事件の真相考その7、生存者情報二転三転考 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和元/栄和3).8.19日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「事件の真相考その7、生存者情報二転三転考」をものしておく。 2008.10.25日 れんだいこ拝 |
【生存者考】 | |
4人が生存した。全員女性。落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さん母娘の4人で、胴体後部の座席に座っていた。早い段階の救出なら200人近くは生還できる状態で生きていただろうと云われている。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1215342573/l50 |
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救出されたJAL客室乗務員の落合由美さんが、123便墜落直後の状況を「墜落直後には多数の生存者が存在した」と次のように証言している。
政府の事故調査報告書はまったく異なる記述「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」としている。 |
2010/11/19(日付けブログ「日航ジャンボ123便 生存者4名に貢献「長野県警レスキュー隊」と事故機残骸は調布宇宙関連施設へ」参照。
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【日経新聞の8.13日夕刊が1面トップ見出し「生存者7人発見」記事掲載】 | ||
日経新聞の8.13日夕刊は1面トップ見出し「生存者7人発見」の記事を掲載している。これによると、救出生存者4名とは別に3名がいたことになる。この3名につき、朝日新聞社会部記者が次のように無線報告している。
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自衛隊員に抱えられて運び出されている男の子の映像が遺されている。この時点で生きているのか、死んでいるのか諸説あるが、「この自衛隊員は、後に自殺しています。(自殺でしょうか?)」とある。ここを確かめておきたい。
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次のような疑問の声がある。
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「JAL123便墜落事故の真相」は次のように記している。
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【5人目の生存者問題考】 |
5人目の生存者問題。1985年8月13日午前11時ごろの写真(小平カ メラマン撮影)で、自衛隊員によって運び出されている男の子が確認され ている。当日の乗員乗客名簿による割り出しで美谷島健・くん(当時9歳) と推定されている。4人の生存者が出たスゲの沢付近にて撮影された写 真で、男の子は全体的に脱力しており、右腕が顔を隠すような格好で左 足の首先を失ったと思える姿で運ばれている。この男の子のその後の生 存情報も遺体もない。美谷島の家族には運動靴だけが遺品として渡され ている。ちなみに母親の美谷島邦子氏は日航機事故「8・12連絡会」事 務局長である。男の子を救出した自衛官の情報も消えており誰かも分か らない。奇怪な話しである。 世界の真実の姿を求めて! JAL123便日航機墜落事故の5人目の生存者はどうなったのか。 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1284.html ![]() |
【生存者8名報道考】 | ||||
「日航機墜落事故の真相」を転載しておく。
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【生存者7名報道考】 | ||||||
「憎しみの連鎖」の2012/02/07 「日航機123便墜落事故・・・・・・これには身も凍るような物語がある」。
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2012/08/17 「なんでもデマと一蹴し、思考を張り巡らさない上、相手を見下す人々への宣戦布告 」。
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【「生存者の寡黙」について】 |
4人が生存したが、事故事件について語らない。「圧力がかけられたようで、その後話しを聞くことがないですね」とある。唯一「生存者の一人・落合由美さんの証言」が為されているが、重要な証言であるが且つ事前検閲されている節がある。 |
(私論.私見)