【墜落直後の動き】 |
123便墜落が確定し、救出作業が始まることになる。これを確認する。 |
午後6時56分2秒 |
123便のレーダー機影が消失した。その報は救難調整本部、自衛隊、警察庁外勤課、海上保安庁警備救難課、運輸省航空局管制保安部運用課に流される。横田基地が、C-130に捜索を依頼している。 |
午後6時57分頃 |
航空自衛隊レーダーサイトは123便が墜落したと判断、中部航空方面隊へ救助を具申した。峰岡山基地の吉田勝一尉が、123便の機影消失を中部航空方面隊司令部防衛部長の大中康夫一佐を通じて松永貞昭司令官に伝達。「北緯36度02分東経138度41分」
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午後6時59分頃 |
航空自衛隊中部航空方面隊(司令官:松永貞昭空将)が救援体制に入り待機状態を執った。羽田の航空機救難調整本部(RCC)が123便消滅情報入手。警視庁外勤課、航空自衛隊、海上保安庁警備救難課、運輸省航空局管制保安部運用課に通報した。横田基地が、C-130に捜索を依頼している。 |
午後7時00分 |
茨城県・航空自衛隊・百里基地第七航空団。日航123便を緊急信号受信直後から追っていた航空自衛隊は、独自判断で、緊急体制当番で待機していた第305飛行隊のF4EJファントム戦闘機二機を長野・群馬県境の行方不明地点に急行させた。(故・式地豊二尉リーダー) |
午後7時頃 |
日本航空の関係者に緊急連絡が入り、JALは羽田オペレーションセンターに対策本部を設置した。 |
午後7時頃 |
官邸にいた平沢官房長官秘書官に運輸省航空局、防衛庁、警察庁から相次いで報告が入った。平沢秘書官は直ちに、藤波官房長官に連絡をとって第一報を入れている。このときは官房長官と連絡がとれた。しかし、それから30分近く連絡がとれず、やっと連絡が取れて、平沢秘書官は藤波官房長官に2度目の報告を次のようにしている。「JAL123便の大坂着予定時間を過ぎました。事故発生は、ほぼ間違いないと思われます。大至急お戻りください」。 |
午後7時1分 |
大中一佐が、松永空将の捜索機の緊急発進の了承を得て、空自が、自衛隊レーダーサイトの提案を受けて茨城県百里基地から捜索任務のため2機のF-4EJ戦闘機(第305飛行隊の式地豊司尉ら)が緊急発進する。この一番最初の自衛隊出動は上層部の出動要請の前に行われた。 |
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F-4が発進したとはいえ百里基地ではMU-2救難機とV-107ヘリが待機中だった。正式な出動要請がこない限り自衛隊は出動できない。航空自衛隊は何度も要請権者に要請を促した。米軍輸送機は偶然近くを通りかかって発見した火災と残骸の位置を知らせるために上空を旋回しつつ救援隊を待ったが、災害派遣命令はなかなか出なかった。 |
午後7時13分 |
時事ファックスが「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」の至急報を流す。 |
午後7時15分 |
米空軍C―130H輸送機が雲の下に煙を発見。 |
午後7時19分 |
米空軍のC130H型輸送機が現場らしき炎、墜落現場を発見。「1919 Large fire from Yokota, 305, 34.」(「午後7時19分、横田から方位角305度方向、34マイルの地点で大きな火災を発見」)。 |
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その直後百里基地のF-4EJも墜落現場と山火事を確認、位置を通報した。「横田から方位角305度方向、34マイルの地点」(「炎を確認。横田タカンから300度、32マイル」)。 |
午後7時21分 |
空自百里基地のF-4EJ2機も現場確認。「炎を確認。横田TACAN(無線位置標識)より磁方位300度・32マイル(約51キロ)」と測定結果を送った。 |
午後7時26分 |
報道各社に「日本航空123便が、レーダーから消えた」の旨の第一報が入り、まずTVやラジオが速報で伝えた。 |
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NHKが7時のニュースの終わり際に速報を読み上げた。「新しいニュースが入りました。羽田空港の空港事務所に入った連絡によりますと、午後6時に羽田を出発しました大阪行きの、日航ジャンボ機の機影が、レーダーから消えたもようです」。 |
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NHKニュースは墜落現場について二転三転する報道を行った。埼玉県三国山、長野県御座山、群馬県上野村小倉山、同ぶどう峠と様々に伝えた。「NHKは翌日の朝まで墜落地点を長野県北相木村と報じた」とも記されている。「墜落現場の特定がなぜ遅れたか」。それは「遅らされていた」のではないかとの疑惑が残る。救助隊を分散させ、数時間にわたって、御巣鷹山に誰も近づけないようにする何らかの「作為」が働いたのではないかとの疑惑がある。防衛庁は13日の午前2時になってもまだ墜落地点は「ぶどう峠から210°/3マイル」とか、「御座山(おぐらやま)の
南斜面云々」などの情報が新聞社に流されていた。13日の朝、明るくなって 墜落地点が視認されてからも、まだ防衛庁は長野県とか群馬でも5km北西の地点を通報していた。運輸省は事故現場の緯度経度(北緯36度02分、東経138度41分)の他に「長野県南佐久郡御座山北斜面」に拘っていた。朝日新聞では防衛庁筋からとして「現場は長野県の御座山北斜面」としていた。航空自衛隊第44警戒群から、根拠のない情報として「長野県南佐久郡北相木村」、「御座山北斜面」が付加された。 |
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テレビでは夕方から大騒ぎになり、安否を気遣う乗客の家族や知人が続々と羽田の日航の事務所に押しかけて、ごった返していた。しかし、JAL123便の行方はわからず、つねに日航側の発表は「捜索中」の繰り返しだった。とうとう朝になるまでわからなかった。しかし、不可解である。JAL123便は墜落直後からその場所は特定されており、自衛隊機をはじめ米軍機もその墜落地点の上空まで行っている。当時の防衛庁長官であった加藤絋一氏は、当日夜9時頃、救難ヘリコプター・バートル107で現場上空に飛んでいる。 |
