事件の真相考その4、墜落原因要因考、奇説考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和元/栄和5).4.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「事件の真相考その4、墜落原因要因考、奇説考」をものしておく。その他参照。


【第40の異変奇怪/3機の自衛隊機の執拗な追尾と衝撃、墜落直前の謎の閃光考】
 「第40の異変奇怪/3機の自衛隊機の執拗な追尾と衝撃、墜落直前の謎の閃光考」を確認しておく。JAL123便が墜落する前に、F4EJ戦闘機2機、F15J戦闘機1機の3機の自衛隊機が周辺を飛行していた。F4EJとF15Jは共にに米国が開発した要撃戦闘機で、F4EJの後継機がF15Jである。JAL123便に対してミサイルを撃ち込んだのは、先に在空していたとみられるF15J戦闘機だと云われている。この時、JAL123便は山中に不時着しようとしていた。操縦クルーは既に事態を冷厳に承知し山へ向かっていた。それは一人でも多くの生存者が出ることも考えての判断であったと思われる。F15J戦闘機は、JAL123便が稜線を越えて、人目につきにくい山かげに入るのを見極めて、戦闘機とミサイルの航跡を地上から目撃されないように稜線を縫うように巧妙にJAL123便の後部にまわり、2発のミサイルを発射している。ミサイルは赤外線追尾方式であり、1発目はJAL123便のエンジン部分に命中したとみられる。ミサイルの爆破エネルギーは機体の前部と中部を貫通し、その付近の乗客・乗員を機内で粉砕した。JAL123便は右旋回しながら、火に包まれながら、真っ逆様に急降下した。これを確認して要撃戦闘機は2発目のミサイルを発射しとどめをさしている。

  JAL123便の最後の様子は地上からかなり多くの目撃情報がある。墜落事故の翌日、8月13日の埼玉新聞の見出しは「夕やみに“火の玉”」とある。埼玉県浦和市に住む住民と長野県の川上村住民は次のようにいっている。
 マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。(浦和市に住む住民の目撃証言)
 埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた。(長野県川上村住民)
 ゴーンという音をさせながら、航空機が低く飛んでいた。長野、山梨、埼玉県境の甲武信岳方面から飛んできて上空を右に旋回して北東の方に行った。まもなくして、雷が落ちるようなバリバリという大音響がし、二度ほどパッパッと光った。そのうちネズミ色のキノコ雲が上がった。墜落したなと思った。(長野県川上村住民)
 飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。(長野県南相木村中島地区の住人3人)

 このように「オレンジ色の閃光」、「赤い炎」、「パッパッと光る」、「流れ星のようなもの」という証言がある。事故の日に上野村の民宿に泊まっていた東京の会社員も「神流川上流の山あいがピカピカと二度光った」と証言している。墜落したときの閃光ではない。「流れ星のようなもの」とはミサイルの航跡であると考えられる。(「JAL123便 日航機墜落事故の真相」その他参照)

【TRON研究阻止説考】
 「日本初のOSであるTRONの研究者17名を暗殺するためにJAL123便の墜落を誘発させた」とする説が流布されている。この説は、17名は乗客の誰を指すのか、日本のTRON研究を阻止する為の犯罪としてはやり過ぎではないか、との疑問に答えなければならない。
 「★阿修羅♪ > 昼休み52 」の小沢内閣待望論 氏の013 年 1 月 08 日付投稿「日航123便の墜落が無ければ、今のマイクロソフトは存在し得無かった !・ameblo(犯人は子供でも分かります)」。
 http://ameblo.jp/64152966/entry-11055224942.html2011-10-22 00:48:28

 日航123便の墜落が無ければ、今のマイクロソフトは存在し得無かった !
 日航123便の墜落が無ければ、今のマイクロソフトは存在し得無かった !

        「光軍物語」・「影武者」のブログ  ワントンの推奨ブログ

 一部引用します。

⑩ 日本はすでに原子爆弾をもっており、日航機墜落事件はその爆弾を東京から大阪に移送する途中であり、米国がその証拠をとらえようと黒塗りの軍用機で右翼を討った。しかし機長はこれが攻撃であると理解した為、1000m以下のレーダーが把握できない距離で飛んで雄鷹山に墜落した。最終的には「高天原山」という地名に落ちて、520人が亡くなったが・・・

⑪ 米軍機はその後自衛隊機に打ち落とされたが、味方と思いきや、日航機はこの自衛隊機から止めを刺されて墜落。大勢の犠牲者は生きていたが、核兵器の証拠隠滅等のため、あるガスが捲かれて520人が死亡したと推定される。

 wanton

 私がユリアさんの記事を見ていて、一番引っ掛かったのは、以外にもこの部分です。実は、数日前にブロ友のSHIHOさんの「なう」を目にしたからです。


 『暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!70 』  

 必見→ http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/10/123_1143.html
 from 飄(つむじ風) これが核心的見解か?

