笠原芳光のイエス論






(私論.私見)


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04/4/27

 イ エ ス と い う 体 験

大 貫  隆  著

岩波書店(2003年10月出版)

 

 イエスは、神の子であったか。
 イエスは、自分を神の子と自覚していたか。

 キリスト者でも何でもないものにとっては、どうでもいい質問だろう。しかし著者は、この問題に答を見つけることが、ブッシュのアメリカの迷妄を正すことになる、との思いで、この本を書いた。そのように「はじめに、本書の課題と方法」にも、「あとがき」にも書いてある。

 書かれていることは、上の問いに対する、新約聖書の文献学的な研究にもとづく答である。そのことと、ブッシュのアメリカがイラクでやっている間違った戦争との間には、とてつもない距離がある。しかし著者は、この疑問にきちんとけじめをつけ、そこからアメリカのキリスト教原理主義を批判していかなければ、今後も同じような間違いをアメリカが犯し、世界中をますます混乱させるに違いない、との信念にもとづいて、これを書こうとしたようだ。その情熱のゆえか、わずか1ヶ月でこの2百数十ページの本を書き上げたという。書かれてあることは、決して筆が走っておらず、冷静で説得力のあるイエス論である。

 私はこれまで数多くのイエス論を読んできたが、大部分はキリスト教の立場を最終的に守ってしまうか、あるいは偏ったイエス像(たとえば過激派イエスというような)を読み込ませすぎたかであった。この書物は、最新の学問的成果に基づき、これまでになく納得できるイエス像を提示していると思う。

 イエスの言行を伝えるのは、新約聖書冒頭の4つの福音書である。これらはイエスの死後数十年以上経ってから、伝承にもとづいて編集されたものである。生前のイエスが語った言葉は、伝承の過程で、正確に伝わったわけではない。イエスの死後、弟子たちは、イエスの生涯とその死がどのような意味を持つかについての共通理解を作り上げていった。大貫は、それを原始キリスト教会の「標準文法」と呼んでいる。この標準文法に沿って、生前のイエスが語った言葉に粉飾が加えられた。粉飾という言葉が失礼なら、善意の言い換えや加筆がなされた。それが今私たちが手にする4つの福音書である。

 福音書の成立の歴史を分析し、各文書を文献学的に詳しく調べることで、生前のイエスが語った「なまの言葉」と、その後の変更・加筆部分とを、より分けることができるだろうか。古くは19世紀から始まって、20世紀いっぱい、沢山の研究が積み重ねられてきた。ある時期の典型的結論は、「不可能!」ということだった。福音書に記されているイエスの言葉も行動の記録も、原始キリスト教会が堅く信奉した「標準文法」にあまりにも色濃く染まっていて、生前のイエスの言葉を抜き出すなどとうていできない。むしろ「標準文法」こそが福音書の純正な部分であって、生前のイエスの言葉を求めるなどどうでもいいことだ、とまでされた。

 「標準文法」とは、キリスト教の正統的な教義である。イエスは単なる歴史的人物であるだけではない。天地創造以前から神の独り子として存在し、この世を救うために、地上に遣わされ、神の言葉を伝えた。生涯の最後、十字架上の死は、人間の罪をすべて背負っての贖罪の死であった。そのイエスが救い主キリストであることを信じることによって、人は救われる。キリストはその死を越えて復活し、今は神のもとにある。やがて再びこの世にやってきて、信じるものと不信のものとを裁き、信じるものは天国に受けいれられる。これが「標準文法」のあらすじである。

 カトリックからアメリカ原理主義キリスト教まで、この「標準文法」は、共通して信奉されているが、その受け止め方には、さまざまなニュアンスがある。十字架上の死による赦しを、日々の生活のなかで実体的に受け止めるカトリック、信じることによって救われることを強調するともに、「標準文法」の古代的表現を現代的な解釈で補っていこうとする主流派プロテスタント教会。すべてを言葉通りに受け止めて解釈を許さず、特にキリストの再臨による裁きを強調し、非キリスト教徒を地獄に堕ちるものとして差別視する原理主義者たち。そんな色分けになるだろうか。

 さて、先ほど書いたように、聖書の文献学の一時期の結論は、生前のイエスの言葉を抜き出すことはほとんど不可能ということだった。しかし、その後、新約聖書文献学の潮流は変わってきたようである。イエスの時代の社会的状況についての知見が進んだこと、また文献学の手法に新たな進歩があったことなどから、必ずしも不可能ではなく、これこそイエスの語った言葉だといえるものを、標準文法に染まった記事の中から汲み上げることができる、という肯定的な方向へ変わってきた。

