元日航客室乗務員/青山透子氏の告発その2

 更新日/2024(平成31→5.1栄和元/栄和6).6.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「元日航客室乗務員/青山透子氏の告発その2」を確認しておく。

 2015.08.11日 れんだいこ拝


【元日航客室乗務員/青山透子氏の著書】
日航123便あの日の記憶
天空の星たちへ
青山透子 マガジンランド
2010/4/29
日航123便墜落の新事実
目撃証言から真相に迫る
青山透子 河出書房新社 2017/7/24
日航123便墜落疑惑のはじまり
天空の星たちへ 
青山透子 河出書房新社 2018/5/28
日航123便墜落
遺物は真相を語る
青山透子 河出書房新社 2018/7/27
日航123便墜落の波紋
そして法廷へ
青山透子 河出書房新社 2019/7/16
日航123便墜落の新事実
目撃証言から真相に迫る
青山透子 河出書房新社 2020/6/8
日航123便墜落
圧力隔壁説をくつがえす
青山透子 河出書房新社 2020/7/22
JAL裁判―
日航123便墜落事件
青山透子 河出書房新社 2022/12/2
日航123便墜落事件
隠された遺体
青山透子 河出書房新社 2024/8/13

日航123便 墜落の新事実
目撃証言から真相に迫る
青山透子 河出書房新社 2020/6/8
 内容説明

 一九八五年八月十二日、日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落した。だが、この事故にはいまだ解明を拒む、不審な謎が多すぎる。追尾が目撃された二機の戦闘機、胴体下部に見えた物体は何か、墜落現場特定の遅れ、事故原因の意図的な漏洩…。一つ一つ丁寧な解明をこころみ、事件性を示唆してベストセラーとなった、話題のノンフィクション、ついに文庫化。
 目次

序章 あの日に何が見えたのか
第1章 一九八五年八月十二日の記録
第2章 新たな浮かび上がるあの日の証言
第3章 『小さな目は見た』というもう一つの記録
第4章 三十三回忌に見えてきた新たな真実―目撃証言からの検証
終章 未来の目は見た

日航123便墜落事件
隠された遺体
青山透子 河出書房新社 2024/8/13

■目次より

序章 最高裁への茨の道

第1章 独立なき司法の判断

第2章 看護婦が見た隠された遺体

第3章 検証――羽田空港地上衝突・大炎上事故報道

終章 未来への道程


 『疑惑/JAL123便墜落事故』(早稲 田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、ある金属片(添付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、友人の航空機の整備士(米国人)に鑑定を依頼しています。結果はどうだったのでしょうか。結果について書かれた部分をご紹介します。

 彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて 慎重に、しかし、はっきりとこう言った。「ミサイル」(This is missile.)。「まさか!」(Not Really !)。「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)

 角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より

495 名前:名無しさん@5周年:04/08/12 21:18 ID:jB9y0pGY
 これはマジな話なんだが、友達の兄貴が当時自衛官で ●●隊情報●隊と言う部隊に所属していて救助活動というか事故処理に参加したそうだ。その兄貴と何年か前に酒を飲んだ時に聞いた話だが、以前から事故処理に従事したと言う事は弟から聞いていたので興味本位でその時の事を聞いてみたら顔色が変わったのでその話はそこまでにして馬鹿話に切り替えた。暫く飲み続けるうちに、その兄貴がポツリポツリと話だした。 誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成、情報撹乱、ガス、火炎放射器....。まさに地獄以下の有様だったそうだ。隊員の中には精神状態がおかしくなる者や、生存者をかくまったために拘束されて送り返された者も少なくなかったそうだ。その兄貴もすぐに退官したが、その際に口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ、自殺を考えた事も有ると。

 123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか? 彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。


 「公式サイトをお読み頂いた皆様へ 青山透子より」。
 出版から4年間、今まで沢山の書き込みや情報提供、様々なモノをお送りくださいまして、本当に有難うございました。公式サイトを通じて、例えば、正義感溢れる自衛隊員の方、医師、看護士、上野村の人々、目撃者、当時の政治家等、実に多くの方々とお会いする機会に恵まれました。さらに50名以上の書き込み(公開、非公開も含めて)、380名以上の方々による「当時の状況、自分が見たもの、自分の経験談」を読ませて頂きました。ちょうど良い機会でしたのでそれらをまとめてみました。当然のことながら、現場の皆さんの声としては「一生懸命救助したかった、一生懸命探したかった、命をもっと多く救いたかった」という人たちです。そしてあの日、あの夜、なぜ?こんなことを?という多くの疑問と苦悩の声です。

 ちょっと皆様とご一緒にその「なぜ」について、考えてみましょう。
①、災害派遣待機命令が発令されたが、その後出動ではなく中止命令が出たのはなぜか。

②、8月12日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案内を頼んでおきながら機動隊員から「その場所は違う、こっちだ」と根拠のない主張をされた。墜落現場はスゲノ沢だと言うと「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の命令だ」と強く言われた。人にものを頼んでおきながら命令とはどういうことか? なぜ地元の土地に詳しい人の意見をわざと無視したのか?

