補足・キリスト教正義とユダヤ教正義の類似と差異考 |
仏独が云うことを聞かない訳についての一考察 | れんだいこ | 2004/11/15 |
「キリスト教の国教化の裏事情考」で、西欧諸国家がキリスト教国家として立ち現れることになった裏事情について愚考した。この対立は根深く、少なくとも二千年来続いている。れんだいこにこのことを気づかせたのが、ブッシュ一統によるイラク侵略戦争であった。米英ユは鉄の同盟を見せ、「聖戦」を遂行したが、この経緯で仏独が必ずしも同調しない妙な動きを見せた。この背景に何があるのだろうか。 れんだいこは容易にわかる。恐れ多くもいやしくも曲がりなりにもキリスト教国家として自存してきた西欧諸国の人々は、米英ユ同盟の紛うことなきユダヤ式急進派の悪の論理と攻勢に嫌悪感を覚えたのではなかろうか。 事を為すには論理が要る。その論理がいい加減なままに無慈悲なまでに絶滅戦争に向うその遣り口を見て、西欧諸国の人々は「先祖伝来の血の騒ぎ」を覚えたのでは無かろうか。やってやり返されまたやってやられて云々の長い歴史がある故に。 これはキリスト教国家の遣り方ではない、勝手にしろ、という思いが憤然と沸き起こってきたのでは無かろうか。この時初めて損得の利害計算を超えて、彼らは正気に戻った。れんだいこはそう理解する。これを各国の帝国主義的思惑で語るものも居るだろうが、恐らくそれは半面の真理に過ぎず、残りの半面は宗教的イデオロギーの問題になっているのではなかろうか。 ここのところが判らず、我が小泉君は、「強い者に巻かれろ、しからば御身も国家も安泰」式の処世法で今もブッシュにチンチンして自悦している。読売他のマスコミがこれに追従している。 それはかっての軍部ににじり寄って提灯した姿と寸分変わらない。連中の頭脳はいつもこの程度の自称インテリ性でしかない。この連中が権力を持つからややこしいことになる。連中は権力を刃物と心得、それを振り回すことしか知らない。 大東亜戦争時の大本営発表体制は今でも面白おかしく語り伝えられているが、れんだいこは、かってそういう時代があった、とばかり思っていた。ところがあにはからんや、今のご時世も又新種の大本営発表体制時代に入っているみたいだ。これ如何に。 ラジオ、テレビ、各種メディアの発達が、世の中をもっと自由にするのかと思ったら、何のことはない洗脳、マインドコントロールの道具としてのみ利用されている。れんだいこは私事多忙でテレビを見ることが滅多にできないが、時に覗くとくだらない番組バヤリである。これに罹りつけになるときっと頭脳がやられ、ブッシュ御一統のやっていることが正しく、テロリスト撲滅戦万歳になるようである。 こういう手合いが増えている。喫茶店で話を振ったら確立8割でそういう論調になる。れんだいこは概ね話を合わし、無用なトラブルを避けるが、由々しい事態の到来である。してみれば、インターネット空間こそもっと強化せねばならぬ。新聞、雑誌、ラジオ、テレビの愚説より読んで為になる情報を交叉せねばならぬ。著作権野郎を一瞥し、どんどんコピペして行かねばならぬ。著作権レフト思想を高く掲げ、有益情報を対抗的に流して行かねばならぬ。 そんなことを考えた秋の夜長のれんだいこであった。 2004.11.15日 れんだいこ拝 |
キリスト教福音派は、9.11テロ以来、イスラム教徒をTVなどで堂々と悪の帝国と呼んで悪魔視し続けてきている。ブッシュはイラクをEvilと呼んでいる。これらの背景にはユダヤ教原理主義派の宗教的観点がある。彼らは、冷戦時代にはソ連を、ソ連邦解体後は宗教上の敵、文字通りの異教徒を見つけた。対テロ戦争はユダヤ教原理主義派とこれに呼応するキリスト教原理派にとっては対イスラム原理派戦争という側面も持っている。 キリスト教原理主義のコラムニスト、アン・コールターは「(対テロ戦争の最終目標は)イスラム教徒を殺し、残った者をキリスト教に改宗させること」とはっきり言っている。 Evangelical は福音派と訳されるが、特定の宗派名ではなく本来は「聖書(福音書)の教えに忠実に従おうとする信仰のあり方」なので、「あなたはEvangelicalですか?」と聞かれるとアメリカ人の半数近くがイエスと答えるという。しかしその大半は穏健な中道保守の人々で、狂信的でもなんでもない、普通の音楽も聴いている普通の人々だ。 「聖戦/蛮族との戦いに備える福音派海兵隊たち ファルージャ近くに集結したアメリカ軍において、イラク侵攻以来最大の戦いになる戦闘に備えて、35人の海兵隊員がクリスチャン・ロックに熱狂しながら、イエス・キリストに祈りを捧げていた。神の加護を求めて」(「福音派ロックとファルージャ総攻撃 [町山智浩アメリカ日記 2004-11-09]http://www.asyura2.com/0411/war62/msg/1099.html、投稿者 レイ 日時 2004 年 11 月 13 日」参照) |
Re: ある老年キリスト者の(苦しい)思索 - 長文引用につき分割1 http://www.asyura2.com/0411/war62/msg/1109.html (回答先: 福音派ロックとファルージャ総攻撃 [町山智浩アメリカ日記 2004-11-09] 投稿者 レイ 日時 2004 年 11 月 13 日 00:10:09) 「ローマ帝国においてキリスト教が国家公認宗教になって、キリスト教会はそれまでとってきた非戦・平和主義の立場を変更し、キリスト者が軍人になるのを否定しなくなった。それまでは異教的な儀式が中心となって軍隊が統率されていたが、それが取り除かれたという事情が働いた。しかし、それとともに戦争は殺人行為であって、殺人を禁じた教えに反するという面もあって、教会も国家の宗教と個人の宗教との関係に苦慮している。それは聖と俗、教会と国家との関係。国家が持っている軍隊の精神的な支柱をキリスト教が請け負ったからである」(井上圭典「正戦論 bellum
justum (正義の戦争論)とイラク問題」)。 |
Re: ある老年キリスト者の(苦しい)思索 - 2 (回答先: 福音派ロックとファルージャ総攻撃 [町山智浩アメリカ日記 2004-11-09] 投稿者 レイ 日時 2004 年 11 月 13 日 00:10:09) 求道者へ(2) 2003/3/31 井上圭典 |
(私論.私見)