飄(つむじ風)転載12

 (最新見直し2014.08.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1985年8月12日、羽田発大坂(伊丹)行き日本航空インターナショナルのボーイング747型(ジャンボジェット、機体記号JA8119)機のJAL123便が墜落し、505人の乗客と15人の乗員合わせて524人(他、赤ちゃん1名)が死亡すると云う大惨事が発生している。問題はこの事故が事件の臭いがすることにある。この事件には不可解なことが有り過ぎる。幾人かの識者が既に言及しているが未だ真相は明らかにされていないと考える。これを仮に「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と命名する。長年気になっていた事件であるが今漸く着手する。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 <南相木ダム1995年(平 成7年)より建設開始、2005年(平成17年)に完成>

 南相木ダム北側は核兵器の爆心地のように焦げており、現場を歩くと放射線ダ メージも甚大である。 (123)

 2010-07-21
 日航ジャンボ123便 墜落2分前に長野県側でピカときのこ雲が発生していた。その後、1兆円程度の裏予算(起債)が使われ付近の山3個を全て削り取る(南相木ダム)などの隠蔽がひそかに行われた。(核ミサイルによる123便撃墜が 国民の血税で処理されている。)

 遺体の損傷(気をつけてご覧頂きたい)

 ①「image11.jpg」をダウンロード
 ②「image5.jpg」 をダウンロード
 「image4.jpg」をダウンロード

 日航ジャンボ123便 蟻ガ峠方向で、核兵器が炸裂した瞬間を目撃した川上村住民談 です。l
 投稿者 愉快通快 日時 2010 年 7 月 20 日

 蟻ガ峠方向で、核兵器が炸裂した瞬間を目撃した川上村住民談です。「蟻ガ峠の山肌50cm~1mの高さと、約600~700mの長さで、山の稜線に沿って一瞬蒸気みたいに横に拡がり真っ白い光になった。その白い光の上に瞬間、真っ赤な光が出た。この真っ赤な光も一瞬にして消えその後、勢いのある黒いキノコ雲がモクモクと上空に湧き上がって来た。キノコ雲の高さは上空800m~1キロ位昇り、キノコ雲は5分位続 いた」。

 http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/1128.jpg  

 日航機123便
 http://www.youtube.com/watch?v=IH4wt9tbt7w

 ①日本の黒い霧
 http://blog.goo.ne.jp/adoi
 のブログの方が軍事関連の云々に詳しく、U2が落ちた場合にどうなるか、ということで教わったところによれば、米軍の上の米国政府の飛行機になるため、U2の残骸回収↓乗組員の回収が先に行われます。その後で米軍関連の後始末、自衛隊関連の後始末と なります。・長野側から入った清水氏が多量の袋をヘリに上げているのを目撃しています。・また、運輸省のJA8119号機報告書を改めてみてみたところ、米国人1名を含む2名の身元確認ができなかった、とあります。これは、米国人と見られる顔をした乗客がU2パイロットではないかとして回収されたことを確率論的に暗示しています。
遺体写真を見ると、これは電磁放射線強化型のクリーン水爆です。当時、新型爆弾として日本人で実験を行ったのでしょう。もっと早くこの遺体写真をみておけばよかったです。

 ②報告しておりませんでしたが、今年の5月(5月10日前後)には、清水氏らと、実際に御巣鷹の尾根に登り、スゲの沢に降りて、清水氏に当時の状況を聞きま した。それからすると、以下のような状態ではないでしょうか。生存者は、あちらこちらで休んだりしていた。→自衛隊員は毒薬とナイフと毒ガスで救助を装い笑顔で殺傷した。→100名以上の死体の山がスゲの沢に朝には出現していた。

 2010-07-20 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!41。

 日本航空123機墜落事故の真相 墜落に至った直前諸相 これ以上の具体的な説明は誰も出来まい!!信ずるも信じないのも自由だが相当に克明で信ずるに足りる。まるで幽体離脱して、マイクロセコンドの次元からスローモーションで観察してきたみたいだ。 『ハイジャック対策リモートコントロール技術』など、言及が具体的でリアルである。既に123便には企図を持って設置されていたに違いない。そうすると腑に落ちる。それは彼の『尻餅事故』に由来する修理機会が適時だ。下記の転載文は、『(新) 日本の黒い霧』に投稿される123氏のコメントの最新版であるが、どこの解説より迫真に富んでいる。真偽について検証する術は持たない。勘である。信頼できる。勿論、判断するのは各自の自由である。

 纏めてみると、 

  1. 日航機123便は早くから、追跡するなぞの飛行物体を確認していた。
  2. 飛行物体はファイアービーである。
  3. 18:25:005、命中 。
  4. 18:25:07スコーク77発信。
  5. 日航機123便はハイジャック対策リモートコントロール技術が施されていた。
  6. 山下運輸相記者会見「これまでの情報ではパイロットミスはなさそうだ」、「全く予見できない事故で唖然としている」と示唆的な発言。
  7. 制御不能ではなくリモートコントロールされていた。「その飛び方は飛行機と思えない」。
  8. 日航機123便は羽田方向に機種を立て直そうとしていたが叶わなかった。
  9. 高空ではなく、低空(14200feet×0.305=4331m)であり酸素不足はなかった。「別に苦しく(酸素)なかった」。
  10. リモートコントロールで御巣鷹付近に誘導され、フラップリモート操作で急降下。
  11. F-15J撃墜目的在空機より、18:56:02……18:56:04「あーっ」サイドワインダー(AIM-9L空対空ミサイル。全長 287cm。直径12、7cm。87kg。接近戦用射程8km。翼幅64cm。弾頭9、5kg。爆発破片数10m範囲拡散。モジュラー構造で交換可能) 命中18:56:092本目命中。
  12. その後に小型核爆弾か高性能爆薬を使用する。ホットスポット現象

である。これなら、容易に理解できる。この123氏、多分、本名も自ら証しているので承知の方も多いと思われるが、まことに不思議なお人である。不思議を越えて奇人とさえ見られる趣があるがけっして悪人ではない。寧ろ善人でとびきり欲得を越えた日航機墜落事件真相追求者である。最近は単なる真相追求者の枠組みでは推し量ることが出来ない一面がある。まことに不思議なお人である。不思議ではあるが憎めない高貴さが漂っている。この事件、planzさんのブログでも別な側面で追跡しておられるが参照されたい。実に真摯にこの問題を勇気を持って追求している。いずれにしても、隠されたもので顕れないものはないのである。  

 ※一部、不要文字削除、その他原文のママ。段落を付ける。(転載者責)

 ◆〓1985年8月12日の月曜日JAL123便事件

 18:12:10離陸テイ クオフ(前後方向加速度3G)
 18:12:30。800feet通過 18:12:35機首方位180度指示 18:15:55機首方位200度 (事故調査委員会報告では18:18)

 ニューヨーク報道 「離陸3分後問題発生」 18:16:22「日航123便SIDコースの2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」
 ※ハイジャック対策リモートコントロール技術開発中で民間航空化する前の123便がターゲットに ゆっくり山岳地帯にコースを逸脱させられる。 添付写真(2、3~5)犠牲者小川哲氏機内から撮影で朝日新聞1990年10月14日朝刊掲載三浦半島が手前に有ります。

 奥に富士山があり相模湾の上空に入りつつあります。矢印はFIREBEEです。そのボディには日本開発の(米ステルス機用ステルス塗料のオレンジ色※塗料が塗られてます)。やはり日本開発で純国産ミサイル(ターボジエット方式に切替。低周波発生する。ブースター付。ASM-1発展型)開発中の頭脳搭載してます。撃墜事件後ステ ルス爆撃機を開発中の発表してます。護衛艦まつゆきファイアービーを移動式発射台から打ち出します。アメリカ調査官NTSBサイドレン調査官。落合由美氏に証言を聞く為に多野総合病院訪問する。「異常発生時刻は18:25だった時計を見た」。スコーク77受信側の東京管制発表した時刻は18:25:10/精確命中を目的とすれば時報同時命中は必然的です。週刊サンケイ1985年9月19日号/元電気通信大学講師井上氏談話「フライトレコーダーを見ると既に24分10秒には方向蛇が右に飛んでいる…」。異常発生時刻18:25:00を18:24:35、6にしたと考えると:25、6前つまり:25:00-25、6=18:24:35、6には謎の飛行体を回避運動でかわしたと解釈できます。つまりかなりの乗員と乗客が謎の飛行体を目撃したと考えられます。初期フライトレコーダーの記録航路を見ますと衝撃音「パーンバリバリ」、「ドーンガラガラ」の前に右に航路がずれていた。そうします と正しい記録は以下の通りと推測可能です。18:24:30~35/「ライトターン」。18:24:37/「スイッチを押してトイレへ行きたいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、宜しいでしょうか」、「気を付けて」、「じゃあ気を付けて御願いします」、「手早 く」、「はい有難う御座居ます」、「気を付けて下さい」。突然に低周波MHZ(巡航ミサイルターボジエット音)音が記録された後…18:25:0、 50/「パーンバリバリ」。前後方向加速度0、047G。前向き外力11t。後方右斜め上より垂直尾翼衝突し左下方突き抜ける。(爆薬未搭載)沼津市上空で「ドーン」を聞いた人有ります。18:25:02/一瞬停電。キャビン非常灯点灯。白霧発生。18:25:03/「まずい何か当たったぞ」。18:25:07/「スコーク77入れるぞ」、「えっ」。三浦半島三崎港灯台から南西8、1海里地点。18:25:13/「ライトターン」、「ライトターン」、「…(回避運動)しました」。極めて素早い行動をしておりましてスコーク77発信迄短い事が分かります。8/12PM23:53/山下運輸相記者会見「これ迄の情報ではパイロットミスはなさそうだ」、「全く予見できない事故で唖然としている」と示唆的な発言。この後機長は、18時25分20秒頃から日本航空社内無線でベテラ ン機長と操縦輪と機体の反応がおかしい点を話し合います。最大出力「マックパワー」。つまり離陸推力で伊豆半島に向かいます。伊豆半島の伊豆急行河津駅目撃者「普段の2倍の大きさで見えた」。14200feet付近と推測可能。 河津駅上空でライトターンして大島方向に機体を向ける為に操作するが45度の右旋回に止まる。焦るクルー操縦輪操作するが…18:26:18/「バンクとんな、そんなに」。右旋回を試みるが…「何でこいつ効かないんだ」。即時レフトターンを試みるが余り効かない。そのまま駿河湾に出てしまう。 その内に左右旋回全く不可能になり18:29:00/「バットナウ・アンコントロール」と機長は叫ぶ。18:30/静岡県焼津市小川港高草山(501m)上空をスレスレ低空飛行する。乗客遺書「急速に降下」。(焼津市石津町原崎三夫氏、57歳)「ジャンボ機は静岡駅南西方向から駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けS字状旋回翼上下3度程繰り返し北の雲の中に消えた」。リモートコントロール側とパイロットの側との操縦権の争奪戦です。関東南A空域C-1在空事実あり。岐阜航空実験団改良電子戦機。公式未納入状態で使用してます。電子戦機の誘導電波に逆らって羽田空港に戻る努力を続け航路が左右ふらふらに成ってます(初期航跡図)。富士山大野キャンプ場「随分低く左右に揺れながら飛ぶ」 。垂直尾翼安定板分析。尾翼右側衝突。機首方向左側伸長力加圧され比較的痛みが少ない。上部外板捲れ上がり右側圧縮力で加圧され押し潰されてます。18:30/神奈川県相模原市上空座間ポイント東約9km高度約5400m上空より。JAL123便機影ANA757便東京発小松機長「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」。「初めは4発エンジンの大型軍用機といった感じで(尾翼欠損し鶴のマーク殆ど無し)日航機には見えなかった」。「123便は大きくなったり小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」。「約3分後右後方へ去る」。18:34/「踏ん張ってろよ」。18:35/落合可之氏妻由美氏証言 「ゆっくりと左右に大きく旋回している様な動きが始まる。酸素マスクを外してみても苦しさは感じませんでした」。18:38/「椅子の下にある救命胴衣を取り出して付けて下さい」。ベスト着用開始。「機体の左右の傾き揺れ角はじっと立っていられない程になる」。機内アナウンス「急に着陸する事が考えられますから…」。(山梨県秋山村藤本重則氏、37歳)「北方から飛来し秋山村上空で360度以上急旋回をして北方へ低空飛行」。舵左一杯でも右旋回の機首を抑制出来ず…リモートコントロール制御。18:40/「別に苦しく(酸素)無かった」。機体左側に富士山を見る。富士山3779m中腹アルバイト住み込みの人帰宅途中ふらふら飛ぶ飛行機を見る。「その飛び方は飛行機と思えない」と証言する。18:41/日航「その飛び方は飛行機と思えない」と証言する。18:41/日航社内無線で東京コントロールと連絡 (後日18:35に変更されます) 18:42/「管制塔からの交信はキヤッチ出来ています」。明るいニュースは機内を直ぐ駆け抜けます。「戻せ」、「戻らない」。方位090になり「ここでホールドターンオーバー」。18:44:05/「重たい」、「一杯行こうか」、「一杯、舵」、「一杯です」。必死な努力だか相手はリモートコントロール制御。18:44:11/「相模湖迄来ています」。あっという間にリモコンで左旋回させられて終います。18:44:58/「これは駄目かも分からんね」。18:45/乗客遺書「機体は水平で安定している」、「酸素が少ない」とも。(角田四郎氏取材南澤輝明氏)「あの日私の誕生日なので良く覚えています。町の南側にある今熊山 (東京都八王子市美山町)の方向から大きな飛行機が現れ北北東の方向へゆっくり飛んでいた。五日市高校の上空辺りを飛び日の出町方向の山へ消えました。時間は午後6時45分頃の20から30秒間です」。(多摩郡日の出町細尾の北島清司、53歳)「東南東より西北西の御岳山の方へ」。18:46:04/「おい山だぞ」。西多摩郡御岳山929mライトターン回避 18:46:54JAL123便は東京コントロールと交信を開始する。リモートコントロールによるフラップ操縦で急降下状況に陥る。18:46:58/「う あっ…大変だっ」。18:47:00/各種警報装置一斉作動「現在コントロール出来ますか」、「アンコントローラブルですアー操縦不能」。18:47:07/交信を終了する。機体の立て直しに全力を尽して直ちにフラップアップで上昇に転ずるが、その間にリモートコントロールによるレフトターンに慌てる。18:47:05/「山行くぞー!」。(西多摩郡奥多摩町日原前田清巡査長、24歳)「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで…直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」。(川上村梓山の実家畑で神奈川県在住石川哲氏)「東南にある甲武信ヶ岳2475mの北側の尾根から突然大きなジエット機が姿を現した。飛行機は畑のほぼ真上を西方向へ通過。まるで石を投げたら当たる様な超低空飛行だった。真上に来た時は空が真黒になる様に感じた。千曲川に沿って西へ進んだが正面には扇平山1700mが迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した進行方向には三国山がある」。(川上村梓山井上薫氏)「自宅上空でゴーツと凄まじい音がしたので家の前の河原に出て空を仰いだ南東の五郎山2132mをかすめる様に見た事もない程大きな飛行機が現れた。爆音は更に大きく成り飛行機は頭上で大きく右旋回し次に逆に左旋回したかと思うと急に機首を下げ扇平山と神立山1978mの交差する稜線の向こう側に消えた」。(川上村少年野球チーム約30人証言加藤隆志君)「誰かが光るものが飛んでくると叫んだ。巨大なジャンボ機が山の端をかすめる様にゆっくり飛んでいた。南東の方向の山の上から近付いて来た。頭の上で右旋回し始め北に向かった」。(川上村梓山グランド関一二三君)「飛行機は赤ランプを点滅させていた右旋回する時かなり右へ傾いたフラフラと不安定だった」。小さな旋回は、戦闘機並みの急旋回で民間機のパイロットの行う仕業では有り得ない。※添付写真(6)生存者。吉崎博子氏「乗客は次々とシートベルトを締めたが、機の揺れが激しくベルトによ る胸部圧迫から失神する乗客が続出した。(2)夫(故吉崎優三氏)は、ベルトを外して立上がりスチュワーデスに失神者の救助を依頼」。落合由美氏「安全姿勢を取った座席の中で大きく体が揺さぶられるのを感じました。船の揺れ等と言うものではありません。もの凄い揺れです。しかし、上下の振動はありませんで した。そして直ぐに急降下が始まったのです」。18:54:04/「ライトターン」、「フラップとめな…とめな!」。18:54:48/「リ クエストポジション」、ライトターンの後引き戻しのリモートコントロールによるレフトターンさせられて(S字旋回に見える)更に急降下させられている。(4)自機位置を見失うのはリモートコントロール誘導電波による影響で計測不可能に成る。(農家主婦と息子)「飛行機の後から流れ星の様なものが近くに飛んで行く」。(南相木村中島3人の住民)「赤いプロペラの付いた物体が畑の上を飛んで行きそれがJAL123便に当たって飛行機が爆発した」。18:55:58/「ずっと前から…(※推測レーダーに映っているそうです)」※民間機のレーダーに後方は映らない為に東京管制部より連絡があったと思われます。18:56:02/所沢の東京管制部記録は、高度9700(改竄か撃墜目的戦闘機高度)feet速度300(改竄か撃墜目的戦闘機高度※ 18:57消失のデーターも同じ)knotで機影消失(現場特定させない時間稼ぎ又は、リモートコントロールによるJAL123便のトランスポン ダーコードをオフにされた為か?)8/12PM21:30~22:00頃に羽田東急ホテルに搭乗者名簿張り出し時に中年紳士の日航役職者に家族の追求が執拗で詰め寄られて発言「うちの機は北朝鮮のミサイルに打ち落とされたんだ!今はそれしか分からん」。東京管制部日本航空123便の件タブー視。(川上村梓山井上薫氏)「直後ピカッと閃光が上がり(5)続いて炎が燃え上がるのが見えた。やがて巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」。(南佐久郡川上村住民)「まもなくして雷が落ちる様なバリバリという大音響がし、二度程パッパッと光った。そのうちねずみ色のキノコ雲が上がった」。1985年1月から8月、航空自衛隊の岐阜航空実験団F-4EJ性能向上型F-4フアントムⅡテスト(秘話装置機能…交信内容は秘匿をかけると受信機で雑音入る。但し通達距離も多少短く成る)一方F-15J撃墜目的在空。18:26:29/「あー123便違います。貴機を呼んでいない」。在空戦闘機接触開始する。高度差4、5000mから低空飛行の速度が遅い123便をロックオン可能。 0、25G60t前向き外力発生した。18:56:02……18:56:04/「あーっ」。サイドワインダー(AIM-9L空対空ミサイル。全長 287cm。直径12、7cm。87kg。接近戦用射程8km。翼幅64cm。弾頭9、5kg。爆発破片数10m範囲拡散。モジュラー構造で交換可能) 命中18:56:09/2本目命中。(南相木村栗生主婦)「胴体から煙を噴きながら超低空で東北方角へ飛行」。(北相木村菊池村長)「川上村の人達は、飛行機は北東の方へ炎をあげて飛んで行ったと話している」。(川上村梓山実家の畑で神奈川県在住石川哲氏)「もうぶっかると思ったが機首をグッと持ち上げて山の斜面を這う様に上昇(6)して行った。機首の上部が後ろから見える程の急角度のままやっと尾根を超えた。姿が見えなく成って数秒後に黒い煙が、続いて白い煙が上がった」。(生存者吉崎博子氏)「やがて飛行機は激しく揺れ出しました。ジエットコースターにでも乗っている様な感じで(6)」。速度108knot機首39゚の状態、「頭上げろ、頭上げろ、パワー」、「ストールするぞ」。(生存者吉崎博子氏)「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて(7変則的旋回…事故調査委員会報告の大月上空に移動。実際は秋山村で円形)行きます」。最後迄右旋回する為に努力したと認められる。(川上村の伊藤剛氏)「上空700~800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下、北北東の三国峠の岩蔭に墜落閃光をあげて激突する」。北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒。横田タカン302度36マイル。入間タカン291度36、3マイル。群馬県多野郡上野村大字楢原字本谷3577番地国有林76林班内。墜落現場付近東大地震研究所に微小地震3波有り18:56:50…1秒で減衰、18:56:53…1秒で減衰、18:56:55…10秒近く尾を引く(後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます)。一本唐松(樹齢202年)地表から14m鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さが折れている。一本唐松通過後50~300m付近第4エンジン破片落下…フライトレコーダー第4エンジン出力0% 唐松より500m45度以上傾斜右翼の先でレ字形を尾根に残して進入方向へ木をなぎ倒す。機体後方接触し18:56:47/圧力隔壁破壊音。18:56:50/記録終了。数秒背面飛行後…迫撃砲命中して真直ぐ落下(写真添付7)する。その後に小型核爆弾か高性能爆薬を使用する。遺体の皮膚破れは熱線。地表約1m掘る必要があり、そうして元の地表露出して遺体発見。強烈なキノコ雲の上昇気によるもの。土の中から炎が燃え上がるのがホットスポット現象。放射性降下物のフオールアウト(長時間火災)あり。

