飄(つむじ風)転載14

 (最新見直し2014.08.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1985年8月12日、羽田発大坂(伊丹)行き日本航空インターナショナルのボーイング747型(ジャンボジェット、機体記号JA8119)機のJAL123便が墜落し、505人の乗客と15人の乗員合わせて524人(他、赤ちゃん1名)が死亡すると云う大惨事が発生している。問題はこの事故が事件の臭いがすることにある。この事件には不可解なことが有り過ぎる。幾人かの識者が既に言及しているが未だ真相は明らかにされていないと考える。これを仮に「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と命名する。長年気になっていた事件であるが今漸く着手する。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 2009-11-26 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑮
 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第14弾
 

 これまでの情報は、反って参考にならない。寧ろ、捏造された可能性すら見えてくる。情報は操作する情報もあると言うことだ。CVRのテープを何度聴いたことだろう。結局は分からなかった。悲惨な状況、奮闘する乗務員、想像するだに心痛む生の遺声。それに尽きる。そう捉えていた。一部、改竄があったであろう事は想像できたが、その内容は洋として知れるものではない。全てが改竄されていたとすれば、話は全く違ってくる。おそらく、改竄前のものは、一層鬼気迫る何かが記録されていたであろう。とてもそれは公表できる代物ではないはずだ。そうすると、いち早くリークされた『ド~ンといこうや』という意味も全く違ったものになろう。大体からして、その部分だけが、リークによって表面化すること自体、謀略性を禁じ得ない訳だったが、全編改竄したテープの公表であったすると、最初から最後までいまだ隠されていると考えるべきだ。内部告発によって、意味もなくテープがマスコミにリークされるなど、よく考えてみるとおかしな話だ。しかも、その内容が、事故調報告書に準じた内容であるなら、内部告発も何も有ったものではない。マスコミに対するリップサービス以外の意味合いでしかない。成る程! 体の良い情報操作であったのだ。よくよく考えると、理解できる。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(7)2009-11-25 18:41:13 | 日記

 タイトルにしっかりと記載されているにも拘わらず、ミサイルネタから離れてばかりですみません。今回こそ先を進める予定でしたが、その前に、このブログに対していつも投じられる疑問についてお答えしたいと思います。

 ■ボイスレコーダーに触れないのはなぜか?
 世の噂の中には「都合が悪いから引用しないのじゃないか?」など、色々おっしゃられる方がいますが、その通り、確かに都合が悪いから引用しないのです。な ぜなら、明らかに私たちが入手した物証、事故直後の証言の数々、事故現場の物理的状況、どれと比較しても、ボイスレコーダー(CVR)、フライトレコー ダー(CFR)、そして事故調査報告書に示された記録とは多少の齟齬が生じてしまうからです。今こうしてパソコンに向かってブログを書いている間にも、机の上に置かれた米軍戦闘機、ミサイル破片の数々がくっきりとした輪郭を持って私の目に飛び込ん できます(写真1)。この確かな物証と、これまで報道や、ネット上で公開されてきたCVRなどの事故関連情報、どちらを信じたら良いのかと問われれば、答 えは明らかでしょう。

 写真1:机の上に置いた破片の数々(ラップしているもの)

 ■ボイスレコーダ発表の経緯を問う

 以前、コメントにお答えする形で説明したのですが、改めてここで、CVRが発表された経緯について、その頗る不自然な点をご紹介しましょう。

(1) 国際規約上、CVR(音声)の公表義務はない
(2) CVRの録音テープは匿名でマスコミ関係者に届けられたものである(2000年)
(3) マスコミ各社は充分な裏取りをしないままこのテープを放送(2000年)
(4) 一応、匿名テープを鑑定したのは当時の日航パイロットで、この事故を独自に調査していた藤田日出男氏
(5) 匿名テープのマスコミ配布前に、藤田氏は日航運行部長に呼ばれ、「内密で高濱機長のご家族だけには聴かせて良い」と、同内容のテープを渡され、ご家族に聴いてもらっている(音質はその後公開されたものより悪かったと、藤田氏は証言している)

 上記の内、特に(4)(5)については話が出来過ぎです。藤田氏が事前にテープを聴かされていなければ、この匿名テープの真贋を語れる人物は誰も居ないことになります。これは想像になりますが、その藤田氏にとっても、上司である運行部長に信託されたモノと同一内容であるからこそ、本物と認定したのでしょう。本来ならば、藤田氏の意見だけに依存せず、マスコミはこの匿名テープの真贋に慎重になるべきだったはずです。公表義務のない音声テープが、なぜ、事故から 15年経過した2000年になって、突然マスコミ各社に届けられたのか?その理由は何なのか?藤田氏は「心ある内部関係者の告発」と、その匿名の人物の行 為を良心の現れと評価しているようですが、その「心」を無警戒に「良心」と見なしてよかったのか?大いに疑問が残るところです。2000年といえば、直近の1998~1999年、池田昌昭氏が3冊の著書(「御巣鷹山ファイル」シリーズ)で、自衛隊撃墜説を大々的に発表した直後にな ります。1993年の角田四郎氏の著書に続いて、事故調査報告書に記されたCVRの文字情報に大きな疑いが投げかけられた直後に当たります。まるで、その 疑惑追及の声に応えるような形でCVRは電波で流れるようになった、それも事故調査報告書をほとんど裏付けするような内容で。

 ■2000年には確実に存在:声紋合成技術

 匿名テープに疑いがあると言えば必ず返ってくるのが「本人の声は誤魔化せないだろう」「家族が聞けば分かるだろう」という反論なのですが、答えを言えば「本人の声は誤魔化せる」し「家族が聞いても分からない」になります。人の声にはその人特有の声紋(せいもん)が存在し、声紋の違いが、その人を他の声主から識別させるのです。国際軍事評論家のB氏によると、「声紋をコン ピュータで合成し、他人に成りすます技術は、以前よりカーネギーメロン研究所で開発されており、2000年までには確実に実用化レベルで存在していたはず だ」とのこと。つまり、2000年の匿名テープは声紋合成技術が取り入れられている可能性が極めて高いと言えます。2000年から9年たった現在、音響技術の専門家なら当たり前の話になりますが、既に手元のパソコンで声紋合成することさえ可能なのです。元公明党委員 長、矢野絢也氏の著書「黒い手帳」を読むと、2000年代初め頃、某巨大宗教団体が録音テープを編集し、証拠資料として裁判に提出している、と、声紋合成 技術が悪用されている現実が生々しく紹介されています。また、2001年の911事件の渦中に墜落した93便に関しても、乗客が機内から掛けたとされる電 話(有名な[Roll Up!]など)は、声紋合成技術を使って誰かが成りすましたのではないかという疑いが以前より指摘されています。最後に、このブログのコメントに元マスコミ関係と名乗る方からいただいた投稿をここでご紹介します。・このテープが編集されたものであることは、業界の常識 この方だけでなく、私もマスコミ関係者数名から同じような話を聞いています。

 長々と書いてきましたが、結論は単純明快です。ボイスレコーダーは捏造されている可能性が極めて大なので、当ブログでは論拠としてこれを使用しません。捏造テープだった場合、音声をいくらミリセコンド単位で分析しても、真実からますます遠ざかるばかりだか らです。ですから、この先触れることがあっても、せいぜい参考程度の扱いとさせていただきます。そして、真に信じられる証拠として、
 (1)物証
 (2)事故直後(情報操作の影響が少ない期間)の記事・証言
 (3)現地調査によるデータ
以上に重点を置き、論証を進めて行きます。

※このテープが捏造されたものであったなら、藤田氏にテープを渡した日航運行部長は情報操作に加担、すなわち日航上層部が隠蔽工作に加担していることを示す重要な状況証拠となり得ることにご注意ください。もちろん大手マスコミ各社が加担していた疑いも拭いきれませんが。

* * *

 匿名ボイスレコーダーを聴き、打ち震え、涙した方は多いと思います。そんな心優しき人々を欺く冷酷かつ緻密な手法には、もはや人の心すら感じられません。 しかしそれでも、彼ら「悲劇の計画者」当人に真実を打ち明けてもらい、人(ヒト)に帰っていただくのが私の願いであり、当ブログの存在意義であると考えて います。

 QUI A SEMET IPSO LOQUITUR GLORIAM PROPRIAM QUAERIT QUI AUTEM QUAERIT GLORIAM EIUS QUI MISIT ILLUM HIC VERAX EST ET INIUSTITIA IN ILLO NON EST
 2009-11-20 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑭

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第13弾 

 日航機は撃墜された。米軍機によって、しかも何らかの核爆発を伴うミサイルによって最終的に墜落した。その爆弾は中性子爆弾であるとの推理はあった。それが空対空ミサイルであったかは確測出来ない。というのがこれまでの投稿者の推理であった。どうもそれ以上の事態が、発生していたようである。憶測であるが、空対空ミサイルは発射された。それは主力エンジンにに突き刺さったミサイルの残骸から推測できる。しかし、それで、123便は墜落したのではなかった。空対空ミサイルでは、大型旅客機は仲々撃墜出来ないと言うことも理解できる。では、一体何があったのか?  結論は、まだ見えない。そのカギは、何故日航機を落とす必要があったのか? 動機なき犯罪はない。その動機が解明される必要がある。その実行に際して、内部対立があったことも考えられる。あるいは、予測しない突発事態が発生したことも考えられる。いずれにしても、あれだけの惨事を想定しても、実行しなければならない動機とは何か? それを解明しなければ、真相解明とはならないだろう。

  JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(6)2009-11-19

 このところ「ミサイル」ネタから脱線しており申し訳ありません。これまで「そしてミサイルは発射された(5)」や「オバマ大統領訪日に寄せて」で、現地に散乱している米軍機と思われる破片の数々、戦乱の跡などについて報告させていただきましたが、このような夥しい物証の中で、123便がミサイルに撃墜されたか否かの論証を行うこと自体に、もはやそれほど大きな意義はなくなりつつあります。  

 結論を先に言えば、ミサイル、あるいはそれに類する軍事兵器による撃墜以外の原因は考えられないのであり、後は現場調査・物証レベルで、どのような状況下でどのようなミサイルが発射され、どうやって同機が墜落に至ったか、そのメカニズムを具体的に考察する段階に来ています。

 ここまで米軍機のことを表に出してしまった手前、今回は、この事故が常に米軍の関与するところのものであることを示す一例をお見せしましょう。ただし、 「米国が日本の旅客機を撃墜したのだ!」と、「日本 vs 米国」のような短絡的な結論を導くことだけはないようにお願いします。24年に渡る事実隠蔽を成し得たのは、日本側の協力体制なしには有りえないこと、ま た、事故当夜に米軍同士が激しく衝突している事実もありますので、この'事変'を巡る背景については、123便の直接的な墜落原因以上に、より慎重に検証 していかなければなりません。

 ■米国事故調査スタッフに紛れ込んだ軍人

 過去の記事でも紹介した、この写真(写真1)を見てください。

 写真1:米国事故調査スタッフ

 青い服装の人物が、いわゆる「ロッキード社の技術者」でないかということで、胸のワッペンがロッキード社の先端技術開発チーム「スカンクワークス」のロゴ マークに似ていると報告しましたが、実際はそれ以上の情報がこの写真の中には含まれて居ます。次の写真(写真2)はこの人物を拡大したものです。

 写真2:青い服装の米国人

 前回の記事では敢えて全情報の開示を控えていたのですが、真実を知る人々の口が相変わらず重いようなので、今回はこの人物について本当の事を報告します。なお、これらは国際軍事評論家のB氏の指摘によるものです。

(1)サングラスをかけているので目付きまでは分かりませんが、他のスタッフが暑さでバテているのに、この人は背筋が伸びて、周囲の状況をしっかりと監視しています。体躯も鍛えられた軍人のそれです。

(2)この青い服装は、当時の米国空軍の夏用制服です。

(3)胸についた赤い帯に見えるもの、これは「略綬(りゃくじゅ)」または「略章(りゃくしょう)」と呼ばれる、ジャラジャラとした勲章の代わりにコンパクトにその人物の軍歴を示すものです。

(4)はボヤけてよく見えませんが、「スカンクワークスのロゴ」よりはV字型に翼を広げた鷲:米国空軍のロゴマーク(図1)の方が近いと言えそうです。


 図1:現在のデザイン化された米空軍ロゴ(当時はリアルな鷹の絵柄だったはず)

 (1)~(4)の事実が示すもの、それは、この人が全くの米国空軍の軍人だということに尽きます。なぜ、こんなバレバレの格好をするのか、B氏に尋ねたところ、次のような回答を得ました。・多くの人間を動かす場合、自分の地位と権限をはっきりと周囲に誇示する必要がある。そのために民間人に偽装しなかったのだろう。それにしても露骨過ぎるので、日本をかなり見くびっている面もあるようだ。そして、この軍人がどれ位の地位の人間かについてもお聞きしたところ・略綬の数からいって、左官、それも中佐クラスの人物。ペンタゴン(米国防総省)から直接派遣された技官であろう。この人が黙って右手を略綬に当てれば、一緒に来ている民間の調査員などは、頷いて命令に従うしかないだろう。なお、軍事産業の技術者が同時に軍属であることなどは、米国社会では珍しくないので、この人物が、噂通りに「ロッキード社の社員」であっても矛盾は生じません。

 1985年8月17日に米国事故調査団として事故現場に入った空軍の高級軍人が、いったい何の目的で現れ、何を指示していたのか?偶発的に起きた事故調査のためにわざわざ米国防総省から派遣されて来たと思うなら、あなたはかなり幸せな発想の持ち主です。

 SED UNUS MILITUM LANCEA LATUS EIUS APERUIT ET CONTINUO EXIVIT SANGUIS ET AQUA

 2009-11-13、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!番外編

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 

 これは驚きを越えて、驚愕すべき事実だ。一体、真相はどういう事になるのか? はっきり言って、想像の域を越えている。 投稿者の勘もそこまでは及ばない。これは何を意味するのか? 1985年8月12日、あの日、一体何があったのか? そして、その背景は何なのか?  一層、謎は深まった。!!
 JAL123便墜落事故-真相を追う-オバマ大統領訪日に寄せて2009-11-13 12:22:47 | 日記
-------------------[ A Message To Mr. President Obama]--------------------

Dear Mr. President Obama

I welcome you to Japan with all my honor and respect.

If you can spare me a small amount of time, I'd like you to read the following short message.

As you know (or not), your loyal boys had lost their lives at Osutaka moutainous district in Japan on Augst 12 and/or 13, 1985, approximately 24 years ago.

All up until now, thier souls have been asking thier father to answer the question: for what they had to die on the ground a long distant away from their own sweet homeland, United States of America.

It is only you who is eligible to respond to their long-felt want.

I hope you could visit the place and speak to them with sincerity and love. And I also hope you will offer deep condolence to all the 520 victims of JAPAN AIRLINE FLIGHT 123 (JAL123) incident, the most disastrous airplane incident in the world history.


Thank you Mr. President

God bless you

Your Friend in JAPAN

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 オバマ米国大統領の来日に合わせ、御巣鷹の尾根周辺でS氏が拾い集めた米軍機の残骸について、今回は特別にレポートします。破片の鑑定および機材の判定については、今回も国際軍事評論家 B氏のお力をお借りしました。それにしても、「そしてミサイルは発射された(5)」のRC-130の一件だけでも信じられないと思われる方がほとんどでしょうが、今回の報告はそれ以上 に強烈です。しかし、これらは全て物証を元に掘り起こした事実なのです。少なくとも事故調査報告書に比べてはるかに正確に、当時、御巣鷹の尾根周辺で何が 起こっていたかを物語っています。

 ■何機落ちてるかわからない、米軍ヘリ

 以下の写真1は全て、軍用ヘリコプターの部品と思われるものです。あまりにバラバラなので所属等までは判別できませんが、一部についてはベルUH- 1H(米空軍)、ボーイングCH-46(米海兵隊)で用いられている部材であることが分かっています。それぞれの部品の説明についてはここでは割愛しま す。

 写真1:軍用ヘリコプターの残骸

 写真2:ボーイングCH-46(左)、ベルUH-1H(右)(Wikipediaより引用)

 これらの残骸が夥しい数、事故現場周辺に散らばっています。写真を見ればお分かりのように、機体はバラバラです。もっとも、一部にはレーザーカッターなど できれいに切断した跡のような切り口も見られるので、大きな部品で回収が難しい、時間的に間に合わないものは、現場で切断し、素人には判別が難しい他の小 部品に混ぜ放置していったのだと考えられます。機体の残骸の数、散乱範囲、また、粉々になったロケット弾やミサイルの破片から、米海兵隊、空軍を巻き込んだ凄まじい局地戦がこの地で勃発したことが予想 されます。そういえば、現場に朝4時に乗り込んだM氏も、尾根の上に出た時に聴こえて来るヘリ音を頼りに現地に向かったと証言していました。言い換えれ ば、現地の谷は深く、山を下ればわずか1,2キロ先の音も尾根に遮られて聴こえない状況であったと考えられます。これでは、麓の村落ではこの出来事に気が 付かないでしょう。しかし・・・ここで記載することではありませんが、アントヌッチ証言っていったい何だったのでしょうか?また、事故調査報告書も何だったのでしょうか?例 え手抜きの調査をしても、これだけの物が見つからない、目に付かないはずがありません。もはや、両者が全くの創作であり、証拠的価値など皆無であることが 証明されたようなものです。日本国民も世界の人々も、この24年間騙され続けてきたと言っても、まだ言い足りないぐらいです。

 ■本格的な偵察機も落ちていた

 写真3:高品質の部品、測定器の一部他

(1)は'超'が付くくらいの高品質素材で製造加工された、油圧管の継ぎ手部分と思われるものです。管は2重配管で24年間経過しても全く劣化したような ような痕跡がありません。民間機ではとても採算が合わない高級品です。(2)はシールド材で、現場に大量に落ちており、おそらく機体内部全面を覆っていた と思われます。電子機材を満載した偵察機の仕様です。(3)は高度な加工と被服が施されたケーブル。観測ドーム内で位相検波計のセンサーに使用されたと思 われます。(4)は機体破片で、米海兵隊の塗装と所属名の記載の一部が認められます。これらは人が分け入るのが困難な薮の脇に在り、エンジンや機体破片などはおそらく薮の中にまだ回収されず残っていると思われます。しかし、これら特殊部品 の数々が、偵察機RC-135の装備品であることを示しており、同時に、同機がここで墜落、または撃墜されたことをも物語っています。所属については写真 (4)および状況からB氏は米海兵隊の可能性が高いと言っておられますが、(4)と他の部材との関連は不明ですので、とりあえず所属は不明であるとします (米空軍のものが一般では認知されていますが、同機材は米国4軍で広く運用されているので断定もできません)。

