1695 | (元禄8) | (林3世)玄悦 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).4.18日
(囲碁吉のショートメッセージ) |
ここで「(林3世)玄悦の御城碁譜」を確認しておく。 2022.4.18日 囲碁吉拝 |
【(林3世)玄悦の御城碁譜】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1678(延宝6)~1719(享保4) 二世門入の実子。幼名長太郎。父は安井算知の門下であったが、病に倒れたときに、8歳の息子、長太郎を本因坊道策の人物を見込んで預け、林家相続を託した。貞享2年、二世門入の没後、三世門入を継ぎ、道策及び道策の没後は四世井上因碩(道節)の教育を受けた。御城碁出場は18歳、初段。その後、宝永元年まで御城碁7局を勤めたが、自ら才能の限界を感じて、家禄を本因坊道策の門下・片岡因的に譲り、隠居して玄悦を名乗った。 |
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(林3世)玄悦の御城碁は1695(元禄8)年から1719(享保4)年までの15年間、通算成績0勝6敗4置碁(全10局)。参考までにこれを現代コミ碁でカウントすると0勝6敗4置碁になる。棋力不足な成績を残したことになる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(私論.私見)
1670(寛文10)~1740(元文5)
本姓片岡。最初本因坊道策の門下となり、名を因的と言った。
宝永2年三世林門入(玄悦)の養子となり、名を因竹と改め、上手となる。この年から御城碁に出仕。
翌年家督を継いで四世林門入となる。
本因坊道知の碁所就任ののち、安井仙角、井上因碩(因節)とともに、準名人に上る。
享保11年隠居して、朴入を名乗った。