 日航機破片数十点、読売新聞記者が御巣鷹で確認

 25年たっても色あせずに残る残骸(上野村楢原の御巣鷹の尾根で)=大塚美智子撮影

 日航ジャンボ機が1985年8月に墜落した「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)の林で、翼の一部とみられる長さ1メートル以上の板など破片数十点が 散乱しているのを、読売新聞記者が9日までに確認した。日航広報部は「123便のものでほぼ間違いない。小さな破片が残っているとは聞くが、これほど大きな物は見たことがない」としている。翼の一部とみられる灰色の板には赤く「HAZARDOUS(危険な)」と表記されていた。茶色のハニカム材のそばに転がった金属製のパイプからは 「HYDRAULIC PRESSURE(油圧)」の文字が読み取れた。日航によると、板は翼の表面部分、パイプはエンジンから動翼などに作動用油を送る 油圧パイプとみられる。当時、捜査を担当した群馬県警のOBは、取材に「破片は9割以上回収した。1メートルを超すような物はないはずだ」と語っていた。日航広報部は 「地中に埋まっていたのが、雨風で地表に出たのではないか」と推測する。これまでに回収された機体のうち、圧力隔壁や垂直尾翼など事故原因につながる部分は、東京・大田区の日航安全啓発センターに展示されている。(2010年7月10日20時13分  読売新聞)

 2010-06-12 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!番外①

 御巣鷹に新手の陰謀工作!!日航機123便墜落『現場』を荒らす輩!その目的は、『陰謀現場』を探索する奴は、冤罪事件で身柄を確保するぞ!という脅迫に......?!相違ない!!新手の陰謀工作に違いあるまい。『日本航空123機墜落事故の真相』をネット上で追求する動きが止まらないものだから何とか水を掛けようとしている。昨今は、自ら現場に証拠探索に立ち入る勇気ある人々がいる。元祖は知る人ぞ知る人物だが、その身柄確保が目的かも知れない。勿論、冤罪事件の捏造である。これは今に始まったことではない。もしも、それが発覚したら、速攻、拡散を開始する。しかし、冤罪で真実が隠されるはずがない。寧ろ表面化する。表面化すれば注目が集まる。一時的に蓋をしたかに見えて、その実、発酵させ、熟成を促進するだけだ。その事が何故分からないのだ。しかし、安易な探索は充分に警戒を要する。御巣鷹の日航機123便墜落現場は豊富な証拠が今だ手つかずで眠っている。このことは紛れもない真実である。それは何時の日か真実を明らかにするであろう。又、その事を知る人間は増えている。止むに止まれず現場に押し入り、それを確認したいと発心する人々が大勢いることは確かである。それを恐れているのであろう。そんなことはお見通しだ。それで威嚇して、冤罪事件を起こして、思いとどまらせようという魂胆ぐらい誰でも考える。もし、勇気あるtruth seekerがいるとしたら、探索実行する前に最低次のことを実行するべきだ。「単独行動を避けて、複数行動をすること。明確に行動計画を公開すること(事前公開の必要なし、公開記録を委託すればよい)。行動記録を取ること(メモないし動画)。証拠収集したら、速攻、公開すること(匿名でも良いから、ネットに流す)。ビデオ・写真等記録に残すこと。それらも速攻公開すること(匿名でも良いから、ネットに流す)。身辺を警戒し、それらも記録すること(必要なら、ネットに流す)。真実は、最上の防御策である」。講演会以来、『新日本の黒い霧』サイトの更新が止まっている。心配するメールも寄せられるが、拡散担当の投稿者にサイト以上の情報はない。大丈夫だろう。確信している。当該サイト管理者にはきっと加護がある。それは多くの御霊の願いが込められている。そう確信する。真実は最終的には勝利するのだ。勧善懲悪の小説ではないが、ここにも『事実は、小説よりも奇なり』の原則は働くと思うからである。

 御巣鷹慰霊碑周辺でいたずら6月8日 18時20分

 25年前に日航ジャンボ機が墜落して520人が犠牲になった群馬県上野村の慰霊碑の近くで、遺族を傷つけるような心ない書き込みをした短冊が見つかるなど、悪質ないたずらが相次いでいることがわかり、管理人の男性は「村役場と相談して警察に被害届を出すことを考えている」と話しています。昭和60年8月に日航ジャンボ機が墜落して520人が犠牲になった上野村の御巣鷹の尾根には慰霊碑や墓標が建てられ毎年、慰霊の登山が行われています。御巣鷹の尾根を管理する黒沢完一さんによりますと、先月の上旬に慰霊碑の近くで遺族を傷つけるような書き込みをした短冊が見つかったほか、30日には、登山口の駐車場で傘を燃やした跡が見つかったということです。さらに、今月3日には慰霊碑の近くに置かれた千羽鶴が散乱しているのが見つかったということです。管理人の黒沢さんは「登山者は慰霊の気持ちで登ると思っていたのに悪質ないたずらをする人がいるのは残念だ。村役場と相談して警察に被害届を出すことを考えている」と話しています。心配ない!目に見えぬ無数のturth seekersがついている!!

 先日の報道により

 先日の御巣鷹慰霊碑付近のいたずら事件の報道はご存知のことと思う。もちろん私はそんな事はしないし、する気持ちも分からないが、その前に本当にいたずらなのか? わざわざあの急斜面を登っていたずらだけして降りるなど考えられない。おそらくS氏の確保が目的であろう。 2007年末から頻発しているという部分からも間違いないだろう。工作である。また、S氏は以前パトカーとのトラブルで逮捕歴があるので(おそらく危険を 感じての追跡劇だったのだろう。)悪人に仕立てやすいであろう。タチが悪いとはいえ、いたずらの報道をあれほど多くのメディアが一斉に表 に出す時点でおかしいと感じるのが当たり前だ。警察に通報する可能性があるというが、普通はマスコミへの報告より警察の方が先だろう。ということは、脅しであると考えるのが妥当であろう。下手をしたら、ここ最近追求者としてその筋では知られているであろうS氏よりも、他の現場に近づく者を逮捕して見せしめにするという考え方もある。そこで私もまずは身の安全を先決することにした。故意的冤罪につき、何がネタに使われるか分からない ので、少しの間123便の情報から離れることにする。権力に締め付けられるのは腹立たしいが、これからも情報拡散を続けるにはまずは身の安全だと考えた。 残念だが、間違ったことをしていなくても人生を棒に振ることになる日本国である。こちらも家族がいる身でもあり、読者の方々にはご理解を 頂きたくご報告いたします。しかし、この報道で123便事件の信憑性がグッと上がったことになる。よほど切羽詰まった感じが伝 わってくる。おそらく本家ブログの講演会の影響も強いのではないだろうか。

 何気なしに貼ってみた。拾った写真だ!説明・出所不詳・・・・・・。

 2010-05-10 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!40

 謎が多い日本航空123機墜落事故 しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第40弾。大きく食い違う事故調の日航機123便の航跡。どう考えても今般のブログ推察が信用できる。信用できるどころの話ではない。それ以外、考えようがない。どれだけ多くのウソが塗り固められていることか? そして、その事を誰もが追求してこなかったことが不思議である。一般人なら仕方がない。ジャーナリズムがその事を掘り下げなかったことは不思議を超えて情けない思いが心を重くする。日本人の従順さと言えば聞こえがよいが、誰かも言った『家畜人ヤプー』の真骨頂を垣間見る。日本社会にはジャーナリズムはなかったのである。特にマスコミは同一線上のリーク情報のみで睡眠している。これほど隠しやすい社会が又とあったであろうか?  隠して、平穏の中に惰眠を貪るのは勝手だが、真実から遠く見放された一方の側は、その無念をどうして晴らすことができよう。その叫びが、このブログの更新を支えている。そう感じざる得ない。そこに深い怒りを覚えざるを得ないので、拡散に次ぐ拡散を続けるのである。

 JAL123 便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(2)2010-05-09

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 5 月16日(日) 講演会のお知らせはこちら
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 JAL123便の飛行ルートを検証するシリーズの第2弾です。少し間が開いたので前回「折れな かった垂直尾翼(1)」のおさらいを下記に示します。犠牲者の小川哲さんの写真から123便の飛行位置、高度、方角を割り出したものです。比較のため、フライトレコーダー(CFR)から解析したという事故調査委員会発表の結論も併記します。

 -- 事故調発表 --
 「JAL123便は、伊豆半島下田、白浜海岸の上空 7000m西に向かって飛行した」。

 -- (新)日本の黒い霧 結論 --
 「JAL123便は、伊豆半島下田東岸にある天嶺山の上空をほぼ真東に向かって飛行している。その高度はおよそ 700m」。

 高度、方角とも事故調発表のものとは全く異なることより、事故調発表データによく合致するボイスレコーダー(CVR)の録音についても捏造された疑いが 極めて濃厚であることは前回もお伝えしたとおりです。未だに日航機事故といえばこのCVR が取り上げられるようですが、嘘を何千回、何万回聞いてもそこから真実は出てきません。これまで日航機事故を調査されてきた方々が最初に陥る誤りとは、捏造されたCVRに従って論理を組み立てようとすることなのです。逆に識者の目を誤魔化し、事故を隠蔽するにおいては極めて有効的な手段であったと言えます。こんなインチキを事故から1週間足らずで作り上げ(録音でなく書面の方)、20数年間も一般に悟られることなく白を切り通した事故調査委員や旧運輸官僚の頭脳と厚顔さには別の意味で驚嘆の念を覚えます。しかし、それももう終わりです。嘘は所詮嘘なのです。

 ■方角が異なる目撃情報

 池田昌昭氏の著書「JAL123便墜落事故真相解明」に書かれた伊豆半島東岸、河津町での目撃談で(1)「いつもの二倍近い大きさに見えた。大きく右旋回したので不思議に感じた」というものがあります。この他、伊豆での飛行ルートを解明する上で重要と思われるな情報があるので、続けて同書より引用します。(2)「河津町の谷津のKさんとWさんとが、伊豆急行線河津駅前ベンチで休憩中、海側の北東上空で雷のような『ボーン』という音がした。上空を見上げると ジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して駅の真っすぐ上まで水平飛行した」(人名はイニシャル表記に変更しました)。河津町の市街地は西側・南側に山が迫っており、麓から山の上空は視界が狭く確認しずらいはずです。よって(1)の「右旋回」は視界の開けた東側海上で 123便が取っていた飛行であると考えられます。また(2)の「駅の真っすぐ上まで水平飛行」についても同じ理由から、123便が海上から伊豆急行線の河津駅上空を通り、西側の山間部に向かって飛行したと考えられます。困ったことに、伊豆急行線の河津駅は天嶺山のすぐ北側にあります。私たちが分析した、天嶺山上空を東側へというという飛行ルートをほんのわずか北側に行ったところで、まったく反対側に飛んでいることになります。この他、(3)(南伊豆市の上空を)「やけに低い所を飛んでいる(*2)」のように、河津町から離れた伊豆半島の南端を低空で飛行している姿も目撃されています(ただし、この証言には進路方向に関する情報はありません)。以上の 情報を図1にまとめてみました。


 図1:伊豆南端-東岸での目撃箇所と飛行方向

 伊豆半島南端から東海岸の河津の間はともかく、河津町上空で123便の進路が東(写真分析)や西(目撃談)であったりするのはどういうことでしょう? 分析が間違っているのか、目撃者が勘違いしているのか? ただし、大きな機影(低い高度)という点では共通しているようです。実は、この一見矛盾する現象を両方満たす解があります。それは、123便が伊豆半島東海上を低空で旋回していたというものです。旋回については(1)で「右旋回」と触れられています。また、海上「ボーン」という音と「煙」の証言があり、何か大きな異常が発生し東海岸上空を旋回し進路を正反対に取らざるを得なかった、与えられた材料を結びつける説明はこれ以外になさそうです。しかし、どうしてこんな低空で危険な旋回飛行が実行できたのか? そもそも垂直尾翼は破壊され、操縦不能ではなかったのか? それとも操縦不能のため旋回飛行に陥ってしまったのか? ここで「操縦不能」という予断は事故調査報告書に基づくものであることを思い出してください。報告書が捏造に拠っていることを知った現在、「操縦不能」を前提に議論すること自体が無意味です。すぐ近くに険しい天城山(1406m)を控える伊豆半島の東側沿岸で、わずか700mの超低空を操縦不能状態で飛行しながら、どうしてこの後に伊豆半島を横断し、静岡、山梨を経由して御巣鷹の尾根まで辿りつけるのでしょうか? 旋回飛行は意図的なものであり、超低空で旋回を実施するために方向舵(垂直尾翼)、西側に迫る山を乗り越えるために昇降舵(水平尾翼)が正常に機能していなければ、とてもそんな危険飛行は決行でき ないはずです。それでは、123便の超低空での旋回飛行を決断させた「ボーン」という音、「煙」とは何だったのでしょうか? 

*1 いつもの倍:正確に'倍'に見えたら高度3500mですが、実際はかなり大きく見えていたのをこう表現したと考えられます。目撃談のオリジナルは 「アサヒ芸能」1994年2月3日号、「北國新聞」1985年8月21日付朝刊です。

*2 ネット上の情報より。著者への配慮から。URLは非公開とさせていただきます。

 ■高濱機長がとった要撃回避行動

 ボイスレコーダー(CVR)を基にしたこれまでの定説によると、123便の最初の異常は「ドーン」という爆発音と共に発生します。また、生存者の川上慶子さんの証言「左後ろの壁、上の天井の方がバリッといって、それで穴が開いた」によると、大きな音がして天井板がめくれるような状況が発生するとあります。しかしCVRの信憑性が乏しくなった今、事故報告書をそのまま信じることはできないし、国民に嘘をつくことを前提に事故調が動いている中、まだ少女だった川上さんが、あるいは生存者でJALのスチュワーデスであった落合由美さんが本当に見たままの真実を語れるような状況にあったかどうか疑ってかかる必要があると思います。はっきりしていることといえば「飛行中の123便に何か異常があった」ということだけです。ここで、123便の機長であった高濱機長のキャリアに注目します。高濱氏は海上自衛隊の出身で、隊に所属している時は対潜哨戒機のパイロットをしていました。以前の記事で紹介した通り5本の指に入る名パイロットだとの評判もあるようです。私たちの調査は、「ミサイルによる123便の撃墜はあったのか?」という観点でスタートしていますので、当初より高濱機長のキャリアに注目し、もしも戦闘機にミサイルで狙われたら、海自出身の機長はどんなリアクションを取り得ただろうか考察していました。もっとも、これについても、海上自衛隊内部の事情に詳しい国際軍事評論家のB氏に頼りきりだったのですが。敵機の襲撃を受けたとき、哨戒機パイロットはどのようなリアクションを取るのか、B氏の解説にご注目ください。「海上で敵機に襲撃された場合、攻撃を避けるためにパイロットが行うべきアクションは次の3点です。1)高度を下げること。一般的にミサイルは上空のものは狙い易いが、撃ち下ろす場合には狙いにくくなります。2)陸に向かい、なるべく陸上を飛ぶこと。陸の地形や構造物が障害になり、狙いにくくなると同時に、味方による敵機の捕捉や援護が受けやすくなります。3)蛇行すること。ミサイルの照準合わせを撹乱すること、これは容易に想像がつくでしょう。これらを全部やられると、最新鋭の戦闘機をもってしてミサイルで撃墜するのは相当難しくなります。また、これらは海上自衛隊のパイロットに限ったことでな く、世界中のあらゆる軍隊が要撃(ようげき:戦闘機による航空機への攻撃)回避の要諦として日々訓練しているものです」。さて、B氏の解説を123便に当てはめると、 1) わずか700m付近(低空)の高さで、 2) 伊豆半島の天嶺山上空(陸上)を飛行し、3)  旋回飛行を行う(この時は海上)となり、概ね哨戒機の基本的な要撃回避パターンを満たしていることになります。海上自衛隊出身の高濱機長であるからこそ採れる軍事的リアクションと解釈 し、これを逆に見れば、123便は戦闘機による追撃を受けていたのではないか? と見立てることができます。また、超低空での旋回飛行を行っていることから、従来言われていたような垂直尾翼の破壊、操縦系統の喪失はなかったはずで、むしろ意図的にこの危険飛行を選択したふしが伺えます。そして「ドーン」と「煙」の何か攻撃を受けたとしか思えない目撃証言。これら諸要因より「123便は戦闘機の襲撃を受け、要撃回避行動を取 らざるを得ない状況に追いやられていた」と、ここでは結論付けたいと思います。もう一点、川上さんが証言したような客室内部の小破壊がどの段階であったか(あるいはなかったか)については、犠牲者の一人、松本圭市さんの残した遺書 「突然ドカンといってマスクがおりた。ドカンといて降下はじめる」が参考になります。この遺書からは、低空飛行に入る前、降下直前に、川上さんの証言通りの異常現象が既に発生していた読み取れます。これを「1度目の異常」と呼ぶことにします。そして「ドーン」と「煙」で河津町の住民に目撃された、低空飛行中の異常(2度目の異常)とは別ものであるとします。これまでの話を推測も交えてまとめると、「何か爆発のような現象が発生して機内で1度目の異常が見られた。直後に急降下を開始。一定高度まで降下後、伊豆半島の南端を旋回して東岸に向かう。おそらく羽田に向かおうとしていたのだろう。天嶺山上空を通過し相模湾海上に出たところ、2度目の異常(「ドーン」、「煙」)が起きる。右旋回し襲撃を回避。ここで相模湾上の飛行は危険と判断し西へと進路を反対に取る。この時、操縦系統の深刻な障害はなかった。この2度の異常の原因は戦闘機による123便への攻撃と考えられる」。


 図2:予想飛行ルート

 となります。要撃回避が文字通り戦闘機からの攻撃を避けるためであれば、降下前の最初の「爆発のようなもの」と、河津沖での旋回飛行の原因となった「ボー ン」と「煙」」の両方は、同じ戦闘機の存在と関係あるとみなすのが自然な解釈でしょう。この爆発や煙の原因については後日考察を加えます。それにしても、今にも着陸せんばかりの低空で爆発音を聞かされ、こんな急旋回をやられたら、おそらく乗客は生きた心地がしなかったでしょう。同時に、これ をやってのけた高濱機長にも驚かされます。その高濱機長についてB氏はこう付け加えます。「予想される123便のこの動きは民間養成のパイロットでは絶対にできません。そもそも、そんな訓練自体を受けていないでしょうから。それにしても、あの大きな機体をここまで操るとは軍パイロットとしても相当に腕が良い。機長の優れた技量が伺い知れます」。「恐い、恐い、恐い・・・・」。これは乗客の白石まり子さんが残した遺書の書き出し部分です。嘘ばかりの事故報道の中で、悲しいことに、この言葉に限っては嘘と全く縁がありません。調査を進めていくと、犠牲者の悲痛な叫びがいったいどこから来るのか、そんなことまで見えてきてしまう。この活動を続けていて最も辛い瞬間です。
* * *

 これまで、専門家といえば学者や民間パイロットの視点で語られることが多かった日航機事故ですが、「軍事」という新たな視点を提供することにより、今回の飛行ルート分析を含め様々なことが判明してきました。「軍事」を抜きに日航機事故問題は語れない。この認識が広まれば世間に広く「日航機事故の真実」 が理解されるのはそう遠くないように思われます。本シリーズでは伊豆半島から静岡、横田基地、そしてこれまで話題にされることがなかった群馬県の妙義山付近まで、123便の足跡を辿って行く予定です。合わせて123便を追撃する戦闘機の正体にも迫ります。5/13にビデオレンタルのツタヤ(TSUTAYA)さんで映画「沈まぬ太陽」のレンタルが開始されるそうです。映画の中の登場人物は実在の人物がモデル になっていますが、5/16の講演会では、これら人物と「御巣鷹事変」との政治的関わりについても解説を試みる予定です。

 NON RELINQUAM VOS ORFANOS VENIAM AD VOS
 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰ってくる。

 2010-05-06 、事件の鍵を握るオレンジ色の塗膜-123番外編-

 日航機123便事件は、今、その謎が暴かれ始めているが、その真相解明の輪は確実に拡がりを見せている.......。あの御巣鷹にツルースシーカー(truth seeker=真実追求者)が挙って集う時が近い!!下手人はいつまで真実を覆い隠せるのか?