 写真4:米空軍のRC-135

 ■謎の黒い戦闘機

 まだまだ出ます。

 写真5:戦闘機の機体表面(黒塗装)

 写真5は、戦闘機の機体表面と思われる厚めのジュラルミンに直接黒い塗装を施した金属片です。黒色の塗装を施すこと自体がかなり特殊なことであり、その色 同様、何か特殊任務を帯びて行動していた戦闘機ではないかと類推されます。私はこの機体こそ、JAL123便を撃墜した米空軍戦闘機ではないかと見ていま す(なぜここに落ちているかは後日に)。なお、特別なステルス加工等は見られないので、機材自体はよくネットなどで噂されているF19などのステルス戦闘 機などでなく、従来型機であったと判断されます。

 ■その他の航空機

 実は、他にも上記に該当しない機材の破片が数多く発見されているのですが、まだ、それらを特定する段階に至っていません。あと2~3種類はほぼ確実に存在 していると予想しています。そして、その中には謎の黒い戦闘機とはまた別に、おそらく電波吸収材であろうと思われる黒い破片も含まれています。確実に言えるのは、想像を超えた戦闘がこの地で行われ、多くの米軍用機が墜落・撃墜されたこと。また多くの死傷者が出たことも想像に難くありません。しか も、驚くことに、その争いが翌日の午前4時ころ(M氏が到着した時間)以前にはおおよそ決着しており、既に回収作業や土砂がけ、隠蔽作業などが始まってい たのです。なぜ、こんなにも米軍機が落ちているのか?これは異常事態です。また、首都東京から数十キロ圏内で発生したこれだけの異常を、全く報じない報道機関、事故 調査委員会、日本国政府、こちらの方も輪をかけて異常としか言い様がありません。この事実は私だけでなく、過去に各国軍の偵察機に乗り、戦場を何度も見て きたB氏をも、たいへん混乱させました。B氏は御巣鷹の尾根一帯を「飛行機の墓場だ」と表現されましたが、見事に状況を言い得ていると思います。これら証拠物の検証と平行して、B氏とは時間をかけてこの事実について協議検討し、私たちは全体を説明する一つのシナリオに辿り着きました。次回以降はこ のシナリオをブログで提示することになりますが、仮説部分が多くなり、間違いや考え違いも混じってくることは避けられないでしょう。筋の通った読者からの ご指摘は私たちも採用し、シナリオに変更を加えて行きたいと思っておりますが、まずは私たちのシナリオ全体をご確認いただいてから、細部についての修正の ご指摘をいただきたいと考えております。あまりに複雑な要素が絡んでおり、最初から細かいところに留まると、事故(もはや'事変'ですね)の全体像が見え なくなってしまう恐れがあるからです。

* * *

 これら米軍機のパイロットがもし生きていたら(あの機体の破損状態では生存は難しいでしょう)、本日来日するオバマ大統領にこの一夜の出来事をいったい何 と報告するのでしょうか。520人の事故犠牲者に加え、さらに多くの尊い命がこの地で失われたのですから。とにかく痛ましく、当夜の出来事を想像するだけ で、胸が締め付けられる思いです。

 MERCENNARIUS ET QUI NON EST PASTOR CUIUS NON SUNT OVES PROPRIAE VIDET LUPUM VENIENTEM ET DIMITTIT OVES ET FUGIT ET LUPUS RAPIT ET DISPERGIT OVES. MERCENNARIUS AUTEM FUGIT QUIA MERCENNARIUS EST ET NON PERTINET AD EUM DE OVIBUS
 2009-11-12、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑬

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第12弾 

 驚きの新事実。しかし、これらは巷に既に流れていた情報である。誰も関心を持たず、あるいは異端視してきた既実の情報でもある。これが渾身の勇気ある発信を以て、世の中に出ることは良いことだ。だから、初めて本ブログでも転載する事が出来る。勘は当たっている。多くを語ることは要しない。ご覧じあれ! 協賛して拡散に務めたい。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(5)2009-11-11 14:52:15 | 日記

 これまで、123便墜落の原因がミサイルではないかとの物証と推論を提示してきました。証拠が本当に現地で調達したものであるとお疑いの方もいるでしょう が、それならどこでミサイル破片を入手できるか逆に教えていただきたいと思います。お断りしておきますが、ミサイル部品の物証は写真に掲載したものだけで なく、多種多様、しかも大量です。それらは、真実を知る方々が何も公表しないのであれば、このブログで全てを掲載いたします。また、身の安全が確保できれ ば、現地の土が付着したままの物証と科学的分析結果を携え、複数の証人とともに証言台に立つ用意があります。物証や現地調査に基かない議論は無意味なだけです。ジェーン年鑑を丸暗記すれば軍事が理解できるわけではありません。軍事とは詰まるところ「殺し合い」な のです。私がこれから提示する事実及び推論の中には、ネット上やデータブックには記載されていない、あるいは記載と異なることも多く含まれます。殺し合い が、将棋やカードゲームのように決められた手駒やルールの中で行われていると本気で信じているならば、これから書くことは軍事通だと自認しているあなたを ひどく立腹させることでしょう。私は、夢の世界で遊んでいたいあなたたちの楽しみを奪うつもりはありません。これ以上読んでいただかなくて結構ですので、 どうぞ、どこぞの有名掲示板で空想を躍らせていてください。ちょっと煽ったような書き方になってすみません。上述について少し考えてくださるのなら、戦記物の古典『ガリア戦記』をお読みいただければ、私の真意がご 理解いただけるかと思います。また、もっと気骨のある方なら、ぜひ現地の山を登って物証の数々をご自身の目でお確かめください(まだまだ出てきます)。た だし、単独登山だけは危険ですのでお止めください。できれば登山ガイドを含む数十人くらいの同志を募って出かけられることをお勧めします。今の時期登れ ば、民間人に偽装された大勢の陸自・空自の特殊部隊、化学防護隊の皆さんと現地でお会いすることができるでしょう。運がよければデルタフォース(米陸軍特 殊部隊)の米軍兵士とお会いできるかもしれません・・・言い忘れてました。現地の隊員さん同様、ヨウ素剤の携行もお忘れなく。

 ■オレンジ色の破片、再び

 角田氏の著書「疑惑 -JAL123便墜落事故-」の中に出てきた吉原公一郎が見たという「オレンジ色の破片」について、考察します。まずは、下の写真を見ていただきたくお願いします。

 写真1:赤味の強い破片 
 写真2:写真1とは色調の違う破片
 写真3:機体の一部と思われるオレンジ塗装-(1)表・(2)裏・(3)破断面

 写真1は、「そしてミサイルは発射された(3)」で示したものと同じで、国際軍事評論家のB氏もまだ特定できていません。写真2は写真1の写真とは明らかに色調が異なるものですが、まずは、多くの特徴を備えた写真3の解説を先にします。写真3-(1) は人の足が写っていますおりますので、だいたいの大きさがわかると思いますが、一抱えよりはちょっと小さいくらいの、破片と呼ぶにはかなり大きいもので す。塗装は、グレーの上にオレンジ色を上塗りしてあります。材質は金属のようでありますが、同量の鉄材などと比べばずいぶん軽く、ジュラルミンのようなア ルミ合金とは少し違う触感です。写真3-(2)はこの破片を裏返しにしたところで、2つの板がリベット打ちで継いであることがわかります。リベットは小間隔の2列ずつで、ナットにはハー ドロック型が使用されており、非常に強固に強度が保たれているのがわかります。これは明らかに航空機、しかも軍用の仕様であることがわかります。写真3-(3)は、この破片の破断面をクローズアップしたもので、ちょっと見難いかもしれませんが、真ん中に筋が通っており、この板自体が2枚の貼り合わせで構成されていることを示しています。写真3をB氏に鑑定していただいた結果、次のような特異な点を見出しました。
 ・このグレー色は米国海兵隊の機材に用いられる塗装
 ・オレンジ色は救難機の識別色として上塗りされる塗装
 ・板は木製チップを含む合板で、地のままの金属よりも軽く安価に強度を増したもの
 ・リベットの打ち方・部材は、軍用としてもかなり強度を要求される部分である

 以上を総合し、B氏の出した結論は
 ・米国海兵隊の偵察機 RC-130 の救難仕様、その着陸装置の一部
というものです(図1参照)。

 「ええっ!何で米国海兵隊の飛行機が落ちているの?」。多くの皆様がそう思うはずです。私も最初は耳を疑いました。しかし、これを裏付けるような報道も実は なされているのです。事故翌日の1985年8月13日、讀賣新聞夕刊にて報道された「4メートルのエンジンプロペラ」との記者目撃報道。RC-130のプ ロペラ径は約4メートルでまさにこの報道にぴたりと符号するのです。