③、なぜ一番先に到着した機動隊員は、わざと足が遅く、ゆっくり歩くのか、おかげで、倍の時間がかかり、夜明けまで墜落現場にたどり着けなかった。

④、夜中、ヘリが墜落現場上空にずっとホバリングして、モノの上げ下げをしていたが、何をそんなに急いで上げ下げしていたのか。

⑤、後からの幹部の発表では、一機たりとも危なくてヘリを飛ばしていないというが、事故当夜、私たちが目撃した墜落現場上空にいた多数のヘリは、亡霊か?

⑥、自衛隊ヘリの合図を頼りに墜落現場まで行けると歩いたら、結局全く違った場所に連れていかれたのはなぜか。

⑦、自衛隊による墜落現場特定が遅くなったことについて、山下運輸大臣や自衛隊幹部が「夜間用照明がなかった」とか「険しい山に仰天した、危ないから」とか、夜に救助出来なかった理由をテレビや雑誌で反論した。しかし、敵の侵略や戦闘は夜行うもので、その為に山奥で過酷な訓練をしてきた。夜にヘリを出せないならば、いつ自衛するのか?自分たちは夜に十分動けるための訓練を行ってきたのだから、プロとしての自衛官を馬鹿にするような発言するとは情けない。それでも幹部か?

⑧、なぜ墜落場所を地元民や黒澤村長が伝えても報道は聞き入れなかったのか。特に13日早朝、地元では当然御巣鷹の尾根とわかっているのに、まだNHKでは、小倉山と報道し続けていて、呆れた地元民が、NHKの記者を怒鳴りつけた。

⑨、なぜ一生懸命生存者を救助したのに、山頂に4時間近く生存者が放置されたのか。

⑩、なぜ生存者を収容したヘリで、5分もかからない救急病院に行くのに、無線が故障と言って30分以上、上空を旋回し続けたのか。

⑪、4人も救助したと美談になっていたが、遺体状況からみて、つい先ほどまで生存していたと思われる人たちが100名ぐらいはいたはずである。

⑫、自分はゼロ戦の指導教官だったが、戦時中でさえ場所は特定できた。あの程度の山でましてや、1985年に墜落場所を測定出来ないわけがない。パイロットを馬鹿にするな。

 以上、主なものだけですが、もっともっとたくさんありました。なお重要な内容について、本人の了解を得たものについては航空関係者や研究者、関心のある政治家、そして一部の遺族の方に、いろいろなつながりを通じて、すでに書類や直接お会いして全てお話をし、お伝えしました。その中で実はもう一つ、公人としての振る舞いで、ビックリしたことがあります。公人であった時期については公にするのが当然ですので、ここで皆さんとその情報を共有したいと思います。続きははた明日・・・。

 「小さな目は見た――出版後に明らかになった事実の話/青山透子」。
 事故後30年。日航123便はなぜ墜落したのか。私を含め、この疑問を持ち続けている人たちがいる。それは、現場で歯型から身元確認を行った群馬県警察医で歯科医師の大國勉氏、拙著を読み、ぜひ話をしたいと出版社に直接いらしたご遺族の吉備素子氏、事故機で亡くなった客室乗務員のご親戚の方や事故時の関係者、元自衛隊員、詳細に調べた読者の方々、御巣鷹の尾根に今もなお残っている飛行機の残骸を送って下さった方もいた。皆さんの本心から湧き出る怒りの言葉には、いまだに数多くの疑問が残る事故原因をなぜマスコミは追及しないのか、という憤りが満ちている。

 事故原因については、一部の過激な陰謀説、根拠の薄い推理や憶測も多く、それがかえってこの事故原因の再調査や追及を妨げていることは本当に残念である。私自身、出版の際に膨大な一次資料を読み込んでいる過程において、これは本当に事故なのか、何かおかしいのではないか、と疑念を持つようになっていったのだが、それを語ると、はなから陰謀説だと烙印を押されてしまう困難に遭うのである。おそらく一般の方々には、圧力隔壁修理ミスが事故原因である、という報道しか届いておらず、それも無理もないことではある。しかし、30年も経ち、今もなお、遺族のみならず、墜落現場となった群馬県上野村の救助にあたった消防団員や警察関係者、さらに医師であっても、事故時の様々な状況に疑問を持ち続けている人が、実際にいるのである。それを知る以上、私は一つの使命として、この5年間、地道にこの疑問と向き合い調査を続けてきた。