 勇気ある行動である。日航機123便墜落疑惑を追及するのは一人ではない。2人、5人やがて数百人を超えるであろう。それを果たして押しと止めることが出来ようか? コメント氏(planzさん)は果敢にも現地調査に入り、『(新) 日本の黒い霧』氏の言う『証拠』の採集に成功した。ご本人は『確たる本物』とは言えないと謙遜しているが、その勇気と素の行動に限りない称賛を覚える。その一端を自己ブログで公開している。転載許可を得たので下記に転載する。真相解明ブログ『(新) 日本の黒い霧』のコメント欄を荒らす有象無象の似非右翼となんという大きな違いか。これで少なくとも客観情報が一つ明らかになった。その真偽は兎も角としても、やはり墜落現場には説明を要する証拠物件が無数眠っていることが証明された。これは誰でも収集できることが明らかになった。この草の根のツルースシーカーの功績は大きい。一体、国は、警察は、事故調は一体何をしてきたというのか。真相を解明してきたとは到底言えない。寧ろ覆い隠そうとしてきたとしか見えない。心あるツルースシーカーは、遺跡を調査する心意気で御巣鷹を目指せ。犯罪の証拠は現場にある。大挙して現場に殺到すれば、いかなる隠蔽者も手出しできまい。但し、放射線に留意せよ。真実の解明は、何に比しても重要である。真実が行われるならば、いかなる魔も付け入る隙がない。不正を糾すことなしに真の平安は得られない。平安こそ人類の求める最大の宝塔である。

 ~ この世・あの世を知る ~

 JAL123 便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(5)で 登場する事件の鍵を握るオレンジ色の塗膜。

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  5/4、南相木ダムを見学に行ったのだが、その前にダムのすぐ下流で休憩をした。さすがに水が綺麗だなと川を見ていると、何やら目に入ってくるオレンジ色・・・何枚か落ちており、周りにはそのような色のものは一つもない。拾ってみるとそこそこの厚みがあり看板のペンキ等ではないことは分かる。これがミサイルや標的機の塗膜なのかは分からないが、表面の状態からかなり古いものであることは分かる。そして裏側は黒というより少しカー キがかっていて、何かから剥がれた感じははっきりと分かる。仮にこれが塗膜だとして、事故現場に程近いとは言えそれでも何故こんなとこ ろに・・と思ったのだが、上空から落ちてきた、もしくは事故後ミサイル攻撃を受けたのが事実だとしたら飛び散った破片が川を伝ってこちらまで流れてきたと言うこともありえるかも知れない・・憶測でしかないが、こういった物を見てしまうと無念を晴らしたいと言うブログ主たちの気持ちも分かる気がした。以下が発見した塗膜らしきもの・・

 2010-05-04 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!39

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!。それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第39弾。

 (新) 日本の黒い霧 5/16 講演会のご案内2010-05-03
 5/3 17:00 に修正・追記があります。申し訳ありませんが、それまでに申し込まれたお客様は再度ご確認ください。項目に「※」印があるものです。
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      「 御巣鷹山事変と日本の失われた25年 」

       ・現地回収品の一部を展示
       ・最初の民間人現場目撃者 M氏の証言
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日時
    5月16日(日)12:30開場、13:00~18:00。

■会場※
    江戸東京博物館:1Fホール(440名)
    http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/access/map/index.html
    「 封印史研究会 : 御巣鷹山事変と日本の失われた25年 」

■プログラム※
   1)御巣鷹山事故の政府発表と自衛隊撃墜説について
     御巣鷹山事変の真相 ~ 現場周辺で発見された米ソ日の最新鋭戦闘機の残骸は物語る
   2)事件の背景と国際情勢
     ~ 日本の黒い霧と第2の敗戦、そして25年の亡国
   3)古代史とリンクする御巣鷹山(高天原)事変と新しい日本への胎動
   4)パネルディスカッション + Q&A

    *プログラム内容は変更される場合があります

■出演※(安全上の問題より、匿名での出演になります。下記ネームはプログ表記に基づくニックネームです)。    J/ジュピター/主宰(ブログ管理人)、B/男爵/軍事専門家、M/ムー/民間人現場到着第1号、A/ガイアの息子/ナビゲーター。

■参加費
    3500円 (学生 1000円) お支払いは当日受付にて。会場費および活動費とさせていただきます。

■お申込み※ osutakajihen@gmail.com まで

 お名前、年齢、メールアドレス、郵便番号。代表でお申し込みされる方は全員の記載をお願いします。返信で整理番号をお送りします。

■お願い※
 会場内での撮影・録音の一切を堅くお断りします。展示品については撮影を認める方向で検討しております。

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 当ブログで発表している内容は実は全体像のごく一部でしかありません。講演会では事件の全貌を余すところなくお伝えします。「御巣鷹山事変」は決して25年前の事件というだけのものでありません。今、目の前で繰り広げられている、日本を取り巻く国際情勢、そして今後の行方にも大きな影響を今なお持ち続けてます。日本人にとって、「 御巣鷹山事変」は、「9.11」を遥かに凌ぐ第2次世界大戦敗戦以来の大事件として位置づけられることになることでしょう。ブログの情報が未だに信じられないという方にこそ、展示品(軍機破片他)を直に見ていただき、また、現場に最初に到達した民間人、M氏の生の声を聞いていただきたいと存じます。
 2010-05-01 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!38

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!。それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第38弾。 誠に想像を超えた展開。事実は小説よりも奇なりという言葉を地でいっている。予断を排して事実の積み重ねを待つ以外にない。事実こそ真実の断片であるから、その事実を積み重ねる以外、余人の推量は無意味であろう。最近、Sさんの動向が案じられていたが、無事であることはうすうす察しされていた。そういうことだったのかとの思いはある。その根拠はあえて言及しまい。旧ソ連軍の装甲車らしきものがあったとして別に驚くことはない。かのオウム事件でも旧ソ連製のヘリコプターが隠匿されていたのではなかっか。その後、それはどうなったか、マスコミは報道を全くしない。その時の軍用自動小銃(AK-74)は、今はどうなっているのか?ダムの底に沈められたとまでは報道されたが、その後捜索すらされていない。報道もない。隠されていることに間違いはない。隠している正体は何者か? あんなもの個人や民間で隠しきれるはずがないではないか? ヘリコプターだぞ。銃刀法違反の拳銃ではない、軍用自動小銃及び弾薬だ。ヘリコプターが上九一色村(旧名)に存在したことは多くの国民は知っている。しかし、その後、どうなったか、蓉として知れない。これを見ても、日本国内に表から窺い知れない勢力が大手を振って徘徊している事実が見受けられる。

 JAL123 便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(14)2010-04-30

 前回「そして ミサイルは発射された(13)」で、米国の戦略偵察機 U-2 が飛来し、他の軍機と同じように日航機事故現場近くに墜落していたことをお伝えしました。そして、それが日米関係を考察する上で非常に大きな意味をもつことも合わせて説明しました。単なる偽装事故への疑惑が、実は大きな国際問題を含んでいた事実に、私の頭の中は目いっぱいといったところですが、そんな最中、この4月23日、現地調査のエキスパート、S氏(*1)から新たな情報が飛び込んできました。もうこれ以上、驚くような情報は出てくるまいと思っていたところなので、その情報の意味を知ったときの衝撃はなおさら身に堪(こた)えました。以下、S氏の報告内容です。

 「アントヌッチ証言の中で123便の墜落地点とされた場所の近くに妙なものを見つけました。映像を撮ったので見てもらえませんか? だいたい 1m×2m位の大きさで、おそらく鉄鋼でできたものです。表面は赤くさびており、鋼板の半分くらいは砂利に埋まっています。飛行機の翼か何かだと思ったのですが、そうとも言い切れない。これはいったい何なのでしょうか?」。そして、以下はその映像です。

写真1:沢に落ちていた鋼板(遠景)
写真2:沢に落ちていた鋼板(近景)
写真3:沢に落ちていた鋼板(破断面)

 アントヌッチ氏が証言した墜落地点は、実際の事故現場中心からは3kmほど離れた山林地帯です。S氏は何も偶然そこを通りかかった訳でなく、その証言内容の信憑性は別にして、米国軍が事故から10年近く経ってから、わざわざ当時の情報を出してきたことに何か深い意味があるのではないかと疑い、そこを訪ねてみたということです。この物体については私もわからず、いつもの通り国際軍事評論家B氏の元へ向かい鑑定をお願いしました。

*1 S氏:しばらく現地を離れていたので、急性放射線症に関しては症状が消えています。年内には本格的な治療に専念してもらう予定でいます。

 ■北国からの訪問者

 以下、上記の写真をB氏に鑑定してもらった時のコメントです。「これは航空機の部品ではありません。鋼板を何重にも重ねたこの構造では、重過ぎて航空機の外板には使えないからです。これは装甲車の装甲板です。おそらく航空機から降下させたものでしょうから軽装甲車であったと考えられます。装甲板にも特徴があります。重ねた鋼板に隙間があるのは、この空間がショックアブソーバーの役割を果たすからです。見たところ、50mm 弾までは耐えられるようですが、100mm弾までは無理なようですね。この鋼板を重ねただけのシンプルな装甲は、明らかにロシア(旧ソ連)製装甲車のものです。なぜなら、当時、西側の装甲車は緩衝材としてプラスチックを使用しているからです。一方、ロシア(旧ソ連)ではプラスチックの開発・生産能力が著しく遅れ ていたため、金属だけのこのような無骨な設計になりがちです。これが存在しているということは、ロシア(旧ソ連)の空挺部隊もこの付近に降下したことを物語っています。おそらく、墜落したMig-25のブラックボッ クスを回収しにきたのでしょう。あの戦闘機は秘密の固まりですからね。そして、このような特殊任務を遂行するのは、ロシア(旧ソ連)の中でもKGB(ソビ エト国家保安委員会)と決まっています。また、このような山間部にまで機械化部隊を送り込んでくる戦術様式にも、いかにもロシア(旧ソ連)らしさが滲み出ています。しかし、この装甲板の放置された状況からすると、おそらく全隊が殲滅させられたのでしょうね。」。

 写真4:旧ソ連軍の軽装甲車 (本記事とは直接関係ありません、参考用です)
 写真引用:http://combat1.sakura.ne.jp/BRDM-2.htm (戦車研究室)

 何と・・・米ソ冷戦が最も深刻だった1985年当時に、ソ連の空挺部隊が日本の首都東京の100km圏内に堂々と降下していたというのだから驚きです。 Mig-25が墜落していた事実だけでも充分衝撃的でしたが、空挺部隊までが潜入していたとは・・・当時の日本の防衛線はいったいどうなっていたのでしょ うか!? 潜入方法についてもB氏に伺ってみました。「Mig-25のような高速戦闘機とは違い、空挺部隊を乗せた輸送機が日本本土の上空に飛来すればほぼ100%撃墜されてしまうでしょう。それでも降下を 実行できたのですから、この場合、2つの可能性が考えられます。

 1) 自衛隊と内通していた。
 2) 民間機を装って上空を通過した。

 1)はもうお分かりでしょう。自衛隊関係者と話が出来ていて、侵入するためのゲートを開けてもらっていたということです。2)については、アエロフロート (ロシアの航空会社)の東京行き便に偽装して、御巣鷹上空を通過したときに作戦を実行させたというものです。旧ソ連において、アエロフロートは事実上のソ連空軍外郭部隊とみなせる存在でした。当時、アエロフロートは新潟空港に就航しており、新潟-東京間の航空路も同地の近くを通るので、不定期便として羽田に飛ばすことができれば、それも可能だったはずです。撤収するときは、装備を分解し、民間を装ったトラックなどで人員・装備を回収してから、海路で本国に運び出すことが考えられます。これらは以前から日本国 内に潜入した工作員がサポートします」。なお、1)についてはB氏から次のような注意がありました。「くれぐれも自衛隊を『組織』だと思わないでください」。これは非常に重要な示唆です。このブログでも何度か報告しているように、私たちの調査を激しく妨害する自衛隊系組織もあれば、中立的また協力的な自衛隊系 組織もあるのです。正直なところ私もさっぱり訳がわからない。これらの経験から、「自衛隊」が、もはやその名前で象徴される一つの組織集団だとは、私自身も思っていません。そして、よくわからないながらも、私が「国営テロ集団」と呼んでいる、旧帝国陸軍系の軍事グループが、政・官・財(裏社会やマスコミも)を横断して今でも強大な影響力を保ち続けていることだけは経験的事実として認めていいでしょう。読者の皆様にも、その点をご理解いただけるとありがたいし、そのように読んでいただけると、このブログで紹介する事実関係の理解が一層深まると思います。話を戻します。2)の民間機偽装については、私はかなり難しかったのでないかと考えています。なぜなら、Mig-25のブラックボックス回収が目的なら、 墜落の事実を知ったら即時に行動しなければなりません、果たして短時間で偽装部隊の編成が可能だったのか? 当時の緊張した状況下ではもしかしたらそのよう な部隊が配備されていたのかもしれません。しかし、このブログでお伝えしている通り、御巣鷹事変発生当夜は上空に米軍・自衛隊の戦闘機やヘリコプターが飛 び交っている状況です。123便の墜落地点中心より数キロ離れた地点とはいえ、民間機が怪しまれず近づけるものでしょうか? もっとも、B氏の指摘にはありませんでしたが、偽装のあるなしにかかわらず、降下を強行して機体ごと撃墜されてしまったという考え方もあります。しかし、 B氏いわく「軍事力投入に極めて慎重な国」であり、当時、軍事力で米国と対峙していた旧ソ連の部隊が、何の保障もなしにそんな無謀な作戦を強行したとは ちょっと考えられません。そうなると、自衛隊内の旧ソ連に内通した一派(仮に「ロシア派」と呼びます)があり、それが空挺部隊の降下を手引きした可能性のほうがはるかに高いとみな せます。それ以前に、Mig-25が日本の領空を易々と侵犯している事実から、Mig侵入の時からすでにロシア派の手引きが始まっていたと考えるのが自然です。そして、Mig-25を手引きした最大の理由、それこそがJAL123便の撃墜であったと私は推察します (*3)。もしかしたら、米国政府はその情報を事前に掴んでいたのではないでしょうか?

 *2 自衛隊は組織でない:自衛隊の乱脈を非難することは簡単ですが、第2次大戦後長らく、日本の国防や、自衛隊のあり方についてまともな議論を怠ってきた国民 側にもそれを助長した責任の一端があるのではないでしょうか。日航機事故の真相解明を機に、国際関係や未来を見据えた、正しい意味での防衛論議が高まるこ とを期待します。

 *3 Migによる撃墜計画:日本が軍事物資を輸送する側なら撃墜の手引きはおかしくないか?その疑問については、「自衛隊は組織でない」という答を幾つか考え られる理由の一つとして提示しておきます。

* * *

 米国国家安全保障局(NSA)のU-2による戦略的偵察行為とは、123便に積まれた軍事物資、日本国内の軍事グループ(あえて'自衛隊'とは表現しません)、そして、それに軍事介入する旧ソ連軍の動き全てを視野に入れたものであったでしょう。米国政府の思惑、旧ソ連軍の参戦理由、そして中国、ドイツ、フランスなど、直接・間接に日航機事故に関わった各国政府についての考察は、日航機事故の全体像を理解する上で欠かせない手続きです。日航機事故の真相追求は、単なる偽装事故疑惑の解明から、日本と国際社会の関係史理解へとその注目点が移りつつあります。

 MERCENNARIUS ET QUI NON EST PASTOR CUIUS NON SUNT OVES PROPRIAE VIDET LUPUM VENIENTEM ET DIMITTIT OVES ET FUGIT
 羊飼いではなく、羊が自分のものでない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊を捨てて逃げ去る。
 2010-04-29、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!37

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第36弾。多くを書くまい。静かに見守っていこう。にぎやかな事が好きな方は、転載元ブログのコメント欄に訪れると、様々な議論がある。その中に情報もある。良くも悪くも、衆人環視の中で情報が注目されている。真実が晒されるのもそう遠いことではないと思われる。
 JAL123 便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(13)2010-04-27

 昨年(2009年)から報告を始めた本ブログですが、かなり早い段階で気がついていながら、ここでお知らせしていない情報があります。それは、この事実があまりにも政治的に大きな意味を持つため、国際軍事評論家B氏の判断により、当該関係政府に不要な動揺を与えるのを避けるために、あえて発表を控えていたものです。日本の核弾頭開発疑惑でさえ充分驚愕に値する内容でありますが、こちらの情報については、日本の国際関係、特に日米関係についてこれまでの歴史観を大きく変える可能性を秘めています。前置きはこのくらいにして、まずは下の写真1をご覧になってください。

 写真1:黒い表面のラバー材

 黒い塗装が施された表面に、内側はラバー(ゴム)材のように弾力性のある物質。これまで私たちが回収した軍用機の多くが金属製であり、ステルス機である F-117が合成樹脂製であったのを除けば、極めて異様な材質です。初めてこれを見たときに、当然ですが私にはさっぱりわからなかった。そこで、いつもと 同じようにB氏に鑑定を依頼したところ、驚くべき回答が返ってきたのです。「このラバー材は、一世代前のステルス技術と考えていただければよいです。いわゆる電波吸収材として機能しています。この破片は機体表面をびっしり覆って いたものです。ラバー製のステルス部材に黒い塗装、こんな構造をしているのは米国の戦略偵察機 U-2 (写真2)以外に考えられません」。

 写真2:U-2(ドラゴンレディ) Wikipediaより

 B氏は続けます。「私もこんな風に実際に見るのは初めてです。それもそのはずで、偵察機というのは最高の軍事機密であり、友好国とはいえ、日本の情報部員として動いていた 私などが見せてもらえるような代物ではありません。この機体が落ちていた意味は非常に大きい。U-2というのは基本的に米国国家安全保障局(NSA)が直轄して運用する機材なのです。パイロットについても 最優秀の軍人が、わざわざ軍籍を抜けてこれに当たります。つまり、米国政府自体が大きな国家戦略的判断を持たない限り、飛ばしてくるような機材ではないのです。U-2は航続距離こそ長大ではありますが、スピードはたいしたことがない。それが日航機事故当日に日本本土の上空を飛んでいた。それはつまり、1985年の8月12日の18:00頃、JAL123便に何が起こるかを米国政府は予め知っていたことになります。知った上で、1万メートル以上の高空域で自国軍 の軍事オペレーションを監視していたと判断されます。これがどうしてここ(事故現場周辺)に落ちているのか、そこまでの事情はわからないですが、仮に戦闘機に狙いを付けられたら、空戦能力の全くない飛行機だから意図も簡単に打ち落とされてしまうでしょう」。以上のように、B氏によると U-2 が落ちていることの意味合いは他の米軍機とまったく異なるとのことです。U-2の機体破片からわかること、それは以下のようになります。(1)米国政府が主体的に関与していたこと。(2)米国政府が予め事態を予測していたこと。(3)米国政府が本件を国家戦略的に重要案件と位置づけていたこと。簡単に言えば、日航機事故もとい御巣鷹事変は突発的な軍事衝突ではないということです。

 ■米国政府の戦略的意図は何か?