 図1:RC-130の着陸装置

 疑問はさておき、写真2についてもB氏は次のように結論付けました
 ・破片の裏側に残っているのは炸薬の破裂痕であり、ミサイル等の弾頭部分であろう
 ・赤色(オレンジ色)の塗装が施していることから、携帯用地対空ミサイルFIM-43(通称レッドアイ)の弾頭部分である疑いが濃厚である。


 写真4:地対空ミサイル レッドアイ

 何と、これまで空対空ミサイルの議論をしていたはずなのに、地対空ミサイルまで飛び出してきてしまったのです。また、B氏によると、RC-130の破片が短冊型に(写真5)バラバラになっていることから
 ・地対空ミサイルで撃墜された可能性もあるが、低空飛行中に対戦車ロケット弾
  などの貫通弾をあびて、機体内部で炸裂した可能性の方が高い
と指摘しています。

 写真5:短冊形に割れた機体破片

 これまで、米軍機が123便をミサイルで撃ち落したのではないか、その事だけに注目していましたが、現実には、もっと複雑な背景がこの事故の裏側にあるよ うです。米軍機が落ちているとしたら、当然ながら米軍兵士の犠牲者もあったことでしょう。その(おそらく)裏付けとなるのが写真6です。

 写真6:現場に残された腕時計 

 一見するとなんだか安っぽいデジタル時計のようです。メーカーはSANYO(サンヨー)、デジタルクォーツで防水加工が施されているもの。Made in Japan ですが海外で販売されていたものです。時計バンドの腕周りは、ゆうに20cmを超え、かなり大柄な人物が着用していたことが分かります。B氏によると、この時計は1980年代、米軍パイロットが使用していたものに間違いないそうです(もちろん軍用品を一般乗客が着用していた可能性もあります)。吉原公一郎氏が目撃した「オレンジ色の破片」。それが、いったい上記の内のどれを指していたのか不明ですが、オレンジ色には御巣鷹の尾根の闇夜の出来事を解き明かす大きなヒントが隠されている、それだけは間違いなさそうです。

* * *

 先日現場に入ったS氏は、御巣鷹の尾根にある慰霊の塔の前で悲痛な面持ちでたたずむ白人男性を目撃したそうです。その方が、ここで命を落とした米軍兵士の関係者かどうかはわかりませんが、どんな理由であれ、この地で果てた全ての命に黙祷を捧げます。

 BEATI MITES QUONIAM IPSI POSSIDEBUNT TERRAM

 2009-11-10 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑫

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第11弾

 映画『沈まぬ太陽』を鑑賞した一人であるが、あの映画、社会派的観点から観たドラマとしては優れものであると思う。しかしながら、真相解明の観点からすると、隔靴掻痒(かくかそうよう=もどかしいこと)の感は否めない。 もし、真実が明らかにされたら、あの映画のような叙情も感傷も吹っ飛んでしまう戦慄を覚えることであろう。しかし、真実は小説よりも奇なりを通り越して、残酷である。 航空機を舞台にした残酷極まりないドラマは、世界に数多くある。大韓航空機を舞台にしたものでもちょっと数えれば、3つある。いちいち数え上げないけれども、有名なものばかりであるから、誰でも思いつくはずだ。 9.11テロなど記憶に生々しい。4機の衝突、墜落など恐るべき事であるが、真相はと言うと、到底程遠い内容解明であって、いずれもほとんどの遺体の収容は為されてはいないのである。それのみか、機体までが消え去っている。 一体どうしたことか? 消えた機体、消えた人々は今どこにいるのか? 殺されたのか、幽閉されているのか? 今もって明らかにされてはいない。 しかしながら、毎年のように慰霊祭だけは行われ、哀しみの事故、あるいはテロ犠牲として偽善のセレモ ニーが行われている。 はたして、それで当人達は浮かばれるか? 大切なのは真相解明である。『The Truth will be You Free』 とはよく言ったものである。 日本航空123機墜落事故の真相を追求することは、極めて重要である。仮に戦慄すべき事実が明らかになろうとも、真実に目見えることは人間としての権利であり、その努力は使命でもある。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(4)2009-11-10

 日航機事故のミサイル発射に関する論述を進めます。その前に、私の複数の友人から「ミサイルを喰らっても旅客機が簡単に落ちないことを初めて知りました」との感想をいただき、多くの人にとって、「ミサイ ル」という言葉に対するイメージが間違って与えられていることを知りました。これから「ミサイル」に関する議論を進める上で、この認識が誤っていると誤解 を生む原因となりますので、くどくなりますが「ミサイル」というものの実際について、少し補足を加えたいと思います。

 ■大韓航空機に見るミサイル攻撃の実際

 国際軍事評論家のB氏によると、現実を知る上で最もわかりやすい実例は、1978年に起きた、大韓航空007便によるソ連領空侵犯事件だろう、とアドバイ スを受けました。この事件は、大韓航空のボーイング707がソ連領ムルマンスクの上空を侵犯し、ソ連超地内の氷河湖に不時着したというものです。同機はソ連空軍機のミサイル攻撃を受けたのですが、それもB氏の入手した情報によると4,5発命中したらしいのですが、1人の犠牲者も出さず不時着に成功していま す。ミサイル攻撃を受けていたことは最近になって公表されましたが、それに関する報道記事があったので下記に引用します。

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 【78年の旧ソ連不時着大韓航空機、ミサイル攻撃受けた】

  1978年に旧ソ連領空を侵犯し、ムルマンスクに強制着陸した大韓航空(KAL)ボーイング707旅客機は2度にわたりミサイル攻撃を受けていたことが、27日、明らかになった。 KAL707機は4月21日、乗務員と乗客110人を乗せてパリを出発し、ソウルへ向かう途中、北極航路を離脱した後、ムルマンスク南200マイル地点の湖面に非常着陸した。当時、ソ連戦闘機の機関銃警告射撃だけを受けた、と知られてきた。(以下略)

 中央日報(日本語版) 2005.6.29
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65080&servcode=400&sectcode=400

-----------------------(ここまで)-----------------------

 写真1:大韓航空のB707機(写真は貨物機) 
 ちょっと恐かったですが、安いので貧乏旅行にはよく使っていました。

 1983年のサハリン沖領空侵犯事件といい、大韓航空による旧ソ連領内のスパイ活動は軍事関係者の間で有名ですが、それは本題ではないので、まずは、ミサイル攻撃を受けたところで大型民間機は簡単に撃墜されないという事実にご注目ください。

 ■半分不発は当たり前の空対空ミサイル

 「ミサイルが激突すれば爆発するはずだ」とどなたかがコメントしていたようですが、衝撃を受けるたびに爆発していたのでは、戦闘機が事故や不時着を起こすたび大爆発、下手したら基地内や、空母の甲板上で核爆発が起きていたでしょうね。ミサイルの爆発は簡単に言えば起爆装置が制御しています。この感応精度を上げれば理論上は当然爆発しやすくなりますが、アニメの世界と違って、基地をスク ランブル発進した戦闘機が必ずミサイルを発射して帰ってくるわけではありません。戦時中でなければ、多くの場合にミサイルを搭載したまま帰還するでしょう し、発射されなかったミサイルは地上で再び整備を受けなければなりません。ミサイルは戦地を飛ぶことよりも、自軍の管轄内に存在していることの方がはるかに多いですし、爆発物としてのミサイルを整備するのは自軍の整備兵です。現 実の軍事では、武器の取り扱い事故を減らさなければならないという、極めて泥臭い問題も抱えています。ですから、起爆装置の感応精度が有る程度の範囲に制 限されるのは当然のことです。「ぶつかりゃ大爆発」なんていうミサイルは、危なっかしくて、おそらくどこの軍隊でも採用されないでしょう。感応精度に制限がかかる以上、起爆に至らない不発弾の問題も当然発生してきます。「不発率(ふはつりつ)」という言葉があります。打ち出したミサイルや魚雷の内、どれくらいの割合で不発になるのかを表す数字です。相手戦力を測定する上 で重要な情報となりますから、公表されることはまずありません。第2次世界大戦中の魚雷の不発率については、米軍が公表したデータを見た記憶があります が、確か、9割以上不発だったはずです。まさしく「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」のレベルです。B氏が入手した軍事情報によると、米国の巡航ミサイル「トマホーク」の不発率も湾岸戦争当初は9~8割のレベルだったが、戦争末期になってやっと5割以下のレベルになったとのこと。2発打ち込めば1発が起爆。B氏によると、それでもかなり性能がいい方だそうです。1980年代のミサイル技術の集大成である巡航ミサイルですらそのレベルですから、当時の一般の戦闘機が搭載している空対空ミサイルの不発率も、最も良くて5割程度とみなすべきでしょう。


 ■そして123便の場合

 以上の点から、大型民間航空機である123便を戦闘機が狙ったとしたなら、撃ち落すためには装備しているミサイルを全弾を打ち尽くすくらい発射するでしょうし(4発以上)、また、その内の半分は不発弾として残っている確率が高いと予想されるのです。そして、実際に不発弾は残っていたのです。

 FILIOLI CUSTODITE VOS A SIMULACRIS
 2009-11-06 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑪

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第10弾 

 渾身の情報提供は、相当な危機感を相手側に提供しているよう様相が窺い知れる。今まで、断片的にしか出ていなかった証拠が、一度に吹き出すかも知れない。そんな勘が蠢く。現場に無数にある証拠とは何か? それは中性子を浴びた断片の無数の欠けらか?回収しきれなかった、あるいは敢えて回収しなかった犠牲者の無数の遺骨か? もっと直接的にミサイルの残渣か?

