イエス教、キリスト教の教義的差異と対立考

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.8.6日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「イエス教、キリスト教の教義的差異と対立考」をものしておく。

 2024(栄和6)年.8.6日 れんだいこ拝


【イエス教、キリスト教の教義的差異と対立考】
 ここで、「イエス教、キリスト教の教義的差異と対立考」をものしておく。イエス教とキリスト教を識別するのは、イエス教とキリスト教が大きく異なるためである。従来、イエス教とキリスト教の差異が顧みられず、いわば同視してイエス教をキリスト教の中に埋没させてきた。れんだいこは、この手法を拒否し、イエスの御教えを画然とさせイエス教とし、イエス教が歴史的に見てはるけき現代にまでつながる「パリサイ派サタ二ズムに対する神の側からの駁論」であることを伝えたいと思う。あまた神父が居るが、何らかの規制があるだろう、こういう風には問いかけない。そこで自由人れんだいこが斬り込むことにする。

 これまでのキリスト教学は、イエスをキリストになぞらえ、キリスト論に傾斜してきたきらいがある。れんだいこは、それは違うと思う。我々は、イエス教論にこそ熱中すべきであり、ユダヤ教パリサイ派の教説を取り入れた後のキリスト教論に深入りすべきではない。歴史は、この逆のことばかりをやってきた。お陰で、キリスト教はイエス教の真実を曇らし、これが為に本来はユダヤ教が負うべき偏執性を身につけさせられ、本来ユダヤ教が負うべき教義批判をユダヤ教に代わって引き受けさせられるという損な役回りまでさせられている。この虚構の解体とイエス教の再生こそ目指すべきだろう。
 ユダヤ教は、最も重要な聖典として聖書に依拠する。ここで云う聖書とは、キリスト教の旧約聖書のことを云う。キリスト教から見て旧約聖書であるが、ユダヤ教にとっては新約聖書なる者は存在せぬので、キリスト教の云う旧約聖書が唯一の聖書となる。まず、このことが確認されなければならない。ユダヤ教では、聖書のうちヘブライ語で「トーラ」と呼ばれるモーセの五書が最重要視される。これによれば、宇宙世界の創造主であり絶対神であるエホバ(ヤハヴェ)は、人類誕生後の諸民族への分化に於いて、神と契約(Testament)したユダヤ人にのみ恩寵と保護を約束した。これにより、ユダヤの民は、神を敬いそして十戒(戒律)を守ることにより「選ばれた民」の地位を獲得している。この「選良故の選民意識」を結束の絆とするのがユダヤ教である。ユダヤ教の種々の教えは、この選民意識に基づくユダヤの民の特権化の為のものであり、その方策を授けるものである。これがユダヤ教の宗教的構図である。

 但し、留意せねばならないことは、この正統的ユダヤ教に対抗する革新的ユダヤ教なるものが創出されており、ユダヤ教内部は、この二派間の根深い教義的対立のまま共にユダヤ教として流布されていることである。どこに違いがあるのかと云えば、正統的ユダヤ教がモーゼ五書を重視するのに対し、革新的ユダヤ教がモーゼ五書よりもタルムードを重視するところに認められる。モーゼ五書がユダヤの民の選民意識を良識化させているのに対し、タルムードはユダヤの民の選民意識を強権化させており、これにより、革新的ユダヤ教タルムード派のユダヤ教は排他的な戦闘性を強めることになる。両者のどちらがユダヤ教であるかは、ン千年来未だ決着がついていない。かく認識する必要がある。

 
このユダヤ教の宗教的構図のうち、革新的ユダヤ教タルムード派のユダヤ教を徹底的に批判して形成されているのがイエス教である。イエス教の具体的内容は「イエス伝」に記すが、これを要約すると、ユダヤ教的選民意識に対して万民共同意識に基づく方策を授けており、同じ神の義の信仰を説きながら、エホバ(ヤハヴェ)信仰と云う点で共通のものを持つが、その他のことごとくに於いて齟齬している。イエスの御教えは、閉鎖的独善的に陥りやすい「選良故の排他的選民意識」から脱却し、国際主義的な世界観社会観民族観へ規範拡大したところに意義が認められる。この御教えを墨守するのがイエス教であるが、実際にはイエス教なるものは存在せず、いきなりキリスト教へ転化している。

 次のように解析されている。同感である。
 イエスが今日生きていたら彼はキリスト教徒ではない。当然、彼はキリスト教の創始者ではない。キリスト教は、主にパウロやその後の教会評議会によって、イエスの名の下に作られた宗教であり、イエスの直の教理とは大きく異なる。イエスは、彼のことを話す人々によってひどく歪曲されたため、彼の真実は秘密のベェ-ルに包まれている。イエスはすべての人類に属しており、彼の真実は普遍的な意義を持つ。イエスをキリスト教の宗教家または正面の人物にするのは間違いである。あなたは教会で聞いた教説からイエスを切り離さなければならない。彼があなたを自由にすると言った真実を見つけるために。
 キリスト教は、ユダヤ教とイエス教を折衷しているところに特徴がある。具体的にどう折衷しているのかと云うと、宗教的構図に於いてはユダヤ教的信仰観を基礎にして且つ随所にイエスの御教えを掲げるところから成り立っている。これがキリスト教的宗教的構図である。これは福音書執筆者の観点により形成されたものであり、福音書執筆者が元ユダヤ教出自と云う事情に負っている。これにより、元々水と油的関係のユダヤ教とイエス教を折衷させ、ユダヤ教を基礎にしたイエス教と云う独特の教義を確立していることになる。これが、ユダヤ教聖書を旧約聖書として冒頭に配置し、次にイエス教伝を新約聖書にすると云う仕掛けの由来であり、これによりキリスト教に於いては旧訳新訳の二つの聖書から教義が形成されていることになる。

 キリスト教のこのユダヤ教との親和性が、ユダヤ教からのキリスト教浸潤の道を開いている。次のように記されている。
 「カトリックこそはユダヤ教によってキリスト教撲滅の陰謀として作り出されたものだからだ。ザビエルが来日した本当の理由も、キリスト教布教は表向きであって、本当は、失われた十支族と契約の箱を探しての旅だったともいわれる。カトリックがユダヤ教というのがウソだと思うなら、カトリックの枢機卿の出生を見てみればいい。8割がユダヤなのだ。そして神学校の牧師生の8割もユダヤ人である。その理由は、シオンの議定書のなかに書かれている。すなわち、ユダヤ教徒はキリスト教徒の内側に入り込み、医者や牧師となってキリスト教徒を殺害せよとする陰謀が指令されている。ユダヤ教徒は、キリストとその影響を地上から抹殺するために2000年にわたって、壮大な陰謀を仕掛けていたのだ。その証拠に、カトリックこそは、人類史上最大の侵略者であり、最大級の虐殺者であった。それをキリストの名で行うことで、キリストの滅亡を意図したのだ。ちなみに、日本からも戦国時代に、カトリック神父によって数十万人の娘たちが洗脳拉致され、奴隷として外国に売られた。キリストを信仰した娘たちは、やがて、西欧に奴隷として売り飛ばれ、カトリックは莫大な利益を上げたのだ」(「イルミナリティ」)。

 (以下、後日に研鑽するものとする)

 「一般には、ユダヤ教は律法や儀式など外面的なことを強調し、他方キリスト教は愛とか信仰などの内面的なことを強調しているように見られている」が、「ユダヤ教の一派には、形式的宗教慣習よりも内面的宗教体験を重視するハシディズムという敬虔主義運動もあり」、事はそう単純には仕分けできない。

 2011.01.01日再編集 れんだいこ拝





(私論.私見)