午後7時30分 |
中村守雄陸上幕僚長が、東部方面総監部(増岡県総監)に災害派遣を要請する。 |
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航空幕僚監部広報室にC130の情報「横田から305度、34マイル」が入る。 |
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直後、航空自衛隊F4EJ戦闘機式地二尉からの報告「炎を確認、横田タカン(TACAN=戦術電波航法標識)から300度、32マイル」 。 |
午後7時35分 |
長野県警が警備二課に日航機墜落事故総合対策室設置。事故に関する情報の収集を各警察署に指示。臼田署が南佐久郡北相木村を中心に捜索を開始。 |
午後7時40分頃 |
横田基地を発着していた米空軍C130H輸送機が、発見から約20分後、上空600mで旋回し、正確な位置を割り出し横田基地に連絡している。 |
午後7時45分 |
運輸省が、航空局長室にJAL123便対策本部を設置する。 |
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警察庁に日航機墜落事故総合対策室が設置される。 |
午後7時45分 |
藤波官房長官が首相官邸に戻る。 |
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警察庁が「総合対策室」を設置する。 |
午後7時47分 |
藤波官房長官が官邸に戻った2分後、中曽根首相が軽井沢から公邸に戻る。中曽根首相はこの時、記者団に事故について問われて初めてこの事故の事を知る素振りを見せている。首相が戻ると、依田秘書官は、はじめて事故の状況を立ち話で首相に伝える。その間わずかに1分間。 |
午後7時48分 |
中曽根首相が19時48分から予定に組まれてあった河本敏夫国務大臣との会談に入っている。この頃、三光汽船問題が発生しており三光汽船の元社長である河本氏は苦境に立たされていた。首相との話はこれがテーマで辞任がやりとりされたといわれている。その会議が終ったのは20時1分。 |
午後7時50分 |
長野県警警備2課内に日航機墜落事故対策連絡本部、臼田署に日航機墜落事故対策本部、北相木村役場内に日航機墜落事故現地指揮本部が設置される。 |
午後7時54分 |
災害派遣出動要請のない中、百里救難隊のV-107ヘリが”見切り発進”する。航空自衛隊に災害派遣出動要請があったのは午後8時33分。 |
午後7時58分 |
空自百里MU2S発進。 |
午後8時 |
群馬県警警備2課に日本航空機行方不明事故対策室が設置される。 |
午後8時16分 |
【政府関係機関が動き出す】藤波官房長官が首相公邸に入り、16分間、軽井沢より戻った首相と事故の対応策について協議し政府対策本部の設置を決めた。終了したのは20時32分。 |
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日本アイソトープ協会から”事故機に医療用ラジオアイソトープ(放射性物質)が92個積載されていた”と警察庁に届け出がでる。 |
午後8時21分 |
長野県と群馬県の県境にあるぶどう(武道)峠より200m群馬県側に入った長野県警臼田署のパトカーから、「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」との通報が長野県警本部に入る。(地上からの最初の公的目撃報告)。 |
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長野県警が、ぶどう峠・三国峠(ぶどう峠の南東方向・埼玉県、長野県の県境)付近で捜索・聞き込みを始める。 |
午後8時30分 |
この時まで、米空軍C―130Hが上空旋回し、同空軍UH1救難ヘリを誘導する。 |
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朝日新聞社のヘリ「ちよどり」が羽田を発進する。 |
午後8時30分過ぎ |
日航対策本部に高木社長ら役員がそろう。 |
午後8時33分 |
羽田の航空機救難調整本部(是枝航空長)から航空自衛隊中部航空方面隊司令部(入間)に災害派遣出動要請が入る。これにより空自はやっと正式な災害派遣出動要請を受け自由に動けるようになった。出動要請を待っていたのは航空自衛隊だけではない。陸上自衛隊も群馬県・相馬原の第12師団偵察隊や第12戦車大隊、長野県松本の第12師団第13普通科連隊情報小隊、第13連隊などが出動態勢を整えていたが要請はなかなか出なかった。防衛庁では運輸省への要請催促が行われていた。 |
午後8時35分 |
藤波官房長官が、政府対策本部の設置と第1回会合の開催を指示する。 |
午後8時40分 |
中空司令松永空将が入間基地を非常召集、30人を先遣隊として出発させる。 |
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航空自衛隊・百里基地の航空救難隊のヘリコプターKV-107機(バートル)が現場上空到着。 |
午後8時40分頃 |
防衛庁内に対策本部が設置される。 |
午後8時42分 |
航空自衛隊百里救難隊のKV-107ヘリが墜落現場上空に到達。「150~200メートルにわたって山腹炎上、位置は横田タカンから299度、35.5マイル」と報告する。 |
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林三佐が現場に到着、米軍の輸送機C-130と交信した。 |
午後8時50分 |
厚木米海軍航空隊基地からの海兵隊救難チームがUH-1ヘリで墜落現場上空に到着。墜落現場付近に海兵隊員2人をラペリング(ロープを使った垂直降下)で降ろそうとする。C-130が海軍の救助隊のヘリの明かりを確認している。
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午後9時0分 |
長野県警が群馬側と確信する。群馬県警が上野村の藤村輔二郎猟友会会長に道案内を依頼する。 |