 無題
 http://www.youtube.com/watch?v=S8Fhih6CyF8
 。  

 <無題と称したのは、聡きものは覚るであろうから.....>

 いずれも中らずとも遠からずであろう。本来ならば、徹底的に科学的検証を行えば、全ては明らかになることばかりである。それは決してしないであろう。それをすれば、当時の政権の壮大なウソを暴くことになる。そして、その盟主の米国の陰謀を表沙汰にする事になる。いずれも、これは推測の域を出ないが、勘というものは案外的を得るものである。それしても、26年経ってもいまだに、墜落現場は物々しい。なにか巨大な陰謀が蠢いているようだ。

  JAL123便墜落事故-真相を追う- 緊急報告 2009-11-05

 今晩20時頃、御巣鷹の山々の南側、長野県川上村に下山したS氏から携帯電話で次のような連絡がありました。「宿を求めようとしたが、村中の宿舎で断られる。宿舎には屈強な身体、鋭い目付きの一団が出入りしており、おそらく自衛隊関係者かと思われます」。その後、S氏から連絡が途絶えました。電波状況が悪いせいもありますが、頻繁に異音が混じることから、当局が意図的に連絡を遮断している様子も伺えます。このブログで、ミサイル撃墜に関する重要な証拠物を入手したこと、事故現場周辺が厳重な監視体制に置かれていることなどを、報告しましたが、どうやらバレては困る方々が一斉に動き出したようです。連日百人以上の大動員をかけて現地一帯で、破片を回収しているようです。なぜ、24年たった今頃、こんなに証拠物が出てくるのか? S氏は現地の地質について「周囲は岩の多い山なのに、なぜか事故現場近くは工事現場にあるような土砂ばかり」と言ってました。これはどういうことか、つまり「事故当時拾い切れなかった不都合な破片は、上から土砂をかけて隠した」ということです。急斜面と岩の多い山肌、そんな環境の中で、土砂は堆積せず流れ落ち、今頃になって当時の残骸を我々の目の前に晒すことになったのでしょう。しかし、どんな に回収を進めようと、証拠物はこれからも際限なく出続けるでしょう、また、そのために大人数の公務関係者が御巣鷹の山に入れば、当然何をしているのかを世 間に問われます。もはや、悲劇の計画者たちは最後の悪あがきを始めたとすら言えそうです。それはそうと、今はとにかくS氏の身の安全が心配です。どうか無事に帰って来られることを祈るばかりです。
* * *

 今(23:00)S氏から連絡、「タクシーにも乗車を断られ・・(切断)」。やはり長時間の会話は無理なようです。(6日1:30) S氏から連絡、「何とか深夜の配車を受けてくれるタクシーを見つけて、駐車場まで移動。これから自車で帰宅予定。深夜の山の駐車場にもかかわらず、人が 乗っている車が向こう側に止まっている」。無事で何よりですが、まだ監視が付いているようです。気を付けて。(6日1:50) S氏から連絡、「ブレーキが効かない。サイドブレーキで何とか停車しました」。明らかにブレーキに細工されたようです。超低速で何とか人里まで辿り着くように指示。罪を重ねる愚行をいったいいつまで続ける気なのでしょうか・・・(6日11:00) S氏の無事の帰宅を確認。ご心配をおかけしました。

 NE INDUCAS NOS IN TEMPTATIONEM SED LIBERA NOS A MALO, AMEN
 (わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください)
 2009-11-01 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑩

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第9弾  

 日航123便は、撃墜された可能性がある。それも米軍機によってそれは為された。そして、その物的証拠が提示されている。これは衝撃的な事である。何のために.......。これは順次明らかにされることだろう。かなりの部分、周知の事実である。理由はともかく、真実は明らかにされる必要がある。これだけの事実を突きつけられると、都合良く思わない勢力は現存する。昨今、元記事サイトには、ぞろいかがわしいコメントが登場する様子が見られる。本ブログもぼつぼつ登場するようになった。厚かましいので、無視(非公開)している。このことは、要所を衝いている証明ともなる。いつでもおいで、纏めて公開してあげるから.......。その時は、IPアドレスもしっかり公開するつもりである。これは、この事実を拡散してほしくない連中が現存していることを表している。その連中は、この事実が真実である事を教えてくれる反面教師でもあるから、心ならずも歓迎する。何度も言う。真実は明らかにされなければならない。拡散理由は、その一点にある。 

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(3)2009-10-31

 引き続き、ミサイルの使用に関して検証します。

 ■角田氏が持ち帰ったミサイル破片

 角田四郎氏によるドキュメント「疑惑-JAL123便墜落事故-」は、本事故を語る上で欠かすことのできない資料ですが、その中でも、411ページから 414ページに記された「金属片」の一節は、物証に基く証言として注目に値します。私の下手な説明よりご本人の文章を読まれた方が正確だと思いますので、 下記に引用を掲載します。

-----------------------------(ここから)--------------------------------
 私は8月18日の現場登山の帰り道、偶然一片のアルミ合金製と思える金属片を拾ってしまったことを前にも述べた。
その金属片を米軍の友人に何の説明もせず(日航機事故の件も伝えず)見せた。彼は航空機の整備を担当している。彼の答えは、私のど肝を抜いた。「たぶん」と疑問視をつけて慎重に、しかしはっきりとこう言った。「ミサイル」(This is missile.)。「まさか!」(Not really !)。「たぶん、ミサイル」(Maybe, missile.)。思えば私にとってこの事故に接してから、この言葉は初めて耳にする言葉ではなかった。最初は山に行く日(18日早朝)車の中で聞いた友人の羽田での体験記である。日航役員が乗客家族につめ寄られて、はきすてた言葉「うちのジャンボは、北朝鮮のミサイルに撃ち落された。今はそれしかわからない」であった。気にもとめていなかったし苦しまぎれの讒言と思っていたが、日航社内上部には、なにかそんな情報でもあったのだろうか。二度目にこの言葉を耳にしたのは・・・

 (中略:「自衛隊撃墜説を斬る(1)」で否定した「たかちほミサイル説」についての記述)

 そして、米軍人の口から三度目の「ミサイル」を聞かされたのである。やや不気味になった私は、その金属片を手元に置かないことにした。未だその金属片についての科学的検証は行っていないが、すくなくとも吉原告一郎氏の言う「オレンジ色の破片」とは明確に別のものである。しかし、私は一方でこれは米軍友人の見立て違いだと思ってもいる。何故なら、たとえ事故が国にとって重大な損失を生むからといっても、現実に空を飛ぶ一自 衛隊員は我々の近くにいる普通の若者と変わるところはない。いかに上官の命令であっても一般人が乗っている、民間航空機に向けてミサイルを発射撃墜するな どという行為をできるわけも、するわけもないからである。私はそう信じたいのだ。他方、では一体あの墜落前の光や後をついていった流れ星のようなものや私の拾得した金属片、そして最後の異常な急降下どう説明すればよいのか、と思い悩んでしまう。日航123便事故で亡くなった白井まり子さんは、元日航のスチュワーデスであった。その白井さんは遺書の中でこう訴えている。「恐い・恐い・恐い。助けて。死にたくない、気持ちも悪い」。恐い、恐い、恐い・・・・。この言葉を彼女はあと幾つ重ねたかったのであろう。そしてこのものスチュワーデスの味わった恐怖の幾倍か幾十倍の恐怖を、一般乗客は味わったであろうか。ミサイル説を考えるとき、期せずして白井さんと同じ言葉が胸中をうめつくす。恐い、恐い、恐い・・・・と。
-----------------------------(ここまで)--------------------------------
 引用文の中にはありませんが、角田氏はこの金属片を、岩の後ろに目立たないように置かれた数個のリュックサックの下、それも隠すように置かれているのを見つけて持ち帰ったと証言しています。またそのリュックの中には着替えが詰まっており、そこから、事故現場で制服を着用している自衛隊・警察・日航技術者等 が、実は偽者ではないかと疑念を抱いたことも正直に述べています。
上記の引用部分で、角田氏は「自衛隊説」を前提としているため、「自衛隊が同国の民間機を撃つはずがない」とその複雑な思いを吐露しておりますが、当ブロ グは「米軍説」、より正確には「米空軍説」に立っておりますので、この点については同様の疑念を抱く必要はないでしょう。さて、ここで引用文中に挿入された、角田氏が拾い、米軍の友人に渡したとされる件の金属片の写真を以下に掲載します。
写真1:角田氏の拾った金属片

