事件の真相考その5、生存者報道の二転三転考 |
更新日/2017(平成29).8.12日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「事件の真相考その5、生存者報道の二転三転考」をものしておく。 2008.10.25日 れんだいこ拝 |
【生存者名簿】 |
4人が生存した。全員女性。落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん母娘の4人で、胴体後部の座席に座っていた。早い段階の救出なら200人近くは生還できる状態で生きていただろうと云われている。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1215342573/l50 |
2010/11/19(日付けブログ「日航ジャンボ123便 生存者4名に貢献「長野県警レスキュー隊」と事故機残骸は調布宇宙関連施設へ」。
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【死亡者名簿】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
事故が発生した日は夏休み中で、「お盆の入り」の前日であった。同機には出張帰りのサラリーマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗した。最終便での「積み残し」を防ぐためにも最終便1本前の同機は、ほぼ満席の状態だった。以下の著名人やその関係者が多く乗り合わせていた。次の著名人が確認されている。
運良く生き残った。↓自衛隊が来た。↓喜んだ。↓わけも分からず殺された。 http://www.asyura.com/09/lunchbreak27/msg/669.html |
【5人目の生存者問題考】 |
5人目の生存者問題。1985年8月13日午前11時ごろの写真(小平カメラマン撮影)で、自衛隊員によって運び出されている男の子が確認されている。当日の乗員乗客名簿による割り出しで美谷島健・くん(当時9歳)と推定されている。4人の生存者が出たスゲの沢付近にて撮影された写真で、男の子は全体的に脱力しており、右腕が顔を隠すような格好で左足の首先を失ったと思える姿で運ばれている。この男の子のその後の生存情報も遺体もない。美谷島の家族には運動靴だけが遺品として渡されている。ちなみに母親の美谷島邦子氏は日航機事故「8・12連絡会」事務局長である。男の子を救出した自衛官の情報も消えており誰かも分からない。奇怪な話しである。 世界の真実の姿を求めて! JAL123便日航機墜落事故の5人目の生存者はどうなったのか。 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1284.html ![]() |
【生存者7名報道考】 | ||||||||
「憎しみの連鎖」の2012/02/07 「日航機123便墜落事故・・・・・・これには身も凍るような物語がある」。
2012/08/17 「なんでもデマと一蹴し、思考を張り巡らさない上、相手を見下す人々への宣戦布告 」。
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(私論.私見)