 米国政府が直接関与してまで情報を取ろうとしていたもの、それはいったい何だったのか? しかも複数の軍機と数百人規模の地上軍兵士を投入し、そして、おそらくそのほとんどを失ってしまっただろうという、多大な犠牲を払ってまで。それが飛行機に積まれた「麻薬の密輸」や「テロリストの護送」程度の、チンケな対象を狙ったものでないことはもはや明らかでしょう。米国政府のこれだけの出動規模に匹敵する対象となれば「核を含む大量殺戮兵器、もしくはその技術・開発資金・人材」以外にその候補を見つけることは困難です。以上の状況的な考察、および、これまで発見された物証(毒ガス原料、放射性物質)などから、「JAL123便が軍事物資(人材・支援物資等を含む)を輸送 していた」と結論付けるのに、何の戸惑いも私は見出せません。

 ■日米関係史を再考する

 もう一つ見逃してならない明らかな事実。それは、複数の米軍機ならび米国国家安全保障局から派遣された偵察機が無残に打ち落とされているという事実です。誤爆でここまでの多数の機材が落とされることは考えにくく、多くは日本の軍事力(あえて'自衛隊'とは表現しません)により撃墜せしめられたと見るのが妥当です。これらが意味するものはまさに「日米戦争」なのです。特に、戦略偵察機U-2を撃墜した事実は、米国に日本に対する核攻撃の理由を与えたも同然なのです。「現に戦争など起こっていない。今でも日米同盟は健在ではないか?」。そう思われている方は多いし、そう思われるからこそ、このブログに書かれた内容の事実 性を批判をされる方がいるのも、私は知っています。しかし、私は、「この時以来、日米は戦争状況に陥ったのだ」と理解しています。つまり少なくともこの25年間の「日米同盟」は幻想であったということです。日米関係については別のシリーズで詳しく論考する予定ですが、「戦争状況」を示す具体例として、1985年9月、日航機事故の1ヶ月後に電撃的に成立するプラザ合意を思い出していただくとわかりやすいかと思います。前にも書いたかも知れませんが、同じような合意は同年1月に取り決められたのに、ほとんど効果はなかった。それなのに急に開催が決まった9月の合意では、あっという間にその成果が結果になって現れ始める。日本の民間資本が一斉に動いたからです。その後、「Japan As No.1」呼ばれた日本の経済は急激な円高>(人工)バブル崩壊>日米構造協議>失われた10年>郵政民営化と、米国に主導されながら巨大な財政赤字を抱える経済衰退国に変わっていくのです。戦争とは「軍事」だけではない。1985年当時、世界No1の経済力を付けた日本。核兵器開発など、日本の軍事的暴走の源泉をその「経済力」と判断したのならば、「経済力」を根こそぎ叩き潰すというのも米国の大きな国家戦略であったとは考えられないでしょうか? つまり、副島隆彦氏が唱える「属国日本論」のように、第2次世界大戦の敗戦後、一方的に米国にむしり取られてきたという、日米現代史観は「日航機事故の真実」を取り入れることにより大きく修正される必要があると私は考えるのです。米国のやり方を云々する前に、私たち日本国民は次の重大問題を明らかにしなければなりません。(1) 国民に隠れて軍事的暴走を主導したグループとは何か? (2) 国民に隠れて米国と経済取引(手打ち)したグループとは何か? 同じ日本国民を見殺しにし、軍事衝突を事故と称して隠蔽しながら、米国と取引をして経済敗戦を導き、日本国民の富を差し出した集団。そのような卑劣で売国的な集団をまず摘発しなければなりません。これら、根源的問題を日本人自らが解決しないまま、「普天間基地問題」など深刻な日米問題が解決できるはずがないのです。
* * *

 今回は日米問題に焦点を当てた記述になりましたが、実際には、日航機事故には旧ソ連や中国政府の関与の跡も見られます。今後展開される国際政治を扱うシリーズでは、これら米国以外の国についても、詳説を試みる予定です。また、来月5月16日の講演会では、ブログに先行して、これらの解説を行う予定です。

 NON ERO ULTRA VOBISCUM DONEC CONTERATIS EUM QUI HUIUS SCELERIS REUS EST
あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。

 2010-04-27 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!36

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第35弾。やっと、再開された転載元ブログ。相当ヤキモキさせられた方々も多いであろう。投稿者もその例に漏れないが、最悪を予想したことはない。そんなことが許されるはずはないし、そういう事態を予防するための拡散である。

 <いまだに出てくる尾巣鷹の人骨>

 それに、コメント炎上は当該ブログの貶め作戦の一環である事は目に見えている。何かの実力行使を企図していると観るには、あまりに低劣で逆行している。やるぞやるぞは脅し以外の何も意味を成さない。やられるぞと言う、忠告も又同じである。わざわざ正体を晒して何かをやる馬鹿は居ない。いわゆるネットウヨの一派であることは誰が見ても分かる話である。そうであるから、当該ブログに関係ない話がポコポコ出てくる。お陰様で、拙ブログまでが光栄にもやり玉に挙がるほどで笑ってしまった。9.11テロの話は出るは、リチャードさんや独立党まで話題を占拠する。結局、話すこと(書くこと)に事欠いている証拠である。ご苦労としか言えない。こういう輩は頭がない(自分の頭で考えた訳ではないとの意)ので大したことはできないし、言うこと書くことにも事欠くのである。最悪の場合は同じ事を繰り返し投稿して、煙に巻こうとする。その生態は、もうバレバレと言うほかない。この歌が良く生態を表している。一緒に歌って笑い飛ばして措くに限る。


 <ネトウヨの 歌> 作詞:たかし  作曲:深沢 登代吉
 一、(出陣)
 天に向かいて唾を吐く ♪ 低脳無恥のネトウヨは 仲間のおだてに乗せられて いざや書き込む「たかしズム」
 勝たずば生きて還(かえ)らじと 言ってる先から返り討ち

 二、(斥候)
 或いはたかしにコケにされ ♪ 或いはめばるんに論破され ブザマを晒したそのあとは 自分のブログに引篭もり
 マスターベーション始めるよ  病いはいかに重からん

 三、(工兵)
 あっちのブログにけちをつけ♪ こっちのブログに八つ当たり 雨と散りく る赤恥を 致死量超えて浴び続け 突然変異を起こしたる 恥を知らないミュータント

 四、(砲兵)
 一発射撃のコメントで♪ 敵の気力を 怯(ひる)ませて 立ち去る予定が逆効果 見事外したレトリック ボキャブラリなどものかわと 何時までたっても立ち去らず

 五、(歩 兵)
 一杯溜まったデータベース ♪ たかしの講座で利用され 恥は末代続くなり  こんな筈ではなかったと 後悔してももう遅い  インターネットの恐ろしさ

 六、(騎兵)
 ウィキペディアを読み齧り♪ 仕入れたネタをひけらかす 海洋国家がどう したと 学問用語をもてあそぶ 活字はほとんど読まないが サンケイ新聞大好きよ

 七、(輜重兵)
 牛豚以下のアジア人♪ 外を歩くな 障害者 ブスな女にゃ価値はない ナチの短剣持ち歩き ゲームみたいに殺したい だけど兵役御免だぜ

 八、(衛生隊)
 戦雲東におさまりて ♪ 昇る朝日ともろともに ブログの更新やる気失せ 或いは閉鎖に追い込まれ  少ない友にも見放され ああネトウヨ の末路なり

 さて、これからが正念場である。ブログ管理者には申し上げたい。困難でタフな使命であろうが頑張っていただきたい。真理は最後には勝利する。又、数多の善良で良心を失うことを拒否した人々は、懲りない連中の総数を遥かに凌駕する。見守り環視し続けている。屍を乗り越えて歴史は作られる。真理は死を恐れない。イエスはそうであった。肉体の死は永遠の生命に至る扉である。そして、それに続く魂は燎原の野火の如く続くであろう。真実を閉ざそうとする人々は何も知らない人々である。知らないから、自分のことをさておいて、他人のことをあれこれ言うのである。愚かと言うなら、どちらか改めて問うまでもない。

 ブログ 再開のお知らせ、および講演会(5/16)のご案内2010-04-25

 ながらくご無沙汰して申し訳ありません。私の身辺であまりにも理解困難な事態が頻発したため、しばらく活動を休止させていただき、現象の分析および調査内容を再確認させていただきました。そして自分がこの'事件'にどこまでかかわるべきかを内省しておりました。なかなか結論が見出せず精神的な苦痛を感じたこともあります。しかし、これまで私を調査活動に突き動かしていた根本的な動機-「私の同胞である全ての犠 牲者、その魂を救い出すこと *」に立ち戻るしかないことに改めて気がつきました。

*「人は死んで終わりではない」。クリスチャンである私の基本的信条とご理解ください。

 私の身体、および精神状態を心配された皆さん、どうもご心配をおかけしました。今後は迷うことなく私が知りえた全てをここでお知らせいたしたいと思います。なお、来月5月16日(日曜日)午後に、東京都内で一般向けの講演会を開催します。このブログでも登場いただいた国際軍事評論家のB氏、事故当日に現場で大勢の生存者を目撃したM氏にもご出演とご証言の承諾を得ています。日程、会場などの詳細は数日以内に改めてお知らせします。ミサイル片、ミグ25、F4、F117、etc・・・これまで現地で回収した軍機・軍用品の実物断片も可能な限り展示いたします。日航機事故の真相に一歩でも近づきたいと思われる方、真実を求めるご遺族、関係者の方々、多くの皆様のご来 場をお待ち申し上げます。仮に一部であっても、本講演により、知られざる日本の姿が明らかになるでしょう。「真実を知ること」以上に、犠牲となった彼らの魂の叫びに応える術はなく、また嘘で固められた世の中を変えるためにも避けられないプロセスであると私は考えます。この事件に関わった大企業の皆さん、政府関係者の皆さん、そして、世の中を裏から操ること長けた姿の見えない皆さん、あなた方にも光が当たる世がいよいよ近づいたとご認識ください。

 2010-03-08 、 暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!35

 謎が多い日本航空123機墜落事故 しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第34弾。凄まじい展開である。予想はされたとは言え想像を絶する事態である。だから、コメントが荒れる理由は十二分に汲み取れる。荒唐無稽なら荒れる必要はさらさらにない。無視すれば良いだけの話だ。こうした事態に立ち至った理由は、まだ定かではないが、事態の深刻さは字義通り窺い知れる。話半分でも由々しき事態であることは否定できるものではない。どうあざ笑ってもそれは自由であるが真相の解明は必要だ。これも刷新の時を迎えているのだと想われる。それにしてもS氏、管理人氏には頭が下がると言うべきだろう。この取り組みには、並の神経、並の決意で成せる技ではない。余程の衝き動かされる情動が見受けられる。ほとんど魂の叫びと言っても言いすぎではない。心ある人々には確実に届いている。間違いない。

 急性放射線症-御巣鷹の尾根-

 http://www.youtube.com/watch?v=B9sTUaQ29AA

JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(12)2010-03-06

 ※ 2010-03-07 22:40 一部を加筆修正しました。文意に変更はありません

 1985年8月12日、大阪伊丹空港行、日本航空123便を撃墜させた原因について考察する「そしてミサイルは発射された」シリーズの続編です。このブロ グを初めて読まれた方は、「ミサイル説って本当なの?」と思うかもしれません。本ブログにおいては、現場で採取した数多くの物証を示すことで、ミサイル発射の有無の議論は既に終了しており、今や、どの軍事勢力がどのミサイルで同機を撃墜したのかに論点が移っています。ちょっと着いていけないと思われる方は、まず「そしてミサイルは発射された」シリーズ、および「オバマ大統領訪日によせて」 をお読みください。できれば全記事を読んでいただくとありがたいです。日航機事故の全容を簡単に説明すれば、「軍事物資を輸送していた123便を巡る 日米ソの軍事衝突」となります。こんなのでいいのか!?と思うくらい、事の表層については明瞭なのです。この'事故'、というより'事変'のもう一つ重要 な側面は、日本国政府(あるいは裏政府・軍産複合体)がとった以下の行動です。・多くの生存者を見殺し、惨殺、あるいは拉致連行したこと。・虚偽の事故報告を行い、全国民を欺いたこと。以上は、犠牲者及びそのご家族だけでなく、政府を信任する全ての日本国民に対する重大な裏切り行為です。政府がとったこの歴史的とも言える背信行為に対して、私たち国民は次の点を明らかにしなければなりません。

 ・日航機に積載した軍事物資(BF4=毒ガス原料・核弾頭)の行き先・輸送目的
 ・なぜ民間機で軍事物資を輸送したのか
 ・なぜ生存者を殺害してまで秘密を守ろうとしたのか
 ・官庁・大学・マスコミをねじ伏せた権力の正体は何か(裏政府、軍産複合体?)
 ・なぜ米国政府、ソ連(現ロシア)政府はこの件で沈黙しているのか

 この他、S氏や私の取材を執拗に妨害し、時に殺害行為を仕掛けてくる国営テロ集団(国賊)と上記権力機構との関連、彼らの関与が強く疑われる、一連のオウ ム事件、グリコ・森永事件、また古くは三鷹事件、下山事件、松川事件など日本の怪事件(*1)とこれら権力機構の関連についても、日航機事故の真相解明を 機に、国民に広く真実が知らされるべきです。

 [*1]日本の怪事件:これを言い出すと、「福知山線脱線事故」、「神戸連続児童殺傷事件」、「和歌山毒物カレー事件」など、キリがありません。関連があるにせよ、ないにせよ、これら疑わしい事件については再検証するくらいの取り組みが求められます。

 ■現場に散乱する核弾頭

 まず、現場で発見された機体破片から、これまで国際軍事評論家のB氏が判定した機体のリストを以下に提示します。・RC-130 ・RC-135・F-106(黒い機体)・F-117・CH-46・UH-1H・F-4EJ・Mig-25・その他判定不明の航空機、戦闘機類(複数) 。以上が発見されたことから、この地(御巣鷹の尾根一帯)でたいへんな空中戦、地上戦が勃発しただろうことは以前お伝えした通りです。B氏はこれにさらに分析を加えます。

 (1)「これを戦術作戦として考えれば、ヘリに関しては1機、2機というレベルではないでしょう。人員を乗せたヘリが何機もここに飛来し、撃ち落とされて いるはずです。私の見立てでは、軍機乗員、米海兵隊、陸上自衛隊の地上部隊を含めて、少なくとも500人以上がここで死んでいるはずです。」

 (2)「日本は非核三原則(*2)を掲げる国ですから、表向きは、米軍機、自衛隊機共に核兵器は搭載してないはずです。しかし、そんなのは建前であって、 米軍が日常核兵器を搭載しているのはもはや公然の秘密です。しかも、この件に関しては自衛隊の核武装すら疑われている。実際に核が使われていないとして も、これだけの軍機が落ちていれば、核ミサイル・核爆弾が数個~10数個程度は現場にゴロゴロと転がっているとみなければなりません。」

 B氏の分析(1)によると、民間犠牲者の他に、500名程度の兵士がここで命を落としているだろうとのことです。戦乱に関わった軍人と、民間機の犠牲者を 一緒にしてはいけませんが、もしもB氏の見立て通りだとすると、この地で1000人以上の命が失われたということになります。以前の記事で、昇魂の碑の前 で悲痛な表情を浮かべる白人男性についてお伝えしたことがありましたが、このお方の表情の意味は、果たしてここで失われた兵士のためのものだったのでしょうか。

 人の死を悼むのは当然の感情ですが、(2)の核兵器に関する情報はいただけません。下手をすると、現在に至るまで人を死に追いやる危険な状況が残されてい ることを暗示しています。そして、B氏の指摘を待つまでもなく、現場調査を始めてから既に5年の年月を費やしたS氏が、既にその断片に遭遇していたので す。

 [*2]非核三原則:折りしも、佐藤栄作元首相(ノーベル平和賞受賞)と米国との密約が今になって騒がれています。しかし、国民の誰しもが米軍が「核を持 ち込んでない」とは思っていないでしょう。それどころか、旧「動燃」で国産核弾頭を密かに製造していたことの方がはるかに問題です。もういいかげん嘘(う そ)はやめにして、国民の前でに正々堂々と是非を問うべきです。

 ■S氏が目撃した「核」の断片

 昨年(2009年)、私がS氏と知り合って間もない頃、現地に落ちていたものについて、彼にこんなことを質問されました。「各々1cm 径くらいの、6角形のハニカム構造体なんですが、この構造の中に黄色い固形物が充填されている。固形物はまるでモルタルのような薄い黄色でザラザラした表面をしていました。何か核関係のものじゃないかと思うのですが。というのも、これが落ちている付近にいるとクラクラして動けなることがあるんです。本当に今日はもう下山できないんじゃないかと思うくらいです。また、その辺りには死んだ動物の骨も多いし。それから、ここに入った後、傷の治りがすごく悪いんですよ。これ(写真1)は切ってから3週間経過した傷なんですが、カサブタがなかなかできないんです」。


 写真1:3週間経ってもカサブタができない傷跡

 最初にこれを尋ねられた時、わたしもさっぱり分からなかったのですが、その後、S氏が同現場近くで撮った一枚の写真(写真2)をB氏に鑑定してもらった時、それが何か判明したのです。以下その時の様子を会話形式でお知らせします。
------------------------------- (ここから) -----------------------------------

管理者:S氏が撮った以下の写真、何だと思われますか?まるでレンガの破片のようですが。

写真2:レンガ状の物質

B氏:これは、アレだな。俗に言うイエローケーキというやつですよ。

管理者:すみません、不勉強でよくわからないのですが。

B氏:ウランを精錬して濃度をあげたものです。

管理者:ええっ、でも、黄色じゃないですよね。

B氏:核兵器に使用される軍用のイエローケーキは錬度が高く、レンガ色をしています。

管理者:それじゃあ、核兵器に関連する何かであると。そういえば、S氏によるとこの写真を撮った近くで、ハニカム状の・・(説明略、上記をご参照ください)・・があると言ってましたが、何か思い当たりますか?