 私もこの写真を国際軍事評論家のB氏にお見せして所感を尋ねたところ、B氏は一見して即座にこう答えました。
「あ、ミサイルですね」。
また、そう判断した理由については以下のような回答を得ました。
・まず金属(ジュラルミン=アルミ合金)の厚さが薄く、強度をそれほど必要としないミサイルの側面に使用されるものと同タイプである
・断片の大きさ、変形状態、燃焼した跡はまさに爆破後のミサイル側面の形状そのものである

 ちなみにB氏は公的な軍事情報収集任務経験(これ以上は本人が特定されてしまうので書けません)の中で、ミサイル製造現場や実弾使用現場、整備マニュアル 等を実際に目にしており、軍事知識に関しては市販のデータブックには絶対に載らないものまで広範囲にカバーされています。そのB氏をして、この写真の金属 片はミサイルのものに間違いないとのお墨付きを得ました。実は、前回「そしてミサイルは発射された(2)」で掲載したミサイル弾頭と思われる写真、そしてこの金属片の写真、たったこれだけの材料からミサイルの製品系列までB氏は特定してしまったのですが、その情報については次回以降に説明したいと思います。

 ■オレンジ色の破片

 上記引用部で「オレンジ色の破片」の記述が見られますが、それについては個人で現場調査(※)を行っているS氏から提供された次の写真が参考になるでしょ う。今年10月になって現場付近で入手したものです。なお、B氏によると「ミサイル片と断定するには不十分」ということなので、あくまでも参考としてご覧 ください。

 写真2:S氏の拾ったオレンジ色金属片。オレンジというより赤に近い

※一見しただけでは気がつきませんが、事故現場周辺は厳重な監視下に置かれており、むやみに入山するとたいへん危険です。S氏によると時々軍用機が谷間を 飛行することがあり、それも曇天の日に限られるとのことなので、おそらく軍事偵察衛星で定点観測されている可能性も疑われます。また、S氏自身が何度も危 険な目に会ってます。絶対に軽い気持ちで登らないでください。

 ■そして、新たなミサイル部品

 また、次に掲載する写真は、S氏から提供された現場(第3エンジンの近く)に落ちていた小さな金属片です。円形と四角形の薄片、何の変哲もない部品のよう ですが、実は、ミサイルが使用されたことを裏付ける決定的なものです。ミサイルの製造・整備・運用に関っている方なら、どこで何の目的に使われているもの か、もうお分かりになったでしょう。また、10月10日の私のセミナーに参加された方も鮮明に覚えておいででしょう。

 写真3:明らかなミサイル部品

 もったいぶるつもりはありませんが、その時期が来るまでこの金属片についての当ブログでの解説は割愛したいと思います。私の思いは過去の記事でも触れたよ うに、何が何でも暴露することではありません。だからといって真実を隠したい訳でもありません。私は悲劇を導いた当事者にこそ真実を告白し、懺悔していた だきたいのです。そして、勇気を持って名乗り出たあなたを許したいと思っています。日航の経営問題を巡って何やら騒々しいですが、日航職員の心ある皆さん、お願いですから日航機事故の秘密を政治的駆け引きに使うのは止めてください。この 事故はすでに秘密でなくなりつつあります。上の写真以外にも多くの証拠品が見つかり、命を掛けて真実を求める人々の元に届いています。隠すことにもはや何 の意味もありません。しかし、何より先に、人として、事故犠牲者の白井さんの書き残した遺書、そこに残された恐怖と苦しみを理解し、次に何を為すべきかを 考えて欲しいのです。そのための時間をもう少しだけ残しておきたいと思います。

 HOC EST PRAECEPTUM MEUM UT DILIGATIS INVICEM SICUT DILEXI VOS. MAIOREM HAC DILECTIONEM NEMO HABET UT ANIMAM SUAM QUIS PONAT PRO AMICIS SUIS

 2009-10-27 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑧

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第7弾 。


 いよいよ、究明は核心に迫る。元記事では写真の指摘部分が、鮮明ではないので、投稿者でマークを入れさせて頂いた。先にその写真を掲載する。認識に間違いがあったら、ご指摘頂きたい。この写真に注目して下記記事をお読み頂きたい。驚くべき事に、これが相模湾で見つかったのではなく、墜落現場で見つかったと言うことは何を意味するか? 言うまでもないことであるが、これは事故ではなく、攻撃による撃墜を意味する。そして、迷走した原因は、その回避行動と言うことになる。そして、『もう、だめかもしれんね。』という、高浜機長の言葉や、『機長、他機が......』という不鮮明な音声が、意味を持ってくる。有名な『どーんといこ~や』という機長の最後の言葉は、一体何を意図した言葉だろう。水平尾翼を失った状態で、バンクと出力のアップダウンを繰り返しながらの回避行動であったとすると、その無念は計り知れない。

 AL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(2)2009-10-26

 前回は、相模湾上空で異変が空対空ミサイルによるものでないかとの仮説を提示しましたが、ミサイルの使用がより強く疑われるのは、やはり御巣鷹の尾根の墜 落原因の方でしょう。というのも、海上であった相模湾上空に比べれば、その痕跡というか残留品の情報が入手しやすく、判断の決め手が多いからです。今回についても、ミサイルを発射した主体、およびその使用目的については特に言及せず、果たしてミサイルがそこで使われたのかどうか、その点に絞って検証していきます。

 ■第3エンジンに残された異常な物体

 以下の写真(写真1)は、ネット上に流出していたものです。掲載の出典は分かっておりますが、ここでは敢えてそれを掲示しませんし、掲載者本人に連絡も 取っていません。私の通信手段は全て傍受されている可能性がありますので、ご本人の安全のためにこのような処置をとらせていただきます。お許しください。

 写真1:第3エンジンに突き刺さった異物

 何を隠そう、私が日航機事故関連の話題に興味を抱いたのは、まさにこの写真を見たことがきっかけです。御巣鷹の尾根の手前に転がり落ちていた第3エンジン と、そのエンジンの端からひょっこり顔を覗かしている円筒形状の異物。この異物が何であるか、その疑問に対する答の探求こそがこのブログを始める原点なの です。それまで(2008年の春頃)の私といえば、多くの皆様と同じように、「日航機事故は圧力隔壁の不十分な修理により起きた、世界最大の航空機事故」 であると、事故調査委員会・マスコミが報じるままを完全に信じきっていました。この写真は23年間ずっとそう思い続けていた常識を覆すほど大きなインパク トがあったのです。また、下の写真(写真2)もご覧ください。写真1の問題の箇所を拡大したものですが、異物の存在も奇異ながら、何やら薄っすらと半透明のビニールか布のよ うな物を被せ、まるで該当部分をカモフラージュしているかような処置がなされているのが認められます。たまたまそれしか手持ちがなかったのか、はたまた、 完全に覆い隠すとかえって目立つという深遠な配慮からなのでしょうか、とにかく、そうした所作の理由が問われます。

 写真2:円筒形付近の拡大図、カモフラージュか?

 ■エンジンの内部部品では有り得ない理由

 もちろん、この円筒形状の物体がエンジン内部部品なのではないのか?という疑問の声もあるかと思いますが、その推測が困難であるとは、ジェットエンジンの 基本構造を示した下の図1を見れば分かると思います。製品によって多少の差異はありますが、旅客機用のジェットエンジンはほぼこの基本構造に準じたもので あると言えるでしょう。

 図1:ジェットエンジンの基本構造

 図を見る限り、円筒形の物体に該当しそうなのは、④の回転軸か、⑤のノズル側のコーンになるかと思います。①のノーズコーンは脱落しているようですが、位 置的・サイズ的に貫通部品と見なすのは難しいですし、③の燃焼室は中空の部品ですから②の圧縮機を突き貫けたとしても、潰れてしまい原型を留めないと思わ れるからです。しかし、ジェットエンジンの専門家ならばお分かりでしょうが、②の圧縮機に取り付けられているフィン(ギザギザに見えるもの)容易に破壊されるようなもの ではありません。飛行中に1枚でも剥れようものなら、即座に大事故につながりますので、元来非常に高い強度が保たれている部品なのです。よく航空機事故な どを報道した写真でエンジンが丸ごとその形を保って残っているのは、フィンならずともジェットエンジンの部品強度、組付け強度が機体の中で最も頑丈である ことに起因します。ですから、何層にも重なる圧縮機を、エンジン内部の部材が貫通することはとても考えられません。また、写真を見れば明らかなように、こ の円筒形の異物はエンジンの側面(写真上方)からエンジン中心から離れる方向へ斜めに貫通しています。よって、この謎の異物はエンジン外部から飛来したものとほぼ断定できます。また、丈夫な圧縮機を何層か貫いていることから、その運動エネルギーもたいへん に高かったことが見て取れます。機体の他の部品ではないか?との見方もできますが、エンジン以外の機体部分の多くがハニカム構造など重量の軽いもので構成 されていること、エンジンと同じ慣性方向で移動してる機体の他の部材が、エンジンに対して相対的に強い運動エネルギーを持つことは考えにくいことなどか ら、この異物が機体とは全く関係のない地点から、相当のスピードでエンジンに突入したと考えるのが最も自然であると判断されます。それでは、飛行中のジャンボ機の近くを相当のスピードで飛ぶ円筒形物体とはいったい何だったのか?私には 「ミサイル」という言葉しか思い浮かびませんが、読者の皆さんは如何でしょうか?そして、この円筒形の物体がどうして事故調査報告書で報告されていないの か、日航・運輸省(現国土交通省)・学者の技術担当者は本当にこの物体を確認していなかったのか、その事実の方が極めて重要な問題でしょう。

