棋士がトイレに行くのは・・・
棋士は対局中に、お茶などの飲み物を頻繁に摂る。頭を酷使したり緊張感が高まると、どうしても喉が渇くからだ。一日がかりの対局では、ペットボトルで5本以上は飲むだろう。必然的にトイレに行く回数が増える。難解な局面で長考が続くと、一手ごとに行くこともある。対局中はいつでも行けるが、自分の手番だと持ち時間がその分だけ減る。棋士が対局中にトイレに行くのは、生理的な理由だけではない。閉ざされた空間は、自分に向き合う打ってつけの場所にもなる。高ぶった気持ちを静めたり、「がんばるぞ!」と独り言を吐いて戦意を高揚させることもある。私こと田丸も現役時代、局面を冷静に見つめたいとき、勝敗に直結する勝負手を放ちたいときは、トイレに行って気持ちを整えたり、最終的な決断をしたものだ。私は知人に、対局中に平静を欠いたら、トイレで自分の陰嚢(ふぐり)を指で包み込めば、一時的に落ち着くと言われた。実際に試してみたが、効果のほどはどうだったか……。
トイレに行く「タイミング」も重要
トイレに行くタイミングも勝負の節目になっている。対局者は形勢が好転したとき、好手を発見したときは、えてしてトイレに行くものだ。小声でぶつぶつ言いながら足早に席を立ったときは、それが顕著である。本心と見かけの態度は別なのだ。 私も内心にんまりしながら、困ったような表情で席を立ち、トイレで勝ち筋を確認したことがあった。逆に、敗勢になって勝負がついたとき、トイレで自分の負けを言い聞かせてから、対局室に戻って投了したことがあった。50年ほど前に、四段の若手棋士と八段のA級棋士が対局したとき、序盤の局面がある棋書で専門的に解説された流行の戦法と、偶然にも同じとなった。それを思い出した若手棋士は、対局中にその棋書をトイレに持ち込んで熟読した。そして、実戦は棋書のとおりに進行し、優勢になった若手棋士がA級棋士(棋書のことは知らなかった)に快勝した。
棋士たちが笑い話にした「トイレ棋書」
現代の規定にたとえると、対局中にスマホに搭載された将棋ソフトを用いて「カンニング」すれば、反則行為に当たる。しかし、昔の棋界は大らかだった。「トイレ棋書」の話が知れ渡ると、仲間の棋士たちは笑い話の種にした。その若手棋士には非難せず、A級棋士がそんなことで負けるのがおかしい、という見方をしたものだ。戦いが終盤に進み、持ち時間が少なくなってくると、対局者は生理面の問題に直面する。持ち時間を使い切り、一手ごとに60秒以内に指さなければならない「秒読み」に入ると、トイレに行く余裕がなくなるからだ。そこで残り数分のあたりで、前もって用足しをしておく。しかし、形勢がもつれて長手数に延びたり、早い時期から秒読みに追われていると、生理面は深刻な問題となる。水分は口にできないし、我慢にも限界がある。加藤一二三・九段は現役時代、持ち時間をいつも使い切って秒読みに追われるのが常だった。その加藤が将棋会館で対局したとき、近くの個室トイレの扉がよく半開きになっていた。つまり、相手の手番のときに急いでトイレを往復すれば、60秒以内に指せる可能性があるのだ。半開きにしたのは、少しでも時間を節約するためで、長年の経験による工夫かもしれない。
加藤一二三に「塩を送った」大山康晴
50年以上も前のタイトル戦で、トイレに関する次のようなエピソードがあった。大山康晴十段(当時41)に加藤八段(同28)が挑戦した1968年(昭和43)の十段戦7番勝負(竜王戦の前身棋戦)は、大山が3勝2敗とリードして第6局を迎えた。その対局も大山が勝勢となった。秒読みにずっと追われていた加藤は、終盤の局面で席を立ってトイレに行った。半ば開き直りの行為だった。その直後に大山が指せば、加藤は60秒以内に指せなかったかもしれない。しかし、大山は加藤が席に戻るのを待っていた。相手の時間切れで勝ってタイトルを防衛というのでは、五冠(当時)を独占していた第一人者として、体裁が悪いと考えのだろう。大山は、加藤に対していわば「塩を送った」のだ。ところが、指し手は逆に「甘く」なってしまった。第6局の終盤で簡単な詰みを逃してしまい、逆転負けを喫した。さらに第7局も敗れ、加藤に十段位を奪取された。トイレの一件によって、勝負の流れが微妙に変わったようだ。私も15年前のある対局で、秒読みに追われていた若手棋士が我慢しきれずにトイレに駆け込んだとき、すぐに指さなかった。相手に塩を送ったのではなく、難しい局面だったので考えたかった。正々堂々と戦いたい気持ちもあった。ちなみに、囲碁の公式戦の対局では、秒読み中でも1、2分のトイレ中断が認められている。ただ勝負のルールとしては、生ぬるいような気がする。悪用される可能性もある。
大山が将棋会館の設計で付けたある注文
東京・千駄ヶ谷の将棋会館は、45年前の1976年に建設された。日本将棋連盟の副会長だった大山十五世名人が、精力的に募金活動したことで成就されたものだ。その大山が会館の設計で、ある注文を付けた。それは女子トイレを多く設置することだった。当時の女流棋士の人数は10人ほど。女性の将棋ファンも少なかった。連盟関係者は、その必要があるのかどうか、疑問を持ったという。しかし、大山は「多くの女性が将棋会館を訪れる時代がいずれきます」と力説した。現在の女流棋士は70人を超えている。「観る将」と呼ばれる熱心な女性の将棋ファンの姿を、将棋会館でよく見かけるようになった。かつての大山の願望は、現実のものとなっている。 |