 そしてさらに多くの方々に出会い、たくさんの資料を送って頂いた。その中で、当時の群馬県上野村の小学校、中学校の生徒が書いた文集を読んだ時、もっとも大きな衝撃を受けたのである。群馬県上野村立上野小学校148名の日航機墜落事故についての文集「小さな目は見た」(1985年9月30日発行)と、群馬県上野村立上野中学校87名の日航123便上野村墜落事故特集「かんな川5」(1985年10月1日発行)である。約53%の子供たちが、事故当日について詳細に書いていた。当時の小学校の校長先生に、先日内容の確認をとったが、事故直後にこの証言集を書かせた理由は、「事故時に見聞きしたことを書き記すことで、520名の人々の真の供養になる、さらに、この事故について、曖昧にすればいずれ忘却の彼方に追いやられることは必至であり、この子供たちの未来のために書かせた」との思いからであった。

 特に、「18時45分」という具体的な時刻を書いた小学生H君の目撃情報は次の通りである。

 「8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方から、ジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んで来たから、あわてて外に出て見た。そうしたら神社のある山の上を何周もまわっているからおじさんと『どうしたんだんべ。』と言って見ていた。おじさんは、『きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ。』と言った。ぼくは、『そうかなあ。』と思った。それからまた見ていたら、ジェット機2機は、埼玉県の方へ行ってしまいました。それから、おれんちのお客が出てきて『飛行機がレーダーから消えたんだって』と言った。おじさんが『これは飛行機が落ちたぞ』といいました(ママ)」。

 これに似た内容は中学生によっても記されているのだが、大きな飛行機1機が日航機だとすると、ジェット機2機はなんだろうか。その疑問を抱えたまま、私は、群馬県警が発行した当時の日航機事故特集記事の中に、非番の自衛隊員K氏が書いた文章を見つけた。

 「8月12日私は、実家に不幸があり、吾妻郡○村に帰省していた。午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあっただろうか』と兄と話をした。午後7時20分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。」

 午後6時40分という時間に、非番の自衛隊員が、航空自衛隊ファントム2機を目撃している。群馬県上野村の子供たちと同じように、日航機の墜落前の時刻である。

 当時、航空自衛隊中部航空方面隊司令官だった松永貞昭氏は、機影消失(墜落)の1分後に出動命令を出して、ファントム2機を飛ばしたと語っている。その時刻は、公式記録によると、日航機墜落後の19時01分。空自百里F4EJ、2機緊急事態と認識して発進。それ以前には自衛隊機は一機たりとも飛んでいない、ということになっている(『読売新聞』2000年8月11日付)。それでは、墜落現場の子供たちや、非番の自衛隊員が見たファントム2機は、何だったのだろうか。これが最大の疑問である。なお、これ以外に静岡県内での目撃者もいる(詳しくは『週刊金曜日』8月7日号6頁の拙稿参照)。

 これらの目撃情報から推測できることは、次の通りである。墜落前の日航機を追尾していたファントム2機は、公式発表には出てこないが、実際に目撃されている。その2機は、日航機の垂直尾翼付近の状況や飛行状況を把握しながらこれを追尾し、最後の墜落地点まで見届けた可能性がある。とすれば、少なくともまだ明るいうちに、墜落現場を特定出来たのではないか。

 2010年11月10日、当時の運輸大臣だった故山下徳夫氏にお会いした際、「遺族が事故原因に疑問に持つならば、必ず再調査をすべきだ」とおっしゃっていたのを思い出す。御巣鷹山頂に建つ石碑(冒頭の写真)も、そのことを問い続けている。

 戦争でもない「平時」の1985年に、故意過失を問わず、事故原因に関して何等かの関与が自衛隊にあったとするならば、それは重大な問題であり、それを明らかにせずして、そのような自衛隊を海外に行かすわけにはいかない。520名の天空の星たちが、この行方を注視している。


 「青山透子から皆様へ感謝を込めて」。
 まず、私のような無名のノンフィクションにもかかわらず異例の1週間での重版決定に、心から皆様に感謝を申し上げます。拙著をきっかけとして、お読み下さる人々のそれぞれの想い、当事者の無念さ、ご遺族の執念、これらが大きな原動力となって、新事実を解明することに繋がれば大変嬉しく思います。ぜひ多くの皆様に知ってほしい、あの日の事実を一緒に考えてほしいと願うばかりです。もっともっと広めて、ぜひ応援してください。宜しくお願いします。