B氏:核兵器に関連するとなれば、爆縮レンズの構造そのものですね。充填されているのが核爆薬になります。

管理者:核爆薬、それはもしかして、プルトニウム・・・

B氏:基本的にそうです。ただし、詳細な爆薬原料の組成や爆縮レンズの構造は、各国における最重要軍事機密扱いとなります。
--------------------- (ここまで) --------------------

 この後すぐにS氏に電話を入れ、「絶対に触るな!絶対に持ち帰るな!」と伝えたのは言うまでもありません。また、写真1の傷の状態についても、知り合いの医療専門家に尋ねてみたところ、「血中のフィブリンが減少している、典型的な放射線症の一つですね」と回答をいただきました。

 ■核ミサイルの弾頭構造

 以下の図1は、B氏のガイダンスを受けて作成した、核ミサイル弾頭の概略図です。レンガ状のウランは弾殻を構成します。ハニカム構造の核弾薬については、 S氏が見つけた後、直ぐに回収されてしまったということで写真がありません。よって想像図でのご紹介になります。これに関しては写真が撮れなくて残念というより、回収していった方のお命が気がかりです。はっきりと形になったものはあらかた回収されてしまったのかもしれませんが、その時の破断状態について聞く限り、粉々になった断片がその周囲に飛散しているのはほぼ間違いありません。S氏によると、このような立ちくらみを覚えるスポットが、事故現場付近に数箇所あるとのこと。なお、写真3は、放射線によりデジタルカメラのCCDセルが励起し、青い発光が表れたと思われる写真です(断定するにはもう少し追試が 必要です)。やはり、この危険スポット近くで撮られたものです。

 図1:核ミサイルの弾頭構造 概略図

 写真3:放射線により青い発光が写り込む?(赤丸部分)

 ■回収された核弾頭の行方

 核爆発があった場合、上記のような断片は燃焼し残りませんから、これらの断片を以って事故当日に核攻撃がなされたとは断定できません。しかし、少なくとも 不発核弾頭がゴロゴロしているというB氏の予想は間違いなかったようです。前述したように、形が残った断片については回収部隊によってかなり運び出されて しまったようです。また、我々の方も危険がいっぱいの核物質を積極的に探し出そうとは思っていません。しかし、これについては「目に見えないから、運び出されたから、もう見つかりません」で済むような甘い問題ではありません。微細な断片は確実に現場に残留しているだろうし、回収された断片、あるいは丸のママの核弾頭についても、どのように処理されたのか不明です。

 核弾頭の回収処理についてB氏は次のように語ります。

 「世界中で確かな核兵器処理技術と専属チームを持っているのは、米国軍とフランス軍くらいのものでしょう。日本では政府系の原子力機関がそれに該当するこ とになりますが、ノウハウと言う点ではとても及ぶものではありません。事実上、米軍、フランス軍に依頼するしか核兵器の処理はできないはずです」。B氏の発言が真実だとすれば、回収された核弾頭は密かにどこかに集められ、そのまま放置されているということになります。それが国内なのか、国外なのかわかりません。あるいはこっそりと、米国、フランスに話をつけているのかもしれません。いずれにせよ、回収した核弾頭がどのように処理されたのか、あるい は未処理なのか、それをはっきりさせないうちは、この日本で安心して夜を迎えることはできません。日航機事故の真相解明が叶った暁には、これら核弾頭の行 く末についても必ずや明らかにされなくてはなりません。

 ■尾根に残る放射能

 次に、参考までに今回の記事に関連する映像を公開します。写真4は事故現場へ登山者、森林整備の職員を装いやってくる一団が、破片回収をしながら時折口に 入れる錠剤の包装です。これだけでは薬の種類まで判別できませんが、この集団全員がこれを携行し常飲していることから、おそらく放射線症対策のヨウ素剤であると推定されます。

 写真4:回収部隊が現地に残していった錠剤の包装

 動画1は、S氏が今年の2月、現場の尾根で破片の調査に入った時のものです。拾っている物だけではなく、S氏の手に注目してください。手の甲から腕にかけ て紫色の発疹が浮かび上っています。説明するまでもなく、急性放射線症の症状です。本人いわく、立ち寄る場所によってはこの症状が現れるそうで、現場から 何日か離れていれば腫れは引くそうです。

 http://www.youtube.com/watch?v=B9sTUaQ29AA
 動画1:現場調査中のS氏、手の紫色の発疹に注意

 この他に、「「闇夜に蠢く物(4)」でご証言いただいたM氏は、2000年頃より肺癌を発病。数年に渡る治療の甲斐あり、現在は健康を取り戻しております。事故当日に現場へ入ったことが発病の原因とは断定できませんが、疑いは残ります。M氏自身の証言[17]に注目してください。「山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡がまるでない、それは山を知る者としてはたいへん不思議な事です」。一般に、野生の生き物は電磁波や放射線に対して敏感だと言われます。そこまで言わずとも、粉々になった不発核弾頭、風に巻き上げられた放射性物質がその時 現場に漂っていたとしたら、残酷な殺戮行為を働いた軍関係者はもちろん、後から現場に駆けつけた、救助関係者、報道関係者、遺族関係者の全員が、もしかしたら被爆していた可能性があります。事故発生からの一定期間内に現場に入った全ての人員の健康状態について、追跡調査を行うこと、日航機事故の真相究明とはそこまでやり通さなければ終わりにできない、日本国民が背負った大きな負の遺産なのです。S氏についても、現場調査に行くのはそろそろストップさせなくてはなりません。と言うのも、先ほどの医療専門家に血液検査をしてもらったところ、「かなり放射線の影響を受けているようだ。このまま放っておけば確実に癌になるだろう」と宣告されているからです。現在30代前半、事故当時はまだ小学校低学年だったS氏。当時すでに成人だった私や同世代人を差し置いて、真相究明の最大の功労者をこんな形で先に逝かせる訳にはいきません。最後に、国営テロ集団(国賊)側に付く、自衛官、公安警察官、下請け民間企業の従業員の方々にも呼びかけます。「あなたたちは、権力者のモルモットにされているだけなのです。早くそれに気が付いて、神から授かった命を世のため人のために役立ててください」。
* * *

 123便の墜落原因の解明、および事故調査報告書・ボイスレコーダー・フライトレコーダーの虚偽性の解明については、その作業がそろそろ終盤に差しかかっ てきました。この先、このブログが取り組むべき大きなテーマは、知られざる日本国政府の正体に移っていきます。戦後65年、この国が本当に、私たちが自ら 選んだ国会議員とその政府によって運営される民主主義体制の下にあったのか、あるいは、黒い霧の中に潜む、一部の権力者の掌中で動かされていただけなの か、日航機犠牲者の無念に応えるためにも、それについて今こそ明らかにしなくてはなりません。

 HAEC LOCUTUS SUM VOBIS UT IN ME PACEM HABEATIS IN MUNDO PRESSURAM HABETIS SED CONFIDITE EGO VICI MUNDUM
 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。
 2010-03-04 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!34

 謎が多い日本航空123機墜落事故 しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第33弾。転載元の荒れるコメント欄。しかし、それは雑音でしかない。問題は表出する情報に一喜一憂する必要はさらさらにない。静かに見守れば良いだけの話である。にもかかわらず荒れるのは何故か? 相当の暇人か、それとも一喜一憂する理由があるか、どちらかである。どうも一喜一憂する人々が少数居るようである。そのことが判っただけでも、この転載元ブログの価値がある。もしも、このブログ情報がなかったとしたら、日航機123便墜落は単なる墜落事件として幕引きとなっていたであろう。仮に今までの異説は、それこそ単なる都市伝説として一部の好奇を引きつけたに過ぎない。だからこそコメント欄が荒れるのである。荒らしのコメントは、転載元ブログを、それこそ『単なる都市伝説』として、貶めたい意図がひしひしと感じられる。ところが、真相を求める人々は返って物静かなものだ。いちいち反駁していては情報が得られないことを知っている。捜査並びに調査に卓越した人間は即断はしない。ましてや、情報元の話にいちいち論議を差し挟まない。全てを聴取、採集し、判断は自分でする。これは当たり前の話である。そうでなければ攪乱を自らする事になるから、捜査・調査には不向きである。転載元ブログには攪乱分子が蠢いていることは間違いがない。だとすれば、ここで発信される情報は、譬え、粗削りは免れないとしても核心を衝いていることになる。こんな単純な法則を知って、荒らしに邁進しているのか、尋ねてみたいものである。粗削りは免れないとしても、これまでに展開で、単なる墜落事故ではないことがはっきりした。そして、撃墜されたにせよ何であれ、墜落当時、多数の生存者が存在した。その大多数が、故意に救出を遅らされ、あるいは積極的に抹殺された疑いが濃い。一部は拉致された可能性がある。現在、多数の物的証拠が存在する。それらは回収に勤しんでいるようだが全ての証拠を隠滅することは甚だ困難な様子である。しかも、回収するには絶望的な危険物質が多数存在する。これらのことは、ほぼ真相に近い事であろう。由々しき問題である。そして、その事を世論が認識すれば解明はそんなに難しい話ではない。どんなことも永遠には隠しおおせる訳がない。必ず解明されることを確信した。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(11) 、 2010-03-03

 しばらく間が空いてしまいすみません。最終的に123便を撃墜させた原因について考察する「そしてミサイルは発射された」シリーズの続編をお届けします。今回の記事では、123便の第3エンジンにファルコンミサイルを撃ち込んだと思われる「謎の黒い戦闘機」について報告します。

 ■黒い戦闘機の正体

 「そしてミサイルは発射された(9)」 でファルコンミサイルを搭載するのが米軍の限られた戦闘機に限られること、そして事故現場に落ちていた黒い戦闘機の破片が関連する可能性について触れました。ここで、ファルコンミサイルおよびその管制システムの搭載機として真っ先に候補として挙げられる戦闘機について、国際軍事評論家のB氏は次のように語っています。「ファルコンミサイルの運用機としては、米軍のF-106(デルタダート)がその筆頭に考えられるでしょう。軍機マニアにしてみたら、何でこんな旧型機がと思われるかもしれませんが、実はF-15(イーグル)が登場するまで、米軍保有機の中でF-106の空戦能力に匹敵する戦闘機は存在しなかったのです。一般の軍事評論では、後発のF-4(ファントム)の方が能力的に上回ると評価されますが、ドッグファイト(模擬空戦)の結果ではF-106が圧勝していま す。事故当時(1985年)はやっとF-15の配備が始まった頃で、F-106の有用性はまだまだ高かった。むしろ運用実績が定まらないF-15よりは、 重要任務にはF-106を用いると考えるのが軍事の常識です。当時は北米航空宇宙軍(NORAD)に配備されており、米国の安全保障上最重要とされている対ソ戦略任務に就いていたはずです。米国軍事関係者から聞いた話では、未確認飛行物体(UFO)の追尾などは、NORADのF-106が当たっていたとも言われています。F-106はその開発自体がファルコンミサイルシステムと一体で、過去に日本の航空自衛隊に売込みもかけたのですが、その値段があまりに高額であったため、結局F-104(スターファイター)に落ち着いたという経緯もあります。軍事物資を輸送する日本の民間機(123便)をターゲットとした特殊任務とあれば、NORADのF-106が出張って来た可能性は非常に高い。その場合、 人目に着く国内の基地に飛来してきたとは考えにくいので、韓国の鳥山(ウザン)米空軍基地を経由してきたと見るのが妥当です。また、任務が特殊なものであれば、機体に表示している所属や識別番号などは塗り潰し、時に真っ黒に塗装するなどはよくあることです。F-106は機体内にミサイルを格納するウェポンベイ(Weapon Bay)方式の弾装で、機銃は装備していません。通常、4発の空対空ミサイルを搭載しており、その内の1発は核ミサイルであることが標準です。これは主として爆撃機編隊をミサイルにより撃破する要撃(ようげき)任務を想定しており、核ミサイルについては、直接敵機に命中させるというよりは、編隊内部で起爆させ、近接爆発の威力によって編隊そのものを壊滅させるという攻撃思想によっています。」

 写真1:F-106 デルタダート(Wikipedia より)

 写真2:F-15 イーグル(左) と F-104 スターファイター(右) (Wikipedia より)

 以上、B氏によると、ファルコンミサイルの搭載機として北米航空宇宙軍(NORAD)のF-106が事故当日に飛来していた可能性が高いということになり ます。必ずしも断定はできませんが、B氏の示す情報に照らし合わすと、私が「謎の黒い戦闘機」と表現している機体の破片は、NORAD所属のF-106で ある可能性が高いと言えると思います。

 写真3:黒い機体破片

 ■待機していたRC-135とF-106

 「小さな目は見た」 で紹介した、群馬県上野村の小学生が目撃したという、上野村上空で旋回していたという「大きな飛行機(1機)と小さな飛行機(2機)」。これについてB氏 は、文字通り受けとめれば、明らかに作戦実行機(戦闘機)とその空中管制任務に当たる管制機であると断言しています。管制機については、RC-130、 RC-135、その他の大型軍用機である可能性もありますが、「オバマ大統領訪日に寄せて」や「そしてミサイルは発射された(10)」で示したように、RC-135の墜落を示唆する証拠材料が揃っている関係から、ここではRC-135であったと見てよいかと思われます。

 写真4:RC-135

 すると、墜落時刻の18:56より約10分前の18:45頃、1機のRC-135 と2機のF-106が、上野村の上空で、今や遅しと123便が近空に飛来するのを待機していたことになります。同機が、なぜ123便の飛行コースを見越し たように、上野村上空で待機していたのか、この点を深く考察することにより新たな状況が見えてきます。

 ・123便は予め御巣鷹山の上空を飛ぶように指示されたのではないか
 ・米軍機はこの動きを傍受し、先回りしたのではないか

 だとすれば、迷走飛行という、事故調査委員会の見解は見事に崩れることになります。これについては「折れなかった垂直尾翼」シリーズで追求していきます。

 ■F-106は本当に123便を狙ったのか?

 エンジンに突き刺さったミサイルの写真、そしてここまでの推察を総合すると、米軍が123便を撃墜したのではないかという推論に至ります。しかし、ここで考えなければいけない点がいくつかあります。

 (1)RC-135、F-106、RC-130、CH-46、F-117、その他の米軍機も撃墜されている
 (2)F-4(自衛隊)、MIG-25(旧ソ連)など米国籍以外の戦闘機も撃墜されている
 (3)第3エンジンのミサイルは不発弾であり、墜落の決定的一撃とは断定できない
 (4)多種・多量のミサイル断片が見つかっている

 以上は証拠物から得た事実ですが、これらの点まで含めて考え合わせれば、上記のうち何機かが同時刻に現地に出現し、ミサイルが飛びかうたいへんな乱戦状況 が発生したとも考えられます。複数の航空機が接近した状態で、果たして正確に敵機を射抜くようなミサイル攻撃が可能だったのかどうか。B氏によれば「そん な状況では誤爆は当たり前」とのこと。また、政治的な背景について考察すれば、以下のようにも考えられます。

 (5)軍事物資を押さえるだけなら123便を撃墜する理由はない(むしろ確保するべき)
 (6)他国の民間機を撃墜すれば、米国に対する国際的非難は免れない

 米軍を擁護する意図は全くありませんが、状況を論理的に判断すれば、F-106が123便を撃墜しようとしたと考えるのは少し早計のようです。特に(3) については注意が必要で、エンジンへの命中は飛行に関して大きなダメージになったことは言い逃れできませんが、123便の機首部が激しく破壊・損傷してい ること(*1)を考えれば、致命的なダメージを与えたのは機首部を破壊したミサイルということになります。

 このような乱戦下で誰がそのミサイルを撃ったかを特定するのは簡単ではありません、というより撃った本人が名乗り出ない限りほとんど不可能な話です。しか し、現場に残されていた物理的状況を分析することにより、123便に最終的な破壊をもたらしたミサイルが少なくともどういうものであったか、私たちはある 結論に達しました。非常に慎重な発言を要求される内容ですので、それについては折を見て公表したいと思います。

[*1]機首部の激しい損傷:機体の散乱状況を分析する限り、地表への「激突」が機種部の損壊理由でないことは明らか。これについては後日論証します。

* * *

 今回は結論がもったいぶった内容になってしまったことをお詫びします。実はこれを公表してよいかどうかは今でも少し悩んでいるのです。読者の皆さんが気にされているのは「核」のことかもしれませんが、それとも少し違います。「核」については、現地では当たり前のようにプルトニウムの爆薬片やウランの弾殻片が飛び散っています(さすがに持ち帰れません、死んじゃいます!)。明らかに不発核弾頭からの断片です。これらについてはもう隠しようがないレベルで飛散しており公表に当たって戸惑いはありません。むしろ早く公表しないと、これを回収に行かされている若く何も知らない自衛官(あるいは予備自衛官)の命が実験用モルモットよろしく次々と奪われてしまいます。私たちの敵方ではありますが、これは見ていてたいへん忍びないことです。追って報告することをお約束し ましょう。

 QUI HABUERIT SUBSTANTIAM MUNDI ET VIDERIT FRATREM SUUM NECESSE HABERE ET CLAUSERIT VISCERA SUA AB EO QUOMODO CARITAS DEI MANET IN EO
 世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。
 2010-03-02 、 暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!33

 謎が多い日本航空123機墜落事故 しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第32弾。荒れるブログに、とうとう本ブログの言及も散見されるようになった。名誉というか、光栄なことだ。しかし、どう見ても本ブログの転載意図を見抜いていない。また、投稿者についての憶測もいい加減だ。本ブログが登場するのは、こうして転載しているものだから、当然と言えば当然だが、それ以外に古川氏(諸星氏?)やリチャードさんが言及されるのは、どう見ても同じ伏線があるからだ。それを自白しているようであるから、世話ない。又、投稿者を独立党員と勘違いしているものや、あるいは、五人組一派と思しきものまである。笑った。はっきりしておこう。独立党支持者である。それは独立党が真実を明らかにする、類い希な良識のグループだからである。だがそれ以上でもそれ以下でもない。又、付和雷同して人様のブログに名乗りせず不躾なコメントすることは絶対にない。(新)日本の黒い霧に心底応援している。これは間違いない。又、これとてそれ以上でもそれ以下でもない。それは全くの自由意思に基づいている。誰かの奴隷でやっているのでは断じてない。そこが、コメントで言及されている投稿者の真の姿である。こうしてみると、ますます、転載元の管理者の言われるように、オウムの残党者、あるいは隠れ構成員の関係性を疑うに足りる要素が多く見受けられる。それは、先にも書いたように独立党に関するコメントが多く、転載元に登場するからだ。普通は関係ないだろうと思うのが、一般的なのだが、執拗に絡んでくることをも含めて考えると、リチャードさん家に登場する『タコ部屋軍団』と軌を一にしていると考えるのが、当然の帰着である。成る程!!多くの点で腑に落ちる動きがお陰で見えてきた。
 JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(8)、2010-03-01

 2月27日(土)の晩から翌日朝にかけて、日航機'事変'犠牲者の慰霊も兼ね、S氏と夜通しで南相木村への現地取材に向かいました。一連のブログ記事の影響でしょうか、今回も私たちの追いかけ部隊に今まで以上の手荒い歓迎を受けました。何度も強調しますが、私たちは日航機事故の政府発表と報道に疑問を持ち、この目で真実を知り、犠牲者に対して偽りのない慰霊を行おうとしているだけなので す。その私たちを亡き者にしようとする理由は何なのか?そして殺人行為を実行するグループの正体は何なのか?これまで襲いかかってきた彼らの規模・手段か ら、大きな資金力を有し、武器類の入手と多数の人員をコントロールでき、警察でさえ尻込みさせる権力機構と繋がる存在であることは明らかです。おそらくこ の存在が、本来、軍事衝突であった日航機'事変'を'事故'に見せかけた実行犯であり、彼らを指揮する権力機構・権力者こそが、この日航機の悲劇を生み出 した真犯人なのです。実行グループの行動パターン、装備、規模、出現地点など分析から、この集団の主力が、公的な資金的裏付けを有する以下の組織であると見られます。また、人 相・行動の癖などから、これらの集団の中にはアジア系外国人が登用されている形跡も見られます。これまでの記事と重複する点もありまがすが、改めてその全 容を俯瞰してみましょう。

 ・非正規自衛隊系集団
  航空自衛隊 熊谷基地、> 軍産複合体の拠点と見られる、取材妨害
  航空自衛隊 百里基地 > 日航機事故当日にF4を飛ばす、熊谷と連携
  陸上自衛隊 富士駐屯地 富士学校 > 静岡・山梨県側での取材妨害
  陸上自衛隊 北富士駐屯地 特殊部隊 > 事故当日、御巣鷹へ潜入、取材妨害
  陸上自衛隊 大宮駐屯地 化学学校 > 軍用毒薬の製造・散布、取材妨害
  陸上自衛隊 松本駐屯地、 > 長野県側での取材妨害
  その他、特定できていない基地、駐屯地、部隊がまだあります

 ・非正規警察系集団
  公安警察 一般  > ただし、管轄により対応が異なる、良識派も一部に?
  公安警察 謀略部(通称セロ部隊) > 激しい取材妨害、完全な殺し屋集団

 また、軍事利権と絡み、複数の民間企業が彼らに協力している状況が見受けられます。例えば「蘇る亡霊(7)」 のニセ車掌のケースのように社員に入り込んでいるケースもありますが、車で移動している時に、建設系、運送系企業のトラック、高速バスなどから電子銃(ま たは電磁銃)を浴びせられることなど当たり前のようにあります。今回は業界名だけの公表に留めますが、これまで私たちが目撃し、また、私たちに脅しを含め 接触してきたすべての企業名を公表する準備があることを、このブログを日々チェックしているであろう当該企業の危機管理担当者にお伝えしておきます。これ は、企業の中には上記の権力・武力集団に脅されているケースがあることも想定しての配慮ですが、こちらもいつまでも配慮ばかりしていられない情況であるこ とは、お察しください。そしてこのブログで名前を出された企業は、天・国・国民に唾する国賊企業とみなされるとを強くご自覚ください。

 ・民間協力企業
  商社、銀行、重工・製造、電力、輸送、土建、食品、化粧品、その他業界
  (嘆かわしいことですが、多業種、多社にわたり深く浸透しています)

 ・民間暴力集団
  地元の不良・チンピラ、外国人などが下請けで使われるケース
  (この犯罪スケールだと、この手合いが一番罪が少ないとも言えます・・・)