 大貫は、そのような最近の新約聖書学の成果をもとに、あらためてイエス像を描き直そうとする。それにより、キリスト教原理主義者の信奉するキリスト教が、イエスの原像からいかにずれているかを明らかにしようとする。

 著者大貫の方法はこうである。福音書の個々の記事を分析する。その際、言葉あるいは文脈に 「標準文法」、すなわちイエスを神の子キリストとする考え方に染まった部分があれば、その部分は、伝承の過程で変更・加筆されたものとし、その色彩のない部分こそが、生前のイエスの言葉であろう、とするのである。福音書には相互に重複している記事が数多くあるので、それを比較対照することで、どのような加筆がなされたかも分かる。

 丹念な文献学的な研究の結果は、その一部が本書に例示されているにすぎないが、本書で大貫の意図するものは、読み直しの詳細をあげることではない。むしろ、個々の記事を繋ぐことで見えてきたイエスの原像の提示である。イエスを突き動かしていた根源的なものごとが何であるか。イエスの言行の原動力となっていた、イエスの抱いたイメージの総体は何か。大貫はそれをイエスのイメージ・ネットワークと称する。

 大貫は、これまでのキリスト教の伝統的解釈に反して、イエスは神の子ではなかったし、自分もそのように自覚していなかった。むしろ普通の人だったし、そのように自認していた、とする。イエスが特異だったのは、それまでの戒律にしばられたユダヤ教のあり方を批判し、決別したこと。さらには自分の師であった洗礼者ヨハネの唱えた神の裁きが近いとのきびしいメッセージともたもとを分かったこと。イエスはまったく新しい地平に立ったのですある。それは、きわめて肯定的な意味での「神の国」がすぐ来ること。いや、もう天上ではそれは始まっていること。そのことを力強い言葉で語り、またそれを身をもって示そうとしたのが、イエスだった。

 イエスのイメージ・ネットワークを、大貫は 「宇宙の晴れ上がり」 という言葉で表現する。なんでも最近の宇宙物理学がビッグバンについて言っている言葉を借りているらしい。それはたとえばイエスの語ったとされる、有名な 「山上の垂訓」 の一部に現れてる世界のイメージである。

【ルカ21章22ー28節】 そこで彼(イエス)は弟子たちに言った。「だから私はあなたがたに言っておく。いのちのことで何を食べようか。体のことで何を着ようかと思い煩うな。いのちは食べ物よりも大切であり、体は着るものよりも大切なのだから。からすをつぶさに見なさい。蒔かず、刈らず、納屋もなければ、倉もない。しかし、神は彼らを養っていてくださる。あなたがたは鳥よりもどれほど優れた者であろう。あなたがたの内の誰が、思い煩ったからといって、自分の背丈をわずかでも伸ばすことができようか。そんな小さなことさえできないのに、なぜ他のことまで思い煩うのか。草花がどのように育つものか、つぶさに見なさい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、私はあなたがたに言う。栄華を極めたソロモンでさえ、その一つほどにも装ってはいなかった。もし、今日は野にあっても明日は炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのなら、ましてあなたがたにはなおさらのことではないか」。

 ここでは、善と悪とか、価値と無価値というような一切の区別が取り去られて、すべてが神の無条件のはぐくみ、無条件の肯定のもとに置かれている、と大貫は言い、それを 「宇宙の晴れ上がり」 という言葉で代表させる。この肯定的世界が神の国であり、それがすでに始まっている、とイエスはのべ伝えたかったのだ、と大貫は解釈する。その文脈で、福音書全体は意味のネットワークとして読み直される。ここでは、その紹介をすることは、やめておこう。当時の社会で差別されていた人々に、イエスは、神の国はあなたがたのものであると語ったこと、イエスの行った数々の奇跡、イエス独特のたとえ話などが、上記のイメージネットワークの視点から、解き明かされる。

 それでは、イエスの最後の死は何だったのか。「標準文法」は、イエスにとって、死ぬことそれ自体が使命だったとする。キリスト教批判の人たちは、イエスはユダヤ教に対する反逆者として殺されたのだとする。大貫はまったく違う解釈だ。最後の最後までイエスは、神の国の現実的な到来を信じながら、それが果たされないまま、自分が殺されてしまうことを理解できずに、絶望の死を遂げたと考える。歴史上の人物イエスにとって、それが終わりであった。

 イエスの死後、弟子たちが、イエスの死の意味をとらえ直すことで、キリスト教は出発した。それはイエスのイメージネットワークを組み替え、イエスを神の子とし、イエスの死に意味をつけることで出来上がったものである。そこまで大貫は断定していないが、はっきり言えば、その後のキリスト教とイエスとは別のものだ、ということである。