 さて、皆様にお伝えしておきたいことがあります。あの日、偶然見上げた空の向こうに日航123便を目撃した、関係者から多くのものを見聞きした、相模湾上での赤いせん光を見た、浜に打ち上げられていた飛行機の残骸を拾った等々……。当時、そのように見聞きしたことやモノを地元の警察や報道機関、政府関係者等に報告、または提出した人も多かったと聞きます。富士山での登山中に撮影した日航機の写真、低空飛行状態を描いた絵、そのほかいろいろあったと思います。全てそれらは、事故原因を究明する為、ということで当然のことながら役立ててほしいと願い、むしろこれで自分も少しは役に立てたのだ、と胸を張って、そういう気持ちで協力した人も多かったでしょう。しかしながら、事故調査において、本当にその気持ちを汲み、関係機関はそれを活用したのでしょうか? 32年間もそれを保管、ということで他の人達の目に触れないようにされているだけかもしれません。それらは皆さんのものですから、返してもらう権利があります。

 実は、その際にお礼という名目でお金の入った封筒をもらった、という報告をしてくれた人が随分前にいらっしゃいました。特に関係者の中で、口止め料とも受け止めかねないような相手からの威圧を感じて、お金をもらってしまって後悔している、という人もいます。逆に、そういうことが一切なかったから言いに来た、または今まで黙っていたが決心をして、という方は全くそれとは関係ありません。良心に従っただけですね。しかし、ある人は「関係機関に報告をしたら、お礼ということで封筒を持ってきた人がいた。そして、事故原因を調査中なので、他言無用と言われた。そのお金は何だか使う気持ちがしなかったので、災害義援金として寄付した」という人もいらしゃいました。

 これらのことについて、ちょっと冷静に立ち止まって考えてみたいと思います。まず、そういう状況を経験したかもしれない人たちに、是非とも知っておいてほしいことがあります。こういった違法な契約や約束は、守る必要もなく、お金を返す必要もない、ということです。なぜ、違法なのでしょうか。法律の専門である弁護士の先生方にお聞きした内容を書いてみます。「事故原因の解明は、民間機の航行の安全、乗客の生命・身体・財産の安全を確保するという『公の利益』に資するものであり、これを妨げようとする約束は、民法90条にいう『公の秩序または善良な風俗(公序良俗)』に違反するものであり法的には無効」の可能性が高い、ということです。そして「違法な約束の対価として金銭を支払った者は、約束が無効であっても金銭の返還を要求できない(民法708条・不法原因給付)」ということになります。つまり、相手が警察であっても政府関係者であっても、報道機関であっても、その証拠や情報をもらって事故原因究明に役立てずに、逆にそれを妨げるような口止めがあったとするならば、それは明らかに違法行為だ、ということになります。従って、もらった側は、そんな違法な約束を守っていつまでも黙って隠す必要もなく、ましてやお金を返す必要もないということになりますね。
 
 この点をよく考えて、貴方の人生とあの日を思い出して32年間をぜひ振り返ってください。そして、あの飛行機に乗ったために自分の人生を強制的に終わらせられた人々の想いを汲んで、33回忌の弔い上げとして、あの日を語る人たちがもっともっと増えてくれることを願っております。また関係者であるならば、弔い上げとしてあの世の人達から罪を問わない今年が最後のチャンスとなります。事実を直視し、本物のプロとして語るその時、本当に心が安らぐのではないでしょうか。

 8月6日は広島原爆の日です。あの日の記憶を言い続ける努力こそが私たちの平和を築くのだと思います。今朝の新聞に、今広島を訪問中の故チェ・ゲバラ氏の長男でカミーロ・ゲバラ氏の言葉が掲載されていました。とても印象深い言葉でしたので、ここに書かせて頂きます。「景色は変わったがここで起きた事実は変わらない。人々は殺りくのために存在しているのではない。多くの人が広島へきて、世界の現実を知ってほしいーカミュ―ロ・ゲバラ」。多くの人達が上野村を訪れて、そこで何があり、どうして520名が亡くなったのか、一人ひとりに考えてほしいと心から願います。

 2019.8.16日、青山透子ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ 」。
 ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ

 今年の8月12日の日航123便に関する報道は例年とは異なっていたのを皆さんはお気づきだっただろうか。まず、各局のテレビ報道では、今まで枕詞として当たり前のように「墜落原因は後部圧力隔壁破壊による」と言っていた言葉が全く出てこなかった。むしろ、事故時の映像として、墜落現場で朝まで燃えている炎の場面をクローズアップしたり、機長のボイスレコーダーの声とともに、生のボイスレコーダーの映像が出たりした。これは34年目にして大きな進展であり、大変重要なポイントである。