 ■2月27日の取材報告と映像

 当日晩、先に現地入りしていたS氏と、小海線の「清里」で待ち合わせを予定していましたが、駅前で待機していたS氏の周りに毒散布車が現れ、排ガスに混入 して遅効性の神経ガスをモクモクと散布し始めました。さすがに駅前商店の店員さんたちも外の異常に気が付いたらしく、何事かと慌てて外に飛び出てきたそうです。以上の連絡を受け、待ち合わせ場所を長野新幹線の佐久平駅に変更。佐久平に移動したS氏は、解毒と皮膚に付着した毒物を洗い落とすため、待ち時間に駅そばにある公衆浴場に入ります。この間、施設に隣接する有料駐車場に車 を停めていたのですが、その間(1時間半程度)にブレーキパッドに細工されたらしく、その後の取材中、乗っている間に徐々に異音が高まり、このままでは都 内への帰還が危ぶまれました。やむを得ず帰路である上信越道の松井田妙義ICで高速を降り、近くの横川駅から鉄道を使って帰宅することにしました。ここまでしてくるからには、鉄道も安心できません。「蘇る亡霊(7)」 のようなこともあったので、車内の様子に全神経を集中させました。横川から高崎までは、始発にもかかわらず、隣の西松井田駅ではぞろぞろと人が乗り込んで くる始末。見るからに怪しい人物は何人もいましたが、とりあえずこの車内では何も起こらなかったので、これ以上は書きません(映像記録は残しています)。しかし、高崎から新幹線「6:20発 たにがわ470号 東京行き」に乗った時に異変がありました。停車中の自由席車両2号車の2列目に着座したのです が、念のために電磁波測定をしたところ、低周波パルスが観測されました。車両そのものが発信している可能性もあるので、先頭車両の1量目に移動して測定し たところ、こちらではパルスの観測はなし。明らかに、2両目の乗客の中に、電磁パルスの発信装置を動かしている人物がいます。この車両を嫌い、私たちは1両目に移動。ところが、私たちのあとから遅れて付いて来る男性が1人。移動後に改めて電磁波の測定をしてみたところ、今度は1 両目でも先ほどと同じ低周波パルスを観測しました。私たちは、この男性を発信装置を操作する人物と同定し、座席横に行って顔写真を撮りました。一応「何し てるんだよ!」と言われましたが、それ以上の抗議はなし。そりゃ抗議もできないでしょう。耳にしているイヤフォンはどうみても音楽用のそれではありません から。その短い問答の後、男性は慌ててデッキに行って携帯で何やら連絡を取っている様子。その行動からしてバレバレだということがご自分で分からないようです。

 以下はその時の詳細を箇条書きにしたもの、および映像類です。

 発生日時:2010年2月28日 日曜日

 発生場所:群馬県高崎市 JR東日本 高崎駅 新幹線ホーム(11番線)
      6:20発 たにがわ470号 東京行き 車内

 最初の着座位置: 2号車 2列 A-C 自由席

 移動後の着座位置: 1号車 14列 A-C 自由席

 http://www.youtube.com/watch?v=7BiXYq2nZLM
 動画1:2両目と1両目の電磁波測定の様子(高崎駅停車中)

 http://www.youtube.com/watch?v=GTzuiKBDFjw
 動画2:問題の人物が1両目に移動してきた後の測定の様子(高崎駅停車中)

 http://www.youtube.com/watch?v=mRJimo2PSuA
 動画3:車内電光板の表示 (状況説明用資料)

 写真1:問題の男性
 写真2:特急券 (状況説明用資料)

* * *

 本来は、日航機事故の真相についての記事掲載を優先したいのですが、上記のように一般人を巻き込む無差別攻撃を間近に見せ付けられては、やはり告発を止めるわけにはいきません。読者の皆様には本記事と関連して次の点をよく考えてほしいのですが、

 ① 毒ガス・毒薬や電磁波兵器など一般では持ち得ない武器類と専門性
 ② 一般人を巻き込む無差別性・残酷性
 ③ 手口の集団性、組織性

 この特徴に該当する事件が過去になかったでしょうか?

 (1)地下鉄サリン事
 (2)松本サリン事件
 (3)坂本弁護士殺人事件
 (4)国松警察庁長官狙撃事件
 
 いずれも、オウム真理教が起こした一連の殺人事件として処理されましたが、(1)~(3)に至っては、①~③まで、その全ての要素が含まれています。オウ ム真理教は裁かれ、殺人の専門知識を有するテロリスト集団は無力化されたように思われています。しかし、今回、私たちへのテロの現場として選ばれたのは、 人が集まる駅前であり、毎日多くの政府要人、企業要人、官庁職員、企業社員がこれを利用する新幹線の車中であり、致死性を抑え、すぐに足が付かないように 巧妙化しているものの、基本的なやり口は地下鉄サリン事件の時と全く同じと言えます。私が伝えたいのは、一連のオウム関連犯罪が果たしてオウムだけの犯罪であったのかという疑念です。そして、真の犯罪者が裁かれもせず今でものさばっているとしたら、私たちが最近遭遇したのと同様、交通テロの危険は去っていないこと。再度、オウム事件と同じか、それを上回る無差別テロ攻撃の恐れが去っていないと判断されます。私は、日航機'事変'の隠蔽組織とオウム関連事件の実行者は、その手口・装備と無思想性から限りなく無く近い、あるいは同一犯であると見ています。彼らの 正体は前述したとおり、民間有力企業を含む、非正規自衛隊系組織、非正規警察系組織を主力とした国営テロ集団(国賊)およびその命令者なのです。国の組織 が国にテロを仕掛けるなど空想もしくはお笑いと思われるか、1936年の2.26事件から太平洋戦争突入までの状況と同様、社会の混乱と戦争を飯の種にし ている一団が社会の中枢にいることを歴史的事実として認めるかどうかは、読者の皆様の良識とご判断にお任せしたいと思います。

 RESPONDIT EIS IESUS AMEN AMEN DICO VOBIS QUIA OMNIS QUI FACIT PECCATUM SERVUS EST PECCATI
イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく、すべて罪を犯すものは罪の奴隷である」

 2010-02-26、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!32

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第31弾。荒れるブログの代表格になった転載元。しかし、お陰で様々な真相が見えてきた。それは、渾身の情報発信もさることながら、荒れるブログの賜でもある。おそらく、荒れ狂うことがなかったら、あぶり出しもこうまではならなかったであろう。重要な情報ほど、荒らしが湧くから、誰もがその真偽を注目する。昔から言っている。『大人しくしていれば、誰も気に留めもしないだろうに......。』。今は、ブログ本体情報よりも、コメント欄に情報の宝が潜んでいる。以下の情報もコメント欄から拾ったものだ。その他たくさんある。それ引き出す『雇われ工作員』の暗躍。これからはコメント欄に注目しよう。正に、『リチャード独立党サスペンス劇場』ならぬ『(新)日本の黒い霧劇場』だ。前回、日航機123便の飛行高度が、調査報告書の指摘高度より遙かに低空であったとの指摘があったが、それを裏付けると見られる目撃情報が多々ある。コメント欄にも多数寄せられている。その目撃情報は多方面からのものであるから、総合すると信憑性は高い。ソースが明らかなもので言うと、既報されている下記のものなどは、転載元ブログと無関係に掲載されたものであるので、参考になる。要は、真面目に真実を求めるものにとっては、いかなる騒音の中にあっても、確かな情報は拾い集める。騒音を奏でるものは隠したい意図があり、騒音に狼狽えるものは、所詮、真実など無関係に付和雷同する輩である。真実は、それを求めるものによって見いだされる。それは何があろうと、見いだされる。

 当時、横浜市に住んでいました。母親の実家が静岡県の南伊豆町。お盆休みで母は実家の南伊豆町に帰省していました。夕方過ぎ、気に外に出て母はあるものに目を奪われた記憶があると言っていました。それは低空飛行をする飛行機だったそうです。日航機123便の飛行ルートです。南伊豆町は伊豆半島の先端部分にあります。この飛行ルートを見ると、母が目撃した低空飛行の飛行機は123便の可能性が出てきます。母は〔やけに低い所を飛んでいるな〕と感じたらしいです。昔の母の記憶なのであいまいな点もありますが、ちょっと不自然な飛行機を目撃した事は間違いないようです。
 20年前の今日も間違いなく練習していたが、残念ながら上空を通過した日航123便には自分は気づかなかった。しかし当時練習を見守っていた父兄の人たちの中に目撃した人がいた。静岡市の場合、周辺の市どころか県内に旅客機が離着陸するような空港すらないので、通常はるか上空にほんの小さく飛行機が飛んでいるのがわかりそれがどこの会社の旅客機なのか? どころか自衛隊機なのかすらわからないほど小さく見える。そんな土地なのだが、この父兄の人の話では静岡市では珍しく機体が大きく見えて旅客機のようだというのもわかったらしい。しかも通常とは明らかに違う方向(北に向かっていった)なので不思議に思ったらしい。墜落事故は午後7時少し前だったが、当時練習が終わって帰宅して家でテレビを見ていたら8時くらいにはテロップ速報が流れていたように思う。ま、細かい時間覚えてないんだけど、最初の速報は旅客機行方不明というものだったと思う。
 事故機の高度がフライトレコーダーの記録より大幅に低かったたと目撃証言等から推測できます。(せいぜい3000m?)

 証言/3日ほど前に地元の静岡で釣りしてたら、おっちゃんに話しかけられて坂本Qの話になってさ、「昔、ここで釣りしてたらジャンボジェットが低空で高草山の上を飛んでったよ、んで家帰ってテレビ見たらジャンボジェットが墜落したってニュースでやっててよ。あれがそうだったのか、って思ったよ」つー話したぞ。ちなみに場所は静岡県焼津市の小川港ってとこな。高草山は標高1000mも無い山で、その上をすれすれで飛んでったらしいけどな。静岡通って墜落したんだな。

 証 言/伊豆半島で目撃された証言に,事故機が「ふだん見ている飛行機の倍の大きさ」とあるからだという.このことから,角田氏は事故が生じた高度は15000フィート(約4600m)だったと推定している。それで,角田氏が見たのは10000フィート,3000m程度ということになる。

 証言/角田氏は大月付近にキャンプに出かけ,そこで事故機を目撃しているという。事故機は北から南に向かって飛び、続いて南西に向かって飛んでいった。角田氏はこの飛行機について「民間機と瞬時に思ったのは窓が一列に沢山見えたからである。

 証言/M2様こんにちわです。ブッチャケ書きますが、自分はこの当時富士宮市に住んでいまして、墜落事故当時おかしな日航ジャンボジェット機?を見たんです。夕方、普段飛ぶ事のない高度(肉眼で航空機の垂直尾翼のマークが確認(日航ジャンボジェットクラス機、普段飛ぶ事のない空路(方向)に飛んでいく日航機を見たのを憶えています。123便が高度22000ftは6700mで飛んでいたなら別の便かもしれませんね。あれは待機だったのかな?航空機の垂直尾翼のマークが確認(日航ジャンボジェットクラス機でも6700mで飛んでいたなら見れませんよね。あの当時、もしかしたらって言うのがあったのですが別の便だったのかも知れません。6:30に急降下後低空飛行。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(7)2010-02-25

 本日は私たちを追いかける殺人集団のことを報告させていただきます。私にとっても不本意なことですが、あまりに程度が酷かったので無視するわけにもいかず、告発の意味を込めてここに掲載させていただきます。

 ■状況説明と映像

 2010年2月25日木曜日、のぞみ52号、東京行き。関西地方の取材の帰りにS氏と共に京都から乗車(20:16)。4号車2列D、Eの指定席に着席する。21:40/静岡駅を通過したあたりで車掌が車内を巡回。車掌が座席脇の通路を通過後、鼻を突く整髪料系薬品の匂いが漂う。遅効性の毒薬と判断し、すぐに車掌を追いかける。8号車の車掌室の前で所属を詰問した。こちらを向いて話そうとしない。正規の車掌と思われる別の人物が現れ「大阪の田中」と代理で名乗る。なぜ本人が言えない?一般乗客はもちろん、同車両に同乗し私たちを追跡していた、警察・公安関係者もまとめて毒薬を浴びた模様。当局の要員、携帯を片手に次々に席を立ち、洗面室へ。このときばかりは彼らを気の毒に思う。この「田中」を乗務員として入り込んだニセ車掌と判断。以下に顔写真を掲載します。残念ながらJR東海も国営テロ集団(国賊)のお友達企業と認定。

 写真1:車内の様子(乗車率 80% 位か)と 特急券
 写真2:ニセ車掌の「田中」と呼ばれた人物
 写真3:正規?車掌 と 車掌室に並んだ携帯電話、外部から指示か?

* * *

 S氏はこのような状況に何度も遭遇しているとのこと。これまで何人の要人が同じ手段で葬られ、苦しめられたのか。想像するだけでも恐ろしい。これが「法治国家」日本の実態なのです。

 QUI SPERNIT ME ET NON ACCIPIT VERBA MEA HABET QUI IUDICET EUM SERMO QUEM LOCUTUS SUM ILLE IUDICABIT EUM IN NOVISSIMO DIE
 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者には、彼を裁くものがある.わたしが語った言が、終わりの日に彼を裁くのである。
 2010-02-23、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!31

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第30弾。転載元のブログ『(新)日本の黒い霧』は、目に余るスパムコメントの嵐である。その目的は信用毀損であろう。しかし、そんなことで信用毀損はしない。ブログにわざわざ訪れる読者は積極的な関心を持つ人が多い。積極的に正体を晒すだけだ。彼らの多くは雇われた工作員に違いない。管理者には既に正体がばれている筈だ。IPアドレスを確認すれば済むことだからだ。同一のIPアドレスから何度もアクセスしているはずだ。多くても10人か20人ぐらいだろう。コメント欄は、管理者であれば、閉鎖も制限も掛けることは容易だ。内容に一喜一憂する必要はさらさらにない。そうしないと言うことは敢えて放任しているに違いない。丁度、誘蛾灯のようなものだ。雇われているから、それが仕事と割り切って集まる毒蛾が、言いたい放題、やりたい放題しているが、それらは監視されている。正体をさらけ出し悪態をつけばつくほど、逆にブログの内容が深刻且つ真相を衝く内容であることを世に示すことになる。全くの逆効果である。智恵が足らないというか、他にどうしようもないのだろう。所詮は、居場所のない奴隷種族のなれの果てと言うべきである。哀れと言うほかない。似非右翼が街頭に繰り出し、醜態をさらすのと寸分違いがない。結局は、集められ、衆人環視の下に晒されているだけなのだ。最初こそ良く知ったかぶりして後生大事に高説をたれているが何時までも続かない。俄作りの信用毀損工作も、その内実体を伴わないものだから、シュプレピコールならぬ意味不明の狂態を演じ始めて、せめてアクセス混雑を狙うのが関の山だ。これもスパム防止システムで捗らない。結局疲れるのは自分の方だ。止めるに止められないのは雇われ人の情けなさ。まんまとおびき寄せられ、自爆したと言うべきだろう。前回記事のコメント欄には笑ってしまった。FBI氏が登場して、なで切りに会った様は痛快であった。リチャードさんよろしく、管理人さんに敵うタマではないのだ。手玉に取られたのは、わき出た工作員諸君の方である。指令とあれば撤退も容易ではないだろうが、それよりか、自分の居場所を探す方が得策だと思う。己を失って他人の家に踏み込んで暴れてみたとて、得られるものはない。全くない。ブログ潰ししたとて、そんなものいつでもどこでも復活できる。意味のない話だ。寧ろ逆に宣伝協力しているようなものだから、本来の目的を逸脱している。それに気が付くべきだ。お陰で転載ブログの評価がいやが上にも高まった。おそらくはアクセス数も鰻登りだと想像する......!

 JAL123便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(1)2010-02-23

 ※訂正情報(2010.2.23 13:20) ×竜ヶ崎ウィング → ○尾ヶ崎ウィング

 周囲の危険な状況は相変わらずです。そんな中でも調査は進み、日航機事故の全貌がほぼ解明できました。S氏や私を追いかける狂った連中のことも告発を続けなければいけませんが、まずは当初の目的である123便の真相についての発表を急ぎましょう。本シリーズでは、反証を示すことにより事故調査報告書もと いボイスレコーダー(CVR)やフライトレコーダー(CFR)が真実を伝えていないことを証明していきます。その前に日航機事故とは何だったのかおさらいです。これまでこのブログでご紹介した事実を総合すると、その本質は軍事物資輸送を巡る日米ソを巻き込んだ軍事衝突であり、闇夜の戦闘の秘密、そして政治的弱みを抱えた日本国政府(あるいは裏政府・軍産複合体)が国民を欺くために仕組んだ壮大な虚構なのです。事故当日山に入った複数の地元住民の証言などを聞く限り、事故生存者は最大100名前後はいたと思われ、罪深くも、救出された4名以外は全て秘密隠蔽のため放置されたか、薬剤、火炎放射機、ナイフ等で惨殺されたか、あるいは拉致連行された痕跡があります。なお、本件に直接関与し国際関係における大きな秘密を共有したという意味では、米国・ソ連(現ロシア)ともに日本政府と同じ罪を負う立場にあると言えるでしょう。そもそも無辜の民間人が巻き込まれ、命を落とす理由など全くないのですから。日本の未来、これからの国際関係を展望したとき、今こそ日航機事故の真実を、国民に向け世界に向けて明らかにしなけ ればなりません。

 ■小川さんは何を見たのか?