 何故だか、最近この日航123便の墜落に関するものが、あちこちから出て来ています。そして、その墜落にまつわる色々な陰謀説も出ているのは、皆さん御存知の通りです。今更、何でこの事故を蒸し返すのかと疑問を持たれる人もおられると思いますが、やはりこの一件は、今現在とも大きく繋がっているからに他なりません。私自身が一番注目しているのは、以下の論説です。17名のトロンOSの研究者を載せた日本航空123便墜落事故撃墜されたのか?

 必見→http://blog.livedoor.jp/omttm202/archives/51462832.html

 一部引用します。

 <実は20年前に日本に無償のOSが存在した>

 無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。

 ― 引用終わり。

 マイクロソフトといえば、ビル・ゲイツさんですが、この方は、今やNWOの中でも有力メンバーの一人として、その名を知られています。さぞかし、D.ロックフェラーさんなどとも、とても仲が良かったと推察されます。D.ロックフェラーさんといえば、最近まで、アメリカの中でも実質的にナンバーワンの人で、米政府はもちろんの事、軍産複合体やアメリカ軍部、CIAなどに絶大な権力を欲しいままにしていた訳でありますから、何かをやろうとすれば、何の造作もいらなかったのではないでしょうか。もちろん仮定の話としてですが、実質植民地の日本のジェット旅客機を撃墜するなんてのも朝飯前の仕事だったでしょう。まず間違いなく、こういった世界の巨大市場からのとてつもない利益が約束されていたパソコンやOS市場の独占というのは、アメリカの至上命題だった可能性が濃厚です。その至上命題にとって、最大の邪魔者であったトロンOSの研究者17名を乗せた日航123便が、好都合にも、偶然に墜落してしまったという事になるのでしょうか。私は、日航123便が何者かに撃墜されたなんて一言も言っておりません。そもそも、そんな事を本格的に調べていたら、命が幾つあっても足りませんから。無論、色々たくさんの証拠らしきものは、結構あるのですが、決定的な確証になるようなものを残すなんてバカな真似をするのはプロの専門家にはいません。だから、いつの場合でも、所詮、陰謀論としてしか扱われず、常に闇から闇へと歴史の闇に葬られて来て、今日に至ったという事になるのかもしれませんが。いつの世でも、そのようにして歴史が造られて来たのだと、賢者たちは教えてくれます。ただ、私の読者の皆さんだけは、いつも聡明であって欲しいと願っています。また陰謀論かと、毎度バカにして、それらを攻撃するような愚かな人間にだけは決してなって欲しくないと申し上げておきます。

 最後に、こういった流れてくる裏の情報には、常に2面性がある事を考慮しておくべきです。真実の中に、幾つものウソを交えて、情報を撹乱させるプロパガンダの可能性。そして、政権・軍事の中枢にいた人間が、日本人としての良心から密かに流す真実の情報である可能性。この二つを、同時に、いつも考えておかねばならないと思っています。

 有難う御座いました。

 米経済誌フォーブスが21日発表した2011年版の米国資産家400人の長者番付によると、 ソフトウエア最大手マイクロソフト 創業者のビル・ゲイツ氏の資産総額が 前年比50億ドル増の590億ドル(約4兆5千億円)で18年連続で首位となった。

 これに関連する「ライズ・アップ・ジャパン」の解説は次の通り。
もし、国産OSのプロジェクトが、アメリカに邪魔されずに順調に進んでいたら、日本は、IT分野で世界をリードしていたかもしれません。というのも、 アメリカ製のWindowsよりも国産のOSの方が優秀だったのに、アメリカの圧力によって潰されてしまったのを知っていますか?  

 38年前の日本航空123便の墜落事故… この悲惨な事故を起こした飛行機に開発者が乗っていて、 多くの開発者が死亡したので、国産の基本ソフト・トロンは潰された、という噂がありますが、、本当は、日航機の墜落故は、トロンが普及しなかった理由ではありませんでした。当時、事故を起こした日航機に乗っていた松下電器の16名の社員は、トロンの開発に関わっていた部署にいませんでした…。結局、トロンはパソコン用としては普及しませんでしたが、家電や自動車、デジタルカメラの組み込まれていて、今でも普通に使われています。では、いったいなぜトロンが、 パソコンの基本ソフトとして普及しなかったのか・・? 詳細は無料動画で公開しています。 メールアドレスを登録するだけで、 すぐにご覧いただけます。

 動画の内容とは・・・? なぜ純日本製のOSが消えたのか? 日本製のOS・トロンは、 アメリカ製のOS・Windowsより最先端の技術を誇っていました。パソコン用として普及しなかった本当の原因は、戦後から続く日本が抱える深刻な問題にありました。ネットで流布している噂の真相がわかるネット上で噂になっている 「日本製のOS・トロンと日航機の墜落事故の関係」の裏にあった事実とは?