 新聞報道では、大手新聞は例年通りの精霊流しや登山風景だったが、墜落現場の群馬県の上毛新聞は気骨溢れる記事であった。特にシンポジウムを行った翌日の2019年7月17日付では、「再調査」という文字が34年目にして見出しとなり、その内容にも自衛隊という文字が入って画期的であった。群馬県の新聞としての責任と義務の現れであろう。さらに14日付では、赤坂日航社長と再調査を求める遺族の談話もあり、「事実見直し続ける努力をし続ける」として追加記事が出ていた。これは大変重要なことである。ただ、記事の中で赤坂氏が「相模湾はとても深い」と語っていたことが驚いた。水深160メートルは、深いのか?その認識が技術者とは思えないが、知ってて知らぬふりなのだろうか。念のため、東京タワーは333mとされているが、その半分の深さ、つまりとても浅いのである。残骸のある所は水深160m、これぐらいは覚えておいてほしい。念のため相模湾で発見された日航機残骸のニュース映像をリンクしておく。この引き上げについては、また別途記述する。

 123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年

 各紙に共通だったのは、8.12連絡会事務局長のコメントだけではなく、他のいろいろな遺族の談話を掲載しており、その中で事故原因は後部圧力隔壁破壊という話や事故原因の説明も出てこなかった。ただ朝日新聞のみが、子供相手のような説明記事で、この枕詞を使用していた。しかも、私の新刊本広告が出ている同じページのちょうど上にその記事が出ていたのだが、これは日航123便とは何か、とわざわざ説明して下さったのか、はたまた事故原因は後部圧力隔壁破壊ですよ、と強調したかったのかはわからない。ただ、こちらがお客様としてお金を出している広告の上にその記事をもってきたのならば、せめて、この事故原因では不起訴となって、いまだに犯人はわからない、と説明を加えたほうが子供に正しい情報が伝わっただろう。それでこそ客観性がある報道、というものである。それにしても34年間、すでに場所がわかっている相模湾に沈んだままの残骸の引き上げや再調査を拒み続け、マイクロフィルムで保存している当時の資料を開示しようとしない国土交通省外局の運輸安全委員会の存在価値は何だろうか。自説(事故調査報告書)への裏付けとなった資料を公開したくない、ということは、そこで書かれてものは偽りの報告書ということになる。

 私たちは「ならぬことはならぬものです」と強く言い続けなければ、真の空の安全などは保てない。空の安全とは、この問題を解決してこそ、安全といえるのである。

 もう一つ、ならぬことはならぬ、パイロット飲酒事件が起きた。今回の飲酒事件の顛末は次の通りである。赤坂社長が御巣鷹の尾根で「飲酒問題に陳謝する」会見した2日前の8月10日、鹿児島発羽田行の日航副操縦士からアルコールが検出されていた。しかし、12日の会見ではそのことには一切触れなかった。これは日本航空の危機管理のなさと不誠実さが暴露された事件である。8月12日に赤坂社長が神妙な面持ちで「皆さまに、日航、何やっているんだ、と言われないように飲酒問題は解決しなければいけない最大の課題」と語っていたが、その時すでに新たな飲酒問題の発生があったにもかかわらず、その場で語らず、謝罪もしなかった。社長ご本人の弱い気持ちや恐怖心がその言動を止めたのであろうが、それはむしろ逆であり、不誠実さを暴露したようなものである。あの場で言えないような人は社長の器ではない。誰が止めようが、きちんと説明できないような人は隠蔽体質が身に沁みついていることになり、その表情には指導能力の欠如が感じられた。

 なお、この報道内容が各紙バラバラであったことも、日本航空の広報が全く機能していないことやその内部体制のお粗末さも暴露した。日航は、発表が遅れた言い訳として「副操縦士のアルコール摂取について2日間、確認の作業をしていたから」という子供のようなことをコメントしてきたのである。今時、2日間も確認するほど、鹿児島は遠い地なのだろうか?自社便で行けばすぐだろう。新聞各紙では、①その副操縦士が立ち寄り先の居酒屋で飲んだのでその確認、というのもあれば、②昼食にホテルでボーイに出されたコップの中に、水ではなくお酒が入っていたのを誤って飲んでしまった、③ホテルの部屋で、前夜自分が購入した日本酒を乗務前に水と間違えて飲んだ、というのもあった。驚くべきバラバラの理由である。これはいったい何の現れであろうか。統一されていないのはそれぞれが情報源に取材して日航側が適当に伝えている、つまり広報がまったく機能していない、ということである。さらに、社長は会見を避けて逃げた、ともいえる。誰が水と酒を間違えて飲み干す人がいるだろうか。54歳の男性が水とお酒の区別もつかないほどであったのか?しかも乗務前に、である。これは恐らくアル中(アルコール依存症)と同じで、自制できない域に入っているのでないだろうか。操縦かんを握る手が震えるから、仕事に不安を覚えるから、気を落ち着けるために一杯飲んだ、というのならば筋は通る。これが今の日本航空という会社の社員のしたことであり、働く現場の現状だ。極めて病理は深い。酒をあおって操縦かんを握ることなど、ならぬことはならぬ、のである。