 本書の最後の部分で、古代の神話的世界観のなかで生きたイエスが、当時の言葉で語ったイメージネットワークを、現代のわれわれの言葉でとらえ直す試みを、大貫は提示している。私にはよく理解できなかったし、本書の重要な部分ではない。

 イラクでの戦争、アルカイダの全世界規模のテロリズム、イスラエル対パレスチナのいつ果てるともしれない抗争、ロシア国内でのチェチェンの抵抗。現在の世界情勢をながめてみると、戦争やテロリズムが、依然として、あるいは前の時代にも増して、宗教の問題と結びついていることに気づく。「依然として」としてと書いたのは、世界史上の数々の戦争は、宗教の対立が原因となっていたことを、私たちは知っているからである。「前の時代にも増して」と書いたのは、宗教が表だった要因と必ずしもいえなかった帝国主義戦争、ファッシズム対民主主義の戦争、そして冷戦という時代が終わった現在、中東におけるさまざまな戦乱の原因にイスラム対他宗教という対立があること、その戦乱に最強の「帝国」として手を出しているアメリカ合衆国そのものが、宗教色の濃い国であることを念頭に置いてのことである。

 人々に安らぎと癒しをもたらすはずの宗教が、どうしてこのようにひどい抗争と殺し合いを引き起こしてしまうのか。それぞれの宗教の中に、あるいは宗教ということ自体の中に、何か根源的な問題があるに違いない。私たちは、宗教を乗り越える、あるいは脱することでしか、この世界状況を解決できないのだろうか。しかし宗教は、人間が生きていくために不可欠のものなのかもしれない。人間であるということと、宗教を信じることとは、深いところで結びついているのかもしれない。進化の過程で生まれた人類(ホモサピエンス)の脳の構造の中に、宗教を生み出す構造と機能がビルトインされているのだろうか。

 宗教は絶対者を立てる(仏教は違うのかもしれないが)。絶対者は絶対であるゆえに、他の絶対者を認めない。宗教は互いに相容れない。あの神様も、この神様も、それぞれにいい、などと互いを相対化のレベルに置いては、信じるという行為が成り立たない。

 すべての宗教は、それぞれの歴史を持っている。ある歴史的経緯のなかで、特定の時代に、特定の民族、特定の地域で発生し、特異な形に発展し、伝承され続けてきた。もし「人類みな兄弟」という普遍的な考え方に立つことができれば、それぞれの宗教を、ある歴史上の現象として、相対化できるのではないか。個々の宗教の出発点をよく確かめ、特に教祖の根源的な主張が、どのような点にあったかを、特殊化をできるだけ避けて(特定宗教の言葉を使わずに)、普遍的な人間存在という観点から見直すことで、共通基盤のもとに置き直すことができないものか。

 教祖の根源志向は、人間存在に対する普遍性のある洞察から発していたものが、宗教という制度になっていくなかで、教条化され、形式化され、排他的に変わっていったのではないか。そのことを、調べ直すなかで、根源的・普遍的なことではなく、特殊で些末な部分こそが、形式化されて墨守されてきたことが分かってこないか。その部分は、根源的なことに比べれば、二次的なこととしてこだわらなくてもいいのだ、という寛容と知恵がでてこないか。根源的なこと自体も、古い始祖の時代の言葉ではなく、現代の言葉で理解し直してみれば、共通理解の糸口が見いだせるのではないか。こんな方向でしか、宗教間の対立は乗り越えられそうにない、と思う。だが、それは、とても難しいことだ。そんな方向には行かず、人間と社会は愚かであり続けるに違いないという悲観論も、すぐ背中合わせにあるのは承知だ。

 以上は私の感想の付け足しだが、大貫が再発見したイエスは、そのような形式宗教の枠や諸宗教の対立を越えた人だった。そのイエスから、キリスト教なるものが生まれてきたのは、大きな歴史の皮肉であろうか。まして今イラクに手を出し、イスラム教徒とはげしく対立しているアメリカの、精神的基盤であるという原理主義キリスト教が、このイエスをかついでいるなんて、なんということか。ブルース・バウアーの書いた「Stealing Jesus」 のタイトルを借りれば、「おまえら原理主義者よ、イエスを盗まないでくれ!イエスの本当の姿をもっとよく知ってくれ!」 というのが、紹介した書物を書いた、大貫のいいたかったことだろう。

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イエスの生涯

比類なき人間イエスの姿を実証的・具体的に描き出した宗教史の名作。
Ernest Renan "Vie de Jesus", 1863
E・ルナン『イエスの生涯』(忽那錦吾・上村くにこ訳人文書院2000年)