 S氏が事故現場周辺で機体破片やミサイル破片を拾ってくる以前、この事故の唯一の物証と言われていたのが乗客の小川哲さんが機内で撮影した数枚の写真です。この写真は、ご遺族のご判断から、事故から4年後の1990年10月14日に朝日新聞の朝刊および他のメディアにて公表されました。まずはその写真をもう一度ご覧ください。  

 写真1:小川さんが機内から撮影した写真。手前の丘陵とその先の湾 (YouTube、TV報道ビデオより)
 写真2:小川さんが機内から撮影した写真。深い入り江の港湾 (朝日新聞 1990 10月19日朝刊より)
 写真1,2共に共通するのは、窓の外に景色が写り込んでいること。写真1は丘陵と海岸線、写真2には奥まで続く深い入り江、おそらくどこかの港が写っています。これから、これらの写真を分析していきますが、まずは撮影者の小川哲さんがどこの座席に着座していたのかを下図1で確認してください。図では、機体後方右側の窓から2番目の席に着座していることになっていますが、実際にはご家族の中で任意に席を決めていたと思われます。しかし、写真2の写真に機体 主翼の右端が写っているので、少なくとも小川さんが右側に窓を見る位置に座っていたことが確認できます。

 図1:小川さんの着座位置 赤丸:小川さん御一家、黄丸:川上慶子さん(生存者) 敬称略

 ■三浦半島でない理由

 件の朝日新聞の記事では写真1は「相模湾と江の島、富士山」、写真2は「川崎の工業地帯」であろうと仮説を挙げています(ただし、断定はしていない)。まずは写真1が本当に朝日新聞の仮説通りなのかを検証してみましょう。まずは叩き台として、事故調発表の123便の飛行経路図(図2)を掲載します。図2:事故調査委員会発表の飛行経路。この経路図から、江ノ島・富士山に向かって手前の丘陵と奥に相模湾が広がる方向を探し出します。図3の矢印の方向を見てください。図3:三浦半島から江ノ島・富士山を眺める方向?。この時123便は4000m近く上空の、三浦半島の沿岸からは7~9km離れた地点を飛んでいます。もしも事故調発表のこの飛行経路上から富士山を眺めたのだとしたら、手前に見える丘陵は写真に写った部分だけでも1000m位の標高がないと、このようには絶対に写りません(計算方法は後で説明します)。三浦半島に1000m超級の山地などない、せいぜい200m程度であることは、神奈川県に在住の方ならご存知のはずです。仮に、200mの程度の小山が写真1のようにそれなりの丘陵に見える位置を飛んでいたとするならば、123便は三浦半島上空400~500m、横須賀市の 南西を南に向かっていたとみなすしかありません(計算過程は省略します)。しかしそれだと、江ノ島とみなされる沖合いに浮かぶ小島と、その先の小田原・熱海までの距離感、あるいは写真中央よりやや左側に鎮座しているはずの箱根山との高さが全く折り合いません。海岸線の形状も、どうも地図にみる相模湾とは著しく異なるようです。どうやら、朝日新聞の「三浦半島から江ノ島・富士山を望む方向」という仮説は、事故調発表の飛行経路との整合に無理があるだけでなく、飛行経路を無視して地形と突き合わせ場合でも写真にピタリと合致させるのは難しいようです。「富士山」と呼ばれている山型の黒い輪郭も実際には雲の影のようにしか見えません。

 ■写っているのは伊豆半島東岸の白浜海岸

 三浦半島でなければ写真に写った背景はどこなのか? S氏と私は、何度か伊豆半島の入り江の形状を調べに現地に向かい、ついに小川さんの写真に写り込んだ背景と思われる場所を発見しました。以下、その場所と特定するに至った根拠を示します。写真3は写真1の注目ポイントにマークを施したもの、写真4-Bは私たちが特定した、写真の背景と思われる場所(白浜海岸)の写真です。

 写真3:写真1のチェックポイント
 写真4:A ジャンボ窓枠(実物)と、B 尾ヶ崎ウィング(休憩所)から窓枠を通して見た白浜海岸

 図4:白浜海岸付近の地形図(Googleマップより)

 ここで、写真3のチェックポイントと写真4、図4を対比させます。なお、地形を比較する上で、事故当時と取材時の潮位の違いを考慮しなければなりません。

 写真3撮影時刻 1985年8月12日 18:00- 19:00  平均潮位 152cm (東京港湾局)(*1)
 写真4撮影時刻 2009年12月7日 16:00- 17:00 平均潮位 141cm (東京港湾局)

 また伊豆半島東岸、伊東市の年平均潮位の推移から、伊東市、初島付近を中心に顕著な隆起(*2)が観測されています。データから類推すると、1985年か らおよそ30cm程度の隆起が見込まれます。その分だけ現在の海面は低くなる、すなわち、事故当時の東京港湾の値に対する潮位の低下として現れていると考えれば、事故当時の潮位と現地取材時の潮位の差は141 - 152 - 30  = -41  (cm)となります。データの示す水域が異なるので、必ずしもこの通りとは言い切れませんが、取材時の見かけの潮位は事故当時に比べておおむね3~40cm 前後は低かったであろうと予想されます。これだけ潮位が異なっていれば、細かい海岸線の形状は小川さんの写真に比べて大きく異なっていると考えなければな りません。簡単に言えば写真4-Bは海上部分の増加として映像に現れてくるのが当然です。

[*1]東京港湾局 http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/choui/kako-harou/kako-index.htm
[*2]伊東の潮位 http://cais.gsi.go.jp/cmdc/center/graph/kaiiki3.html

 ■白浜海岸が写真の背景と認められる3つのポイント

 写真3に示した比較用のチェックポイントについて解説します。① 海に突き出した部分、② 海上に見える小さな影、③ 本根岬山頂部の形状、④ 空中に浮かぶ黒い物体 (これについては次回以降に解説)。

 ①の先端部分は、写真4-B では海面上に小高く現れた岩の周囲、図4からは本根岬の南側の付根に突き出した小さな岬とその先に小さく固まる岩礁地帯であると推測されます。この小岬から独立した先端の岩礁地帯の特徴がはっきりと写真3に現れていませんが、これは手前の山が重なって写り込んでいるためか、あるいは、写真4-Bをよく見れ ばわかるように、この岩礁地帯の平たい部分は人工建造物であり、港湾整備のため24年前と地形が変化したことなども考えられます。②の影については、写真 4-B、図4によればそのすぐ岸側に見えるのが小さな漁港であり、状況からみて、この影は岩礁ではなく、漁港を出たばかり、あるいは漁港に戻る途中の漁船 であったと考えられます。判断にとって決定的だったのは、写真4の手前に写った丘陵③の形状で、左側の円錐形の頂上部と右側にかけて緩やかに上る鞍型の尾根の形状が、図4に示した 本根岬の等高線と見事に合致しています。この他、対岸の海岸線が描く緩やかな2段構成のカーブラインがたいへん酷似している点、背景の寝姿山に続く丘陵の 傾斜の度合いなど、全てを考え合わせると、この地が写真1の背景である可能性はかなり高いと判断されます。これまで私たちは、地図上における地形の検証、および三浦半島から伊豆半島の全海岸線を経由して、静岡県の焼津まで全ての沿岸を実施調査し、写真1、およ び写真2の該当地域を探してきましたが、写真1については、伊豆の「川奈」など、複数の候補地があったものの、結局この白浜海岸付近以上に写真に近い特徴 を有する場所を他に見つけられませんでした。御巣鷹の尾根に至るまで、123便は1度ならず何度か、必ずどこかの海岸線を横切っています。小川さんの写真の背景となる所は、三浦半島から焼津までの海 岸線上のどこかに存在しなくてはなりません。ですから、前述した現場検証を以って、伊豆半島東海岸、下田市白浜海岸・本根岬一帯が、小川さんが撮影した写 真1の背景であるとここに断定したいと思います。

 ■事故調査報告書に現れない高度と進路

 背景となる場所が特定できたことにより、地図データと、実測値を用いて123便の飛行位置、飛行方向と飛行高度の計算が可能になります。幸い、私たちは123便の窓枠の実物を御巣鷹の尾根で回収しており(写真4-A)、その横幅が31cmであることが測定できています。ガラスが取り付けられたときの実際 の内のり幅は、3cm減の28cmとみなし、小川さんが窓から50cm離れたところで撮影したと仮定すれば、飛行位置と方向は図5のように、高度について は図6の様に、三角測量の要領で計算式を使って求めることができます。

 図5:123便の飛行位置と方角 伊豆の東海岸を東に向かって飛んでいる

 図6:123便の飛行位置と高度を計算するための初期条件

 計算は、相似や三平方の定理など、中学校レベルの数学の知識があれば十分可能です。三角関数の近似計算法(高校数学)を知っていればより計算が楽になるでしょう。これらの計算から導かれた結論は次のようになります

-- (新)日本の黒い霧 結論 --
 「JAL123便は、伊豆半島下田東岸にある天領山の上空をほぼ真東に向かって飛行している。その高度はおよそ 700m」。

ちなみに、事故調発表の飛行経路からは

-- 事故調発表 --
 「JAL123便は、伊豆半島下田、白浜海岸の上空 7000mを西に向かって飛行した」と読み取れます。事故調ではレーダー記録とフライトレコーダ(CFR)を解析した結果ということですが、方角も高度も私たちの導いた結論とは全く異なります。 ジャンボのような大型機が今にも着陸せんばかりの超低空飛行をしていたわけですから、コクピット内の会話も公表されたボイスレコーダー(CVR)とは明ら かに異なっていたでしょう。この時すでに「何か爆発したぞ」などと、のんびり機体の状況を確認していられるような状況でなかった。少なくとも、小川さんの 写真はそのことをはっきりと私たちに伝えているのです。では、123便はなぜこのような異常な飛び方をしたのか?、そして写真2に写った場所はいったいどこなのか? これらの疑問の回答については次回以降に本シリーズの続きとしてお知らせします。また、123便が御巣鷹上空まで操舵能力を保ち続けた事実(迷走飛行はなかった)、相模湾上空に旧ソ連軍のMIG-25戦闘機が現れ、少なくとも海上で1機が撃墜された可能性についてなど、これまで日航機事故の真相究明で取り上げられることがなかった新事実についてもお知らせしたいと思います。
* * *

 以前の記事で、私がなぜボイスレコーダー(CVR)の分析を行わないのか、その理由について少し触れたことがありましたが、今回、改めてその理由がご理解 いただけたのではないかと思います。小川哲さんの写真を厳密に解析して得られた結論は、公表された事故報告書や、CFRやCVRのデータを真っ向から否定するものなのです。CVRを聞いて心を震わせた皆さん、CVRを分析し真実を突き止めようとした皆さん、残念ながら、CVRの音声が公表されてからのこの10年間、皆さんはその良心・良識を悪意ある人たちにただ弄ばれていただけなのです。このまま誤った道を歩み続けても真実に辿り着くことは永遠に叶いません。これまでの手法を改め、もう一度足元から事実を積み上げること、それ以外に真実に近づく王道はないのです。

 DIXIT EIS IESUS SI CAECI ESSETIS NON HABERETIS PECCATUM NUNC VERO DICITIS QUIA VIDEMUS PECCATUM VESTRUM MANET
 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」。

 2010-02-11 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!30

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第29弾。緊迫する日々が続いている模様だ。しかし、ガンバレ! そう心の中で祈るしかない。日本は痩せても枯れても法治国家だ。法は国民主権で決まる。この前提がある限り白日の無法は許さない。みんなが眺めている。もし何らかの変調があれば見逃さないだろう。数万、あるいは数十万の心ある国民は、推移を見守っている。これまでに情報は全てキャッシュされた。これは一人投稿者ばかりではないだろう。もしも不測の事態になれば、数千の告発が行われるであろう。これは間違いない。真実は必ず顕れる。 このエンジンは何だ。確たる物的証拠ではないか。これを撮影し、且つ、展示し又、その資料を提供した者全てに説明責任がある。最も責任があるのは、その事実を知りながら、原因調査をした事故調査委員会は、言い逃れできない。改めて真相解明が求められる。それが草原の野火となって広がって当然である。


 電磁波による無差別攻撃
 http://www.youtube.com/watch?v=0b-B2mPDGB8

 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(10)、2010-02-11

 ご心配をおかけします。今日も何とか生きています。昨日、1週間ぶりに千葉県市川市内の喫茶店で国際軍事評論家のB氏と打ち合わせを行いました。いつもど おり、公安、警察の関係者数名に周りを張り込まれた、緊張の中での接見でしたが、何とこの中で電子銃を向けられるというとんでもない事態に遭遇しました。鈍感な私は相変わらずなのですが、打ち合わせ後半にはB氏がすっかり神経を参らせてしまい、場所の移動を余儀なくされました。場所が場所なので人にカメラを向けられませんでしたが、電磁波測定機のメーターを動画に撮りましたのでそれをご覧ください。

 http://www.youtube.com/watch?v=0b-B2mPDGB8

それにしても、無関係な店のお客さんや店員さんはもちろん、同じく内偵に来ていた当局の調査員まで、この店に来ていた全員がこの強い電磁波を浴びせられ続 けていたわけです。荷物を隠して怪しいそぶりを示していたのは店の奥に座っていた、既に退官していると見られる初老の元自衛隊員風の男性。場所を選ばず、 敵味方の識別などもおかまいなし。こんな狂った連中なら、日航機を落とそうが、生存者を抹殺しようが、サリンやVXガスを撒き散らかそうが、菊の御紋を踏 み荒らそうが、とにかく何でも平気でやってのけるわけです。それはともかく、当局関係者を含め、店にいた他の皆さんの健康状態が気になります。

 ■写真に刻まれたRC-135のエンジン

 今回は少しだけ本題に触れたいと思います。「そしてミサイルは発射された(9)」 で、第3エンジンの写真がB747(ジャンボジェット)のものかRC-135のものか考察を行い、結論としてB747のものと判定しました。ところが、先 週、上野村の「慰霊の園」の展示室を訪れたとき、それに関連するとんでもない写真を見つけてしまいました。まずは、その写真をご覧ください。

写真1:エンジン回収作業中の写真(「慰霊の園」に展示してあったもの)

 ここでもう一度、両機種のエンジン径に関する情報を掲載しましょう。

    B747: P&W JT9D系 約2.3m (モデルにより数センチ程度異なる)
  RC-135: P&W TF33系 約1.0m (軍機なのでカタログ通りとは限らない)

 上の写真はどちらのエンジンに見えるでしょうか?もしこのエンジンがB747のものだとしたら、ここにいる作業員は全員プロレスラー張りの大男たちという ことになります。まどろっこしい表現は止めましょう。径から見れば、このエンジンはTF33系エンジン、B707もしくはその軍用版であるRC-135のエンジンなのです。

 写真2:米空軍のRC-135

 「オバマ大統領訪日に寄せて」で、その機体破片から米軍RC-135の墜落可能性を指摘しましたが、回収されたエンジンからもそれが裏付けられたわけです。これが言い過ぎだとしても、少なくともB747以外の航空機が、事故当日に墜落していたことを証明する貴重な一枚であると言えます。このブログで出したからには掲示を取り下げられてしまうかもしれませんが、ぜひ、読者の皆さんもこの写真を見に、群馬県上野村にある「慰霊の園」に訪れて みてください。この写真がなくなっていたら、上の写真のプリントを見せて「ここに掲示してあったはずだ」と管理人に問い合わせてみてください。また、慰霊 の園の右奥の林の中には、目立たぬようにECCM(対電子妨害攻撃)アンテナ塔が立っています。こんな所に立てておいて、携帯電話用アンテナとは言わせま せん。こちらもぜひ見学していってください。よろしければ、現地の民宿に宿泊して事故当時の話などを尋ねてみれば、きっと今でも新しい知見を得られること でしょう。

 写真3:慰霊の園の傍に立てられたECCMアンテナ塔

* * *

 OMNIS QUI ODIT FRATREM SUUM HOMICIDA EST ET SCITIS QUONIAM OMNIS HOMICIDA NON HABET VITAM AETERNAM IN SE MANENTEM
 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎むものは人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない

 2010-02-09、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!29

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第28弾。

 大体、工作員の素性が明らかになってきた。リチャードさんの事務所・自宅に押し寄せたあの醜悪なグループに軌を一にするグループであることは間違いない。それにしてもそういう連中が、法治国家日本を自由に闊歩している現実が、到底、受け入れがたい。この平和惚けした日本に戦場のような現実がある。いろいろ議論もあるだろうが、交通警察官(白バイ隊員)が拳銃を携行している写真には本当に驚いた。映画のシーンならまだしも、これが実写であるとしたなら問題だ。日時、場所を特定して、監察問題にしなければならない。幸い、人着(人相・服装)は特定されている。しかも、利き手の手袋を外していることは、拳銃使用を意図していることは確かだ。本物の交通警察官では取る必要のない行動だ。正に紙一重の切迫感を伝えている。人相をよく観てみると際だった特徴がある。民族差別になる可能性があるので、ここでは書かないが、誰もが直感する人相である。ひょっとすると、ブログ読者の中ではこの人相に思い当たる方がいるかも知れない。出自を明らかにする必要がある。本物の警官であるなら監察問題だ。偽警官であるなら明らかな犯罪の可能性がある。注視しなければならない。

 偽装捜査員(1)

 http://www.youtube.com/watch?v=XexKmdyJoyg
 偽装工作員(2)
 http://www.youtube.com/watch?v=6LGacfr9I68

 JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(6)、2010-02-09

 最近、本題の日航機事故調査の報告ができなくて心苦しく思っています。前回の記事にも記したとおり、国営テロ集団の圧力が日増しにひどくなっており、安全確保に時間が取られてしまうような状況です。家を出てから買い物に行くまで、全て監視付きの状態で、片時も気が抜けません。この国の民主主義とか言論の自由とかは全くの幻想であったことが今はっきりとわかりました。権力も武器も持たない我々に反撃の術はありません。ささやかな抵抗として、テロ集団がどんな連中かをこのブログを通して訴えるのが精一杯の手段です。本当にもう明日はないとの気持ちでこのブログを書いています。もしこのブログの更新が止まっても、彼らの非道な行いに立ち向かう方、123便の犠牲者の御霊に尽くす方がきっと現れんことを、せめてもの慰めとしたいと思います。

 ■国営テロリスト達の素顔

 今回も、我々が記録した映像とその解説を掲載します。

 (1)銃を持ち、待機姿勢をとる謎の人物

 写真1:膝に横置きしている物に注意

 時期が前後しますが、今年の1月頃、雄巣鷹の尾根周辺を歩いていたS氏が目撃した人物です。国際軍事評論家のB氏によると、膝に置かれているのは、世界の特殊部隊で採用されている'FNN daks'という特別な拳銃の銃身だとのこと。ただし自衛隊への導入実績はないはずだとおっしゃっています。S氏はこの人物にかなり接近していますが、その拳銃は膝に置いたままで特に警戒態勢も取っていません。よく目立つオレンジ色のキャップも不可解です。この時、S氏に対しての敵意はないと判断されるのですが、猟銃ならともかく、特殊拳銃を持った人物が雪積もる御巣鷹に鎮座しているというのはどういうことか理解に苦しみます。

 (2)ニセ交通警官

 写真2:一見、普通の交通警官だが・・

 S氏がスピード違反で車を止められた時、警官の挙動がおかしいので警戒してビデオと写真でその様子を撮影したものです。B氏によると、この人物は交通警官ではないとのこと。一般に交通隊は事故で意識を失った場合に拳銃を抜き取られないよう、違反取締り時には銃を携行しません。また、この写真の警官は左手に手袋をはめているのに、右手は素手で拳銃のそばに置いている。隙あらば銃撃する体制が整っています。S氏が無防備に応対したら頭を一発やられていたで しょう。

 (3)S氏の自宅周辺をうろつく工作員

 ゼンリン動態図の調査員を語って、S氏の自宅を覗き込む工作員。その挙動を見れば多くを語る必要はないでしょう。彼らは、ヤマト運輸、佐川急便、etc. 何にでも化けてやってきます。これらの企業が彼らの協力者(お友だち企業)でないことを祈るのみです。

http://www.youtube.com/watch?v=XexKmdyJoyg
http://www.youtube.com/watch?v=6LGacfr9I68


 (4)尾行する車と運転者

 写真3:尾行車両(麻賀多神社の駐車場にて)
 写真4:尾行車両の運転者
 写真5:麻賀多神社、菊の神紋の鳥居

 我々は、現地調査の後には、なるべく千葉県成田市にある麻賀多神社へ寄って慰霊報告の参拝をすることを常としています。神社の駐車場に止めた私たちの車の後に、ライトを消してピタリと付けている軽自動車。明からさまな嫌がらせを受けたので、運転者をフラッシュを焚いて撮影しました。この運転者、目を見ればわかるように、完全に薬物で逝った目をしています。また、手元のタバコの吸い口をギュッと握り締め、極度のストレス状態に陥っていることが見て取れます。車のナンバーも「1248」という等比数列型の番号です。これは、旧日本陸軍の典型的な採番方式で、富士や熊谷の連中のものであることがすぐにわかります。明らかに偽造プレートであり「習志野」の地方名も、習志野駐屯地(正規側)を犯人に仕立てる意図が見受けられます。そもそも、このラリった婦人自衛官のおばちゃん、フラッシュを焚かれたことに文句の一つ、怪訝な顔一つ見せませんでした。S氏は言います、「神社という神聖な領域を薬物依存者のような人間が汚すのは許しがたい」と。そのとおり、この連中は、菊の御紋を掲げるこの伝統ある神社を平気な顔で陵辱しているのです。どうしてこんな人たちが、愛国者などと言えるのでしょうか。思想も崇敬の念もない、つまり「テロリスト」と呼ばれる資格すらない。ただの「人殺し集団」、いいや、国賊と呼ぶのが最も相応しいと私は思います。
* * *

 私はクリスチャンですが、信仰とは己の心の中の神性に従うことだと思っているので、狭義の教派・教条、形式主義には囚われないよう常に注意しています。祖先が古くから神宿る場所と定めた地は、まさに祖先の神性を投影した聖なる土地です。どんな民族、宗派であれ、心の聖地は守られなければなりません。そして、理不尽な死を遂げた我が同胞達(日航機事故犠牲者)の魂を彼らの聖地に取り戻すことこそが、私たちが危険を冒して調査を続ける一番の理由であり、原動力なのです。私は、政府・警察・自衛隊の中にも国営テロ集団に属さず、良識に従う人々も多いことを知っています。ですから、これまでなるべく両者を一緒にしないよう 表現に気をつけてきたつもりです。しかし、テロ集団と化したニセ自衛隊やニセ警察(公安)をこのようにのさばらせ続けていては、やがてはその不作為を国民 から問われることになるのは必定です。それは同時にあなたたちが国賊に成り下がることを意味します。大義を以って身中の虫を排するか、国賊に成り下がるか、決断するのはまさにあなたたち一人一人の心の神性にかかっているのです。