 皆さまに明確にお伝えしておきたことがある。ちまたでは、「日航になにか恨みでもあるのか、許してやれよ」、という言葉を私や遺族に平気で言う(ネットでわざと書く)人がいる。これは重大な問題を含んだ言葉であることに皆さんは気づいているだろうか。私が研究者として書く内容は、恨みなどではなくむしろ事実の追究であってそこに客観性があることは読者の誰もが気付くであろう。その結果は、日航の冤罪や罪についての考察にもつながる。もちろん、逆に日航にいた人間だから、その罪の軽減に加担するのか、という意見もあろうが、それについても本を読めばわかる通り、どちら側からも書いている。それでは日航の罪とはなにか。

 不起訴となったことからもわかるように、事故調査報告書とは異なる新たな墜落原因があるとすれば、日航の罪ではないことはこの公文書が証明した。ただし、誰かから強要されて、高木養根社長(当時)が、殺される、と震えていたほどの恐怖心を感じ、命の危険にさらされていたのであれば、脅迫によって不本意ながらその罪をかぶったことになり、日航側の罪は犯人隠避罪のようなこととなる。共犯かどうか?これは構成要件にどのようにあてはめるかによる。簡単にわかりやすく書くと、運輸安全委員会(当時)は事実と異なるのであれば公文書偽造、故意的に偽造改ざんは証拠隠滅罪となる。しかし、危険を感じるほどの脅迫を受けたのならば、その罪は軽くなるだろう。それでは相手に恐怖心を抱かせるほど脅迫した当人がいるはずだ。それは当時の運輸省か、首相官邸サイド、中曽根元首相、自衛隊幹部、他の誰かだろうが、これらは脅迫罪となるが、今のところわかっていることはここまでである。いずれにしても、いまだに真犯人にはたどり着いていない。真犯人は、今でも遺族に一切謝罪もせずに、罪とも向き合わず、隠蔽体質の人々に守られて、のうのうと生きていることになる。520人の命を絶った犯人であるから、史上最大の大量殺人事件となる。私はその原因不明を追究しているのであって、ご遺族は真犯人からの謝罪を強く望んでいるのである。それは当たり前のことだろう。従って、先に書いた「遺族は日航を許してやれよ、青山透子は会社に恨みでもあるに違いない」という論理は破たんしてる。恐らくこれを書いた人、言った人は関係者であろう。しかも単に自分の年金がなくなるとか、自分の息子や娘の就職先(日航)がつぶれては困る、とか、責任をかぶりたくない国土交通省とか、そのたぐいであろうが、いずれも自己保身と自分の食い口のためだろう。そのお金はどこからくるのか。お客様が航空運賃として支払ったお金や国民の税金である。それに対して、いまだに隠蔽するとは、これも、ならぬことはならぬ、のである。

 もちろん、不確かな情報で、一方的に相手側の不満やはけ口を鵜呑みにしてもいけない。面と向かってきちんと話をせずに、本当の事情も知らずに人を貶めるように陰でこそこそと企てをしてもいけない。また、純粋に事故原因を追及しているふりをして、実はかく乱するのを目的として書いている人もいる。変な人を装い、これを追及する人に対してレッテル張りを一生懸命している人、それに加担している人もいる。こういった様々な人間の心の裏側を認識して、思惑に引っかからないように冷静に判断をして筋を通すことは人として誰もが心がけるべきであって、ジャーナリストならば特にそうあるべきだろう。ならぬことは、ならぬことはならぬものです。

 追記だが、一つ老婆心ながら忠告しておきたい。航空会社の乗務員たちの仕事は、フライト時間が早朝や真夜中も多く、過密スケジュールの中で働くのが日常であり、昔と違って国際線のほとんどが長距離フライトの直行便では、機内で仕事をする時間も長く、時差もあり、心身の乱れが出てくることは当然だと思われる。そこで、アルコールに依存しなければ眠れないとか、気分が高揚しない、乗務出来ないという人が出てくるのだろう。アルコール検査が厳しくなれば、次に取る行動は薬物依存である。官僚(経済産業省や文部科学省の職員)が職場で大っぴらに注射器を使用して覚せい剤を使い、逮捕されるという異常な今日この頃、そのうち薬物依存症のパイロットが出てきてもおかしくない。フライトで訪れる海外では合法の国もあり、その辺で気軽に購入も出来るそうだ。そうなると、「アルコールではすぐ検知されるから、薬物にしよう」と言い出しかねない。