【1】 19世紀フランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、聖職者になるべく神学を修めながらやがてドイツ哲学の影響により懐疑にとらわれ、科学と実証主義の立場へと転向を果たした。科学による人間知の組織化を信じたルナンはヘブライ語の教養とパレスチナ訪問の経験を基礎にキリスト教の起源の実証的研究に取り組み、20年ののち、大部にわたるキリスト教史『キリスト教起源史』(全7巻)を完成させる。本書『イエスの生涯』はその第一部として1863年に刊行され、称賛・非難双方の大きな反響を呼んだ。
 19世紀随一の名文家ともされるルナンは、本書において簡明平易な文章により、キリスト教の創始者イエス(Jesus-Christ, c. 4 B.C.-c. 30)の類なき一生とその思想の要点を解説する。そこには終始資料に依拠しながらイエスの実像を具体的に明らかにしようとする歴史家の誠実さと、「比類なき人間」イエスに対するルナンのたしかな信仰とが二つながら共存しており、そのことが本書をして、福音書を逐一引用しながら教訓を垂れるカテキズムとも、情緒過多の自己陶酔的な信仰告白とも異なる、一編の卓抜な宗教書たらしめている。

あらすじ
【2】 ガリラヤの寒村ナザレ(注1)で平民ヨゼフとマリアの長男として生まれ(注2)、おおらかな自然のもとで成長したイエスは、ユダヤ教文化の中で素朴な教育を受けたのち大工となった。しかしあるとき(正確な経緯はよくわからない)、「神の国」の思想がイエスに宿り、かれは預言者としての歩みを始める。巧みな比喩と生き生きとした演説の才能を備えたイエスは、ガリラヤ湖の周囲に布教を試みながら、若きラビとしての地位を確立していった。
 ユダヤ地方に現れた峻烈な預言者バプテスマのヨハネとの交流などを通じて、イエスのもとに集まる人々は次第に増えていき、ヨハネ派とならぶグループに成長する。イエスの思想も成熟をみせ、「神の国は貧しい者のためにある」(注3)、「誰もが自分の内に神の国をもっている」といった重要な教えに到達する。かれはもったいぶったパリサイ人の祭司たちを嫌い(注4)、異教徒や差別された者に寛容であったが、ユダヤ教の聖地イエルサレムではペダンティズムや狭量な律法論争が幅を利かせており、イエスの布教は成功しない。形式的な掟ばかりを重視するユダヤ教への信仰はイエスの中で失われ、改革の熱情がしだいに頭をもたげる。
 ユダヤ教に対する挑戦的な教えを説くイエスの影響力が高まるにつれ、イエルサレムの祭司たちはかれをうとんじ始める。ユダヤ教の大祭司カヤパとその義父ハナンの一族は、ローマの政治的支配を打倒しようとしているとの口実でイエスを総督ピラトに告発する。宗教的ファナティスムの果てに政治的混乱の生ずることを怖れたピラトは押し切られてイエスの処刑に同意し(注5)、イエスはゴルゴタの丘で十字架にかけられて命を落とす(注6)

(注1)
伝説はベツレヘムで生まれたとするが、苦しいこじつけである。イエスのメシア的役割を強調するために、このような牽強附会を行わねばならなかった事情については、ここでは触れない。(第一章、20ページ)

(注2)
人類の血による差別をなくすことに力をつくした当のイエスの体に、どんな血が流れていたかを調べるすべはない。(第一章、20ページ)
イエスの系図が不正確で矛盾しているのは、たぶん人々が違った立場から細工したせいであって、イエスが公正と認めた系図は一つもない。彼が自分の口からダビデの子であると名乗ったことも一度もない。(第十四章、180ページ)
およそ歴史上の大事件が起こると、作り話の輪を転がさずにはおかないものである。イエスが、このような大衆説話ができてゆく動きを止めようと思ったとしても、止めることはできなかっただろう。桁外れな人物は、男女のふつうの交わりからは生まれないという古くからの俗説があったし、メシアは処女から生まれるという『イザヤ書』の誤読から生じた信念もあった。(第十四章、181ページ)

(注3)
イエスも、もったいぶった人々はけっして神の国に加われないだろうことをすみやかに見てとり、驚くほど大胆に、その連中を見限ってしまう。狭い偏見に囚われ、干からびた心の持ち主は置き去りにして、彼は純朴な人々に向かう。(第十章、130ページ)