 ET STELLAE CAELI CECIDERUNT SUPER TERRAM SICUT FICUS MITTIT GROSSOS SUOS CUM VENTO MAGNO MOVETUR

 2009-10-26、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑦

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第6弾 

  圧力隔壁破壊について、第2弾。 オイル系統がダウンしたことが窺われる。それとも、ひょっとして、遠隔操作ではないのか? 少なくとも、初期の状態で隔壁破壊はない。尾翼破損の場合、機首の向きを変えることに不便を来すであろうが、旋回はバンクで可能であろう。フラップが下がれば、失速も防げるし、ギアを下げたのは着陸準備だろうと思う。それが、何度も旋回して何故山に向かったのか。何かの回避行動と採る方が自然だ。

 JAL123便 パイロットの苦闘(総集編)オリジナルDVD60分
 http://www.youtube.com/watch?v=wEEQP9HzKm0

 JAL123便墜落事故-真相を追う- 圧力隔壁説の嘘(2)2009-08-14 18:16:50 | 日記

 圧力隔壁説は事故調査委員会が事故原因を「推定」する上で極めて重要な位置づけのものです。何故なら、この事故の推定シナリオは (隔壁修理ミスによる)圧力隔壁の破壊 →空気の噴出 →尾翼構造内の圧力上昇 →垂直尾翼破壊 →油圧系統全壊 →操縦不能 →迷走 →墜落 とあるように、圧力隔壁の破壊がないと、事故の全容までもが否定されかねないからです。ですから、事故調は、圧力隔壁の破壊があれば必ず生じる「急減 圧」(客室内の与圧が急激に低下する)が発生した点を強調しています。以下、隔壁破壊及び急減圧について、事故調がどのような見解に立っているか概要を見 てみましょう。

 1. 客室内に10m/sの空気の流れが発生した

 計算のやり方によりますが、理論上は 数10m/sの流速が得られるようです。ここでは10m/sという事故調の数字について考えて見ましょう。10m/sといえば、台風の時に強い風だと感じ るくらいの流速になります。この流速で空気が機内を流れたとすれば、紙のような軽いものは隔壁がある機体後方部に向かって激しく散乱するはずです。しか し、事故後に公開された、垂直尾翼異常後の機内写真では、そのような様子が全くみられません。また、生存者の証言にもそのような事実があったことは認めら れていません。そもそも、地上付近では80m/s(約300km/h)以上のスピードで飛行するジャンボ機の尾翼が、いくら内側からの圧力とはいえ、10m/sの流速で 生じる風圧によって破壊されたとはとても考えられません。また、機体後方部には圧力弁があり、高圧が生じればその弁が破壊され空気が排出される構造になっ ています。この圧力弁は墜落現場で発見されており、垂直尾翼破壊時には機能していなかったことが確認されています。

 2. 白い霧が発生した

 温度の低下によっておきる現象です。生存者の証言によるものですが、この霧は直ぐに消えたと証言は続きます。垂直尾翼を吹き飛ばすような事態が発生したの ですから、多少の亀裂などは発生したのかもしれません。ですから、白い霧の発生は、緩やかな減圧を推測する理由になっても、急減圧の発生までを認める理由 にはならないと思われます。

 3. 室内温度の低下、酸素濃度の低下

 この事故調の報告は、隔壁破壊ありきの推定であり、実際にこのような事態が機内で起きたことは、生存者の証言からは認められません。-40度の気が遠くな るような激しい寒気、極度の酸素不足の状態で、乗客は遺書を書き、操縦士はは同機を操縦し続けたというのでしょうか?このような極限状態で実際に何が起こ るかは、複数の実験結果を含め藤田日出男氏の著書に詳しく解説されています。

 4. 警報音、酸素マスクの落下

 元日航パイロットの藤田氏によると、警報音だけでは、何の警報か断定できないし、下手な着陸の衝撃でも酸素マスクは落下することがあるとのこと。必ずしも急減圧が発生したことの証明にはならないようです。

 5. 隔壁の破壊状況

 圧力隔壁が客室内から外側に向かって折れ曲がっていることなどが、急減圧とそれに伴う激しい空気の流れを示しているとのことですが、これについては、御巣 鷹の尾根に墜落した時に生じたものとも考えられます。なぜ垂直尾翼破壊時に生じたものであると断定するか、その根拠がいまひとつよくわかりません。それよ りも図に示したように、航空安全推進連絡会議が記録した、垂直尾翼頭頂部の破壊状況のスケッチが、内側からの圧力でなく、まるで機外から力が加わっている ように見える点を正しく説明すべきかと思います。

 (図は、「御巣鷹の謎を追う」 米田憲司 宝島社 2005 p222 より引用)

 * * *

 他にもいろいろと論じる点はありますが、詳しくは参考文献をご参照ください。結論として、事故調が主張(「推定」だけど)する「圧力隔壁説」は、ものの見事に否定されることが見て取れるでしょう。また、圧力隔壁が主原因でないとすれば、当然ながら
 1.垂直尾翼破壊の真の原因は何か?
 2.ボーイング社が認めた圧力隔壁の修理ミスは何だったのか?
が問題となります。この点を巡り諸説花咲くことになるのですが、次回はその辺りを見ていきましょう。

 NON ENIM EST OCCULTUM QUOD NON MANIFESTETUR NEC ABSCONDITUM QUOD NON COGNOSCATUR ET IN PALAM VENIAT

 2009-10-24 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑥

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第6弾

 圧力隔壁破壊が墜落原因説のように、世間では知られているが、断定されている訳ではない。あくまでも説が、メディアによって一人歩きした感さえある。それ故に、謎が深まり、未だに真相からかけ離れていると言っても言いすぎではない。 圧力隔壁破損による急減圧もなかったし、急温度低下もなかったことは生存者証言により明らかになっている。ボーイング社の同種機の運行上、あるいは性能疑惑を一機に限定するために原因説に浮上した疑いが強い。それとも、もっと大きな原因隠しのために、戦略的陰謀であろうか? それは分からない。ともかく、隔壁説はウソであるとの認識は結構定着したものである。しかし、今後の展開のために触れておくことは有意義である。新情報が出るまでの間、2回に亘り転載、考察する。 

 JAL123便墜落事故-真相を追う- 圧力隔壁説の嘘(1)2009-08-07 09:35:13 | 日記

 まず、事故調査報告書に書かれている「事故原因」を下記に引用します。

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 本事故は、事故機の後部圧力隔壁が破損し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀裂によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによるものと推定される。披露亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまで進展したことには、同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される。
----------------- (ここまで) --------------------

 よく読むと全て「推定」という言葉で締め括られており、少なくとも調査報告書が出た時点(1987年)では、事故調査委員会も「圧力隔壁説」を断定した訳 でないことがわかります。しかし、事故調査を2年間も続けて「推定」原因しか載せられないというのはどうしたことなのでしょうか?原因が特定できなかった なら、他の考えられる原因を併記できなかったのでしょうか? 結果的に、このこの報告書に書かれていることが日航機墜落の直接の原因とされ、世間に流布することになります。しかも「推定」原因でありながら、事故調査 委員会はこの事故の調査は終了し、今後も再調査の予定はないこと表明しているとか。事故調査に時効はなく、疑義が生じれば再調査を行うことは国際的ルール でありながら、敢えてそれを行わないというのは、事実上「『断定』したも同然」と解釈できるでしょう。文言(証拠)に残る形での明言を避け、実行の有無で状況を作
 2009-10-23、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑤

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第5弾

 この転載シリーズは、元記事と順序を同期していない。ランダム転載シリーズである。その理由は、二つある。一つは新事実、あるいは新推察を優先した。もう一つの理由は、最新版の拡散を優先したことである。その訳は、憂慮のために他ならない。これまでの記事は、全てキャッシュした。そして、可能な限り、関連性を持って転載しようと思っている。 あらゆる事は隠されてはならない。白日の下に晒されて、真相は見えてくる。事実はどんなに深刻でも真実が明らかになることが重要である。 墜落の直接原因を示唆する記事は、

 セミナー翌日の10月11日(日曜日)、正午前に千葉県内を自動車で移動していたところ、海上自衛隊の対潜哨戒機 P3C が、サーチライトを点灯しながら美しい3機編隊を組み、低空飛行で上空を通過して行くのを目撃しました。ちなみに、この編隊飛行は非常に高い技量を要求するものです。思い返せば、123便の高濱機長は元海上自衛隊の対潜哨戒機 P2J のパイロットであり、その腕前も5本の指に入るほど優秀なお方だったと聞き及んでいます。本ブログでは、高濱機長のとった懸命の撃墜回避行動についてまだ触れていませんが、機長が元自衛官パイロットとして最高の判断と技量を示したことを先に皆様にお伝えしておきます。機長のこの奮闘があったからこそ、今に至っての真相究明が可能になったと言えるでしょう。ただ残念なのは、結果的に悲劇は避けられなかったことです。おそらく機長の魂は今もそこに留まり、多くの犠牲を出したことに苦しみつつ、私たちに真実の究 明を訴えかけているに違いありません。高濱機長の任務は事故から24年を経過した今も続いているのです。この辛い任務から一刻も早く解放して差しあげるためにも、1人でも多くの日本国民に真相を伝えていかなくてはならない、1人でも多くの祈りを届けなければならない、そう思いつつ、私の真上を飛び去る3つの大きな機影を目で追っていました。自衛隊 P3C 対潜哨戒機》