 それがどういう行動に出てくる危険性があるかについて米国の航空医療関係者に聞いた。大麻、危険ドラッグ、覚せい剤といった薬物に依存して操縦かんを握った場合、次のような場面で危険な事態が生じる。最低安全高度(minimum safe(flight)altitude, minimum enroute altitude)時の判断や有視界飛行方式(VFR:visual flight rules)の時に、薬物よって気持ちが大きくなって蛮勇を振るう行動に出る、ということだ。つまり早い話が、ミニマムの状況での判断の際に、引き返す勇気ではなく、事の是非を考えないで向こう見ずの勇気(本物ではなく、薬物による勇気もどき)が出やすくなる。するとどうなるだろうか。いくら訓練を積んでいても、とっさの判断が出来なくなるということになってしまう。「突っ込んで行け!」と精神が高揚して、地面に激突ともなりかねない。その結果、被害を被るのは本人のみならず、大勢の乗客である。事が起きてから謝罪ではすまされない。昨今、聞くところによれば、官邸周辺でも、外遊機内でもこういうタイプの人が多く出没するそうで、「ちんちくりん」なことを話すらしい。少しはいろいろな角度から論文を読んで研究したいそうだが、きちんと読んで理解出来るかどうか、勢いをつけて気分ばかりが高揚しても困るのである。搭乗者のみならず運航乗務員、客室乗務員の手荷物検査に麻薬探知犬による取り締まりを強化すべきだろう。火の無い所に煙は立たぬ、ならぬことはならぬものだ。


西岡昌紀氏の青山透子論考論
 「阿修羅♪ > 日本の事件32」「西岡昌紀 日時 2021 年 8 月 12 日」「ファントム機目撃証言の謎ーー青山透子(著)『日航123便 墜落の新事実/目撃証言から真相に迫る』(川出書房新社・2017年)より」。
 1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故から36年が経ちました。この事故については、幾つもの謎が残されて居ます。 その謎の一つは、2機の自衛隊機(ファントム戦闘機)が、墜落直前のジャンボ機と共に飛行して居たとする目撃証言が有るのに、それらの目撃証言が無視されて来た事です。 この問題について、日航ジャンボ機墜落事件を調査し続ける青山透子さんが、著作の中で報告して居る事実は、以下の様な物です。
 もう一つの疑問、ファントム2機についてであるが、これも墜落前の時刻に自衛隊員によって明確に記述された目撃情報がある。群馬県警察本部発行の昭和60年10月号『上毛警友』という冊子は日航機墜落事故特集号として、警察関係者のみならず救助や捜索に関係した、医師、日赤、報道、地元消防団、ボランティアなどあらゆる部署、現場の人々の手記が掲載されている。表紙は生々しい煙が立つ上野村の墜落現場の写真である。それぞれが経験した「あの日」のことが書いてあり、仕事や役割とはいえ、これほどまでに大変な思いをして任務にあたったのかと本当に頭が下がる思いで読んだ。その122ページに『日航機大惨事災害派遣に参加して』というタイトルで、自衛隊第12偵察隊(相馬原)の一等陸曹、M・K氏の手記がある。その出だしを読んだ字、これは確実な目撃情報だと確信した。
 「8月12日私は、実家に不幸があり吾妻村に帰省していた。午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でも有ったのだろうか』と話をした。午後7時20分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。これは出動になると直感し、私は部隊に電話したが回線がパンク状態で連絡がつかない」(原文ママ、以下略)

 この後タクシーで向かったが、所属部隊はすでに20時半に第1陣偵察隊として先遣されていたという。自衛隊員がファントム機を見た、ということで見間違いはあり得ない。警察の編集する冊子に、当日自分が経験したままを書いたのであろう。この記述によって、群馬県吾妻村上空を18時40分頃ファントム2機が飛行していたことが明らかになった。そうなるとやはり、小林さんが語ってくれた静岡県藤枝市上空を18時35分頃にファントム2機が通過したという目撃証言と一致する。したがって、明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である。もはや墜落場所が一晩中特定できなかったという言い訳は当然のことながら通用しない。問題なのは、なぜ墜落前に飛んでいたファントム2機の存在を隠し続けているのか、ということである。どうしてもそうしなければいけなあい理由があったとしか考えられず、それがこの事故を事件ではないかと感じた理由である。さらに目撃者は続く。墜落現場となった上野村では多くの人たちがあの日の晩、いろいろなものを目撃している。特に注目すべきは子どもたちの目である。子どもたちはその小さな目で真実を見たのである。
 皆さんは、どうお考えに成りますか? 2021年8月12日(木) 西岡昌紀
 ファントム機目撃証言の謎ーー青山透子(著)『日航123便 墜落の新事実/目撃証言から真相に迫る』(川出書房新社・2017年)より : 徒然なるままに (livedoor.jp)
 [mixi] ファントム機目撃証言の謎ーー青山透子(著)『日航123便 墜落の新事実/目撃証言から真相に迫る』(川出書房新社・2017年)より

