事件の真相考その8、犠牲者の遺体の黒焦げ考 |
更新日/2023(平成31. 5.1栄和元/栄和5).2.10日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「事件の真相考その8、犠牲者の遺体の黒焦げ考」をものしておく。 2008.10.25日 れんだいこ拝 |
【情け容赦のない乗員乗客殺害部隊の存在】 |
「乗員乗客殺害部隊の存在」。 |
8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。(「救助に向かう自衛隊は武器を携行しない。もし携行するとすればその手続きは煩雑で必ず証拠が残って居る。その証拠が出ていない以上、このサイトに書いてあることは悪質な作り話である」という書き込みがこのサイトにあった。その人は自衛隊関係者で実際の武器携行手続の経験から言っているのかもしれないが、世界の厳しい現実を知らないおめでたい人、という他無い。「答えてみろ、この嘘つき野郎!オレが怖いのか?オイコラ!」と余りに礼儀を欠くチンピラのような調子だったので削除。) しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。 |
【他の生存者証言】 |
「JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4)」 http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a |
このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼される。ところが、講演の2週間前、アクシデント発生。車の後輪がバースト。あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱線銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた。 話を墜落の日の翌朝に戻そう。日が昇ってからも奇怪な事が起こる。公式に生存者とされる4人の女性以外に、3名乃至4名の生存者が目撃されている。生存4人の現場からさらに200mの急斜面を登ったところにいた朝日新聞社の社会部記者が「今さらに3人の生存者救出!2人は担架に乗せられているが、1人は担架が必要無いほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている。」と無線で報告。 朝日新聞前線キャップ木村卓而氏は『一人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の二人は毛布をかぶされているため、男女の別やけがの程度ははっきりしない』と元気で無事救出された女の子のことを報告。だが、その後女の子はどうなったのか?突然存在が消えてしまう。 また、8月13日午前9時~10時頃、地元上野村消防団が墜落現場に、獣道を伝って登っていく途中で、沢伝いに下ってくる「中学生くらいの男の子を含む男性四人連れ」に遭遇。衝撃の現場から来たというのに、挨拶しても返事もしない、何も語らない、不気味な沈黙の集団。「沢伝いに下りてくる、中年の男性三人と中学生くらいの少年が加わった四人のグループに出くわした」飯塚訓(いいづか・さとし)著「墜落現場、遺された人たち」p.119、5行目~。 この男の子は一体どこへ連れ去られたのだろうか?「この少年は生きているのではないのか?私の知り合いの医療関係者は、筋肉の張り方など自力で腕を上げていると観察され、この時点では明らかに生きているだろうと語っている。」元記事 さらに、7歳~8歳くらいの小さな男の子が13日午前「走り回っている」ところを自衛隊員に発見されている。報告は無線でただちに流された。報道関係者もこの無線を傍受。「男の子発見」のニュースは流れた。フジテレビの「ニュースレポート」では、マイクを握ったフジの山口氏が『現場は惨憺たる状況です。まもなく、担架に乗せられた七、八歳の少年が運ばれてきます……。』と生中継。しかし、この「男の子」に関する情報が途絶。以後、まるで神隠しにでも遭ったように、その後の「7歳~8歳くらいの小さな男の子」の消息は杳として知れない。 |
【先着特殊部隊は墜落現場で何をしたのか考】 |
JAL123便墜落後の午後9時30分過ぎ、墜落現場の御巣鷹山方向から信号弾が上がった。その信号弾に呼応して、上野村三つ岐に待機していた一団が移動を開始し、御巣鷹山の墜落現場に入っていった。この時刻は、米軍のC-130と救難ヘリが横田基地からの連絡により乗員・乗客の救出を断念して引き上げた時刻と一致する。彼らはそこで何をしたのか。はっきりしていることは救助ではなかった。仮にこの一団を自衛隊の秘密部隊と推定しておくが、自衛隊の者であるかどうかは分からない。その秘密部隊は、墜落現場で機体の前部・中部の様子を入念に調べ何やら作業をしていたと云う。そして、スゲノ沢の機体後部付近で、無線交信妨害電波を出しながら、何かをやっていたといわれる。その時点ではかなりの生存者がいたと考えられるが生存者の救出は一切行ってはいない。いったいこの特殊部隊は何をしていたのか。コックピット内は焼き尽くされ何もなかった、操縦クルーの遺体はなくただ歯が残されているのみという状況であったといわれる。いかに激しく地面にぶつかったとはいえ、遺体の一部は残るはずである。しかるにコックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれる。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったという。 |
【123便の乗客、乗務員の殺処分】 |
助かっていたはずの乗客達。不幸にも軽症すぎたがため、また不運にも見つかってしまったが故に、最後の最後で、彼等は口封じのために殺された。航空機事故遺体に模して。決して知られてはならない秘密があったから。そうとしか考えられない。無念であったろう…震えが止まらない。 この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか? 123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?『お前達は何者だ!?乗客乗員の救助に来たんじゃないのか?』現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいなかったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。 尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト: http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html 上の焼死遺体も、遺体の側の木は全く焦げ跡が無い。 当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。 写真上:女性4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流で発見された携帯用VXガス兵器と思しき容器。20数年経って、瓶には微量の液体が残っていた。持ち帰る際、念のため何重にもビニール袋で密封したが、調査に当たった方達2人は、密封を解いた途端気分が悪くなり、数日間寝込んでしまったという。 映画封切りのタイミングは、日本航空国営化に賛成世論を形成する目的があったと思われる。空の安全を目指した小説・映画のはずが、却って「日本航空機を使ったテロを起こしやすい環境」を整えるのに協力するという、何とも皮肉な結果を招いてしまった。 |
【犠牲者の遺体の黒焦げ考】 | |||||||
医師らが「こんなに遺体がバラバラになるなんて・・と驚いた」との証言がある。「航空事故史上、ここまで細かく機体が分散破壊された事故は見たことがない」との証言もある。灌木の枝に人間の皮がビニール袋のように引っかかっていた救出現場の写真もあった。目を覆うどころの騒ぎではない現場模様の写真だった・・。 | |||||||
未明まで生きていたとされるJAL123便の生き残り搭乗者の40~50名は、特殊な殺人ガスを吸引させられた挙句に、証拠隠滅の為に焼かれたものと考えられる。 | |||||||
「【JAL123便墜落事故】毒ガスで息の根を止められた生存者」、「JAL123便墜落事故の真相は?No2」の「第4の疑問」その他参照。
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この事故では多くの確認出来なかった遺体(衝撃などで断片化したり火災で炭化したもの)があり、これらは荼毘に付された後、123の骨壺に収められて上野村の「慰霊の園」に納められました。その後、現場から発見された遺骨を同様に扱ったため、現在「慰霊の園」には124の骨壺が納められている。 | |||||||
2001/11/07 、「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』 飯塚 訓 / 講談社+α文庫 」。 | |||||||
