MLMシステムの本質的な特徴は、参加すれば製品を販売する権利を得るとともに、別の参加者をリクルートするだけで製品が売れようが売れまいが報酬を受ける権利が得られるとして、会社側に金銭を支払わせることである。製品販売と無関係な報酬を得るというリクルート条項は、まさに無限連鎖講的仕掛け〈ねずみ講〉に他ならない。リクルートによって得られる報酬を期待して多額の金銭を支払った参加者は裏切られることになる。しかし、〈MLMシステム〉を正しく行っている会社は、ピラミッド.システムの持つ本質的な特徴を含んでいないので、本質的に偽りで人を騙すような商法ではない」。続いてアムウェイ社とFTC(連邦取引委員会)との係争で、1979年にアムウェイ社が同社の「MLM」商法に対し勝訴することになったことも「MLM」発展の大きな契機となりました。同裁判での審決の結びは、「アムウェイのセールス.マーケティング.システムは、ピラミッド商法の持つ本質的な特徴を含んでおらず、従ってそれは本質的に偽りで人を欺すようなものではない」とされました。この勝訴判決判決以降「MLM」は歴史的正当性を獲得し、正当な商法として認知されることになり、「MLM」を廻る画期的な動き(ウエーブ)が沸き興ることと成りました。「MLM」は著名なビジネス情報誌にも紹介されるようになり、以降現在に至るまで雨後の竹の子のように「MLM」を採用する会社が設立され続けています。「MLM」は、1980年代を通じて力強く発展を遂げ続けました。 この頃有名な経済雑誌「フォーチュン」にMLM方式が特集で取り上げられました。こうした追い風を受け、 状況は一変しMLMは合法的なビジネスとして衆知されることにもなり、1980年前半にはMLM方式を採用する会社が爆発的に増加し約2000社にも急増致しました。 例えば、メアリー.ケイ化粧品(テキサス州ダラス。1963年設立)、テキサスインスツルメント、コダック、コモドールコンピューター、ビートライスフーズ、ダイナマイト.コーポレーション(カリフォルニア州ミルピタス、1975年設立) といった企業が、MLM企業として名乗りを挙げることになりました。又、エイボン. プロダクツ(ニューヨーク本社、1886年設立)社のように当初エイボンは普通の化 粧品メーカーだったが、1980年代に入りネットワーク.ビジネス方式に全面的に切 り替えた会社も見られるようになりました。この当時、1979年には約200社であったMLMカンパニーが、1983年には 約2000社に増えたと報告されており、ディストリビュ−タ−総数は370万とも4 50万とも推計されています。 この〈ウェイブ.ツー〉の時代は、新しいテクノロジーの採用をしていたとはいえ、 テクノロジーそのものが未発達で、その分、主に会員の個人的能力頼りなシステムにな っていました。ビジネスでの成功には在庫が必要で、製品注文.受渡しも会員を経由し たり、煩雑な事務処理を伴うものでした。その一方で、新人のリクルートをしなければ なりませんでした。 |
【成長期−〈ウェイブ.スリー〉】 |
次のウエーブは、1990年に米国全国版雑誌「サクセス5月版」で、「MLM」を肯定的に扱う特集記事が組まれたことが挙げられます。同誌は信用と水準を誇る全国版ビジネス誌ですが、編集長スコット.デガルモの同意の元に編集記者リチャード.ポーが、徹底的な調査に基づき「ネットワーク.マーケティング、90年代最強のビジネス」
として「MLM」が紹介されるに至りました。続いて、世界的に有名な雑誌「ウオール.ストリート.ジャーナル」と「スタンフォード研究所」レポートにより、「1990年代の終わり頃には、大衆が日常消費する商品やサービスの50〜60%が、この「N.M」方式(DDS)で販売されるようになるだろうと予想される」とコメントされることになりました。「MLM」は、1990年代後半の現時点においても、今尚変貌を遂げつつあり、今日においても最新最先端最有力の「M」手法の一つとして認知されつつあります。一部先進的なマスコの支援を受けることにも成功しつつ、今後どのように発展していくのか熱いまなざしが注がれています。 〈ウェイブ.スリー〉の幕開けは、ニュ−スキンと共に始まります。こうした時代に みなぎる気運をキャッチするかのごとくにしてニュ−スキン社は設立されました。同社 は1984年に化粧品会社として出発しましたが、販売手法としてMLM方式を採用し 得たことは幸運なことでした。さらに幸運なことは、この当時既にアムウェイ社が成功 事例型企業として先行していることにあったように思われます。ニュ−スキン社は、こ のアムウェイ社のMLMシステムを徹底的に研究し改良を加えることが出来た訳です。 なお、ニュ−スキン社が起業した1984当時にはかなり高性能なコンピュ−タ−が 生まれており、この高性能コンピュ−タ−とMLMシステムをドッキングさすことによ り完璧なダイレクトセリング方式を採用することが出来たことも幸運なことでした。同 社は最新のテクノロジーを備えて、業務の単純化、標準化、自動化を実現しました。 こうして、ニュ−スキン社の販売システムは「世界最高且つ究極の」MLMシステム を完成することに成功することとなりました。まさに現代販売科学の粋を結集させたも のといえます。こうして優れた販売システムを構築することに成功したニュ−スキン社 は予想通りの歩みを見せており、全米至上急成長率bPの地位に輝き、企業創立9年目 にして企業評価ランキング「5A1」の地位の認定を受けたのは周知の通りです。 最近では、アメリカの大学の修士課程で、「ネットワークシステム.マーケティング の講座が出来ています。その理由は、ネットワーク.マーケティングが大変大きなビジ ネスになってきており、今後ますます大きく成長していくと見なされているからです。 世界的に有名な「ウォールストリート.ジャーナル」、スタンフォード研究所の試算によ りますと、1990年代の後半頃には、一般大衆が日常消費する商品やサービスの50 〜60%が、この「ネットワークシステム.マーケティング」方式で販売されるように なると予想されています。 ちなみに、アメリカでは、80年代から90年代前半の6年間におけるミリオネラー(億万長者)は50万人誕生しましたが、その内訳は、株式関係者が10%、不動産関 係者が18%、ネットワーク.ビジネス関係者は何と20%を占め、約10万人を数え ております。 以上見たとおりアメリカではネットワークビジネスが大変盛んですが、とはいえ5年以上継続する会社は1000社に1社しかありません。逆に云えば5年以上存続すれば 本物であると云えます。こういう状況にあってニュ−スキン社は1996年時点で創立 13年目を迎えており、怒涛の急成長及び青天井の売上増を記録し続けていますが、ま さにニュ−スキン.ビジネスはアメリカンドリームそのものと云えます。 |
(私論.私見)