 「JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)」。 
 日本ですでに核兵器が製造されているという情報があります。長野県の某所で密かに稼動する核施設でプルトニウムが取り出され、岩手県にある表向きは民間施設の軍需工場で原水爆を製造し(コバルト)、日本近海の孤島にある貯蔵施設に隠されているそうです。しかもその原材料であるウラン精鉱(イエローケーキ)は北朝鮮から入っています。その島の周辺では、近年魚の大量死といった不審な出来事が続いたため調査したところ、自然界に通常存在している値の実に600倍に相当する放射能が検出されました。現在は民間人が立ち入り禁止になっており、近づくことさえできません。

 日本は本来、非核三原則によって核兵器の保有、開発、持ち込みを禁止していますが、それに対する法的な拘束力もありません。日本の場合、アメリカの核の傘で守られることになっていますが、アメリカが日本を守る保障などどこにもありません。ですから「日本の国土と日本人を守るためにやむを得ず、核を自前で装備するしかない」と考えるのは、ある意味自然な成り行きかもしれません。何しろ日本には技術力もあるし、お金もあります。密かに製造して持っていても何の不思議もないのです。そうした情報は、意外と身近なところにありました。

 私の父はかつて科学技術庁に勤めていました。その父は、秀才だった従兄を呼び寄せて入庁させ、ある時期一緒に働いていたことがあります。その従兄の妹と私は歳が近かったこともあり、よく連絡を取り合っていたのですが、ある時、彼女がこんな話をしました。「兄さんは行き先も言わないで出張することが多いんだけど、おじさん(私の父)もそうだったの?」。私の父は会計畑だったこともあり、出張することはあまりなかったのですが、技術畑の従兄は何かの開発に携わっていたようで、繰り返し出張していました。彼の妹は、ひょっとしたら核兵器じゃないかと疑っていたようです。もしそうであれば、従兄が仕事の内容を家族にも一切話さなかったのは当然です。出張先も言わなかったようで、真実は今もって闇の中です。ただしある時、私が従兄に「日本で核兵器は製造できないの?」と尋ねると、従兄はこう答えました。「できないも何も、アメリカだろうとフランスだろうと、日本の技術がないと核兵器は製造できないよ。日本がその気になれば二ヶ月で製造できる」。核兵器を積んだミサイルを飛ばすためには、ICチップにせよ半導体にせよ、日本製の部品が必要なのです。アメリカの対テロ戦争にも使用されているステルス機にも使われる、レーダーに捉えにくい塗料は日本でしかできないし、小松製作所が特許を持っているパワーショベルやブルドーザーは発射台などの施設を作る際に不可欠なものです。ちなみに可動式の発射台に使われる、1メートル当たり80トンの荷重に耐えられるレールは、日本でしか作れません。あとはプルトニウムですが、その入手も難しいことではありません。一番難しいのは、核兵器を製造することよりも、その事実を隠すことなのです。そして事実、日本は核兵器を製造し、その事実を隠すために過去に何度も大きな犠牲をはらってきました。

 JAL123便の真実

 核兵器に使うプルトニウムが、長野県にある極秘の核施設で取り出されているという話を聞いて、私にはピンとくるものがありました。それは1985年8月に起きた、JAL123便の墜落事故との関連です。この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。

 JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。

 しかし、JAL機の機長は思いのほか優秀な人でした。日本政府は、JAL機側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで、ベテランのパイロットの搭乗を要求しました。そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである「高濱雅巳操縦士」をその任に就かせました。彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で、すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。すぐさま、高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えました。この高度ならレーダーに捉えられないからです。ただしそのために、以後、123便は管制レーダーからは消えてしまい、周辺の航空管制官はJAL機を助けたくとも、その機影を追うことさえできなくなりました。ですから異常発生後の正確なルートは、今もってわかりません。その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて、長野方面に向かったようです。機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み、待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。そのやり方は徹底しています。JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍のスホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。・・・。

 自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。このヘリコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にフッ化ホウ素を撒いたのではないかと、複数の専門家たちが分析しています。その後、事故を目撃した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され、闇に葬られたのでしょう。その事実を突き止めるべく、調査している人の話を聞きましたが、彼は今も狙われています。昨年も電磁波による攻撃を受け、車が大破したと話していました。街中を車で走っていると、急に「ドーン」という衝撃が走り、事故を起こしたわけでもないのに車が突然破壊されてしまったのだそうです。そうかと思うと、守ってくれる人もいて、「つけられているな」と気づくと、必ずと言っていいほどトラックが、自分の車とつけている車の間に割り込み、逃がしてく
れるそうです。

 何が真実で、誰が見方で、敵が何者か、その実態は正確にはつかめませんが、大きな陰謀が存在することは確かのようです。ちなみに、JAL123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)による合意がなされました。世に言う「プラザ合意」です。アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが、日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金がジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです。その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました。

【】
 「風化させてはいけない大惨事 (御巣鷹山の悲劇)」参照。






(私論.私見)