「御巣鷹山に災害派遣出動した陸曹長の話」。
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【機長の遺体の焼失考】 |
機長の遺体で確認されたのは上顎の一部だけである。これに歯(5本)がついていた。これが歯医者にかかったときの記録と一致し機長本人と確認できた。 当時はDNA鑑定などなかったので、断片化した遺体の身元確認は困難を極めた。同時に機体前部や中部では激しい衝撃で遺体は断片化し、火災などで着ていた衣類は焼け、遺体は炭化するなど遺体確認は困難を極めている。 |
2015年08月16日「心霊ちゃんねる」
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「「あんなの人間の遺体やない!」日航機事故で娘3人を失った夫妻の怒り」。
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「うさしびより」より「2006/10/20」。「墜落遺体」(著者:飯塚訓、出版:講談社(文庫))
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【多量のベンゼン環発見考】 | |
日航123便墜落時、日航スチュワーデスだった青山透子氏は、その後、東大大学院に進み、博士号を取得、ノンフィクション作家として、日航123便事故追求に生涯を捧げてきている。その著作「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る 」(2017/7/17)が次のように記している。
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「★阿修羅♪ > 日本の事件32」のてんさい(い)氏の2018 年 8 月 17 日付投稿「日航123便、墜落原因の続報 森永卓郎・青山透子・ベンゼン環(東海アマ)生存者を虐殺してまで隠蔽したこと」。
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【助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された 】 |
助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用) 墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった! |
8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。 しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!? 何故この部隊は救助をしない!? 目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。 |
☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。しかし、4人は報道直後突然失踪!彼らは一体どこへ消えたのか!? さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。 ☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。) この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは? 任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか? 123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか? 『お前達は何者だ!?乗客乗員の救助に来たんじゃないのか?』 現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいなかったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。 |
原発問題さんより
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a1a847e042b50e4899e8cc57750e87d1 一部画像など追加してます<転送開始> 彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれていた |
【JAL123便墜落事故】
国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・・・ |
(事故概略)
1985年8月12日18時12分に羽田を大阪に向け離陸した日航123便(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)は離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、数十分間ダッチロールと呼ばれる異常飛行の後、18時56分すぎ、群馬県上野村の三国山の北北西約2.5キロメートル、標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。このとき、横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせている。 自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。 朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、 生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。 自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯だった。(意図的誤報についての引用元) 実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先。 |
My First JUGEM! 平和立国さんより http://heiwarikkoku.jugem.jp/?day=20100601 <転送開始> 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。ナゾの自衛隊のチームのナゾの10時間の行動。かれらは何をしていたのか。狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか。コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。 当時、突然垂直尾翼が大破し、不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され(JAL123便の「スコーク77」の発信) 自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。そのあと墜落までの数十分間 管制塔との交信がされていて、レーダーでも捕捉されています。そして空中でナゾの爆発が2回起こり(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています)とうとう御巣鷹山に墜落。 「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで「軍事拒否」している訳だし。 |
自衛隊員の告白
本当の話です。事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)…と言って話してくれた事は、「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と。 実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。 日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺!JAL123便墜落時には、「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表。 これもまた鋭い資料だ!!! 2007年08月27日 ●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたの ではないかと思われるフシがあります。JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。「危ない!衝突する!」 。それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。 |
加藤紘一氏(当時 の防衛庁長官) 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!遭難者を救助する前に、自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか? |
(私論.私見)