(注4)
イエスは、ひたすら心情の宗教を望んだが、一方パリサイ派の宗教は、ただ戒律を守ることだけを教えた。イエスは謙虚な者、虐げられた者に目を向ける。一方、パリサイ人にとって模範的な人物に目を向けないのは、自分たちの宗教に対する侮辱であった。彼らは自分が非のうちどころがなく、完璧で間違いのない教師であると自認する。シナゴーグでは上座につき、これみよがしに路上で祈り、鳴り物入りで施しを与え、そういう自分を見てくれているか上目づかいで窺っているのだ。イエスの方は、何人も神の裁きを恐れおののきながら待つべし、と強調していた。(第十七章、213ページ)

(注5)
世俗の権力が祭司の要求によって民衆を迫害したり困らせたりするのは、その権力が弱体である証拠である。だから”罪のない指導者が、まずピラトを石で打つべし”というべきだ。罪深いのは「世俗の腕力(権力)」ではない。その背後に隠れている残忍な聖職者たちだ。下僕たちに血を流させておいて、自分はそれを見てぞっとしたなどとうそぶくのは、断じて許し難い。(第二十一章、280ページ)

(注6)
弟子たちは逃亡していた。だが、ある伝承は、ヨハネがずっと十字架の下に立っていたとしている。より確実に言えること、それは、イエルサレムまでイエスに従ってきて、絶えず彼に仕えていたガリラヤの信仰深い女たちは、彼を見捨てなかったことだ。マリア・クレオパ、マグダラのマリア、クーザの妻ヨハンナ、サロメそのほかの女も、少し離れたところで彼を見守っていた。(第二十二章、288ページ)

本書への二つの道標
【3】 本書を読むことは私にとってかねてより思い定めていた課題であった。というのも、相互に関係のない二冊の本から、私は以前に本書の存在を指し示されていたからである。その二冊というのは、一つがエミール・ゾラの小説『ごった煮』(1882)、もう一つがヴィルヘルム・ライヒの『キリストの殺害』(1953)である。
 19世紀末パリ中流階級の偽善的生態を暴露したルーゴン・マッカール双書第10巻『ごった煮』のなかに、次のような描写が出てくる。

彼〔カンパルドン=引用者注〕は最近出版されたルナンの『イエスの生涯』を、非常にはげしい言葉で非難して、「焼かなければならないのは、あの本ではなく、著者その人です」と繰り返した。
(第18章、ゾラ『ごった煮』(田辺貞之助訳、角川文庫、1958年)下巻266ページ)

 ここで『イエスの生涯』を非難しているカンパルドンは、娘に厳格な貞淑教育をほどこすいっぽうで妻に隠れて愛人をつくっている男で、『ごった煮』のなかで偽善的道徳家の典型として描かれている人物である。この人物をゾラが揶揄を込めて描いていることは言うまでもない。『ごった煮』のなかで『イエスの生涯』が言及されるのはここだけなのだが、ゾラが揶揄的に描く人物が激しく非難する本ならば、間接的にゾラが肯定的に評価していると見てもよさそうだと思い、私は興味をもっていた。

 もういっぽう、ライヒの『キリストの殺害』もまた『イエスの生涯』に言及しており、しかも重要な文脈で触れられている。『キリストの殺害』はイエスの思想とその死をめぐる精神分析的見地からの解釈だが、問題の箇所というのは以下の二つである。

うたがいもなく、キリストは肉体と女の愛を知っていたが、それは他の多くのものを自然に知っていたのとおなじふうにしてだった。キリストのやさしさ、光にみちたふれあい、人間のもろさ、姦婦、罪人、売春婦、こころのいやしき者にたいする理解は、性器的欲求不満のないキリスト像でなければ、つじつまがあうはずがない。(中略)ルナンのような無教会派の著述家たちは、はっきりとこのかんがえをあらわしていたし、キリストの道を曇りなき心で知るひとたちには知られていた秘密だ。
(ライヒ『キリストの殺害』(片桐ユズル・中山容訳、太平出版社、1979年)66ページ、強調部分は訳文では傍点)

 わかくて、はつらつとして、うつくしく、魅力的なイエス・キリストが殺害されたのは、そのからだつきと活気が、タルムードの祭司だったらむりをして生きつづけるのもつらいほどのものだったからだ。そして、信条や知識の宮をひきついだタルムード学者たちは、キリスト殺害の秘密のこの核心については、一言も語ろうとしなかった。ルナンは、この話題にだれよりも近づいたために、フランス学術院を除名された。キリストの秘密についてのこの記述を、ひとびとはどうあつかうだろうか?
(ライヒ上掲書259ページ)