 SANCTIFICA EOS IN VERITATE SERMO TUUS VERITAS EST
 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言(みことば)は真理であります

 2010-02-07、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!28

 謎が多い日本航空123機墜落事故。しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!! 第27弾。

 想像はされたものの、凄い展開になってきた。真に受けるか、荒唐無稽か判断するのは読者に委ねるしかない。投稿者としては、シニカルに感ずるが故の転載である、とだけ言っておきたい。リンクされてある動画は、下載した。データーは既にダウンロードした。せめてもの加勢である。


電磁波照射車両

http://www.youtube.com/watch?v=V6dGLuWlzTM
国営テロ部隊の襲撃(1)
http://www.youtube.com/watch?v=sBRAHu4o8CI
国営テロ部隊の襲撃(2)
http://www.youtube.com/watch?v=o_2JdvtMCqA

 内容は心して読んでほしい。予想されたように松本サリン、オウム、VXと来れば、何を意味するか大凡想像される。ついでに臼田宇宙空間観測所の写真も添付しておこう。多くを語ることは、今回ヤボであるから、とにかく読んで頂くこととして、拡散を出来ればしてほしい。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(5)2010-02-07

 123便の調査活動を続けて1年余り、事態は全くもって憂うべく様相を見せています。S氏の自宅ならび私の自宅周辺を不審車両、不審者が頻繁に行き交うようになりました。時には自宅敷地内にも侵入してきます。危険レベルとしては極めて高い状況に追い込まれています。それもまたそのはずでしょう。私たち は、ここに至って、とんでもないものを発見してしまったのですから。2010年1月26日、ちらほら雪が残る厳寒の事故現場、その中でも4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流付近で、S氏は次のような瓶(写真1)を拾ってしまったのです。これまで、多くの機体破片、ミサイル破片を探し出してきたS氏も、このガラス瓶を見つけた時には直感的に危険を感じ、直接手に触れないようビニール袋に何重もくるんで私の所まで持ってきました。写真1:スゲノ沢上流付近で拾ったガラス瓶。精密分析にはまだ出していませんが、(1)瓶および栓の形状とサイズ、(2)プルアップ式に開栓されている状況から多くのことがわかりました。知人の医薬関係者にこの写真を見せ、(1)の観点で判断を求めたところ、次のようなコメントを得ました。「このような薬瓶は見たことがない。瓶にある程度の厚みがあり、栓の密封性が高いことを考え合わせれば、液体爆発物か毒物のどちらかを保存する容器だと思う」。また、国際軍事評論家のB氏には実物を見ていただき判断を仰いだところ、「携行に便利なサイズと強度で栓の密封度は強固。しかも、プルアップ式開栓を採用することで、必要時には即座に使用できるようになっている。軍用の様式を満たしており、断定はできないが液化した毒ガスが入っていた可能性が高い」との回答を得ました。

 このガラス瓶、日航機事故に関係するものなら24年以上も風雨にさらされており、残留物があったとしても極々微量のはずです。ところが、これを届けてくれたS氏は2日間ひどい頭痛を患い、B氏に至っては鑑定途中で身体に異変を覚え、即座に袋に戻すよう私に指示し、その後帰宅してから1両日寝込んでしまいま した。ケロッとしているのは、身体的に鈍感な私だけという始末。極微量で人体にこれだけのダメージを与えるものとは何か? B氏によると「サリンでないことははっきり言える、推測による発言を許してもらえば、これはおそらくVXガスの容器でしょう。根拠は何かと問われれば私の身体反応です」。(2)のプルアップ型開栓からも多くのことがわかります。開栓してある状態であることから、積荷であることは考えづらいし、少なくとも特殊な薬剤であろう この瓶を、揺れる機内でわざわざ開けることも有り得ない。考えられるのは、後から誰かがここに来て、この瓶の蓋を開けたということです。この瓶の蓋を開けて何をしようとしたのか? おそらくそれこそが、「闇夜に蠢くもの(4)」 のM氏の証言[10]にある「(1時間後には)谷の呻き声がピタリと止んでいました」の答えなのだと想像されます。暗視装置を装着し、アーミーナイフを手にした彼らは、生存者殺害の目的で何か毒を携行していたとは考えられないでしょうか? だとすれば、それがVXガスだったという推測も、それほど的外れでないと思えるのです。

 VXガス・・・史上最強の毒ガスと言われ、オウム真理教が、坂本弁護士を殺害するのに使われたと言われる、神経性毒ガスです。しかし、坂本弁護士事件につ いては、「週間金曜日」などによると、真犯人はオウム真理教ではなく公安であり、公安のこれまでの犯罪行為を告発しようとした坂本弁護士を彼らが殺したと いう説もあります。

 私たちの活動を妨害し、あわよくば殺害の機会を伺う集団、それは熊谷基地を初めとする自衛隊の非正規部隊、そして公安。B氏によれば公安にも2種類あり、通常のそれの他、謀略・殺人を専門とする「謀略隊」、通称「ゼロ部隊」があると言います。航機事故の真実追求活動を通して、明らかに彼らが一体となり、国営テロ集団を形成していることが、朧げながらわかってきました。当初、この問題究明に取り掛かった時には全く予想もしていなかった展開です。「VXガス」、「公安」というキーワードから、やはり日航機事故が前世紀の怪事件である松本・地下鉄サリン事件と繋がってきました。もはや日航機事故の真相とは、本件単独の問題で完結するものでなく、戦前戦後から連なる日本社会の黒い霧の中に潜む鵺(ぬえ)のような組織の存在を抜きにして語れないものであると確信しています。以上、推測を含みますが、写真1のガラス瓶にスペクトル分析をかければ全てが判明するでしょう。薬瓶の中身から、その製造者、そして、坂本弁護士事件で使用された薬剤との共通点まで。ただ唯一の問題はこれを告発するまでS氏や私が生きていられるかどうか、それだけなのです。しかし、できることならば、分析云々の前にやっぱり関係者から真実の告白を聞きたいです。陸上自衛隊大宮駐屯地、化学学校の井上先生、あなたはこの写真の瓶がいったい何であるかをご存知のはずです。日航機事故、そしてサリン事件と、あなたたちがどう関わったかを国民に向けて全て話してく ださい。それができなければ科学的データを以ってあなたたちを売国奴以下の、ただの人殺し集団と認定するしかありません。

 なお、国営テロ部隊の妨害活動については、取材中に撮影したビデオ動画をアップロードして、この問題に関心を寄せる全ての読者様にお知らせしたいと思います。この平和ボケと言われる日本には、政府でないニセ政府が存在し、自衛隊でないニセ自衛隊や、警察でないニセ警察を使って国民を弾圧し続けている現実があることをぜひ知っておいてください。その前提知識を抜きにしたまま日航機事故の真実を理解することは永久に不可能です。

---- 以下 公開映像 ----

 (1)電子銃搭載車に襲われた時の様子(付電磁波計による計測)

 表向きは人体攻撃用の電磁兵器は存在していないことになっていますが、自身の経験から実際には警察・公安・自衛隊内に国民弾圧用の非殺傷兵器として広く導入されていると考えられます。いったい、これまで、どれほど多くの国民が事故という形で電磁兵器に殺されていたのでしょうか。日航機事故だけでなく、 こちらの問題についても深く追求していかなければなりません。ちなみに、123便の墜落後、雄巣鷹山周辺に展開した米軍機や人員、ソ連機、自衛隊機、それらを最終的に(一瞬で)殲滅したのは、臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナから発射された電磁パルスビームであると私は見ています。その根拠については、後日、現地取材したデータを元に解説したいと思います。

 http://www.youtube.com/watch?v=V6dGLuWlzTM

 (2)道路上で国営テロ集団に襲撃された時の様子

 中央道から圏央道に入ったところ。それまで後ろを付けていた部隊車が中央道からガラガラの圏央道に流れ込む様子。高輝度ライトを点灯させ自損事故を誘う危 険走行を繰り返す。追跡してくる車の数から、そこに投入される予算の規模を計算してみてください。一民間企業・団体でこのレベルの動員を毎日繰り返すことが不可能なのは一目瞭然です。明らかに国家単位の資金が投入されています。

 http://www.youtube.com/watch?v=sBRAHu4o8CI

 http://www.youtube.com/watch?v=o_2JdvtMCqA

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 ET HOC MANDATUM HABEMUS AB EO UT QUI DILIGIT DEUM DILIGAT ET FRATREM SUUM
 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

 2010-01-29 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!27
 謎が多い日本航空123機墜落事故 しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!それが一変するかも知れない.......。渾身の情報が発信されつつある!!第26弾。
 
 前回JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(3)は、まさにチャット劇場となったコメント欄、ちょっと異常である。コメントは本来、管理者に対するものであるが、コメント対コメントとなるとチャットである。管理者ブログ内容は単なるテーマに過ぎない。どうしてこういう事になるかというと強力なコメント氏が登場するからである。そのコメント氏に対して他のコメント氏から反応が出る。これも当然である。しかし、それまでである。こんなに炎上するのは、別の理由がある。強力なコメント氏はリーダーである。その下に眷属が多数いる。それらが連携して煽り合うから炎上する。これはブログの信用力低下の謀略の一種と観て間違いない。その首謀者が誰かと言うことであるが、それは詳細にコメントを検討すると見えてくる。普通、投稿者は注目するブログを注意深く読むが、コメント欄は2の次とする。ところがこのブログだけは別である。コメント欄に取り分け注目した。それは、真相の解明には、コメントによる情報が隠された深層を引き出すことになると直感したのである。あぶり出しは殊の外、祝着の様子である。管理者の身の安全は最優先されなければならない。しかしながら、身の危険は伴うかも知れないが、管理者に対する危害は、新たなる犯罪の現在進行形となることは必定で、いわゆる劇場犯罪となる。そんなリスクを冒すはずがないし、できるはずがない。だから、ブログ潰しを仕掛けてきたと観ている。ブログ潰しはいろいろな方法がある。最も直接的な方法は信用力低下工作であるが、これは管理者の胆力で防ぐことが出来る。次に来るのはポータルサイト攻撃であろう。コンプライアンスを盾に難癖をつけるのであるが、気弱いポータルサイト管理者を脅して、閉鎖に追い込む事が現実に行われる。これも限定的である。いくらでも回避したり出没は可能であるからだ。ネット上で流出した情報は決して抹殺することは、もはや不可能である。埒もないつまらぬ情報は噂も75日でその内消滅するが、真相は必ず誰かに引き繋がれる。真理は必ず顕れるのである。本転載ブログは気長に続けられると信じている。そして、これは予感であるが、日航機123事件は相当深い闇を暴くことになると観ている。希に見る凝縮された黒い霧を晴らす糸口になるかも知れない。
  JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(4) 2010-01-28

 先週末から今週明けにかけて、上野村への取材を敢行するS氏への妨害がより悪化しました。行く手の妨害にとどまらず自宅の周りを数分おきに巡回する念の入れようで、多少の危険にはひるまないS氏もしばらく取材から離れての逃避行を考えました。私も避難場所の手配などをしましたが、どこに逃げたところで、日航機事故の真実を隠蔽しようとする勢力がのさばっている限り、この国の将来が暗澹たるものであることに何ら変りはない、それだったら出来る限りのことをしてみよう、そのような思いで今週も毎日現場に向かっています。ですから、彼との連絡はほとんど生存確認みたいになっています。私も彼のひたむきな行動をサポートするためにも取材で得た事実をどんどん公開していきたいと思います。幸いなことに、彼の活動を知る地元の方から「ブログの更新はまだか」、「早く真実を表に出してくれ」と声を掛けていただけるようになりました。私、そしてS 氏もそのような応援が一番の励みです。500人以上の犠牲者を出した大事故(本当は事件)が疑いを残したまま放っておかれて言いはずがありません。犠牲者、その遺族・関係者、そして現在に至るまで理不尽な圧力を受けている地元の人々のためにも真実追求の声を大きくしていくべきです。

 ■熊谷基地視察レポート

 先週21日、S氏に同行して上野村に取材した帰り、このブログで何度も取り上げた、航空自衛隊熊谷基地に向かいました。予想はしていましたが、夜中の11 時過ぎ、片道2車線の国道140号線に入ってからは前後、脇とも妨害車両に囲まれ、そのほとんどが電子銃搭載車で不快電磁波を始終浴びせられ続けました。電磁波攻撃に耐性がある(鈍いだけですが)私でも激しい脱力感を覚え、運転をしているS氏にいたっては視線が定まらないたいへん危険な状況に陥りま した。これまで、反応を調べるため他の自衛隊の基地、駐屯地の前に接近したことがありますが、こんな手荒い出迎えを受けたのは北富士や富士駐屯地を構える静岡県、山梨県以外ではここだけです。これじゃまるで、「俺達には隠し事がある」と教えてくれているようなものです。ふらふらになりながらも、ますますこの基地を見ずには帰れないという気持ちが高まりました。さて、それでもとにかく、熊谷基地前にあるコンビニに駐車して、駐車場から基地の概観を観察しました。一瞥して最も気になったのは、基地脇の工場に大きな煙突があること。目測で高さがおおよそ50mくらい、直径3,4mくらいでしょうか。あとは基地内にありふれた通信用の電波塔が一本立っていました。目立つ構造物の観察の後、基地の周りを一周しましたが、特に印象深かったのは、とにかく官舎が多いこと。まるでどこぞの団地みたいな様相を呈していることです。4~5階の中層の官舎が基地内の外周部に続いており、人数でいったら2,3千人、それ以上は住んでいるのではないかと思われる規模です。事務棟は基地の中央部にあるようで、印象としてこれだけの人数をいったいどこに収容するのだろうかと心配になってしまいました。以上、概観としては目立った軍事施設はなく平和的な雰囲気すら漂う基地なのですが、下の写真1を見ると「んんん?」と唸ってしまいます。写真1:電波棟に接近する煙突群。写真1は、同基地で毎年4月に開催される「さくら祭り」の見学者がネット上に掲載していたものです。電波塔と煙突が随分と接近していることがわかります。その間ざっと300mくらいでしょうか。パラボラアンテナは煙突の方向を向いていないので一見問題なさそうですが、いくら何でもこの近さでは一般通信で電波障害が出るでしょう。通信隊を抱える熊谷基地としては煙突建設時に苦情を出さなかったのでしょうか? 写真2:煙突間をくぐり抜けるUH-60のデモ飛行。ああ、写真2のこれはいけませんね。民間の構造物を使って危険飛行ですかぁ? 煙突の所有者である隣の工場(日立金属)さんは、よくこんなことを許しましたねぇ。事故でもあった日にはいったいどうするのでしょうか。この件で、国際軍事評論家のB氏に、自衛隊機が民間施設を使ってデモ飛行することがあるのか尋 ねてみました。「通常では有り得ません。こんな芸当ができるのは、その工場と基地とが一体化しているということなのでしょう」。基地と一体化・・つまり、日立金属さんの工場は熊谷基地の一部? そこで、Googleマップで熊谷基地の航空写真(写真3)を確認してみました。写真3:熊谷基地の航空写真(Googleマップ)。何と、基地の周りの工場群ですが日本を代表する企業ばかりです。特にB氏の目を惹いたのは東京精密さんです。「この会社は、軍事兵器の目となり耳となる非常に高精度の測定器や観測器を生産する会社です。世界でも有数の技術レベルを有しており、この会社の技術なく して高性能の軍事兵器は作れません。ロシアや中国も喉から手が出るほどここのノウハウが欲しいでしょうね。私がもしも他国軍の参謀だったら、まず日本の技術基盤である民間工場を爆撃する計画を練りますが、その第1弾を落とすとしたら間違いなくこの会社です」。B氏は何だか恐ろしいことをおっしゃってますが、それだけ東京精密さんの軍事技術力を高く評価しているということです。他に世界的光学機器メーカーのニコンさん、特殊鋼で有名なJFEさん、特殊鋼から原子力関係部材まで幅広く手がけている日立金属さん、塗料大手のアサヒペイントさん、これだけ有力企業が揃っていれば、このエリアだけでいつでも軍需生産基地に転換可能ですね。しかも、太平洋セメントさんもいらっしゃるから建材についても問題なし。ロジスティックス、食料の供給、そして、女性自衛官用化粧品の調達を独占している資生堂さんまでも含めて有事の際には完璧の布陣です。しかも運転免許センターや基地内のグランドはいつでも滑走路に転用可能なようです。もしかして、官舎に住まわれている大勢の隊員さんは基地内の事務棟ではなく、こちらの工場に出向しているのでは?・・・すみません、B氏から、自衛隊には予備役的な階級が存在し、隊の籍を外して民間に出向できる制度があると聞いたもので。それだったら兵器開発の秘密漏洩防止から闇資金の工面まで、ちょうど いいなぁと思わず勘ぐってしまっただけのことです。以上、周辺工場と基地が一体化しているかどうかはわかりませんが、いつでもすぐに一体化できそうな素地が整っていることはよ~く分かりました。

 ■Googleマップに写らない煙突

 さて、写真3を見るとちょっとおかしなことに気が付きます。あの日立金属さんの巨大煙突が写っていません。巨大煙突はAのエリアにあるはずなのですが。それから、熊谷基地の電波塔も写っていません。もっともこちらは明らかに軍事施設ですから、Googleさんもそれなりに配慮したと考えられるのですが、なぜ民間の煙突まで? 煙突が竣工したのは、2007年の春頃から2008年にかけてですから、衛星写真が古いという理由はちょっと考えにくいです。これには何か特別な事情があ りそうです。神流川発電所の例を参考にすれば、もしもこの煙突が軍事施設だとすれば、米国側が何か意図を持って掲載を控えたとも考えられます。B氏に、仮にこの煙突が軍事施設だとしたらどのような目的が考えられるか尋ねたところ、「管制レーダーに使えるのはもちろん、これだけの高さがあれば、潜水艦交信用の長波長アンテナとしても利用できますね」との回答をいただきました。もしも、そうだとすると、米軍や海上自衛隊の潜水艦と交信するためにわざわざ民有地の中に煙突に偽装した長波長アンテナを設置 する意味がわかりません。B氏によると、この規模ならオホーツク海や北氷洋の海中とも交信が可能だとのことなので、一番考えられるのがロシア潜水艦との交信ということになりますか。もっとも、これはあくまでも仮定の話ですので、念のため。しかし、完成からほぼ2年を経過しようとしているこの煙突、私がこの目で見たときも、排煙口の周囲が全く汚れておらず、完成したばかりのようにピカピカでした。少なくとも何かある煙突だとは言えそうです。

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 本来、私たちは日航機事故の件を追っていただけなのですが、どうして熊谷基地とここまで関るようになってしまったのか。事の発端は私たちの周りにウヨウヨ と集まり、調査活動を激しく妨害する車両に「熊谷」ナンバーが多かったことなのですが、この「熊谷」さんたち、日航機の件を探られるのがよほどお気に召さ ないようです。このような彼らの反応から導かれる結論はただ一つ、「熊谷」も日航機事故の隠蔽に深く関与した一味だということです。そして、あの事故のと きだけでなく、現在もまた、日本の再軍備化、軍政化を目指して懲りずに蠢き続けているようなのです。あなたたちを「自国民に刃を向けた売国隊」と呼んだのは、あながち間違っていないと思いますが、如何で しょうか?もっとも現役の若い隊員さんは、日航機事故のことなんか何も知らず、ただ命令のままに動いているだけでしょうけど。私が名指ししているのはあく までも日航機事故当時(1985年)、そしてオウムサリン事件当時(1995年)に暗躍した現在幹部の皆さんたちのことなのですよ。この両事件に共通するのは毒ガスですが、私たちは、事故発生後の毒ガス使用を示唆する重要証拠を入手しま した。これについては、精密分析の後に読者の皆様に公表することになるかと思います。なお、この情報はあちら側にも入ったようで、一昨日から、「大宮」ナ ンバーの車が数台、大慌てで雪積もる現地に向かい回収作業に血眼になっている模様です(S氏報告)。

 EI DOMINE SI FUISSES HIC NON ESSET MORTUUS FRATER MEUS
 主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう





(私論.私見)