にある。つまり、何故、123機が墜落したかの伏線が示唆されている。それだけではない。この真相の暴露が、かなりセンシティブな内容を含むと考えられる。それが、隠されてきた原因であるし、それを暴くと言うことは危険を伴う理由がそこにはある。拡散を急ぐ理由もそれである。

 http://www.youtube.com/watch?v=Gj_izP-UtJA (ボイスレコーダー~残された声の記録~ジャンボ機墜落20年目の真実)-1~13シリーズ-

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(1)2009-10-23

 これまでの掲載記事(隔壁説の問題点、諸説の比較、事故現場の目撃証言など)から、日航機事故の墜落原因が米軍機からのミサイルによるものであり、(偽)自衛隊や(偽)警察の怪しい挙動も、その事実を隠すための隠蔽工作である疑いが見えてきたのではないでしょうか? 今回より、新シリーズ「そしてミサイルは発射された」をスタートさせますが、このようなタイトルを付けると、「結論を急ぎすぎなのでは?」「ミサイルあり きの推論でよいのか?」と強くお叱りを受けそうですが、私にもこのタイトルを選択しただけの根拠があることを、まずお知らせしておきます。それが何かにつ いては、このシリーズの中で少しずつ詳らかにしていきますので、どうぞご期待ください。

 ■相模湾上空の異変:最も有力なのはミサイル説

 123便が尾翼を大破することになった相模湾上空の異変。この原因については、事故調が報告した「圧力隔壁破壊」が如何に根拠のないデタラメであるか、私のブログならずとも、多くの書籍、識者の意見として早くから指摘されていたことは「圧力隔壁説の嘘」 でれ触れました。しかし、それに代わる説としての「自衛隊標的機衝突説」や「自衛隊艦上ミサイル説」が全く根拠に乏しいこと、比較的有力だと思われる「フ ラッター説」も、フラッターの発生原因を説明できないなど、これまでの事故原因説では不十分であることについても述べてきました。誰がそれを発射し、その理由は何であったかという点を別にすれば、相模湾上空での異変を最もシンプルに説明できる説とは、実は「空対空ミサイル説」なので す。「御巣鷹の謎を追う」の著者、米田氏はミサイル説を「誇大妄想」と一蹴するのですが(意図があってそのような姿勢を示していると私は疑っていま す・・)、私の考えでは、ミサイル説が最も可能性が高く、むしろ圧力隔壁説の方がはるかに「誇大妄想」と言える代物だと捉えています。もっとも、これを理解するには、空対空ミサイルの特性、特に誘導方式に起因する特性について知っておく必要があります。

 ■空対空ミサイルの誘導方式

 詳しくは、Wikipediaの「空対空ミサイル」の項目を参照いただきたいのですが、ここでは、空対空ミサイルの一般的な誘導方式である、(1)赤外線ホーミング、(2)セミアクティブレーダーホーミングについて、簡単に触れます。

(1)赤外線ホーミング
 ジェットエンジンなど、赤外線を放射する熱源に向かって飛行します。高度な誘導管制を必要とせず、打ちっ放しで済み、購入費用も安価です。米国のサイドワインダー(AIM-9)などが有名(ただし派生型によって誘導方式は異なります)。

(2)セミアクティブレーダーホーミング
 ミサイルを発射する戦闘機(母機と呼ぶ)がレーダー波を照射し、目標が返したレーダー波(反射波)をミサイルが感知し、目標に向かって飛行します。母機 のレーダーで誘導し続けなければならないため、互いに打ち合う空中戦では使いにくいとされている。米国のスパロー(AIM-7)などが有名です(ただし派 生型によって誘導方式は異なります)。

 他にも誘導方式は色々あるのですが、敵機撃墜を目的とした戦闘機(飛行機を相手にする戦闘機を「要撃(ようげき)機=インターセプター」と言います)は、 まず標準装備として上記(1)、(2)のどちらか、または(3)両方の誘導機能を併用した空対空ミサイルを搭載していたと考えられます。

 ■空対空ミサイル vs 大型機

 ネットを調べると、上記のような誘導方式やミサイルの種類・スペックなどについては、非常に多くの情報が提供されています。軍事愛好者・研究家がこの世に は大勢存在するということなのでしょうか?ただし悲しいかな、それが実戦でどのように使用され、どのような結果を得たのか、それを報告したものはほとんど 見られません。あったとしても、戦闘機同士の空中戦のようなものばかりで、ジャンボジェットのような大型機に空対空ミサイル発射すればどうなるのか、現実 的視点からそれを論評したものを、私は見つけられませんでした。

 そこでまた、国際軍事評論家のB氏にアドバイスをいただきました。先のシリーズでも少し触れましたが、まず「空対空ミサイルが大型機に命中したとしても、 1発で打ち落とせることなどほとんどありえない」という事実です。ミサイルが命中して旅客機が大爆発などというイメージは、マンガや映画の世界の お話であると理解してください。大型機の機体構造を対戦闘機(小型機)用のミサイル1発で粉砕することはほとんど不可能です。そのため、要撃機は爆撃機な ど大型機を撃墜するために、何発もミサイルを撃ち込むか、核などの特殊爆薬を使用します。余談ですが、第2次世界大戦中も状況は似たようなもので、大型爆 撃機を確実に落とすために、コクピットのパイロットを機銃で狙っていたそうです。

 そして、B氏の指摘による最も重要な点は、(2)のセミアクティブレーダー、または(3)の併用型の誘導方式で大型機を狙った場合、「命中箇所のほとんどは機体後部、特に垂直尾翼に集中する」という事実です。図1はジャンボジェットの進行方向右斜め前方の要撃機から、誘導方式併用型の空対空ミサイルが発射されたことを想定して描いた、機影と熱源のイメージです。123便の垂直尾翼右側前方に、外力による大きなフレームの歪みが記録されている(「圧力隔壁説の嘘(2)」) ことより、この向きを選びました。図を見るとお分かりになると思いますが、ジャンボ機の垂直尾翼は機体に対して比較的大きく、周囲の空に対して明確なコン トラストを作ります。また、熱源は当然のことながらエンジン後方に集中することになります。なるほど、垂直尾翼に当たる確率は高いと言えそうです。逆に、 相模湾上空での垂直尾翼の異変は、(2)または(3)の誘導方式を持つ空対空ミサイルが原因ではないかと疑うこともできます。

 図1:セミアクティブレーダー誘導と赤外線誘導、ジャンボ機シルエット

 B氏によると、当時の運輸省担当技官をはじめ、航空機事故の現場を知っているプロならば、「垂直尾翼の状況を見れば、まず最初にミサイルよる攻撃、もしく は誤爆の線を疑うだろう」と、当時の事故調査担当者が第一要因として容易に空対空ミサイルの関与を想像し得たと指摘しています。彼らがなぜそれを沈黙し、 「圧力隔壁説」などという「誇大妄想」を作り上げたのか、その理由と背景については別途シリーズで解説いたします。

 ■垂直尾翼大破の主原因

 以上の推論から、セミアクティブレーダー誘導を搭載した空対空ミサイルが垂直尾翼に向かった可能性が高いと結論付けることができると思います。しかし、物 証が少なくこのミサイルが実際に爆発したのか、不発だったのかがはっきりしません(「空対空ミサイルは不発が多い」B氏)。ここでは、この空対空ミサイル が垂直尾翼に着弾後どのように反応したのか、仮説を2つ挙げておくに留めます。

仮説1.爆発→垂直尾翼大破→部品の散乱
仮説2.不発→フレーム・ヒンジ等変形→フラッター発生→垂直尾翼大破→部品の散乱

1は文字通り爆薬のエネルギーで破壊された想定、2は不発であるがミサイル本体の運動エネルギーにより尾翼の機軸部分を破壊、フラッターの発生を誘発し大破したとするもの。いずれにせよ、最初のミサイルの着弾を主原因とするものです。

そして、これが最も重要なことですが、このミサイル仮説が正しい場合、隔壁破壊はなかったことになり、そこから連鎖して発生したとされる油圧系統破壊もと い操舵機能の完全喪失もなかったことになります。すると、事故調が報告した123便の迷走飛行のシナリオそれ自体がもしかしたら「誇大妄想」ということに なりかねません。だとしたら、世の人の感動を誘ったあのボイスレコーダーの音声とは何だったのか???事実は一体全体どうなっているのか、謎は深まるばか りです。

 今回はここまで。次回以降もミサイル説についてさらに検証を進めて行きます。

 ET NON COGNOVISTIS EUM EGO AUTEM NOVI EUM ET SI DIXERO QUIA NON SCIO EUM ERO SIMILIS VOBIS MENDAX SED SCIO EUM ET SERMONEM EIUS SERVO




(私論.私見)