 かたくなな心の信仰家たちが偉大な人間イエスの生命力によってたかって寄生して彼を死に至らしめたのであり、その遺産がキリスト教会なのだ、という基本的理解にたつ『キリストの殺害』において、このように高く評価されているルナンの存在は強烈な印象を残す。私を本書へ向けて強く動機づけたのは、なによりもまず『キリストの殺害』におけるこれらの記述であったのである。

問題
【4】 さて、私のばあい以上のような個人的ないきさつがあったとはいえ、本書はまたイエスの思想の格好の入門書でもあるのであって、結果として本書からの収穫は非常に大きかった。こんにちの日本ではキリスト者でない者がキリスト教についてまとまった信頼のおける知識を得る機会というのは意外と限られているように思うが、しかし私のほうもまた、そういう状況に甘んじて逆に信仰について考えを深めることを怠ってきたようなところもあった(注7)。その点、イエスの教えについて平易な名文で説いた本書は、自分の考えを再確認する機会をも私に与えてくれたのである。

(注7)
私も興味がないわけではないので、ときどき布教に来るキリスト教会の人をつかまえて話をしたりするけれども、なかなか実りある対話に発展させることができない。というのも、(私の偏見かもしれないが、)こうした人々にはすぐに自派の教義解説にはいりたがる「教理問答系」か、自分の回心経験をとくとくと語るだけの「自己陶酔系」のどちらかのタイプの人ばかりが目立って、そもそも信仰の手前で「躓いて」しまっている私からすれば、そのスタンスからして納得がいかないからである。私は「理解できなければ信じられない」から説明してくれと頼んでいるのに、「信じなければ理解できない」からまず信じなさいというのでは、いつまで経っても平行線なわけである。

 教理問答がしたいわけでも、自己陶酔したいわけでもない私は、信仰をめぐる問題を次のように立ててみよう。「私たちがこの災厄に満ちた人生を生きていこうとするとき、現世の不幸や社会の不正に起因する苦しみを、私たちはどのように納得して受容していったらいいのか。信仰をもつということは、その問いに納得のいく説明を与えることができるのか」と。これは宗教の扱う唯一の問題ではないかもしれないし、宗教だけが扱う問題でもないであろうが、宗教にその説明を要求すること自体は、あながち間違いではないであろう。少なくとも、私が宗教に興味を持つことがあるとすれば、まずもってこの点をめぐってであることはたしかである。私は納得を得たいのであって慰めを得たいのではない。私が信仰を持つことがあるとするなら、ある思想がこの点をどのように説明できるかにそれはかかっている。

マテリアリズムかイデアリズムか
【5】 宗教だけが扱う問題ではないと言ったが、この問いに対しては、まずマテリアリズムの側からの解決というものがありうる。ここでマテリアリズムと言っているのは、そうした苦しみは経済発展やその政治的配分を通じた物質的充足によって解消されうるのであり、だからこそ社会の改善に向けて努力すべきなのだ、と答える立場のことである。だが、ここには少なくとも二つの難点がある。第一に、人間の物質的欲望は一つが充足されてもやがてすぐに次の欲望が生じ、こうして限りなく増進していくため、結局のところ最終的に満たされることはあり得ない。200年前の人類から見てもこんにちの先進社会はすでにこれ以上ないほどの物質的豊かさを享受しているが、それでも私たちの物質的欲望はなくなっていない。第二に、恒久的に満足できる物質的充足の水準をかりに定めえたとしても、その水準に到達するまでの期間を、どのように欲求不満とつき合って過ごしたらいいのか。短期的に収穫の得られる見込みがあるならともかく、たとえば自分の死後に完成するような計画のために、私がいま我慢しなければならない理由はあるのか。

【6】 こうした事情があるために、反マテリアリズム=イデアリズムへの誘惑が生じることは避けられない。すなわち物質的環境を変えるのではなく、私たち自身の精神・内面をコントロールすることによって現世的な価値体系を転倒させ、これにより苦しみ=欲求不満に対処しようとする立場である。この考え方が、環境に対する私たちの主観的な受容のしかたを問題にすることでマテリアリズムの弱点を突いている点は正しい。しかし現世的価値に重きを置かないことによって苦しみからの救済を得ようとするイデアリズムは、現世の社会改革に限りなく無関心になってゆく傾向に対して、内在的な歯止めを持たないのではなかろうか。
 こちらの内面を変えることで外的な苦痛を受容できるという発想は、きわめて強力でしかも適用可能範囲が広いので、人生のどのような場面でもこの理屈で対処したくなる誘惑を秘めている。だがそうなると、社会改革によって物質的環境の改善が比較的容易に達成できることが予測され、しかもその利益が大きいという場合に、人間を社会改革へと促す理由をイデアリズムは提供できるだろうか。人生の苦しみに対処するために考え出された思想が、苦しみを客観的に容易に除去できる場合にすらその除去に無関心になってしまうのなら、それはもはや倒錯的マゾヒズムと言うほかはないだろう。苦しみから救われる方策を提供するはずのイデアリズムは、苦しみ続けるために救済のチャンスを拒絶するような倒錯、すなわち「キリスト教のすすめる野心的な自己卑下」(シュランベルジェ)から、どうやって自分を区別するのだろうか。