青山氏の、悪意はないが狭い知見からのミスリード考
 一等陸曹、M・K氏「 午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛 隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。・・・明確にしておかなければいけないことは、まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかりと見ていた、という事実である」
 青山氏の、悪意はないが、狭い知見から国民をミスリードした罪は大きいよ。2機のファントムについて、飛び方から自衛隊機でないと見破った人が只1人いるよ、高浜機長だ。流石に空自パイロット出身だけあって、直ぐに気づいた。ボイスレコーダーが隠蔽の状況で、何らかの方法でその事実が外部に漏れたらしい。あとは、エンジンに突き刺さったオレンジ色の物体等ついて、自衛隊ではオレンジ色の模擬誘導弾を使用してたことから、相模湾で演習中の海自艦艇発射のそれが外れてJAL機に向かったとかの説あるが、青山氏の説か不明だが、噴飯だな。国軍がそげんな悪さやミスやる筈ねえよ。日本駐留のUSAFはオレンジ色の飛行体持ってたよ、AIMー4Fとかのフアルコン中性子ミサイルだ。更に、現場で救助や捜査にあたったもんの中から、ガンなど相当に多いよ。捜査の指揮した群馬県警のSM氏とか、一早く現場に駆け付けたM君とか、みんなてえへんだよ。この件は、あんまりにもオッ!恐ろしんで、ヨーケ書けんが、単純な視点だけで速断する愚は避けるべきだし、世論をミスリードだけは避けるべきだ。下山事件なんかだって、情報は単純でなく、複雑に混線して出されてきた、まあ諜報のイロハといえば言えるが。
 数年前のこの8月に阿修羅サイトが本件取り上げた際に、コメを載せたので、関連で再掲する。

 真相は、政府も自衛隊も上野村々長も、群馬県警も前橋地検も県警鑑識官も、その他関係者はミーンナ知っちょるよ。上野村消防団員だって、いの一番に駆け付けたM君だって、ミーンナ知っちょるよ。アメリカ国民に聞いてみな、こっちも皆―んなヨーケ知りおるよ。ただ本件が情報封鎖的状況となり、日本国民だけに真相が伝わらないのは、関係者や物書きが随分と関連本を書きよるが、調査能力の視野狭窄的状況だけでなく、恐怖から真実に迫れないためであろう。池田昌昭・森永卓・安倍譲二・青山透子等々綿密な調査に基づく仮説は迫力あるが、最後の結論がNDAへ収斂してしまうのが、惜しいとこである。真犯人からみれば、これでは全く怖くないわけだ。

 当時の日米経済戦争の状況は、その激しさは、現今の米中経済対立の比ではなかった。この状況の中で、アメリカ側はあるいは軍部は、動くときは動くと明言してる。たとえばワインバーガーは前年1984年11月に、ワシントンのNPCで有名なスピーチしおるが、その中で米軍の軍事力行使の条件・環境等について“新しい軍事力が構築された場合、多くの人々はそれを活用してみたいという気持ちにかりたてられるものである。しかし私は、はっきりとした目的があり、またそれが達成できる場合にのみ、できるだけ迅速に目的を果たすのに必要なだけの規模で活用することが重要だ、と感じてきた。軍事的な行動に出るのは、他の全ての努力が尽くされ、それらが全て失敗したときにのみに行使される最終手段でなくてはならない。また軍事力は、国家の重要問題に関わる時以外には絶対に使用してはならない”(出所:長岡大学 研究論叢 第10 号 2012 年7 月、広田秀樹論文)と、述べている。

 1984年11月という、この時期に注目してほしい。ここでの“新しい軍事力”とは具体的に何を指すか、実質被占領状態の我が国でP旅団などの存在を考えると、恐怖でこれ以上は書けないが、一歩踏み込んだのが佐宗さんだが、とにかく恐ろしいんで口を噤んでしまうが、真実へのアクセツは未だ未だ遠いつうんが、現状である。最近ユーチューバーなどで、19850812の真実について、ついに解明してる著作があったと、青山本などを嬉しそうに掲げちょる御仁がおるが、まあ噴飯ものだな。とにかく本件の情報封鎖的状況は、未だ未だ続きそうだ。コロナ武漢野生動物説は、ネット情報で瞬殺されたんに、こっちの本件は・・・。





(私論.私見)