【7】 私にとって納得のいく答えは、おそらくこの二つの立場の中間にある。しかしその選択は微妙な危険をはらんでいる。なにごとにつけ折衷という作業は、論理の一貫性を破綻させる危険をもつからだ。中間とはどういうことなのか。マテリアリズムでもイデアリズムでもないということなのか、あるいはそのどちらでもあるということか。その実質をコトバで説明することができない限り、結局は「物質も魂もどちらも大事」といった類の、曖昧な常識論でお茶を濁すだけになってしまいかねない。

方法としてのマテリアリズム
【8】 十分に考えがまとまっているわけではないが、私は今のところ次のように考えている。単純に言うと、マテリアリズムは「世界を変えよう」とし、イデアリズムは「自分を変えよう」とする。いま世界を変える見込みが(ほとんど)ないとき、マテリアリズムは挫折し、残る選択肢は「自分を変える」イデアリズムしかないように見える。だが、本当にそうだろうか。
 世界を変えようとする者は、よほど単純な見方をしているのでない限り、まず次のことを徹底的に考え抜かなければならないだろう、すなわち、世界を変えるとして、どこを、なぜ、どのように、変えなければならないのかと。現代社会では人々の利害は複雑に錯綜し、善と悪の対立も、その区別すらも、明瞭ではない。世界の何かが間違っていると感じていても、その元凶は自明ではないのである。愛と善意だけでは世界を救えないことに気づいてしまった私たちは、この世界の何が間違っているのかを、まず適切に指摘できなければならないだろう。しかしこのとき、世界について考え抜き、表現し、宣言することによって救われる、そういう経験もまた、ありうるのではないだろうか。たとえ苦しんでいるときでも、何を、なぜ、どのように苦しんでいるのかを言語化し理解することで、私たちは救われたりするのではないだろうか。
 世界が実際に変わったか否かを問題としない以上、それはイデアリズムである。しかし、世界のどこが間違っているのかを考え抜くことを放棄して「自分が変わりさえすればいい」とは考えない点で、最初に言った意味でのイデアリズムとは違う。それは「世界を変えようとすることで、自分が変わった」経験、いわば世界への働きかけを通じた自己の変革である。だが「自分が変わる」とは、本来、そういうことを言っていたのではないだろうか。そもそも人間というものは世界(他者・対象・客体)と関わることでしか、自分を変えることはできないはずだからだ。

イデアリスト、イエス
【9】 本書においてルナンはイエスを「完全な理想主義者(イデアリスト)」(第六章、91ページ)と規定する。だが我田引水をおそれずに解釈すれば、そこでいう「イデアリスト」とは、私がいま理解したような意味でのイデアリストということではないだろうか。ルナンの描き出すイエスは、当時の政治情勢にはまったくと言っていいほど無知で、知りたいとも思わなかった。それはイエスにとっての真の関心事が社会革命ではなく、魂の革命、すなわち「神の国」の建設にあったからにほかならない。
 ではイエスの根本思想とされる「神の国」とはどのような意味だったのか。ルナンはこの思想の中に、(1)貧しい者や恵まれない者が報われるデモクラティックな変革(2)黙示録の幻が文字どおり成就した世界(3)魂の救い、の三側面がせめぎ合って共存していると見る。このうちややマテリアリスティックな(1)をルナンはあまり重視していないが、いずれにせよこれらに共通するのは「現世とは別の世界がありうるという可能性の提示」と言えるだろう。
 ここに、一種の社会革命家としてのイエスの本質があると見てよいのではないだろうか。イエスは終生、異国人、異教徒、娼婦、寡婦、収税吏、貧しい人びと、恵まれない人びとに同情的だった。イエスの教えはいつでも、これら苦しむ人々がいかにして救われうるのかという痛切な問題意識に端を発している。出発点はあくまで現世なのだ。イエスが神の国の到来を説くとき、それはまぎれもなく革命の、ただしイデアリスティックな革命の予告である。「カエサルのものはカエサルに」と説いたイエスは、政治的無関心や反革命を説いたのではなく、「まずあなたの心に革命を起こせ」と言いたかったのだ。

 イエスが目指したのは、一貫して心の革命であった。だが、革命を起こすために、天使とか最終審判のラッパなどに頼ろうとは思わなかった。イエスは人間を相手に、人間の手で革命を起こしたかったのだ。最後の審判が近づいているという以外になにも言う術を知らない幻視者なら、魂を磨くためのこんな配慮はしなかっただろうし、最高の美しい教育法を打ち立てることも不可能だったろう。
(第六章、86ページ)

 イエスはたしかに現世に執着しないよう説いた。しかしそこに現世に対する軽蔑はない。イエスはただ現世とは別の可能性を提出してみせただけだ。現世を軽蔑するパリサイ人のようなもったいぶった態度は、実は虚栄・嫉妬など別の現世的なものへの執着の裏返しでしかないことを、イエスは見抜いていたに違いない。イエスのしたことは、現世の生に苦しむ人々に深く同情し、別の生があるのだという「よき知らせ」を説いてまわることだった。それは神の前にへりくだることで現世の汚れを避けうると信じるちゃちな処世信条などではなく、現世の限界を見極めつつそれとは異なる世界を構想しようとする、豊かな人間的想像力の産物だったのである。

 イエスは教理の創始者ではなく、使徒信条(クレド)の作者でもない。新しい精神を世界に導き入れた人なのである。だからキリスト教からいちばん離れてしまった人々とは、まず一方でキリスト教を幼稚な形而上学的な議論の方向にもっていった、四世紀からのギリシャ教会の学者であり、他方では福音書から膨大な『神学大全』の数千の条項を作り上げようとしたラテン中世のスコラ哲学者であった。
(第二十三章、296ページ)

カトリシズム批判
【10】 以上のようなイエス理解に立つルナンが、19世紀末のカトリシズムに批判的なのは理の当然であった。本書においてルナンがイエスを「比類なき人間」と呼んだことが聖職者の憤激をかい、宗教界の反発を喚起したことはよく知られている。このことは単なる言葉づかいをめぐる対立ではなく、両者の思想上の決定的な相違を象徴する事件だったと見るべきだろう。資料・文献を丹念に参照し、実証的歴史家の態度をもってイエスの実像を理解しようとしたルナンと、神秘主義に傾いていた世紀末フランス・カトリックとでは、そもそも相和するべくもなかっただろうからだ。
 その後、1870年普及版まえがきにおける、カトリックに対するルナンの批判は熾烈をきわめる。

 イエスの唯一の教会であるという栄誉をずっと占有してきたカトリックの、卑小な教義にひるむことはありません。野蛮な時代に世俗の野心家たちが自らの利益のため、イエスの教義を悪用して、数世紀かけて作りあげてきた、かのおぞましい鉄鎖が地に落ちる日がやってきます。イエスの福音を原型もとどめぬまでに堕落させたローマ教会の驕慢が、まもなく罰せられましょう。
(1870年普及版まえがき、14ページ)

【11】 逆説的なことだが、簡明な文章でイエスの思想を紹介し、そのためにはカトリック教会との対立もおそれないルナンのような作家の存在こそが、キリスト者でない者をキリスト教への信頼につなぎとめる有力な動機を提供する。もし人はみな神の子であるというのがイエスの教えであり、そして「みな」というのが文字どおり教会に行かない人も含めた「すべての人」の意味であるならば、むしろ、誰にでもわかる文章でイエスの教えを解説したルナンにまさる布教家は、いなかったことになるだろう。
 本書が社会に与えた効果として、ルナンは1870年普及版まえがきにおいて二つの点を挙げる。すなわち「まず超自然にたいする信仰を弱めたこと。次に、宗教的な世界からいっさい遠ざかっていた人々にキリスト教の真髄を感じとってもらえたこと」(8ページ)。この二つは実はひとつのことの両面だ。ルナンはイエスの教えを、自己完結的な教会内サークルの教理綱要の形式から解放し、日常のあたり前のコトバでつづられた救いの教えへと表現しなおすことによって、キリスト教のいのちを更新することに貢献したのである。宗教と科学の二重の教養を備えた歴史家ルナンの真骨頂がそこにあったのであり、本書はこうして、人間にとって超自然的なものに頼らないでも信仰は可能であることの見事な例証として、いまやキリスト教史に欠くことのできない一冊となったと言うことができるのである。

ノート
字数:9600
初稿:2002/04/27
初掲:2002/04/28
リンク
DATA:ルナン
DATA:『イエスの生涯』
人文書院
参考文献・関連事項
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参考文献

  1. ライヒ『キリストの殺害』(太平出版社、1979年)
    精神分析学者ライヒによるイエス論。ライヒはルナンの思想を高く評価する。

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